<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



製薬大手のファイザーが日本でジェネリック薬品の販売に踏み切るのだという。

ジェネリック薬品というのは特許切れの薬品を好き勝手に作って安く売る薬、というイメージを持っているが果たして正しいのか。
私は難しくて良くわからない。
製薬最大手のファイザーがジェネリック薬品を売り出すのはライバル会社の弱体化を狙った陰謀のような感じもしないではない。
製薬業界は2010年問題という特許切れ製品が大量に出現する危機を抱いている。
その危機につけ込んだのがファイザーなのかも。
なんといってもファイザーはバ○グラという薬の偽物が中国を中心にあちこちに出回ってしまって巨額の損失を受けているので、合法に反撃に出ようとしているのかも分からない。

ところで、つらつらと考えてみるにつき正露丸なんかは完璧にジェネリック薬品の範疇に入るのだろうな、と思ったりするのだ。

というのも正露丸は色々なメーカーから発売されているのを最近知って「もしかすると薬は特許が切れたら名前まで真似ていいのかな」とさえ思ってしまうぐらい伝統的な薬品だ。
この薬さえ飲んでいたらあの強大なロシアさえ征伐することができるという特効薬で、そのニオイとは裏腹に素晴らしい効き目の薬なのだ。

ということで、正露丸についての思い出を思い出したので、次回は正露丸に関わる経験談を掲載したいと思う。

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一昨日の深夜、つまり昨日の未明、東海道新幹線米原~京都でN700系車両を使って時速330kmで走るデモンストレーションをやったそうな。
なんでも新幹線を外国に売り込むために、
「新幹線はTGVよりも早く走ることができるし、かつ安全ですよ」
ということを証明するためも走行だったのだという。

「330kmで走っているという感じはありません。いつもと同じです。」
というのはニュースレポーターの感想だ。

正直いって330kmで走ってなんでもないのであれば普段から最高時速は330kmで走っていただきたい、と思ったのは私だけだろうか。
初代のぞみのように名古屋に止まらずにノンストップにすれば東京~新大阪間、リニアモーターカーにしなくても1時間台が可能かも。


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初めてミャンマーを訪れた6年前、私は旅の最終日にヤンゴン郊外にある日本人墓地を訪れた。
ガイドブック「地球の歩き方」にも掲載されている第2次世界大戦で戦死した数多くの日本軍将兵を追悼している施設だ。
映画「ビルマの竪琴」にもあるように、この国とその周辺地域では多くの日本軍将兵が亡くなっている。
その数約17万人。
墓地には慰霊碑が建っており、庭園のように整備されたその中には戦した台湾朝鮮籍の人たちも含む日本軍将兵や当時この地に住み戦禍に巻き込まれて命を落とした民間人の墓石が建っている。

慰霊碑の前へ行くと、そこには質素な木製の記帳台があり大学ノートとボールペンがその上に用意されていた。
大学ノートはここを訪れた人たちが感想やメッセージを書き込めるように置かれているものだった。
私も何かひとつメッセージを残しておこうページをめくると、ひとつの書き込みが目に留まった。

「今日の日本の繁栄があるのは皆さんのおかげです。ここに来て初めてそのことを感じました。」

という若い日本人のメッセージだった。

今では日本のどこからでも飛行機で1日あればたどり着くことのできるミャンマーのヤンゴン。
しかし第2次世界大戦時、ほとんどの将兵にとってここは日本から船と陸路で数週間もかかる最果ての地であったのに違いない。
そのミャンマーで祖国を守るために散華した人々。
敵弾に倒れるのならまだしも、補給の途絶えた、想像を絶する悪天候と疫病と飢餓で無くなった大部分の人々のことを思うといたたまれなくなるのだった。

笹幸枝著「女ひとり玉砕の島を行く」(文藝春秋社)を読んで一番最初に思い出しのが、ミャンマーのヤンゴンの日本人墓地で感じた、そのいたたまれないくらい悲しく、そして悔しい感情だった。

この「女ひとり玉砕の島を行く」の著者・笹幸枝と言う人はものすごい行動力を持っている人のようで、フィリピンの「バターン死の行進」を自ら歩いてみて、その政治的創作性を暴いた人として知られている。別の言い方をすれば旧日本軍が悪者でないと困る人たちから嫌われている。
ちょっと変わった女性ではあるのだ。

本書は現代の30代女性である著者が今では日本人の訪れることもほとんどまれな南洋の島々を訪れた旅行記になっている。
なんといっても各章の冒頭にその島までへの行き方や、滞在方法、費用なども明記されている、ガイドブックなのか、と思いたくなるくらい至れり尽くせりの旅行記なのだ。
その島までの行き方が書かれていることが、余計に「玉砕の島々」の祖国から隔絶された地理的環境を感じ、読むものにリアリティを感じさせる。

ただの旅行記ではないのは戦友会や遺骨収集団、自衛隊などと一緒におとずれていることで、当然のことながらリゾート巡りなどでは決してない。
バターン死の行進を検証するために自らフィリピンに出向いて歩いてくる人である。
先の大戦で犠牲となった数多くの人々と、その家族、その戦友たちと一緒にかつての激戦の地を訪れることにより国の過去・現在・未来を日本人の心で冷静に見つめている旅なのである。

その日本人の心から見つめた旅に接した時、私はあの遠いミャンマーのヤンゴンで感じた哀しみと感謝を思い出さずにはいられなかった。
本書は素晴らしい旅行記だ。

~「女ひとり玉砕の島をゆく」笹幸枝著 文藝春秋社~

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ベトナム航空のA330関西空港発ホーチミン市行きは離陸時にいつも利用しているバンコク行きのB777と比べて多少長めに滑走したような感覚を受けた。
走っているうちに「これはまともに離陸できるのか。まるで太平洋を越える北米路線のようになかなか離陸しないではないか」という疑問を超えた不安感が漂ったことを除けば、いたって快適な飛行だった。

お昼前の出発だったので水平飛行に入ると機内ではランチタイムが始まった。
ベトナム航空の食事はどのようなものなのか。
まず、この旅最初の楽しみはこのベトナム航空の機内食なのであった。

ベトナム料理はここ最近日本でもかなりポピュラーになっている。
同じ東南アジアの料理でも他の国の料理と比較して最も取っつきやすいのがベトナム料理なのではないかと私も思っている。
味はあぶらぎっておらず淡泊だし、中華料理に似た要素が多分にあり親しみやすい。
とりわけフォーや生春巻きなんて言う定番料理は日本人の舌にすこぶるマッチしているといえるだろう。
その料理の本国、ベトナムのフラッグキャリアなのだから、きっと素晴らしい料理を提供してくれるだろう、と私は希望に胸を膨らませていたのだった。

ベトナム航空も他のエアライン同様まずは飲み物サービスから始まった。
飲み物サービスといえば私のチョイスはもちろんビールだ。
前回のベトナム訪問で私はベトナムのビールはサイゴンビールと333(バーバーバー)ビールを楽しんだ。
両者ともとっても美味に感じたのを覚えていた。
多くの乗客はアサヒスーパードライの缶ビールを所望していたが、私はもちろんベトナムのビールが飲みたい。
「サイゴンビールちょうだい」
と英語でリクエストしたら、
「すいません、333しかないんです」
と流ちょうな日本語で返された。
私たちのエリアを受け持つ客室乗務員は日本人なのであった。

配られたメーニューを眺めてみる。
そこには日本からベトナムへ向かう便のメニューとベトナムから日本へ向かう便のメニューが記されていた。
内容は英語とベトナム語と日本語で記されている。
ベトナム航空もなかなかやるではないか。
先ほどからB777を飛ばしていると褒めているタイ国際航空なんぞはエコノミーな客個々へ配るメニューなどはじめからない。
メニューは餃子の王将に置かれているようなパウチしたペラペラA4サイズのメニューなのだ。
そのA4サイズのメニューを客室乗務員が手に持ってワゴンを押しながら、
「サカナ?.....ブタ?」
などと訊きながら料理を配っている。
それが「エコノミークラスだぞ」という感じなのだ。
それと比較するとベトナム航空はまるでシンガポール航空の様にリッチな気分が味わえるエアラインなのであった。
機種がA330であるにも関わらずに。

つづく

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何の本だったのかは失念してしまったが、強い軍隊を持っている国には「食事が不味い」という共通点があるのだそうだ。

確かに美食の国フランスや中国は外国との戦争に「勝ちました」なんて話は近代史上とんと耳にしたことがない。ましてフランスなんかは自国民が頼りないからかどうか知らないが外人部隊なんてのがあるぐらいだから、美食は豊かさを育んでしまって戦うためのハングリー精神に乏しくなるも分からない。

その点アメリカは戦争に強い。
あっちこっちにちゃっかいを出しては酷い目には遭っているものの装備といい政治の手法といい強大な国力だ。
そしてその強大さを裏付けるように「メシが不味い」と誰もが断言できる没食文化を持っている。

アメリカ軍の特長はメシが不味くて強いだけではない。
グリーンベレーや海兵隊、さらには「超能力を有している者」ばかりを集めた部隊もあるというのだ。

ジョン・ロンスン著「実録・アメリカ超能力部隊」は第2次世界大戦後にアメリカ軍に実在した「超能力を持った兵士達ばかりを集めた部隊」を取材したノンフィクションである。
ノンフィクションだから多少創作が加味されているかも知れないが、作り話ではない。
作り話ではないがあまりに荒唐無稽のため笑うに笑えないノンフィクションになっているのだ。

「超能力部隊」が実在したこと自体、なにか食事の味と同様にアメリカという国の異様さの例のように思われてならない。

この異様さは本書の後半に身の毛もよだつ犯罪として描かれていく。
それは世界を騒がせた米国兵によるイラク兵捕虜の虐待行為だ。
男同士を無理やり搦ませて写真を撮らせたり、女性に辱めを受けたりしたところを撮らせたりという写真が公開された、あのグァンタナモ空軍基地での重大事件だ。

あの事件を起こした兵士達はこの超能力部隊と何らかの関係があり、そのため狂気ともいえるあの行為も平然と行なえたというのだ。
正直いってこの作品の見せ場はたった2つ。
冒頭の将校が超能力を発揮し、事務所の壁を通り抜けようとしてその壁に思いっきり頭をぶつけたときのエピソードとこの捕虜虐待に関するレポートだ。

「私は上官の命令に従ったまで」

という女性兵士の証言は超能力よろしく意図して作られた狂気が存在していたことを物語っていた。

タイトルだけ読むと「Xマン」みたいな世界が本当に存在していたような印象を受けるが、実際はアメリカ軍の裏社会を描いたネットリとした熱帯夜のようなレポートなのであった。

なお、本書たいへん読みにくい文章で構成されている。
どれくらい読みにくいかというと、読んでいるうちに別のことを考え事してしまい、本書を読んでいることを忘れてしまうほど読みにくいのだ。
それは原書の英文が最低なのか、それとも訳者に国語力がないのかどうかはわからない。
理由はよくわからないのだが、リズムが壊れ、かつ、語句は単純なのだが文章の構成が難解な文章で書かれていたのであった。
これからこの本を読みたいと思っている人はイラクのくだりが始まるまでの、残り5分の1ほどに達するまで読み続けることができるのかどうかが最大の難関だ。

~「実録・アメリカ超能力部隊」ジョン・ロンスン著 村上和久訳 文春文庫~

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