<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



インクジェットプリンタの再生インクカートリッジを製造販売しているエコリカという会社がキャノンを訴えた。
理由は、
「勝手に仕様を変えて再生カートリッジを使えなくしたのは独禁法に違反する」
と。

なんとも勝手な理由に思えるし、こんな訴訟を起こして勝てるのか。
部外者ながら気になる訴訟事案ではある。

そもそもインクジェットプリンタのビジネスモデルは本体を安く売ってインクで儲けるというスタイルだ。
だからメーカーとしては多大な開発費を投入して製造しているプリンタの儲け代であるインクを安く売られてはたまったものでないわけで、品質保証の上でも商売の上でも再生カートリッジは使えないようにするのが筋なのであろう。

私も過去にインクカートリッジが高いので再生製品を使用したことがある。
その結果、すぐにインクづまりを生じ、やがて印刷できなくなって、新しいプリンタを購入するハメになった。
このような経験をアホな私は一度だけではなく二度も体験してこりごりということになったのだ。
その結果として色数の多いプリンタは購入せずに三原色と黒だけ使うプリンタをと探していたところブラザーがそれにあたることがわかり、以後このメーカーのプリンタを愛用している。
4色だからか他のメーカーの純正品より少しく安く、エプソン、キャノンに比べると若干マイナーなので互換性再生インクが少ないことも純正を使う理由にもなっている。

エコリカの言い分は確かに一理ある。
本来ならもっと安く供給できるインクカートリッジをメーカーが値段を釣り上げ他社が参入するのを妨害している。
使う方からすれば、たしかにありがたい主張だが、そのカートリッジの規格を考えたのはメーカーだ。
たぶん特許もあれば意匠権もあるに違いない。

この理屈が通用するのであれば替刃式の安全剃刀もカメラの交換レンズもレゴブロックも自由に作っていいことになり、めちゃくちゃだ。

インクカートリッジビジネス。
なんだかな〜、というニュースなのであった。



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文化の日を前に文化功労賞が発表され、その中に西川きよしがいることに「?」が灯った。

なんで?
と思っている上方芸能ファンは少なくないはず。
なぜならこの人、もう何十年も漫才をやっておらず、かといって文化にどう貢献したのかよくわからないからだ。

漫才の才能というところでいくと相方だった故横山やすしの方が圧倒的に影響力が大きいと思う。
受賞した当人がそれなりに話している通り、これはもしかすると横山やすしに授与されたものかもしれない。
本人がいないので代わりに相方に与えられたのではないか。
そう思うと納得するものがあるが、どうも政治的な匂いがするのがいただけない。

たまにラジオに出演しているのを聴くことがあるけれども理屈っぽくてちっとも面白くないのだ。
長らく議員を務めていた関係かもしれないが、それだけに笑えるような話はまったくなく芸人としての生命はすでに21世紀を待たずして終わっているように思う。

文化功労賞はそういう過去の人に与えられるものなのかと思うと、今度は寂しさを感じてしまい祝う気になれないものもある。
なんなんだ、これは。




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仕事で時々研究施設のクリンルームに入ることがある。
白い防護服を着てフードをかぶり保護メガネを着用してゴム手袋、静電防止の作業靴。
面倒くさいことありゃしないが、そういう装備をしないと入れないので仕方なく着用している。
今のところ化学系のクリンルームに入っていることが多い。
これがバイオ系になるとどちらかというと入りたくないというのが私の要望だ。
なぜなら、化学はまだ何が保管されて、何が合成され、どういうものが出てくるのか想像できるのだが、バイオの方は、何がどこに居て、それがどこへ移動するかも知れないし見えないし、感染するかも知れないというところに言い知れぬ不安感があるのだ。
化学物質はちゃんと管理したら他の場所へ勝手に移動することはないが、生命体はそうはいかないという感覚がある。
尤も、多くの場合はその研究室で何がされているのかはほとんど知ることがない。
なんと言っても知財の塊。
我々外部の者に委細詳細伝えられることはめったに無い、というか絶対にない。
だから応用化学のクリンルームだと思ってはいっているところが実はバイオ関連であったりする可能性もあるわけで、なんともしっくりこないのである。

リチャード・プレストン著「ホット・ゾーン エボラウィルス制圧に命を懸けた人々」(ハヤカワ文庫)は1989年に実際にアメリカの動物実験用猿舎で発生したエボラ出血熱の制圧を描いたノンフィクションだ。

エボラ出血熱は現在知りうる病原体の中でも最も致死率の高いウィルスだ。
緊張を強いるその致死率は平均で50%。
種類にもよるようだが感染すると致死率は最高で9割に達することがあるという。
治療できる薬は今のところ存在しない。

この恐怖のウィルスがワシントンDC郊外に出現した。
東南アジアから輸入された猿から現れたのは最も殺傷力の強いタイプのエボラウィルス。
遺伝子構造の近い猿から人に広がる可能性は小さくない。

報道規制をどう敷くのか。
対処は軍の役目か、それともCDCなのか。
感染した者はいないか、また感染者から伝染した可能性のある者が街へ出て広げた可能性はないか。
などなど。
全編緊張の連続だった。
とりわけ前半の3分の1はエボラが初めて確認され、感染者が亡くなるまでの凄まじい過程や、そのウィルスを最高レベルのバイオハザード対策がなされたクリンルームへ持ち込み観察分析するための処理をする過程がスリリングを通り越して恐怖でもある。

新型コロナウィルスでも同様にこれら殺人ウィルスへの対策は多くの研究者の命を懸けた闘いの中で繰り広げられている。
「ホット・ゾーン」はその一例を綿密に取材してノンフィクションとして構成しているドラマだ。
私たちはそのドラマを通じ実際の現場やその扱いの難しさを知ることなる。
新型コロナウィルス禍が始まってから話題になっているカミュ著「ペスト」を遥かに越える読み応えがある。

それにしても正体不明の病原体がいかに多いか。
この本のあとがきにも記されていたがここ半世紀の間に出現した病原ウィルスの数は少なくない。
HIV、エボラ、SRAS、MARS、C型肝炎、狂牛病、武漢ウィルス、などなど。
人類がジャングルを切り開き自然を破壊する。
その過程でこれまでは表に現れることがなかったウィルスが宿主から解き放たれて異生物である人間に取り憑き大きなパンデミックを引き起こす。
実に恐ろしいことではないだろうか。

本書に登場するエボラ出血熱もアフリカから伝わったのではないところが注目点だ。
マレーシアから輸入された動物実験用猿がエボラを持ち込んだその事実は、アフリカだけではなく、世界中至るところから未知のウィルスが出現することを意味している。
そのことが不気味であり、いつ今回の新型コロナ禍を越えるパンデミックが発生するかわからない不安感を増幅させるのだ。



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先週の金曜日。
近くのショッピングモールにある正規アップル指定店でiPhoneのバッテリーを交換した。
代金は5400円プラス税。
高いか安いかわからないが、iPhoneの充電が長持ちするようになって新品の頃のように持ちが良くなった。

私が使っているのはiPhone7。
カミさんと娘は今年のはじめに新しい機種に買い替えたが、私は今の機種でも特に困ったこともないので買い控えた。
必要なアプリは走るし、当たり前だが電話はできる。
ネットも基本的にストレスはない。
新しいiPhoneの価格はパソコン1台とたいして変わらず、どうせお金を出すのならもっと別の方向へという気持ちが勝った。
強いて不満を述べるのなら古くなった電池の持ちがちと悪いということだけ。
そのうち電池だけ交換しようということで先々週の終わりにバッテリー交換をしてきたというわけだ。

で、バッテリー交換をしようとしていたまさにその時。
アップルから新しいiPhone12が発売されるというニュースが発表された。

早いもので来年でスティーブ・ジョブスが亡くなって10年が経つ。
だからかどうかはわからないが新しいiPhoneのデザインはジョブスが亡くなったときに発売されていたiPhone4sにそっくりなのであった。

もしかするとネタ切れなのか。

アップルのWEBサイトを見てみるとその特徴は「早いこと」「防水性が良くなったこと」「小さくて軽いこと」「ディスプレイがよくなったこと」「カメラが二つ以上あること」。
それがどうした、という内容なのだ。
十数年前、イベント会場でジョブスが発表したあの熱狂感は、無い。

どんな製品でも時が経ち熟成するとアドバンテージを求める部分が表面的なる。

デザインがいい。
軽い。
電力消費が小さい。
などなどなど。

これを持ったら生活がこんなに変わるかも知れない、という期待感を提案することは難しくなる。

私のiPhone7を買い換える必要は当分無さそうだ。




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先日の日経だったか産経だったか忘れてしまったが現在のラジオ放送に関する記事が載っていた。
インターネット配信が一般的になりラジオ放送の価値が再認識されている一方、その肝心のラジオ局の経営は大変厳しい状態になってきているのだという。

スポンサーがつかない。
売上は伸びない。
設備は老朽化。
でもカネがないので刷新できない。
どうしようもない状況なんだとか。

記事によると昨年ラジオ大阪で中継所のヒューズが飛んで1時間も放送が中断するという事故があったという。
ラジオ大阪といえばラジオ局では関西主要局の一つ。
その設備老朽化に起因する事故は全国のラジオ局が置かれている厳しい状況を象徴した出来事だったのだ。

かくいう私は中高生時代にはよくラジオを聴いた世代。
今もラジオを聴く時間の方がテレビを見る時間よりも多い。
よく聞く番組はNHK-FMの「Saturday Music Sunshine」、「トーキング ウィズ 松尾堂」、FM-Oの「山下達郎 サンデーソングブック」、「NISSAN あ、安部礼司」、毎日放送の「ありがとう浜村淳」「こんちわコンちゃん」などなど。
よく見るテレビ番組「笑点」「日曜美術館」「NHK朝の連続テレビ小説 エール」「人生最高レストラン」。
このように二つのメディアを比較するとラジオの方が圧倒的に多い。

学生時代は勉強をしながら聴いていたので多くは深夜放送。
尤も勉強をしながら聴いていたので勉強の中身はむべなるかな。
勉強せずに投稿に精を出していたことは言うまでもない。
今もやってることは変わらない。
仕事をしながらラジオを聴いていることが多い。
勉強と比較して仕事についてはその品質への影響は小さい。
仕事をしながら投稿を考えることは無いからかも知れない。
いずれにせよ両時代ともに「ながら勉強」に「ながら仕事」なので畢竟テレビよりもラジオの方がわかりやすく楽しいのだ。

このラジオの聴き方に今、大きな変化が起きている。

これまでラジオといえばその時間にダイヤルを合わせて聴くか、またはカセットテープやHDDドライブに録音してから聴くのかの2者選択だったが、ここにきてネット配信が強化された関係でお手軽さがかなり向上した。
例えばNHKなら「らじるらじる」というサイト、民放なら「radiko」というサイトにアクセスすると聞き逃した番組を放送から1週間以内であればいつでもどこでも聴くことができる。
このために保存する必要がなければタイマー録音する必要がない。
WEBサイトを通じて仕事や旅行、寝坊などで聞き逃していた番組を自動車や電車の中で好きな時に好きな場所で聴くことができるようになった。

とりわけ私の場合「Saturday Music Sunshine」と「山下達郎 サンデーソングクブック」はうっかり聞き逃しが多く後悔することが少なくなかった。
両方とも選曲が秀逸な上、トークが面白いのだ。

さらに最近これにAmazon Primeのポッドキャストが加わった。
このポッドキャストのおかげて他地方の番組も気軽に聞けるようになった。
この中にニッポン放送の「辛坊治郎ズーム、そこまで言うか!」は東京の番組ながらパーソナリティが辛坊治郎だけに内容に容赦がなく面白い。
radikoの有料サービスを利用しなくても聴くことができるので気軽でいい。

このように場所、時間を問わずスマホがあればどこでもいつでも聴くことのできるラジオ放送はリスナーの聴き方スタイルを大きく変えつつあるのだ。





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理化学研究所の研究チームが世界最高速のスーパーコンピュータを使ってコロナウィルスの飛沫可視化をしたそうな。

新聞のWEBサイトに掲載されている画像を見る限りテーブルに座った人型モデルから発せられる飛沫のパーティカル(粒)が空中を舞う様をシミュレーションしたのだろう。
誰にでもよくわかるコロナの飛散の状況だ。

でも、これってわざわざスパコンで処理しないといけない内容なのか。

気流シミュレーションは数千万円もするものからフリーソフトまで様々あって、興味があれば今や誰でも使ってみることのできる世界。
例えば3DCGフリーソフトBlenderでもパーティカルを使ったシミュレーションが可能だ。
そしてそれらのプログラムを実行するのにスパコンは要らない。

スパコンでコロナの飛沫可視化をすることはキッチンの床を横切るゴキを自衛隊の戦車で砲撃するに等しい。

今回のニュースは理研の広告かもしれない。


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日頃使っているインターネットの検索エンジン。
何も考えずにGoogleをメインに利用していたのだが、週刊新潮の記事によるとGoogleの日本での検索エンジンシェア率はなんと9割を超えるのだという。

これでいいのか?

検索エンジンの開発というのは容易ではない。
莫大なコストと技術がかかる先端技術の結晶なんだそうだが、Google1社に寡占化するとどういうことになるかと言うと、他社の検索エンジンの日本語対応が予算の関係で見送られることになる。
結果、日本での検索はGoogleで、の悪循環になり他社は次々に撤退することになってします。

このブログはNTTのGooというサービスの一つで、Gooの検索機能があるのだが、これは日本製。
NTTの研究チームの手になるものだという。
こういう和製ソフトそのものがゲームを除くとかなり少ないように思うのだが、検索エンジンにしても同様だろう。
記事によると驚くことにマイクロソフトがすでに日本語対応を撤退。
市場占有率は一桁ということで魅力が無いらしい。
あの強欲中国の百度さえ日本から撤退。
Yahooに至ってはGoogleの検索エンジンなんだそうだ。

で、検索エンジンに寡占化が進むとどういうことになるかというと、情報操作がしやすくなるということ。
GoogleまたはGoogleと手を組んだ組織や個人が日本の情報を簡単に操作できてしまうなんてことが発生するのだ。

「アメリカだから大丈夫」
ということは決して言えない。
アメリカも日本ではないので、アメリカにとって不都合な情報は遮断されたり歪曲されることもきっとある。

なにげに使っている検索エンジン。
何をどう使うのかも難しい時代になってきたもんだ。


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「日本学術会議の人事について首相官邸が関与した、これはえらいこっちゃ」
と大騒ぎ。
野党と当の日本学術会議の元理事あたりがワンワン叫んでいる。

このワンワン叫んでいる主張が間違えていることを分かりやすく解説してくれたのは先日の朝の大阪ローカル番組に出演していた橋下徹元大阪市長なのであった。

「国民の税金が投入されている機関が勝手に人事を決めたらおかしいでしょ。税金が投入されている限りは首相がそれに意見をしても当然なんです。それこそ『税金でやってるけど、やっていることは神聖不可侵だから政府も国民も文句を言うな。』というのは暴論ですよ。」

という意味合いであった。

「自由にやりたいのであれば、税金じゃなく自分たちのお金でやればいい。」

とも言ったのであった。

尤もなことであろう。
たった200人ほどしかいない学者集団が、
「自分たちは国の学術窓口だ」
と主張するのも、これまた滑稽で日本には何万人もの学者が存在するわけだ。
そもそもその代表が選挙・会議もなにもなく決められる日本学術会議だ、というのは非常にバカバカしい限りだ。

で、なんなんこれ?
と調べてみると今回の報道は報道される必要さえないような代物なのであった。

まず、第一報を伝えたのは新聞赤旗。
日本共産党の機関紙である。
この一紙だけで胡散臭いのに、昨日の記者会見を見てみると内田樹なんていう共産主義者で日本共産党のシンパみたいな人が混じっている。
なんなんだ、これ?
なのである。

まだおかしなところは満載で、例えば「日本学術会議は我が国の科学者の内外に対する代表機関」なんだそうだが、問題になっている学者の皆さんは全員文系なんだそう。
文系の科学者というのはよく分からない。
もしかすると「文学を科学する」なんていう、どこぞのCMのようなキャッチフレーズでも本気で謳っているのだろうか。
大喜利みたいな団体である。
選ばれなかったのは6人だし。
座布団を取り上げられて怒ってんだ。

で、大いに騒いでいるのが、なんとか民主党を主とする野党の皆さん。
モリカケ、サクラ、で今度はガクシャ。

ええかげんにせい!と言いたいのが国民の大多数であることは間違いない。


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今年はもともと東京オリンピックが予定されていた関係で、東京ビッグサイトを中心に首都圏の展示会場が軒並み使えないところにコロナ禍。
結局、イベント関係の企業は大変な負の影響を受けてしまっているので、かなり気の毒なところがある。

しかしそもそも今の時代、展示会って必要なのか。

3年半前に会社務めを辞めるまで、私は企画開発関連の責任者をやっていて展示会や雑誌広告など色々なメディアや機会で色んな業者と仕事をすることが多かった。
中でも展示会はビックイベントで東京ビッグサイト、幕張メッセ、インテックス大阪と3会場で企画から設営、広報や顧客分析などを担当した。
その都度感じたのは、
「こんなことすることに意味があるのか?」
という疑問なのであった。

そもそも展示会は新しい顧客や取引先などとのネットワーク構築や新しい技術を発見することに主眼が置かれているはずであるが、実際は違った。

ライバル他社のスパイ。
飲み会。
お辞儀会。
付き合い会。
などなど。
高い費用をかけてやるほどのものか大いに悩んだのであった。

どれくらい費用がかかるかというとあるイベント会社の場合は東京ビッグサイトの場所代だけで基本200万円もする。
そのサイズといえば3m×6mほどしかない。
もちろんここにブースの設営費、展示する製品やサービスの費用、カタログ、技術資料の製作印刷代、コンパニオンのギャラ、衣装代、交通費に宿泊費、お土産ノベルティ代などその他諸々が発生し、1000万円くらいの予算はあっという間に飛んでいく。

割かれる時間も長いもんで展示会の3日間はもちろん、設営のための前2日間、それを準備するための無数の会議などなどなど。

それだけのパワーを投入して結果はライバル他社のスパイ行為だったりすので、何やねんこれ?という感じだ。

製品を見たけりゃ今どきWEBサイトで十分チェックして、吟味した上で実機をその会社のショールームなり納入先などを訪問して検討する。
したがって京葉線に揺られて一時間もかけて遠い展示場へ行く必要もないし、ゆりかもめで立ちっぱなしなんてこともない。
本来の職務に影響のでないように、種々選択できるわけだ。

今月になって展示会があちらこちらで開催されている。
私も見てみようか、と思うこともないのだがコロナ感染の危険を犯してまで訪れる必要のある展示会はたぶん皆無だ。

「インテックス大阪へ行ってきたら商品だけ並べて説明員がいない」
「WEBと連携して展示会やってます」

なんてことになっている。

展示会の意味。
働き方と同時に、少し考えてみる必要が出てきている。


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役所の手続きでハンコの捺印が廃止される方向で動いている。

もともと三文判で良いような事が多いハンコの利用。
なんでわざわざ1個100〜300円のハンコを買って捺印する必要があるのか。
履歴書。
領収書。
各種届出書類。
会社の見積書に納品書。
宅急便の受け取り伝票。
どこでも売っている三文判で良いのであれば別にサインでもいいじゃないかというようなことを世間の人々は思っていたけど変えることができなかった。

なぜならハンコ屋さんが可愛そうだから。
じゃなく、それが長年の習慣だったから。

思えば子供の頃はハンコというかスタンプが大好きであちこちにペタペタ捺しては叱られたものだ。
親が商売をしていた関係で、ハンコ、小切手や手形に金額を打つロータリーチェックライター、手動式計算機のタイガー計算機などを使う親父を見ていておもちゃの一種と思い勝手に手を出してこっぴどく絞られた。
とりわけタイガー計算機のハンドルを面白がってクルクル回していると鉄拳を受けることも少なくなく、でもそのメカが面白くて触りたくてしかたがなかった。

文句を言われにくいのがハンコだった。
もちろん実印なんかは触れることさえ許されなかったがいわゆるゴム印は好き勝手に押す時間をもらってペタペタ遊ぶことができた数少ない仕事道具だった。

小学校4年生の時の担任の先生が福岡県久留米出身の新人先生だった。
この先生が大阪の私の学校に赴任して一年を通してしてくれたことが誕生日が来ると福岡の石を使って先生自らが彫った名前のハンコのプレゼントだった。
四角い石にファーストネームが刻まれているのだが、私は3月生まれのためクラスの最後にそのハンコをもらった。
その時の嬉しかったこと。

それから10年ほど経って芸大に入学してから自分で描いたイラストや水彩画など平面作品には必ず先生の彫ってくれたハンコを捺印するようになった。
さらにそれから30年の歳月が流れて4年生の時のクラスの何人かで定年になってお婆さんになった先生を大阪に呼んで同窓会をしたときに、先生は新しいハンコを彫ってみんなにプレゼントで持ってきてくれた。
人生最高のハンコだった。

これがサインならどうなるのか。

ハンコ文化の行き先は果たして何処へ。


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