<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





ともかく、一か八かで展望デッキでアントノフの撮影にトライすることに決めた私は展望デッキ5階から遥か彼方の貨物ターミナルに眼を凝らすことにした。
そもそもアントノフがどこに駐機しているのかさえ分からなかったのだ。
友人の連絡によると、アントノフは前日に関空入りしており、この日の午後に離陸する予定であった。
関空のフライト情報を見てもアントノフ飛来は掲載されていない。
しかし出発の方にはロシアのハバロフスク行の貨物便が掲載されており、機種は空白になっていた。
これに違いない。
アントノフであることは伏せられているのか、関空のスケジュールシステムでこの機種の登録がないのか、いかにんせん、かなり隠密的な匂いが立ち込めていたのだ。
ちなみに関空発のアントノフの最終目的地はハバロフスクではなく英国のロンドンなのであった。

5階に到着した私はさっそくアントノフを探した。
拍子抜けしたことに、アントノフは直ぐに見つかったのであった。
ず~と遙か彼方、貨物ターミナルの一番南側。
各社の貨物機がずらっと並ぶ向こう側に、特徴のある、かつ関空では見たこともないヒコーキがずっしりと駐機していたのであった。

しかも、このフライトは隠密ではなかった。
なぜなら、私と似たり寄ったりのヒコーキファンが時間が経過すると共に徐々に集まり始め、かなりの群衆に発展していったからなのであった。
やつらは何処からアントノフの情報を手に入れたのであろうか。
私の友人があちらこちら情報を振りまいているとも考えにくく、ヒコーキファンの臭覚に驚きを隠せない私なのであった。

出発時間が近づいてきた。
やがてアントノフはトーイングカーに押されてタクシーウェイに姿を現し始めた。



ずんぐりしたボディ。
腹の部分にズラッと並んだタイヤの列。
SF映画に登場する母船型飛行艦といった趣だ。
ヒコーキファンもグググググっと、手すりに吸い付けられる。
なお、このアントノフは世界佐大のモデルではなく、1クラス小さなアントノフなのであった。
それでも周囲のB777やB767などと比べても圧倒的な大きさがあり、背中から生えた翼が独特のムードを放っているのであった。

ヒコーキファンたちがアントノフにレンズを向けシャッターを切る。
やがてアントノフはゆっくりと動き始めた。
目の前に迫って来るアントノフを見つめ、私の心はドキドキしてくる。
最近こういうドキドキ感を味わうことが少なくなっているだけに、ドキドキ感にドキドキするくらいだ。
私はあのへんてこりんなヒコーキを間近で目にできるのはなんてラッキーなんだろうと、思っていた。
徐々に近づいてくるアントノフ。
やがてアントノフは私から見て右方向へ進路を変え始めた。
そしてターミナル1の向こう側へ姿を消し始めたのだ。



なんたること!
アントノフはB滑走路から離陸しようとしていたのであった。
アントノフがB滑走路に方向を変えると、私を含めたヒコーキファンたちは磁石に引き付けられる砂鉄のように、ズズズズズっと展望デッキ5階の手すり前を西側に引きつけられて移動したのであった。
恐るべきアントノフの磁力。
とぞのつまり、アントノフは展望台のあるこっち側には来ないのであった。
かの機は、はるか3kmも彼方にあるB滑走路からの離陸なのであった。
他の全ての飛行機がA滑走路から離陸しているので、てっきりアントノフもA滑走路から離陸すると思った私が甘かったわけだ。

よくよく考えてみると、アントノフのようなずんぐりした重いヒコーキの場合、機長が、
「長い方の滑走路から離陸させて」
と管制塔に依頼することは十分に考えられるわけで、関空の場合、B滑走路のほうが4000mで長く、アントノフの機長としてはそちらからの離陸をリクエストするほうが安心で、結果的に承認されたのであろう。



やがてアントノフは遥かターミナル2の向こう側、ピーチのA320が駐機する辺りに再び姿を現すと、ゆっくりとB滑走路の北端に向かって移動していった。
ずんぐりむっくり。
あんなのが空に浮かぶのか。
ロシア魔術の権化なのかもしれないと思わずにはいられない、お世辞にも「美しい」と言えないフォルムのヒコーキだ。
鳥のようなフォルムの最新鋭B787とは対象を成すヒコーキなのかもしれない。
それでも私を含め、展望デッキのヒコーキファンたちは一同ビルの西側に集合し、なんとかレンズを向け頑張っている。
しかし、いかにせん遠いのででっかいアントノフもちっこいのであった。
でっかいのにちっこいのは、どこかで自宅不倫を働いたアイドルタレントの正反対で好感が持てるのは、また別の話。

やがてアントノフは北端に達すると方向を変え、南方向に機首を向け停止した。



その間、A滑走路では次々といろんな会社のヒコーキが離発着していたのであった。
JAL、アリタリア、UPS、フェデックス、ANA、大韓航空などなどなど。
アントノフがいつ走り始めるのか、展望デッキではかたずを飲んで見守っていたのであった。
JALのB737が離陸してからしばらくした後、アントノフがやっとこさ動き始めた。
遠すぎるので残念ながら轟音を聞くことさえ出来ない。
ああ、ターミナル2へ行くべきであった。
しかし、後悔しても仕方がない。
私は知人から借りていた望遠レンズでしっかりアントノフを追い、シャッターを切り続けた。



なかなか浮かない。
アントノフの機長がB滑走路を選んだのは正解かもしれない。
このまま滑走路を突っ切り、そのまま大阪湾に突っ込むのではないか、と思うほどモタモタ走っている。
ほんとにあれはヒコーキなのだろうか。

やがて滑走路が時切れる寸前と思われるターミナル2のはるか向こうでアントノフは「のそ~~~」っと浮かび上がった。
やっとこさ離陸速度に達したようなのだ。
これで大阪湾に突っ込む心配はなさそうだ。

私の周囲でも安堵の吐息が聞こえる。



やがて緩い上昇を続けながらアントノフが南の空に去っていく。
その角度はサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗したアシアナ航空のB777のアプローチ角度の逆を行くような緩やかな上昇だ。



去りゆくアントノフの機影を追いながら、中途半端な撮影になってしまったことをわずかながら後悔した。
しかし、それでも情報をくれた友人には大きく感謝していた。
なんといっても、かなりのストレス発散につながったのだから。

ただし、次回飛来の際は迷うことなくターミナル2で撮影したいと思ったのは言うまでもない。



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関西空港は日本で最初の完全24時間空港で、さらに世界初の海上空港で、滑走路も3500mと4000mの2本がある。
飛行場運営後進国の日本としては至れり尽くせりの飛行場。
ということでここには様々なヒコーキが飛来する。
とりわけ長い滑走路と24時間フル運用可能というところが国内の他の空港にない特徴なので、貨物便の多さではかなりのものがある。
もともと関西は電機メーカーが多く、ヒコーキを使用しての運送ニーズが少なくない。
小さくて付加価値のある製品を運ぶにはヒコーキは適した輸送手段なのだ。
そういうこともあってか昨年、フェデックスがアジアの拠点空港として関西空港を選択した。
計画ではここに巨大ターミナルを建設して2年後にはフェデックスだけで月間300便以上の貨物機が離発着する見通しだという。
他の貨物便を含めると多分月間700便。
まだまだキャパに余裕はあるそうで、そのうち関空は貨物主体の国際空港になるかもしれない。

そんな関空の特徴を活かしてか、貨物専用のヒコーキを目撃することができる。

先日、友人からFacebookメールで、
「アントノフが来るそうです」
との情報が届いた。
アントノフ?
あのロシアのでっかいやつかい?
アントノフは時々自衛隊が海外任務で装甲車などを運ぶのにチャーターしているB747よりも大型のロシア製貨物機である。
そもそも、自衛隊の機材をロシアのヒコーキが運ぶこと自体とっても不思議な感じがして記憶されたヒコーキなのであるが本来はそのずんぐりむっくりした巨大さで、マニア(私はマニアではなくファンです)の注目を集めている機種なのだ。
今回はどんな任務で関空にやってくるのか知らないが、ともかくホンモノのアントノフを拝める機会はめったにない。

とうことで、アントノフの出発日時をもらった私は愛機のNikonを持参して撮影にでかけることにしたのだ、

当日、アントノフの撮影にワクワクしながら阪神高速道路湾岸線を走っている時にふと疑問が生じた。
私はアントノフを関空の展望デッキから撮影することに決めていたのだが、そこのロケーションで果たしていいのだろうか?という疑問が生じたのだ。
というのも、関空には前述の通り滑走路が2本あり、展望デッキは最初にできたA滑走路の北端にある。
ここからだとターミナル1とA滑走路の全貌を見渡すことができ、例えば北から南に向かっての離陸の場合、直ぐ目の前で離陸待機するヒコーキを見ることができるのだ。

しかし、関空にはもう一本滑走路がある。
B滑走路だ。
その滑走路はA滑走路と平行に走っているのだが、ロケーションは3kmほど離れており、当然のことながら展望デッキからは極めて遠い。
望遠鏡がないとよく見えない。
その2本目のB滑走路は、出来たばかりの頃は近くに寄ることができなかったのだが、今は近くにピーチエア専用のターミナル2があり、そのすぐそばにB滑走路を見晴らせる公園ができているという。
だからB滑走路を撮影するのならターミナル2の方へ向かわねばならない。

関空ではA滑走路が主体でB滑走路での離発着は少ないように思うのだが、実際に利用していると、結構な頻度でB滑走路に着陸したり、離陸したりすることがある。
従ってアントノフがA滑走から離陸するのか、B滑走路から離陸するのかは定かではなく、展望デッキで撮影するのか、ターミナル2前から撮影するのかは一か八かの賭けになっていることに気づいた。

「ま、たぶんA滑走路やろな」

とつぶやいて、ふと右手に広がる海の方向を見てみると、ピーチエアの桃色A320がB滑走路に着陸していく光景が目に止まったのであった。

つづく



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現在の科学技術でも天気予想の的中率は極めて低い。
信頼度が確保できるのは今日と明日の二日間だけだと言われているくらいだ。
つまり3日目からはあやふやとなり、一週間予報は不確実。
長期予報はほとんど予言の世界だという。
例えば地球シュミレーターや理化学研究所の京といったスーパーコンピュータを使用して超複雑で膨大なデータを処理させても、長期予報は下駄占いと大して変わらないということになる。
まったくもってカオスの世界は予測しがたい。

一方、天気予報と反対に、めちゃくちゃ的中率の高い予想も世の中にはある。
例えばお隣の国の皆さんの行動だ。

CNNニュースによると、サンフランシスコで発生したアシアナ航空機による事故の被害者83名がボーイング社を相手取って訴訟を起こしたそうな。
なんでも着陸に失敗したのは飛行機の故障した計器のせい。
従って自己の責任はボーイング社にある、という理論だ。

すでに事故発生当時からネット上では、
STEP 1:パイロットはベテランで優秀で、従って操縦が原因ではないと主張
STEP 2:飛行機か気象に異常があったと主張
STEP 3:飛行機が故障
STEP 4:飛行機が悪いと主張
STEP 5:飛行機の故障していた部分を作った日本企業が悪い
STEP 6:だから日本政府が賠償を負うべきだ
という経過を辿るのではないかと囁かれていた。
サンフランシスコの事故は日本のせいだと。

私はその情報を目にして、
「いくらなんでも、そりゃないでしょ」
と思っていたのだ。
でも、事実は予想通りの展開で、飛行機の乗客83名がホントにボーイング社を相手取って訴訟を起こしたのだという。
これはSTEP 4の工程で、このまま放っておくと間違いなく、日本企業のせいになりそうだ。

あな、恐ろしき予想的中率。

83人の困ったさんに世界の注目と軽蔑の眼差しが集まっている。

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明日はいよいよ参院選挙。
各党必死の選挙戦を展開しているが、市民は至ってシラケムードのように思うのだが、気のせいか。

今回の選挙戦での大きな公約に各党とも「脱原発」を掲げている。
危険な原発は不要だ、というごもっともな意見で、できるなら福島県の悲劇は二度と繰り返したくないというのが国民だけでなく全人類の希望だろう。
でも、原発止めて、代わりのエネルギーはどうすんの?と質問したら、これまた各党ともに実情に沿わない、いい加減な意見ばかり。
自然再生エネルギーに変えましょうといったところで、そんなもので必要エネルギー量が足りるはずもなく、具体的政策は適当にごまかされているのが実情だ。

実際のところ、関西電力大飯原発の恩恵にあやかっている大阪府民の私が言うのも憚れるのだが、原発に代わるエネルギー源はそう簡単にないというのが21世紀の初頭の現実ではないだろうか。
なんといっても原発のエネルギーは E=mc2。
この規模で生み出されるエネルギーは原子力以外には実用できていない核融合や反物質エネルギー反応(=SFの世界だけ)ぐらいしくなく、再生エネルギーの水力発電や風力発電で補うにもあまりにも巨大すぎる。

例えば映画「黒部の太陽」で有名な黒四ダム。
富山県の黒部渓谷に建設されている巨大だダムだ。
このダムで生み出される電力は関西に送られているのだが、その出力は約33万キロワット。

対する大飯原発は現在3号機と4号機が稼働中で、その合計出力は約230万キロワット。
黒四ダム7基分のエネルギーを生み出している。

この計算から、
「黒四ダム規模を7基作れば環境対応できるじゃない」
というおめでたいひとが出てくるかもしれない。
そういう人はホントに山本某のようにおめでたい。
だいたいそんなに多く巨大ダムを建設できるはずもない。
黒四規模のダムを7つも作れる場所はほとんどなく、作れたとしても広大なエリアの環境破壊に繋がり、原発を反対するのとほぼ同じ人達がその建設にこれまた反対するに決まっており、現実的ではない。

また風車で発電する風力発電は1基がだいたい2~3000キロワット。
これで原発を補おうとするとそれこそ何百何千という風車が必要になり、そこら中風車だらけになってしまい、風の谷のナウシカのオープニング映像のような光景になり、これまた現実的ではない。

原発廃止に向かうには科学技術と政治力と経済のマネジメントスキルの進歩が不可欠で、それをどのようにどうやって実現するのか具体的プランニングができないようであれば、安易に脱原発を叫ぶのは単純すぎて話にならない。

単に「原発廃止!」と叫んでるだけの政党は、「江戸時代にもどろう!」と叫んでいるのと似たようなものに思えるのだ。
いっそ、自動車電車廃止、駕篭かき復活、大八車OK、仕事は夜明けから日没まで、iPadはそろばんと黒板で十分、そんな生活にしませんか?と言ったほうが危ない人に見えるかもしれないが具体性がある分、支持できるようなきがする。


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プレッシャーに押しつぶされるような毎日からの脱出は旅行が一番効果的だ。
それも海外。
しかも東南アジア。

「東南アジアって、日本と比べるとスローでしょう。細かいところにこだわらないというか、アバウトというか」

というのはある紀行ライターの話。

東南アジアでも今時「のんびり」できるのは田舎にでも行かなければ体験できない。それだけ貴重な環境になりつつある。
紀行家の言うのはある程度当たっていなくもないがホントは競争が激しく、とりわけシンガポールやタイ、ベトナムなんかは向学心も高いし、プレッシャーも少なくない社会だと思う。
でも、日本と比べるとやはりホンワカした部分が少なくなく、日本人の私としてはライターさんの意見に同意するところもなくはない。

最近は海外旅行に出かけるのが難しくなった。
忙しくて時間が取れないのだ。
そういう時は関西空港へ行って、カフェでお茶を飲んだり、ショッピングモールを歩いたりして多少の海外気分を味わうことにしている。
日本で二番目に大きな国際空港だけに、雰囲気は明らかに日常と異なるからだ。

先日ひょうんなことから関西空港の展望デッキを訪れた。
いつもならターミナル1でブラブラするのだが、A滑走路北側にある展望デッキはめったに行かないので、ここぞとばかりにヒコーキ鑑賞をすることにした。
ここの5階、あるいは4階のテラスからは離着陸するヒコーキがよく見えるのだ。

暑い日差しの中、関空を離着陸するヒコーキを眺めていると、実に様々なデザインのヒコーキが離発着していることに改めて気づくことになった。
伊丹や羽田だと、どうしてもJAL、ANAが中心になり、珍しいのはなかなか見ることが出来ない。
尤も、羽田だとたまに政府専用機を見ることができるので、それはそれで価値はある。

で、関空で一番目立つエアラインはやはり話題のピーチエア。
白とピンクを基調とするデザインは緑色の芝生と灰色の滑走路、そして濃い青緑の海の色にものすごく映えるのだ。
関空はLCCが頻繁に飛んでいて、ピーチ以外にJetStarも飛んでいる。
JetStarは便数が少ないながらもダイヤを上手に組んでいるようで、1機が離陸していくと、すぐに次の1機が着陸してくることに気づいた。
なかなかリズミカルだ。



関空は国際空港なので、海外のエアラインも少なくない。
もちろんサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗したあのエアラインも飛んでいる。
安全、危ない、色んなエアラインが飛んでいるのだ。
私が滞在している間にも、アリタリア航空、USエア、チャイナエア、中国東方航空、ANAにJALなど旅客便はもちろんのこと、UPS、Fedex、エバー航空など貨物便もひっきりなしに離発着している。
なかなか楽しい眺めだ。

関空の旅客便は北米路線が少ないのだが、貨物便は大半が北米路線。
貨物になってニューヨークやシカゴへ行ってみたい、と分けの分からない想像をしながら楽しむことができる。

ただ、想像はあくまでも想像でしかないところが辛いところ。
次回訪問のときは、ここにある機内食を食べさせるレストランに行ってみるとストレス改善効果はどれほどあるのか試してみたいと思ったのであった。




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参院選挙が目前に迫っており、ニュースの話題は猛暑の次に参院選挙。
順序が逆ではないかとつくづく思えてならないのだが、どんな悪口をたたこうと自民党の優位が揺るがないのでトピックスとして後回しにしているのかもわかならい。
民主や左派、外国が大好きなマスコミらしいトピックスのとりかただ。とそんな疑惑をいだいてしまう今日このごろだ。

疑惑といえば、テレビの選挙の映像を見ていて感じるのが、
「もしかすると東京大学って推薦入試か一芸入試でもあるんだろうか」
と疑ってしまうことだ。
少なくとも、社民党の福島瑞穂や民主党の鳩山由紀夫の言動を聞いている限り、東京大学はまっとうではない。
少なくとも法学部と工学部の卒業生は。
しかもその不思議度はエジプトのピラミッドの建設方法よりも、ナスカの地上絵よりも、楽天ゴールデンイーグルスのリーグ首位よりも強烈である。

執拗に憲法9条の保護にこだわる福島瑞穂発言。
この発言は、常に国の安全よりも憲法の保護のほうが大切という真逆の状態を創りだしており、そのことに疑問を感じないで、「ワタは憲法9条を守ります。」と演説している姿はすでに可哀想なビョーキの様相を呈している。
驚いたことに、この人の党はこの人だけではなく、皆が皆ビョーキであるところに不憫さを感じてしまう。
例えば、
「日本が武装するから中国が威嚇するんだ」
というような発言をする仲間がいる。
つまり、
「家には鍵をかけるから泥棒が入るんだ」
という理論を展開するのわからないお友達がいるのだ。
「子どもたちを戦場に送るな」
という主張も彼らにはリアリティがあり、私たちにはまったくもって無いところから妄想癖もあるのではないか、とさらに同情心をさそってしまうから恐ろしい。
この恐ろしい発言を展開しているのが東大法学部卒なのであった。

そして、変質的に中国の代弁を続ける元総理。
鳩山由紀夫。
この人はすでに目からしてイッちゃっている表情をしており、もしかすると隔離・保護が必要なのではないかというほどの狂気を帯びている。
少なくとも「座敷牢」は必要かもしれない。
大阪や東京の老舗はもともと男の子には跡目を継がさず、娘に優秀な養子をもらって、その養子さんに店の経営を引き継がせるのだという。
もし、息子がでしゃばってくると「座敷牢」に放り込んでいたのだという。
そういう意味ではブリジストン社には鳩山由紀夫用に、是非とも座敷牢を設けていただきたいと思うところだ。
で、この鳩山由紀夫が東京大学工学部卒。

勉強さえ出来れば東大に入れるということでもないと思うのだが、こういう人たちが東大OBということは、もしかすると東京大学には闇で推薦入学でも存在するのかと想像してしまうのは私だけだろか。

題して、赤い疑惑ならない、赤門の疑惑。

ちなみに堀江隆信、江副浩正、加藤紘一、豊田亨も東大卒なのであった。

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遠い昔。
子供の頃の思い出。

子供の頃、私は公団住宅に住んでいた。
間取りは六畳間、四畳半、三畳の板の間、そしてキッチン、風呂、トイレ。
このうちの三畳の板の間をサラリーマンを辞めて起業したばかりの父が事務所に使っていたことがあった。
私は幼稚園に入るかはいらないかというような年齢の時で詳細は覚えていないのだが、ねずみ色の事務机と黒い電話が置かれていた。
実際にそこで父が仕事をしていたという記憶はないのだが、色んな人が訪れていたことは本人から聞くまでもなく母の証言からも伺える。

その訪問者で最も困ったのは「ヤクザ」だったという。
辞めた会社の顧客を父がとったとかで、その会社の部長級のオッサンがヤクザを連れて我が家に文句を言いにきたことがあったのだという。
さすがの母もこれには恐れをなしたようで、
「こわかったよ」
と今でも時々話しをするのだが、私の父は今もそうだが法学部出身者らしく法律知識を駆使してヤクザもろとも追い払ってしまったという。
実際に法律を盾に脅したのかどうかは分からないが、金でケジメを付けたのかも知れず、結果的に愛結したということは、父の度胸は大したものであった今になってよくわかるエピソードである。
で、その時の私はといえば、母に抱きついて離れなかったのだという。
子供心にも怖かったに違いない。

私の父は大学出のくせに若いころは喧嘩っ早く、私が生まれる前はヤクザを殴りつけて警察沙汰になり、本人が学生時代インターンでお世話になっていた弁護士の先生にお世話になり大目玉を食らうこともあったらしい。
先生は後に首相になった岸信介と同窓で、先生自身は大阪弁護士会の会長もやったことのあるエライ人だったのだが、面倒を見ていた学生、つまり私の父はヤンチャで結構手を焼いたのではないかと思える。
この弁護士の先生は私の名付け親でもあるところを見ると、父は生涯頭のあがらなかったのは祖父とこの先生だけだったようだ。
頭は悪くないくせに、喧嘩早い父はそれはそれで昭和30年代を生きる若き男としてはなかなか面白いところもあったのだろう。
男というものはエピソードがないよりも有る方が、なんとなく良いように思えるのは私だけではあるまい。

そういう意味において、シンガーソングライターで作家のさだまさしのお父さんも結構面白い人だったようだ。

小説「かすていら」は著者のさだまさし自身が危篤の父を見舞いつつ往時を思い出す、私小説なのだが、これが実に面白い。
父の死に直面しながら悲壮感は一切無く、父と息子の男としての生き方が著されていて、なんとも清々しい気持ちになるのだ。

無論さだまさしのお父さんも普通の人ではなかった。
生い立ちそのものが劇的でさえ有る。
ヤクザとの格闘と親交。
悪徳不動産屋との駆け引き。
破産。
引越し。
雲隠れ。
などなど、波乱に富んでいる。
これがあの「親父の一番長い日」の親父のモデルかと思うと笑えてくるのだ。

ハチャメチャな親父とそれを支える母、長男である著者と弟、妹の家族。
そしてこの家族をとりまく知人や友人が実に素晴らしく、実に人間味が溢れている。

「かすていら」は甘く奥行きと厚みのある暖かな人間模様を描いた傑作な物語だと思った。
さだまさしの歌のように涙と笑いが溢れているのだから。




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東京へ向かって関西空港を離陸した飛行機は大阪湾上空で旋回しながら上昇し、再び関空上空に達した頃に東に進路を向ける。
天気が良ければA席からは大阪平野の北半分が臨まれ、K席からは和泉山脈から紀の川、紀伊半島が一望できる。
なかなか結構な眺めなのだ。
ちょうどこの頃、シートベルト着用のサインが消えて、

「電波を発信しない電子デバイスはご利用になれます」

というアナウンスが流される。

この時、A席に座っている場合、私はデジカメを取り出して仁徳天皇陵を始めとする百舌鳥古墳群や大阪市内の高層ビルがニョキニョキ立ち並ぶ光景を撮影する。
これが結構楽しい。
とりわけ眼下に広がる堺市北部は私の生まれ育ったところでもあるので、

「お、うちの中学校が見える」
「実家のマンションや」
「大和川が流れてる」
「金岡公園、プールに行ったな」

と何度飛んでも感慨ひとしおである。

先月の出張の時、この窓から八尾空港が見えた。
橋下徹大阪市長の「オスプレイを八尾空港に」の発言で注目を浴びていた頃で「とりあえず写真でも撮っておくか」とパシャッとやったのが最初の一枚だ。

八尾空港。
その存在を知らない人は大阪府民にも少なくない。
とりわけ若い人の中には知らない人が多いようで、
「八尾空港?なにそれ」
と言った感じだ。
ところが年配者には八尾空港はおなじみで、その存在感は小さくない。

定期便のないコミューター空港としては日本最大の八尾空港の歴史はかなり古い。
そもそも大阪には20年前に開港した関空を除いて空港が3つあった。
1つは大阪国際空港、2つめは八尾空港、3つめは今はなき靭飛行場。
靭飛行場は大阪市内のどまんなかで、今は靭公園に整備されている場所だ。
大阪空港はともかく、八尾空港は戦前も戦後もかなりの規模で使用されてきているようで、戦中はもちろん軍用飛行場として機能していたことは言うまでもない。

オスプレイを八尾空港にという「橋下流の問題定義」で目くじら立てて文句をいう必要はないけれども、その意義は本来の八尾空港のポジションとしてある意味的を射ているといえるかもしれない。
というのも、八尾空港はそもそも国の守りをというコンセプトで作られたという。
そのプロデューサーは日本財団の創設者笹川良一。
笹川良一は戦前から硬派な保守として知られており、その眼力は対立するものを恐れさせたという実力者だった。
「人類はみな兄弟」
「一日一善」
などのキャッチフレーズと高見山を使った親しげなCMを記憶されている人も多いに違いない。
私も子供心に良いCMだな、と思ったものだった。
その根底に流れていたのは、伝統を重んじ日本文化をしっかりと守ろうとする当時の日本船舶振興会、現日本財団の精神があったのだと思う。
その超保守的思想の笹川良一は若い時に実家の資産を使って八尾空港をつかって国を守るべき次世代の若者のために航空学校を設立。
以後、この空港は笹川良一の政治力で廃港、接収を押さえつけ今日に至っているという。

ところで、オスプレイの問題討論はいつもその「安全性」に目が向けられ批判にさらされている。
私も安全性と言う面では民間機に比べるといささか「?」だ。
でも、オスプレイを議論するときに避けてはいけないのは「防衛問題」。
オスプレイはヘリコプターと飛行機の両方の特徴を有していて、局地的な紛争対応に最も適した航空機であることは間違いない。
そしてその配備の目的は尖閣諸島への対応だ。

マスコミや左派政党がオスプレイ配備に反対するとき、あえて安全面しか討議しないのは、この尖閣問題に触れるからに違いない。
マスコミには中国や韓国の親派が少なくなくないからだろうか。
だから当たり前の国造りの議論も避けようとするし、それを唱える人を潰そうとする。
つまらない揚げ足をとって民衆を煽ろうとするのだ。
第一次安倍内閣のときの安倍晋三首相がそうだった。
橋本徹の慰安婦発言もその1つ。
どれもこれも都合のいいように編集して反保守主義を叩こうとする。

かくして、橋本徹大阪市長のオスプレイ誘致発言は、八尾空港の新しい使い方を見出したというところで笹川良一の提示したコンセプトに叶うのかもわからない。
つまり、国の守りを考えるという、討議のネタを提供して政治への関心を高めさせているのだから。


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出張で飛行機をよく利用する。
亭亭の行き先は東京なのでB777-200というケースが多いのだが、スターフライヤーや中途半端な時間に利用するとA320とかB737-800なんて機種になって、
「なんとなく狭いな」
と、若干の居住性の不満足を感じる。
小さな飛行機のどうにもならないマイナス要素だ。

これがさらに仙台出張や福岡出張、松山出張になるとさらに小さな機種が飛んでいて、時に不安感満載のボンバルディアのプロペラ機なんてことも少なくない。

50人から100人乗りの飛行機に乗るとつくづく感じるのは、
「早くMRJが飛ばないかな」
という欲求だ。
小さな飛行機はボーイングやエアバスにはラインナップがなく、カナダやブラジルの飛行機メーカーとしては中小メーカーの機種であることが多く、信頼度でやはり不安がある。
そこへ行くとMRJなら安心だ。
なんといっても三菱製の純国産。
世界最先端で品質ナンバーワンの我が日本の会社が作った飛行機ともなれば安心感抜群だ。
だからはやく就航しないものか首を長くしてまうというわけだ。

ここのところ日本の航空機産業はかつての輝きを取り戻しつつある。
まだまだ戦前の栄華ではないが、それに近いものがあるのではないかと思えてならない。
そもそも日本の技術が無ければB777もB787もA380も作れないくらい、その存在感は大きい。
これまでパーツメーカーとしての航空機産業だったものが、MRJの登場で完成品を作れる国になる。
しかもMRJだけではなく、例えば本田技研のホンダジェット、川崎重工のUS-2など個性豊かなラインナップが揃っている。

さらに頼もしいのは受注数が多いことだそうで、ホンダジェットもMRJも100機以上の大量受注を抱えている。
US-2は軍用機なので少々ややこしいけれども、市販すれば世界最高性能の飛行艇だけに、これまた諸島地域を抱える国からの注文が相次ぐであろうこと間違いない。

自動車や電気製品、鉄道技術で培った日本品質が航空機でも発揮される時代になっているのだ。

で、何が言いたいかというと中国や韓国への輸出だ。
このMRJやホンダジェットがこれらの国に売り渡されるなんて聞いたことはないが、万が一にも売り渡したら、何をするのか想像できないだけに空恐ろしいものがある。
アシアナ航空機事故を見ても他人のせいにするのは明らかだ。
事故が起きたら日本のせい。
外観だけコピーしては「我が国のヒコーキ」といってみたり「我が方のほうが先に作った。日本は真似ただけ」などと言い出しかねない。
日本の技術が辱められるのは明らかで、
「なんであんなところに売ったのよ」
と後悔しても後の祭り。
気がついたら暴動が発生して日本企業の工場や商店が略奪に遭っている、という絵柄まで想像できてしまう。

ということで、MRJの輸出は禁止!
但し対象は中国と韓国、北朝鮮。
つくづく隣人がろくでもないのが日本の不幸だ。

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えーっと。
ここまで来ると正気の沙汰とは思えないのがサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗したアシアナ航空。
その言い訳と責任転嫁が世界の注目を集めておいるが、ついに着陸の150秒前に「白いきらめきが見えた」と言い始めたらしい。

スピルバーグの名作「未知との遭遇」の初めの方のシーンで航空管制官が飛行機と交信するところがある。
「凄いぞ、なにか光った」
「TWA○○便、何か見えるのか」
「凄く輝いて並んで飛んでいる。あああああ、こちらに向かって飛んでくる」
無線ノイズ発生。
「あぶね~野郎だ」
「TWA○○便。UFOとの遭遇を報告するか?」
「........いや......やめておこう」
てな感じで。

同じように件のアシアナ航空のパイロットも米国事故調査団に、
「着陸直前にきらめきが見えて、何も見えなくなった」
と言っているそうな。


米国の調査チームが、
「UFOを見たのか?報告するか?」
と聞いたかどうかは確かではない。


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