<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ミャンマーでは、タクシーは外国人が利用できるものと、そうでないものにわかれていた。
当然のことながらミャンマーでは私は外国人なので、外国人の乗れるように認可されたタクシーに乗らなければならなかった。
急激な民主化が始まってから私はまだ一度も出かけていないのでわからないのだが、少なくとも軍政時代はそうなのであった。
外国人を乗せてもいいタクシーはナンバーが黒。
そうでないのは白。
白タクがあるかどうかは分からないが、軍政時代のミャンマーではあまり違法なことをすると面倒なことになるかも知れないと思い、ルールに則った規則正しく礼儀にかなった旅スタイルを厳守したのであった。

ヤンゴンやマンダーのような大きな街はともかく、田舎へでかけるとチャーターしていないとタクシーがない場合がある。
カローという街の秋祭りへ出かけた時は昼間歩き回ったこともあってかなり疲れていた。
カローの祭は各村々が自分たちで作った打ち合わげ花火をお寺に持込み順番に点火して、その暴発ぶりを競う結構乱暴な祭で、それはそれで非常に面白い。
このカローの祭は”地球の歩き方”にも掲載されておらず、たまたまカローを初めて訪れた際に遭遇したわけだが、疲れていても観るだけの価値はある素朴だが、面白い祭なのだ。
私のカローでのホテルはカローホテルという英国風の瀟洒な建物が印象的な素敵なホテルだ。
第二次世界大戦中ではこの地域における日本軍の司令部が置かれていた場所でもあった。
建物はその当時のまま。
カローそのものにも一時はかなりの日本人将兵が滞在していたという。
初めて訪れた時に、そんなことを知ったものだからこの街がすっかりお気に入りになってしまったのであった。

で、いざ祭の晩になったら疲れてホテルに歩いて戻るのが極端に億劫になってしまったことがあった。
祭の会場になっているお寺からホテルまでは歩いて20分ほどかかる。
祭は面白かったのだが、クタクタだし、早くホテルに戻ってビールでも飲みたいと思ったのだ。
カローのような田舎町で流しのタクシーを見つけるのは容易ではない。
日本でも田舎では流しのタクシーなんてほとんどいない。
ましてやミャンマーである。
タクシーそのものが無かったりなんかする。

そこで目をつけたのが馬車なのであった。

ミャンマーでは田舎の街に行くと乗合馬車が活躍している。
タイの田舎行くとソンテウが主な乗り物になるが、ミャンマーではガソリンの入手が難しいことからか、コストの問題か、馬車が主力となる。
カローでも馬車が活躍していて祭の会場の近くで客待ちをしているらしい馬車を捕まえて、
「ホテルまで行ってくれるのか?」
と、ガイドさんを通じて聞いてみた。
他の国での滞在のように自分自身でではなく、ミャンマーではガイドさんをお願いしていたのだった。

なぜミャンマーではガイドさんをお願いするようになったのか。
その理由はまた別の機会にということにして、ガイドさんを通じて運転手ならぬ馬車の御者に尋ねたところ○○チャットで行ってくれるということなので、馬車を使うことにしたのだった。
馬車に外国人認可もくそったれもないのかもしれない。
ちなみに馬はウンコたれなのであった。

何度も馬車は見てきたが、乗るのは初めてだった。
まず乗り方がよくわからない。
後ろから乗るのは分かるのだが、トラックの荷台のような乗車位置で、屋根になる幌もかなり低く、荷台によじ登り這いつくばらなければならない感じだ。
小柄なミャンマーの人たちはいいけれども、日本人の中でもどちらかというとデカイほうの私はかなり、乗りにくい。

「なにしてんるんですか。馬車に乗れませんか(笑)」

などとガイドさんに誂われながらも、なんとか乗って座席に腰をかけた。
見かけよりも狭く感じたが、それは幌が低くて景色がよくみえなかったためでもあった。
馬車に乗って景色を楽しむのは結構難しそうだ。
尤もこの時は夜だったこともあり、そんなことはどうでもよかったのだが、やはり、馬車はなかなか風情があった。

走りだすとパカパカパカパカという蹄の音が嬉しい。
静かだ。
ミャンマーでは馬も小柄だが、さすがに力持ちと見えて、軽快に走って行く。
自動車と違ってエンジン音はないし、スピードはゆっくりなので快適だ。

そうこうしているうちにホテルに到着。
自動車のタクシーと違うのは、馬車は生き物が引っ張って動いているので、なんとなく馬に対しても「ありがとう」という気持ちが生まれてくることなのであった。

電気自動車リーフもエコでいい。
プリウスもしかり。
でも、馬のエコと、生身の動物という生きとし生けるものに対する感謝と親しみまでは生まれない。

馬車は究極のタクシーなのかもしれないと、今思うのであった。

海外のタクシーは実に様々。
肝心なことは事故よりも事件に巻き込まれないようにすることが重要なのだ。

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海外のタクシーといえば「自動車」に限ったものでない。
シクロや馬車、などといってものもタクシーに分類してもいいのかもしれない。

タイのトゥクトゥクを初めて利用した時はいささか勝手がわからず戸惑ったものだが、トゥクトゥクにしても屋根に「TAXI」と表示されていることが多いので、あれもタクシーの一種と思えば何ら問題はない。
問題はメーターがついていなくて価格を交渉しなければならない、というところに問題がある。

タイはすでに途上国とは言いがたい経済力を持ってきているが、田舎へ行くとまだまだでタクシーが走っていない、または見つけにくところもある。
初めてロッブリーというところへ出かけた時は、シクロを使おうか、それとも歩こうか大いに悩んだものであった。

国鉄のロッブリー駅を下車するとタイの田舎の駅らしくとっても殺風景で、駅舎の前にはタクシーなんぞはおりわせず、客待ちをしているシクロのお兄さん、おじさんたちが列を無して屯していた。
列車を降りた乗客は非常に少なく、観光客らしき客は私ぐらいしか見当たらないくらい寂しいところなのであった。
駅前に屯していたシクロの運転手たちが一斉に私を見つめたのは言うまでもない。

「お、これは、やばい」

数人がシクロを引きながら私に近寄ってくるのが目にとまった。
ガイドブックによると、ロッブリーの街はそんなに大きくないので徒歩で全てを見て回ることができると思われた。
地図を見る限りはせいぜい2km四方に観るべき観光スポットは点在している。
17世紀にお城があったいう遺跡、クメール時代の寺院跡、などだ。
最も見たいところはもちろんクメール時代の遺跡跡。
ガイドブックを観る限り、アンコールワットを小さくしたようなその独特の形状が私の心を誘ったのであった。
ところが、アンコールワットに似たクメール寺院跡は駅からすぐのところにあり、しかも鉄道沿いの大通りの踏切角にあるという。

こんなんでシクロを使うのはずいぶんと非経済的だと思った。

案の定シクロの運転手たちは私に近寄ってきて「乗らないか」というような手振り素振りで話しかけてきた。
この頃の私は、というか今もそうだがタイ語は、
「高い」
「安い」
「バス停はどこですか?」
「バス停へ行きたいのですが」
「私の名前は○○です。」
「君綺麗だね」
ぐらいのことしか言えないのだ。
したがってシクロンの運転手をやり過ごすには「指差し会話帳」しか武器はなかったのだ。
で、指差し会話帳タイ編のページをめくると、やはりいたれりつくせり。

「歩いて行くからいいや」

というのが載っているではないか。
わたしはすかさず、そのページのその部分を指さして運転手たちに見せた。
その部分には日本語と英語、そしてタイ語が書かれていて運転手たちはすぐに内容を理解し、非常に残念そうに諦めてくれたのであった。
諦めてくれなかったのはベトナムのシクロなのであったが、それはまた別の機会。

今考えてもシクロぐらい価格交渉をして使ってあげれば良かったと思う。
というのも、シクロの料金などたかが知れており、ましてや私はバックパッカーとは言いながら日本人。
タイの人たちと収入が違い、できれば利用してあげて彼らの生活の少しでも足しになれば良かったと、少々悔いるものがある。
なお、悔いがないのはベトナムのシクロであったが、クドイようだが別の機会。

結局私はロッブリーの街をウロウロしたのは良かったものの、暑くて暑くて、ちょうど市場のすぐそばにあったミスタードーナツの店に入って、

「なんで……ロッブリーでミスドに入ってしもたんかな」

と考えながら、コーラと原色ギドギドのドーナツを食べ、

「そうだ、バイクタクシーに乗ろう。さっきそこの市場の前で見たし」

と結論してしまったのであった。
それならシクロを使えばよかったものを、ミスドから出た私はバイクタクーの運転手に指差し会話帳とガイドブックの写真を示しながら、

「クメールの遺跡に行ってから、バスターミナルに行ってちょうだい」

とお願いしたのであった。
来る時はバンコクから列車に乗ったのだが、帰りはさっさと帰りたかったのでバスを利用することにしたのだった。

つづく

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海外でタクシーに乗るはそれ以外の公共交通がなかなか使いにくいからでもある。
これは海外に限らず、日本国内でも同じ。
初めて訪れた地方都市でJRの駅や空港から目的地に行くのは容易ではない。

かつて営業職をしていたとき、度々沖縄や鳥取、島根を訪れた。
なぜそんな離れたポイントが私の担当エリアだったからだ。
実は沖縄県と山陰地方は近畿地方ではないけれども大阪からサポートするのが便利なところでもあるのだ、
その理由はさておいて、いずれも那覇空港や鳥取駅、米子駅、松江駅に着いてからの移動が他所から来た者にとって大変なところだ。
沖縄は今でこそモノレールが走っているが、初めて訪れた時は国際通りへ行くのもままならなかった。
したがって安直なところでタクシーを使った。
目的地まではタクシーで行き、空港や駅へは乗合バスを利用する。
なぜなら帰りはバス停がどこにあるのかさえわかれば、たいてい行き先は駅や空港などのターミナルであるからだ。

タクシーを使わずに始めったから路線バスを利用して移動したのは東京。
東京は比較的わかりやすく、ネットで路線を調べるとたいてい何処かまでは移動することができる。
現在私の定宿となっている台東区内とあるビジネスホテルは電車で行くには少々不便だが、都バスで移動するとバス停がほぼホテルの前にあるのだ。
海外では台湾で迷わずに路線バスを利用することができた。
これは台湾の路線バスのシステムがただ一点を除き日本と全く同じであることに理由がある。
違う一点とは、道路が右側通行であるために乗り方が逆なのである。
行き先表示は中国のような簡体字ではなく、正漢字。
したがって日本人の私にも難なく読める。
これ一点をとっただけでも台湾は中国の一部ではない。
後は整理券を取って乗り込み、降りたいところでブザーを押し、お金を払って降りるだけ。
運転席横の表示器も日本のそれと全く同じであり、迷うことがない。
むしろ台湾を中国の一部と主張する人たちに「ここは日本です」と言いたくなるくらい非日常感がないのだ。

これで私は地下鉄の駅から故宮博物館や深坑へ豆腐なんぞを食べにでかけたのだが、ちっとも迷うことがなく、そのことに大いに感動したのであった。

シカゴのバスも1回しか乗らなかったが迷うことがなかった。
街の中心部からプロアイスホッケーのシカゴ・ブラックホークスの本拠地ユナイテッドセンターまでの往復であった。
アメリカの路線バスは物騒ではないかと少々気にしたのだが、そんな心配は全くいらず、行きも帰りも実に快適に移動することができた。

この台湾とアメリカの事例の共通点は字が読めることであった。
ついでに言えば、言葉も意思疎通がかなりできるということも重用なポイントだろう。
アメリカは英語で、まま通じるし、台湾は驚くこともないかもしれないが、困っときにはなぜか日本語を話せる人が老若男女かかわらずどこらともなく現れるという、特徴があるようだ。

つづく



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これで最初で最後のタイ旅行、と思ったバンコク2泊3日白タクの旅は、1回では終わらず何回もリピートを繰り返した。
一応合計20回までは私も丁寧に数えていて、旅の資料もちゃんと整理していたのだが、それ以降は数えるのも資料を整理するのも面倒になり、今では何度訪問したのか記憶はグチャグチャだ。
でも白タクを使ったのは最初の一度っきりになった。
いま、プラトーナム辺りの中級ホテルの前で屯する白タクを見るにつけ、懐かしさがこみ上げてくる。
かといって、流しのメータータクシーはよく利用するようになった。
なんといってもバンコクは暑い。
その暑さは大阪の真夏に匹敵するものがあり、徒歩の移動=死を意味するのではないか、と思えるほど過酷である。
従ってスカイトレインや地下鉄が通じているところはそれらを利用するが、路線バスは文字が読めない、言葉が通じないなどのような問題点が影響し、まだ思うように目的地に行けないことがあるので、辺鄙なところ、例えば南バスターミナルへ行く時にはタクシーを利用することが多い。
そのタクシーよりも利用回数が増えたのがバイクタクシーなのであった。

バイクのタクシー。
バイクタクシー。
日本にはもちろん、ない。

バイクタクシーを初めて利用したのはベトナムなのであった。
ホーチミン市ことサイゴンに到着した私は、空港からタクシーに乗って予約していたドンコイ通りのホテルにチェックインをした。
ホントは著名なマジョスティックホテルに宿泊するつもりだったのだが、予算をケチってマジョスティックホテルにほど近いビジネスホテルを予約してしまったのであった。
さて、これから街歩きをしようと通り出て歩き始めた。
この時もそう何度もベトナムに来るとは思えなかったのでさっさと一日ツアーなんかを申し込んで機能的に動かなければ時間がもったいない、と思った。
ガイドブックによると、ベトナムでは「カフェ」というのがあって、そこでツアーを申し込むことができると書いてあった。
そのカフェの有名所である「シン・カフェ」や「キムカフェ」といった店はドンコイ通りではなく、ファングーラオ通りというところにあり、少しく遠い。
歩いて行けない距離ではないが、ここサイゴンもバンコク程ではないにせよ、暑い。

そんなことを思いながら歩いていると、ホンダスーパーカブを傍らに止めたお兄さんが英語で話しかけてきたのだ。
「タクシー?」
タクシー?
見たところ周囲にタクシーらしき自動車は止まっていない。
もしかすると白タクか。
雰囲気が初めてバンコクを訪れた時に使ったロイヤルホテル前の白タクの運ちゃんに似ている。
「タクシー?」
彼はもう一度言った。
「バイクタクシー?」
おお、バイクタクシーの兄ちゃんなのであった。
しかも白バイクタクシーなのであった、と思う。

バイクタクシーはバンコクでもあることを知っていて、認可番号と思しき番号のついたジャケットを着て走っているバイクタクシーをよく見かけたが、なんとなく「危なそう」と思っていたので利用したことがなかったのだ。
バンコクは交通渋滞も激しく、恐ろしく交通量も多い。
渋滞する自動車の群れの中をバイクですり抜けていくのは、
「50ccに乗ったらあきませんよ。わかりましたか。免許もダメです」
と言っていた高校の時の生活指導の先生の言葉を真摯に思い出すほど危険性を感じて、躊躇していたのだ。
しかし、サイゴンは違った。
ここサイゴンは大通りといえば2輪車がメインでそのバイクの群れは恐ろしく自然なのだ。

「ファングーラオ通りまでいくら?」

すでに値段交渉に入っている私なのであった。
記録していなかったのでいくらだったか忘れてしまったが、大変安い金額を提示されたのと、運転手の兄ちゃんが比較的真面目そうだったので即決して、ファングーラオ通りに向かうことにしたのだった。
バンコクでバイクタクシーに乗るとヘルメットをかぶらなければならない。
これが誰が冠ったかわからないようなヘルメットを渡されて、
「うわー、きったなー」
となるのだが、サイゴンではヘルメット無しでもOKなのだという。

私はスーパーカブの後ろ座席にまたがり、ヘルメット無しでサイゴンの街を疾走した。
風が耳をなで、心地いい。
違法で、そんなことしてはいけない、と云われそうだが、バイクはヘルメット無しがいかに清々しいものか改めて思い出したのであった。

サイゴンのバイクタクシーはバイクの爽快さを思い出させてくれる、なかなか憎めない存在なのであった。

つづく

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今ではバンコクで白タクを利用することなど全くない。
自分自身が宿泊するサービスアパートメントでは白タクは屯しておらず、移動にはもっぱら近くの駅からスカイトレインを利用する。
スカイトレインの走っていない方向であれば、路線バスか、あるいはトゥクトゥクを利用するのだ。
しかしこの時、バンコク初心者の私は土地勘もなく、頼りになるのはガイドブックだけ。
街の歩き方もよくわからない。
いざ出発とばかりにホテルから出て来るとすぐに私は白タクの運ちゃんに話しかけられた。
「ドコイクの?」
と、なぜか日本語で。

白タクは日本では違法だが、タイでも違法というようなことを聞くが結構たくさん営業しており、私のようなカモを見つけては声をかける。
しかも日本語で。
この白タクの運ちゃんは痩身でヨレヨレの白いシャツを着ていて怪しげな笑顔を向けてきたのだが、暑いのと慣れていないのとで私としてはどうすればいいのやら判断に苦しんだ。
でも、その笑顔が悪くなさそうだし、白タクの原則として最初に価格交渉をはじめたことから、私はその白タクに乗って手近な観光をすることに決めたのであった。
その結果として、あちらこちらの観光スポットを案内してくれたのだが、運ちゃんが話せる日本語は原則として、
「ドコイクの」

「イイコいるよ」
の2つしか無いことがやがて判明し、なんじゃこれは、ということになったのは言うまでもない。
運ちゃんはひっきりなしにそういうお店のカードを見せては、
「イイコいる」
と売り込んでくるのだが、私には全くその気がなかったので、
「いらない」
とその都度撥ねつけた。
しかし、数分もすれば再び、
「これどう?」
という感じで別の店のカードを見せては、
「イイコいるよ」
と言うのには参ったのであった。
その都度ニコニコしているので、微笑みの国とはこういう「あっち系娯楽の勧誘」で駆使され磨かれたものなのであろうか、と感心したものであった。

ある程度は真面目な面もあり、観光スポットはちゃんと回ってくれた。
しかし回った観光スポットも後にバンコクの地理に明るくなると、それらは王宮近辺を中心とする2km四方に集中していたことがわかった。
ようは近場をグルグル回っていただけなのだ。
バンコク都内は渋滞が激しく、その頃はまだスカイトレインも地下鉄もなかったので移動はすべて自動車という時代だった。
だから、渋滞は慢性的で今よりもひどかったように記憶する、

結果的にフーゾク店への執拗な勧誘と、複数の土産物屋店への無意味な訪問を除けばボッタクられることもなく、平和裏に3時間ほどの白タクツアーは終わったのだった。
しかし、これも後日、現地の事情に明るくなってからこの白タクツアーは大変危険なものであることを知った。
というのも、微笑みの国バンコクでもタクシー犯罪は少なくないという。
とりわけメータータクシーや白タクでのトラブルは現地の新聞ならずとも、時々日本の新聞を賑わす事件を発生させている。
例えば、数年前にJALの客室乗務員が繁華街で拾ったタクシーでホテルに帰ろうとしていたところ、タクシーの運ちゃんが強盗に豹変しピストルを一発ズドンとされた事件が発生した。
この時は、確か客室乗務員は怪我をしながも機転を効かせて逃げることに成功したが、タイへの訪問に慣れているはずの客室乗務員がそのような犯罪に巻き込まれるのだから、必ずしも安全とはいえない。
できれば流しのタクシーは利用せず、ホテルやショッピングモールで正式に客待ちをしているタクシーを利用するのが得策なのだ。

私が利用した白タクは白タクなのであったが、ロイヤルホテルという中の下のホテルの玄関先で常に客待ちをしているタクシーだったので、ある意味安全だったのかもしれない。
もし宿泊客に何かあれば、彼はそのホテルの前で客を捕まえることができなくなるからだ。
どうして彼がロイヤルホテルの前でいつも客待ちをしていたのかを知っていたというと、あくる日も、そのまたあくる日も、私の顔を見つけてはニコッと笑い、
「イイコいるよ」
と言ってきたからなのであった。
3日目の朝にホテルをチェックアウトした時に彼は、
「エアポート?」
と言ってきた。
私は16:00発のシンガポール行きに乗る予定だったし、なんとなく彼がタイにおける初めての知人のようにも思えたので、
「OK、あとでな。」
と英語で言って別れたのだが、結局はホテルに戻らずあるお寺の前でタクシーを捕まえてドンムアン空港に向かったのであった。
その捕まえたタクシーは流しのタクシーなのであったが、運転手が「超」安全運転をするので、「もしかして」と思ったのだが、ただ単に「超真面目」だっただけで、犯罪性はまったくなかったのであった。
犯罪性があったというと、高速道路を使わずにトロトロと一般道を走って空港へ向かい、
「乗り遅れんるんちゃうやろか。急いで~」
と言っても言葉が通じず、イライラさせたことはある意味悪気はなくともお客さんへの犯罪であったと言えるかもしれない。

つづく

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昨年末。
エクアドルを新婚旅行中の新婚カップルが賊に襲われ夫が殺され妻も重傷を負った痛ましい事件が発生。
報道によると二人は流しのタクシーを通りでひらい、それが災いして命を落としたという。
タクシーの運転手が盗賊と結託して急ぎ働きのような強盗殺人を犯すことが頻繁に発生していたのだという。

海外でのタクシーの利用を考えさせるような出来事なのであった。

海外旅行をした時に、タクシーを利用することは少なくない。
国内でさえ知らない土地に行ったら場所がわからないのでタクシーを利用することになる場合があるけれども、海外であればなおさらだ。
初めて訪れた国で公共交通を利用して目的の場所にたどり着くのは容易ではない。

私の場合、1978年の8月にアメリカのロサンゼルスに行ったのが最初の海外旅行であった。
当時まだ高校生だった私は日本交通公社のLOOKというツアーに入れられて、ロサンゼルスでの移動はほとんど日本交通公社が段取りしたツアーバスなのであった。
ツアーの間の自由時間はロサンゼルスに住んでいる日系人の親類の伯父さんとおばさんが私をあちらこちら連れ回してくれた。
したがって初めての海外旅行はまったく公共交通を利用することが無かった。

初めて海外で公共交通を利用したのは20年前に初めてシンガポールを訪れた時であった。
使ったのは、地下鉄。
地下鉄なので迷うこと無くホテルの近場の駅から乗ってオーチャードまで買い物に出かけた。
この時は友達の結婚式に出席するために行っていたということもあり、同行の知人友人も少なくなかった。
だから一緒に路線バスに乗ってジョホールバルからシンガポールまで移動したり、シンガポール国内でも路線バスに乗ったりしたのだが、そういうことが出来た最も大きな原因には英語が話せるようになっていた、ということがある。
1978年のアメリカ訪問の時には英語などからっきし話せなかったのだ。

シンガポールではタクシーも利用したが、タクシーを本格的に利用したのはタイを訪れてからであった。



タイを始めて訪れたのは、前述のシンガポール在住の友人宅へ行く途中に「ついで」で寄ったのが初めてだった。
当時は大阪発バンコク経由シンガポール行きのシンガポール航空が飛んでいて、バンコク途中下車でもチケットが同じ料金だったのでバンコクに立ち寄ったのであった。
なんといっても、シンガポールへ行く目的が「飲もか」という、梅田か心斎橋へ行って飲もかという感覚で出かけたので、荷物は小さなリュックに着替えを2着。
あとはカメラを1台。
宿の予約もせずに数日前に旅行社で格安チケットだけを購入し、関空からシンガポール航空に乗った。
宿はバンコクのドンムアン空港のホテル予約窓口で確保。
「ロイヤルホテル」
という名前のホテルを予約したのだが、名前に反して一泊料金はわずか900バーツ。
日本円にして3000円ほどなのであった。

初めての国を訪れるというのは小さな緊張感がある。
まして一人で訪れると結構緊張するので、喉も乾いたことだし、まずは小銭も欲しいことからドンムアン空港の売店でコーラを注文して飲んだ。
このコーラに氷が入ってったのだが、飲み終わってから、
「おおおお、氷入ってたけど、大丈夫かいな」
と氷の清潔度を心配する有り様なのであった。
その時私はバンコクの衛生度を非常に悪く考えており、ガイドブックに書かれている「生水は飲まない」「氷の入っているものは食べない」などということをストレートに信じており、到着後早くも氷入りコーラを飲むくらい緊張していたにも関わらず、その氷に対する配慮がすっかりのけ落ちていたのだった。
なお、当然のことながら、そんな程度で腹をこわすわけもなく、猛烈な暑さでぶっ倒れそうになったことを除けば、至って元気に家に帰ったのであった。

問題はドンムアン空港からバンコク都内の、そのロイヤルホテルへはどうやって行くかなのであった。
ガイドブックには空港からはバス、タクシー、鉄道などの手段があるように書かれていたが、バスは空港バスなら乗れないこともないのだが、緊張していることと、文字がちっとも読めないこととなどが重なり、めんどくさくて乗る気がしない。
鉄道は空港ビルのすぐ前の高速道路の向こう側に駅が見えるのだが、田舎にあるJRの田舎の駅みたいで、
「これも、大丈夫か」
と不安感が先立った。
結局タクシーでロイヤルホテルやらに向かうことにして、空港からタクシーの列にならび黄色のタクシーに乗り込んだのだった。

「ロイヤルホテルまで行って」
と英語で行ってみた。
通じるかどうか心配だったのだ。
なんといってもタイの公用語は当然のことながらタイ語であり、シンガポールのように英語ではない。
したがって。
「もし、言葉が通じなければ、どうするどうする」
とビクビクのもなのであったが、
「ま、なんとかなるやろ」
との感覚があったのであった。
幸いなことに「ロイヤルホテル」は空港で登録されているくらいのホテルなので、タクシーの運転手は頷いて走り始めた。
車窓から眺める初めてのバンコクは異国情緒たっぷり。
シンガポール以外の東南アジアの国に来たのは初めてだったので、興味津々だった。

高速道路の横にはパナソニックの看板が並んでいた。
「お~、やっぱりタイは日本企業が多いんやな」
と感動していると、次にイオンの看板が見えてきて、
「お~、イオン、ってなんや」
と、当時は大阪にはイオンのジャスコやイオンモールなんぞはとほとんどなかったので、イオンが日本の会社であることに、
「たぶん、タイで有名な日本企業なんやろな」
と勝手に思っていたりしたのであった。

ロイヤルホテルは
「王宮に近いところ」
と空港の窓口でリクエストした結果選ばれた。
別に名前で選んだわけではない。
実際タクシーは王宮前のロータリーをグルっと半周して、北東角の王宮前広場がすぐ見えるところにある古ぼけたホテルに到着した。
かなり年季の張っているホテルだったが、確かに立派な外観で、王宮前で「ロイヤルホテル」。
なかなかな宿なのであった。

料金を払ってタクシーを降りた。
蒸し~とした熱気が私を包む。
暑い。
めっちゃ暑いやないかい。

すでに緊張感はどこへやら。
ホテルに着いたのでチェックインをしてさっさと散策をはじめなければならない。
バンコクでの滞在はたった2泊だったので、見て回る時間はあまりない。
もう二度と来ることもないタイなのだから、しっかりと見て回る必要がある。
と私は思った。

ホテルの入り口には弛緩した表情をした男が数人屯していた。
あるものはバイクにまたがり、あるものは車のボンネットに肘をついてタバコを飲んだりしていた。
実は彼らはタクシーの運転手なのであった。
それも、白タクの運転手で、私はうかつにも、このうちの一人を選んでしまい、バンコク観光に出かけることになるのだ。

つづく

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グルメな時代劇というと、なんとっても池波正太郎の「鬼平犯科帳」。
とりわけ中村吉右衛門版鬼平には随所に美味そうなものが登場するのがドラマの魅力の1つになっている。
料理の中心になっているキャラクターは沼田爆演じる「ねこ殿」こと村松忠之進。
同心の村松は犯罪捜査よりも料理の研究に熱心で、その素材選び、料理方法、季節その他に関する知識と腕前がプロの料理人を凌駕しており、その描写がなんともいえず見ているものの食欲をそそる。
例えばしじみ汁であれば、
「このしじみ汁は、吾妻橋のたものとで捕れたばかりのシジミを真水で砂取をいたします。そして、それを鍋に入れ......…もう、なんとも言えぬ旨味が広がりまして」
と言った具合に展開し鬼平ならずとも、視聴者の我々までが、
「おお、吾妻橋といえばスカイツリー。あのへんでシジミが捕れたのか」
と考えながらそのしじみ汁を食べたくなってしまう。
ドラマのエッセンスとしては、出来すぎの塩梅なのである。

映画「武士の献立」は江戸時代の加賀藩を舞台にした賄い方担当武士の物語だ。
実のところこの映画、あまり観るのは気がすすまなかったのだが、カミさんがどうしても観てみたいというので付き合いで見てきたのだ。
なぜ、気がすすまなかったかというと、映画の前評判を週刊誌で読んでしまっていたことと、主役の上戸彩がどうしても時代劇にふさわしい女優さんであるとは思えなかったことだ。
アイドルでもない、かといって演技派とも思えない。
それでいてメディアへの露出も多い人なのだが、容姿がどうしても現代的で、時代劇の雰囲気がぶち壊しになっているのではなか、と思えてならなかったのだ。

で、実際に観てみると週刊誌で読んだような100点満点中60点ということはなく、それはそれで適当に見ていられる映画ではあったものの、ツッコミどころ満載の内容になっていた。
ある意味、ツッコミどころが満載であったために退屈せずに済んだという映画でもあった。
気がついたところを挙げると、

・手紙の朗読が現代語であった。
   劇中で読まれる手紙が現代語であったため、時代劇というよりも電子メールのなかった時代の現代劇という雰囲気が漂っていた。

・地域性がない。
   加賀藩という地方の街を舞台にし、そこへ浅草生まれの町人出身の主人公が嫁入りしてくるという設定なのに、全員が標準語を話しており、加賀地方の方言(関西弁の亜流)も江戸弁も使われないという、ホームドラマ的設定になっていた。良心的に評価するのであれば、どこへ行っても関西以外は標準語で話している時代劇「水戸黄門」のような設定、といえばわかりやすいと思う。

・主題が何か判然としない
   「武士の献立」というタイトルなので、料理が主題かと思いきや、例えば鬼平犯科帳のねこ殿が登場して解説するほどの料理のウンチクもなく、かといって主人公とその亭主の夫婦物でもないし、加賀騒動を描いているかというと、そうでもない。
土戸を切っても中途半端な、観ていると消化不良を起こしそうな時代劇だ。

・どの役にも不自然さがある
   映画なので不自然さがあって当たり前かもしれないが、それを感じさせないのが演出というもの。しかし、セリフが中途半端であったり、ある役者は棒読みであったりと、バラエティに富んでいた。

映画そのものは真面目に作られているだけに、あまりに現代人な上戸彩や、どこをどうみても三谷幸喜の映画に出てきた落武者の亡霊にしか見えない西田敏行や、山の中のどこかの一角としか思えない、江戸や金沢の風景は、まるで絵本の中で展開される江戸時代のお時話という感じが出てしまっていて、これまたある意味退屈しない重用な要素になっていたのであった。

武士の献立
まずはテレビを通じた時代劇楓現代劇、と思ってみれは楽しめないこともない映画なのであった。

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中国では年間2200万台もの自動車が売れているという。
これって自動車メーカーにとっては非常にありがたいことだろうが、その他の人にとっては大変迷惑なことだ。
少なくとも現在の倫理観の中国においては自動車の台数を増やすことは世界人類にとって決して幸せなことではない。

中国の倫理観は、今や国際的にもその特異性が目立っている。

公害問題なんのその。
スモッグで道路の向こう側が見えなくてもへっちゃら。
地下水が無くなったって気にしない。
重金属に化学物質、どんどん地下に染み込ませよう。
自動車は走ればガソリンの品質なんてなんだって構わない。
1日100円以下で生活する人が億単位で存在しても、月旅行挑戦。
他人の特許は私の特許、私の特許は私の特許。
アップレコンピュータもスタババックコーヒーもオリジナルだから構わない。

どこをとっても普通の国では考えられないことが展開しているのが中国だ。

毎年2200万台の車が吐き出す排ガス量。
考えただけでも恐ろしいものがある。
例えば1000ccのエンジンが1分間に1500回ピストン運動を繰り返したとして1500リットルの排気ガスが排出される。
これが1日2時間運転で300日/年運用されるとして、1年間の排ガス量は合計54000リットル。
これが毎年2200万台増えるわけだから1180億リットル排出される。
毎年1180億リットルの排ガスが増えると思うと薄ら寒い感覚があるけれども、1180億リットルというとどのくらいかというと、500mリットルのペットボトルに2360億本。
カートン数で約98億4千箱、
人はこのサイズが0.42m×0.28m×0.22mなので、縦に積んだら約21億6500万メートル。
キロメートルに直すと216万5千キロ。
地球と月の距離がだいたい38万キロなので、その5.5倍ということになる。

中国の自動車増殖。

経済ニュースでは歓迎かも知れないが、間違いなく恐怖だ。


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やしきたかじんが亡くなった。
多くの関西人が考えていたように、たかじんはテレビに戻ってくること無く永遠の旅に旅立ってしまった。
新聞報道によると1月3日に亡くなり、近親者で葬儀を済ませたということだが、驚くのはテレビ局の対応で、読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪の「たかじんnoマネー」はそのままのタイトルで継続が決定されたという。

やしきたかじんの功績は歌にあるのではなくトークにある、という声が聞かれるが、社会に最も大きな影響を与えたというと、やはり「そこまで言って委員会」に代表される関西系オピニオン番組での視聴者の埋もれた意見の掘り起こしだったのではないだろうか。
世論の硬直性、保守性の強い「東京では放送しない」という条件のもと、2000年代前半から放送されてきた番組は、当時はある意味タブーであった「嫌韓」や「愛国」「国土防衛」などといった普通であれば硬いテーマを8人のゲストと視聴者からの意見などを戦わしたことであった。
このゲストの中には右の人も入れば左の人もおり、その戦いは見るものを今もって飽きさせることがない。
しかも、当時はマイナーとされていた右派な意見が実は一般的には主流の意見であったことをキチンと掘り起こしたのもたかじんのトークによるリードだった。

論客の中からは今の論壇で活躍する人々が登場。
その代表格は大阪市の橋下徹市長に違いない。
昨年の橋下市長の慰安婦発言に対するマスコミの論調が韓国寄りの従来の「慰安婦イコール日帝の犠牲者」という図式に対して、視聴者の橋下支持率が実は70%を超えるものであったことを証明したのもたかじんの番組「たかじんnoマネー」であった。

たかじんの「晩年の番組」になってしまったこれらオピニオンバラエティは、似たようなコンセプトの番組「たけしのTVタックル」とは一線を画す影響力を持ち続けたことも特筆すべき点だろう。
全国的な知名度でいくと「TVタックル」はたかじんの番組とは比べることができないくらい高い。
ところが「東京」という街を発信源にしているために、そこで展開される意見はどうしても形式的になり「ホンネ」というものが取り出されることは極めて少ない。
さらに、朝日系というマスメディアの性格や北野武というキャラクターの傾向から、どうしても本来の意味での保守的な意見が尊重されにくいという欠点があった。
政治的な面でのホンネを語れないために、TVタックルでの最も面白い討論がUFOや宇宙人に関するものになっているのは何とも皮肉な現象である。

そういう意味で、たかじんの「東京外し」による番組製作は「ホンネ」を展開できる大阪を起点とし、ローカル番組にも関わらず大きな影響力を持つに至ったのだろう。

この潮流はもう止められない。
テレビ局が番組から「たかじん」をはずさない限り、本人は死んでも永久に生き続けるからだ。

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グーグルグラスが発売になるという。

グーグルグラスは眼鏡のように掛けて使用する電子デバイスで、モニター、カメラ、メモリなどが内蔵されている。
ちょうどスタートレッックのボーグの片目についているレーザー内蔵の暗視カメラみたいなものだ。
これを掛けて使うと、いちいちスマホの画面を確かめる必要も無いし、電話で話をするにも、自分の見ている景色を相手に伝えながら話ができるなど、いろいろな使い方があるらしい。

それにしても、こんなもの売れるのか。
かなりクエションだ。

というのも、ファッション性に難があることと、四六時中パソコンのモニタを眺めて過ごすことにもなるので意味はなさそう。
おまけにこういうツールを掛けたまま自転車や自動車を運転しようてなヤツが現れて事故が発生することも、起こる前から明らかだ。
法整備はまったく出来ていないので、

「掛けてて何が悪いんです」

ということになり、もめ事の種にもなりかねない。

ということで、グーグルグラス。
話題になっているほど売れないじゃないのかな。
という感じがしてならない。

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