<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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年齢的に無理だったのか、日頃の運動不足が祟ったのか、はたまた自転車の性能なのか。
先日のとある休日のこと。
折りたたみ自転車で和泉山脈の山越えにトライしてみた。
大阪府和泉市から和歌山県紀の川市に抜けようと思ったのだ。
紀の川市に出たら後はJR和歌山線の適当な駅に出て、橋本経由で南海高野線で自宅に戻ってこようという算段だったのだが、読みは甘かった。
とてもじゃないが3段変速の折りたたみ自転車では峠越えはかなり困難だったのだ。

そもそも自宅から走り始めてすぐに「これは重いかも知れない」と感じたのだが、それは非常に正しい感覚なのであった。

私の折りたたみ自転車は自転車量販店で売っている2万円程度のものではない。
折りたたみなのにメチャ重い、というような安直なものではない。
ちゃんとした有名メーカーの製品で専門雑誌にも「街走りにはピッタリ」との高い評価を受けている人気折りたたみ自転車だ。
その重量、わずか7.9kg。
輪行を目的に購入したので電車への持ち込みや手運びで楽であることに重点をおいて買い求めた一台なのであった。
私は買ってからずっとこの自転車で和泉山脈を超えて和歌山へ周り電車で帰ってくることを一つの計画として持ってた。
それを今回実行しようとしたに過ぎないのだが、やはり「街走りにはピッタリ」の自転車。
予想以上に登り坂に適しておらず、
「こりゃ足が持たんわい」
ということになって途中棄権。
体よく言えば勇気をもって引き返したのだった。

そもそも昨年末に購入してほとんど乗らずに合計50kmほどしか走ったことがなかったのにも問題があったのかも知れない。

トライした道は旧国道480号線。
数年前に和泉山脈を貫くトンネルが完成して旧道は車が走らない道になっている。
そのためサイクルリングにはもってこいだと思っていたのだ。
大阪といってもこのあたりは木々が生い茂り、少し離れればブナの原生林もあるようなところで、今の季節紅葉が美しい。
和歌山側は柿のシーズンだが、他にはイチジクや桃なども有名でなかなか食欲を誘う地域でもある。
歴史的には和歌山側には世界で初めて麻酔手術を実行した華岡青洲の旧宅もあり、観光するにも悪くない。

そんなことを思いながら峠を目指したのだが、この旧480号線は結構な山道なのであった。
実は山を登る前にその麓である大阪府和泉市父鬼地区に到達した時点でヘトヘトになりつつあった。
ここは折りたたみ自転車で走れるような道ではないということを、出発前に認識すべきだったのだ。
父鬼に至る坂道を登ってきたところでスマホで道のことを再度調べてみると、
「ヒルクライムで有名なルート」
とある。
なんと、ここの道はロードレースでも坂道を激走するヒルクライムでポピュラーなルートととなっていたのだ。
どおりで途中多くのロードバイクと遭遇したものだ。

麓ととの標高差は600m。
適度にきついその傾斜はレースにはもってこいというわけだ。
でも「街走りにピッタリ」の折り畳み自転車ではそうは行かなかった。

登りでびっしょりと汗をかき、下り坂を走ると晩秋の冷気が汗を冷却。
着替えも持参すべきな山登りなのであった。





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嘉門達夫の歌で「丸美屋の三色パックの謎」という歌がある。
もう30年以上前の歌になるのだが、この歌を思い出してしまう芸能ニュースが発生。
久々に口づさんでしまたのであった。

丸美屋の三色パックとは3種類のフリカケが一つの容器に入った3色ボールペンみたいなフリカケで、その内訳は「のりたま」「たらこ」「ごま塩」だ。
このうち「のりたま」「たらこ」は人気があってすぐに無くなってしまい、最後に「ごま塩」だけが残る。
この3つあるのに「ごま塩」だけが残ることを歌詞にしており、その締めくくりは「どこかのよっちゃんじゃないの〜♪」という内容なのだ。

これは当時人気アイドルだった「たのきんトリオ」を皮肉ったもので田原俊彦、近藤真彦は超人気だが野村義男はどうなのよ、ということが歌われていたわけだ。

歳月は流れて30年以上。

田原俊彦はしばらく姿を消していたがここ数年CMやバラエティで少しづつ復活を見ているものの往年ほどの活躍ではない。
ジャニーズ事務所の重鎮として収まっていた近藤真彦。
今回彼も週刊文春のスクープで不倫が露呈して芸能活動を休止することになった。

で、よくよく眺めると残る野村義男が最も幅広い活躍を遂げていたことに気づいてびっくりすることになった。
アイドルとしては他の二人の足元に及ぶことはなかったがギタリスト、プロデューサーとして大活躍していたのだ。
私はこのことをちっとも知らなかったが、人生というのは予測できないものだと思った。
コツコツ努力するものが報われる。

丸美屋の三色パックを見るときっとこのことを思い出すことになるだろうな、と思う今週のニュースなのであった。


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「こんなはずじゃなかった、って言って退学していく奴が多いんだよね」
と言っていたのは大学の同窓会でお会いした某映画関係の先生だった。

私の母校、大阪芸術大学は私学の芸大では国内で最も規模が大きく生徒の質も千差万別であることが知られている。
千差万別。
どういうことかというと人数が多いだけにピンからキリまでの人材が集結しており一種のパラダイス感があるのだ。
すぐにでも業界の最前線で第一級の仕事ができそうな学生から、幼稚園児の描くような出来損ないの図画工作しかできないような学生まで質、量とものバラエティーに富んでいる。
卒業生も人間国宝を頂点に浮浪者まで幅広い。
私のように職をいくつも変わってきて安定しているのかしていないのかわからないような人間はどちらかというと詰まらない部類に入る卒業生だろう。

「〇〇くん、確か弟子入りが決まったわよ」
とか、
「〇〇さんは留学ね」
というようなことを学生課で耳にしたのは就職活動に汲々としていた4回生の秋の終わりのころ。
うちの大学は留学はともかく弟子入りなんてのがあるのか、と呆然と聞いていたことを今も鮮明に覚えている。
ともかく他大学というか他の普通の大学に通っている友人に聞くのとは大きく異なっていた。
だいたい他大学の友達が盛んに話している「リクルート」なんか関係がなかった。

こういうことはレベルの如何ともし難い関西私学の芸大だからなのか。
大阪でも南河内郡河南町の一山越えれば奈良県というギリギリのところにある大学だからなのか大いに悩んだものであった。
結局私も普通の就職をすることなく卒業日を迎えた。
入社する会社も決まっていなかった。
試験を受けた会社もたった4社で全部メディア製作関係の会社で東京と大阪のそれぞれ2社の小規模プロダクションから「うち来る?」と言われたが給料を聞いて恐れをなし、まずは自由人として生きることを決心した社会人スタートであった。
もちろん社会人といっても作品作りをメインに据えていたので、世間が言うところのまともな社会人であるはずがなかった。

二宮敦人著「最後の秘境 東京藝大」を書店で発見した時、
「国内芸大の最高峰、東京藝大はどんな大学なんだ?これは是非とも読んでみたい」
と即買い求めた。
そして読んでみてアッ!と驚いた。
なんと、芸大最高峰といえども芸大は芸大。
学生の進路は我が私学の大阪芸大と対して変わらないことが判明した。
というか芸大に行くような若者は「フツウ」の者ではないこともよくわかったのであった。

驚いたのは一般言われる就職する学生が東京藝大の場合は10%しかいないことであった。
他の多くは大学院への進学や留学、アーティストとしての独自路線への踏み出しなどで、驚愕するのは卒業後約半数の学生は進路不明で行方不明者も半端ではないとうことなのであった。
中退者も少なくない。
入学しても何をスべきかを考えるのは学生であり教員ではない。
教員とてどう教えれば良いのかわからないという。
なんといっても芸術はそれぞれの受け止め方や感性が大きく影響する。
だから目標を強く持って熱意がないことには学生は務まらない。
私の大学の場合は学生数が多いことと私学ということもあって目標を見つけられなくても適当に課題作品に取り組んでいれば卒業はできる。
でも中途半端にアートを目指していたりすると冒頭のように「こんなはずじゃなかった」となり退学していくことになるのだ。
あまりの共通点の多さに愕然とするとともに芸術を学ぶというのは、同じなのだと大きく共感もし、大学生活の恐ろしさを再認識したのだった。

思えば毎年何百人もがアートを目指し芸大の門戸を叩く。
けれども売れるアーティストになるためには半端な努力だけではだめで、生涯を賭した情熱と半端ではない幸運がなければいかんともしがたいものがある。
国家公務員になるよりも司法試験に受かるよりも、ずっとずうっと難しい世界なのだ。
だからフツウの考えで入学してもいかんともしがたいものがあるのだろう。
本書にも記されているが「高い成績を取ったものが芸術家として成功するとは限らない」というのは真実だ。
このことは他の一般大学卒業者とは大きく異なる部分で、大学では最低の成績を取っていたものであっても卒業してからメキメキ頭角を表し世界のアートシーンを構成する一人になるものも少なくない世界だ。
むしろストレートに前に進む人のほうが少ないくらいで、大学は一つのきっかけ、人生経験の場でしかないのかもしれない。

そこでふと思ったのが、大学は就職するためのプロセスの一つでは本来ないということ。
日本の大学では3回生から就活を始めて卒業と同時に一斉に企業や官公庁で働き始める。
ベルトコンベアに乗っかった人生のようで楽なのかも知れないが、とってもつまらないと思えて仕方がない。
大学というところは就職活動をするところではなく自分の学びたいことを究めるところであって職業安定所ではないわけだ。
そういう意味では東京藝大は素晴らしい大学だと言えるかも知れないし、私の卒業した奇人変人大集合の大阪芸大もそうかも知れない。

30年前。
卒業を前にして私も多くを悩んだ。
なんでフツウに就職しなかったのか。
またそうしたくなかったのか。

「最後の秘境東京藝大」は素晴らしい一冊なのであった。



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武漢ウィルス禍のために公共交通機関の経営状態が非常に良くないというニュースが流れている。
新幹線や航空機などの長距離路線は言うに及ばず近距離の通勤路線でも状況は変わらない。
実際に電車に乗ってみるとラッシュ時でも少しは空きがあったりしてこれまでになかったことを体験しているわけで、地方だけではなく首都圏や京阪神の鉄道会社が苦労するとは神様仏様もご存知なかったことなのであろう。

そんな非常な時なのでこんな切符も発売されているのだろうな、と思われるのが近鉄電車で販売されている「近鉄電車3日間乗り放題切符」なのだろう。

もともと近鉄のトクトク切符では土日を含めて前後金曜か月曜を併せて3日間フリーチケットというのが発売されていた。
「週末フリーきっぷ」というのがそれで販売額は4200円。
私は一度これを近所の近ツーで購入して利用したことがあった。
たまたま名古屋での仕事が金曜日に入ったので名古屋往復に利用したわけだが、普通に切符を買うより600円ほど特になり、かつもう翌日とか翌々日に奈良とかに出かけることができるので「こりゃ得だわい」と思ったものであった。

今回発売されていた「近鉄電車各駅3日間全線フリー切符」は週末に関わらずいつでも3日間連続で使用できるスグレモノで、価格はなんと3000円。
特急券を買い求めると特急を利用することも可能なのだ。
私は今回もこれで名古屋での仕事の往復に利用したのが、なんと1800円ほどのお得になってしまったのだ!
難波〜名古屋往復の特急券を含めても往復7千円ほどなので新幹線の片道運賃に近くお得感は小さくなかった。

サービスとして発売期間限定の商品のようなのだが、正直にいってずっと販売し続けて欲しい切符でもある。
なんといっても近鉄電車は観光地が多い。
奈良、飛鳥、吉野、富田林、京都、宇治、松阪、お伊勢さん、長島、名古屋などなど。
関西と中京圏を結ぶ大動脈であるだけに3000円で3日間。これだけの地域を思う存分見て回れる機会はなかなかない。

今月もあと一回は名古屋に行かなければならないので多分、この切符を利用するであろう。

なお、駅ファミでペットボトルのお茶も1本貰えるのだ!


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ラーメン屋というのは何故にこんなに自己主張が強いのか。
例えば、
「京都〇〇通りで生まれて30年...」
とか、
「福岡の〇〇ラーメンを食べて衝撃をうけ、豚骨を極めるべく...」
とか、
「お釣りのないように厳守してください...」
とか、
「ちゃんと並ぶべし。自転車を入り口に置かないこと」
とか、
言ってみれば「それがどうしたんだ」という自己欺瞞や「客を客とも思わない」ぞんざいな発言をするところが少なくないように思う。
実際はどうかは知らないが、総主張する文章を大きくかげたり、入り口にダンボール製プレートに寺西化学工業製マジックで中学生のような汚い字で大書きしたりしているところを見ると、どうもいい感じがしないということも正直な感想である。

先日名古屋で入ったラーメン屋もそんな店の一つだった。
名古屋ではそこそこ著名なチェーン店のようだがメニューの横のご託がなかなかであった。
要約すると、
「この店の創業者は、九州のあるラーメンを食べて感動をした。あまりに感動をしたものだからそれを名古屋で再現しようと切磋琢磨した。それでもなかなか実現できなかったので修行の旅に出て自分の味を見出し、ついにこの店を開いたのだ〜」
みたいなことが書かれていた。
だから、
「うちのラーメンは美味いのだ!」
という論理なのであろう。
大変疲れる一文ではあった。

そういうこともあって名古屋の一等地に構えるその店には行列ができている。
この日、私は開店時間早々ということもあり並ばずに入ることができた。
もちろんこの店をターゲットにして立ち寄ったのではなく、昼前ということもあり単に腹が減っていたのでたまたまこの店に入ったのだ。
で、オーダーを選ぼうとするとメニューのヨコに目に飛び込んできたのは件の「主要趣意書」あるいは「創業者の苦労物語」なのであった。

目の前に文章があると無意識に読んでしまう活字中毒一歩手前の私なので当然この宣誓文書を読むことになってしまった。
で、読んで抱いた最初の感想は、
「.........ほんで、美味しいんやろな!」
ということであった。
クダクダ屁理屈を述べる前に味で勝負いただきたいと思った。
こういう苦労話や御託を色々並べる飲食店に美味いところがあるとは思えないからだ。

私はベーシックなスープの煮玉子入りラーメンとランチタイムのサービスである唐揚げセットを注文。
暫し待つこと運ばれてきたラーメンは九州ラーメン独特の白いスープでそこそこ美味そうであった。
ただ、丼の中央に渦巻状の鳴門かまぼこが1枚配置されているのが印象的なのであった。
鳴門かまぼこは直径2センチほど。
いかにも小さい。
しかもかなりの薄切りで歯ごたえはなさそう。
かまぼこのサイズに少々失望しながらスープをレンゲで掬って飲んでみると、これが美味い!
豚骨の出汁がよくできていて口に含んだ瞬間に「美味い!」と思える出来栄えなのであった。
流石に厳しい修行の旅の後に獲得したスープ。
創業者がそれを自慢するだけの価値のある素晴らしいものなのであった。

ところが、ランチサービスの唐揚げを食べてその印象は一変。

名古屋は手羽先が有名なように唐揚げも美味いことが多い。
しかしこの店の唐揚げはサイズが大きくビックリさせることを除くと、あまり良くなかったのだ。
良くないというより残念な出来栄えなのであった。

唐揚げそのものは一般的な唐揚げの倍サイズはある。
見た目は美味そうだが、実際に食べてみると「なんじゃこりゃ?」という代物なのであった。
唐揚げの上には何やらソースのようなものがかかっていたのだが、これが甘い。
ヒジョーに甘い。
唐揚げというどちらかというと塩味の大切なものに甘い汁をかけてどうするんだ。
私はこの残念な仕打ちに暫し呆然とした。
そして口直しに美味かったスープを口に含むと、愕然。
食べ合わせが悪いのかスープが美味いと感じなくなってしまっていたのだ。
「クドい」
という味に変化してしまっていたのだった。

塩辛いはずの唐揚げが甘い。
ナポリタンスパゲティの上に粒あんをドサッと乗っけて食べるこの地の文化は知っていたけれども手羽先の美味しい文化を持ちながらこの唐揚げはないやろうというものなのであった。

確かに主張の強い味ではある。
とかく名古屋は関西とも関東とも違う不思議な食文化が存在する。
しかし御託を並べて主張する前に普通のラーメンを食べさせていただきたいのであった。
独自の薀蓄を展開するのはその次で良いではないか。
ラーメン屋の味に妙な解説や御託は必要ないと感じた昼前のひとときなのであった。

帰宅してチキンラーメンで口直ししたのは言うまでもない。


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ニッポン放送のラジオ番組「辛坊治郎のそこまで言うか」は私のお気に入りのラジオ番組。
もちろん大阪に住んでいる私はラジオではなくPodCastで聞いているのだが、これが面白い。
東京のローカル番組なのに話している内容は大阪と一緒。
歯に衣着せないそのおしゃべりは是非とも普通に大阪でも放送していただきたいくらいなのだ。

たとえば。
「日本学術会議の人事に首相が口をはさむのは当然。だって公務員なんだから。選ばなかった理由も言う必要ない」
とはっきり言うし、
「朝日で記事を書くと自分の思想に反しないギリギリのところでやないといけないのでものすごく大変」
などと、大阪の読売テレビで放送している「たかじんのそこまで言って委員会」のラジオ版の趣さえある。

この辛口番組で今週ゲストが面白いことを言っていた。

「バイデン氏がトランプ大統領を破ったら、大阪駅周辺が盛り上がるそうですよ」
「なんでなの?」
「バイデンだから=ばいでん=梅田でしょ」
「ははは」

アホらしいけどオバマ大統領が就任したとき福井県小浜市が盛り上がった。
だからバイデン大統領になったら大阪梅田が盛り上がる?

阪急、阪神、大丸、ルクア、ホワイティうめだでバーゲンするか、ちょっと見ものだ。


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最近のワイドショーを見ているとお笑い芸人が出演して政治経済にコメントを発していることが常になってきた。
ある者は司会まで務めている。

で、その特徴は「面白くないこと」と。

毎日司会を務める某お笑い芸人は、
「選挙で選ばれたという理由だけで議員が色々と政策や方針を決めてもいいんでしょうか」
と言う始末。
民主主義のシステムもわからないとは「嗤わせる」のだ。

このような「嗤わせる」お笑い芸人は、よくよく考えてみると何が面白かったのか皆目わからない人たちが多い。
お笑い芸人であれば是非とも「笑わせて」いただきたいところだ。


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大阪都構想がまたもや僅差で否決された。
地元大阪をこよなく愛する私としては非常に残念な結果になってしまい悔しい気分で今週はスタートした。
大阪が変わらないと日本が変わらないというくらいに今回の選挙は重要だったのだが、維新は好きだが都構想はね、という人が結構存在していたのと、ややこしいカルト政党に頼った部分があるのを大いに悔やむところだ。

ま、そのうち議会で大阪市廃止が決議される日が来ることであろう。

一方、この都構想と同等かそれ以上に注目されているのが米国大統領選挙。
トランプ大統領再選されるか、バイデン氏が勝利するのか。
目を離せない状況になっている。
どちらかというと日本のためならトランプ大統領の方が良いと思う。
これはトランプ大統領と安倍晋三前首相が仲良しだからというのではなく、共和党のほうが民主党よりも日本には良いということ。

なぜなら民主党は伝統的に反日政党で、第二次大戦開戦時の大統領ルーズベルトは民主党、貿易摩擦が問題になった1980年前後のカーター大統領は民主党、日本企業が訴訟で虐めらまくった頃の大統領が変態ビル・クリントン。
まったくもってよろしくない。

にもかかわらず、日本のメディアではバイデン氏に期待しているコメントが多く「本気かいな」と思うことも少なくない。
それが証拠にトランプ大統領は呼び捨てで、バイデン氏はさん付け。
「トランプに、バイデンさん、どっちが勝つんでしょうかね」
てな具合に。

で、肝心のアメリカはというと民主党、共和党の論戦がただの罵り合いになっていることに憂鬱になっている米国人も少なくないらしく、

「共和党にも民主党にも投票したくない」
という人がかなりの数に登るのだとか。

「大統領選挙? 究極の選択だね」

と道行くアメリカ人のコメントがすべてを表しているようにも感じられる。
ま、他所の国の大統領選挙ではありますが。


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