<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ひとんちに土足で上がり込んだり、上がり込もうとする人のことを日本では「押し込み」と呼ぶ。
鬼平犯科帳でも盗人が商家へ押し入るシーンが度々出てくるが、そういう盗人が「押し込み」なのだ、
そういう意味合いでいくと尖閣諸島に押し入ろうとしている中国政府と竹島に勝手に要塞を作って喜んでいる韓国政府は犯罪者ということができる。

この中国と韓国の関係は、歴史上宗主国と被宗主国の関係なのだが、後者にとっては日本も宗主国であり、今の経済力の基礎を作ったのは明らかに日本のほうなので、感謝されることはあっても、非難されたり自分ちに押し込んできて小屋を作って住まれる筋合いものないのだ。

この中国と韓国の関係は宗主国と被宗主国の関係というよりも往年の青春ドラマ「われら青春!」に登場する教頭先生と腰巾着の関係に似ているといえる。
私の世代なんぞは、そういうふうに説明してもらうと、
「ああ、なるほど」
と合点することだろう。

ところで、ウィグル族とみられる3人が乗った自動車が天安門広場で爆発炎上し、多くの死傷者を出している事件を中国政府はウィグル族によるテロ行為と断定して捜査している。
このことはNHKをはじめ日本のメディアでも繰り返し報道されているのだが、ではなぜウィグル族がテロ行為を働いているのか、ということについてはメジャーなメディアは詳細を伝えようとしない。
中国によるウィグル弾圧はインターネットを通じて知るしかない、というのが現状だ。

今中国ではウィグルやチベットで同化政策を展開している。
一種の民族浄化で、どいつもこいつも漢民族にしてしまおう、という恐ろしい政策だ。
これはスタートレックに登場するボーグのようなもので、人民解放軍はウィグルやチベットに押し入り、
「我々は漢民族である。お前たちを同化する。抵抗しても無意味だ」
というようなことを言ったかどうかは知らないが、武力と暴力による同化政策を半世紀も続けているのだ。

不幸なことに、ウィグルにもチベットにも天然資源がない。
従って現金な欧米の興味を惹くことが出来ず、支援を得られず今日の自体に至っているのだ。

日本の今置かれている状況が漢族中国によるウィグルやチベットへの侵攻の初期の段階に酷似しているだけに、今回の事件は他人ごとと思えない悲壮さがある。

1000年前、現在の中国南部で平和に生活していた人たちが漢族の侵攻により南に追いやられた。
彼らをシャム族といい、現在のタイ王国の主要な人々だ。
1000年以上もの間、南下する漢民族を果敢に食い止め、国家を支えているのがベトナムだ。
ウィグルはタイやベトナムになれなかった人々の国ということができるだろう。

油断大敵。

ウィグルみるにつけ、明日は我が身と思う事こそ日本人には大切に思えてくるのは、私だけではないだろう。(朝日新聞は除く)

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阪急といえば関西では信頼の高級ブランドで通っている。
阪神はどうだか判断しかねるが、その阪急阪神のグループのうちホテルグループで食品の食材の偽装というか故意に違った産地のものを提供したことが発覚し、信頼が失墜しようとしている。
株価も下落。
今年は阪急電鉄創設100周年ということで、創業者の小林一三氏も草葉の陰で嘆いていることであろう。

最近は我が家でも食材の産地については大いに気にしている。
その気にしている原因にはいろいろがあるが、ひとつはフードマイレージ。
一般的には地産地消。
食材を運ぶために多くのエネルギーを消費するのをやめようね、という英国発祥の考え方だ。

幸いにも私の住んでいる大阪はまだまだ農産物が豊富だ。
例えば玉ねぎ、ナス、トマト、ほうれん草などは作付が豊富で、スーパーマーケットで北海道産の玉ねぎなどを見ると安くて美味しそうなのだが、やはりフードマイレージ的思想で行くと大阪産なので、少しく割高な大阪の農産物を買うようにしいている。
ちなみに大阪の農産物は大阪産と名付けられて売られているのもがあるが、これが大阪と周辺では人気で立派なブランドとなっている。
このブランドを起こしたのが、マスコミからボロンチョンに言われている橋下徹大阪市長。
しかし、この一点をとっただけでも彼は立派だと思うのだが、大阪以外ではその評価はボロンチョン。

話はそれたが、もうひとつは中国産ではないこと。

中国産と書かれた生鮮食料品は探すのが困難なくらいスーパーの陳列棚から見かけなくなってしまったが、それでも加工食料品や冷凍物には中国産が少なくなく、食の安全のために絶対に買わないように努力している。
しかし、これが外食となれば判断出来る材料に乏しいことから、中国産を使っていないであろう、信頼できるブランドの店で外食をするようにしている。

とのころが。
今回の阪急阪神ホテルズの行った行為は、そういう信頼を著しく傷つける消費者に対する背信行為。

阪神はともかく、阪急ブランドの復活と信用回復を願いたい大阪人の私なのであった。
なお阪神は根性のないグループのプロ野球球団の性根をなんとかするのが、名誉回復の再優先課題といえるであろう。

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「私は19才になる大学生です。
大学のクラブでは野球をやっています。
部員は50名ほどの中堅野球部なんですが、これが大変です。
先輩後輩との交流がクラブの野球を通じてしかないのです。
試合や練習後に先輩や後輩と一緒に食事をすることが校則で禁じられています。
春の新入部員の時も新入部員歓迎会も禁じられています。
つまりクラブでの練習と試合以外は一切の接触が禁じられているのです。
もしそれを破ったら停学もしくは退学処分で、良くても部活動から離れなければなりません。
これっていったいなんなんでしょうか?」

先週、ラジオから流れてきた驚くべき投書なのであった。
なんでも、今の大学では先輩後輩の付き合い酒は厳に戒められているということで、もし一緒に飲んだりなんかしたら退学処分になってしまうというのだ。
俄には信じられないない内容であったが、大学の関係者に聞いてみると、そういう大学が存在し、その数も増加しているのだという。

これは「大学生特有の宴会」で酒を飲んで急性アルコール中毒なんかになって救急車で運ばれたりしてた大騒動になってしまうことを恐れての規制なのだ。
ましてや、最近は限界をわきまえないアホな学生が増えており、急性アルコール中毒でぶっ倒れたままあの世へ旅だってしまうものもいるという。
だから、責任逃れのために大学当局が学生同士の交流を禁止してしまうという、愚の骨頂的手段に出ているのだ。

これでは何のために大学に入ったのやらわからない。
大学は研究活動をするところであることはもちろんのこと、広く信頼できる友人や仲間を見つける場所でもある。
時には生涯のパートナーを見つける場所でもある。
一方、考え方の違う敵やアホタレと出会うところでもある。
この仲間であろうが、アホタレであろうが出会う場所が大学通の居酒屋であったり、麻雀屋であったり、他人の下宿屋であったりするわけで、そこでの交流を禁じてしまうと大学としての価値はほとんど無くなってしまう。

単に単位だけ取りに行くだけの大学なんて無味乾燥でつまらない。
それでは大学ではなくてブラック企業の社員研修会と変わらないではないか。

そもそも、酒も飲み方も知らない子供たちがいけない。
最近の親は子どもに酒を飲ませないのがいけないのかもしれない。
「お酒は二十歳になってから」
という法律があるから、もちろん公式に子どもに酒を飲ませると違法である。
でも、これは建前論ではないか、と私は思っている。
この建前論を厳密に遵守し、それ以外は犯罪者だみたいな革新政党が喜びそうな風潮が日本の文化を駄目にしているように思われてならないのだ。
ルールを守るのが賢くて真面目、という風潮が災いしている。

例えば六代目笑福亭松鶴は、
「ワテは3つから飲んどりましたんや」
と言っていた。
芸人だからこうなのか、というと一般人も大した違いはなく、私も物心がつく前から酒はお正月にはお屠蘇として1杯はちゃんと飲ませてもらっていた。
さらに高校生になったとき、友達の部屋にサントリーオールドを隠し持ち、何人かでチビチビやりながら、
「明治時代の男たちはどうしてあんなにすごいことができたのか」
などという、今では考えられないような論議を張っていたのだから、酒というのは友人とその価値観を共有するきっかけになるための非常に重要なエッセンスであるわけだ。

ともかく、それだけ法律遵守が大切なのであれば、ともかく改正の必要があると思われてならない。

お酒は18才になってから。

と。

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1981年のスペースシャトル”コロンビア号”の打ち上げ以来、宇宙へ行くことはそれほど特別ではなくなってしまった。
いや、まだまだ特別だけど、遊園地のアトラクションの親玉のような機械に乗って特別な訓練を積んだ宇宙飛行士だけが宇宙へ行く時代ではなくなったことは間違いない。
一昨年、スペースシャトル計画が終了。
人類が宇宙に行くにはソユーズ宇宙船しか手段がない今日だが(中国の有人宇宙船には乗りたくない)、現在宇宙へ人を運ぶために開発されている乗り物は単なるロケットではなく、航空機の延長線上にある「宇宙船」であることも、スペースシャトル以前と、その後の大きく異なっている部分なのだ。

この特別ではなくなった宇宙飛行。
つまり昔は特別だった。
人類は選ばれし人のみが生きて帰れるかどうか分からない乗り物に乗って宇宙へ飛び出した。
宇宙船と呼べるような代物ではなく、単なるカプセル。
そこにガスバーナーの親玉程度の制御エンジンを取り付けて地球をグルグル回っていた。
そんな時代が1981年まで続いていたのだ。

その最初の宇宙旅行はもちろん超特別だった。
なんといって宇宙空間なんか誰も行ったことがないので、行ったら何が起こるのかわかない。
そんな状況でミサイルを改造したようなロケットの先っちょに取り付けた宇宙カプセルに乗って飛び出して行った人がロシア人ユーリ・ガガーリン。
人類初の宇宙飛行士。
日本では、
「地球は青かった」
と言ったことになっている宇宙飛行士だ。

J・ドーラン、P・ビゾニー著、日暮雅道訳「ガガーリンー世界初の宇宙飛行士、伝説の裏側で」(河出書房新社)はガガーリンのバイオグラフィを中心に初期の宇宙飛行に関する様々な事故や政治、人間模様が描かれている興味溢れるノンフィクションだった。

ガガーリンを中心にロシアと一部アメリカの宇宙飛行の黎明期を描いている。
その内容は劇的だ。
初期の宇宙飛行がいかに危険で技術的に未熟であったのか。
そして政治がすべてにおいて、主導していたのか。
ということを改めて知ることのできた。

例えば、宇宙飛行を成し遂げた後のガガーリンの人生については、一般人の私たちはあまり知ることがなかった。
国との約束で、初の宇宙飛行についても詳しくは語らず、ただ歴史の人とのみとなり、フルシチョフに利用された、ブレジネフに疎まれ、たった36年で閉じた人生。
その生涯を知ることは一人の宇宙飛行士の人生を知ることにとどまらず、第二次世界大戦後に展開されった東西冷戦時代の大国の意地のようなものを今更ながら付きつけられた感じがして、歴史の罪深さを感じるのだ。

それにしても宇宙への冒険は多くの犠牲者を出したものだ。
今私たちは気象観測、テレビ中継、電話、ネットなどで宇宙開発技術の穏健を十二分に受けている。
地球軌道上には宇宙ステーションさえ浮かんでいて常に誰かがそこに滞在し、科学技術その他の発展に尽くしている。
しかし、そこへ行くために払った代償はスペースシャトルで亡くなった14人の宇宙飛行士や科学者、一般人も含めて決して少なくない。
宇宙へ行くのは、技術的に単なるロケットに頼ることはなくなった時代かも知れないが、まだまだ危険がつきまとっているのだ。

本書で取り上げられている最も印象的な事故はガガーリンの事故死ではなく、その数ヶ月前に起こったソユーズ1号の事故だと思う。
なぜなら、この事故には当時の宇宙開発に対する国家の、そして社会の、すべての歪みが詰め込まれていたからだ。
ソユーズ1号は未完成のまま打ち上げられ、船長のウラジミール・コマロフは自分が確実に死ぬことを知りながら宇宙へ旅だった。
それを阻止しようとできる限りの抵抗を試みたガガーリンの姿が胸を打つのだ。

ガガーリンによる人類初の宇宙有人飛行から50年をきっかけに翻訳された本書は宇宙のみならず、科学に興味ある人にとって必読の書であることは間違いない。

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生まれて初めての海外旅行で利用したのはパンアメリカン。
成田からロサンゼルスまでひとっ飛びだったのだが、
「帰りもあの不味い機内食を食べるのか」
と思うとロス滞在中に憂鬱になった。
それをあざ笑うかのように帰りのロサンゼルス国際空港では、
「機内では蕎麦が出る」
と耳にしたJALの同じく成田行が私のパンナムのジャンボの横の搭乗口に止まっていた。
「次回はぜったいにJALに乗るぞ」
と勝手に誓ったのは、もう30年以上前になる。

で結局「次回」は不本意ながら大韓航空を利用して、その次はシンガポール航空、その次はタイ国際航空と、結局海外へ行くときはJALはもちろんANAに乗ることもなく時間だけが経過した。

10年ほどまえにANAのマイルが溜まったので台湾へ行こう!
とばかりに予約した、
あこがれの自国エアライン。
ANAの無料チケットを手にして意気揚々関空に行ったら、利用するのはANAとコードシェアのエバー航空だった。
「コードシェアの馬鹿野郎!」
と、叫んでも無駄。
友好国台湾のエアラインなのに液晶テレビの地図には「日本海」を「東海」と書いているけしからんヒコーキで、機内に彩られていたキティちゃんが泣いていた。
以後、二度と使っていないのは言うまでもない。

で、そのすぐ何ヶ月後かに出張でシカゴへ行くことになり、利用する便がなんと!憧れの日系エアラインの、しかもJALなのであった。
しかし、この時はさすがに私も歳を食っていて、
「日系もいいけど、成田経由はしんどいやん」
と、会社の総務課に当時飛んでいたユナイテッドの関空発シカゴ行きに変更を頼んだものの、
「東京集合!」
とわけのわからん指示が出て、JALに乗ることになった。
搭乗した機種はB747。
30分早く出発するシカゴ行きのANAがB777。
どちらかというとB777に乗りたい私は、
「東京集合やったらANAでもええでしょう?」
としつこく会社にお願いしたのだが、
「株があるので」
と、これまた訳のわからん理由を付けられて、そのままJALを利用することになった。

30年前に「蕎麦があってきっと美味しいに違いない」と信じていたJALの機内食もエコノミークラスは美味しくなく、客室乗務員がアジア系の女性で、しかもベトナム航空並に無愛想だったので、すごく失望してしまったのだった。
「あーANAなら良かったかも」
と思うと同時に、
「あー、蕎麦もなぜかタイ国際航空のほうが美味い」
となってしまい、憧れのJALの国際線は失望の塊と化してしまったのであった。

それから暫くしてJALは倒産。

新聞によると経営再建に成功しているJALは新規の購入する機体をボーイングからエアバスに切り替えるのだという。
機種は古くなったB777を売っぱらって、新しいA350を購入する計画だ。
JALは食事だけではなく、利用する機種も失望させるつもりなのか。
ちょっぴり残念である。

ご存知のようにB777は韓国人のパイロットが操縦していない限り世界一安全な航空機だ。
JALはこのアシアナを除いて20年間人身事故ゼロの優秀な機種をやめて、操縦桿もない、コンピュータ優先で人は後回し、日本製部品比率の少ないエアバスの大型機を購入するのだという。
なんでも京セラ稲盛会長の稲盛イズムを踏襲し、ボーイングとエアバスにディスカウント競争させた結果としてエアバスの購入に決めたのだという。

この選択、正しいのか否か。

エアバスの飛行機はボーイングのそれとは設計思想がかなり違うという。
例えば操縦。
エアバスはコンピュータ優先でボーイングはパイロット優先。
ボーイングの飛行機は自動操縦でもパイロットが操縦桿を少し触ればパイロットのオペレーションがすべてに優先される。
これに対してエアバスはパイロットは完全にマニュアルに切り替えなければ自由が利かず、例えば名古屋空港での中華航空機の事故のようにパイロットとコンピュータが反発し合って墜落することもある。
そもそも、エアバスの飛行機には操縦桿はなく、レバーで操作する。
サンダーバード1号の要領だ。

好みの問題かも知れないが、どうもここんところが引っかかって仕方ない。
JALの選択。
安かろう悪かろうにならないかどうか、注目が必要だ。

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ベトナム戦争が終結したのは1975年4月30日。
もうかれこれ40年近くが経過するわけで、私の会社に研修生として来日しているベトナム人は戦争のことは祖父母の話。
それはまるで日本人にとっての大東亜戦争と似たような歴史の1ページになっている。
もっとも日本の若者のように、
「日本がアメリアと戦争した?で、どこと戦争したの?」
と日米同盟のもと、日米が第三国と戦争した、なんて勘違いするものはいないに違いない。
ベトナムではベトナム戦争のことをアメリカ戦争と言うのだから。

このアメリカ戦争の英雄だったグエン・サップ将軍が先日死去。
享年102歳で、昨日から国葬が始まっているとマスメディアが伝えている。

正直、グエンサップ将軍がまだ生きていたとは夢にも思わなかった。
昔の近藤紘一や開高健のエッセイなどに登場するホーチミンの片腕だったグエンサップ将軍が21世紀の今日まで元気に存命していたことは、かなりの驚きだった。
グエンサップ将軍は1945年のベトナム独立からフランスと戦い、アメリカと戦い、中国と戦ったその戦歴は東南アジアのみならず、世界史の1つに記憶されるべきものだ。
しかも、ベトナム戦争終結とその後に続き南北の統一を目にすること無く亡くなったホーチミンとは異なり、その後の華僑追放とドイモイ政策とその失敗、その後の米国との国交回復や現在へ続く経済発展を見届けたグエン将軍は、いったいどのような目で、自分がその建国に関わった国を見つめていたのだろうと思うと、他の国の英雄ながら、色々と想いを巡らせてしまうのは、やはり、ベトナムという国に私なりの親近感があるからなのだろうか。

今年で日本がベトナム民主共和国と国交を樹立して40周年。
つまり米国が南ベトナムから撤収して40年。

なんだかタイミングを合わせるような亡くなり方で、これもベトナムの英雄ならではの締めくくりなのかもしれない。
遠くになれり、ベトナム戦争。

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タレントのみのもんたの息子が釈放されたというニュースを読んでいて、

「これが芸能人の息子として生まれてこなければ、単なるチンピラで済んだのに」

と、なんとなく思った。
同じことは三田佳子の息子が逮捕された時も感じたのだが、この著名人の息子たちというのは、どのような考えを持って、どういう価値観で人生を送っているのだろう。

一連の週刊誌で報道されている情報によるとみのもんたには2人の息子がいて、どちらも親のコネクションと思われる方法で日本テレビとTBSに入社している。
そしてどちらも社員としては決して有能とは言いがたく、会社としても「持て余し社員」として存在しているようだ。
驚いたことに、在京テレビ局の新入社員の3分の1から半分近くがこのような驚くべきコネクションによって採用されているといい、
「就業の自由」
「言論の自由」
などとお題目を並べて、国家から特別な免許を受けて営業をしている放送局が、キレイ事を並べるだけのグレーの塊というのも今の日本の問題点かもしれない。

今回もみのもんたの非社会的組織との関連を指摘されているが、非社会的組織と連携し、談合や暴言などを繰り返すことを悪いと思わず、銀座のクラブでその筋の人達と親子揃って大騒ぎする(いずれも文春や新調などの週刊誌によると)親子が、まともな人たちとは到底思えないのだ。

この「まともでない人」たちをコリもせずにラジオやテレビでパーソナリティとして使い続ける放送局というのも、一体どういう会社なのであろうか。
政治や経済を操るような言動をし、時には恫喝もする。
「私に楯突いたら不利な記事を書きますよ」
と橋下徹大阪市長を恫喝したのは朝日新聞の記者なのであった。
その不利な記事を朝日だけでなく読売も毎日も日経も、よりによって産経も提供し、目論見通り大阪府堺市長選挙は僅差で維新の会が敗れた。

非社会的組織と関係を持ち続け、チンピラや泥棒のまね事をする息子を持つタレントを使い続ける放送会社に存在意義はあるのだろうか。

芸能人の息子が起こす事件は、そういう意味で日本の言論世界の問題点を顕にしているのかもしれない。

ただのチンピラなら、そんな影響力はないのだ。

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