<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



始まったばかりのオリンピック2024パリ大会は盛大なセーヌ川の船によるパレードで開幕した。

これってもしかして天神祭のパクリか?

時期も一緒だし、というよりピッタリだし(開会式が大阪天満宮の本宮)、船で流れてくる山車ということではまったく同じ。
しかもなんだか期待した分、失望も多く、思ったほどの綺羅びやかさはなくて、テレビ重視の演出も、天神祭とどこか共通していて、なんだかな〜と思わせる内容なのであった。

雨模様も影響していた。
たぶんそうだろう。
会場での入場行進ではなかったので、行進曲はもちろんないし、歓声も拍手も聞こえない。
ちょっぴり寂寥感が漂っていたような、そんな開幕だったような感じがする。

せめて天神祭よろしく屋台が並び、中之島ならぬシテ島で花火でも打ち上げればもっと盛り上がったかもしれない。
これではオリンピックの開会式を見るより天神祭や隅田川の花火大会のほうが盛り上がってんじゃないかと。
これも自分とこ贔屓かもしれないが、エッフェル塔のライトアップも近ごろの通天閣や東京スカイツリーと比べても、あまり特別感はなかった。

マリー・アントワネットの演出に至っては、女王陛下とジェームズ・ボンドの洒落っ気オープニングビデオの英国と比べてもフランスのセンスはゲゲゲというところだったような気がする。

とはいえ、いつもと違う開会式は歴史に残ったと思う。
印象には残らなかったけど。

金をかけているような感じだが、大丈夫か、パリ大会。


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昨日の月曜日。
新幹線が保線車両の事故で終日運休ということになった。
ニュースを見ていると夏休み最初の月曜ということもあり家族旅行に出かける人、両親の故郷へ旅立つ子供、久しぶりに帰省しようとしている若い人、なんてのかインタビューを受けていた。
ビジネスマンだけでなく多くの人が迷惑を被ったことだろう。

なかでもこの新幹線の予期せぬ運休で最も迷惑したのは、会社に内緒で自宅に帰っていた単身赴任の人たちではないかと私は思っている。
とりわけ会社に内緒で東京から大阪、大阪から東京に戻っていた人にとっては終日悪夢の一日だったんじゃないかと思われるのだ。

単身赴任者はその扱いが会社によって異なっている。
ある会社では月に1度の帰宅を許可しているところ。
また別の会社では2週間に1度の帰宅を許可しているところ。
毎週の帰宅を許しているところ。
などなど。
会社と従業員のパワーバランスでも異なっているに違いない。

私は若いころに務めていたサブコン系の会社では毎週週末の帰宅が会社もち。
一方、8年前まで務めていた会社は月1回が会社持ち。
というような塩梅だった。

この単身赴任は多くの場合、家族に中高生の子供がいるケースがあり、単身赴任のお父さん、お母さんは月1程度の帰宅では子供たちが心配で会社に内緒で実費で帰宅することが少なくない。
私自身はそんな経験はないのだが、そういう得意先の同胞たちが愚痴を言っているのをなんども聞かされたものだ。

「帰宅するのにいちいち会社の許可がいるんですよ」

と言っていたのは大手事務機メーカーの営業マンなのであった。

その許可もなく実費で帰宅して昨日のような新幹線の突如の運休があったらどうなるのか。
朝イチの新幹線で東京に戻ってそのまま出勤するつもりが、

「へへへ、実は今、大阪なんです。」

とは言えまいて。

多くの家族を危機に陥れているであろう新幹線の予期せぬ運休。
JR東海の罪は小さくないのだ。


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書店が絶滅危惧種に指定されそうな勢いだ。
街によっては書店が一軒もないというところがあるらしく、書店に接すことのできない一部地方では書店を自治体が運営を始めているということがあるのだという。
公営書店。
図書館とどう違うのか訪問してこの目で確かめてみたいところだが、書籍や雑誌を読まない人の人口は増えるばかりでこの傾向は止まりそうにない。

そんななかで全国の書店減少率で統計をとると書店の減少率が低いのがトップが和歌山県で第二位が奈良県だという。

この理由はいったいなんなのか。

日本経済新聞によると和歌山では地元の中堅スーパーマーケット「オークワ」の貢献が小さくないという。
オークワは自社が展開するスーパーやショッピングモールに書店を設置。
一部の店舗では24時間営業で夜間は書店員をおかずにスーパーと共同で運営しえいるという。
つまり夜本を買いたくなったり雑誌をみたくなったらオークワに行けば良く、欲しければ買い求めることもできるわけだ。

奈良県の低減少率の理由は書かれていなかった。
私は週に何度か奈良に通っているが少なくともJR奈良駅前には書店はない。
奈良のオフィスの近くには大きな駐車場を備えた書店がありGEOと一緒に運営されており来客は少なくないようだ。

和歌山も奈良も大阪の近郊都市であり、とりわけ奈良県は大阪府と一体にしてもおかしくなく、奈良県民のかなりの数は昼間は大阪で仕事をしていて書籍購入は大阪のターミナルでもできそうなものだが、やはり住んでいるところの書店は大切にされる文化があるのか。
そういえば奈良県広陵町立図書館は20万冊規模の中規模図書館としては日本一の利用者数を誇っているというようなことを耳にしたことがあり、読書=奈良県という文化があるのかもしれない。
なんといっても日本文化が誕生した場所という土壌があるだけに京都をもものともしない強烈な保守的土壌があるのだろう。

読書は知の獲得の第一手段。
ネットのように何時でも書き換えのできる文章は本ブログにも見られるように誤字脱字が溢れているのと比べ、印刷物である書籍は責任出版、内容保証、書き換えできない証拠が残るだけに実に信頼度とクオリティの高いもの。
書店減少。
どのようにしたら軽減できるか。

和歌山と奈良に回答があうのかも。


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マクドナルドが絶妙なCMを投入。
昭和を知る世代と、知らない世代を同時に驚かせ感動させている。
もちろん私もビックリした。
そして感動した。
音だけ聞いていると紛れもない懐かしのコカ・コーラのCM。
でも画面で流れているのはマクドナルド。
それもビッグマックのCMなのであった。

ビッグマックのセットをコカ・コーラでいただきたくなったのは言うまでもない。
でも私はエグチ、それも倍エグチを2個食べるほうがお気に入りだが、それはまた別。

そもそもこのCM。
友人がFBにアップしたのが知ったきっかけだった。
最近私はテレビはネット配信でほとんどを見ておりCMを見ることが少ない。
このためこんなCMが流されていることを知らず、結局Youtubeで見ることなった。

40年近く前に流されたコカ・コーラのCMソングは爽やかで映像も輝いている。
少しスローモーションにした輝くようなその映像をそのままマクドナルド仕様にしたのが今回のCM。
ファッションやスタイルは2024年の現在そのままにカット割りや構図などは1987年の当時をトレースして瑞々しい水滴に濡れたコーラの瓶の代わりにマクドナルドのカップやバーガーが登場する。
流れている曲では「I feel coke」と歌っているのに画面にはマクドナルド。
それがまったく違和感がない。
もちろん見ている側からするとマクドナルド紙カップにはコークが入っているという感覚だ。

懐かしくて
新鮮で
輝いていて
若さがあふれる

おお、今日はマクドにしよか。
と思わせるCMなのだ。

感性に訴えるCMを久々に見た感じがしたのだった。


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米国の元大統領で次期大統領候補のドナルド・トランプが狙撃された。
それも演説中でテレビ中継されるような状況での災難であった。

容疑者は100m以上も離れた警備域外よりライフルで狙っていた。
撃った弾はトランプ氏の右耳をかすって通り越し、その先の観客に命中した。
当然トランプ氏はSPに抱え込まれながらそこにしゃがみこんだということだが、20歳の犯人の狙撃の腕前はなかなかで、もう2cm左に寄っていたら、今頃はもっと大きなニュースになっていたことは間違いない。

テレビのニュースでこの事件を知った私は思わず不謹慎にも、

「お、安倍さんが迎えに来たのか」

と口走ってしまったが、まさにそういうタイミング。
7月の暑い朝(日本時間)の出来事であった。

世界のためを思うとあと2cmを悔やんでいる人は少なくないと思う、残酷で不謹慎な感想を持ってしまうニュースだった。


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先週、日経新聞を読んでいるとソニーが光ディスクの生産を終了するという記事が載っていた。
なんでも「光ディスクの需要は急速に減少していて」ということで、データはハードディスクかクラウドでというのが一般的になってきているためか出荷額が落ち込んでいるのだという。

記録メディアは磁気テープに始まってフロッピーディスク、光メディアと進んできたがファイルサイズがだんだんと大きくなって小さなディスクには収まりきらなくなってきているのが背景にあるのだろう。
どれくらい大きくなってきているかというと4K動画のファイルは小さなもの数100MB、ちょっと長くなるとすぐに10GB、20GBとなってしまい2層式ブルーレイディスクに収録することもできないくらい巨大になってしまう。

こうなってくるとやがて光ディスクを読み書きする装置の生産も終了すること必須で世の中に溢れているDVDやCDを見たり聞いたりすることもできなくなってしまうに違いない。

私は家庭用ビデオデッキはベータを主流で持っていたためすでにカセットのコレクションを見ることが難しくなりつつある。
現在まともに動いてくれるベータマックスのビデオデッキは1台しかなく、故障すると修理もできないのでそれでおしまいでもある。
ベータのカセットには往年の洋画劇場を録画したものや、NHK特集のドキュメンタリー、昭和の大河ドラマなどがある。
極めつけが我が阪神タイガースが1985年に優勝を決めたときの中継録画で、これなんぞ一部分はYoutubeで見ることができるとしても前編を見ることはカセットでしかできないのだ。

これと同じような状況がDVDやCDでも起きる時代がやってくる。
それは何時?

こう考えてみるとアナログメディアは強い。
LPレコードは今も再生装置が販売され、最近は新譜も販売されている。
小学生のときに買ってもらった荒井注がメンバーにいるドリフターズのレコードを今も問題なく聞くことができるうえに、音質がすこぶるいい。
カセットテープもにたようなもの。

光ディスクの終焉はデジタルは保存に適していないという一つの暗示なのかもしれないと思ったりしている。


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サイクリングを日常のスポーツにしてから数年が経過した。
きっかけは大阪北部地震だったことは度々このブログにも書いている。
あのとき、母の医療相談がなかったら私は家でのほほ〜んとしていただろうが、たまたま20kmほど先の実家近くにある病院へ行かなければならなかったため運休してしまっていた電車に変わって自転車でそこへ向かったのだった。

このサイクリングに目覚めたこともあいまってここんところ走行距離が伸びている。
1ヶ月300km程度だったのが、ここ3ヶ月は500kmほど走っているのだ。
これは何も無理やり走っているのではなく、走っていることに楽しさを覚えた結果なのだ。
走っていると日頃の鬱積が解消されるような感覚がある。
登り坂を上がっている苦しいシュチュエーションでさえ、登り切ったときの快感が忘れられず頑張るようになった。
また仕事のことや私事でも難しい課題があるときは自転車を漕ぎながら考え事をすると何やら解決策を思いつくことも少なくない。
サイクリングは色んな効果があって実にユニークなのだ。

ところで、自転車は道路交通法により車道の路側帯を走ることになっている。
確かにスポーツバイクを漕ぐようになって巡航速度が平均30km/hとなると歩道を走るのは危険だ。
時々お年寄り(本心ではジジイ、ババア)が運転する50ccのバイクがトロトロ走っているのが邪魔で追い抜いたりすることもある。
従ってスポーツバイクは車道を走るのが正解なんだろうな、と妙に関心したりすることもあるのだ。

ところが、最近登場した電動バイクは非常に危険な乗り物という印象をうけてうけている。
というのも、高校生のヤンキーには電動バイクに乗っているものが少なくなく、それらが歩道を爆走しているのを目にすることが非常に多くなってきた。
電動バイクは原付きに該当する乗り物なので歩道を走るのは法令違反なのだが、そんなことは彼らには関係ない。
歩道をスイスイ。
逆走でもスイスイ。
年寄りがいても、子供がいてもお構いなし。

原チャリより質が悪いのはエンジン音がしないことで、仮にも暴走族ならエンジン音を轟かせながらやっていくるのでこっちとしても注意を払うことができる。
ところ電動自転車は音をさせずに忍び寄ってくるので突然遭遇するとびっくりしたりするのだ。
電動自転車はパワーの関係なのかスポーツサイクルほどスピードが出ないものが多いが、それはそれでお年寄りの50ccバイクと同じで走る障害になることも少なくない。

電気自転車の暴走族。
非常に陰鬱な存在だ。



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週に2回ほど奈良で仕事をしている関係でJR大和路線の大和路快速に乗ることが多くなった。
この大和路快速。
いつの間にか国際観光列車と化していたのだ。

大阪から奈良へ向かうのは一般的に近鉄電車が利用されることが多い。
私も昔はそうだった。
私が小学生だった頃。
大和路線は大阪中心部と奈良市中心部を結んでいるにも関わらず電化されていなかった。
なので走る列車はディーゼルで走る気動車だった。
SLも時々見かけた。
なので、油の匂いの香る、加速性能がノロ〜イ、冷房もついていない。
トンネルの中は石炭の香りがする。
そんな路線なのであった。

さらに奈良県内の交通網はほとんど近鉄に独占されている。
しかも昔から全線電化されレール幅も標準規格でスピードが早い。
距離も生駒山を直線で貫き最短距離。
だから観光客だけでなく通勤客も奈良への移動は近鉄電車と思っているというのがこれまでの常識なのであった。

ところが外国人観光客はそうではないようだ。
もしかすると外国人向けのJR周遊パスが影響しているのかもしれないが、かなりの割合で外国人は大阪〜奈良の移動にJR線を利用していると思われる。
しかも大和路線も電化されて半世紀。
今や近鉄、JRの大阪〜奈良の所要時間はほとんど変わらない。
走っている電車の本数も若干近鉄のほうが多いかもしれないがJRもそれなりに多くの電車が走っている。
しかもJRの場合、大阪や新大阪まで直通の快速も少なくなく、主要ターミナルを結ぶという意味では大阪難波起点の近鉄とは一味違う。
だから外国人が多いのか。

この外国人観光客は多くが英語圏外の欧州系外国人で、家族連れが多いのも特徴だ。
耳をそばだてていても何を言っているのかさっぱりわからない。

「奈良って素敵だったね」
と言っているのか
「鹿が可愛かったね」
と言っているのか
「奈良漬はクセがあるけど美味しいね」
と言っているのかさっぱりわからない。
だから満足しているのかどうか知らないが、外国人観光客の数が衰えることはない。
まさにインバウンド。
いいこともあって大阪の繁華街ではどこへ行っても聞こえる中国語もここではほとんど耳にすることがない。

 「え〜、こんなに色んな国から外国人観光客がやってきてるんだ」

とびっくりすることが少なくない。

JR奈良の駅前も外国人がぞろぞろと。
京都と違う質のインバウンドが大和路快速の中の雰囲気。
天平時代の奈良の都を彷彿とさせる国際色豊かな車内なのだ。


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東京都知事選が話題だ。
何が話題なのかというと本来は選挙とは全く関係のないことでマスメディアが大盛りあがりと思えてしかたがない。
真面目な都民のコメントは殆ど入ってこず、若い有権者の的はずれなインタビューばかりが目に止まるのだ。
正直、他府県の私たちからすると、

「もうどうでもええやん。ChatGPTにでも都知事をさせたらどう」

と思えてしまう。

自分の意見ばかり述べる自己顕示欲の塊を選ぶよりも、話を真面目に聞いてくれるAIのほうがかなりマシじゃないだろうか。


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「最近の歌は何を歌っているのかさっぱりわからん〜」
と老人のようにボヤいている私に、
「ジジイみたいやな」
とカミさんは容赦なく指摘した。
そう、私はジジイかもしれないが、歌の歌詞がなんて言っているのか理解できないのは歳のせいではない。

なんのことを話しているかというと、NHK朝ドラ「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか!」のことだ。
歌っているのは米津玄師。
私はこの歌の7割の聞き取りができない。
何を言っているのか理解できる言葉を頼りに前後関係を照らし合わせて想像しても理解できないのだ。

「だからそれはあなたがジジイだから」

とカミさんは宣うのだが、私は決して年齢のせいではないと思う。
正直、英語歌詞の70年代、80年代の洋楽ポップスなら8割は聞き分けられるのに、なぜ日本語の歌が聞き取れないのか理解できないではないか。

私が高校生の時、世の中はニューミュージックブームだった。
変な歌い方をするグループやシンガーも少なくなかった。
吉川晃司やサザンの桑田佳祐、もんたよしのり、森進一と良く聞かないと何を言ってるのかわからないような歌い方や声の質の人も少なくなかったが、聞き取れないというのはほとんど泣かなったのだ。

これは一体どういうことか。

近々、社会人になって働いている娘が帰ってくるので、
「おい、あれなんて歌っているか、わかるか?」
と訊いてみたいと思っている。
私の意見に賛成か、カミさんに賛成か。
重要な世代モーメントが迫っているのだ。


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