<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



もうこうなると既存のメディアは要らないじゃないか。
とりわけ地上波テレビや新聞なんてメディアはもう時代遅れで廃止すべき存在なのかもしれない。
廃止することのメリットは小さくない。
地上波テレビを廃止したら空いた電波スペースを携帯端末やデータ通信に利用でき、現在よりも有意義に利用できることこれ間違いない。

「メディアは言論の自由を守っている」

と声高に叫ぶ可能性もある。
けれどもすでにネットのほうが言論が自由であり、自由すぎて無責任な発言をして検挙されている人が出てるぐらいだからネットを使った放送の方が放送法にも縛られず有意な番組提供ができるはずだ。

で、なんでそんなことを思ったのかというと一昨日の菅首相の緊急事態宣言発令に伴う記者会見で記者たちの質問を聞いたからだ。

まったくもってどいつもこいつも、どこかのE党首と同じで質問内容は小学生以下。

たとえば
「前回の非常事態宣言解除は早過ぎたんじゃないですか」
とか、
「また休業を余儀なくされる飲食を中心にする人々に対してはどう言い訳をすんですか」
とか、ホンマにほんま、アホかいななのだ。

テレビを見ていると、
「早すぎたって結果だけ見て叫ぶなボケ!」
とか、
「飲食の人たちの生活を脅かしてんのはお前らや」
と野球中継を見ているようなヤジを飛ばしてしまいそうになる。

これらが大手新聞や準大手新聞の記者たちによる質問だから呆れを通り越して悲惨でもある。
メディアには東大や早稲田なんてトップ大学を出た御仁もいるわけで、そういうところで何を学んだか、質問するのはたんなるイチャモン。
一体誰の差し金なのか警察に調べていただきたいぐらいだ。
もしかすると防衛庁やJAXAの機密情報を盗もうとした某国の陰謀の可能性もあるので要注意でもある。

そんな中、まともな質問をしたメディアがひとつだけあった。
ニコニコ動画記者。

そもそもニコニコ動画に記者がいたなんてことを知らなかったし、それが記者クラブに入り込んでいることも知らなかった。
私は正直かなりびっくりした。
場違いじゃないかと思った。
例えば宝塚歌劇で男優がオスカルを演じるくらいの場違いに驚いたのだ。
さらにメディアとして最もまっとうな質問をできる記者がここなんて。
地上波メディア終焉を強く感じることになったのは言うまでもない。

各社が首相の失言を引き出そう。
愚衆の言動を煽って視聴率を稼ごうとばかりして、前述のようなアホウな質問を繰り返す中、

「ニコニコ動画です。リモートワークを実施して新しい働き方を考えなければならないことがこの一年間の流れですが、それに十分対応できない企業がまだ多くあります。この状況を政府としては今後どう対処されていきますか・」
というような趣旨の質問なのであった。

ネット系企業だからリモートワークには興味がある分野かもしれないが、政府がホントに対処しなければならないもののひとつがネットワーク環境の整備とそれの推進で、とりわけ緊急事態宣言下というかコロナ禍でこの質問は非常に重要なポイントを付いていたのだ。

菅首相にも医療の現場でも製薬会社にも感染症の専門家にも誰にも100%確かなことはわからないコロナの変異やその拡散についてぎゃあぎゃあ言ってる新聞記者よりよっぽどまともな質問なのであった。

そもそもテレビや新聞が市民、つまり視聴者や読者に向かって、
「コロナ感染が広まっています。外出せずに、出歩かずにできる限り自宅で過ごしてください」
と呼びかけたことが一度でもあるのか。
「みんな正常な生活を取り戻すために協力しましょう」
なんて言っているのを聞いたことがない。

いつも、
「今朝の渋谷の人出です。」
とか、
「大阪なんばの様子です」
「夜、公園での飲んでいる人がこんなにいます!」
とは伝える。
でも大勢が横断歩道を歩いている光景を写しながら、
「外出しちゃいけません。このようなことにならないようお願いします」
「みんな飲じゃだめです」
と言ったメディアがひとつでもあるのか。

コロナ禍。
それをどのように協力して終焉させるのかを訴えもせず首相にアホウな質問を繰り返すだけの既存のメディア。
これを機会に地上波メディアや衛星放送をリセットしたらいかがか。
携帯電話が通じやすくなるし、代わるのメディアはニコニコ動画みたいになんぼでもあるのだから。




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ついにその時が来てしまった。
カメラ雑誌の老舗・月刊「日本カメラ」が5月号をもって休刊されることになったのだ。
で、出版元はどうなるんだろうと思っていたら日本カメラ社も会社を清算するという。
事実上の廃刊、廃業なのだ。

これから写真・カメラ雑誌はどうなってしまうのか。
その行き先が大いに気になるところだ。

そもそもデジタルカメラが普及し、コンパクトカメラの分野がスマートフォンにとって代わってしまった時点でカメラ雑誌の命運は潰えていたのかもしれない。
というのも写真はすでにプリントして紙で見るよりも液晶画面で見ることが主流になり、写真の共有もプリントした紙をやりとりするのではなくデータを送受信することによって各々のデバイスで鑑賞することが普通になってしまっているからだ。
このような状況で紙に印刷された写真を手本にする次世代の人たちは多くはないだろう。
なにかの参考にする写真は雑誌のカラーグラビアからではなくインスタグラムやPinterestといって画像サイトからというのが手軽で無料。
そのうえ撮影者本人も気軽に参加できるので投稿したら十中八九ボツにされるカメラ雑誌よりも大いに魅力的だ。

おまけに雑誌の重要なスポンサーであるカメラメーカーも広告の打ち方が変わった。
雑誌広告を載せるより売りたい製品で撮影した実際のデータをネット上に公開してアピール。
調べている顧客の方も、
「ああ、こんな感じに撮れるのか」
と納得しやすい。
雑誌で仕様やサンプルをチェックするのは雑誌代もかかり優越性がない。

また一つの主なスポンサーであるフィルムメーカーはもはや写真の世界ではニッチな分野になってしまったのだ。
世界トップのコダック社はもう何年も前に倒産。
二位の富士フィルムは写真フィルムは片手間事業になって今は総合化学メーカーに大変身。
フィルムを広告するなんてほとんど無意味の世界になっているのだ。

とはいえ、日本カメラは昨年休刊したアサヒカメラと並ぶメジャー雑誌だった。
アサヒカメラは少し奇をてらった写真が多かったが日本カメラは正統な流れの作品が多かった。
それぞれ個性があって面白い雑誌で映像を大学で専攻した私なんかは勉強になった雑誌でもあった。
アサヒカメラは朝日新聞社が発行しているので会社はなくならなかったが日本カメラは会社も存続せず消えてしまう。

時代の流れ、と言ってしまえばそれまでだけど、他のカメラ雑誌の今後が気になるところでもある。

ありがとう日本カメラ。




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先月のとある日のこと。
日本経済新聞の関西欄で大阪の道頓堀がNYのブロードウェイより古い演劇の街だったことを紹介していた。

「飲食街だと思っていた道頓堀は実は劇場の街だった」
だってさ。

正直、びっくりした。
道頓堀を大型の屋台街と間違えとる。
日経の記者は経済なかりに興味があって日本の文化には興味がないのか。
「道頓堀が演劇の街だったなんで」
というぐらいだから、
「船場が日本経済の中心地だったなんて」
と言いださないこともなく、現在のマスメディアの混迷ぶりがよく分かるところなのであった。

さて、その道頓堀。
NHKの朝ドラで女優・浪花千栄子をモデルにした「おちょやん」が放送されていることもあり今は「くいだおれ」の街と思われているが、かつては芝居の街であった。

残念ながら当時の息吹を伝えているのは松竹座のみ。
私が高校生の頃までは少なくとも演芸の角座、藤山寛美の松竹新喜劇で有名な中座、文楽の朝日座があって道頓堀東映、松竹座の映画館があった。
劇場と呼べるものが合計5館存在していたのだ。
角座は一旦映画館になったあと建て替えられ、つい数年前まで演芸場だったが折からのインバウンドに押されて複合ビルに建て替えられてしまった。
松竹芸能の芸人さんはどこで漫才や落語、マジックなどをやっているのか大いに気になるところだ。
吉本興業に移籍したのだろうか。
中座は火災に遭って、その後は劇場にされずこれも複合ビル。
文楽は(大阪の)日本橋の国立文楽劇場に引っ越して朝日座は取り壊し。
道頓堀東映も無くなって松竹座だけ建て替えられて歌舞伎がメインの劇場に生まれ変わった。

飲食の街というのはあくまでも劇場があっての飲食店だったが、それが「かに道楽」や「くいだおれ(閉店)」など料理の中身よりも看板のほうに注目が集まるような店に焦点が当てられ劇場文化は徐々に廃れてしまったのだ。
そこへインバウンドで外国人、とりわけ中国人が大挙して訪れるようになり道頓堀は劇場の街はおろか飲食街でもなく和風中華街みたいになってしまったのであった。
びっくり仰天である。
近松門左衛門がタイムスリップしてきたらきっと腰を抜かすに違いない。

私はこのような道頓堀を中心にする「ミナミ」地区が実は大阪らしさを失い、どこの街ともつかないUSJもびっくりのWorseワンダーランドに変わるにつけ足を向けなくなり、飲むのなら天神橋筋商店街か京橋(大阪の)あたりになってしまったのだ。
正直、一昨年まではミナミへ行くよりも渋谷へ行くほうが多くなったくらいなのであった。

そこへ来てコロナで外国人インバウンドが崩壊。
そしてNHKの朝ドラが道頓堀を舞台に始まり、ミナミが元のまともな大阪らしい繁華街に戻りつつある。
そこに今回の日経の記事。

大阪が実は演劇を支える文化・歴史のある街であることを大阪人自ら再認識しなければならない記事なのであった。



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年が明けるとサラリーマン生活にピリオドを打ってからまる3年が経過する。
その間、新たな就職先を探しては断念し、病気の疑いがあって入院もしたが結局この歳で今更就職もできまいと思ってその年の夏前に起業をして現在に至っている。
最初はなかなか注文が取れずに苦労をしたが、営業を回っているうちに勤務していた会社の得意先の一つが、

「辞めたんだったら、うちの会社のプロジェクト手伝ってくれますか?」

と声を掛けてくれた。
プロジェクトそのものは他社とのコンペで負けてしまったのだが、声をかけてくれた会社が誰でも知ってる大手だったことが自信を持つきっかけになった。
とはいえ十分な売上を上げるにはまだまだ修行が要った。
今も修行中の身の上だと思っている。

そんなこともあって自分のオフィスを借りるにはまだまだ。
だから自宅の一室を事務所にしてそこで仕事をしている。
自宅で仕事をすると仕事とプライベートの境目がなくなる欠点があり、何度もオフィスを借りようと思った。
しかしその都度考えると賃料を払ってまで仕事をする時代なのかどうか悩んでしまうことこれ事実なのだ。
仕事はパソコンと通信環境があればデスクワークはできてしまう。
会議もFaceTimeで完了だ。

だからソフトバンクの孫氏が損をしたというシャレにもならないWeWorkの価値急落はわからないでもない。
シビアな現実でもある。

私のような起業早々の個人事業主がデスク1つの賃料が5万円もするWeWorkを借りたいと思うのかどうか。
考えてみればわかるもの。
行政が運営しているインキュベーション施設なら5,000円ほどで借りることができる。
ブースとなるとWeWorkの価格設定なら裏路地のワンルームマンションの一室を借りることも可能な金額だ。
裏路地のマンションとWeWorkのあるような渋谷や梅田の一等地の差はあるものの、起業したばかりの者にとっては固定費の削減という至上命題があるため高い賃料の民間オフィスを借りることは死活問題でもある。

2ヶ月ほど前にWeWorkのオフィスを見学する機会があった。
格好いい玄関、シャレたイベントスペース、アルコールもあるドリンクのサービス。
ガラス張りのオフィス。
Wifi環境。
しかしデスクは巾1mほどの作業台のようなもので、それを規格サイズにして1箇所月5万円。
誰が借りているのか見てみると並み居る大企業の企画部門や新規事業部。
私のような個人事業主が借りるようなものではなかったのだ。

普段私は大阪市内や東京都内ではスターバックスかマクドナルド、公共図書館を臨時のオフィススペースとして使用させていただいている。
大阪なら大阪市立中央図書館、東京都内なら日比谷文化図書館と言ったところだ。
当然会費は要らず月利用料も要らない。
スタバやマクドはドリンクで1時間ぐらいは作業できる。
当然シェアオフィスの数よりもスタバ、マクドの方が圧倒的に多いので場所も探す必要がないくらいだ。
お客さんとの打ち合わせはお客さんのオフィスですればいいし、
「スタバで打ち合わせしませんか?」
と訊いて嫌がる人はほとんどいない。
内緒の話には適さないがそれはシェアオフィスも同じことだ。

そもそもシェアオフィスはニューヨーク市立図書館を起業したばかりの人が利用して図書館自身もビジネス支援を積極的に取り組んだところあたりが始まりではないかと思っており。
ニューヨーク市立図書館は当然無料だろうし、日本の大阪市立中央図書館も日比谷文化図書館も公立なので無料である。

有名シェアオフィスが見かけ倒しでビジネスとして難しいのは金を節約せねばならないスターターから良いことで誘惑して金をむしり取ろうとするそのスタンスにあるのかも知れない。


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週刊少年マガジンの最新号が今日から無料で公開されるという。
これは海賊サイトでの話ではない。
出版元の講談社の正式のリリースなのだ。

中国地方を中心とした豪雨のため西日本の物流ラインがずたずたになっている。
このためにどうしても雑誌を配布できない地域が出るための臨時的措置だそうだ。
臨時とはいえ、かなり大胆な決断をしたものだ。
この影響はどのように出るのか。
大いに気になっている。

ここで思い出したのは「フリー」という新しいスタイルのビジネス。
コンテンツやソフトウェア、サービスなどをある一定レベルまでは無料で開放し、それ以上の機能には追加費用を求めて、その部分が収益になるという仕組みなのだ。
グーグルやアップルと言ったIT企業がこの分野が得意なのだが、そもそもコンテンツを販売して収益を得ている出版社が災害対応とはいえ雑誌を無料公開するのはかなり面白い試みだと思う。

私が子供の頃は少年マガジンは人気コンテンツがたくさんあった。
「あしたのジョー」
「巨人の星」
「三つ目がとおる」
などはすべて少年マガジン連載の漫画なのであった。

今は長らく読んでいないこともあって、何が連載されているのか全くわからない。

今の人気漫画を知る上でもかなり面白い試みじゃないかと思った。

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週刊文春は週刊新潮とならぶ私の愛読週刊誌なのであった。
エッチ記事も1〜2ページあるにはあるが、それぞれ週刊誌としては硬派で保守派で一本筋の通ったところが他誌とは違う魅力だった。

ところがその文春が知らない間にかなり堕落していたのだ。

私は小室哲哉のファンでもないし、彼の音楽がお気に入りでもない。
だいたいどれが彼の楽曲なのか、正直のところ聴いてもわからない。
彼が活躍した1990年代は、私の最も忙しかった年代でもありテレビやラジオを聞くことも見ることも少なく、いわゆるヒット曲の類はちっとも記憶にない。
1970年代の生まれのカミさんと音楽ことで知識が共有できないのは、ちょうどこの頃の作品が中心だ。

だからといって、今回の「小室哲哉引退」の報道を聞いてもそんなにショックとは思わなかった。
でも、その詳細を新聞で読むと、そのショックは小さくなく、私は愛読誌だった週刊文春の堕落というか品質の凋落を改めて確認することになってしまったのだ。

どうやら文春は他の三流週刊誌のようにゴシップをスッパ抜き部数が伸びて売上につながるという麻薬に蝕まれてしまっていたのようのだ。

これはきっとベッキー、ゲスの極み乙女の不倫事件に端を発する麻薬なのだろう。
こういう世界は市井の興味を誘い部数が伸びる。
だからといって政治家のスキャンダルのように人々の生活につながってくるかというと、芸能人のそれである。
全く関係のないどうでもいい話なのだ。

こういうどうでもいい話は文春や新潮の出番ではなく女性セブンや週刊現代の世界ではないだろうか。
少なくとも私はそう思っていたのだ。

今回の小室哲哉の記事は明らかにベッキー&ゲス事件とは異なる性質のものだ。
彼は病気のために知的障害を負ってしまったカミさんの世話を健気にも続けていていた。
しかし心的ストレスは相当なもののはず。
相談相手も欲しい。
かといって仕事は忙しい。
でも出来るだけのことはしてやりたい。
そんなストレスを抱えての女性との関係である。

そんなこと放っておいてやったらどうなんだ、というのが市井の意見に違いない。

障害を負った家族の世話は容易ではない。
年老いた親の世話。
障害を負った伴侶の世話。
事故で動けない子供の世話。
そういうケースは誰にでも当てはまるものであり、立派な社会問題だ。
そういうハンデを抱えた人の数が少なくないだけに深刻である。

働きながらハンデを負った家族の面倒を見ている人は今回の彼の記事をどういう気持で読んでいるのか。
文藝春秋社の連中はわかっているのだろうか。
文春は小室哲哉を取り上げてプライベートなことで避難する前に、彼の苦労を通じて介護生活の問題にスポットライトを当てるほうがよほど大切なんじゃなかったのか。
それこそ一般の感情とは正反対の心の持ち主にしか思えない憤りを感じるのだ。

月刊文藝春秋で綿密な記事を描き、月刊諸君!で論を戦わせる。
週刊文春はその先遣隊ではなかったのか。

堕落の文春。
文春もついにマスゴミの仲間入りをしてしまったのが悲しい。

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日本経済新聞が先月から月4900円に値上げされた。
よって家族会議の結果、日経の購読を止めることにした。

そもそも新聞の定期購読が必要かどうか。
侃々諤々の議論とまではいかないけれども、ここ数年家族での話題になることが少なくなかった。
なぜなら毎日配達されてくる新聞をちゃんと読むこともすくなくなってしまっていたからなのであった。

正直言って事細かく読んでいるヒマなど私にはなかった。
数日間読まれずに溜まっていく新聞。
それをまとめて週末なんかで読むものだから時間軸で言うと新聞は週刊誌になってしまっていた。
新聞はその速報性が重要で、一週間も時間が経過してしまうとホンモノの週刊誌の方が取材内容が濃く、今更日刊紙を読むのはタイミング的にあまり重要ではなくなってしまっていたのだ。

止めるのか、止めないのか。

クヨクヨ悩んでいても仕方がない。
そこで何か止めるキッカケを求めていたわけだ。
そういうわけで今回の値上げの件は購読を止めてしまう理由としてはほぼパーフェクトで申し分なかった。
4500円程度の金額から一気に約5000円に値上げするのには勇気が要ったに違いない。

ああ日経。
されど日経。

私見だが、もしかすると朝日新聞販売店が日経を売っているので購読を止めることに躊躇しなかったのかもしれない。

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子供の頃から科学雑誌が大好きだ。
小学生の頃は学研の「科学」と「学習」のうち「科学」を買ってもらっては付録を大いに楽しんだものだった。
まったくもってグリコのおまけと同じで中身よりも付録が楽しみな雑誌であったわけだが、そういう体験は私の年代では誰もが持っている思い出でもあるだろう。

中学生になると天体に興味を持つようになった。
きっかけは岡山にある父の実家に行って夜中に空を眺めると大阪では見ることのできない素晴らしい星空があることに気がついた時と、関西テレビで深夜に放送されていたスタートレックこと「宇宙大作戦」にハマった時期が重なったことだ。
そこでたまたま岡山県総社市にあった書店で月刊「天文ガイド」なる雑誌を立ち読みした瞬間にビビビと感じるものがあり、天文学の世界に魅了されてしまったというわけだ。
岡山は日本でも有数の星空の美しいところで国内最大の天体望遠鏡を持つ東京大学の天文台も設置されているくらいだ。

当時、天文の雑誌は今も発刊されている「天文ガイド」と今はなき「天体と気象」という2つがあってどちらも高校を卒業するまで購読していた。

高校生になると「宇宙大作戦」にハマっていたこともあって異星人やUFOなどの「トンデモ科学」にも興味を持ち始め、先に挙げた硬派な2誌以外にも「UFOと宇宙」という雑誌を購読し始めた。
ちなみに私が雑誌投稿をして初めて採用されたのがこの「UFOと宇宙」で、テーマは「UFOの飛行原理」なのであった。
確か、
「UFOは惑星間で影響しあっている重力を利用して恒星間飛行している」
という、明らかにスタートレックの「ワープ航法」に影響を受けたような理論を述べて採用された記事なのであった。
なお、公の出版物に初めて自分の名前が登場したのはニッポン放送で放送されていた「欽ちゃんのドンといってみよう!」で欽ドン!賞を頂いた小話が掲載された集英社の「欽ドン!part4」というペーパーバックだったが、これは余談。

大学生になると「宇宙」よりも「映画」に夢中になってしまい、天文からは離れることになるのだが、この年に創刊された雑誌が科学雑誌「ニュートン」であった。
東京大学教授で日本沈没の元ネタのプレート理論を提唱し、太い黒縁の眼鏡を少し傾けて掛けている姿が印象的な竹内均先生が編集長ということで大いに注目した雑誌なのであった。
そして期待は裏切られることがなかった。

豊富な写真。
綺麗なイラスト。
専門的すぎないわかりやすい解説の数々。

天文だけではなく生物や化学、地学にいたるまで、すべての科学分野を網羅するその紙面は、硬派な「日経サイエンス」や、当時は全く知らなかった「ナショナルジオグラフィック」にも勝るとも劣らない内容で、すっかり魅了された私は定期購読者になったのであった。
天文から映画に興味は移行したが私は基本的に科学が大好きだったのだ。

その雑誌「ニュートン」が今、廃刊の危機に瀕している。
その原因は元出版者社長が詐欺罪で逮捕され、詐欺で集めていた資金がこの雑誌に投入されていたことが判明したからである。
ニュートンを出版していた出版社は昨日民事再生法を申請した。
事実上倒産。

メディアでは「ニュートンの発行継続に全力を注ぐ」と伝えられているが、どうなることか分からない。

会社はともかく数々の素晴らしい記事を掲載し続け、毎年ノーベル賞受賞者を輩出するほどの科学立国日本になったことに少しは献身したはずの雑誌「ニュートン」。
今後もどこかの出版社が発行を続けることを期待してやまない。
一人の科学ファンからの希望なのである。

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週刊文春にここ4週間ほど連載されている横田増生の「ユニクロ潜入記」が面白い。
ユニクロの内幕を見るということが面白いのではない。
業界でトップになる企業はどのようなマネジメントをしていて、どのような働き方を求めるのかということが面白いのだ。
とりわけユニクロのような急成長をした企業の労働条件はどれほどキツイものなのか。
電通がブラック企業だったらユニクロはどうなのか。
噂と現実を比較することができるのでとっても興味を持って読むことができる。

感謝祭での超激務。
本業の学校を休まざるを得なくなるアルバイト学生の勝手に決められるタイムテーブル。
超複雑で緊張を強いられるレジ入力。
外国人従業員は戦力なのか否か。
などなど。

潜入を試みたレポーターで筆者の横田増生は池袋のビックロで勤務中に文春のライターであることがバレてしまいクビになるのだが、そもそもそういうところにもユニクロの企業としての性格が現れていて面白い。
アルバイト身分の筆者が兼業でライターをしているからと言って咎められる筋合いは無いわけだし、内輪の事情でも知られて困るようなことは正直言って書かれていない。
しかし会社の内情を良くにしろ悪くにしろ公に向かって書いたもの「クビ」にするというところが会社の個性を表している。
こういうことは業務規約に書かれていないルールなのだろうと思った。
会社の内情を少しでも書かれると癪にさわるのか、恥ずかしいのか。
他人はなんとも思わなくても自分自身にとっては恥ずかしいことなのか。
ユニクロ社内では「よくぞ書いてくれました」という意見もあるかもしれない。
なんとなく私の大好きな「ジョージ・ブッシュはバカ野郎だー、とホワイトハウス前で叫んだ男が国家機密漏洩材で逮捕された」というアメリカンジョークになんとなく通じるものがある。
そういうバカバカしさと、やはり巨大企業の気持ち悪さとが相交えて記事の内容以上にユニクロの嫌らしさを感じてしまう。
それが今回の記事の魅力なのだろう。

しかし、急成長する会社というのは激務は当たり前なんだなとつくづく感じる。
学生時代、就職活動をしているといろんな有名企業の色んな噂が入ってきたものだ。
「神戸の○○○○というアパレル会社は自宅に帰れないくらい激務が続く」
「塗料大手の○○ペイントは最初の数年は大卒社員にドラム缶転がしの工場勤務をさせる」
「通販○○○○○は実はねずみ講」
などという今で言うブラック企業の噂だった。

今回の記事はユニクロの噂の事実の部分とそうでない部分が克明に描かれているが、読んだ印象は特別なものではなく、さもありなんというのが私を含めた多くの人の感想だろう。
ユニクロも他の急成長大企業に見られる「創業者の顔イコール会社」というイメージが先行するので柳井社長とユニクロのロゴが一体となり、超富豪が自分の会社の底辺の社員に何をどうさせているのか、という視点で見てしまう。
それが記事のユニクロに及ぼすマイナス要素になる影響力なのかもわからないと思った。

話は違うが実は私はユニクロの運命はダイエーとほぼイコールではないかと密かに感じている。
今回の記事とその流れは儚くもその予想をバックアップする要素がいくつもあり、それが最も面白い部分でもあった。



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電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホを手にして画面を見つめているという光景に出くわす。
ほとんどの人がゲームあるいはメールやSNSに精出しているのだが、その一方で書籍や新聞雑誌を読んでいる人の姿をとんと見かけなくなってしまった。
これって、いいのだろうか?

社会人になって30年弱。
通勤はだいたいが電車だった。
今はたまたま自動車通勤だが、今でも三分の一ぐらいは電車で自分のオフィスのあるところとは別のところへ向かうため電車に乗る事が多い。
それで朝の車内の光景を目にすると、冒頭のように誰もかしこもスマホ、スマホ。
書籍を読んでいる人はほとんどなく、新聞さえ少ない。

新聞についても書籍についてもスマホでよく事ができるので、みんなそれをみているおかな、と思うとそうではない。
みんなゲームかメールかSNS。
「おはよー」
だとか、
「いいね」
だとか、
「😃」
とかで、遊んでいる。

私もiPhoneを取り出し新聞社のサイトでニュースを見る事がすくなくないが、電車の中では文庫や単行本を読むのが習慣である。
新聞は読まない。
ぐちゃぐちゃになるから。
電車の中というのは不思議なもので、読書や考え事に集中できるところだ。
そ、トイレと似通ったところがある、開けているが、限定された個人の空間を楽しめる場所でもある。
以前勤めていた建築設備工事の会社では、現場までの距離が長く、通勤時間が片道2時間という事が少なくなく、一週間に2册ぐらいは電車の中で読んでしまうというような読書三昧にな毎日だった。
最も大量に読んだのは、大阪の堺市から神戸の三宮まで通っていた時の事で、電車の中だけで3日間で5册を読むという、記録も打ち立てた。

これほどまでに読書に固執したのは昔はスマホなんか無かったので電車内の時間つぶしは読書かウォークマンだったのだが、私の場合は日経だったかテレビだったかで、
「優秀な経営者は月に最低4册は書籍を読みます」
と言っていたのを真に受けていたからだ。

で、今その言葉を思い出して考えるに、電車の中でスマホをいじくり回しているのと、文庫でも雑誌でもエロ本でも読んでいるのと、どっちが時間的に有効な使い方なのだろうか、ということだ。
ネットで書籍を読む。新聞を読むということであれば、書籍を読むのと似ていなくはないが、メールをする、SNSでしょーむない情報をやりとりする。
では、きっと時間の無駄難じゃないかと思ったりするのだ。

電車内での書籍を読むビジネスマン。
電車内でスマホでSNSのビジネスマン。

どっちが上になるか、なかなか難しい課題かもしれない。

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