<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





昨年のちょうど今頃。
東京の目黒区立美術館で「村野藤吾の建築 ー模型が語る豊饒な世界ー」という展覧会が開催されていた。
日本を代表する建築家の一人である故村野藤吾が設計に関わった建築物を建築模型を通じて鑑賞するという面白い展覧会だった。
大阪人の私にとっては大阪新歌舞伎座(取り壊し済み、現在隈研吾設計で新築工事中)、近鉄百貨店阿倍野本店新館(取り壊し済み、現あべのハルカス)などや、宝ヶ池プリンスホテル(京都市)のような私もその建築に参加した、という作品が展示されていてとっても楽しかった。

そして秋になると六本木の東京ミッドタウンにあるギャラリー 21_21Design Siteで見ることとなったフランク・ゲーリーの作品群で最新技術とデザインが融合した建築技術から受けた衝撃が加わり、建築模型に対する私の従来持っていたイメージは随分の大きく変わることになった。

もともと模型で建築を楽しむというのは、私も子供の頃から鉄道模型のマニアであることから十分に理解しているつもりだった。
でも、それがこと建築技術や造形アートになるとかなり違うものであることに気づいたのだ。
つまり、趣味でやる鉄道模型のような甘っちょろいものではないということに。

先月、東京モノレールの天王洲アイル駅近くに開館した建築模型ミュージアムはそんな建築を模型を通じて楽しむことのできる日本でたぶんたったひとつの建築模型専門ミュージアムだ。
「建築倉庫 Archi-Depot」
という名のその場所には倉庫の中のように大きな空間に白く塗られたスチールラックが設置され、各棚に数多くの建築模型が展示されている。
縮尺は様々。
その建築物が計画され、設計された時に製作された実際の建築模型で、ジャンルも多岐に渡るのはもちろんのこと、建築家も先に挙げたフランク・ゲーリーや隈研吾など世界の第一線で活躍する有名建築家から地方都市の小学校や庁舎などを設計する無名の建築家まで。
それこそ地位に関係なく優れた作品の数々が展示されている。

東日本大震災で流されてしまった小学校の再建案。
最新のショッピングモール。
個人宅から都市計画まで。
どれもこれも実際の計画のために作られた模型だと思うと、その「模型の実物」を見たくなってくるほど、面白い内容だ。

場所がモノレールの近くなので空港から都心部を行き来する私のような出張族には訪ねやすい場所でもあるし、開館時間も東京ならではの夕刻までなので便利である。

「これかも増えていきますから」

ということなので、少し間を開けて訪れるとまたまた新しい作品がどっさり入ってるんじゃないか。
そんなことがワクワク感に繋がる良質の新しい美術館であった。

なお、嬉しいことに館内撮影自由(ルールはあります)。
カメラ片手に建物の造形を各ポイントから眺めるというのもCGではあまり感じられない模型の楽しみになりそうだ。

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今年はGWもお盆休みも旅行ができない。
できる旅行は出張のみ。
「え?いろんなところへ行けてええやないですか。」
と言うなかれ。
出張は仕事なのでどこへ行っても任務がついて回るので面白くないことこの上ない。
このブログも仙台のホテルで書いているのだが昨晩は牛タンも三陸の海の幸も食べること無くクタクタになってコンビニ弁当と缶ビールで済ませてしまったのであった。
かなりの後悔ではある。

なぜこうなってしまうかというと娘が受験生だからだ。
従ってこの我慢、運がよければ来年3月で終了することになる。
それまで旅立ちの欲求はひたすら抑え、娘の旅立ちを応援しなければならないのだ。

受験生の娘を抱えていると、色々な大学からパンフレとやらなんやらかんやらと送られてくるので、それらがなかなか興味深い。
関西の大学は当然のことながら関東や中京圏の大学も、どこで調べたのか娘の名前で、
「◯◯大学のキャンパスライフ」
とか、
「各界で活躍する卒業生」
といった「うちの大学は凄いでしょ」みたいなパンフレットが送られてくる。
パンフレットは厚手の紙に印刷され、デザイン事務所が精魂込めてレイアウトし、プロのライターが作文した文章、プロのカメラマンによる表情豊かな写真が散りばめられている。
まるで高級リゾートクラブのパンフみたいな学校もある。

郵送で送られてくるパンフがそんな塩梅なのでオープンキャンパスや説明会となるともっと凄いようだ。
しかも私学だけではなく国公立大学もオープンキャンパスを実施して色々なセミナーやアトラクションを用意して自分の大学がいかに素晴らしいかをPRしている。
それも地方の国公立大学ではない。
京大や阪大がオープンキャンパスを開催しているのだ。
こういうところは放っておいても志願者が集中しそうな気がするのだが、独立法人になってからは「うちは旧帝大です、えっへん!」みたいなところがなくなって来ているのかもしれない。
国公立がそんなのだから私学は苛烈だ。
現役の学生や卒業生などを招いて「当学の入学試験受験対策セミナー」といったものを2ヶ月に1回程度の割合で実施。
本来なら予備校や塾がやっていたことを専門に行っているのだ。
より優秀でやる気のある生徒の獲得を目指している大学と、より多くの学生の獲得だけを目指している大学では趣旨が違うのかもしれないが、大いに興味をもってしまうところである。

関東の大学の関西の高校生へのアプローチは奨学金をちらつかせるところも少なくない。
まるで地方行政の企業誘致みたいだが、昨今、慶応や早稲田といった関東のトップ私学とて関西をはじめとする首都圏以外からの学生の獲得には苦戦をしているようだ。
なんでもここ数年、バブル崩壊以来時間が経過するとともに、親の負担を考えてか地方から早稲田や慶応を目指す学生が激減。
これら大学は首都圏限定の地方大学になりそうな雲域なのだという。
そこで地方からの学生には寮を提供し、親の負担の軽減を図る援助制度を用意。
是非とも東京へ。
という政策に汗水を垂らしているというわけだ。

さて、肝心の我が娘だが建築家になりたいということなので心に決めている大学がありそうなのだ。
未来の隈研吾、安藤忠雄はたまたフランク・ゲーリーに成れるか否か。
高校3年生の短くも過酷な夏を頑張っている姿は、私には最大の励みになるのだ。


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Pokemon GOという任天堂のスマホゲームの配信が開始されたのは一昨日。
そして昨日は配信開始後初の週末ということもあって街のあちこちではスマホを見ながら歩く人達の姿が普段の3倍以上に膨れ上がった。

私はゲームにほとんど興味がなく、娘にも子供の頃からビデオゲーム機は1台も与えたことがない。
私がゲームを買ったのは過去に1回だけ。
自分がアルバイトで勤めていた玩具店で初代ファミコンを興味本位で購入して3日間狂ったように遊んだだけだった。
なぜ4日目から遊ばなくなったかというと飽きてしまったからであった。
人がプログラムを組んだゲームをするよりもゲームプログラムは組めないにせよ、BASIC言語を使って自分でプログラムを作るほうがよっぽど創造性豊かで楽しいと思ったからであった。
当時私は大学1年生。
芸大に通う生意気盛りの若造なのであった。

そんなこんなで今日まで至っているのでPokemon GOには別の意味で興味があるもののゲームとして楽しみたいといとはちっとも思っていない。
それどころか昨日のようにPokemon GOに夢中になっている連中に迷惑を感じると、
「やめてくれ。場所を限定してくれ」
と思わず心のなかで叫んでしまうくらいなのだ。

まず、
「道路の真ん中を歩くな!」
と言いたい。
昼間、南海電車の駅の近くを走っていると耳にイヤホン、手元にスマホを持った20日過ぎの男が道の真中を歩いていた。
イヤホンをしているので自動車が後ろから来ていることにちっとも気づかない。
クラクションを小さく鳴らしても気づかないので、大きく鳴らしたら振り向いて私を睨んだ。
「お前、何睨んどんねん、ドつくぞ」
と心のなかで叫びそうになった。
場所はちょうど重要建築文化財のある地域で、多分ここに何かしろのキャラクターが現れるのであろう。

で、そこを離れて仁徳天皇陵の近くへ行くと、スマホを持った2人の子供がお父さんと思われるオヤジに連れられ炎天下を歩いていた。
誰に迷惑をかけるというものではないが、どうもしっくり来ない。
夏休みの過ごし方がそんなんでいいのか。
甚だ疑問になってしまった。

さらに夜。
塾帰りの娘を駅まで迎えに行くと歩く人の半分くらいがスマホを見つめたままウロウロしている。
ある者はスマホを見ながら自転車に乗っていた。
自動車の駐車も安心できない。
暗がりから酔っぱらいのグループがスマホを見ながら現れる。

ええかげんにせい!

海外ではゲームに夢中になっていたため崖から落ちてしんだ奴や交通事故で死んだ者が出てきているという。
日本でもバイクに乗りながらPokemon GOをやっていた奴が危険運転で逮捕されたという。

Pokemon GO。
使い方によっては街興しや過疎対策、平和運動などにも応用できそうだが、今のところPokemon GO AWAYというのが正直なところだ。

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ラジオを聞いていると米国共和党大会でのトランプ候補の相も変わらぬ下品なニュースが飛び込んできた。
で、一緒に聞いていたカミさんが一言。

「映画のエアフォース・ワンでもハリソン・フォードが大統領役やったからカッコ良かったんよ。トランプのエアフォース・ワンなんか考えられへん」

なるほど、我がカミさん。
なかなかな目の付け所だと思った。
もしドナルド・トランプがエアフォース・ワンに乗ったら、それは映画「エアフォース・ワン」の世界ではなく映画「フライングハイ」の世界ではないかと思った私の想像力に誤りはないと思う。

そんな一瞬なのであった。


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大橋巨泉が亡くなった。
なぜかショックが大きい。

ほんの数日前に永六輔死去のニュースが流れ、先週末のテレビ情報番組では永六輔の残してきたテレビ界の偉業についてあれこれ報道されていた。
私は永六輔といえばNHKのバラエティ番組「テレビファソラシド」が最も記憶に残っているような案配でそれより昔も、それより後も龍角散のコマーシャル以外は印象がそれほど強くない。
ところがこれが大橋巨泉となるとそうはいかない。

子供の頃に見た「巨泉前武のゲバゲバ90分」はもとより「クイズダービー」「世界まるごとハウマッチ」「巨泉の使えない英語」などバラエティ番組を思い出すだけではなく、「はっぱふみふみ」の万年筆のコマーシャルや「なんでも鑑定団」にゲスト出演して司会者よりも偉そうにしていた姿が」印象に残っている。
その各印象のひとつひとつ以上に印象に残っているのは「11PM」かも知れない。
それほど、大橋巨泉の印象は強烈だ。

その大橋巨泉が逝ってしまった。

「永六輔さんの訃報はあえて伝えませんでした」
奥さんのコメントが胸をつくだけではない。
もしあの世というものがホントにあって、そこに行った大橋巨泉が永六輔に出会ってしまうなんて、これほど凄いことはないように思ってしまう。

もしもあの世にテレビがあったなら。
そこから巨泉や前田武彦や永六輔が出会うバラエティをぜひとも中継してもらいたい。
そんな寂しい想像をしてしまうニュースなのであった。

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トルコでクーデターが発生。
軍の一部が蜂起して政権を奪おうと軍事行動を展開。
アジアとヨーロッパの架け橋であるボスポラス海峡にかかる橋や空港を占拠した。
もちろん全世界に緊張が走った。
なんといってもトルコは交通の要衝。
現在世界を混乱に導いているシリアやイラクのIS占領地域に近いところで、ヨーロッパに大量流入してきている難民の多くはここを通過してきている。
そのトルコで政変。
原因はいったい何なのか。クーデターが鎮圧された今も原因は未発表だ。
関西空港の出発案内を見てみると今夜のイスタンブール行きを予定通り出発するようなので、きっと街中は普通か、それに近い状態にまで回復しているのだろう。

それにしても今どきのクーデターとは一体なんなのか。
今から30年近く前。
ロシアであったクーデター未遂事件を思い出す。
あの時も大統領だったエリツィンが休暇をとってモスクワを離れていた時に発生して、事件そのものも2つかぐらいでケリが付いたと思う。
解決は今回と同様に軍部の不満分子が行動を起こし、それに対して国民を擁する大統領側が鎮圧したという図式だった。

インターネットが発達して多くの人がメディア以外からも情報を入手できる時代になった現在であればなおさらクーデターは難しいだろう。
軍人の不満なんかに国民が賛同して力を貸すことは考えにくいからだ。
力で抑えようとして国内を掌握しても海外が黙っていない。
国内で展開することは海外でもリアルタイムに把握していくことが可能であり、情報操作によって国民を動かすことなどほとんど無理であるからだ。

最近のクーデターの成功事例は2014年タイのバンコクで発生した陸軍によるクーデターだ。
この時は国会の解散と憲法が停止されたがタイ国内に大きな混乱もなく今日にいたっている。
クーデターはタイの名物と言われるくらい数多く発生しており、私もクーデーターが発生した2006年9月の翌10月にバンコクにでかけたが、それはそれは穏やかな雰囲気で拍子抜けしたことを覚えている。
主要交差点には戦車や装甲車が止まっているところがあるものの幹線道路や高速道路はいつものように渋滞しているし、スクンビット通りに止まっている戦車なんかは俄な観光資源と化していて観光客や地元住民が戦車や兵士と一緒に記念写真を撮影する風景が見られた。
タイの場合、今回のトルコと違ってクーデターといっても実のところクーデターと言い切れないところがある。
といのもタイは国王の下でクーデターを繰り返すだけで現王室を叩き潰して新しい権力者が国王に即位するという乱暴なものではない。
国王の手のひらの上で国民が権力闘争しているに過ぎないのだ。
だからタイ国民としては国父たるプミポン国王があくまでも国を統治しているのだから、それを代行するのが首相であっても将軍であってもあまり変わらないのかも知れない。

ところがトルコの場合、すでに帝政でも王政でもない。
大統領をいただく共和国的イスラム国だ。
従って大統領になにかあって、そこに別の権力者が武力でもって政権を取って代わると大変な事態になるのだ。

今回の原因がロシアとの外交的妥協に対する不満なのか、それともイスラム原理主義に基づく一番考えたくない思想なのか。
大いに気になるところだ。

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最近ちょくちょく名古屋を訪れる。
私の所属している事業部の本部が名古屋になったためで会議や打ち合わせが開催されるたびに名古屋を訪れるのだ。
大阪から名古屋はさして遠くない。
出張扱いにさえならない。
従って手当も出ず、金銭的にはちっとも魅力の無いところなのだ。

しかも、食べ物が大味で関西人の私には合わない。
朝のモーニングセットもなぜ普通に出せないのか大いに謎である。
朝から小倉トーストなるアンパンのトースト版を食べたいとは思えないし、名古屋の事務所の近くにあるパスタ屋では小倉ナポリタンなるものの看板が上がっているが、あれは一体何なのか?
好奇心は誘われるものの、恐ろしもの見たさの感覚は否めない。
名古屋はある意味、すっごく独特の文化を醸し出している。
名古屋国といっても過言ではない、と思う。
大阪国も強烈な個性を持っているが、ここには言葉に出来ないものがあるのだ。

大阪から名古屋への交通手段は大きく分けると2ルートがある。
1つはもちろん新幹線。
新大阪から名古屋はのぞみ号で僅かに50分。
時間的には通勤圏内である。
リニアができると東京から45分なので「名古屋は通勤圏になる、埼玉や千葉と一緒」という名古屋人をよく見かけるが、すでに現在大阪から50分なのに「名古屋は大阪の通勤圏」とは決して言わない。
これが名古屋の中央思考というかタモリの言うところの大いなる田舎なのかも知れない。
うち会社は京都の四条河原町に京都事務所がある。
大阪梅田から阪急電車で河原町まで乗ると約50分。
つまり時間的にはほぼ同じなのだ。
ちなみに京都の人も「大阪は通勤圏内」とは決して言わない。
大阪と一緒にしてもらいたくないのが露骨に現れており関西の2大都市の個性の違いすぎるところがよくでていると言えるだろう。

で、もう一つのルートは近鉄電車。
大阪難波から乗り換えなしで名古屋まで特急が走っており、乗り心地は正直新幹線より良い。
但し時間が2時間2分ほどかかるのでスケジュールに余裕があるときしか使えないのだ。

とはいえ大阪府南部に居を構える私からすると難波から名古屋へ直接移動できる近鉄特急は新大阪までの移動時間が無いのでかなり便利だ。
しかもタイミングさえあえば新幹線での移動との時間差は30分程度なので近鉄特急を利用しようというベクトルが働く。
近鉄特急ならJRでさえ使用できないICOCAやSuicaで大阪から名古屋までの移動でも使用できる。
便利でもある。

この近鉄電車で困ったことがひとつだけある。
それは何かというと近鉄名古屋駅がどこにあるのか名古屋人ではない私にとって非常にわかりにくいことだ。
大阪難波から乗ってくるのは別に構わない。
問題は大阪へ帰るとき。
名古屋駅まで来て近鉄線の看板を頼りに歩いて行くのだが、近鉄電車の駅がなかなか見つからない。
看板通りに名鉄百貨店横のしょぼくれた階段を降りて行くと迷路のようになっており、気がついたら名鉄名古屋駅に出て結局近鉄名古屋駅に辿りつけないことが少なくない。

実は近鉄名古屋駅は名鉄百貨店の地下に埋もれるように設置されている。
名鉄のいやがらせかどうかわからないが、複雑怪奇な地下経路になっており、何も考えずにあるいていると近鉄線ではなく名鉄線にたどり着いてしまい、1時間に1〜2本しかない大阪難波行きの近鉄特急を乗り過ごすることになるのだ。
もしかすると名古屋の私鉄である名鉄とJR東海が結託して関西の私鉄である近鉄を追いやろうとしているのではないか、と勘ぐりたくなる。
一部愛知や三重の地域は近鉄とこの二社は路線競合している。
したがって故意に分からないようにできているのかもしれない。

近鉄名古屋駅。
リニアもいいかもしれないが身近な電車の乗り場をもっとわかりやすくしてもらいたいと思う大阪人からのお願いなのである。
ま、これだけ名古屋のことを書けば、
「だーれが、おみゃーのことなんか聞くもんか」
という声が聞こえてくるかもしれないけど。

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天皇陛下が数年後を目処に退位の意向を伝えられた。
この天皇陛下のご退職に日本中が驚愕している。
私も驚いている。
なんでも現役の天皇陛下が退位するというのは過去200年の無かったことでもちろん現憲法下では初めてのこと。
もし本当に退位されるのであれば憲法の改正を含む講師典範の見直しが必要ということで、もしかするとこれは憲法改正派が2/3を占めた今回の参議員選挙を念頭に置いた陛下からの「憲法を見直しなさい」というご意見ではないかと思っている人もすくなくない。
私もそういう感じがしている。

英国の女王が中国の国家主席ご一行を「なんて下品な人たちでしょう」と聞こえるように言ったのとは方法は違うが似ていなくてもないと思えるのだ。

天皇がご高齢またはご病弱の場合、皇太子を摂政に置くことは一般的だ。
実際に近代においてもご病弱であった大正天皇の晩年、昭和天皇が摂政を務められたことは多くの国民の知るところでもある。
現皇太子殿下はすでの50代後半でもあり、皇太子妃の雅子様も最近は公務にご出席されるようになってきている。
市井の者であれば現役管理職バリバリの年齢でもある。

天皇陛下が多くの病を抱え、高齢で執務も大変ということであれば、人情として国民の側からしても退位のことも考える必要のある時代ではないだろうか。

それに本当の意味として、陛下は皇太子殿下が国の象徴としてちゃんとやっていけるのかどうか、生きているうちに確認しておきたい。
もしかするとそんな意味もあるのではないかと思ったのであった。


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海外を旅すると、親切な人が多いことに驚かさせられる。

ある日のこと、バンコクから日帰りでアユタヤを訪れた。
ホアランポーン駅から早朝の各駅停車に乗ってアユタヤで下車。
とりあえずトゥクトゥクをひろって価格交渉してから遺跡の多い旧市街を回った。
あちらの遺跡、こちらの遺跡と回ってから最後に日本人町跡を訪れたところでトゥクトゥクで下車。

「あとは駅まで歩いて帰るからいいよ。コープクンカップ。」

とタイ語会話のテキストを使いながら下手くそなタイ語で言った。

戦国時代にあったとされる日本人町はアユタヤの旧市街の中でもかなりのはずれにある。
地図で見ていたら駅までさして遠くはないのだが、実際に歩いて戻るとなるとかなりの距離があった。
しかしいつも東南アジアを旅すると日本でのイライラ、ドキドキ、早く早く、といういつも仕事に追いかけられているような感覚が失われ、ゆっくりな足取りながら歩くことが苦にならない。
なぜか言い知れぬ開放感がある。
とはいえそこは熱帯のタイ。
暑さは尋常ではない。
尋常ではないが、尋常ではない灼熱の夏を持つ大阪人の私としては「タイは年中真夏の大阪」という感覚もあり歩けないことはなかった。
でも辛い。
そんななかホンダのスーパーカブに乗った普通の兄ちゃんが私を通り過ぎた瞬間停車した。
振り向いて一言。

「ドコイクの?」

と下手くそな英語で訊ねてきた。
こっちも負けずに下手くそなタイ語で、
「駅まで行く。クンクイーイパイ.....(「私は行きたい」の次に駅という単語が出てこない)....ステーション。」
と答えた。答えたものの、どうするものか少し考えた。
私はてっきり白バイクタクシーかと思っていたのだ。
ところが違った。
「暑いよ」
と言ったのは私ではなくお兄さんであった。
暑いから歩いて駅に行くのは危険だ。だからよかったら乗せてあげる。
というのだ。
私は歩くのはともかく暑いなと思っていたので「ありがたや」と乗せてもらうことにした。
アユタヤ駅でおろしてもらい礼を言ったらお兄さんはにっこり笑ってそのまま立ち去ったのであった。
このような「乗りなよ。送ってあげる」パターンはこの他にもタイのスコタイ遺跡、ベトナムでも体験した。

親切な人のパターンはほかにもある。
タイでもベトナムでもバス停で待っていたら、誰彼なしに話しかけられ、
「あのバスに乗るんですよ!」
と何行きに乗れば良いのか少々不安な私を助けてくれたことも一度や二度ではない。
こういう親切はアジアだけではない。
アメリカ合衆国もまた、そのような親切な人は少なくない。

シカゴの郡役所の近く(ブルースブラザーズのクライマックスに出てくる建物)で道に迷って地球の歩き方を持ってうろついていると、
「大丈夫?こっちが東でこっちが西よ。どこから来たの?ハハハ」
と見ず知らずの黒人のおばちゃんが声をかけてくれて丁寧に教えてくれた。
ロサンゼルスのチャイニーズシアター近くでは白人の初老のおじさんに同じように声をかけられ道を押してもらった経験もある。
但しその時は高校生だったので英語がまったくわからず理解するのにメチャクチャ手間取った。

このように洋の東西を問わず、親切な人はたくさんいるのだが、悲しいことに100人に1人と言っていいかどうかはわからないが、非常に少ない割合で「悪いやつ」がいる。
その悪いやつのために旅は台無しになり、時として犯罪に巻き込まれ命を落とす人もいるのだ。
だから私たちは100人に1人のために防御し、初対面の時として相手を疑ってかからなければならない。

バングラディシュでテロが発生した。
またしてもその国の発展のために尽力している人びとが犠牲になった。
テロリストは100人に1人より少ないに違いない。
それでも一旦事が起こってしまったら人びとはその国に足を運ぶことを躊躇し、或いは忌み嫌うことになるのかも知れない。
たぶん、最貧国のバングラディッシュでも良い人のほうが圧倒的に大いに違いない。
その人達のこと、それを援助しようという人たちのことを考えると、悪人が100人に1人が、10000人に1人になり、やがて天然痘のように撲滅される日が来ることを願ってやまないのであった。


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私はずーっと大手旅行代理店の近畿日本ツーリストの本社は大阪にあると思っていた。
しかし、それは誤りであった。
近畿日本ツーリスト(以下近ツーと略)の本社は東京、つまり東京の会社だった。
さらにまた、私はずーっと近ツーは日本交通公社ことJTBや日本旅行と同じ元々国策的な旅行代理店だと思っていたが、これも誤りであった。
近ツーは終戦直後にたった5人で創業したモーレツ旅行会社日本ツーリストが始まりの1つなのであった。
ちなみに日本旅行もJR西日本の連結子会社なのに本社は東京なのであった。
大阪はなにをやってんねん、と思ったのはいうまでもない。

城山三郎著「臨3311に乗れ」は久々に怒涛のごとく物語に引き込まれるビジネス小説だった。
ただ城山三郎の作品なので書かれたのはもう何十年も前になるのだが、その新鮮さは21世紀の現代で読んでもまったく色褪せることのない素晴らしい内容なのであった。
まず、登場人物の行動力が凄い。
近ツーの前身日本ツーリストを起こした馬場さんという社長は戦前朝鮮銀行に勤めるエリートなのであった。
それが敗戦して帰国の後たまたま得た仕事があまりにつまらないため退社。
「元手がかからない」
という理由だけで日本ツーリストを立ち上げ日本交通公社を筆頭とすり大手旅行代理店を向こうに張って闘いを挑んだ。
その手法が物凄い。
どのくらい凄いかは読んでのお楽しみだが、今の世の中であれば絶対間違いなく「ブラック企業」である。
それも「超」のつくブラック企業なのだ。
「就職したいんです」
とボロ事務所にやってきた京大生にヤクザのごとく「この世界は学歴なんか関係ねえよ」と言って、そのまま即添乗員を命じて修学旅行列車に添乗させる。
そのまま就職。
時代が時代だけに誰も「ブラック企業だ」なんて弱音を吐かなかった時代なのだろう。

もう一人、すごい人。
それは近畿日本鉄道社長の佐伯勇。
この人は伊勢湾台風で甚大な被害を受けた近鉄名古屋線を復旧工事と同時に線路幅を狭軌から大阪線と同じ標準軌に変更工事させて名阪直通特急を走らせるようにしたことで知られる関西では阪急の小林一三と比較してもいいくらいの敏腕社長なのだ。
この二人の勇が出会った時、物語はさらに大きく展開していく。
その流れがワクワク、ドキドキでたまらない。

「臨3311に乗れ」は閉塞感一杯の日本のビジネスマンに大きな力を与えてくれる一冊であることは間違いない。

なお、私は近ツーを利用したことはない。

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