<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





久しぶりに沢木耕太郎の文庫を買い求めた。

「246」

タイトルだけ読んだら、なんじゃこれ?
というような表紙だったが、これは1980年代の後半に雑誌「SWITCH」に連載された日記エッセイをまとめたものだった。
タイトルは作者の自宅と職場の事務所を結ぶ国道246号線からとったもの。
内容は沢木ファンなら「おおおーそうか」というようなもので、例えば「深夜特急」の第二便の発刊を控えてその作業に追われる光景や、初めての小説「血の味」の執筆開始のエピソードなどが欠かれていて、これまでの作品とリンクして楽しめる内容だった。

中でも最も興味を惹き、面白かったのが娘に聞かせたお話の数々。
当時2~3歳だった作者の娘さんを寝かしつける時にするお話がひとつひとつの物語になっていて楽しめる。
「おとーしゃん、〇〇のお話しして」
とせがまれると、娘がお願いした題材を使って、即興で物語を作り出す。
その光景がなかなか良い。
沢木耕太郎というノンフィクションライターが語る子供向けおとぎ話とは、これってすごく贅沢ではないか、と思ったりしたのであった。
これは作家の子供のみが持つ特権かもしれないな、とちょっとばかり羨ましく思った。

私は子供の頃、母によく子供向けの本を読んでもらったものだ。
最もお気に入りが「野口英世」の伝記で、このことはよく覚えているのだが、その人生を黄熱病の研究に捧げ、ついには自身も帰らぬ人となる姿に幼い私は大きく感銘を受け、
「大きくなったらお医者さんになりたい!」
と宣言していたものだ。

ま、現実は厳しかった。

ということで、今年最後の読書は沢木耕太郎。
気軽に読める「246」であった。







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途中の駅「石才駅」に到着した。
ここでは結構な人数が乗降するようで運転席横の扉は混雑していた。
電車に乗ってくる人も少なくなく、次の扉からは次々に乗客が乗り込んでくる。

私の車両の扉は開いていない。
ふと、外を見てみると夫婦と思われるお爺さんとお婆さんが開いていない扉の向こう側に立っているのだ。
どうやらドアが開くのを待っているようで電車に乗りたいらしい。
ところが一向にドアが開く気配がないので、どうしようかと困っている雰囲気なのだ。
時間は刻一刻と過ぎていく。
しかし二人の待っている扉は開かない。
前述したように、こんなシステムの電車は大阪では阪堺電車ぐらい。
阪堺電車は路面電車なので1両編成がほとんどだから迷うことはまずない。
でも、二両編成の水間鉄道では二両目の扉が開かないことは、正直地元の人しか知らないかもしれない。

ああ、このままでは二人を残して電車が出発してしまう。
運転手はこの二人に気づくのだろうか。

私と同じように何人かの乗客が二人に気づき、
「乗るのは前やで」
と私も含めた何人かが二人にジェスチャーで「前へ行け、前へ」とやり始めたのだが、やはりそこはお年寄り。
なかなか気づかない。
乗降が終わりそうになってきた、運転手は電車を発車させるかもしれない。
「おーい、前や前へ」
お爺さんのほうが、中の乗客のジェスチャーに気づいた。
指で前を指して、
「?」
てな表情をしている。
そんなことしている場合やないのだ。
二人よりも乗客のほうが焦ってきた。
なんで電車で緊張感が走らなければならないのだ。
電車の中と、外の二人。
運転手はそのような状況に気づいていないのかドアを閉めようとした。
「あかんあかん、待って」
と誰かが言った。
そこで運転手も気づいて扉を閉める手を止めた。

お爺さんは呆然とするお婆さんの手をとって前に小走りに移動し始めた。
そして乗車口を通過し、下車口のほうへ歩いていった。
「違う違う」
と電車のなかの乗客にはオーラが漂う。
運転手が「あっちから」というように言っているのか、二人はまたまた小走りに方向を180度変えて、乗車口に回り込んだ。
整理券に気付かなかったが、周りの人が、「整理券取りや」と言ったのか、二人は整理券を発行機からとってロングシートの座席に座ったのであった。

車内では安心感が漂い、電車の扉が閉まり再び走り始めたのであった。

終点の水間観音駅には往年の車両が展示されていた。
クリーム色とオレンジのツートンカラー。
木造レトロな車体。
映画「千と千尋の神隠し」に登場した一方方向にしか走らない電車を彷彿させるその車体は、水間鉄道が和歌山まで延伸するかもしれないという期待に胸膨らませた時代の象徴なのだろう。
今ではその横に小さなハウスが建てられていて、マルシェやギャラリーが開催されているようだ。

水間観音こと水間寺は9世紀に勅令によって行基が建立した寺ということで、大阪南部でも重要な位置を占めている。
したがって何かと法要や祭などのイベントが多く、参拝者は少なくないのだが、殆どの人は自動車で訪れる。
自動車のアクセスも阪和自動車貝塚ICから10分もかからないし、関西空港からも車だと府道外環状線を使うとすぐの位置だ。
だから今では水間寺の参拝に水間鉄道を利用する人は多くはない。

しかし、他の多くのローカル線と同じように一旦廃止してしまうと、その復活は難しい。
水間鉄道は都心部でもローカルエリアでもない都市部を走る鉄道として、どのような生き残りを図るのか。
地方で赤字に苦しむ鉄道会社と比較して、様々な選択肢と可能性に恵まれているのではないかと私は思ったりしながら、水間観音駅から水間寺までを歩いたのであった。

それにしても枕木プレート、ヘッドマーク、マルシェなど、水間鉄道の様々な取り組みは利用者や周辺住民に大きな元気を与えているように感じられた。
「利用者が30万人減少する」
と恐れながら、一方では外国人旅行者の急増で利益を上げながら、未だに英語での車内アナウンスもない南海電車と比較すると、もしかすると水間鉄道の方が会社としては至極真っ当なのではないか、と思えるミニ鉄道旅なのであった。

なおこのブログを書いている間に産経新聞でも水間鉄道が取り上げられていた。
タイミングの良さにビックリしたのだが、注目する人は注目する鉄道なのであろう。
ついでながら、水間鉄道の親会社のうどん屋さんはグルメ杵屋で、この大晦日には振る舞いうどんのイベントもあるという。



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貝塚駅から終点の水間観音駅までの所用時間は約15分。
料金は290円。
これは時速に直すと約22km/h。
非常にゆっくりとしたスピードだ。
実際は駅に停車する時間が長くて多いので、走っているときは普通のローカル線並のスピードである。
料金は距離にしてはちょっと割高。
山手線の有楽町から品川までの距離よりも若干短いのだが、あっちは170円。
山手線と水間鉄道では、利用者数が3桁以上違うのでいたしかたあるまい。

したがって、290円で楽しめる旅を提供してくれるかどうかが、水間鉄道の価値に繋がるのではないか、と私のような旅人には思える。
自宅から、水間鉄道までは自転車でも行けないことはない距離なので「旅人にとって」と言うには大げさすぎるかもしれないが、290円の価値というのは十分に重要な要素なのだ。

尤も、すでに私は旅人として貝塚の駅で十分に水間鉄道を堪能していたのであった。
フロントマークの広告ポスター。
枕木のメッセージプレート。
普通の鉄道にはない、様々な試み一つ一つがなんだか「エネルギー」を利用するものに与えているように感じているのだ。
これだけのエネルギーを貰える鉄道は他にはない。
地元が支える、という感覚でいくと、もしかすると三陸鉄道に匹敵するのではないかと思うところもなくはないのだ。

いよいよ出発。
2両編成の電車はゆっくりと貝塚駅を離れた。
貝塚駅を出ると電車は急カーブを90度曲がって進路を南東方向の水間寺に向けた。
単線の線路の両側には住宅が迫っている。
まるでウェンワイヤイ駅付近のタイ国鉄の線路のようだ。
もっともあっちは市場なんかも線路内にあったりして趣は違うが、雰囲気は似ていなくもない。
私は2両編成の後ろ側の車両に乗ったのだが、多くの人は1両目に乗車している。
電車はワンマン運転で、途中の駅はすべて無人駅なので降りるときはすべて運転席のある最前列の扉から降りるシステムになっていた。
システムといえば大げさだが、要は降りるときには運転席横の料金受けに運賃を投入するか、カードリーダーにPiTaPaなりICOCAを読み取らせることになっているのだ。
で、乗車はというと、その1つ後ろ側の扉が乗車専用になっていて、途中の駅から乗車するときは、そこから乗って、整理券をとるか、PiTaPaなりICOCAをカードリーダーにタッチするようになっているのだ。

つまり私の乗っている2両目からは降りることも乗ることも出来ない仕組みで、途中の駅では扉は開かないのだ。
だから、2両目に乗って座って嬉々としているのは私のような他所者が中心ということになる。
ワンマンの電車は大阪でも珍しくはない。
たとえば大阪空港と門真南を結ぶギネスブックにも載っている大阪モノレールや、JR阪和線の羽衣支線などはワンマン運転である。
東京でも確か地下鉄丸の内線はワンマン運転だ。
でも、扉は停車駅全てで普通の電車と同じように開閉されるし、しまったままの車両などないのである。

一両目の車両しか扉が開閉しないのは、乗合バスと同じなのだ。

このような不慣れな電車は時としてドラマを生むことになる。

つづく

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電車が来るまで短いホームを観察しようとウロウロしていると、線路の枕木に手札サイズにプラスチックのプレートが打ち付けられているのを発見した。
どのプレートにもメッセージが記されていて、明らかにこの水間鉄道を応援するものがほとんどであった。
「がんばれ地域の足、水間鉄道」
と言ったものや、
「これからも市民の足で」
など、いかに水間鉄道が貝塚市民から愛されているのかがよくわかるメッセージで溢れていたのだ。
中には、
「愛してます。○○」
というような愛の告白や、
「名字が同じ人事ちゃう」
という意味不明なメッセージまで、実に面白い。
中でも私を感動させたのは、
「南海ホークスは不滅です」
というメッセージで、この南海沿線には未だフォークスの隠れファンが実在することを思い起こさせ、感動させたのであった。
プレートの色はクリーム色だったのだが、できればこういうメッセージには緑色のプレートを用意してあげれば良かったのにと思う、タイガースファンの私なのであった。

このプレートは始発の貝塚駅と終着点の水間観音駅で見ることができ、駅員さんの話によると、有料でプレートを埋め込むキャンペーンを実施していたのだが、今は募集していないとのこと。
一枚5000円ほどで受付、赤字ローカル線の水間鉄道を支える、応援のひとつになっていたようだ。

涙ぐましい努力といえよう。



で、涙ぐましいといえば、なんと水間鉄道ではオリジナルのヘッドマークも有料で募集していたのだ。
これは電車の先頭車に取り付けるヘッドマークに結婚や卒業などのメッセージをデザインし、ある一定期間それを取り付けた電車が水間鉄道を走るという企画なのだ。
例えば「私たち結婚します!」などというベタなヘッドマークや、「○○中学卒業おめでとう」などというマークを付けて走ってくれるのだという。
1枚につき1万円ということで、安いのか高いのか判断しかねるのだが、南海電車やJRでは決してやってくれないサービスだけに使いようはいろいろと考えられるのではないだろうか。

なお、広告宣伝には使えないということなので、「新台一斉入れ替え」などというお下劣なパチンコ屋の広告も拒否されるようなので、非常にありがたい企画ということができる。
パチンコ屋のラッピング広告を嬉々として受けて、何かと発言に問題はあるけれども、大多数の市民に指示されている橋下徹市長による民営化案を受け入れをかたくなに拒否しようとしている大阪市営地下鉄は、じり貧の民間鉄道としてがんばっている水間鉄道の油の垢でも飲むといいと思うのである。

つづく

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水間鉄道の起点は「貝塚駅」。
南海本線の貝塚駅と接続しており、なんでも南海電鉄も水間鉄道の株主の一社なのだと言う。
だからといって水間鉄道に南海電車の中古の車両が使われているということはない。
関西ではあまりお目にかかれない、関東の方の私鉄で活躍していた車両が使われているそうだ。

水間鉄道の発車時間は南海電車の急行列車の到着時間にある程度合わせているらしく、私が南海電車を降りてから「貝塚ってどんなとこやろか」とちょっとだけ眺めている間に電車は出発してしまった。
連携がとれているというのは、ある意味私のような旅行者には至極便利の悪い不都合な内容なのであった。

かといって次の電車まで1時間も待たなければならないほどの田舎ではない。
次の列車は20分後なので、ぼんやりしているとまたまた次の列車も見送ることになってしまうので注意が必要だ。

貝塚市は大阪なんばから急行で30分以上かかる、関西ではかなりの郊外にあたる。
それでも週刊ダイヤモンドだったか、週刊東洋経済だったか忘れてしまったが、大阪で住み良い街として全国ベスト50にランクインしている貴重な街でもある。
そのランクインの理由が今ひとつわからないのが大阪府民たる私のイメージなのだ。

難波から30分。
急行は停車するが、特急は通過する。
JR線は市内を貫いて走っているが各停しか止まらない駅が2つあるだけ。
産業も強くはなく、かつて繊維業で栄えた残影がユニチカの工場跡のショッピングセンターといったところか。

従って、なぜ貝塚市がメジャーな経済誌に選ばれていたのかはなはな疑問だ。
が、そこは南隣の財政破綻寸前の泉佐野市でもなく、北隣の年がら年中祭に浮かれている岸和田市でもない。
これら両隣の街と比べると相対的に「幸せ指数」が高いだけなのかもしれないが、貝塚市はそんな注目の街でもある。

ユニチカの工場があったことからも判るように、この地域はかつての繊維業に想像を超える栄華を極めた。
だからこそ、ここには市内と郊外を結ぶための水間鉄道が敷かれたのだと思う。
なんといってもJR線より以前に開通している路線なのだ。
JR線は水間鉄道を立体交差でまたいで走っているが、JRほうが上を走っているのだ。
しかも、この夏に見た歴史展では「水間鉄道は和泉葛城山を貫いて和歌山県のかつらぎ町へ結ぶべく、昭和40年代までは実際に工事も行っていた」というほどの路線だった。5.5kmの営業区間が、もしかすると30kmぐらいに発展していたかもわからない、そんな可能性を秘めた鉄道であった。

今ではその工事が済んでいた路線の一部がニュータウンや道路になっていて、そこに住む人も、そこが水間鉄道延伸工事の遺構であることを知らないという。
ともかく貝塚市のかつての栄光の印が水間鉄道であり、その歴史を持ってして経済誌に「住みやすい街」として選定させているのかも知れない。

そんな歴史もいざ知らず、水間鉄道の貝塚駅は至ってシンプルなプラットホームひとつで2両編成の列車が止まれるだけの長さしかない、小さな駅なのであった。

改札は自動ではないものがひとつ。
駅員さんが切符をチェックする昔ながらの改札だ。
だが、驚いたことに、自動改札は設けられていなかったが、非接触ICカードを読み取るためのリーダが設置されていた。
水間鉄道ではPiTaPaやICOCA、Suicaなどの交通カードが使えるのだ。
ローカル線だと思って油断していてはいけないのであった。

今時カードを使うことのできない鉄道が都心部にあることを先日京都へ行って初めて知ることになった。
たまたま京都造形芸大へ行くことがあり、京阪電車の出町柳駅から鞍馬の山へ向かう叡山電車に乗り換えたのだが、ここがカードを使えない珍しい電車で、カードが使えるとばかり思っていた私は発車のベルと共に列車に乗ろうとしたら、カードが使えないことが判明し、切符を購入している間に電車が出発してしまうという、困った経験があったばかりだった。

従って鞍馬という観光地と出町柳という京都大学も近所にある京阪のターミナルを結ぶ電車でカードが使えないくらいなので、水間鉄道でも使えないと思っていたのだったが、そこは大阪の私鉄なのであった。

しかし、驚きはカードが使えるという、そんな基礎的なことだけではなかった。
この鉄道は赤字を少しでも減らし、存続のための様々な努力を繰り広げている、アイデア一杯の鉄道なのであった。

つづく

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「水間鉄道」に生まれて初めて乗った。
大阪の鉄道はほとんどすべてを網羅しているが、未だ水間鉄道と地下鉄今里筋線とJRおおさか東線は利用したことがなかったのだ。
今里筋線とおおさか東線は開通してまだ日が浅く、いずれも10年未満。
私がもし、企画マーケティングの仕事や研究員の仕事等に就かず、未だ営業マンをやっていたら乗っていたかもしれない路線でもある。
なんといっても今里筋線は大阪市内を走っている路線で、沿線には少なくともいくつかの得意先もある。
従って、営業車の支給を受けずに電車で営業活動をしていた私はきっと使っていたことだろう。
おおさか東線にしても同じで、きっと利用していたことであろう。
しかし、水間鉄道については大阪の片田舎を走っていたこともあり、今回のような特別なことがないことには、絶対に利用することはなかった鉄道なのであった。

水間鉄道。

地元大阪府民でも、その存在を知っているひとは南大阪の住民以外はいないであろう。
いや大阪南部の住民であっても、堺市に住む私の母なんかは、きっと知らないと思う。
だいたい、水間鉄道といいながら親会社はうどん屋である。
こういうところがすでに普通ではない鉄道会社だ。
なんでも数年前にいったん倒産した時に再建会社を募集したところ、うどん屋が立候補して、条件が合致したので選ばれたのだと言う。
驚くべき、電鉄会社なのだ。
路線は短い。
大阪府貝塚市の南海電車貝塚駅から水間寺のある水間観音駅まで5.5kmである。
関空連絡橋とええとこ勝負の長さである。
その間、駅は9つもある。
全線単線なのだが、途中名越駅ですれ違いができるように設計されている。
従って大阪南部の住宅街を走りながら、営業本数は一時間に上下併せて6本が限度なのだ。

で、この水間鉄道に乗ることになったのは水間寺でアートイベントがあり、それを見に行くのにわざわざ「電車で行ってみよう!」と無理矢理利用したからなのであった。
結果、自動車で行けば自宅から20分、自転車でも40分。
そんな時間で行けるところを1時間近くかけて行くことになったのだが、それはそれで非常に大きな収穫のあった小さな旅なのであった。

つづく



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暫くブログをご無沙汰してしまった。
というのも、メチャクチャ忙しかったのだ。
どのくらい忙しかったかというと、私は毎日毎日、関空にもほど近い大阪府南部にある自宅から京都四条河原町にある京都の事務所まで電車に乗って通っていたからなのであった。
2時間半の通勤なのであった。
首都圏の人でもない私が、どうして2時間半もの時間を掛けて通勤しなければならないのか。
なぜ、京都で宿泊しては行けなくて、東京なら宿泊していいのか。
大いに疑問ではある。

それにしても、交通機関が発達したから妙な案配になっているのだが、私の家からは東京の事務所、名古屋の事務所、京都の事務所へ行くのは時間的にほぼイコールなのである。

東京の場合は自宅の最寄りの駅から関西空港まで出て、そこから飛行機で羽田へ。羽田からは京急で都内の事務所へ移動するのだが、この間約3時間。
名古屋の場合は自宅から電車で新大阪へ出てそこから新幹線で名古屋へ。名古屋からは地下鉄で伏見に出るのだが、この間約3時間。
京都の場合は自宅から電車で梅田に出て、そこから阪急電車で河原町へ。この間約2時間半。

この三つのうち最も楽チンなのが東京行き。
なんといっても乗り換えが楽でほとんど座れるのが魅力的。
これに対して最もしんどいのが京都行き。
梅田からの阪急電車を除いて、ほとんど座れない。
阪急も時間に寄ってはまったく座れないのだ。

3時間は長いようで短く、短いようで長い時間なのだ。

この忙しいさなかにカミさんと見た映画が、「インターステラー」。
3時間もある長時間SF映画なのであった。

3時間もある映画は普通敬遠するのだが、ラジオやテレビの映画解説で、
「あっという間の3時間でした」
と、盛んに持ち上げるものだから、カミさんがもらってきた無料券もあったこともあいまって、満を持して鑑賞して来てしまったのであった。

結論から述べると、この映画は「2001年宇宙の旅」と「スタートレック ディープスペースナイン」と「ゼログラビティ」と「サイレンとランニング」と「猿の惑星」を足して4で割ったような映画なのであった。
アインシュタインの相対性理論をきっちりと扱った映画だった。
きっちりな割には矛盾に満ちているといえなくもないところの映画なのだったが、ブラックホールの時空のゆがみで惑星と軌道上の宇宙船の経過時間が異なるという「スタートレック」ではおなじみのネタがふんだんに扱われておりSFファンを堪能させるものであった。
ストーリーは高等無形でかなり無理がある。しかし練られ方が上手いのか不自然さを感じさせることはなかった。

問題はかなり冒頭の部分で勘のいい人にはネタが割れてしまうことで、私も、「お、このシーンはきっと終わりの方と繋がっているぞ」と思ったら、きっちりと繋がっていたことであった。

そんなこなんなで、ややこしい時間の長いSFなのだが、物語が結構泣かせるように出来ており、不覚にも、私はラストで涙を流してしまったのであった。

さらに、サプライズはマット・デイモンが嫌なヤツ役で突然登場することで、その登場の仕方が予想外であっただけに、思わず笑ってしまったのであった。
笑うシーンではないところで笑ってしまったので、周囲に顰蹙の雰囲気を漂わせてしまったが、ちょっとだけ出演して消えていくところは「プライベートライアン」のライアン二等兵みたいなものなのであった。

なお、京都への通勤は昨日で終了したが、それが終わったら週明けいきなり東京というのも、時空を超えた運命なのかもわからない。

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