<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





年末のある日。
ここんところノンフィクションかビジネス読本ばかり読んでいて頭の中がすっかりと固くなっていたので、ここは柔らかくするために、何か違ったジャンルのものを読まなければならないと思った。
そこで候補に挙がったのが、笑えるエッセイか、まったく違う世界へ連れて行ってくれる時代小説か歴史小説。
笑えるエッセイとなると土屋堅二のユーモアエッセイを選んでしまうので、それはそれで構わないのだが、もっと何かいいものを、と考えていた。
そこへケネディ駐日米国大使の父君JFKにまつわるエピソードのニュースが新聞を賑わした。

「米国大統領として初の訪日を計画していたケネディ大統領は上杉鷹山を知り、尊敬していた」
と。

おお、上杉鷹山といえば「漆のみの実る国」の藤沢周平があるではないか。
ということで、年末は頭を柔らかくするために藤沢周平の時代小説、それも痛快剣術物の「よろずや平四郎活人剣 上下巻」を再再読することにしたのであった。
これなら読むのは久しぶりだし、すでに持っている本を読むことになるので新たにお金を使わずに済むしで、条件は最高だ。
そこで、実家の我が部屋にある蔵書棚からこの作品を引っ張りだし、あっという間に読了してしまったのだった。

「よろずや平四郎活人剣」は1992年から何回かに渡ってNHKで放送された時代劇「腕におぼえあり」の原作の一つになった作品で、旗本の末弟が市井と共に暮らすのだが、その生活費を稼ぐために「よろずもめごと仲裁いたします」という商売をはじめ、様々な依頼を得意の剣術を駆使しながら解決するシリーズ物だ。
これが、面白い。
暗さがなく、人情味に溢れ、スカッとするストーリーが目白押しで、昨今こういう時代小説はすっかり見ることができなくなったサンプルのような作品なのだ。

見どころはいくつかあるが、その見どころの骨格を成しているのは主人公を取り巻く人々だ。
平四郎の友達、北見十臓と明石半太夫。
平四郎の兄夫婦、神谷監物と里尾。
そしてなんといっても後半に登場する元許嫁の菱沼(塚原)早苗が花を添え、物語に青春物のようなワクワクドキドキ感をもたらすのだ。
登場する借金取りや商人、食い物屋、娼婦なども、それぞれに個性豊かで江戸の終盤を見事に描いているのだ。

この小説をはじめて読んだのはもう20年近く前になるが、その時は年に数回しか東京へ行くことがなかったのだが、今では仕事でしょっちゅう東京へ出かけ、宿泊先は浅草にとり、本所や深川あたりを歩きまわることも少なくない。
したがってこの小説の舞台になっているエリアにかなりの土地勘が出来ており、今回読み進めていくうちに「両国橋」や「1つ目橋」などの地名が出てくると、現代の風景と重ねあわせ、遥か江戸時代の人の行き来を想像するのにも厚みが増していることに気づいて、再再読なのに楽しさがよりアップしていたのであった。
ちなみに私の会社の東京のオフィスは両国橋から遠からぬ馬喰町にある。

年末の読書にふさわしい爽やかな気分にさせてくれた藤沢周平にまたまた感謝なのであった。

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先日、小泉今日子の昔のビデオをCSで見ていて、

「きょんきょんって、下手やけど、上手い」

というようなことをカミさんと言っていたことは、このブログにも書いた。
しかしその下手さが彼女の魅力であり、今日もそれは変わっていない恐ろしい生涯アイドルとしての力量ではないか、と思うと何が幸いするのかわからなくなってくる。

そんなこんなを考えていると、これまた先日、不思議なことに気がついた。
いや、別に不思議でもなんでもないのだが、考えてみると不思議なのだ。
それは何かと言うと、

「歌の下手な歌手はいるが、演奏の下手な伴奏オーケストラはいない」

ということだ。
これはオーケストラよりも編成の小さなバンドにも言える。
歌が下手で「味がある」と云われることはあるけれども、演奏が下手ならきっと「味がある」なんて言ってもらえるわけがないのだ。

アイドルの歌というのは抜群のテクニックを持って演奏する伴奏に支えられているのだ、と断言しても過言ではないだろう。
例えば伴奏が下手ならどうなのか。
クオリティは中学生の音楽の授業の合奏レベル。
「1,2,3.はい!」
でスタートした演奏は太鼓だけがやたら元気で、管楽器は音が外れ、ピアノだけが独自の道をゆく、というものであったりしたら、きっと恰好悪いに違いない。
AKBの単品アイドルでもプロと思ってしまうのは、まさにプロの演奏をバックにするからで、これを中学生の音楽の授業の演奏レベルまで落とすと、正直言って、格好わるいを超越し、なんか別のバラティお笑い番組じゃないか、と思ってしまうこと請け合いだ。

そういえば、ZONE以来度々出てくる中学生、高校生バンドもプロであるかぎり歌が下手でも演奏はなかなかなテクニックだ。

たぶんこれは、下手な絵も立派な額に入れると高価に見える、というのと同じなのかもしれない。
今私は自分で気づいたアートな法則に驚いている。

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週刊新潮を読んでいて俳優のすまけいが亡くなっていたことを知ってとっても残念な気持ちになってしまった。
久しく姿を見かけないと思っていたら死んでいたのだ。

すまけいの名前を聞いてすぐに思い出すのはNHKで放送された井上ひさし原作「國語元年」。
私が各地方の方言に興味を持つようになったきっかけの一つで、放送された30年前、この作品に「お公家さん」役で登場したのがすまけいなのであった。

すまけいを見たのはこのドラマが初めてで、眼力の強さと役柄の京都弁の白々しさが強く印象に残った。
正直のところ以後、長時間ドラマの端役などで登場する以外は大きな役のすまけいを見たことはなかったのだが、もともとが劇団こまつ座の俳優さんということで、舞台に面白みを見いだした俳優がテレビに出ることが少ないということは知っていたが、やはり個性的な人が見られないのは、かなり寂しいことなのであった。

ところで、國語元年は主演が石田えり、川谷卓三、その周囲をちあきなおみ、浜村淳(あいがとう、ではない)、佐藤慶、島田歌穂などが固めている卓越したドラマだった。
このドラマ。
なかなか再放送されないのが辛いところだが、各地のお国言葉が一同に介してドタバタが展開されるその様子は、なんともユーモラスであり、かつお国言葉のもたらす文化の厚みを感じさせ、今なお忘れがたき物語となっている。
中でもすまけい演じるお公家さんは、そのいい加減さ、偉そうぶり方、みみっちさがよく出ていて、最も印象に残っているキャラクターの一人だった。

なお、もう一つ方言に興味を持つきっかけになったのはNHK教育で放送されていた金田一春彦教授による方言講座だったが、この話題は別の機会に。

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ミャンマーのヤンゴンには日本人墓地がある。
初めてミャンマーをおとずれた9年前。
私はムガール帝国最後の皇帝の陵墓を訪れることと同じように、この日本人墓地を訪れることを目的の一つにしていた。
ムガール帝国の皇帝の陵墓はまったくの無名なのであったが、日本人墓地は「地球の歩き方」にも掲載されていて立派な石碑が立ち並んでいた。
中には20年ほど前に大阪の大手総合商社を倒産に追いやり、世の中を騒がせた韓国系の元フィクサーの名前を含まれていて、ここが日本人だけではなく、日本と関係のあった国々にとっても重要な場所であることを知ったのであった。

入口には記帳のノートが置かれていた。
私もせっかくここまでやってきたのだから、名前ぐらい残しておこうと思ってページを開いてみると訪れた多くの日本人の名前が記名され、コメントを残しているひとも少なくなかった。
そのコメントの一つ。
大学生が残した言葉が、自分の思いと重なり合い、今も記憶に残っている。

「あなた方の尊い犠牲の上に、今の日本の繁栄があります。皆さんの想いを無駄にしないようにという気持ちが、ここに来て初めてわき上がってきました。」

という言葉なのであった。

正直、今でもミャンマーは遠いところだ。
一昨年からANAが直行便を復活させたが、9年前はバンコク経由で日本からは一日かけて行かなければならなかった。
しかも、ヤンゴンに到着してから国内の移動がインフラの不備のため、たった200kmほど離れたところへ行くのに、半日がかり。
見渡す限りでこぼこ道で、田圃と畑が広がり、小屋のような粗末な家が点在する。
夜は真っ暗。
都市部も停電で真っ暗。
人々は極めて親切で日本人のメンタリティと酷似しているが、食べ物が日本人の口に合いにくい。
終日蒸し暑く、冷房の効いているところはほんのわずか。

半世紀以上も前、故国を遠くは慣れてミャンマーまでやってきた兵隊さんたちは、はるか4000kmの彼方にある故国を思い出しては、どういう心境になっていたのだろう。
私はチャイティーヨパゴダに向かう車中で景色を見ながら、思わず自分の想像に涙したことを覚えている。

ミャンマーにはどんな田舎にでも日本兵の墓が点在していて、その多くは今も地元のミャンマーの人々の手で篤く守られている。
もちろんこれはミャンマーだけの話ではなく、東南アジアではところどころで見かけることのできる光景だ。

安倍晋三首相が靖国神社にお参りしたと言っては中国と韓国が騒いでいる。
「反省が足りない」
「歴史を認識すべきだ」
という具合に通り一遍の主張を繰り返しているが、その言動に同意している日本の一部知識人というのは、どういうつもりなのだろう。
一度、ミャンマーへ行くことをお勧めしたい。
それにマスコミの報道は誰の国のマスコミなのか、判別しかねるものがある。
というのも、安倍首相のしたことは犯罪のように騒ぐマスコミが多いのだが、自分の国の国民、つまりは自分たちのお客さんのことを考えたことがあるのだろうか。

多くの日本人は首相が靖国神社にお参りするのを当たり前だと考えている。
それに難癖つけてくる中国と韓国にはいい加減辟易としているのだ。
そんな国民の感情を代弁せず、代わりに反日外国の主張を代弁する。

まったく持って、問題は靖国参拝ではなくて、報道姿勢にあるのではないかと、私なんかは考えるのだが、いかがか。

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東京での予定が思っていたより早く終わったので、さっさと大阪に帰ろうと思って飛行機の空席状況を検索したら、17:20羽田発関西行に空席を見つけた。
もともと乗る予定だった20:40発の便から予約変更。
シートマップをチェックして、
「お、窓際空いてるやん」
とさっそくそこもキープ。
京急に乗って羽田に向かったのであった。

17:20発の関西空港行はANAとスターフライヤーの共同運航便で機材はスターフライヤー。
スターフライヤーはANAよりも室内設備が充実していて、乗れれば「ラッキー!」といつも思うのだが、今回はとりわけ幸運に恵まれた。
機種がエアバス社から納品されたばかりの新品のA320なのであった。

関空行きのスターフライヤーは第二ターミナルからバスでの搭乗となる。
バスで飛行機に乗り付けるので、空港の景色が堪能できる反面、急いでいる時はイライラする原因にもなる。
空港内を走るバスはどこの国でもそうだが、チンタラとゆっくりで、とりわけ日本のバスは、安全確認のためか、よく停車し、のろい。
それに雨の時は飛行機に乗るときに若干だが濡れるのもよろしくない。

この日、羽田空港は雨なのであった。
それも若干横殴りの雨なのであった。
せっかく窓際の座席を確保したのに、景色が見えない。
しかも夜の飛行なので、上空に出ても何も見えない。
かなり残念なのであった。
しかも離陸してから気づいたのだったが、地上で横殴りの雨ということは風が強いということで、飛行機が大きく揺れることが予想された。
実際、めちゃくちゃ揺れたのであった。

バスから降りて、真っ黒な機体のA320に乗り込むと、なんだかいつもと雰囲気が違う。
スターフライヤーはどの飛行機でも他のエアラインよりも圧倒的にインテリアがスタイリッシュなので、格好良くて清潔感があるのだが、この機種はとりわけその印象が強い。
座席を見ると、各座席についている液晶モニタがやたら大きい。
「おお、なんか違うぞ、これ」
と思いながらバッグを座席物入れに入れて着席した時、機内アナウンスが流れた。
「当機は先月導入したばかりの最新型A320でございます」
おお、新品の飛行機で、これまでよりもいくつかの点で快適性がアップされていたのであった。

例えば座席数が従来の155席から144席に変更されていた。
これは前方座席との間隔が若干広がり、空間としての快適性がアップしていたのだ。
液晶テレビは大型のタッチパネル式ワイドスクリーンでVODを装備し、好きな時にどのチャンネルも最初から見ることができる。
音楽コンテンツも同様で、進化したのは電子ブックが読めることであった。
スターフライヤーオリジナルの北九州に関するコンテンツと、読売新聞の電子版が読めるのであった。
但し、この電子ブックにはいささか難があり、コンテンツの表示デザインがよろしくないのと、見づらいことに加え、内容が詰まらないという欠点があり、物珍しさ以外はなんのプラスも感じられないものなのであった。
従来からのナビゲーションマップは画像が鮮明になった分、魅力が増していたのだった。

コンセントやUSB端子も装備していて、長時間のフライトでもちゃんと仕事ができるなかなか優れものであった。



いずれもLCCを意識した仕様であることは明らかで、座席の快適性、液晶テレビが付いているところなど、LCCの代表選手ピーチエアと比べても格段のレベル違いが感じられたのであった。

なお、私の隣に座った中年のオッサンは、離陸後足もとに置いた鞄から紙コップとワインボトルを取り出しチビチビと遣り出したのだが、飛行機は大きく揺れてベルトサインも消灯せず、そんな中でワインの匂いをぷんぷんさせ、しかも、スルメの袋を取り出しその匂いも発散させて私を含める周囲の顰蹙を買っていた。

内装はANA以上だが、客にはLCCレベル以下のものも居たのが残念だ。

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大阪維新の会が少々弱体化してきていてアイデアも乏しくなってきているのか、府営鉄道売却の点でピンぼけ決断をしてしまっている。

大阪府の第三セクター鉄道「泉北高速鉄道」を米国の投資ファンドに売却するのだという。
まったくもって、アホちゃうかという決断なのだ。

大阪南部の泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道は和泉市の和泉中央駅から堺市北区のなかもずまでつながっている路線だ。
泉北ニュータウンはEXPO70万博公園のある千里と同じ頃に開発された住宅地域だが、その規模が全国的にもトップクラスで大阪北部の千里ニュータウンよりも大きい。
従って利用者数は半端ではない。
私も高校時代はこの路線を利用して通学した。

開業以来40年ほど経過するが、大規模な住宅地を貫き、南海電鉄高野線に乗り入れ、そのまま難波まで直通運転しているので、経営は黒字だ。
この黒字の府営鉄道を、橋下市長が知事時代に、
「民間で経営できるものは民間に」
と言ったのをキッカケに、民間企業に売却することになった。

民営化は至極当然の判断だと、府民は賛成した。
私も賛成だ。
但し、南海電鉄が経営するのであれば、という暗黙の特記事項がついていたと思う。
別にJRでも構わないのだが、南海電鉄に乗り入れている泉北高速鉄道なので、南海電鉄に買い取られて当然という思いがあった。
ところが、蓋を開けてみると、利用者の利便性よりも売却額を選んだのだ。

ちなみに大阪府というのは民間が何かを起こすことに対しては、ほとんど抵抗のない文化を持っている。
これは江戸時代以来脈々と続くDNAで、行政が何かに関与するのを非常に嫌がる。
江戸時代、大阪の街中にかかる橋は8つの公儀橋を除いて全て民間管理。
下水道も民間管理。
道頓堀や長堀などの水運関係も民間管理。
なんでもかんでも民間で管理していた文化がある。
幕府なんて頼らなかったのだ。

現代も同じ。
大阪城も民間の力で建設した。
美術館も民間の寄付で賄った。
鉄道は省線よりも阪急や阪神、近鉄南海が戦前から力を持っていた。
ある意味、大阪市営地下鉄とバスは浮いた存在ということもできる。

少なくとも阪神大震災までは、そういう文化が存在した。
信じられない話だが、阪神大震災が発生するまであの阪神高速道路公団にも中央省庁からの天下りはいなかったという。
そんなの入れなくても十分に黒字経営だったのだ。

従って、府営鉄道の民営化も両手を上げて賛成した。

新聞報道によると、南海と米国ファンドの入札額は50億円の隔たりがあるそうで、東大阪の市長などは、
「その方が儲かっていいやん」
などと嘯いているそうだ。
だから東大阪は今も道が狭く、鉄道網も弱く、不便な町を脱却できないのだが、それは余談。
利用者にとっては南海電鉄が購入したほうが運賃は格段に下がるし、ダイヤも便宜がはかられるだろうし、車両はもともと南海のものが結構走っていたので、それはそれで安心だし。
というところだった。

南海電鉄は高齢化に伴う周辺人口30万人減という問題を抱えているし、泉北高速鉄道の経営は、人口問題に対処するための手助けとなり、公共交通という経営基盤にきっとプラスをもたらすはずだ。

この問題、大阪人にとって実は都知事選より重要な話題いなのだ。

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猪瀬東京都知事が辞任するという。
徳州会から5000万円もらって慌てて作ったとしか思えない手書きの領収書が、その情けない辞任劇を象徴しているのが笑える。

こうなると次の知事は誰なのか。

私は大阪府民なので関係ないけれども、それでも首都東京の知事だけに、都民の皆さんに一言お願いすると、以下の2人は選ばないように。

・山本太郎
・そのまんま東
・アントニオ猪木

以上です。

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アマゾン・ドット・コムの米国以外の最も稼ぎ頭が日本市場。
すでに日本国内での書籍流通の約25%はアマゾンが担っているという。
10年前には想像もできなかった流通革命が起こっているのだ。

これに対する楽天やヤフーといった国内勢もアマゾンを追っかける。
ところがアマゾンはその物流網とネット技術を活かして他の追従を許さないパワフルさを発揮している。

このアマゾンの躍進の原動力になったのが、数年前に実施された「送料無料化」。
当初1500円以上の買い物に対して無料にしていた送料を金額に関係なく無料にしたことから、私も含めたアマゾン利用者が爆発的に拡大。
以来快進撃を続けている。
日本通運などと結んでいる最低一口300円の送料を無料にしても、赤字になっても、そのメリットは限りなく大きいと判断したアマゾンの商売力だ。

で、ここに来て「無料配送を禁ずる」という法律が出来上がる。
既存の書店を始めとする小売店を保護するのが狙いという。
だからいくらで顧客が買い物をしようが、送料はかかってしまうというのがその法案。

消費者側からすると残念だが、ライバル小売店からすると大歓迎のこのルールはフランスでの話なので日本とは関係ない。
関係ないが、その影響はすくなくないと思える。
一種の大規模店舗規制法のような送料無料禁止法は日本の状況も対して変わらないだけに導入が検討されるかもしれない。
こと送料は運送業とも関わり、フードマイレージならぬモノマイレージ的思想が発生しそうなので、
「通販は無駄にエネルギーを浪費している」
なんて言われれば、エネルギー問題に敏感な我が国だけに、なんらかの動きが「市民団体」あたりから出てくるとも限らないのだ。

アマゾンは最低賃金時給労働でも帰路に立たされているようなので、おっつけ「70%OFF」なんて表示は消え去るかもわからない。

送料無料、いつまで続くか。
ちょっとばかり注目なのだ。



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先日、仙台駅で「和梨」という梨のジュースが売られているのを発見し、購入。
「福島県産」と書かれているのは、苦境に立たされている福島県の農業支援の意味も含めているのか、関西ではお目にかからないジュースだったのでさっそく東京へ向かう電車の中で飲んでみた。
が、感動は薄かった。
さっぱりとした梨独特の食感というか、後味が、やはり、このジュースでも十分に再現することができていなかったのだ。

梨のジュース。

私は秋になれば梨を食べるのを楽しみにしている。
というのも、梨は今でも秋以外で見つけることが困難な季節の果物であり、その味の爽やかさは、その時期でないと味わうことのできない。
とっても貴重なものに思えるからだ。
梨の外見はりんごに似ていても、りんごが品種にこだわらなければ、年中スーパーでも見つけることができるのに梨はそうはいかない。

また、収穫できる量が違うからか、りんごジュースはどこでも見かけるが、梨のジュースはめったにない。
あったとしても、まだ果汁100%梨ジュースというのも、見たことがない。
それだけ梨の果汁は高価なのだろう。
今回買い求めたポッカの和梨ジュースも果汁15%。
その表示を見た時に、一瞬「買うの、やっぱりやめとこ」となったのであったが、でも梨の味が本当にするのか確かめたくて買ってしまったのであった。

梨のジュースといえば、よく見かけるのが「ラ・フランス」種の缶ジュース。
ラ・フランスは洋梨で、食感そのものが和梨の二十世紀や長十郎と大きく異なり、母体が気に入らない果物のジュースはやはり、美味しいとは思えないのが欠点だ。
一昨年、全日空のマイチョイスのソフトドリンクで柿果汁100%のジュースが販売されていたが、これもまた努力は認めたいが、少々「?」というところもあるジュースなのであった。
そういえばスイカのジュースもミャンマーのヤンゴンのホテルで飲んだもの以外は美味しくなかったのであった。
スイカは日本では季節の果物だが、ミャンマーでは一年を通しての果物。

季節にしか採れない果物はジュースにしても、美味しくないのかも知れない。

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スターリン、毛沢東、ポルポト、アミン、そしてここに金正恩が仲間入り。
何のことかというと、粛清による自国民大量虐殺の首謀者のな仲間ということだ。

それにしても、21世紀の今に北朝鮮のような国が存在するのが恐ろしいを通り越して滑稽であすらある。
たったひとりの人間を中心にして、その人間の利益と、その周りに集まる一握りの取り巻きのために国民どころか幹部と思われていた要人が犠牲になり、処刑されゆくさまは、まるで映画を見ている様相である。
なんだか、どこかのブラックファンタジーではないかと思ってしまうのだ。

国家の最高指導者の叔父を処刑するという、今回の出来頃は、間もなくその鬼が島的体質にブレーキがかからないようになる前触れではないかと思ってしまう。

対中国防衛網、対韓国圧力を強化しているが、一番危ないのは、半島の付け根の国なのかもわからない。


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