<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





週末の土曜日は天候に恵まれた行楽にピッタリの一日であった。
一方、お金に恵まれていない私は嫁さんと一緒に大阪万博記念公園で開かれていた「ロハスフェスティバル」を訪れてきた。

ロハス。
なんのこっちゃと、まったく分からない単語なのであったが、知人から、
「こんなイベントがありますよ」
と誘われていたこともあり、入場料が大人300円ということもあって訪れてきたのだ。

大阪万博記念公園は1970年に開催された大阪万国博覧会の開場後の公園で、今でも岡本太郎作「太陽の塔」が燦然と輝いている大阪黄金時代の象徴なのである。
ちなみに私は大阪の象徴は通天閣よりも太陽の塔のほうがランクが上だと思っている。
万博当時、小学校低学年の私にとって、ここは広大な敷地で、めちゃくちゃ暑いところで、人ばっかりがいる会場として記憶に残っている場所なのだ。
が、一方において未来を彷彿させる数々のパビリオンやダイナミックな展示手法、そして初めて見る外国人に度肝を抜かれた記憶の方が大きい場所でもある。
そのために、昔から雑踏の大嫌いな私がEXPO'70には良い記憶しか残っていないという特長がある。
いや、私だけではなくすべての日本人に良い記憶として残っているイベントだろう。
たぶん、太陽の塔の眼の部分に立てこもったテロリストのオッサンにもいい思い出の場所であるに違いない。

ここには今は太陽の塔の他に、いくつかのパビリオンと国立民俗博物館や日本庭園などがあって大阪府民のみならず関西人、いや日本国民の憩いの場になっている。

ロハスフェスタはこの公園の東端で開催されていて、万博同様、すごい人が押しかけ大盛況なのであった。

このロハスというのは環境問題に有効な活動を継続的に取り組むという運動のことだそうで、私ははじめ清水国明氏がやっているような少々イカガワシイ活動ではないかとの印象を持ったのであった。
つまりインチキ臭い環境活動ではないかと思ったのだ。
しかし、ホームページで調べてみると、阪急阪神ホールディングスやペンタックスといった信頼してもよさそうな大企業が名前を連ねており、嫁さんも行きたいということで、自動車を飛ばして出かけたのだった。

このイベント。
入場料300円と聞いていたのだが、それ以外にも費用がかかることを到着してから気づいた。
まず、駐車料金がかかる。
私は万博記念競技場横の東駐車場に駐車したのだが、一日の駐車料金は1200円であった。
私が週に1~2日割合で仕事場にしている大学のキャンパスが万博公園の近くにあり、そこに私が止めると駐車が無料であることを思い出したのは金を払って自動車を止めてからなのであった。
尤もその場合、歩くのが面倒なのでモノレールに1駅区間乗らねばならないから、夫婦二人の1駅往復料金を考えるとトントンだったかもしれない。
次に万博公園そのものにも入場するには入園料が必要なのであった。
入園料、大人250円。
EXPO'70は今も入場にお金のかかる公園なのであった。

それでも大人二人で2000円強という、昨日のブログの「ツタンカーメン展」大人一人分よりも安い入場料であった。

で、ロハスフェスタとはなんぞや。

この公園の緑の芝生の上には色とりどりのテントがそれこそ無数に設置され、雑貨屋さん、カフェ、政府機関、鉄道バス会社、その他もろもろが店を出していた。
ロハスフェスタは巨大なマルシェ、フリーマーケットなのであった。

空は真っ青。
太陽はギラギラ。
気温がぐんぐんと上昇。
夏のような匂い。
雑踏。
様々な種類のエスニックフードの匂いが混在する空気。

「まるで、バンコクのチャトチャックやないか!」
と、思わず喜び叫んでいた私なのであった。
バンコクのチャトチャック市場は土日開催のマーケットとしては世界最大と言われており、私はここでよく買い物をするのだが、暑いのが特長だ。
場所はスカイトレイン「モーチット駅」または地下鉄「チャトチャック駅」下車すぐのチャトチャック公園で開かれている。
と、また話が横道にそれてしまった。

で、嫁さんは雑貨が大好きなのでそっちも買い物というか、商品の物色を大いに楽しみ、私は私でペンタックスのカメラをガチャガチャいじったり、ベトナムフードに舌鼓をうったりして大いに楽しんだのであった。
カフェやレストランも大阪市内の本物が出店してきており、味も香りもモノホンそのまま。
残念なながら価格もモノホンそのまま。
実に素晴らしい青空市だ。

とりわけベトナムのフォーガーは私の大好物の一つなのだが、買ったフォーガーもまた本格的な味で、暑い気温と大勢の人だかりで東南アジアのサイゴンやバンコクにいるような錯覚に囚われた。
その錯覚が楽しさを倍増してくれるのだが、遠くを見ると、そこには太陽の塔が輝いており、1970年のあの日、あの夏のことも思い出し感無量になっていたのであった。



嫁さんは予算と相談しながらほしいものを確実にゲット。
その中には私と娘に食べさせるための無農薬野菜も含まれており、なかなかなものを感じさせる。
十津川村の柚子コンニャクにムシャブリ付いているわたしを横目に一生懸命の買い物なのであった。
なお、柚子コンニャクは絶品で、近々奈良の十津川村まで買いに行きたいと思っている私である。

残念なのは自動車で来てしまったことであった。
なぜなら飲食店の多くには地ビールが並べられており、もし電車で来ていれば、ヘベレケになるまで飲んでいたこと請け合いのビールイベントなのでもあった。

なお、このイベントは年に数回開かれているという。
次回はビールのために電車で行くことを考えることとしたい。

で、ロハスとビール。
何の関係があるのだ?
ロハスフェスタはもしかすると独オクトーバーフェスタの間違いかもしれない、とも思ったのであった。



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娘との約束を果たすため、大阪の旧サントリーミュージアム天保山で開催されている「ツタンカーメン展」を訪れてきた。
大変混雑することがわかっているGWにも関わらず、勇気を振り絞って訪れてきたのだ。

尤も、混雑への対策は予め講じてから訪れるのことにした。
以前、ルノアール展に行って、京都市美術館で3時間も並んだことがあるので、十分な対策を考える必要があった。
まず、チケットは会場で買わないことにした。
会場のチケット売り場で買い求めると、チケットを買うために並び、入館するために再び並ばなければならないからだ。
私は天保山に向かう途中、セブンイレブンでチケットを購入した。

ちなみに大阪市内の金券ショップではディスカウントチケットは見当たらなかった。

次に、訪れるのは早朝ということにした。
開場1時間前に行けば、さすがに空いているだろう。
iPhoneの新型を買うためにアップルストアに一週間前から並ぶ変な人々は天保山にはいないはずだ。
ということで、開場9:00の1時間前、8:00に開場へ行くことにした。

しかーし、これだけの準備をしたのにも関わらず、娘を伴い8時に現地へ到着すると、

「わ~~~、すごい人や~~~。USJみたいや~~」

と娘が感嘆するくらい既に入り口には長蛇の列ができていた。

「1時間前に到着してよかった。阪神高速道路の料金けちって下道で来たらアウトやった」

と、値上がりしたばかりの900円の高速道路料金をケチらなかった判断をした私は、自分自身で褒め称えたのであった。

結局、繰り上げ開場となった8:30にもなると、すでに列は敷地の外に向かって延びており、ツタンカーメン展の人気の度合いがよくわかったのであった。
しかし、8:30分開場ではあったが、私たちが入場したのはそれから30分後。
入場した時はすでに疲労困憊していた。

ところで、ツタンカーメン王の王墓からの出土品が日本で展示されるのは実に40年ぶりなのだという。
40年前は朝日新聞社が主催して各地で開催したようだが、その展示会を見ている人というのは大阪万博を覚えているような世代で、もはや殆どが初めて見るという人たちなのであった。
もちろん私も初めての鑑賞。
大阪万博は都合5回は親に引っ張り回され迷子バッチを胸につけて歩きまわったのを覚えているが、こんな古代の出土品に当時は関心などなく、私はエジプト文明のような考古の世界ではなく、人類の進歩と調和を信じる未来を見つめる小学生なのであった。

先日、とある交流会に出席した時、話題提供者がこの展示会を監修している元早稲田大学古代エジプト調査室の廣田吉三郎先生であった。
先生のお話によると、今回の展示会はおそらく日本での開催は最後になるだろうとのことだった。
というのも、ツタンカーメンの出土品が長年のドサ回り、もとい、世界中での展示に供されてきたために痛みが激しくなりエジプト政府も、今後の海外持ち出しは保存のために考えていないということなのだ。
少なくともあと50年は日本に来ることはないという。
50年後いうと、たぶん私はツタンカーメン王の出土品を見る方ではなく、ツタンカーメン王と一緒に一杯やっているかもわからない立場になっている確率が非常に高い。
ということは、今生では今回が日本で見る最後のチャンス。
しかも大阪というところで見ることのできる絶好の機会なのであった。
次の会場、東京上野での展示が終了したら全ての出土品はエジプトに帰る。
そして何の因果か、日本がODAで建設している新博物館の最新式の日本製収蔵庫に永年保管されることになっているのだ。

以上、余談。

ということで、すでにヘトヘトモードで美術館に入ると、まず真っ暗なシアターに40人ぐらいのグループで導かれ、説明映像を見させられるのだ。
これはUSJのアトラクションに酷似しており、入場料が大人2800円であることを考えると主催者はどれほど儲けとるんじゃい、と感心することしきりなのであった。

で、会場は予想通り、満員なのであった。

「展示のケースは触れると警報がなるかも知れません」

というベンツのような陳列ケースもまた見づらい要素となり、全約50点の展示品をゆっくり見るのは容易ではなかった。
しかも数メートルおきに、黄色いTシャツを着たスタッフが、

「立ち止まらないで次の方に譲ってください」
とか、
「順番はありません。空いているところから御覧ください」
とか、
「リュックは手に持ってください」
とか宣うので煩わしくてしかたがない。
このスタッフの人数が半分にでもなれば、会場も少しは広くなるものを、と思ってしまうくらいの混雑なのであった。

それにしても、ひとつひとつが3000年以上も前の物とは思えないほど、素晴らしい保存状態と細工だった。
当時の職工の技術は現在のそれとあまり変わらないのかもしれないと思った。
少なくとも、磁器類は最近通い始めたばかりの陶芸教室で作る私の作品よりは、はるかに素晴らしい品ばかりだった。

「あ。不機嫌な時のお母さんに似ている」

と娘が指さしたのは牛の頭部をデフォルメした像。
お母さんはGWでありながら仕事に出かけていたので発言でトラブルになることはなく、事無きを得たが、思わず私が同意したことは内緒にしなければならない。

見られるのではと期待していたミイラは展示されていなかったので見ることができなかったが、黄金のカノポスやツタンカーメンの像、チェストなど素晴らしい出土品には大いに感動させられたのであった。

会場を出ると、入場者の列は短くなっていた。
「何故なんだ?」
と思ってアナウンスに耳を傾けると、
「整理券をお配りしております。次の入場は○○時です。」
展覧会は2時間待ちになっており、チケットと引き換えに順番の整理券が配られているのであった。
まるでテーマパークのようなシステムになっているんだ、と益々感心した。

その感心モードでミュージアムショップに立ち寄ると、様々な記念のスーベニアと一緒に、「ツタンカーメン麺」なるラーメンが....。
USJの「スパイダー麺」を思い出したのは言うまでもない。



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大阪の遊園地の広告でいつも話題を集めるのはUSJではなく「ひらパー」こと京阪電車の「ひらかたパーク」。
ネーミングだけではなく「ひとりバンクーバー」などの大阪っぽいショッキングな広告が目を惹く遊園地だ。
だが、このGWは南海電鉄も負けていなかった。

「城みちる 55歳、みさき公園 55歳」

GW前から南海電車のターミナル難波駅などで掲示されていた「みさき公園」の広告で、始めて見た時、私はヒックリ返りそうになったのであった。

みさき公園は大阪府の南部にある昭和チックな遊園地だ。
ロケーションも、
「ここってホントに大阪府?」
と疑いたくなるような最果ての地で、和歌山県に属したほうが経済的にも豊かなんじゃないだろうかというところにあり、一般的なアトラクションの他に動物園があるのが売りの遊園地だ。
それでも17年前に関空ができてからは、少しはメジャーになるかと思われた。
なんといっても公園からは関空がすぐ近くに望まれるのだ。
だが、関空に近いといっても間には海があり、訪れるにはかなり大回りをしなければならない遊園地でもある。
それでも日本最古の私鉄・南海電鉄が運営している遊園地だけあって、関西では知らないものは少ししかいないという、昔メジャーな遊園地だ。
私も子供の頃、両親に何度か連れて行ってもらったことがあり、どちらかというと子供心には楽しい遊園地であった。
ちなみに上記のようにボロクソに言っているのだが、私の子供時代の思い出の中は、最もお気に入りの遊園地でもある。

この遊園地。
今はイルカショーも呼び物なのであった。
私が子供の頃の昭和40年代にはイルカショーなんかなかったように思うのだが、そのイルカショーと城みちるをマッチングさせるCMは、ある意味勇気ある決断だったろう。
もちろん城みちるというAKB世代では殆ど知らない元アイドルを起用する勇気に拍手を送る。
それにしてもデビュー曲たった1曲で40年も芸能活動を続けることのできる城みちるの「イルカパワー」に感動するのだ。

イルカに乗った少年は55歳。
みさき公園も開園55周年。

コジツケにしてはいやに印象に残る広告なのであった。


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日経のネット版を読んでいたら「パソコンの値崩れが止まらない」という記事が目に留まった。
なんでも、タブレットの普及でパソコンの価値が下落。
新機種でも4割引は当たり前え!、という懐かしのビッグカメラのCMのような状態になっているのだという。
確かに一昨日の折り込み広告に入っていた家電量販のチラシには10万円を遥かに下回る最新ノートパソコンが目白押し。
機能も優れてソフトまでついていて78000円だとか、6万円台、なんてものまであったりした。
随分と安いもんだと関心していたら、このニュースを見たというわけだ。

最近はパソコンというハイテク製品に価値が無くなり、もしかすると電卓と同じような存在になりつつあるのかも知れないと思うこともある。
そう思うにつけ、これまでの投資はいったい何だったのか、と悲しくなってしまうこともないこともないのだ。

私が初めて買ったパソコンはシャープ製のX1という機種。
大学2年になる頃で、当時の私はCGを作ってみたくて仕方がなかった。
誰も作れない映像を....。
という気持ちが逸り、なんとしてもテレビで流れる「ひょうきん族」や「NC9」のタイトルのようなCGアニメを作ってみたいと思っていたのだ。

当時のパソコンは富士通、日本電気、シャープの御三家がお互いにFM-8、PC-88、MZ-80で競っていた時代。
グラフィック機能は重要視されておらず、インベーダーゲームやスタートレックゲームができればそれで良かった。
でも芸大生の私にはそんなレベルでは納得できず、美しいグラフィックスで他の連中をアッと言わせてやりたいという欲望があった。

で、選んだのがX1。
クリーンコンピューターという分けのわからないコンセプトと、カタログに載っていたテレビの画面がパソコン画面に映るという写真に惹かれたのだ。
圧倒的なコストパフォーマンスを期待したのだった。

当時、パソコン画面にテレビの画面が映るなど、絶対無く、X1は画期的なパソコンだった。
でもそのテレビ画面。
パソコンのプロセッサとグラフィックボードを通して映し出される映像ではなく、単なるアナログテレビの映像が映るパソコンモニタというだけだった。
従ってキャプチャーもできなければ、写真修正なんて不可能で、強いて言えば、テレビを見ながらBASICのプログラムを打つことができるよ、という程度の代物だった。
肝心のグラフィック機能は7色再現の画質ドット620x299ドット。
めちゃくちゃ荒っぽい映像なのであった。

それでもワイヤーフレームでスターウォーズの1シーンのような映像を作れる学生が無理して買えるパソコンはX1だけ。
どうしても欲しくて無理して購入したのだった。
その価格、大学生にはきついものがあった。
近所にシャープに勤めるおっちゃんがおり、社員価格で譲ってもらったのが約25万円。
びっくりするほど高価なPCなのであった。

30万円近くもしても、今のパソコンと比較してもiPadの方がはるかに優れているし、用途も豊富。
ノートパソコンは雲の上の存在だ。

値崩れパソコン。
30年前のあの日の性能は今や価格も付けられないことを思うと、何が性能の価値なのか、わからなくなるIT市場だ。

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ずっと以前、「私は脳のどこにいるのか」という本を読んだことがある。
かねてから疑問に思っていたことがタイトルになった書籍だったので買って読んでみたのであった。

結果的には人間の脳のどこの部分に人格が詰まっているのが、その書籍でも明らかにされておらず、謎は深まるばかりだった。
現代の科学では脳の構造は未だよくわかっていない、ということぐらいしか分からずジレンマに陥ったことがある。
ちなみにジレンマに陥っているときの脳というのは、いったいどのような物理的状態になっているのか、ということも考えてみたが、それは益々混乱をもたらす疑問でしかなった。

現代の医学では海馬という部分が脳の重要な役割を担っているということはわかっているらしい。
この海馬がコンピュータにおけるマイクロプロセッサ。
つまりインテル入ってるのインテルの部分を担っているらしく、大脳の他の部分に蓄積されている数々のデータ=記憶などをつなぎあわせて、正常な生活を行わせているという。

ところが人間の脳というのはコンピュータほど単純ではない。
この部分がこの機能、といった機能の決めごとをしたとしても、必ずしもそうならない、というのが脳のすごいところのようだ。
つまり、ある日事故などである部分を欠損させたとする。
当然その部分に収められていた記憶は一旦消去されるのだが、リハビリテーションを行うことに復活してくる場合もあり、その事例も少なくないのだという。

交通事故などに遭って脳が損傷し、友人の顔や家族の顔を忘れても、リハビリをすることにより、その人達を思い出すことができるのだ。

こういう機能はコンピューターには装備されていない。
ノートパソコンを路上に落として自動車に踏みつけられ、ハードディスクを損傷したら、その損傷した部分のみならず、全てのデータを損失させることになる。
それでも電源が入るからと、キーをポチポチ叩いても記録が蘇ってくることは絶対なく、もしかするとショートして火でも出るんではないかという心配が出てくるぐらいだ。
また失った機能を別のパーツが代行することもない。
グラフィックボードを破壊されたら、別のD-RAMかなんかが、代わりに美しいグラフィックスを実現する、なんてこともありえない。

これに対し、人間はコンピュータのようには故障せず、記憶が読みがったり、違う部位が欠損した部分を代行するようにもなるのだという。

高校生の時、担任の森内という先生が、
「人は死んだらどうなるのか、想像して作文を書きなさい」
とむちゃくちゃな課題を出してきたことがある。
体育の教師のくせに国語の先生のように作文を書かせるのを趣味にしていたけったいなオッサンなのであった。
生徒からは密かに「インケン森内」と大声で呼ばれていた。
そのインケンが出した課題に、私は、

「人は死んだら、スイッチの切れた機械と同じで、何も意識がなくなるだけで、物と同じになります」

というような文章を書いたのであった。
当時私はやけに冷めているところがあり、両親の不和も手伝って、人の死というものに随分と達観した意識を持っていたのだった。
だから話題になり始めていた生体肝移植や心臓移植、脳死問題にも非常にクールで、

「脳が壊れたら、それでおしまい」

などとも思っていたのだった。

ところがその後、大学、社会人と年齢を重ね多くの書籍を読んでいるうちに人間がそんなに単純でないものであることを知るようになった。

脳の一部が破損しても、それを別の部位が補い生活できるようになる。
外国には脳の半分を失っても、リハビリにより普通に生活できるようになった人がいる。
他人の脊髄を移植したら、その人の記憶が移植された人に部分的に乗り移った。つまり脊髄の神経系も記憶の一部を蓄積する機能があるらしい。

などということが書かれてあり、びっくりするようになったのだ。

最近では私は脳死さえ容易に判断するのは危険だと思うようになった。
たとえば脳死判定されても別の部分が機能していて意識はあり、自分の角膜や心臓、肺などが麻酔もなしに取り出されることを経験するのかもしれない、と思えるようになってきたのだ。
これは怖い。
それは主張できないし、誰にも言えず、まるで「ジョニーは戦場へ行った」のジョニーよりももっと過酷な経験になるのではないか、と恐れの気持ちが芽生えたのだ。

このように、脳の各部位がどのように連携して、どう人体を操作し、どう意識させているのかは医学のみならず科学の最大のテーマでもある。

新潮文庫から出ているジル・テイラー著「奇跡の脳」は脳科学の専門家である著者が突然患った脳卒中の経験を自らが冷静に分析し、脳の神秘を科学的に解説した科学読本だ。
卒中で徐々に侵される記憶や、見え方、感覚などが描かれており、まるで映画「ブレインストーム」の記憶の世界を見るような感覚をうかがい知ることができる。
やがて家族も友人も文字も判別できなくなってしまう脳機能がリハビリテーションにより年月をかけ回復していく過程は、機械にはない人間といういっこの生命の神秘そのものであった。

この書籍はそういう意味でかなり面白い体験記になっていたが、途中からいささか神がかりな表現も交るようになり、科学とは言いがたい部分も出てくる。
その神秘部分がいささか残念ではあるが、なかなか面白い書籍であるのは間違いない。

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早いものでキャンディーズのスーちゃんこと田中好子が亡くなって早くも今日で1年が経過した。
1年前の今頃というと東日本大震災の大災害の映像がテレビに現れるのが、やっと少なくなってきた頃で、

「ああ、やっと普通の番組になってきた」

と思っていたところへの訃報だった。
とりわけ印象的だったのは彼女がファンや関係者の人々に肉声の遺言を残していたことで、テレビで何回も放送されては、ファンではなかった私のようなものまでを悲しませた。
病床で力を振り絞って語りかける田中好子のエネルギーはこれからも生き続けなければならない者たちに、強い勇気を与えてくれたのであった。
田中好子は死しても未だ人々の心に生き続ける、すごい女優さん、もといアイドルであった。

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Facebookの使い方にやっと慣れてきて友達も沢山できてきた。

大学時代の友達。
飲み友達。
英会話スクールの仲間。
仕事で知りあったお客さんや仕入れ先。
ライバル会社の人たち。
などなど。

色んな人と少しづつだが意思疎通ができてて、視野が広がるのが面白い。
場所、時間、性別、年齢にかかわりなく楽しくやり取りできるのが、これまたいい。

近況を写真とともにアップをしては報告しあい、「いいね」ボタンを押してコメントを書き込む。

ミャンマー旅行で毎回お世話になっていたガイドのさんもメデタク昨年末に結婚。
今はシンガポールに住んでいて、なかなか「おめでとう」を伝えにくいところもあったが、Facebookのおかげで、旦那さんの顔写真だけでなく、プロフィールや人柄までなんとなく分かったしまうので、面白い。
いいねボタンを押して、
「お、やっと結婚したな。おめでとう」
「しましたよ。ありがとうございます。」
とやり取りも簡単。

また、ちょっとしたイベントを打つのも簡単で、
「交流会します」
「セミナーやります」
「飲み会開催」
なども、友達を選んで招待できて、おまけに参加や不参加表明も簡単だ。
「いいね」を押すだけで仕事でも効率良く使うと幅が広がり、人間関係が強固になる。

Facebookおそるべしだ。

ところで、Facebookは何でもかんでも「いいね」。時々違うボタンは作れないのか、と思う時がある。
例えば、
「先週、スピード違反で切符切られました。給与減額なのに辛いです」
というコメントに、「いいね」ボタンは押しにくい。
また、
「母が入院しました。少しFacebookを休みます」
なんてコメントにも「いいね」ボタンは押しにくい。

良いことないのに同意する意味で「いいね」は言葉的にかなり不足だ。

ということで、Facebook。「いいね」だけでホントにいいの?
最近の疑問なのだ。



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大阪府橋本知事のパイロット版とも言うべき石原慎太郎東京都知事。
ちょっと過激な発言をするところと、それを実行してしまうところに共通点がある。

昨日報道された東京都による尖閣諸島の買い上げは、実にいいアイデアだと思うのだ。
というのも、沖縄県石垣市とするよりも、小笠原諸島のように東京都に組み込んだ方が、周辺のならず者国家(といってもひとつだけですけど)からの防御を行いやすいことは間違いないからだ。

万一、そのならず者国家の妙ちくりんな人たちが漁船やチャーター船、或いは軍艦で乗り込んだら、世界中の新聞メディアがこぞって、

「東京に侵攻!」

と大スポよろしく速報するに違いなく、あのならず者も手出しできないに違いないからだ。

それにしても中国とう言う国は恐ろしい国で、資源があるとなると他人のものでも自分のものと平気で主張する所が21世紀の大国とはとても言えない前時代的個性を持っている。
明らかな帝国主義だ。

南シナ海では南沙諸島の領有権をめぐってベトナムとフィリピンにいちゃもんをつけ、チベットとウィグルは実効支配し、東北部も多民族の国ながら戦後のどさくさに紛れて奪ってしまった経歴を持つ。

テレビを見ていると、中国の街を歩く若者が、
「日本は許せない」
「国交を断絶すべきだ」
と正気な表情で語っているのを見るにつけ、教育効果の恐ろしさを感じた。

東京都尖閣諸島はともかく、こんな国が隣にあると思うと背筋が寒くなってくるニュースなのであった。

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奈良と言えば鹿。

先日、仕事で奈良女子大学を訪れた。
奈良女子大学は近鉄電車奈良駅から徒歩直ぐ。
近隣には東大寺や興福寺などが点在する奈良公園があり、当然のことながら鹿がうろうろ歩いているのだ。
美しい木造の講堂は文化財になっているようだが、この文化財のたもとの芝生で何やら、
ムシャムシャムシャ、
と鹿がくつろいでいるのを見かけるのもこの大学ならでは。
キャンパスの中を普通に鹿がウロウロしているのは、全国でもこの大学ぐらいだろう。
多分、同じ国立の女子大でも御茶ノ水では鹿は絶対にうろついていないはずだ。

私は大阪で生まれ育った関係で、奈良に鹿がいるのは当然という感覚があり、すでに物珍しさはまったくない。
むしろ広島の宮島を訪れた時に鹿がウロウロしているのを見て、こっちのほうは新鮮さを感じたぐらいであった。
しかし、関西人以外の人々にとって、街なかを平気で散歩している野性の鹿を見るのは珍しいのだろう、あちらこちらで世界中からやってきている観光客がパシャパシャと写真を撮っていた。

観光客の中には必ず鹿と一緒に記念写真を撮ろうとしている無謀な人達がいる。
「アホちゃうか、チョコボール、もとい鹿の糞を踏んづけて泣くのがオチやで」
と思うのだが、やはりあちらこちらで鹿を狙っている。
こういう人達は鹿はアニメの鹿と一緒で人間の言葉を理解してくれているものと信じているのではないか、と思えることがある。

まず鹿に対して「おいでおいで」をする。
鹿はこれを当然のことながら無視。
つづいて鹿の近くへ行こうと歩み寄る。
その瞬間、鹿は警戒心を発揮して何処ともなく逃げ去るのだ。

鹿を招き寄せる簡易な方法は鹿せんべいで興味を引く、という手がある。
しかしこれは鹿の集中攻撃を受ける可能性があるので、やはり一緒に写真を撮影するのは困難だ。

ともかく、奈良公園の鹿は自由奔放。
思うようにならないところが、これまた愛嬌なのである。



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今日はちょっと辛口のブログです。

大阪難波にY電機の大型店が開店したのは数年前。
地下1階、地上4階。
広大な販売フロアに8階までの駐車場。
南海電車の線路沿いに立てられた、その威容は、いやが上にも目立っていた。
東京は秋葉原と並ぶ大阪の電気街・日本橋筋商店街の玄関口近くにあたるため、

「おお!関東の量販店がついに日本橋に殴りこみか」

と話題を集めたものだった。
おまけにロケーションはいまや唯一の関西資本の家電量販店・上新電機の本社近く。
益々、地元のボルテーションは上がったものだった。

ところが、このY電機なんば店は、休日に行っても結構空いているお店。
平日ともなるとガラガラで、

「これで経営成り立つの?」

と、思わずこっちが心配になるほどの閑古鳥が鳴いているのだ。

立地が悪いのかというと、そんなことはもちろん無い。
隣接するなんばパークスは連日買い物客で賑わっているし、近々には南側にライブハウス「ZEPP OSAKA」が引っ越してくるような立地なのだ。

この巨大量販店。
何がいけないのかというと、店内を歩けばすぐにその理由がわかってくる。

品揃えが少ないのだ。
たくさん商品はあるが、種類が少ない。
量販店だが、専門店の顔が全くない。

普通、ヨドバシカメラやビックカメラへ行くと量販店だということに加えて品揃えが豊富で、他店では売っていないようなマイナーな製品が在庫されている。
例えば、カメラ用の防水ケースや旧型デジカメのバッテリー、それもサードパーティ製の製品が置かれていたりするのだ。

ところがY電機のなんば店は郊外の同社大型店と同じで、売れ筋商品中心。
仕事で使いたい、「ちょっとした製品」がまったくと言っていいくらい置いていない。

「なんで、わざわざこの場所で開業したの?」

と思わせるようなチープな品揃えなのだ。
売れ筋商品の在庫は多いけど、マイナーないわゆる「痒いところに手の届く」製品は見当たらない。

私は別にアンチY電機では決して無く、家の近くの同店には、ときどき電池やCD-Rなどを買いに行く。
ポイントカードも持っているのだ。
ところがなんば店を見る限り、立地と品揃えのセンスの無さに他人の会社ながら疑問を持たずにはいられなくなる。

例えば以前、Macのソフトウェアを買いに行ったら、
「Macはあまり置いていません」
と宜もない。
本体はあるけど、ソフトウェアは買う人が少ないのか、フォントも、グラフィックソフトもほとんど置いていなかったのだ。
Macの本質を知らないのなら、扱うのは止めにしたら、と思ったものだ。
これが他の量販店になるとちゃんと置いていて買い物にあまり困らなかった。
畢竟、ここへ製品を探しに来ることは少なくなり、ヨドバシやビックに行くことが増えていく。

久しぶりに訪れたら疑問に思うことが増えていた。
地下一階にブランド物専門店が移ってきていたのだ。
GUCCIとかHERMESなんてブランドのバックや貴金属が売られていた。
その高級ブランド売場のすぐ近くに、スーパーマーケットよろしく日用雑貨品の売り場があり、洗濯剤やティッシュなどが販売されている。
ムードは下町。

こんなところでブランド物を買う人がいるのだろうか。

店舗の雰囲気作りは重要な要素。
P&Gの洗剤見ながら高級時計が欲しくなるとは思えない。

とはいえ、家電量販店市場は曲がり角に差し掛かっているようで、ビックカメラがメガネを扱うことを正式に発表。
日経の記事を読んで驚いた。
もしかすると、日用品と家電品、ブランド品を一緒に並べて販売する日が遠からず来るのかもしれないと思ったのであった。

ちなみに、そういう売り方をしていた大阪の和光電気は随分前に倒産した。
時代は繰り返す、ということなのだろうか。

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