<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地




iTunesミュージックストアがオープンしたとき、
「確かにこれからの音楽の販売方法はこうなるのかも知れないが....」
とは思ったものの、CDという「物」も無ければ、ジャケットもない。
だから「こんなの製品?」という商品のカタチに違和感を覚えた。
実物がなくてデータだけの買い物なんて、さほど魅力を感じなかったのだ。

私の場合、今でもiTunesミュージックストアで購入する楽曲は少ない。
購入する楽曲のだいたいはCD化されていない作品か、ダウンロード製品がアマゾンや店舗で買うよりも大幅に安価な場合に限られている。
すでにLPで持っている作品のCDバージョンへの買い替えといった場合は、まずアマゾンか大阪市内や東京都内の大型店で探してから、どうしても見つからない場合に限ってネットで購入するようにしている。

どうしても実物を買いたいと思ってしまうのは、「商品は実態があるべきだ」という習慣からか、または「どうしても「手元に置きたい』」という物理的理由からだろう。
たぶん、世代的にネットのデータだけを「商品」と認めたくない何かがあるのかもわからない。

このiTunesミュージックストアの製品数は約200万曲。
アマゾンドットコムで約10万。
大型スーパーのCDコーナーでの品数は、わずか4500なのだという。
しかし、驚くなかれiTunesの200万曲のうち1度でも売れたことのある楽曲は全体の98%。
つまり、全く売れない商品はわずか2%なのだという。

以上は米国の例だが、これには正直驚いた。

クリス・アンダーソン著「ロングテール(アップデート版)・売れない商品を宝の山に変える新戦略」(ハヤカワ新書)は、これまではまったく価値を持っていなかった商品がインターネットとそれをつかった高度な検索機能により、市場の新たな製品として注目をあつめるようになってきていることが述べている。
商品価値のなかったものが、商品価値を持ち始めているというのだ。

これまでなら上位10位だとか100位の中に入った商品を店頭に並べることが「品揃え」だった。
限られた店内の陳列棚で販売できる製品の種類と数には限界があり、そういう商環境の中では、必然的に顧客から支持率の高い製品を置かざるを得ない状況に置かれるのだ。
売れる商品を置かなければ、棚単位面積当たりの販売額も低くなるし、経営が立ち行かなる。

しかし、店舗は必要なく在庫は全国でった一箇所でOK、デリバリーは小口運送を使用してダイレクトに顧客の自宅まで配達してしまう、場合によっては商品は倉庫すら必要のないデータというカタチで存在できるので、サーバーがあれば十分。いわば無限倉庫から販売し、運賃さえかからない販売形式が誕生したことで、従来のアイテム制限の呪縛が外れたのだ。

アマゾンやiTMSはその代表例だ。

このため今では上位100位の売上よりも、下位200万位までのトータルのほうが売上が多い、という時代を迎えている。
従来は顧客が販売側のスタンスに合わせていたのが、顧客が自分のスタンスにあった製品を自由に、そして簡単に、しかも安価に求めることができるようになったのだ。

驚くべきは、販売方法に新時代を迎えているのが楽曲ビジネスだけではなく、テレビやラジオといったメディアもネットの動画やPodCastのようなインターネットラジオにその主役の座を奪われようとしているというのだ。
いや、主役の座を奪われると書くと、「ロングテール」で謳われている内容と異なってしまう。
つまり、すべてのメディアが個々人の嗜好の主役となり、数多くの選択肢から自分にあった、自分の欲しいコンテンツを自由に選択できることが可能な時代になっているのだ。

確かに、地上波放送を見なくても不自由はしなくなった。
CS、BS、インターネットなどなど。
選択の幅は無限である。
YouTubeの動画も地上波の番組も消費者にとって価値は変わらない。
提供されるメディアが違うだけだ。

今話題のテレビのドラマやヒット曲が会社やお客さん、友人間の話題にのぼることはほとんど無くなってしまったのだ。
「ロングテール」では、このような現象を「井戸端会議の話題にあがらなくなった」と表現しているが、まさにそのとおりの様相だ。
もしかすると日本相撲狂協会が恐れる最大の点は、相撲ファンの趣向の多様化による「飽き」なのではないかとも思えるようになった。
インチキをするスポーツを見るくらいなら、他のスポーツを自分の自由時間に見ている方がよほどエキサイティングで面白いからだ。

ロングテールの理論を当てはめると、ネットビジネスの成功の秘密だけではなく、今起こりつつ各方面の様々な変化や事象が理解できるのかもわからない。

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やっぱり民主党政府というのは、現実と頭の中身が乖離しているようだ。

「西日本への旅行を呼びかけた政府を群馬県知事が批判」
読売新聞ネット版によると、夏の電力不足を軽減するために、民主党政府は「旅行をするなら西日本」という方針を打ち出したのだという。

まったくもって、アホとしか言いようが無い。
菅直人、あんたの政府はJR西日本の駅アナウンスレベルか。

震災発生後、当たり前だが東北地方および北関東への観光客が激減している。
これも報道によると日光東照宮を訪れた観光客は3月はたったの5000人。
これは通常の十分の一以下ということで、日光の観光業に従事している人たちは悲鳴を上げているのだという。
それもこれも地震と原発事故が原因だが、それにしても、人が来なくて困っているところに、それをなんとかしなければならない政府が、

「節電のために、旅行は西日本へ」

というのは、理解不能の愚策である。

政府として、観光旅行のために何をやるべきかというと、ここなら安全ですよ、とか、東北地方の旅行へはこのルートを通ると便利です、というような、経済を少しでも下支えするような施策であって、妨害することではない。
西日本の大阪に住んでいる私が言うのだから、間違いないが、関西では東北地方や北関東地方は普段でも観光では縁の少ないところで、とりわけ北関東は何があるのかさえ知らない人が多い。

たとえば宇都宮と聞いて「餃子」が出てくればましな方で、宇都宮が栃木にあるのか群馬になるのか茨城にあるのか知らない人もいる。
白虎隊は知っているけれど会津若松はどこなのか知らない人。
藤沢周平の小説に出てくる海坂藩が山形県に実在すると思っている人。
男鹿半島をオジカ半島と読む人。
などなど。
それほどに、関西人や九州人にとって東北・北関東は移動に時間のかかる場所なのだ。

運賃も安くない。
例えば、大阪から福島や秋田へ飛行機で往復すると割引運賃で5万円から6万円もかかる。
大阪から5万円出すと通常の格安航空券で香港、台湾はもちろんのこと、バンコク、シンガポール、ハワイ、グァムなんかも行けてしまえる金額だ。

航空各社も今回の震災で利用者激減という甚大な被害を受けているのだから、この際政府は東北地方への旅行は往復2万円均一。
茨城空港なら1万円均一。
航空会社へは期限付きの助成制度。

ぐらいできないものか。

そう、政府はむしろ、こういう関西人や九州人にこそ東北・北関東へ足を向けてもらえるように努力すべきところを反対のことをやっては話にならない。
これで経済活性化なんてできるはずも無い。

もうここまでくれば立派な人災だ。

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「節電、節電」で最も目につくのがコンビニやファストフード店の看板消灯。

「確かこの辺にコンビニがあったのにな」

と夜の街中を歩いていたら、看板のライトが消され、店の中の蛍光灯だけが煌煌と灯っているコンビニエンスストアを見つけたりする。
改めて今は普通の時じゃないんだな、と思う顕著な習慣だ。

でも、これが関東ならよくわかるのだが、この新しくできた看板消灯の珍けな習慣は、どういうわけか私が住む関西地方でも行われている。

関西地方は、というか静岡県の真ん中から西側では地震よる電力ダメージを全く受けておらず、それに伴う節電をする必要がまったくない。

取引先の関西電力さんのある担当の人との雑談で、

「節電ですか? しなくても大丈夫。電力にはゆとりがありますから。だいたい関東へは余った電力送りたくても設備が無いから送れないんです。じゃんじゃん使ってください」

という話が出たぐらい。
むやみに節電する必要は無い。
関西での節電はCO2の削減が電気料金の節約にはつながるけれども、東北関東の電力不足には何の効果も無いので「節電協力しています」という張り紙を見るにつけ「アホかいな。それとも精神論の一種かな」と思うことしきりなのだ。

効果が無いとわかっていて看板の電気を消したりするのは、明らかなポーズのひとつと言えるだろう。

週刊誌によると銀座の飲み屋さんで普通に店を開けていると、
「なんだ、こんな時に」
と非難されることが少なくないそうで、その非難を避けるために最小限でもやらなければならないのが「義援金箱の設置」だというのだから、なんだなんだ、というところだ。
西日本での看板消灯はそういう「なんだなんだ」の一種なのにちがいない。

ちなみにファーストフードにしろコンビニの電飾看板にしろ、震災が起こるずっと以前から、その電力消費量は環境問題のやり玉に上げられていた。
だいたい24時間連続してすべての店を営業させる必要があるのか、という論議にまで発展していた。
その都度、大手コンビにチェーンは、

「深夜営業のコンビニは治安維持に役立ってます」

なんていう、知ったか説明を繰り返し、24時間営業を継続。
看板の電気も「どうせ負担はコンビニ経営者」とばかりに高価なLED照明に切り替え始めようとしていたところだ。
これで震災を理由に全国各地で看板を消灯して、「電飾看板不要実験」とも見て取れる、節電不要地域での看板消灯を実施しているのかもわからない。

なお、パチンコ屋もどきの悪趣味な照明と生鮮食料品で悪名高い関西の小型スーパーチェーンのスーパー玉出には、もちろん「節電」の意思はまったく見られない。

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今、東京電力の計画停電が話題になっている。
原発をはじめ多くの発電所がストップしてしまっための電力不足が原因だ。
たぶん、こういうことは戦中を除いて日本では恐らく無かった出来事なのに違いない。

数カ月前に読んだ「スマートグリッド」という新書の中で、先進諸国の中でも日本の停電率は群を抜いて低く、欧米先進諸国の平均が年間20秒程度なのに対し、日本はほんの0.数秒であるという驚くべき技術力が記されていた。
その文章を読んだ時、自分の国の知られざる技術力に「どんなもんじゃい」と思ったものだが、その日本で計画停電。

自然の猛威は人の叡智をはるかに超える恐ろしさを示したのであった。
しかし、この難局を乗り越えることができるも人の叡智であることに代わりはない。
停電制度はいつかは終わる。
それも何十年も先の話ではなく、多分、長くても1年ぐらいの話だろう。
それだけ日本では電気は通じ続けるのが当たり前の存在になっていたのだ。

とはいえ、昔はイレギュラーな停電を度々経験したものだ。それに、今でも海外へ出向くと停電が日常茶飯事の国は少なくない。

昭和40年代の終わりごろ。
初めて我が家にエアコンが入った。
室外機式のエアコンで、当時ではなかなかな性能であったと記憶している。
「ぐい~んぐい~ん」
という音が騒々しかったものの、当時は騒音でイライラするよりも、真夏に涼しい風にひたれるという快適さのほうが優先し、ちっともうるさいなどとは思わなかったものだ。

ところがこのエアコンにはひとつだけ大きな欠点があった。
昔のエアコンであるため電源が単相100Vである上に、消費電力が他の電気製品と比べると途方もなく大きかった。
このために度々家の分電盤のヒューズを飛ばしてしまうという困ったトラブルを引き起こしたのだ。

「あ~~~~涼しいな~~~~」

と油断をしていると、なんの拍子か突然家の中が真っ暗になり、エアコンもテレビも冷蔵庫も全部ストップしてしまうというトラブルに見舞われたのだ。
当時は分電盤にブレーカーなどという洒落たスイッチはついていなかったのでヒューズの取り替えが必要になった。
ヒューズは素人では交換が難しく、その都度関西電力に電話を入れて、修理に来てもらったのを鮮明に憶えている。

中学校に上がるころに、家に単相200Vの電源が引きこまれエアコンの電力が別系統になり、分電盤が最新のブレーカー設備に交換されたことなどから、ヒューズ「ポンッ!」による停電は起こらなくなった。
停電が起こらなくなって、それはそれで少々寂しい気もしたものだが、私も子供だったから停電を楽しんでたのだと、今になっては冷静に考えるたりもする。

今や日本で停電を経験することは殆どなくなったが、アジアの乏しい国々を旅行すると度々停電を経験し、それはそれで「旅の出来事」として面白いと思っている。
住んでいると大変だろうけど。

私が度々訪れるミャンマーも停電頻発国のひとつ。
停電どころか、電気の通じていない地域もあるぐらいで、非常に乏しいインフラなのだが、人々のメンタリティーが日本人にとてもよく似ていて明るく真面目なのが大いに気に入ってるところではある。

この国の電力は昭和40年代に日本が設置した発電所がメインになっているため、度々停電する。

ヤンゴンで一泊10ドルのホテルに宿泊したときは、その停電で度々目を覚まされ、熟睡できずに苦労した経験がある。

ホテルそのものは安全だったし、比較的清潔でもあった。
スタッフは愛想が良いし、食事も美味いので気に入っていたのだが、いかにせん、停電が頻繁に起こる。

夜、寝ようとしてエアコンを入れる。
しばらくするとブチッとすべての電源が切れて真っ暗になる。
当然、エアコンもストップする。
すると南国のこと、蒸し~とした生暖かい空気が部屋の中に漂い入ってきて、そのジメジメした暑さで眠れない、ということになる。
数分後、不意に電源が復活して電灯がつくが、エアコンはなかなか復活せず、時間がかかる。
やっとのことエアコンが息を吹き返し、涼しい風を送り始めると、またまた停電が発生する。
という、大変な状況の繰り返しなのだ。

ヤンゴンの繁華街を夜歩くときも懐中電灯は必携品で、突然街中が真っ暗になり歩くこともままならぬ状態になったりするので、懐中電灯を持っていないと、ボロボロの路面の道路に足を取られたり溝に落っこちたりしていしまう恐れもある。
幸い、ミャンマーは乏しく軍政というけったいな政府をいただいている、悲しい側面もあるのだが前述したように人々は仏教的な優しさでメンタリティーが高く、大変治安の良い国で犯罪にはとても巻き込まれにくい環境だが、それでも真っ暗になるのは気持ちの良いものではないのだ。

ヤンゴンから西に向かって飛行機で一時間半。
バングラデシュとの国境まで数百キロというところにシットウェーという大きな街がある。
かつてアキャブと呼ばれていた街で、有名な日本陸軍の加藤隼戦闘機隊の加藤隊長が戦死した街でもある。
日本に関係が深いところなのだ。
ここから船に乗ってさらに8時間から10時間かけて北にさかのぼるとミャウーという街がある。


(ミャンマーのミャウー。自動車の数は少なく、馬車が活躍。)

仏教の巨大な遺跡群が点在する街なのだが、いかにせん、行きたくても、とても行きにくい場所にあるために、あまり有名ではない。
しかし、その遺跡群を見たらあっと驚くことまちがいなしの遺跡の街。
そのうち有名になって世界中から多くの観光客が訪れることまちがいなしと思えるのだが、今はまだ年間にここを訪れる日本人は200人程度。
外国人をトータルしても非常に少なく、私が訪れたとき、この街にいる外国人はホテルの人の話によると私と国連の職員だけなのであった。

そんな街でも電気が通っていた。
人口1万人。
2階建て、3階建て程度のビルもあるし、学校も市場も当然あった。

午後2時にシットウェーを出発して到着したのが午後11時前。
川をさかのぼり日が沈んでからは真っ暗になったのだが、ミャウーの方向の空がうっすらと明るく、

「あ、あっちに街があるんですね」

とガイドさんや船頭のおじさんと話しをしていた。
もちろん船頭のおじさんはガイドさんと英語の話せる若い学生アルバイトの青年の通訳で話した。
すると午後10時になったとたん、そのうっすらとした明かりがバシッと消えたのだ。

「なんじゃあれ?」

町ごと停電した瞬間なのであった。

ミャウーは午後6時から午後10までだけ電気が通じていて、その間だけ街の上空に明かりが射しているというわけだった。

船がミャウーの港に着くと町の人々は停電した真っ暗な街中で、発電機を回したりろうそくやランプを灯して、しっかりと生活していたのであった。

計画停電の日本。
それも発電能力の復活するまでの短い期限付き。
ミャンマーやベトナム、ラオスでは今も電気の制約された多くの場所が存在し、それでも人々は力強く生活しているのだ。

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昨日、三陸鉄道の社長が悲壮なステートメントを発表した。
「なんとか三分の一の路線を復旧しました。運行能力は震災前の十分の一です。私たちにできるのはここまでです。あとは国などの支援がないと復旧できません。」
というものだ。

駅や橋梁が津波に流され、地方ローカル私鉄の自力再建はここまでが限度。
過去16年間の経営も赤字続きだった鉄道を生かし続けることができるのか。
地域にとって大きな問題だろう。
なんといっても鉄道はエコで正確な地域の足。
一度失うとなかなか復活させられない貴重な存在だ。

三陸鉄道は赤字ローカル私鉄線の中でも営業距離数が100kmを超える会社で、営業距離数だけでいくと、タイガースが親会社の阪神電鉄や京阪電鉄よりも大きな会社ということができる。
でも、経営は真っ赤かでなんとか騙し騙しで経営を続けてきたが、津波に巻き込まれここで限界を迎えてしまったというわけだ。

赤字会社に国が出資するのか。
国の財政も大赤字。
鉄道の復旧よりも道路の復旧。
地元財界に数百億の財力はない。

地方鉄道会社の悲痛な叫びがそこにある。

というこことで、ここで勝手に提案!
同じ鉄道会社、同じ国鉄出身ということで、ここは天下のJR東海の傘下に組み入れて復旧させたらどだろう。
名古屋の人は怒るだろうか。

国鉄民営化で7つに分割されたJR各社のうち、JR東日本、JR西日本、JR東海が黒字会社。
そのなかでも最も経営の健全なのがJR東海なのだ。
JR東日本は首都圏を抱えているとはいえ震災の影響をモロに受けているし、JR西日本は中国地方のローカル線の経営に四苦八苦。
そこへいくと売上の8割が東海道新幹線というJR東海は健全そのものなのだ。
なんといっても国鉄清算事業団から新幹線は買取りし、その支払が終わったら余ったお金で「リニア新幹線、自力で作ります」という財力を有しているくらいだから、某自動車メーカーもそうだが尾張の会社は侮れない。

そこで政治力で三陸鉄道をJR東海の傘下に組み入れたら復旧費用の数百億円ぐらいすぐに捻出。
同じ国鉄が出自の鉄道会社。
各々、自分の路線は買い取ったとはいえ元は国の税金で作った鉄路。
リニア新幹線にかかる何兆円という建設費に比べれば、三陸鉄道の復旧費用は小さなものだと思ったりする。

というようなことを述べたりするのは、関西のローカル私鉄が実は意外な親会社を持っているということを思い出したからだ。

大阪南部を走る水間鉄道の親会社は「うどん屋」さん。
和歌山市内を走る和歌山電鐵の親会社は「岡山のバス会社」さん。

うどん屋さんや、バス会社が鉄道を走らせることができるのだから、プロのJRが三陸鉄道ぐらい復旧できずになんとする。
と勝手に思った次第なのである。

他意はありません。

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先日JR天王寺駅で「東北地方へのご旅行はお控えください」のアナウンスを聞いて、「ほんとにそうなの?」と疑問を持った。
そのことはもうこのブログで書いたので、今更なんだ、と言われそうだが、そのアナウンスがいかに間違ったものであったのか。
東北地方への訪問客がいなくなって、どれほど地域の人々が困っているのか、奇しくも昨日、一昨日の週末に、その事例を間接的ながら耳にすることができたので報告しよう。

題して「GWの国内旅行は東北地方(日本海側)に行ってみよう!」。

昨日、一昨日の大阪地方は天候に恵まれて、土曜日はついに暖房を必要としないくらいまで暖かくなった。
そして昨日の日曜日も暖房は朝夕だけでいいくらい暖かくなり、私は久しぶりの休みを「ぼ~~~~」と家で過ごそうと思っていたら、家の中や庭が片付いていないので掃除をするはめになってしまった。
今、掃除による筋肉痛であちこちが痛い。

土曜日は働いていたので、実質休みは昨日だけ。
でも、カミさんは別の用件で外出せねばならず、娘はおばあちゃん家ということで、一人、庭清掃にいそしんでいたのだ。
そんなカミさんが出かけたのは、大阪府下で開かれていた某ウィークエンドマーケットだ。

以下はそのカミさんの話による。

ウィークエンドマーケでは様々な小商いの人たちが集い、様々な商品を販売されていた。
今流行の市民サークル的なフリマなのだ。
縫い物や編み物。
雑貨。
おにぎりやドーナッツなどの食品。
家具。
その他様々な商品が展示販売され、老若男女多くの人々でにぎわっていた。

その一角に岩手県や青森県の製品を販売するコーナーがあった。
「はは~ん、最近多い、義援金募集のコーナーなのかな」
と最初は思ったらしいのだが、違った。

そこはちゃんとしたお店で、店の主人は青森県八戸市からこのマーケットに参加するため、わざわざやってきたのだと言う。
その理由が冒頭の「東北地方には旅行しないでください」のアナウンスを完全に否定する内容なのであった。

「震災震災で自粛モード。おかげで震災被害が無かったり、少なかった東北地方にまで訪問客が減ってしまって産業が被害を受けてます。津波の被害は天災だけど、人が来なくなって商売あがったりも天災で、誰がいったい保証してくれるっていうんだべ。大阪の人に東北へ青森へ来てもらいたいという思いもあって、来ました。」

とのことであった。

聞くところによると、青森の八戸は遠方から人が来なくなったことを除いていたって「普通」で、商売あがったりの経済的被害は「東北地方は震災被害の復旧で大変で、今旅行なんかする時期じゃない」というムードがもたらしているのだと言う。
当然、旅行なんて、という雰囲気が充満しているために、観光産業に関わる温泉、ホテル、食品、土産物製造、観光地などは地震ではびくともしなかったのに、今は訪問客が来なくなって経済的に壊滅状態なのだそうだ。

青森県も、秋田県も、新潟県も、山形県も、正確な情報はわからないが、大きな地震があったということ以外に変わったことは無く、宮城県や岩手県、福島県と同じ「東北地方」に括られているため、特別な地域だと思われているフシがある。

ということで、GWの旅行は四国も良い、新幹線で便利になった九州も良い。
でも、もしかすると青森県からぐるっと左周りで東北地方の日本海側がベストかも。
困っている人たちを普通に経済的に支援できるだけではなく、ハタハタ、稲庭うどん、その他様々な東北グルメを楽しむことができ、「普通」にすることで、元気がでること間違いない。
ただし、関西から東北地方へは交通費が東南アジア旅行よりもかかってしまう、という欠点があるが、なんとかしなければ。

なお、カミさんはチキンの好きな私に八戸産の鶏肉レトルトカレーを買ってきてくれたのであった。

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時期が時期だけに恐縮なのだが、家族を連れてUSJを訪れてきた。

ユニバーサルスタジオジャパンを訪れたのは今回で2回目。
ハリウッドのユニバーサル・スタジオも2回訪れたことがあるので、これで回数が並んだことになる。
回数が並んだからといってどうといことはないのだが、やはり映画ファンとして訪れるユニバーサル・スタジオとしてはハリウッドのほうが魅力的だ。
なぜなら大阪のユニバーサル・スタジオは映画をモチーフにした遊園地に過ぎないことに対して、なんといってもハリウッドのは本物のスタジオだからだ。

とはいえ、娘との約束もあり、仕方が無いので日本全国にエンタテイメント自粛モードが漂う中、朝の開園時間9:00に大阪市此花区のベイエリアにあるUSJに到着した。

私は日頃、土日も忙しくて働くことも多いので(実際2月は1日しか休みがなかった)たまの平日休みもいいだろう、と思ってUSJには娘の春休みに訪れることにしたのだ。

たぶん春休みだけれど平日だし、自粛モードだから、きっとUSJは空いているに違いない。
と私は勝手に思っていたのだ。
なんといっても、私は大の雑踏嫌い。
混雑している所には絶対に行きたくない。
できれば人もまばらな平原や、砂漠、洋上などで休みの日は過ごしてみたいものだ、と密かに思っているくらいなのだ。
だからUSJには混雑する土日は避けて、できれば平日に行こうと計画していたのだった。

で、その計画と期待は早くもチケットブースで裏切られることになった。

開場時間という早い時間にもかかわらず、各チケットブースには長い列が。
暇な私と同じ思惑の人がこうも多いとは思はなかった。
しかも、チケット購入にはそれなりの時間を要するようで、なかなか列が前へ進まない。
財布を握りしめて待ちながら、ゲートを見るとそちらも長蛇の列が出来ているではないか。

何が、平日だ。
何が、自粛モードだ。
何が、節電だ。

世間のニュースとは裏腹にUSJは大盛況なのであった。

やっとのことで開園し、E.Tのアトラクションの後にできたという「スペースファンタジー」という新しいアトラクションへと引っ張っていかれた。
「ここ、クルクル回って面白いねん。おばあちゃんと来たとき面白かったんやで。」
と娘。
おばあちゃんと来たことがあるのなら、何も私と一緒に来なくてよさそうなものだ。
できれば再びおばあちゃんと一緒に来てもらいたいくらいだ。

アトラクションのある建物の前まで来ると待ち時間が表示されていた。
「130分」
なんということだ、2時間と少しの待ち時間だという。
「おばあちゃんと来たときは4時間待ちやってん。」
と天真爛漫に語る娘に私は「アホかいな」と思ったのは言うまでもない。

結局午前中を潰して僅か数十秒のアトラクション。
「クルクル回る」
としか教えてもらってなかったので「何が起こるのか」と思っていたら、ただの真っ暗闇を驀進する室内型ジェットコースターなのであった。
真っ暗闇の中で色々な物語がダイジェストで展開されていくのだが、正直のところ何も知らずにコースターに乗ったので最初の数秒間はそんな物語を楽しむゆとりはまったくなかった。
視界には星が瞬き彗星がビュンビュン飛び、キャラクターが動きまわる姿が展開されたのだが、落ち着いて見ることのできたのは、もうほとんど終わりのところであった。

「スペースマウンテンとどこがちゃうねん」

スペースファンタジーのコースターを降りて最初に持った感想がディズニーランドの「スペースマウンテンと同じやないかい」というものなのであった。

1978年の夏休み。
初めて訪れた外国とテーマパークだったアナハイムのディズニーランドで感動したのはAからEまでが一冊になったアトラクション用のクーポンではなく、スペースマウンテンという室内型のアトラクションなのであった。
真っ暗闇で星がキラキラ輝く中を疾走するジェットコースターに私は大きく感動したのであった。

スペースファンタジーはそのスペースマウンテンといたく酷似していたのであった。

午前中、ひとつしか楽しめなかった私たちは、一個500円のホットドックを購入し、家から持参したコーヒーを飲みながら、今度はハリウッドなじゃらかんじゃらというジェットコースターに乗車しに向かったのであった。

どのアトラクションも面白いのだが、なかでもスパイダーマンは何度見ても面白い。
今回は二度目ということもあり、どのような設備とシステムになっているのかアトラクションそのものよりも、大型のスクリーンと動画に連動して激しく動くカートのメカに注意を払ってみた。
すると人間の生理的な弱点を上手く利用して作られたCG映像やセットに大いに関心することしきりで、気がついたらアトラクションそのものをほとんど楽しんできないことに気づいて愕然としたりしたのであった。

で、どうしてこうもUSJが混雑しているのか。
その謎のヒントはターミネーター2のアトラクションで片鱗を見ることになった。

ターミネーター2は劇場型アトラクションなのだが、最初に登場するホストの女性が観客に向かって色々と質問するところがあり、その時に「みなさ~~~ん、どちらからいらしたんですか~~~?」訊いてきた。
すると、半数以上が関西以外からの来客で、呼びかけに答えた人は東京、横浜など関東から来た人々なのであった。

どうもTDLに行くことができなかった人たちがTDLに代わりにUSJへ訪れていると思える節がある上、今、多くの人々が働く亭主を残して関西に引っ越してきたり、もどってきたりしているので、そのために関東の人が多いのだと、会場内のオーラが漂っていたのだった。

ともかく「節電しましょう」との呼びかけも関西以西、というか静岡の大井川以西では意味がなく、開園10周年を迎えたUSJでは20:00~から無数のLEDがキラキラ輝くイルミネーションパレードが実施され、きらびやかな映画の世界が展開されていたのであった。

USJ滞在12時間。
ともかく、まいど体力が必要なのには参るテーマパークなのである。




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「NEVER GIVE UP 、NEVER SURRENDER」
といっても8年前の阪神タイガースの話ではない。

あ、もう8年経ってしまったんですね。
気づきませんでした。

決して諦めず、降伏してしまうことはない。
何のことかというと、「大西洋漂流76日間」(ハヤカワ文庫)のことなのである。

漂流を扱った小説には実に面白い物が多い。
それは極限状態における人間の心理と肉体を生き残りのゲームだからかも知れない。

例えばアーネスト・シャクルトンの「エデュアランス号漂流記」。
南極大陸縦断を目指したシャクルトンの探検隊が南極大陸目前で遭難した実話で、船を失い、橇と小型の救命ボートのみで生き抜き、ついには全員が無事に生還するという奇跡の物語だ。
かなりの長編であるにも関わらず、最初から終わりまで読者の心をつかんで話さない素晴らしい冒険物語だ。

また日本にも素晴らしい漂流物の小説がある。
吉村昭の「漂流」では、江戸期に台風で小笠原諸島の鳥島にたどりついた船乗りがアホウドリを捕まえながら生き抜き、ついには八丈島にたどり着くという実話が描かれていて、これもまたエデュアランス号の物語同様、最初から最後まで引き込まれてしまう魔力を持つ。
さらに同じ吉村昭の大黒屋光大夫では、遭難した商人がロシアにたどり着き、なんとウラジオストックから首都のサンクトペテルブルグまで苦難の旅を続け、ロシア皇帝に謁見するという、これまた実話で、その過酷さは現代の私たちにはなかなか想像のつかない物語で目が離せない。

スティーブン・キャラハン著「大西洋漂流76日間」もまた実際に起こった物語なのだ。
著者自身が遭難者で、生還後著した本書はベストセラーに長年ラインナップされていたのだという。
この漂流が他の物語と違うのは、現代の物語と言う点だ。
事件は1982年に発生。
ヨットで大西洋横断にチャレンジしていた著者は、原因不明の衝突(?)で自分のボートが沈んでしまい、救命ボートに脱出。
以後、発見されるまでの76日間を必死で生き抜いた時の物語なのだ。

漂流ものの面白さは、たぶん読者に勇気を与えてくれることだろう。
変な話だが漂流物にはハッピーエンドが多い。
不思議なことに、未だに漂流物で悲劇に終わる物語を読んだ経験が無い。
漂流して失敗したら、誰にもどこに言ったのか判らず、記録に残すことができないので、ハッピーエンドではない漂流物は少ないのかもわからない。

吉村昭がエッセイに書いていたように記憶するのだが、漂流することによって異文化との遭遇が起こり、新しい文化や習慣が起こるそうで、そういう意味に置いても漂流物語は面白さの奥行きが深いのだ。

ともかく76日間という長い期間、小さな救命ボートで数多の危機に見舞われながらも生き抜いた著者の経験は、冒険を通り越して哲学の赴きさえ感じられたのであった。

生きる勇気が湧いてくる、ノンフィクション冒険物語だ。

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