<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



1970年。
月へ向かっていたアポロ13号のミッションは失敗の中での大成功と言われている。
それは地球に戻れないかもしれないという大事故の危機的状況にもかかわらず、乗組員、管制スタッフともが冷静沈着に考え行動したことで見事に無事帰還を果たしたからだ。
結末はわかっているのに何度観ても感動してしまうのがロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演の映画「アポロ13」。
それほど失敗の中の大成功は感動的なのだ。

そういう意味において、今回のソユーズロケットの打ち上げ失敗は成功の中の大成功と言えるのかもしれない。
「ソユーズ宇宙船、打ち上げ失敗。国際宇宙ステーションの運営に影響か」
朝起きるとそういうニュースが流れているので、
「おお〜可哀想に」
という言葉がとっさに出た。
「何がかわいそうなん?」
と先に起きてテレビを観ていたカミさんは言った。
「かわいそうやん。宇宙飛行士。打ち上げ失敗やったら...」
「生きてるで」
「?」
「脱出して行きてんねん」
「!」

これまで友人宇宙船で「打ち上げ失敗」というと即、死に結びついて気の毒で残酷な光景が映し出されるというのが普通だった。
スペースシャトル「チャレンジャー」号の爆発は30年前とはいえ記憶は鮮明で今も忘れることはできないし、帰還途中とはいえスペースシャトル「コロンビア号」の空中分解も気に毒としか言いようがない。
ところが今回のソユーズは2人の飛行士はパラシュートで地上に帰還。
テレビを観ているとソファにくつろいで記者の質問に答える二人の姿も写っていたのだ。

ロシアのソユーズは1500回を超える打ち上げ回数だというだけに、ものすごい数のノウハウが溜まっているのだろう。
もちろん緊急時の脱出もその一つ。

ソユーズ1号が帰還に失敗したことは宇宙飛行の歴史でもつとに政治優先で技術無視で生じた悲劇と言われているが半世紀も経過すると当たり前のように安全システムが備わり、機能しているのかも。

久々にあっと驚く宇宙関連のニュースなのであった。

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「仕事が忙しいいので歌舞伎なんて見るのは無理」

と言ったのは私。
で、

「観てスッゴク良かった!」

というのは観たあとの私の感想なのであった。

数十年ぶりに観た大歌舞伎は豪華絢爛、ダイナミック、大仕掛けで超グレートなエンタテーメントであった。
鑑賞したのは道頓堀の大阪松竹座で上演中の「十月大歌舞伎 2代目市川斎 3代目市川右團次襲名披露」の超人気演目なのであった。

高価な歌舞伎のチケットをどのようにして入手したかというと自分で買ったのではなく、たまたま家族がもらった招待券で見ることができたのだ。
が、家族3人に対し招待券は2枚だったので結局1枚追加で当日券を買うことになった。
えらい出費なのであった。
ところがその当日券。
購入したのがその日の最後の1枚ということで、その人気ぶりが伺えたのであった。

場所が道頓堀ということもないだろうが、観客の中には欧州からと思しき外国人の姿も観られ、その人気が国際的であることも改めて感じたのであった。

観客の7割ぐらいは年配のおばさまがたで、これはクラシックのコンサートにも通じる伝統芸術に対する一般的な傾向だ。
伝統芸術でも落語になると若い人やおっさんが増えるのだが、その原因は落語はおしゃれではないためではないかと、こういうときに考えてしまう。

歌舞伎は独特の語り口で繰り広げられるので果たして理解できるだろうかと心配していた。
以前見たときは高校生だったこともありほとんどわからなかったのだ。
その後、テレビや映画、落語の中身として歌舞伎に接するに連れわかるようになってきたのだが、最近は同じ伝統舞台芸術である能や狂言をみることが増え、

「ん〜、退屈するかも」

と要らぬ予想をしていたのだ。
ところが、歌舞伎はいわば日本のミュージカル。
実際に生で見ると、心がそういうモードになっているのか7割から8割は聞き取ることができて大いに楽しめたのであった。
この7割から8割というのは先日DVDで見た字幕のないブロードウェイミュージカル「シュレック・ザ・ミュージカル」といいとこ勝負なのであった。

それにしても日本の舞台はどうしてこうも独自に大仕掛けに発展したのだろうか。
世界で注目を浴びる理由がよくわかる。
回り舞台にせり出し、ついには空中飛雄などなど。
演目は「双児隅田川」という江戸時代からある話だそうだが、100年以上前からこんな大掛かりだったんだろうかと、すごく気になったのは言うまでもない。

このような大掛かりな仕掛けがある一方、私は歌舞伎に限らず日本の舞台には「花道」があることがお気に入りだ。

私が花道を始めてみたのは同じ道頓堀にあった道頓堀中座。
出し物はもちろん松竹新喜劇の藤山寛美なのであった。

岡山から出てきたばあちゃんの希望で家族揃って中座で寛美の喜劇をみたのだ。
そのときに観客の後ろ側から演者が出てくるのを観て、花道を知ったのだった。

初めて観た舞台に花道があったので、演劇というものはすべて花道があるものと思ったのだが、日本独特のものであることを知りその芸術的アイデアの突出した凄さに感動したものであった。

ともかく十月大歌舞伎。
必見である。

なお、客席前方で見るときはビニールシートを忘れずに。
理由は観たら、わかる!



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