<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



その昔、「私の愛読誌は文藝春秋社の『諸君!』です。」と言っただけで、
「あ、この人はウヨクだな」
なんてことを言われた時代があったりして、一介の中堅企業のサラリーマンである私はほとほと呆れ返ったことがある。
じゃ、「私の愛読誌は朝日新聞社の『朝日ジャーナル』です。」と言った方が良かったのかというと、しれはそれで問題になってしまうわけだ。
なぜなら、
「あ、この人はサヨクだな」
と単純にいわれてしまい、それはそれで困ったことになる。

かように、我が日本においては、「右左」の区別を付けたがる癖があり、ハタハタ迷惑すること仕切りである。
幸いなことに保守系雑誌の先陣「諸君!」も、革新系雑誌の代表であった「朝日ジャーナル」も今はない。
朝日はベルリンの壁といい勝負でこの世から消え去り、諸君も休刊から一年が経過した。

朝日ジャーナルを愛読していたのは、中に掲載されていた手塚治虫のコミックが目当てだった。
「グリンコ」という長編だったが、連載途中に手塚先生が死去してしまい未完のままで現在に至っている。
一方、諸君!は何が目当てだったかと言うと、冒頭のコラム「紳士と淑女」が毎号の楽しみで買い求めていたのだった。

この「紳士と淑女」は匿名ライターによって執筆されいていたが、その中身は超辛口で新聞や一般雑誌でもなかなか言えない、または言わないことをズケズケと発言し、その一本筋の通った痛快さに毎回魅了されていたのであった。
連載が終了したときに、つまり最終号で著者の名前が明らかになった。
その名前を聞いてびっくりした。というのもなんと論客として著名なジャーナリストの徳岡孝夫氏なのであった。

元毎日新聞の記者。
三島由紀夫から絶大な信頼を得ていた新聞記者。
アルビン・トフラーの「第三の波」の翻訳や米国の実業家アイアコッカなどの著作の翻訳を行う一方、「妻の肖像」のような繊細な作品や「ニュースを疑え」のようなマスメディア批判の著者としても知られている。

文春新書「完本。紳士と淑女」はその徳岡孝夫氏が20年に渡り執筆してきた同コーナーからの抜粋で、政治から経済、果ては阪神タイガースの話題まで、厳選された痛快コラムが収録されている。

安全保障論議もせずに、やれ基地移設は海外にとか、そんなこと書いたら大臣を辞任するとか、わけの分からない論争が続く今日の日本。
「ベイエリアに米軍を誘致してカジノも開けば経済が潤う」と言論魔球を投げてくる商都の知事がまともに感じられる今日の日本。

最初から最後まで、読んでるうちに胸のつかえが取れてくる。
そんなカラッとした痛快コラムはなかなかない。

~文春新書「完本。紳士と淑女」

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首都圏を走るJR京葉線が全盛開通から今年で20年を迎えるそうな。

出張で東京を訪問した時、駅のポスターを見て隔世の感を覚えたのは言うまでもない。

この20周年に合わせたいつくつかのイベントも企画されているようだ。
が、その前に一言述べねばなるまい。

その1)風が吹けば京葉線が止る

京葉線は東京湾に一番近い臨海部を走っており、海からの風をモロに受けている。
このため台風が近づいたり、少しばかり春一番のように強風が吹き荒れると、すぐに止ってしまう。
正直言って困ってしまう路線なのだ。
数年前に台風の影響で京葉線前線が運休してしまい、潮見のお客様を訪問することができない、という困った事態が発生したことがある。
ちなみに東海道新幹線は走っており、潮見には行けないが、大阪へな帰れるという、不思議な現象が発生したことは今も重いでとして私の脳裏に刻みつけられている。

その2)本数が少ない

首都圏を走る鉄道にも関わらず、デイタイムの運行本数が少ない。
たびたび私は仕事の関係で東京ビッグサイトを訪れるのだが、京葉線の本数が少なく、かつ臨海線との乗り継ぎが悪いため、ついつい大崎経由で都内に帰ることになってしまっている。

その3)キャラクターオタクが多い

これが京葉線の最大の欠点なのだが、沿線に日本で最も人気のあるテーマパークを抱えるため、そのパークのキャラクターを彩ったお土産や衣類を着込んだ、キャラクターオタクが大勢乗り込んでいることがあり、独特の雰囲気を醸し出していることがある。
正直、タイガースの勝利試合の後、阪神甲子園駅から乗り込む梅田行き臨時列車のほうが、まだマトモではないか、と思えるくらい、異様な雰囲気の乗客が少なくない。
こっちは仕事で乗車して真剣な考え事をしているときがあったりするので、ちゃらちゃらしたデカイ紙袋を持って親子でウロウロするのは止めていただきたいと思うことしきりではある。

などなど。

記念イベントを開催するよりも、まともな路線になっていただきたいと思う、関西人からのお願いなのであった。


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(写真:今は懐かしい、平和な頃のバンコク。MBKショッピングセンター)

ことさら正義を声高に叫ぶ人々ほど不誠実でかつ、危険な人々はいないから注意が必要だ。

タイのバンコクを中心に武装して暴れまわり、まるで戦争の跡のように都市を破壊した人たちは、もともと「民主主義」と「正義」を叫ぶ人々だった。
この民主主義を叫ぶ人たちはクーデターで倒されたタクシン元首相を支持。
1997年の通貨危機からタイを救った経済面での救世主を信奉する、一見すると「善良な市民」のような感じの人々だが、事実はわずかな日給と用意された三度の食事に群がった烏合の衆。
しかも、ちょっとばかり質の悪い、という冠のつく人々だった。

彼らは時代遅れの軍事クーデターに抗議をする形で運動を開始。
最初は穏やかな運動だったのかも知れないが、昨年あたりから行動がエスカレート。
一時、バンコク新国際空港(スワンナプーム空港)を占拠して運行を妨害。
旅行や仕事でタイを訪れていた人ばかりではなく、世界中の人々を乗り継ぎ不能で混乱に陥れた。

それでもその時は死者はでなかった。
端的に言うと、空港が閉鎖されて経済的打撃を受けただけ。誰かが再起不能になるなんてことにはほとんどならなかった。

でも今回は違った。
ショッピングセンターが略奪され、焼き討ちされ、銃や手榴弾、挙句の果てはロケット砲まで使用されて多くの人々の生命が奪われた。
大勢の人々が店ごと焼かれて財産を失った。
さらに多くの人々が職を失った。

私が初めてバンコクで寿司を食べた伊勢丹と棟続きのショッピングセンターは何時間も燃え続けて焼け崩れた。
ここはワートレと呼ばれるバンコクのワールドトレードセンターだが、これではまるで9.11ニューヨークのワールドトレードセンターだ。
で、思い出の「わさび別出し」のにぎり寿司の思い出も終わってしまった。

インターネットの情報によると旧そごう百貨店だったショッピングセンターでは50人以上もの死者と300人以上の負傷者が確認されたという。
数年前、南バスターミナルから都心に向かう乗合バスへ乗ろうとして足を踏み外し、思いっきり脛をぶつけてケガをした時、絆創膏を買ったのは、そのショッピングセンター2階にあった薬局だった。
あの店は無事なのだろうか。

もともとバンコクでの爆弾騒ぎなんてのはミャンマーの反政府主義者が隣の国で注目を集めるために「ドンッ!」とやる。
それぐらいしか見られなかった。
こちらの独立主義者の人たちも「正義」を叫ぶ人たちだが、ミャンマー国内では乗合バスを襲って乗客を殺害するわ、麻薬の取引はするわ、で赤シャツ軍団と似たり寄ったり。
マスコミは何が「正しいのか」わかっていないのが実情だ。

東南アジアの人たちは普段大人しいが怒ると烈火の如く。
収拾がつかなくなる。
2年前のミャンマーのデモ。
4年前のインドネシアの華僑排除騒ぎ。
30年前のカンボジアの紅いクメール。
40年前のベトナム南北戦争。

かといって、それがいつまでも尾ひれがついて、例えば日本の謝罪外交みたいに切りがなく続くということは、まずない。
いたって蛋白なところもこの地域の特長だと思う。

ということで、一日も早く、元の微笑のワンダーランド「タイランド」に戻って欲しい。と、ここのところブログも書けないで超多忙で仕事のストレスが貯まりにたまった私は思うのであった。
ああ、ホアヒン・ビーチに行きたい......。

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予告「SF番組○○ー○○○○のDictionaryを出版します。乞うご期待!」

と、あるテレビ番組のDictionaryの作成を宣言したのは今から30年前。
学生時代のクラブ活動のひとつだった。
というか、クラブメンバーをつなぎ止めておくための宣伝だった。

それでそのDictionaryはと言うと、未だに一行も書かれておらず、当然完成の目処はまったくない。

自分で辞書を作る。
例えば、自分で仕事のデータベースをファイルメーカーを使って作っている人がどれくらい存在しているのか。
少なくとも私の職場にはファイルメーカーはおろか、他のデータベースソフトはもとよりカードを使って仕事に関わる事柄を分類整理している人は見たことが無い。
きっと他の職場や、他の会社も同じだろう。

データを集めて有用に活用するためのツールとして事典がある。
最近はWikipediaが最もポピュラーな辞書だけれども、Wikipediaの問題は、その内容を検証し、保証する機関がまったく存在しないということ。
もし内容を保証して、きっちり管理するのなら無料の辞書は成り立たないかも分からない。
それほど辞書や事典の製作は費用と時間を必要とする。

サイモン・ウェンチェスター著「博士と狂人」は世界で最も権威ある英語辞書オックスフォード大英語事典の製作に関するノンフィクションだ。

「博士と狂人」といういささか普通ではないタイトルを見て思わず書棚に手を伸ばして購入したのだが、これが凄い。
一人は語意の収集に協力した一人の元エリートで精神病刑務所に収監されている殺人犯罪者。
そしてもう一人はオックスフォード大学で恵まれた条件ではないにも関わらず全勢力を傾注して編集に取り組む責任者。
本書は事典の編集を追いながら、この二人の人生を描き出している。
その描写のスリリングなこと。
冒頭から最終まで、読者はこの異常な世界に魅了されるのだ。

二人のうちの、もっともスポットライトが当てられているのは「狂人」であるマイナー博士だ。
妄想症のために殺人事件を犯してから、ほぼ全人生を精神病院で過ごすわけだが、その生活そのものが、もしかすると今の私たちにとって博士と自分たちの人生は紙一重の違いでしかないのではないか、と考えさせるものがある。
病院は現代の社会そのもので、私たちはある種の社会的義務感という檻に入れられ、外に出ることができない。
社会という病院は私たちに閉塞感を与えるが、もし、やり甲斐のある「何か」を見つけることができれば自らが病院=社会に監禁されていることを忘れ、それに打ち込むことができる。
しかし、ある者は耐えきれず、自らを死に至らしめたりする。

編集に要された70年という途方もない時間のなか、オックスフォードの大英語辞典にはそんな秘められたエピソードが隠されていたのだ。

~「博士と狂人」サイモン・ウェンチェスター著 早川文庫~


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大阪や東京の旅行代理店の前を通るとバンコクへのパックツアーの販売が続けられており、ある意味、騒乱なんてどこ吹く風。

聞くところによるとバンコクの中心部にある百貨店の伊勢丹はずっと臨時休業したままだそうだから、普通の状態でないことはまちがいない。
普通ではない新たな証拠がまたひとつ。
ついに日本大使館の前にあるルンピニー公園横のラーマ4世通りでタクシン派の軍人が射殺された。
おかげで日本大使館は臨時休館しているのだという。

正直、これはバンコクツアーなどやっている場合じゃないように思う。

ラーマ4世通りの下には地下鉄が走っていて、私も何回か利用したことがある。
シーロム駅でMTSと乗り換えができるし、終点はバンコク中央駅なのでとっても便利な路線なのだ。
最寄りのルンビニー駅で下車して地上に出るとルンビニーナイトバザールが毎夜開かれていてパッポンのようないかがわしさの無い中で、安心して買い物ができたりなんかした。
バザール内にあるフードコート兼ライブ会場では音楽を楽しみながら、ガイヤン齧ってビールが飲める。

そんな平和な場所の近くで狙撃事件。

日本大使館の休館は「邦人旅行者のごたごたに付き合いたくない」というのが理由じゃないことは、間違いない。

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新聞報道によると1日に始まった上海EXPOは当初の予想に反して入場者が伸び悩み、その数目標の半分なのだという。

中国の人々も相次ぐ盗作騒ぎに嫌気が刺したに違いない。

なんでも人気なのは日本館とサウジアラビア館なんだそうで、もしかすると反日教育や反日でもは表向きの行事で、こころの中では中国人は日本のことが好きなのかも分からない。
事実、上海にも香港にいる哈日族のような人たちが多数存在し、日夜、日の出ずる国のポップカルチャーの魅力にどっぷりはまり、その結果が日本館来場者数ナンバーワンにつながっているのではないだろうか......。
というような考え方はきっと大甘に違いない。

さて、上海万博を機に、中国人の価値観も変わる可能性が出てきた。
もし万博の入場者数が少ないということの原因が、前述しているとおりの「盗作騒ぎ」にあるのならの話。

なんといっても中国のクリエイターは芸術家はもとより実業家にいたるまで他人のモノを盗んでコピーすることに,なんの罪悪感ももちあせていない。
古くはHONGDAなどというふざけたブランドのバイクを製造販売していたのをはじめ、今では一時的な合弁会社で蓄積した技術を、契約解消後故意に利用し、オリジナル商品そのものを作るコピーを遥かに超越した製品を全世界に供給しているという現実がある。

また盗作をせずとも誤魔化しなど当たり前。
あのチャン・イーモウ監督でさえ北京五輪の演出では年端もいかぬ少女に口パクを強いたのだから、価値観がどうのという問題ではないと思う。

しかし、もっとネガティブにとればこういう考え方もできるかも。

上海万博は模倣力が足りず、しかも開幕前にネタがバレてしまうヘタを打った。
どうせ真似るならあの「偽ドラえもん」に「偽キティーちゃん」そして「偽ミッキーマウス」が同居していたテーマパークくらい徹底していたら受けたのかも。
しかも中国人だけではなく、お調子者の日本人にも。

今回は万博だからパリ万博や大阪万博などのパビリオンや出し物を片っぱしから模倣すれば、入場者数はどどッと増えたかもわからない。
エッフェル塔もどき、
太陽の塔もどき、
月の石もどき、
などなど。

上海万博は盗作万博。
入場者を増やすためには開き直りが必要かもわからない。


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神戸市立博物館で5月30日まで開催中の「トリノ・エジプト展」を訪れてきた。
結果から言って「エジプト文明は凄い!」ということと「なかなか訪れることのできないエジプトが向こうから来てくれた!」という感動がある。
それに何よりも「そこそこレベルの混雑で待ち時間無し」が私を感動させてくれたのであった。

数カ月前に私は家族と共に京都市立美術館で開催されていたルーブル美術館展に出かけた。
無謀にもマイカーで出かけたのであった。
この時、まず岡崎公園の駐車場に入るのに30分強も待たされた上、美術館に入館するため2時間も行列を作って待たされたのだ。
この意味は大きい。
平日は定額料金の岡崎公園の市営駐車場も土日は時間課金制で時間が経過するに従ってタクシーメーターよろしく駐車料金が上がっていく。
美術館に入館する前から課金され続け、非常に非リーズナブルな駐車場で金を浪費したのであった。

この経験を考慮して私は人気があるだろうと思われる「エジプト展」は朝一番、行列を作ってもすぐに入館できるよう心して出かけたのであった。

そのかい合って駐車しようと目星をつけていた博物館隣のLLビーンに隣接する駐車場はガラガラ。
博物館前の列も、わずか10mほどなのであった。
ちなみに私の娘はLLビーンのことを「ヨレヨレビーン」と呼ぶ。
これは私がLLビーンを愛用していることにかこつけての嫌がらせである。
今回も駐車してLLビーン前を通る時に「あ、ヨレヨレビーン」とデカイ声を叫び、私に恥をかかせてくれたのであった。

恥、といえば開館するまでの10分少し、娘は不意に私に質問をして来たのだ。
「トリノって何処?」
迂闊にも私は「トリノ・エジプト展」の「エジプト」に気を取られてしまっており、トリノがどこなのか思い出せなかった。
いや、思い出したのだが、そこは米国オハイオ州のトリノであって、エジプトもんのコレクションを持っているトリノではない。
ちなみに展示中に説明文にあったメンフィスというエジプトの街を読んで米国テキサス州メンフィスしか思い浮かばなかった私はC&Wオタクではない。

で、日頃「地理ぐらいちゃんと勉強しなさい。愛媛県の県庁所在地はどこ?」などと説教ぶっている私が知らないのは洒落にならない。
そこで、
「たぶん、エジプトのどこかだと思う」
と答えておいた。
当然といえば当然ながら間違いはすぐにバレた。
入り口の挨拶文に記載されていた「イタリア・トリノ」という文字を見て、「イタリアやん」と突っ込まれたのだった。
「トリノ」はオハイオ州トリノではなく、イタリアのトリノ。あのオリンピックを開催したトリノだったのだ。
なお「愛媛県の県庁所在地は?」の問に対する我が娘の答えは「ん~~~~~、愛媛市?」なのであった。
さらに「愛知県の県庁所在地は?」の問は、読者諸氏の期待通り「ん~~~~~~、愛知市?」なのであった。
「あほ、名古屋じゃ」「な~ご~や~。……、そうそう、名古屋や。名古屋やと思ったけど黙っててん。」
なんじゃそれは。

肝心の展示はというと度肝を抜かれる美しさなのであった。
3000年も前に作られた彫像や棺桶、石碑がまるで最近彫り込まれ、描かれたように精密で繊細で高技術で見とれてしまうこと暫しだった。
まさか土産物を掴まされて展示しているのではないだろう。
それでは「開運!なんでも鑑定団」でずっこけるマヌケな依頼者ではないか。
この土産物ではないか、と思えるほど完全な「古代の創作物」が並べられているその光景は、まさに憧れのエジプトなのであった。
なんといっても「箒」でさえ出土物に関わらず美しいと感じさせるものを持っていた。
箒の刷毛を縛るその編み方は繊細ですらある。
家の近所のDIYで1本198円で売られている中国製の竹箒など話にならない。

私はこういう考古関係の展示会で最も好きなものは「生活臭のある」展示会だ。
古代のことなのに、現代のように人々の息遣いが感じられる、そういう展示会が大好きだ。
これまでは京都国立博物館で開催された平城京展が最も「生活臭」を感じさせる展示会だったが、今回のエジプト展もそういう生活臭を平城京展ほどではないものの、感じさせる素晴らしい展示会であった。

神戸の街で体験できる格安、そして良質のエジプト旅行なのであった。



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大好きだった二人のベテラン個性俳優が相次いで死去した。

映画やテレビドラマでは主演のスター俳優はもちろん欠かすことのできない要素だが、この人が脇役にいるからこそ物語が引き締まる、という俳優はある意味主演俳優よりも大切なときがある。
そういう意味では北林谷栄と佐藤慶というベテラン個性派俳優は「出演すると物語が引き締まる」役者だったことは間違いない。

両者とも主演をはる役者ではない。
かと言って誰でも良いと言う役を演ずるような役者でもない。むしろこの人だからこそピッタリとマッチするという役柄が多かったのではないだろうか。

残念ながら私はそんなに古い日本映画やテレビドラマは知らないのだが、例えば北林谷栄の出演した映画で最も印象に残っているのは岡本喜八監督の「大誘拐」(1991年東宝)。
警察役の緒形拳を煙に巻く絶妙な演技は忘れることができないし、NHK水曜時代劇「腕におぼえあり」(92年)の主人公青江又八郎の母役も「本当にこういう母が小藩のお武家にはいたに違いない」と思わせるものがあった。
鬼平犯科帳に登場した「お熊」役もどうに入っていて中村吉右衛門との掛け合いが面白かった。

この人が脇役で出演しているのを発見すると、なんとなく見てしまう。
そんな役者であったと記憶している。

佐藤慶は容姿よりも、もしかすると声の魅力の割合が大きな俳優だったかもしれない。
NHKの大河ドラマにも度々登場し、そのドラマの重厚さを増させる雰囲気を持っていた。
一旦佐藤慶がセリフを話しだすと、その場の雰囲気が冷たく重い、緊張した雰囲気が漂うのだ。
このためドキュメンタリー番組のナレーションや吹き替えにも登場することが多く、例えば「東京裁判」(83年東宝)では、その難しいテーマを淡々と語っていたのが印象に残っている。
この重厚な声を逆手にとったのがNHKドラマ「國語元年」と三谷幸喜脚本の舞台劇「君となら」だ。

「國語元年」では元南部藩下級藩士だった強盗の男を演じた。
井上ひさしの方言を使った代表作といってもいい「國語元年」で、その難しい南部訛りを巧みに操りドラマに緊張と笑いを漂わせるのもまた魅力だった。
さらに、「君となら」では斉藤由貴演じる若いムスメの老いた婚約者として登場したのだが、いつものような重厚さがやたら真面目に感じられられ、物語の可笑しさを増幅させていた。

ともかくまたもや、良い役者さんを失ってしまった個性俳優好きの私は、ただただ、悲しい。

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GW、盆休み、そして年末年始に四国へ行くならフェリーが最高!

大阪から四国への自動車での旅行は土日祝祭日の割引料金が続く高速道路を使うのが一般的だ。
なんといっても中国池田ICから高知や松山まで走っても片道4000円を切る激安価格。
ガソリン代を入れても8000円程度だから、複数人での旅行は絶対にマイカーが便利でお得だ。

真面目にやってるJRやバス会社が文句を付けるのも頷ける。
なんといっても高速料金は税金使って値下げしてるんだからアンフェアなことこのうえない。

そんなアンフェアでも便利な高速道路も「渋滞」だけは避けて通ることのできないデメリットで、高速料金が安ければ安いほど通行量が増えるので渋滞も深刻化する。
サービスエリアの駐車場やトイレの混雑も問題だ。

渋滞といえば大阪から四国の場合、中国道宝塚や神戸、明石海峡大橋、倉敷ジャンクションなどで混雑する。
最悪の場合、大阪府を出るだけで2時間以上かかってしまうこともあったりする。
目的地に着いたら運転手のお父さんはふらふら。
ぐっすり寝ていたお母さんや子供たちは元気一杯。
日頃、必死に働いている一家の大黒柱にしてみては、なにか釈然としない休日になっていしまう。

そこへいくと、カーフェリーは別の意味で便利な存在だ。
乗り込んでしまえば運転する面倒から開放されるばかりか、食事はいつでも、トイレもいつでも、潮風に吹かれながらぼんやり風景を眺めるもよし、読書するのもよし、居眠りするのもおつなもの。
渋滞がないからダイヤ通りに目的地に着き、現地での時間も有効に活用できる。

素晴らしき船の旅。
とりわけ関西から四国に向かうフェリーは瀬戸内の美しい景色を愛でることができるうえ、大きく揺れる心配もないから快適だ。

ただし.........連休シーズンの難民船状態を我慢できるのであれば。


今回私は神戸と高松を結んでいるジャンボフェリーを利用した。
時間通りの運行とその便利さ、高速料金と大きな差の無いリーズナブルな船賃が魅力的で、とりわけ深夜便を利用すると寝ている間に四国に着く。
そんなフェリーを使えば快適に違いないと信じて数日前に予約を入れて意気揚々とマイカーに家族を乗せて乗船することにしたのだった。

高速道路の1000円制度に大打撃を受けている船会社の支援にもなるだろう。
海の男達の助けになれば、それもまたよし。
きっと高速道路の安料金制度のため利用客は閑散とし、自動車もまばら。
定期的に利用しているトラックが数台とまっているだけ。
カーペットの客室ではゴロンと横になり、広々と寝られるはずだ。
と私は勝手に思っていたのだった。

ところが阪神高速道路湾岸線からハーバーウェイを経由して三宮で下り、フェリーの埠頭に到着してみれば、乗船を待っている自動車の多さと、100メートル近くも列を作って待っている乗客の多さに吃驚してしまったのであった。
その規模半端ではない。
乗船後のジャンボフェリー約3500トンの大型船は難民船と化してしまっていたのであった。

座席は足りない。
ゆったいりと背筋を伸ばすはずだったカーペット敷きの客席も満員。
通路やデッキ、階段にと、あらゆるところに乗客があふれ返る。
ある者は慣れているのか折りたたみイスを持ち込み、またある者はキャンプ用のシートを敷き、またある者は巨人戦に勝利した我がタイガースの記事の掲載されているスポーツ新聞に包まっている。
みんな体育座りの体勢や居眠りの体勢でうずくまっているのだった。

「昔のベトナム難民て、こんなんやってん」

どさくさにまぎれて何を小学生の娘に教えているんだ、我が嫁さんは、と思っていたら、

「ふ~~ん。難民船って何?」

と娘。

平和な日本ではある。

結局座る場所さえ無い私たちは自分の車の中で到着まで過ごすことにした。
狭いセダンの車の中で仮眠をとるのは久しぶりだ。

「地震の時、神戸の人はこうやって車の中で過ごしたんや」

とは、さすがに教えることはできなかった。
危うく難民と被災民を一緒に教えそうになった。

それでも渋滞と違っていつでも車外にでることはできるし、トイレも自由。
売店は終夜営業しているのでコーヒーでも買いたいな、と思ったらいつでも買うことができる。
そしてなによりも夜の海から眺める本州,四国をはじめ淡路島,小豆島の街灯りが美しい。

フェリーの旅は最高!
ただし、短時間の擬似難民生活の覚悟は必要だ。




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アイスランドの火山の噴火騒動から二週間が経過した。
たぶん、足止めを食らっていた人たちも無事帰国。
飛行機の運航も正常通りになっていることだろう。

ところで、このアイスランドの火山。
テレビのニュースで報道される時、「アイスランドの火山」とのみ表現されて名前がなかなか呼ばれない。
世界を混乱に陥れられるような火山なのだから例えば、
セント・ヘレンズ山
や、
ピナツボ山、
有珠山、
雲仙岳
どんな山にも名前がある。
だから名前が呼ばれないのは、何か放送できない理由でもあるのかと思っていた。
差別用語が使われているとか、お○○こ、のようにお下劣な言葉なのか、それとも放送局の主義主張に合致しない言葉なのかと思っていたのだ。

ところが昨日、このアイスランドの火山には名前がないことを初めてイギリス人の英語の先生から聞いてがく然とした。

「あの山の名前ってなんていうんでしょうね」
「あ、名前がないんですよ、あの山」
「?????」
「ただ単に、火山」
「??????????」
「あえて呼べば、地域の名前ってニュースで言ってましたけど、誰もちゃんと呼べない名前。難しすぎて。」
「え~~~~~!」
(以上のオリジナル会話は英語)

名前の無い山、なんて初めてなのであった。
しかもあえて呼ぶ地域の名前は「Eyjafjallajokull」。
「エヤリフェラオクル?」

ドラクエの呪文か、これは。

アナウンサーでさえマトモに発音できる人は皆無だそうで、結果として世界中で「アイスランドの火山」と呼ばれているとか。
最近は火星の山でも名前がついているのに、珍しい。

なお、情報によると今回爆発した火山の隣にさらに大きな火山が噴火直前なのだという。
ヨーロッパへの旅は足止め覚悟で。

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