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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





出張で大阪~東京を飛行機で移動するとき、どこの席に座るのかは大きな問題だ。

先日も関西空港から羽田空港へ移動するときに、どこの席を予約するのか、いつものように悩んだ。

まず、前方に座るのか、後方に座るのか。
前方にゆとりがあれば、当然前方に座るほうが早く下りることができるので、空港からの行動をスムーズにスタートさせることが出来る。
後方だと降りるまで結構時間がかかってしまうこともあるので注意が必要だ。
しかし、実際は前方を予約すると、私と同じような考えの人が多いらしく、混雑しているので空いていても隣にゴッツイオッサンが座ることも少なくなく、あまり快適ではない。
後方だと、混雑していても若干空席があったりして、しかも三人がけの椅子だったりすると、窓際、あるいは通路際に座ると真ん中の席が空いていてラクチンに移動することができるのだ。

従って、必然的に後方を予約することが増える。

次に窓際に座るのか、通路際に座るのか、ということだが、私は国際線では通路際に座ることにしていて、国内線では窓側に座ることにしている。
ということは大阪~東京であれば、窓際に座ることになる。

国際線で通路側に座るのはトイレにいく時に行きやすく、また立ち上がりたいときに何時でも立つことができるからだ。
これによりビールをたらふく飲むことができ大満足するのだ。

で、国内線で窓側に座るとなると、A席に座るのかK席に座るのか(B777の場合)が問題になる。

早朝、大阪から東京に向かう時はA席に座ると琵琶湖、富士山、東京湾をはじめ数々のランドマークを楽しめるのはもちろんのこと、日光が直接差し込んでこず、眩しくない。
そこへいくとK席に座ると、紀伊半島と伊豆大島、太平洋以外はほとんど何も見えない上に、陽射しが直接窓から飛び込んできて眩しいい上に、夏だと暑くてたまらないということになる。

畢竟、A席の窓側を優先的に選ぶことになるのだ。

先週、早朝便を予約すると結構混んでいてK席しかあいておらず、そこを予約することにした。

天気は曇天。
朝が早いので関西空港はかなり暗い。

「雨ふりそうやから、揺れるかも」

といささか心配をしながら飛行機に乗ると、心配する事態は一変。
素晴らしい景色を目にすることになったのだった。

大阪湾上空を上昇を続け、何も見えない雲を抜けると、そこは無限に広がる雲海が。
そして、東からはオレンジ色に輝く朝日が射してきて、素晴らしい景色が眼前に広がってきたのだった。
しかも、翼の部分が朝の陽光に輝き出され、飛行機からしか見ることのできない太陽の輝きが素晴らしい演出を醸し出していたのだった。

もしA席に座っていたら雲で琵琶湖も富士山も見えなかったであろう、この幸せ。

飛行機の旅は、いつものコースでも様々な景色を楽しませてくれるものだと、改めて感無量になった一時なのであった。




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NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」を初回からほとんど視聴している。
私にとって朝ドラを初回からほぼ全エピソード見ているというのは、学生の頃に放送されていた「おしん」の前半以来、久しぶりのことだ。

そもそも私は連続ドラマがあまりお気に入りではなく、最近は大河ドラマもつまんないのであまり見なくなってしまっていた。
一昨年の「龍馬伝」は最初の数話を「おもろいやん」と鑑賞していたのだったが、だんだん内容に無理が出てくると共に、あまりに史実から逸脱し、しかも仕事が急激に忙しくなってきて、日曜夜とはいっても家にいないことが多くなり番組を見逃しているうちに、すっかり興味が失せてしまったのであった。

今回の「カーネーション」は私の生活圏を舞台にしたドラマだけに嫁さんから、
「しっかり一緒に見よや」
と見ることを強制されたために、継続して見ることになっていたのだ。

しかし、その継続は今回に限っては、なかなかポジティブな結果として現れたのであった。

「カーネーション」は今のところは結構面白い喜劇として受け入れることができちるドラマなのだ。

服飾デザイナーの小篠綾子をモデルにした主人公がこれまた面白い。
女性ながらに戦前から店を持ち、商売をし、次々とチャレンジしていく様は、浪速のど根性的な物語だ。
ストーリーそのものは結構重いものがテーマになっているにもかかわらず、危機的シーンも笑って見ていることのできる上質な喜劇に仕上がっているのだ。

戦前の話は純粋に喜劇的で、明るいストーリーが特長だった。
このまま、戦中戦後に入るとどうなるのだろう、と心配になってくるぐらい明るいドラマ作りが魅力的だった。
NHKドラマの特長は戦中はかならず、「暗~い、言論統制と、住民圧迫と非民主主義の異常時代」と描きたがるのだが、このドラマはそんな私の心配もよそに、戦中期の重い雰囲気も笑いと涙で見事に描ききっていたのだった。

最近はメロドラマ的な面が少々気になっていたが、昨日の話をさっきみたところ、これもまた人生の重さを涙と笑いでサッと切りをつけて見るものに爽やかさを残していた。

総合してみると、このドラマは花登筺の「どてらいヤツ」の女性版といえ無くもないような気がしていた。
脚本家は新進の女性作家だというのだが、セリフの運びといい、見る者の心の掴み方といい、まったく花登筺を意識していないとは言えないのではないか、というくらい「大阪のドラマ」になっているのだ。

最近のニュースでドラマの終盤、老境の主人公を加賀まりこが演じるということが報道されていたようだが、今演じている尾野真千子が素晴らしい演技をしているだけに、ドラマを楽しんでいる視聴者からしてみると、最後まで特殊メイクでもして演じていただきたかったと思うのであった。

ドラマはあと3ヶ月。

これからどう展開していくのか、メチャクチャ楽しみな、連続ドラマなのであった。


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東京出張のたびに気になっていたアルコール飲料「ホッピー」。
先日ついにこの飲み物を体験する機会ができたのであった。

「ホッピー」

正直、大阪の居酒屋さんではなかなか目にすることのないレアな飲料だ。
というのも、この名前自体、東京の、それも浅草あたりの「立ち飲みクラス」の居酒屋でしかメニューを目にする機会の無い飲み物で、名前だけでは一体どのようなものなのか創造すらできなかったのだ。

先週、たまたま会社の東京オフィスの近くで飲んだ帰りに浅草に立ち寄って鰻を食べようと思った。
もちろん私はビンボーサラリーマンなので、IやKやHなどという高価な鰻屋さんでうな重を食べることはできない。
並3000円。
特上4500円
なんて鰻は、別世界の食べ物で、会社の経費で頼まない限り口にすることは不可能に近い。

そんな私なので庶民的な店で安価に鰻を提供するところでなくてはならず、私はそういう店を昨年見つけていたのであった。
但し、どこで生まれて何を食べて育った鰻なのか分からないところが、ある意味冒険だ。

「ホッピー」はそのうなぎ屋にあった。

すでに別のところでビールや酎ハイを飲んでいたので追加に別のアルコール飲料を飲むのは飲み過ぎの気配があったが、硬いことは考えないことにしたのであった。

メニューを見ると「ホッピー」には赤と白があるようだ。
まるでワインのようで「ホッピー」という名前からワインを連想するのは不可能なだけに、益々好奇心が募ってくる。
とりあえず私は「白ホッピー」を注文。
何が出てくるか、ワクワクしながら待つこと1分。
目の前に氷の入れられたジョッキーと「ホッピー」のボトルが運ばれてきた。
ジョッキの中には氷だけではなく、なにやら水のようなものも入っていたが、これは後に焼酎であることが判明した。
誰も何も教えてくれないし、
「どうやっての飲んだらええの?」
と関西弁で訊くのも癪に触ったので、黙って一人で「これでいいのだ」と決め込んで飲み始めたのだった。
飲んでみたら焼酎なのであった。

で、わかったことは、なんと、「ホッピー」は単体で飲むアルコールではなく、焼酎と割って飲むのが正式の飲み方という、かなり異質な飲み物なのであった。

味はバラエティー豊かなのであった。
ある瞬間はビールのよう。
またある瞬間は焼酎で。
そしてまたある瞬間にはウイスキー。
そしてそしてハイボールのように感じるときもあったのであった。

ということで、謎の飲み物「ホッピー」はなんだか凄い、オリジナリティ溢れていると言うか、逆に何でもまぜこぜのアワアワしたカクテルのような飲み物なのであった。

次回は「赤」を試してみたいと思ったのは言うまでもない。



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先日、カカクコムが運営する「食べログ」の評価欄にやらせ投稿のあることが発覚。
新聞やテレビで大きく取り上げられた。
カカクコムは審査を厳重に実施するということだが、どのようにするのか。

インチキコメントをさぞ本物らしく書きこむのは業者にとってはなんら難しくないところ。
面白くないものを面白いと書いたり、不味いものを美味しいと書くのが一体何者であるかを評価するなんてかなり難しいところだと思えるのだ。

元々インターネットで評価サイトができた時、
「こんなコメント、ホンマに真実なんかいな?」
と疑問に思ったものだった。
業者が書いたのかどうか分からないようなコメントを信じるか信じないかは読む人それぞれの責任であることは間違いない。
例えばちょっと古いが映画「Red shadow 赤影」や「南極物語」を「面白い!これは必見」などと書いているコメントがあれば、業者が宣伝のために書き込んだコメントか、面白いものを判断できないある種の認知症の人が書き込んだコメントだと認識する必要があるのだ。

また、
「コメント投稿には登録制にするればヤラセ防止になる」
と主張する人もいりかもしれないが、業者が個人を偽装して投稿したら、やっぱりわからないのだ。
だからといって投稿することが出来る人を有名人や知識人に絞り込んでも、その人達がヤラセを投稿することも無くはないのだ。

ここで、どうしても思いだしてしまうのが、イグノーベル賞を受賞したソーカル事件の存在だ。

ニューヨーク大学の教授だったアラン・ソーカルがデタラメ論文を作成。
権威ある論文雑誌に投稿し、掲載されるかどうか試したところ、本当に掲載されて、
「デタラメに書いたものでも、著名人が書くと中身をチェックもせずに掲載される」
ことを証明して大騒ぎになった事件だ。

このように、何がヤラセで、何がやらせではないか。

ちなみにウィキペディアでも同様の現象があるに違いない。

結局一番効果的なのはディスカッション形式にするのがいいのかも知れないが、炎上してしまって逆効果、なんてもことも考えられるので難しいところだ。



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「ドイツの家庭なら1セットは必ずあります」

というのは、たこ焼き焼き器ではない。
それは大阪の話。
一昨年、ある機器の技術レクチャーを受けた時のドイツ人講師の先生が話したのは独メルクリン社の模型の話なのであった。

実は私は子供の頃からメルクリンのファンで、コレクションと呼べるようなシロモノではないのだが、いくつかもっているのだ。
学生時代ならいざしらず、最近は鉄道模型に投資するだけの小遣いに不足しており、というよりも、酒代に消えている、というのが事実かもしれないが、なかなか新しい車両やレールのセットを買えずにいる。

そんな中、これだけは継続を、ということで毎年会費を払って続けているのはメルクリンクラブの会員だ。

メルクリン社というのは世界で最も古い鉄道模型メーカーで、その歴史は100年を超える老舗だ。
HOゲージと呼ばれるスケールモデルと、Zゲージというスケールモデルを主に日本国内では販売しているのだが、これがなかなか素晴らしい。
親子三代で遊べる、をコンセプトに駆動部分は頑丈に作られ、模型のくせにモーターは交流を使用している。
マグネットが錆びてくる日本製の模型とは雲泥の差があり、模型と言うよりも宝石のような感覚だ。

このメルクリン社のファンを束ねるメルクリンクラブはメルクリン社が運営しているのだが、年間約1万円の会費(ユーロ払い=だから今年はかなり安くなるかもわかならい)で、会員になると、メルクリンマガジン1年分、総合カタログ、イヤーカート呼ばれる車両1台をゲットすることができる。
このうちメルクリンマガジン(英語版)は不定期的に独から船便で送られてくる。
総合カタログとイヤーカーは最寄りの販売店に申し込んで取り寄せる。この場合、運賃手数料だけ負担しなければならないが千円か二千円というところで、リーズナブルだ。

年末に販売店の百貨店から、
「イヤーカーが入りましたよ」
と連絡があり、
「んじゃ、年明けに貰いに行きます」
と返答をしていたのを、やっとこさ先日受け取ってきたのだ。

今回は貨車なのであった。

イヤーカーは時々意表をついて、「こんなん鉄道模型ちゃうやん」というようなものが送られてくることがあるだが、今回は正攻法なのであった。
正攻法だけに、
「適当な在庫残りを送ってきたのとちゃんやろな」
と疑問が浮かんだ。
なんといってもメルクリン社は数年前に倒産。
イギリスの投資会社の傘下になり再生を図っているような会社なので、いささか心配だ。

しかし、そこは朋友独のこと、ごまかしはなかった。

車両には小さな文字で、しかし鮮明に2011メルクリンインサイダーの文字が書かれており、なかなか粋だ。
模型自体のディテールも素晴らしく、これもコレクションとして申し分ないことがわかった。

とまあ、これで新たなコレクションが加わったわけだが、模型店でショッキングなニュースも耳にし、人々の嗜好の変化に寂しさを感じたのだ。
なんと、模型の中でも景観を受け持つ駅や、住宅、ビルなどのストラクチャーモデルを作っていたファーラーという会社とキブリが倒産していたのだ。

時代の流れを感じる、模型ワールドの寂しさを感じさせる年明けなのであった。





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桂望実「WE LOVE ジジイ」を書店で見つけて、

「これを来年最初の一冊にしよう」

と、読書はじめに選んだのは昨年の末。
地下鉄淀屋橋駅のBook 1stで立ち読みをしようと立ち寄った時であった。

なぜ、桂望実を選んだのか。
それは当たり外れが少なく、たいていは読んでいて元気になる小説が少なくないからで、年初に読む小説にはふさわしいと思ったからだった。

ちなみ昨年の年初は司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでいた。
年初は詰まらない本を読んでその年の読書にケチがついてはいけないので安全な一冊を選んでしまう傾向がある。
とりわけ昨年などは何度も呼んだことのある「世に棲む日日」なんぞを読んでいたから、結局は読書初めというよりは、吉田松陰、高杉晋作両名の生き様を再度確認し、いささかスランプ状態の自分に発破をかける意図があったにちがいない。

その点今年は桂望実なので歴史小説ではない。
過去の人に学ぶ、などという堅苦しい内容でもないし、どちらかというとエンタテイメント小説だ。

「WE LOVE ジジイ」(文春文庫)は映画にもなった同じ著者の「県庁の星」にも通じるものがあって、今風でなかなか面白かったのだった。
一人のCMデレクター崩れが東京を捨てて人との関わり合いが少ないはずの田舎にIターンしたにも関わらず、多くの人と関わり街を元気にしていくというストーリーだ。

見ず知らずの田舎に越した主人公が経験する人間関係。
実はこの人間関係こそが東京に無く、田舎に存在する「人間らしさ」であると、本書は訴えているのだろうか、と読んでいる途中から痛感したのだ。
私は大阪生まれの大阪育ちなので、どちらかというと東京と似たような社会環境が無いわけではない。

隣近所の存在は気にしない(というは大阪には当てはまらないかも)。
仕事をするための街(というのも大阪には当てはまらないかも)。
流行の最先端を往く街(というのはある意味、大阪にも当てはまっているが「かなりニッチな」流行の最先端かもしれないと思う)。

人との関わり合いは仕事関係が多く、個人的な生活にまで侵食してくるのは嫌がるものなのだ。

ともかく、都会よりも田舎の方が隣人との垣根が低く、コミュニケーションを要する世界であることは間違いない。
そういう垣根の低さが、人間として心身ともに健康を保つためには必要な要素なのであはないか、とこの物語は考えさせるのだ。

鍵をしない自宅。
勝手に上がり込んで来る隣人。
ブツブツ交換。

父の故郷、岡山県の片田舎を見るようであった。

しかし、この小説。
あまりにも定形にハマっているようで、意表をついた面白さを感じるには、かなり物足りなさが残るものだった。
ラストの主人公のプライベートな部分も意外性が少なく、始まったときから「お決まりとして」存在したシーンのように思えて、面白かったが、水戸黄門を見るような、パターン化された面白さであったような感じがしてならない。

桂望実の小説の中では私は「Lady、Go!」が一番好きなのだが、その理由は意外さをアチラコチラに感じることができるからだ。
とはいえ、「WE LIVE ジジイ」。
なかなか面白い、一気読みができる一冊なのであった。

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年末に携帯電話を機種交換した。
私としては普通の携帯電話で良かったのだが、嫁さんが、

「iPhoneにしたいから」

という理由で私の携帯もiPhoneになってしまった。
自分がそうしたいからという理由で私まで巻き込むとは。
とはいえ、話題のスマートフォンiPhoneは使ってみれば実に便利なツールなのであった。

元々私は長年、ソフトバンクの利用者なのであった。
関西デジタルフォンの時に契約し、以来Jフォン、ボーダフォンと会社が代わっても、ずっと同じキャリアを使い続けていたのだ。
そして数年前、ボーダフォンがソフトバンクに代わってすぐに機種交換に行ったところ、

「機種交換、かなり高いですよ。それでもやりますか」

という具合にソフトバンクショップで突っ慳貪に対応され、
「社長も下品なら、末端の販売店まで下品になるとは。もうソフトバンクは使わない」
と即断し、三軒となりのauショップへ行ってキャリアも変えてしまったのだ。

その直後、アップルから初のスマホiPhoneが発表された。

長年Macユーザーの私はとっても残念に感じたのだが、ソフトバンクを使用するくらいならiPhoneなど要らないとばかりにずっと一般携帯電話、機種はソニーエリクソンを使用し続けていたのだ。

ところが状況は変わった。

昨秋、iPhoneがauからも発売された。

「やっぱり、○○さんもiPhoneでしょ」

と周囲からは言われていたが、

「スマホは要らない」

と勝手に決めつけていた私は、なかなか買おうとは思わなかったのであった。

ところが嫁さんの機種変更というきっかけで、ついでに機種交換をすることになり、私もiPhoneを手にすることになったのであった。

このiPhone。
直感で使用できるApple製品にしては操作を覚えるのに暫し手間取ったのであった。
電話のかけ方。
アプリの使い方。
メールの設定。
ネットの閲覧方法。
などなど。
とりわけ電話のマナー機能設定がよく分からず、どうしても着信を消すことができなかったのだ。

産経新聞のニュースによるとニューヨーク・フィルの演奏中、携帯電話がなったために演奏を台無しにした人が、帰宅後自分が原因だったことがわかり陳謝した、という記事が載っていた。
台無しにした人はiPhoneを所持していたというのだが、きっと初期の私のようにマナーモードへの設定方法がよくわからなかったのに違いない。
他人ごととは思えない、結構重要なニュースだと思った。

それにしても帰宅したから自分が原因だったと気づいた男性が指揮者に連絡をして陳謝したというのにはもっと驚いた。
マナーモードにしなかった失態はどうしようもないが、正直で、とっても紳士的な対応だと感心したのであった。
ニューヨーク・フィルのファンはみんな紳士なのかもわかならない。

なお、私の初めてのクラシック音楽のライブ鑑賞は大阪フェスティバルホールでのバーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルであった。

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今年最初の東京出張は「広島レモンサイダー」で幕を開けた。

と言えば、「なんじゃいそれ」と指摘されそうなので説明が必要だ。
「広島レモンサイダー」はANAの有料機内サービスMy Choiceのメニューの一つ。
広島産レモン果汁を使用したサイダーなのであった。

今年も出張はなかなかハードなスタートで、朝9:00過ぎまでに東京のオフィスに出社しなければならなかったので、関西空港6:55発のANAを利用しての早朝出発。
自宅を出たのは5:30なので、頭の中はかなりぼんやりとしていた。

こういう時はMy Choiceの炭酸飲料!(ANAの回し者ではありません)

ちょうど昨年の今頃、ANAのMy Choiceでは和歌山産のジンジャエールを販売していて、これが私が有料サービスを認めるきっかけになった。
もともと国内線の有料サービスなんて、
「なんてANAはけち臭い!」
と思っていたくらいだから、試しに買って飲んでみた和歌山産のジンジャエールの濃い刺激的な味は衝撃的に新鮮なのであった。

「これやったら\300でもかまへんかな」

以来、サイダー、柿ジュース、ミカンジュースなどなど、色々と楽しんでいるのだ。

今回の広島産レモン果汁がまるまる一個分入っているというサイダーもまた、刺激的で新鮮味のある味なのであった。
正直、サイダーもここまで味がしっかりしていれば文句のつけようがない。
レモンの味もしっかりと楽しめ、サイダーとしてのシュワ~感もしっかりしている。
それだけ美味しかった。



離陸してから数分が経過。
飛行機が奈良県上空を飛行し始めるとサービスが始まり、この日はどういうわけかぼんやりしていたものの、あまり眠くもなかったのでサイダーを飲みながら読書を楽しもうと思った。

サイダーは薄い黄色。
泡がシュワ~と立ち上る雰囲気が「朝」という感じがして良い。
早速プラスチックのコップに注ぎ、グイッと飲む。
ビールみたいな飲み方だが、グイッとのんでしまうのだ。

で、喉を通過する時の炭酸独特の感覚を楽しんでいると、目がすっきりしてきた、今回の出張はうまく行きそうな感じがしてくるのだった。

とはいえ、朝から\300はビンボーサラリーマンには大きなお金。
朝が早い時は羽田についてからマクドナルドか京急改札にあるプロントでモーニングをすることにしているんだが、それはお預け。

それにしてもこういうメニューはどうやって探してくるのだろう。
先の和歌山県産ジンジャエールは大阪府下のJA直売所でパッケージを変えて販売されているのを見つけた。
他のメニューはどうなのか。
そもそもANAの人にはマイチョイス用メニュー調査係でもいるのだろうか。

ぜひとも『翼の王国』に特集していただきたいと思う私なのであった。



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昨年、最後に読んだ本が「江戸時代はエコ時代」
前々回のブログに書いたように、実に興味深い内容だった。
江戸時代の優れた環境性は、現代の私達も学ぶべき所がたくさんある。
江戸期の日本人の質実剛健ぶりは、ついこの間まで顕在だったような感じがしているのは、私だけだろうか?

江戸時代のもっとも驚くところは「税金がなかった」ことではないだろうか。

「それ違うべ、お百姓は年貢を納めていたべ」

と、指摘する人もいるだろう。
しかし、農民以外に納税義務はなく、政府、つまり幕府や藩は農民の収める米を換金して政を行なっていたのだ。
従って、政を行うお役人様である武士は権限は強いが金は無かったのであった。
金がないからといって、もちろん武士の労働組合もないから、役所から組合事務所を持つために年間2000両の助成金を年貢から受け取る事もなかったのだ。

何が言いたいかというと、今の役人とは随分と違うということを言いたいのだ。

行政の責任も重い。
年貢の取りすぎて百姓一揆など起ころうものなら、
「地方政治の失敗」
ということになり、藩はおとりつぶしか所替え。
殿様は切腹の恐れもあるような責任社会なのであった。
従って、異人の愛人ができて、それに数億両も貢いだ、なんていうと「懲役刑」だけでは済まされず、打首獄門の世界でもある。

安月給で重い責任。
しっかりとした行政力。
しかも、高い知性。

市民から尊敬され、平和な時代が200年も続いた理由がここにある。

「大塩平八郎の乱」のように一揆が目立つのは、それが極めて少なかったからだ。
少なかったので目立つ。
目立つから例に上げる。
しかし、例が少ないから、これくらしか挙げられないというのが現実だったのだ。

で、話は随分それてしまったが、税金を収めないということは、当然、消費税なんかなかった。
しかも消費税はつい二十年ちょっと前まで無かったのだ。

このようなケッタイな税金を必要とするのは江戸時代と違って、人々が「他人ごと」過ぎることになってしまったからであった。

江戸時代の公共工事は税金ではなく、民間主導の寄付や積立金で賄われた。
私の住む大阪は八百八橋と呼ばれたが、幕府が作った橋は高麗橋やなにわ橋、天神橋などわずか8つだけ。
あとは町で寄付を募って維持管理したのだ。
心斎橋、長堀橋、戎橋なんかは民間橋なのであった。

ということで、不毛な消費税議論はもういらない。
税率10%にアップどころか、江戸時代を模範にして考えたら、ゼロ%も夢ではない。

なんて考えは、めちゃくちゃなのだろうか。

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ベトナム戦争が激化していた1963年。
国道1号線を自ら自動車を運転してベトナム中部の街からサイゴンにやってきた僧侶ティック・クァン・ドックはサイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ大使館門前の路上で蓮華座を組み、ガソリンをかぶって焼身自殺を遂げた。
南ベトナム政府の仏教徒弾圧に対する命を賭しての抗議行動だった。
この時の写真はメディアを通じて全世界に発信された。
私は1963年生まれなので、この写真は後にライフ写真年鑑見ることになる。

この見事なまでの抗議行動を大統領の義妹ニュー女史はメディアに対して、

「あら、人間のバーベキューができたわ」

と語った。
人々の政権に対する怒りと信頼の失墜は尋常なものではなくなった。
以来、南ベトナムは1975年のサイゴン解放に向かって緩やかに破滅の道を歩むことになった。
ニュー女史は21世紀の昨年まで生きながらえたが祖国に戻ることはできず米国で生涯を遂げた。

昨日から頻繁にチベット関係のニュースが報じられている。
まずはじめに「ダライ・ラマ暗殺団6人が中国から中印国境を超えてインドに潜入した」というニュース。
ダライ・ラマの国際的影響力を排除しようとする中国政府がついに刺客を送り込んだのだという。
人数といい、その具体性といい、かなりリアルな内容だ。

そして、今日。
今チベットでは中国政府のチベット弾圧に抗議する僧侶の焼身自殺が相次いでいるというニュースが報じられている。

わたしは政府に抗議するため僧侶が焼身自殺を遂げるというニュースを耳にすると、すぐにティック・クァン・ドックの焼身自殺の写真が蘇ってくる。
政治権力者の一人であったニュー女史の人なコメントも影響を与えたが、ティック僧正の炎にも屈せずゆるぎのない岩のような強い抗議をする姿にはベトナム人ならずとも、世界中の人々がある種の感銘を受ける事となった。
ティック僧正がサイゴンへ旅立つときに乗った自動車はそのままの姿で今も彼の寺に保存されている。

ベトナムは東南アジアでは唯一の日本と同じ大乗仏教を信仰する国で、仏教徒の割合は60%と言われている。
従って仏教の力は小さくない。
人々の尊敬を集める僧侶の命を張った抗議行動は多くの人々に強い影響力を与えるのだ。
そういう意味でチベットにおける僧侶の行動もチベット族に与える影響は小さくないはずで、中国政府はその根をつもうとダライ・ラマ暗殺団などを組織しているのかも分からない。

ところで、昨年の東南アジアのビッグニュースはタイの洪水とミャンマーの急速な民主化だった。
このうちミャンマーの民主化をもっとも危惧しているのが中国であることを、不思議なことにメディアは伝えない。

ミャンマーは他の東南アジアの国々と同様、中国の影響力が小さくない分、その反発も大きい。
トルコ、フィンランド、台湾と共に超親日国として知られるミャンマーはできれば日本の支援や協力で経済立て直しを計りたかったのだが、政治がそれを許さなかった。
そこで本来関係の良くない中国と手を結んで資源の開発などに乗り出したのだが、昨年状況が大きく変わり、本来彼らの望んでいた日本を中心とする西側との関係強化することができる環境が整いつつある。
今年は多くの日本企業やその他アジアの振興国家との経済活動が活発になるだろう。

この政治的に目覚めつつあるミャンマーの大部分を占めるビルマ族が実はチベット族と姻戚関係にあることも、あまり一般に知られていない。

ミャンマーは上座部仏教の国だが、僧侶の法衣の色を見ても分かる通りチベットの影響が少なくない。
ミャンマー国内を流れるエヤワディ川の源流はチベットで、9世紀頃、チベットを離れてこの地に降りてきたのが現在のミャンマーの人々なのだ。

チベット関連ニュースからしばらく目が離せないように思えるのだ。

なお、チベット仏教は真言宗とも密接な関係があるという。
空海が高野山という今でも行くのが不便なところに聖地を切り開いたのはチベットを模範にしているからだというのだ。
チベットのニュースは日本人とも無関係では済まされないものなのだ。

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