<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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8年前、117kgあった私の体重は現在78kg。
約40kgの減量に成功したわけだが、そもそもなんで117kgもあったのか。
その原因は仕事によるストレスだ、と私は判断しているのだが、カミさんよると「単に生活が乱れていただけ」の一言で片付けられている。

それでも会社員としてのストレスは大変だったことも事実で、溜まった鬱憤を酒や食欲にまかせていたことは事実でもあり、スポーツなど何にもしていなかったのも事実なのだ。

8年前、退職するまでの数年間。私は出張生活をしていて週に1度が2度、大阪〜東京を往復し、月に何度は仙台へ行き、そして何ヶ月かに1回は福岡に行く、というような塩梅だった。
このため宿泊することも少なくなく、最初は「健康なものを食べよう」と心がけていたものもいつしか吹き飛び、飲む、食う、飲む、食うを繰り返し、やがて0.1トンの大台を越え、関取のような状況に陥ってしまっていたのだ。

しかも出張のためにパソコンと資料を持ち歩くので総重量はたぶん130kgを越えていたはずで、その重量で階段の上り下がり、坂道の上り下り、を繰り返していた。
体重が重いので畢竟、高血圧症でもあった。
ある時、健康診断で血清アミラーゼの数値が300以上に跳ね上がっているのが発見された。
「これは大変だ!」
と言ったのは私ではない。
かかりつけのお医者さんが言ったのであった。

血清アミラーゼの数値が高いと膵臓がんの疑いがあり、もし万一膵臓がんである場合、私の余命はあと何ヶ月という状態になってしまうわけで、やはり「これは大変だ!」なのであった。
結果的に血圧を測ると上が200を越えていて、即薬を飲んで降圧し、翌週だったか再度血液検査をしたところ数値は基準内に戻っていたので一安心した、という事件だった。

退職して自営を始めるとストレスが違った形になった。
ただ退職後に肺がんの疑いをかけられて検査入院したことがきっかけで食事量が激減。
結果的にがんではなく肺炎だったのだが、タバコを吸わない私が肺がんであるはずはないと思ったものの、10日あまりの入院生活が食生活を劇的に改善したという効果があったのは今になって思うと幸運なのであった。

その後、自営を始めた夏に大阪北部地震が発生。
電車が停まり、自動車はやめておいたほうが良いというその日に母の介護の打ち合わせで20kmほど先の病院へ行く必要があり、自転車を利用。
これがきっかけで次第に日常的に長距離を自転車で移動するようになった。
これが検査入院による食生活の改善に続く第二の生活改善につながることになった。

自営のストレスは会社員のストレスとはまた違ったものになった。
ストレスによる暴飲、暴食をしなくなったのだ。

つづく


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テレビでアメリカの大統領選挙関連のニュースを見るたびに
「他に誰かおらんのか?」
と感じる。

共和党候補のトランプ氏。
この強欲を具現化した下品な人物が共和党支持者に人気があるというのは理解しがたいものがある。

また民主党候補の現職大統領バイデン氏。
この痴呆症が少し見られる高齢者が米国大統領としてあと4年も務めることができるのかどうか。
民主党支持者は老人に鞭打って働かせるのがリベラルと思っているのか。

いずれにせよ大統領候補者が他にいないのが不思議だ。

優秀な人は大統領なんていうリスクのある職業に就きたくないのか。
もっと稼げる実業家を目指すのか。
国なんてどうでもいい、と思っているのか。

ま、日本も政治家の顔ぶれを見ていると若者が「政治家になりたい」と思わない原因がわかなくもないけれど、アメリカも同じだなんて、これはいささか困ったことになっているようだ。


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昨日、北陸新幹線が東京方面から敦賀まで開通した。
テレビや新聞は大々的に「便利になる」と伝えているが、関西に住んでいる私には甚だ迷惑な開通だ。
なんといっても大阪からの特急は敦賀止まり。
そこで新幹線に乗換えなければならず、富山あたりまで行くのであれば結構だが鯖江や山代温泉に行くなんて場合は不便極まりない。
今までであれば特急サンダーバードで乗換なしでそのまま行けたのに、鯖江のような敦賀からすぐそこの街に行くためにもわざわざ新幹線に乗換える必要がある。
これは大阪方面から東京へ行くためにわざわざ新横浜から新幹線に乗るのに等しい愚の骨頂なのだ。

で、北陸新幹線開通でのJR西日本のキャッチフレーズ「つながる北陸」。

JR西日本の本社はもしかしたら東京にあるのかも知れない。


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最近の関西の鉄道ニュース。
企画列車・急行「鷲羽号」の復活運転ということで、大阪駅や三宮駅では大勢の鉄ちゃんが押し寄せちょっとした話題になっていた。
この「鷲羽号」。
本物は165系湘南色の電車だったのだが、今回復活は通勤電車113系での運行だったので、巷では「なんちゃって鷲羽号」と呼ばれていたりして、実際に鷲羽号に乗ったことのある私の世代には無理やり復活させんでもよかったんと違うのか、という疑問符も灯っている。

そもそも鷲羽号は山陽新幹線開通まで大阪〜宇野間を走っていた宇高連絡船連絡の急行だった。
途中どういう駅に停車したのかは全く記憶にないのだが、姫路駅停車時に食べる「駅そばん」は父の実家のある岡山へ向かうときの私の最大の楽しみなのであった。

急行列車なのか準急なのかの正確なところは記憶にないが、乗ったのが自由席だったことは記憶に残っている。
というのも、乗車列に並んでドアが開くととも猛ダッシュをして座席確保するのが私の役割だったからだ。
並みいる大人を押しのけて2人分、ないしは3人分の座席を確保する。
子どものやることなので大人はあまり文句を言わない。
実に今ならぶっ飛ばしてやりたいようなガキなのであった。

座席は全席向かい合わせの垂直クロスシート。
113系のような中途半端なロングシートは付いていない。
扉も両開き式で3ドアの113系とは違って片開き式の2ドアタイプなのであった。

この電車。
子供心に家の近所の阪和線を走るボロ電車と異なり湘南色で格好良く、大好きだったことは事実だ。
なんといっても「同じ山陽本線を走る特急しおじに乗ってみたい!」と贅沢なわがままを言うこともなかったのだ。
単に特急の存在を知らなかっただけかもしれないが。
当時の私は特急といえば阪和線を走る「くろしお号」ぐらいしか思いつかず、山陽本線に特急が走っていることに注意を払う知恵がなかった可能性がある。

なお、特急しおじには新幹線岡山開通後、鷲羽号が無くなってから1度だけ乗ったことがある。
「時間かかるね」
と母が言ったのが印象的で、あのとき早くも新幹線に毒されているとは私は気づかなかったのだ。

ということで113系で限定復活した「鷲羽号」。
名前とヘッドマーク以外にあまり魅力的なポイントがない、なんちゃってな世界なのだと思った。


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「猛スピードで走るんやけど、ウンワウンワもの凄い揺れてちょっと怖かった〜」
と言ったのは久しぶりに南海電車の特急に乗ったカミさんであった。

この日。
出勤からの帰りにいつも乗っているJR大阪環状線で人身事故が発生。
これに伴い、同線を走っているJR阪和線と大和路線も大きく影響を受けることになり運転再開まで1時間以上かかるという。
そんなこんななのでカミさんは振替輸送の南海電車で帰宅してきたのだが、乗った南海の和歌山行の特急が早いのはいいけれど、すっごく揺れるのでいささか怖かったという訳なのだった。

ということはいつもの乗っているJR阪和線の方が乗り心地がいいのか?
というと、良いという結論になってしまう。

これは関西空港開港以前には考えられなかった現象なのであった。

というのも昭和時代終盤から平成のはじめまではJR阪和線といえばオンボロ電車オンパレードな様相で、とりわけ私の子供時代は首都圏で不要になった車両の引き取り先みたいな存在になっていたのだ。
京浜東北線で走っていたブルーの103系。
どこで走っていのかわからないような垂直な座席の113系。
さらに昭和60年を迎えるころまでは横須賀色の70系などが、ワンワンとモータ音を轟かせながら走っていたのだ。

JR阪和線は全国でも最も混雑する路線の一つで、ラッシュ時は地下鉄にも顔負けしない頻度で走っている。
デイタイムも10分以内に次の電車がやってくるのだ。
こんな路線でボロ電車なので、
「何でだろう」
と思っていた。

それと引き換えに南海電車は関西大手私鉄の一つであり、プロ野球球団南海ホークスの親会社であり、日本で最も歴史の長い私鉄でもある貫禄が、車両の美しさ、乗り心地に反映されていた。
これは生活スタイルにも影響していた。
例えば南海電車でなんばへ買い物に出かけるのと、国鉄阪和線で天王寺へ買い物に出かけるのは、自宅近くの最寄り駅で電車に乗るときから雰囲気が異なっていた。
これは阪神地区でJR沿線、阪急沿線、阪神沿線で雰囲気が異なるのに似ていなくもなかった。

それが国鉄の民営化で首都圏とは異なる会社になったことと、日本で唯一だった24時間空港の関西空港の開港で大きく変異。

阪和線には次々とステンレス車両の最新型223系、225系が導入された。
コロナ前についに全車両が最新型に入れ替わった。
しかもこれまですべての電車が天王寺止まりだったのが、環状線に乗り入れるようになり快速は大阪梅田まで。
特急は京都や草津まで走るよになった。

気がつくと自社球団も手放し、沿線人口減も関西大手私鉄で最も大きな南海電車は車両がすっかりお年を召してしまい、すべての列車がなんばまでの南海とアーバンネットワークのJRの立場が逆転してしまっていたのだ。

はてさて、これからどうなっていくのか?

大阪南部の電車の乗り心地はちょっとばかし注目していたいポイントでもある。


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