<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「節電、節電」で最も目につくのがコンビニやファストフード店の看板消灯。

「確かこの辺にコンビニがあったのにな」

と夜の街中を歩いていたら、看板のライトが消され、店の中の蛍光灯だけが煌煌と灯っているコンビニエンスストアを見つけたりする。
改めて今は普通の時じゃないんだな、と思う顕著な習慣だ。

でも、これが関東ならよくわかるのだが、この新しくできた看板消灯の珍けな習慣は、どういうわけか私が住む関西地方でも行われている。

関西地方は、というか静岡県の真ん中から西側では地震よる電力ダメージを全く受けておらず、それに伴う節電をする必要がまったくない。

取引先の関西電力さんのある担当の人との雑談で、

「節電ですか? しなくても大丈夫。電力にはゆとりがありますから。だいたい関東へは余った電力送りたくても設備が無いから送れないんです。じゃんじゃん使ってください」

という話が出たぐらい。
むやみに節電する必要は無い。
関西での節電はCO2の削減が電気料金の節約にはつながるけれども、東北関東の電力不足には何の効果も無いので「節電協力しています」という張り紙を見るにつけ「アホかいな。それとも精神論の一種かな」と思うことしきりなのだ。

効果が無いとわかっていて看板の電気を消したりするのは、明らかなポーズのひとつと言えるだろう。

週刊誌によると銀座の飲み屋さんで普通に店を開けていると、
「なんだ、こんな時に」
と非難されることが少なくないそうで、その非難を避けるために最小限でもやらなければならないのが「義援金箱の設置」だというのだから、なんだなんだ、というところだ。
西日本での看板消灯はそういう「なんだなんだ」の一種なのにちがいない。

ちなみにファーストフードにしろコンビニの電飾看板にしろ、震災が起こるずっと以前から、その電力消費量は環境問題のやり玉に上げられていた。
だいたい24時間連続してすべての店を営業させる必要があるのか、という論議にまで発展していた。
その都度、大手コンビにチェーンは、

「深夜営業のコンビニは治安維持に役立ってます」

なんていう、知ったか説明を繰り返し、24時間営業を継続。
看板の電気も「どうせ負担はコンビニ経営者」とばかりに高価なLED照明に切り替え始めようとしていたところだ。
これで震災を理由に全国各地で看板を消灯して、「電飾看板不要実験」とも見て取れる、節電不要地域での看板消灯を実施しているのかもわからない。

なお、パチンコ屋もどきの悪趣味な照明と生鮮食料品で悪名高い関西の小型スーパーチェーンのスーパー玉出には、もちろん「節電」の意思はまったく見られない。

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