<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



東京ビッグサイトで開催される展示会には年に数回、仕事に少しでも関係しているとできるだけ出かけるようにしている。
正直言って、大阪に住みながらインテックス大阪よりもビッグサイトに行くほうが回数が多いのは、ちょっと問題だ。
何が問題かというと、それだけ大阪に元気がないということが問題なのだ。

でも、ここ1~2年の展示会を見ていると、何も大阪だけが問題ではないようだ。
というのも東京ビックサイトの展示会も内容次第では来場者が少なくて、出展しているほうもマンネリの塊、どっちらけ、という感じだからだ。

先週末に製薬、研究開発に関係する展示会を訪れてきたのだが、客足が少なかった。
いつもならかなりの人数が押しかける展示会であるはずなのに、私が訪れた二日目お昼前後はこれまで見てきた中で最も人出が少ない状況になっていたのだ。

展示内容を見ると、尤もな気もしなくはない。

毎年代わり映えのしない展示品。
驚きも感動もほとんどない。
歩きまわるのはメーカーや商社などの売り手側が多いようで、いわば敵情偵察。
ホントに来て欲しいユーザー側がどれほど居るのか大いに悩ましいところなのであった。

インターネットで知りたい製品をいつでも検索。
実物を見たければ何も展示会に行かなくてもメーカーやディーラーに一言声をかければ喜び勇んで現物を持ってきてくれたり、メーカーのショールームに顎脚付きで招待してくれるような時代。
足を棒にしながら展示会を歩きまわるのは、高齢化社会を迎えた日本にはちょっとふさわしくないかもわかないと思った。

ところで、私がビッグサイトを訪れるとなんと、「もうかりメッセ東大阪」なる東大阪の中小企業を紹介する展示会が開催されていた。

「大阪からですか」
「そうですねん」
「力入ってますね」
「まあ、付き合いですわ。出展してくれ出展してくれ言われて、断れんようになったから出展してます」

それも大阪人は正直だ。

その甲斐あってか、展示そのものは面白くなくても、会話をしていると楽しいところがさすがに大阪。

大阪の展示会パワーはシラケながらも東京で活躍していたのであった。

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ビリー・クリスタルとメグ・ライアンが主演した映画「恋人たちの予感 When Harry met Sarry」は私のお気に入りの映画で今でもたまにDVDを鑑賞したりすることがある。
ハリーとサリーという二人の主人公の友達以上恋人未満の関係が、徐々に発展していく過程が面白いことと、ニール・サイモンが描くようなニューヨークという街がこのまちにしか無い独特の大人っぽさを醸し出し、心憎い雰囲気で何度見ても見飽きない映画になっている。
さらに私にとってはビリー・クリスタルの早口の英語とメグ・ライアンの分かりやすい口調の英語が英語聞き取りの標準学習ツールになっていて、iPhoneで音だけに耳を傾けることも少なくない、

「恋人たちの予感」が最初に公開されて23年が経過。
すっかりクラシックの部類に入りそうだが、その輝きは今も失せていないと私は思っているのだ。

この「恋人たちの予感」や「ユー・ガット・メール」「めぐり逢えたら Sleepless in Seattle」の脚本や監督で著名なノーラ・エフロンが亡くなった。
享年71才。
暫く彼女の作品にお目にかからないなと思っていたら、死去のニュースが伝わってきてちょっとしたショックを受けている。
ラボストーリーを書かせてはなかなかライトなで洒落た物語がものすごく魅力的だったからだ。

また物語だけではなく、演出を担当すると音楽の使い方も巧みだった。
ニューヨークにはジャズが似合うが、ジャズだけではなくオールディなポップスも散りばめて、ストーリーと曲がバランスよく作品の甘みを引き出すやりかたは、多くのテレビドラマや映画に影響を与えたと記憶している。

71歳といえばまだまだ若い年齢で、もっと多くの作品を生み出してもらいたかったのがとても残念だ。



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三作目とあって全く期待を持たずに劇場に足を向けたのが「メン・イン・ブラック3」。
ところが予想に反してスリリングでおかしくて、それでいて気色悪いが、なんともテンポのよい楽しい映画でずいぶん楽しんだんであった。
しかも、ラストの方ではホロリとさせる1コマもあり、泣き笑い劇場と関西人の大好きな要素がたっぷり詰まった映画でもあった。

だいたい三作目というのは一作目、二作目が面白くても詰まらないものが少なくない。
スターウォーズも三作目はスピーダーバイクのシーン以外、かなり詰まらなく、あのゴットファーザーシリーズでさえPART 3は厳しさと美しさが中途半端でちょっと詰まらないのだ。
ルーカスでもコッポラでもシリーズ物を躓いているのに、なんでもない「MIB3」は結構楽しめる映画になっていたのだ。

「最初のと、次のを見たい」

と一緒に行った嫁さんは劇場を出るなり叫んだ。
嫁さんがMIBを見るのは今回が初めて。
従って前2作は未知のもので、今作を見るのを少々思案していた原因の一つになっていたのだが、見てよかったというのが感想らしい。

「あいつなに?!あの悪いやつが気色悪い~~~。でも面白かった」

と子供のようではあるが、凄く分かりやすい感想も述べたのであった。

ウィル・スミスは相変わらずだが、トミー・リー・ジョーンズが年取ってしまっていたのだった。
物語が「過去に戻るモノ」のも理解できる。
スタートレックなんかの場合はネタに困ったらすぐに過去に戻りたがるのだが、MIB3はそういうこともなくごく自然な流れとなっていた。

ただ、サントリーのCMの影響なのかトミー・リー・ジョーンズが映るたびに私の脳裏にはサントリーBOSSのCMナレーションが流れ、映画がそのCMの一分のように思える瞬間があり、TVCMの負の影響が小さくないことを改めて痛感した。

ともかく、もしかするとスパイダーマンの新作よりも面白いのではないか、と思えるようなアップテンポ、コメディSFであった。





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「気分転換に関空でも行ってお茶でもしよか」

疲れがピークに達して、まったくやる気が失せてしまった休日の午後。
何をするのも面倒で、ただただぼんやりとしていたい。

こういう時は私は自動車を走らせて関西空港に行くことにしている。
関西空港のスタバやドトール、サンマルクカフェなどで味わうコーヒーと、国際空港という独特の雰囲気、関空の適当に空いているショッピング&レストラン街が日常の超マンネリした雰囲気を少なからず緩和してくれるからだ。

今の関西空港は以前問題になっていたように「閑古鳥」が離着陸する最悪の事態は回避され、今では成田に次ぐ日本の玄関口としての賑わいを徐々にではあるが確固たるものにしている。
しかしながら、羽田空港の完全国際化でその地位が微妙なものになっているのも確か。
成田空港ほどではないにせよ、都心から電車で最速30分もかかる関西空港は都心にある羽田空港はちょっとした営業上の脅威ではある。

関西人としてはいささか心配事だ。

そういうことも考えながら、先日羽田空港国際線ターミナルを偵察してきた。
いつも利用している第二ターミナルから無料のシャトルバスで行ってきたのだ。
するとなんと、あちらも関空に負けず劣らぬ閑古鳥が鳴いていたのだ。
首都東京の空港であるにも関わらず、関空とは現在のところ引き分けのようだ。
いずれにせよ、東京にしろ大阪にしろ国際空港がガラガラというのは国力の低下の証拠でもあるので、好ましいことではないのである。

ところで、関空の活況は何も伊丹空港と経営が統合されるからでも、橋下市長が知事時代に大鉈を振るったからでもない。
次々に就航するエアラインの新顔が客をひきつけ活気が満ちてきているのだ。

ジェットスターアジア。
スカイマーク。
スターフライヤー。
ジェットスター。
などなど。

格安航空会社が次々と就航している。
渋ちん関西人にはピッタリのLCCだ。

中でもピーチエアは全国的に注目されたANA系列のLCCで、本社はなんと酔狂なことに大阪にある。
今やパナソニックもサントリーも武田薬品も丸紅も伊藤忠商事も、大阪の企業は大阪には「影武者本社」だけ残してみんな東京に本社機能を移転。
にも関わらず、ピーチエアは大阪に拠点を据えているのだ。

その勇気あるピーチエアは営業開始以来、予想を上回る数字を上げているとかで、その出発ゲートになっているアエロプラザは関空で最も閑古鳥が盛んに鳴いていたところだけに大いに気になっていたのだった。

「エアロプラザ、行ってみよか?」
私は嫁さんを伴って、関空の西側のビル、ホテル日航も入っているエアロプラザに向かった。



関空ターミナルビルからエアロプラザに続く連絡橋はピーチエア一色なのであった。
幟もピーチエア。
広告もピーチエア。
トランク転がして歩いている人もピーチエアに乗り込むためか搭乗券片手にトコトコと歩いている。
やがてエアロプラザに入ってみると相変わらずの閑古鳥だったのだが、ただひとつ違うのは、そこはピーチエアの搭乗手続きカウンターが並んでいるという、これまでにない光景なのであった。



手続きはセルフサービスらしくカウンターは見当たらない。
出発の時刻表も電光掲示板ではなく、ただの掲示板。
このようなただの掲示板は東南アジアの地方空港にでも行かない限り最近は見たことのないもので、LCCはなかなかな親しみを持ているアジアンチックな雰囲気が漂っていた。

周囲にはイタリアンレストランやとんかつ屋、蕎麦屋などもあり、今後ピーチエアを利用する乗客の時間つぶしの場所として利用客も増えることであろう。

とりわけイタリアンレストランではビジネス街の居酒屋よろしく「500円セット」なども用意されていて、グラスワインとおつまみを楽しみながら飛行機の出発を待つ、なんてこともできて旅の楽しみは益々増してくることであろうと思われると、私もどこかへ行きたくなってきたのであった。
福岡天神。
札幌すすきの。
嫁さんを同行しながら、良からぬことだけは考えないことにして旅のプランを色々想像してはワクワクした。



ということで、気がつけば不抜けた精神的な疲れも癒されていた。
関空での気分転換、LCCはそんなことにも役立つスグレモノなのであった。
未だ乗ってませんけど。

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今年の初めにパナソニックのTZ-20というコンパクトデジタルカメラを購入した。
昨年発売の型落ち機種で新製品の発売に伴い、かなりのディスカウントで販売されていた。
その金額14800円。

新製品の時は4万円前後していた製品である上、デジカメとしての基本機能に加えてハイビジョンのビデオ録画機能が充実していてパナソニックならではの製品だった。
仕事でたまに動画も撮影することがあるのだが、携帯電話での動画撮影はクオリティに限界があり、単なる資料だったら問題は無いのだが、後でプレゼン資料として見せるときにはいささか無理があった。
その点TZ-20はコンパクトデジカメながらフルハイビジョンで撮影することができるとあって、ビンボー状態にあった私だったのだが、無理をして購入したのであった。

仕事での新製品の写真。
客先での物件写真。
大学での実験の写真。
などなどなど。
動画も撮れてとっても便利。

デジカメでもコンデジなのでジャケットのポッケに収まるし、当然カバンに入れても荷物にならない。

これはいいわい、と感動していたら先日写したビデオにゴミが付いているのを見つけた。

「なんじゃいこれ?」

カメラをチェックすると若干レンズが汚れていたので富士フィルム製のクリーナーで綺麗にし、再度撮影してみてもゴミが写っている。

「あちゃー。レンズの中か、撮像素子にゴミがつているで、これ!」

知らない間にゴミがどこからともなくレンズの中に潜り込み、鮮明な「ブツ」を映し出していたのだった。

このレンズのゴミというのはどうしようもなく扱いにくく復旧が難しい。
正直メーカーの修理にださなければ取れないことがほとんどだ。
で、その修理費用はだいたい10000円程度はかかるので、

「新しいカメラ買ったほうがお得やん」

ということに相成るのだ。
不幸なことに、保証書が見つからない。
日頃の整理整頓は行き届いているつもりなのだが、バーゲンで買ったカメラの保証書は大切にしていなかったようで、修理が有償になりそうだ。
ネットで調べると、

「でかいコンプレッサーで壊れるのを覚悟でブワッと空気を吹いたらゴミを飛ばせる可能性有り」

との情報が。

カメラのぎ性を覚悟にコンプレッサーを使ってレンズに向かって吹き飛ばしてみるか、有償で修理をするのか。
ビンボーモードが増幅されている今の私の悩みどころではある。

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駐北京の日本大使・丹羽宇一郎に批判が集まっている。
東京都が尖閣諸島を購入するのは中国を刺激し国益を損ずる、というのが主張だ。
この領土問題をさておいて商売だけのことを考えて発言するのは「伊藤忠の代弁者」と言われてもしかたのないところはあるだろう。

領土問題は日本の主権と大きく関わりのある所で、これを無視して外交は不可能。
大使という仕事は商社マンではなくて外交官なのであるからにして、言わなければならないところをどのように主張するのかは、外交に携わる人達の重要な職務だ。
それを無視して、「無用な刺激を与える」というのであれば、こういう人は民間企業だけで生きていればいいのではないか、と思えるのも日本人としての人情だ。

同じビジネスマンでもかつての日本人は違った。
その代表がソニー創業者の一人、盛田昭夫で、この人は長年ソニーアメリカの社長を務めていたと同時に現地のラジオ番組にも多数出演。
折しも日米貿易摩擦が物議を醸し出していた時にラジオのトークショーで「日本は悪い!」という聴取者からの意見に対して、堂々と日本の主張を貫き、アメリカ人を唸らした話は有名だ。
そのためにソニーの売上は下がったのかというと、そうではなく、当時は世界で最も人気のあるブランドに成長し、その後映画産業でも最大の会社になったのであった。
ソニーの凋落は保険や銀行に手を染めて、どこにでもいい顔を始めたからに他ならない。

ということで、中国大使には御用商人ではなくて、石原慎太郎東京都知事を個人的に推薦したいのだが、....笑えないか。


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タイへ行くとき私は関西空港を午前一時前後に出発する深夜便を利用することが多い。
というのも、この便に乗ると朝早くバンコクや周辺都市に到着し、時間を有効的に使用できるからだ。
ただひとつ、この便には欠点がある。

この時間、空港の売店は閉まっているのだ。

「腹へるやん」

この関空と同じ状況は実は羽田空港でも発生する。
私は仕事が忙しくて大阪から東京への日帰り出張が少なくないのだが、帰りに羽田空港発21:00の関空行きに搭乗しようとすると、なんと売店がほとんど閉まっていて、ビールはおろか、大好きなアイスクリームさえ食べることのできない非常事態に陥るのだ。

午後9時なのにである。
これが「首都東京」の現実であり、アイスクリームを食べることのできないような国際空港で中国や韓国と勝負するのは、ほぼ不可能。

空港改革。
新空港作る前にまずは、夜の売店に配慮だ。

腹へるやん!

(羽田空港第2ターミナルの出発ロビーにて)

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「今日は月食があるんやて」
と私、
「知っている。月食。」
と娘。
「月食ってどういう現象化知ってるか?」
と私。
「知っているで、地球と月の間に太陽が入って月が隠れるねん................お?」
と娘。
直ぐに間違いに気づいたが朝の「ぼけ~」としている時間だけに脳みそが凍っているらしく、
「え、あの、その、地球が月の影に........やなくて」
ちょっと焦り気味。
台所から怖~いお母さんが聞き耳を立てているのに気がついた。
「そうや! 月が地球の影に隠れるねん!」
「ピンポン!正解。早よ答えなアウトやで」
「うううううううううう」

先日の金環日食の影響は大きく、月食ぐらいでは見向きもされないようで、ニュースもほとんど報じられない。
かわいそうなお月さん。
かわいそうなのは中2の娘で、ボケボケ頭状態で突っ込まれたもんだから、普段であれば迷うこともない質問を、金環日食とボケボケ頭が重複し、回答にかなり手間取ってしまったというわけだ。

それにしても月食。
天文ファンはいざしらず、一般人の私たちはほとんど気づかないままに終わってしまった天体イベントだった。

古代よりお日様は陽で表され太陽の暦を太陽暦という。
反対に月は陰で表され暦を太陰暦という。
実際の農業などを中心とする文明では太陰暦のほうが機能的だそうなのだが、どういうわけか現代は古代エジプトと同じ太陽暦。

陰気なお月様より陽気で明るい太陽のほうが人気があるというわけだろうか。




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その昔。
南海高野線堺東駅前の銀座通り商店街に「かどや」さんという"うどん屋"さんがあって、買い物で母についていくと、ときどきここで「かやくうどん」か「きつねうどん」を食べさせてくれた。
お店の中には4人がけ、2掛けのテーブルが並んでいて、本になったようなメニューはなく、壁に貼られた短冊のような紙に「かやくうどん ○○●円」「天ぷらうどん ●○○円」「玉子丼 ○○○円」と書かれていた。
唐辛子は小さなビニル袋に入った七味唐辛子。
テーブルの上には割り箸。
また、このお店はうどん以外にもショーケースに赤飯やお餅なども並べていた。
お腹具合と懐具合で相談し、うどんプラスアルファを楽しむことができたのだ。

決して高級ではなく、つまりは大衆食堂だったのだが、子供心に出汁が美味しくて中に入っていた蒲鉾やお揚げさんの味は今でもちゃんと記憶に刷り込まれている。
大好きなお店だったのだ。
しかし、そのうどんを食べることは今はできない。

銀座通り商店街は学生時代に暫くアルバイトもしていたのでよく知っていたのだが、20年以上もの年月が経過してしまうと昔の面影は次々に無くなってしまい、今や"うどん"のかどやさんはもちろん、私がアルバイトした玩具店や洋菓子店、お寿司屋さん、カメラ屋さんは姿を消してしまった。
その代わりにドトールコーヒーやミスド、各種チェーンの居酒屋などが軒を並べている。

年に何回か堺市役所や近くに出かけた時にこの商店街を歩いて見ることがあるが、どこか他所の町に来たような寂しさを感じるのが正直なところだ。

先日、京都の相国寺に美術展を見に出かけてきた。
相国寺は金閣寺の本山にあたる臨済宗の総本山で、境内には重文や重文級の建物、仏教美術品が数多く配置、収蔵されている。
綺麗なお寺だ。
お寺の近くには駐車場がなかったので、烏丸通の西側の狭い路地をゆっくり走っているといくつかコインパーキングを見かけたがどこも満車。
お寺に隣接して同志社大学のキャンパスはあるし、少し歩くと御所をはじめ数多くの観光スポットもあるためか、空車のパーキングを見つけるのに手間取ってしまった。

ようやく見つけたパーキングにマイカーを駐車したのは午後を少し過ぎた頃。
「ぐ~~~」
とお腹が鳴って、急激に空腹感に襲われた。
夏の様相を見せ始めた蒸し暑い京の町を歩くのは体力的に強靭でなければならず、かなり億劫になってきてしまった。

「お蕎麦でも食べたいね」
と嫁さんが言うものだから、蕎麦屋を探したが、京の町中で蕎麦屋を探すのは容易ではない。
大学が周囲にあるので、学生向きのハンバーグ屋さんや牛丼屋、ケーキ屋さんは結構あるけれども、蕎麦を食べられる店はない。
そうこうしているうちに江戸時代から続く老舗の有名な和菓子屋さんを少し北に上がったあたりに、いかにも古臭い食堂を見つけた。
のれんがかかっているが明らかに今風の店ではない。
食堂。
それも昭和な「うどん屋」さんなのであった。

「ここに、入ろか?」
「ええよ」

ということで、意を決して入ってみると、ホントにレトロな昭和の大衆食堂。
あの堺東にあった「かどやさん」と似たような雰囲気で、しかも結構流行っていて8つほどある4人がけ、8人掛けのテーブルにはだいたいお客さんが座っていた。
しかも奥のテレビに向かって座っているので、なにか異様な感じもしたが、それはそれでご愛嬌。
昼食にうどんや丼でテレビを見ながらのスタイルなのだ。

「にしんそばください」
「私はねぎとろ丼」

メニューはなく、昔と同じように壁に貼られた「天ぷらうどん」「カツ丼」「から揚げ定食」などの文字から選ぶ。
価格も合わせて書かれていて、かなりリーズナブルだ。
「にしんそば」が500円なのにはビックリするものがある。
味はどうなんだろう?という疑問が浮かんだが、運ばれてきた蕎麦を食べてビックリ。
これが実に美味しいのであった。
昭和なレトロな大衆食堂。
これが大阪の街の真ん中にあったりすると入るのを躊躇う人もあるかもしれないが、お客さんが数多い理由がすぐに分かった。
ねぎとろ丼もボリュームタップリで600円。

「お母さん、これどうしたらええん?」

とこの店の娘だろう、小学生ぐらいの女の子が厨房から何やら手に持って現れてきた。
これも実に昭和ぽい。

ベトナムやタイ、ミャンマーへ行くと街の中はこういうタイプの食堂であふれている。
だいたい旅行者はそんなところに行かずに「レストラン」で食べたりするのだが、何度か足を運んだり、ちょっと長期に滞在すると、そういう庶民の店に行きたくなる。
そして一度行くと勇気が出てきて、そういう店のほうが美味しかったり、安かったりで食生活に慣れてきて地元民になったような気分も味わえる。

京都で発見した昭和な「うどん屋さん」は海外に行かなければ体験できないようになってしまった、チェーン店では味わえない懐かしい日本の庶民の味を堪能できる場所なのであった。

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