<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





随分以前から行きたいと思っていた大阪梅田のロイヤルホース。
ここは半世紀近くも続く大阪のJAZZの老舗だ。
このクリスマス、娘がボーイフレンドとイブのディナーを楽しむというので負けずに私もカミさんを誘ってどこかへ出かけようと決断した。
で、どこへ出かけるのか問題になった。
仕事に明け暮れてしまっていたためあまりアイデアがなかったのだ。
そんなことを言うと激怒される恐れがあるため、「何かいいライブはないものか」と検索。
するとビルボード大阪で八神純子のライブあるではないか。

私は高校時代は八神純子のファンではなかったのだが、長じて中年の域に達してから八神純子がそこそこお気に入りになっており機会があればライブに行ってみたいと思っていたのだった。
そこへクリスマスのビルボード大阪のライブが八神純子というのだから、これに決めないわけにはいかない。
カミさんにオファーしたところなかなかいい感じだ。

ところである。
よくよく考えてみるとビルボードでのライブは入れ替え制。
1回目のライブを聴いたら会場を後にしなければならない。
それにチャージがすこぶる良い価格をしていて、それにコース料理などを注文すると私の財布にもろに影響を及ぼすことが銭勘定の結果よくわかった。
よしんばライブはビルボードで、食事は別の場所でとすると、これまた面倒くさい。
またまた面倒くさいなどというと逆鱗にふれる可能性もあるので他のアイデアを模索した。

そこで思い出したのは、
「そういえばRoyal Horseには行ったことがないじゃないか」
ということだった。
何度も店の前を通ったことはあるものの店の中に入ったことは一度もなかった。
これはチャンスかも知れないと思いネットで検索してみるとライブのチャージと食事、それにドリンクなどを合わせてみると予算内に収まることがわかった。
しかも、クリスマスイブのライブは私は初めてなのであったが日本の女性JAZZボーカリストを代表する平賀マリカのライブだという。
どんなシンガーなのだろうと調べてみるとデューク・エリントン楽団との共演もしておりyoutubeで聴いたところ凄く良さそうなのであった。

私は即座にRoyal Horseに予約を入れカミさんを伴ってクリスマスイブの大阪キタに出向いたのだった。

結論から言うと、これは大正解だった。
というのも、これを一言で表すと、
「ホンモノの音楽を効くことができたから」
なのであった。
平賀マリカのバックをつとめたピアノ、ベース、ドラムスも超一流。
私もカミさんも知らないまま聴いたのだが、演奏が始まった瞬間にピアノの優しくもスパイスの効いた旋律、渋いベースのリズム、迫力あるドラムスの鼓動がレストランを包み込み、その瞬間、
「ここを選んで良かった」
と感じたのだった。
平賀マリカが歌うクリスマスのためのスタンダード・ナンバーの数々は、まるでロブ・ライナーの映画の中に入ったような感覚にとらわれたのだった。

「八神純子もいいけど、やっぱり上手くても一般に人気のある有名なシンガーと、ライブで聴き惚れさせるシンガーとでは、違うんやろな〜」

とカミさんはこちらに来たことに大満足なのであった。

「八神純子は、次回に。でも平賀マリカも何度も聴きたいな〜」

Royal HorseのJazz Live。
素晴らしいクリスマス・イブの一時なのであった。



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初めて飛行機に乗ったのは1978年8月。
高校1年の夏休みで大阪空港から成田空港まで乗った日本航空なのであった。
その時の機種は憶えていない。
当時の私にはB747とそれ以外としか区別がつかない、いわば中途半端なヒコーキ好きの高校生なのであった。
もしそれがサンダーバード2号やウルトラホーク1号、流星号などであれば区別をつけることができたが当時はできなかったのだ。
だから機種がわからないB747とは違う飛行機に乗ったのが最初だった。
成田でトランジットして乗ったのは紛れもないB747。
成田空港からロサンゼルス空港までの太平洋横断路線であった。
それも今はなきパンアメリカン航空の機体だった。
ただこのB747は私がイメージしていたB747とは大きく異なっていた。
B747といえば先頭の2階建て部分を筆頭に広く広げた両翼、4つのジェットエンジン、長い胴体というのが一般的なイメージだ。
だがこのB747は異様に胴体が短くずんぐりしたフォルムで足の代わりに翼が生えたオタマジャクシような形状なのであった。
めちゃくちゃ格好悪いフォルムなのであった。

「なんやねんこれ?」

私は知らなかったのだがB747ーSPという現在では見ることのできない機種だった。
B747の胴体を短くすることでアンカレッジを経由せずとも日米を結ぶことのできる当時としてはスグレモノというか飛行距離のためにボディサイズを犠牲にした妥協の産物の機体なのであった。
帰りのロサンゼルス空港で私の乗る予定のパンナムのゲートの隣は日航機のゲートになっていた。

「あっちに乗りたい」

と赤い鶴丸を見ながら思ったのだ。
その原因は単にパンアメリカンの不味い機内食に辟易としていたからではなく、パンナムのSPと比較して普通のB747だったJALに憧れがあったのも大きな原因があったことは否定できない。

この初めての空の旅で覚えているのは「JALの方に乗りたい」ということと「行きも帰りも機内食が不味い」ということと「機内の映画は字幕がないので何を言っているのかわからない」ことと成田から伊丹に飛んだ帰りの便から見た夕日に照らされた富士山の絶景なのであった。
総合して飛行機を楽しんだという記憶は富士山の景色以外にほとんどない。
ナビもパーソナル液晶テレビもない時代の太平洋路線でどこを飛んでいるのかもわからない退屈な9時間は二度と経験したくないと思った旅でもあるのだ。

ということで現役のパイロットであるマーク・ヴァンホーナッカー著「グッド・フライト、グッド・ナイト」を読んで思い出したのはそういう初めての空の旅なのであった。
今では毎月何度かヒコーキを利用してほとんどを大阪〜東京しか乗らないのだが、今はナビもあるし機内エンタテイメントもある。
しかし一番楽しいは窓の外の景色を楽しむこと。
そういうことを総合的に思い出させる非常に情緒溢た且つヒコーキファンも楽しめる上質のエッセイであった。

著者はブリティッシュエアーウェイと思われるB747を操縦する機長であり、傍ら雑誌にエッセイを寄稿。
それをまとめたのが本書なのだが、そこにはパイロットとしての視線、乗客としての視線から見た空の旅のエピソードが描かれているのが実に興味深い。
ANA出身の内田幹樹のエッセイや小説も面白いが、これはまた違った視点で面白い作品だった。

例えばパイロットになるために授業料を稼ぐために調査会社で働いたことや、牧師だった父のこと、初めての海外渡航先が高校生の時の金沢であったり、祖先の故郷であるハンガリーのこと、日本語で機内アナウンスを試みようとしていたこと、その他機内のエピソードなどなど。
どれもこれも短編の小説のような輝きがあり、驚きがあるのだ。

それでちょっと思い出したのだが「翼よあれがパリの火だ」の中でリンドバーグもまたパリへ向かう機中の中でスピリッツオブセントルイス号を得て空に飛び立つまでのいくつもの話を回想していたことを思い出した。

空の旅は様々なことに思いを馳せることができる。
それが最大の魅力なのかもしれないと思った一冊なのであった。



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最近日本ではとんと聞かなくなったストライキ。
かのフランスではまだまだ一般的なようで、今現在展開されているフランスの公共交通などのストライキは史上最長になる見込みだという。

それにして何週間もストライキを継続して市民に足止めを食らわし続けているという感覚が理解できない。
日本ならそんな労働組合は一般から見放されることになる。
社会に迷惑をかけてまで自分たちの主張を押し通すのか、ということだ。

ところがフランスは違う。
「私がいたころもストライキがあって自転車で通学していあことがある」
というのはカミさん。
パリの地下鉄がストライキで止まってしまうことに市民はなれていたのだろいう。

この日本人からすると労働組合のわがままとしか映らないストライキはホントのところ現地ではどう受け止められているのだろうか。
私は欧州へは行ったことがないのでよくわからない。

日本では組合そのものが自分の会社なり組織の経営状態を冷静に見る時代に突入している。
会社が赤字なのに権利を振りかざして賃上げを叫ぶ時代はすでに終了。
黒字でも設備投資や研究開発などをしっかりしないと事業継続に問題がでることを組合も気にかけている。
むしろ労組が経営側に会社経営についての意見を具申した上で権利を主張するような風潮があり、経営陣もうかうかしていられないという会社や組織も少なくない。
会社が健全な利益を確保するためには現場の意見や主導力も必要だからだ。

このような「風土」が生まれたのは国鉄清算からJRの誕生や、最後のわがまま団体であった日本航空の倒産などを経験した結果だろう。
もちろん未だに「労働者の権利を!」と叫んでいる人たちもいるが若い人は見向きもしなくなっている。

そこへいくとフランスのストライキはよく理解できない。

もしかすると半分社会主義国家であるフランスならではのストっ子気質なのか。
ある意味こういうことを理解できるようなったら、行けないのかも知れない。



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今年も大阪中之島と御堂筋で開催されている「光の饗宴 2019」を訪れてきた。
中央公会堂に映し出されるプロジェクションマッピングを見ながら一杯やるのが私とカミさんのここんところの年末行事の1つになっている。
尤も一杯やるのは私でカミさんはアルコールではない飲み物を楽しんでいる。

今年のプロジェクションマッピングは私の母校である大阪芸大の学生の製作とのことで非常に楽しみに出かけたのだが、正直言って技術先走りでアートとしては今ひとつなのであった。
どのカットも、
「凄いでしょ、この技術」
という感じで確かにテクノロジーとしては凄いものをやっているのだが、この「凄いでしょ、技術」というのはアーティストやデザイナーが決して行ってはいけない思い込みで、せっかくの機会が台無しになってしまう。
そこんところを学生にしっかりと教えなかった指導教員はどのような人なのか。
大学側にはしっかり選んでいただきたいと思った次第なのであった。



しかし、マッピングを見ながらホットワインや海外のビールなどをいただいていると年末のほっと感が素敵なところでもある。
先日は神戸ルミナリエの雑踏と交通規制に巻き込まれ多少不愉快な思いをしたのだが、大阪のこのイベントも神戸に劣らない人出なのだが交通規制はそれほど厳しくなく、大阪のビジネス街で展開される光のイベントは大人っぽくてなかなかいい雰囲気が漂っているのだ。

中之島は旧淀川の土佐堀川と堂島川に挟まれた中洲でもあり、この付近には住友グループをはじめ多くの大手企業の本社が集まっているところでもあり、大阪市役所、日本銀行大阪支店や裁判所なども集まる官公庁街でもあるのだが、この2本の川と洋風建築があいまって独特の洒落た雰囲気を醸し出しているところでもある。

「パリのセーヌ川河畔みたいな雰囲気でしょ」

と言ってくれたのはカミさんの知人なのであった。
カミさんの知人はフランス生活が長くパリに在住していた人でフランスのことはよく知っている。
その人が「大阪の中之島はパリのセーヌ河畔と良くにている」という一言にはずっこけそうになったが冷静に見れば確かに川の幅といい両側に立ち並ぶビルディングといいパリとよくにているのだろう。
そういえば中の島の夜景を背景にダンスなどを撮影したらパリのアメリカ人みたいな風景が撮れそうだと真剣に思った。
ただ「大阪のアメリカ人」というよなタイトルをつけると間違いなく画家ではなく漫才師を目指すアメリカ人みたいなのが出てきそうで結果コメディである。
普段コテコテ大阪しかイメージしていない地元人や地方からの訪問者にしてみればにわかに信じられない一言でもあるのだが夕方から夜来てみるとこの風景は東京にも名古屋にも福岡にもない大阪独特の風景そのものだと言えるのかもしれない。



プロジェクションマッピングを楽しんでほろ酔い加減でカミさんと淀屋橋や北浜からは地下鉄には乗らず大阪駅に向かって歩くと、これもまたいい風景。
10年ほど前に仕事でシカゴへ行った時にその夜景を堪能させていただいたのだが、その風景に負けず劣らず。
ちなみに大阪市とシカゴ市は姉妹都市。



年末も押し迫った一時なのであった。




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中国の習近平主席を国賓として招くことに黄信号が灯った。

安倍晋三首相が昨日の日中首脳会談で中国に対する領土問題と人権問題に対する懸念を伝達。
国賓として招くには国内への説明が必要であることを話したらしい。

そもそも中国の主席を国賓待遇で我が国に招待するには少々無理がある。
そう誰もが考えるところだ。
米国のトランプ大統領を招くのとは大きく意味が異なる。
でも、
「米国を特別待遇するのなら中国もやっておいたほうがいいじゃないか」
といういわば損得勘定で招待した可能性が誰の目から見ても濃厚で、それが正しいのかどうかというとビジネス的には正しいのかもしれないが、政治的には「?」と思われても仕方がないものがある。

会社のイベントでも親しいお客さんとムカつくお客さんのどちらを招待するのかという悩みを体験したことがあるが、
「あそこの社長はアグレッシブだし、社員に冷たそうだし、でも業界団体の会長しているし」
で仕方なく呼ばなくてはならないことがあった。
今回の中国主席の国賓招待はそれに似たものがある。
アメリカと中国を同等に扱おうという小賢しい考え方の御仁が居るのかもしれず、もしかすると政府内のパワーバランスにも影響しているのかも。

中国企業からお金をもらっている議員さんもいることだし。

ということで「損得勘定」した行いには必ずリスクが伴うことを考える必要があるんじゃないかと思うニュースなのだ。


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先日、東京からの帰りに名古屋に寄った。
打合せがあるからと訪問したお客さんは名古屋駅から販売店の自動車で15分ほどのところ。
近くを庄内川という大阪で言うと神崎川のようなお世辞にも綺麗ということのできない一級河川が流れていて工場と古い住宅街が同居しているような地域で、雰囲気としては人口はそこそこありそうだが天気がいいのに人が歩いている姿がほとんどなく、とても寂しそうなところなのであった。

仕事の打ち合わせが終わり、帰りは販売店は別の地域に行かなければならないというので名鉄の駅の近くと思われるところで下ろしてもらった。
実はここから名鉄の乗り場を探すのが大変なのであった。

駅そのものは川向うに見えているのだが、どうやってそこへたどり着くのか道に標識はない。
普通であれば「〇〇駅右折」みたいな看板が出ているのだが、それもない。
iPhoneを取り出してGooglemapで検索してみたが駅の入口がどこなのか表示がない。
果たして本当に駅があるのか。
あの見えている駅は存在しているのか。
午後の淡い日差しが差し込み一級河川のきったない流れがキラキラと輝きどこか夢をみているのではないかという錯覚に囚われそうになった。
そういべ子供の頃に見た「ウルトラQ」でこういう景色をみたような気がする。
もしかするとこの街はエイリアンに乗っ取られているのかもしれない。
などと想像しつつ駅の方向へ歩いた。

駅の近くの道は古い町なみが残っているので昔は街道だったのか、それにしても駅を示す標識がない。
Google Mapでは駅前ロータリーらしきものが表示されているのでそちらに向かって歩いてみたものの駅のホームはすぐそこに見えるのだが駅の改札が見当たらない。

「もしかして反対側?」

そう思って反対側へ歩いてみたもののやはり入り口はない。
ないどころか何やら寂しい昭和時代の住宅街みたいな風景で果たして駅にはホームはあるが入り口が無いのではないか、と思わせる静かな不気味さが漂っていた。
駅の端っこが少し土手になっていて階段がついていたのでそこを上がってみると、なんと駅の入口がそこにあったのだ。
駅名の表記は小さく書かれていて駅員はいない無人駅。

「なんじゃいここは?」

ダイヤを見てみると1時間に2本。
とんでもないところなのであった。
線路は名鉄名古屋本線なので電車はひっきりなしに通るのだが全部通過。
なかなか停車する各駅停車はやってこない。
ここは名古屋駅まで15分ほどの近いところ。
ビックリなのであった。

ようやくのこと電車がやってきたら2両一組の古いでんしゃが2つ継った両編成で中も淡いグリーンの塗装が至るところで剥げているお年を召した車両。
今どき関西や関東では見かけることのできない年季の入った車両なのであった。

名古屋ではこういうのは普通なのか駅の駅名がしっかり表示されていないところが少なくない。
以前、近鉄名古屋駅が奥まったところにあって見つけるのに苦労したことがあるのだが、今回はそれ以上。
名鉄線はおまけに路線が複雑怪奇に分岐していて、これもまたよくわからない原因になっている。
名鉄線は迷鉄線なのであった。


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社会問題になっている自殺者数。
仕事のストレスや学校のいじめを原因として亡くなる人が後を絶たない。
日曜日の夕方や月曜日の鉄道は「人身事故」でダイヤが乱れ足止めを食らうことも少なくなくこちらも「またかいな」とあきらめムードが漂う。
マスコミも自殺に関しては連日のようにニュースや特集番組で報道していて社会問題として取りあえげている。
しかし、私は自殺関係の問題はマスメディアの絶好の飯の種になっているのではないかと思われてならない。
なぜなら実は自殺者数は年々減少傾向にある。
この「減少」ということは誰も言わない。
マスメディアを通じては片鱗たりとも聞いたこともないのだ。

あまりに電車が遅れることが多くてテレビもしょっちゅう報道するものだからいったいどれくらい自殺者が増えているのか調べてみた。
統計は警察庁のウェブサイトに掲載されているものを見たのだが平成15年頃をピークにして平成21年から顕著な減少傾向にあり、平成30年度は平成21年と比較して1万人以上も減少している。

なんのことはない。
増えているのではなく減っているのだ。

自殺者がいることを社会問題にするのは別におかしくないのだが、社会がおかしくなって自殺者が増えているようなニュアンスの報道は明らかにおかしい。
番組では時に自殺を助長するような内容もすくなくなくマスメディアの倫理性というのをこれをしても疑いたくなるものなのだ。

「自殺は減っていて社会は徐々にいい方に向いているらしいです。死のうなんて考えている人、それは間違っていますよ」

というべきなのがマスメディア。
でも、それじゃチャンネルを合わせてもらえないので上手に捻じ曲げるのかもしれない。


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先日世界経済フォーラムから発表された男女平等ランキングで衝撃が走った。
日本が世界第153カ国中、121位なのだという。
これは先進7カ国でもダントツの最下位であり、中国や韓国よりも劣るのだという。
いったいどのような基準で統計を出したのか。
なかなか欧州的考え方に基づいたものということができるのではない。
少なくもと我が家では当てはまらないランクなのである。

日経ビジネスの記事によると、統計要因の1つが中等教育を受けている人の数。
なんと日本は女性が48.8%で男性は51.2%なんだと。
二人に一人が小学校しか卒業していないらしい。
このデータはいったいいつの時代の統計なのか。
大いに疑問がある。
少なくとも、これも我が家では当てはまらないものなのだ。
実にいい加減な統計なのである。

この日経の鋭い指摘の一方、調査結果をそのまま重要視しているのがNHK。
かの「皆様の公共放送」は自分で考えることをしないのかという報道姿勢なのだ。
なんでも政治分野において女性の参画が極端に少ないのが問題であるという。
本当にそうだろうか。
しかもその理由が政治の世界は男性社会で女性議員の成立を阻害していると言うニュアンスなのだ。
このようなわけのわからない自分で考えない報道姿勢は公共放送なのに職員の年収が公務員を上回ったりするために生じた勘違いと世間とかけ離れた感覚がそうさせてしまうのだろうか。

でも、なぜ日本では女性議員が少ないのか。
そんなものはよくよく考えて見なくても分かることだ。

例えば日本のフィギュアスケートの選手層が厚いのは、
伊藤みどり、
渡部絵美、
村主章枝、
安藤美姫、
浅田真央、
など錚々たるメンバーが世界を舞台に活躍してきているからで、男子でもそれは同じで高橋大輔や織田信成がいるからでもある。

一方、政界を見てみると、

土井たか子。
福島瑞穂。
蓮舫。
辻元清美。
豊田真由子。
小西小百合。
片山さつき。
などなど。

誰が議員をやってみたいと思うだろうか。
女性で政治家を目指す人が少ない理由は明白なのである。


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ローションを手のひらに採って両手でこすり合わせたらそのローションが手に沁みて思わず声が出た。

「あいたた」

なんでだろう、と見てみると知らないうちに手のひらにひび割れができていた。
そのひび割れにローションが沁みて痛かったのだ。

ひび割れは手の小指球という小指の付け根の下辺りにできていて、少し足のかかとのように皮膚の表面が硬化していた。
その硬化が原因でひび割れができていたのだ。
その原因を考えていたのだが、ふと思いついたのが、

「パソコンのマウス操作が原因ではないだろか」

ということだった。

ここ数年、パソコンに向き合って資料作成することが劇的に増えた。
プロダクトの設計、空間設計ではCADを使い、提案書の作成に画像ソフトや編集ソフト、WEB製作に編集ソフト、ブログを書くのにWEBブラウザなどなどなど。
マウスもぐるぐる使っているうちに知らない間に机の角に手の小指球のところが擦れていて皮が厚くなり固くなりやがてひび割れができてしまったというわけだ。

ネットで調べてみるとマウスによる角質に問題が発生することは少なくないようで、私のように小指球の部分がひび割れするケースよりも指先に負荷がかかってひび割れたりカブレたりということが多いようだった。
つまり「マウスかぶれ」は珍しいことではなく、オフィスでは結構普通の問題だったというわけだ。

アマゾンや楽天などの通販サイトを検索してみると、こういう問題に対応するためのグローブというのがちゃんと売られていたりして、結構いいお値段をしていることもわかった。
で、カミさんに、

「て、マウスでこんなんなったみたいやけど、手袋買うてくれへん?」

と要望したところ、

「ほな、ダイソーかセリア行って買おか」

という返事。
通販の高機能ではなく100円ショップの指出し手袋を買うことになった。
現実は厳しい。



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仕事での移動は路線バスを利用することが結構ある。
最も利用するのは大阪シティバス(旧市営交通)と東京都営バス。
大阪シティバスは大阪駅前から大東市内のお客さんを訪問する時に利用することが多く、都営バスは定宿にしている浅草のビジネスホテルへ行くのに利用することが多い。
どちらも目的地が駅から遠く、歩くのが面倒くさい場所という共通点がある。
いずれも本数が多くとっても便利な存在で、はじめの頃は、

「ん〜〜〜〜、バスなんてめんどくさい」

と思っていた。
ところが実際に一度使ってみると思ったより時間はかからないし、乗り心地も悪くないし、安いのだ。
料金は両方とも大人210円。
全線共通。
どこま乗っても同じ料金。
都営はかつては200円だったのだが、消費増税とともに値段があった一方、大阪シティバスは民営化に伴い料金据え置きになったため同じ料金になってしまったというわけだ。

事業規模もよく似た2つの公共バスの大きな違いは料金をいつ払うか。
大阪シティバスは降りる時に払い、都バスは乗る時に払う。
この差はシステムとしてどちらが有利なのか。
先日バスに乗っている時につらつらと考えた見た。

後払いの大阪シティバスは乗るときはさっと乗れるが折り時に手間取ることになる。
小銭を持っていない乗客やバスカードを買い求める乗客などがいると必然的に降車に時間がかかる。
このリスクは終着点の大阪駅やなんば駅に到着した時に顕著になり、後方座席に座っているとなかなか降りることができないということになる。
正直イライラすることも少なくない。

これに対して先払いの都営バスは降りる時はスムーズだ。
乗るときも混雑していたとしても終着点についたときほど一度に乗ってくるようなところは少ないため意外なほどスムーズに乗降することができる。

ということで私は料金システムは都営バスに軍配を上げたい。

それにしても路線バスの乗り方が各地ごとに少しづつ違うのはなんとかならないのか。
いつもバス停で「先に払うのか、後で払うのか」悩みながらバスを待っている私なのであった。


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