<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



正直に言うと極めてガラの悪い少女いう印象しかない。
誰のことかというと今話題のグレタ・トゥーンベリ。

授業のある金曜日に学校を欠席して環境デモ。
後数年もすると自分も大人の仲間入りをするのに大人を罵倒。
憎々しい言葉も時には使い、その表情はある種の醜さを感じる。
美しくない。
主張する態度が美しくなければ実行していることも論理に合わず美しくない。
化石燃料は使わず移動したいからと言って飛行機を使わず化石燃料と化石材料を多用した衣料を来て化石燃料と化石材料で作ったヨットで大西洋を横断した。
こういうところは日本製はボイコットと言いながら日本製の部品を積んだ自動車や家電製品を嬉々として使っているどこかの国の人にそっくり。
なぜ葉っぱと獣の皮の衣服で丸太の船に乗って来なかったのか。

マスメディアや環境保護マニアな人たちの脚光を浴びているが、彼女はこういう人たちに見いだされ利用されているのではないか。
持ち上げられているうちにすっかり舞い上がり、勘違いしてしまっているのではないだろうか。

まさしくグレちゃったんじゃないだろうか。

彼女にノーベル賞をという声を聞くたびマララ・ユサフザイとイメージを重ねようと努力をしている周囲を感じるが、それはあまりに失礼に違いない。
ちなみに活動の内容が笑えないのでイグノーベル賞も、無理なのである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一昨年に会社をやめて自営業者になったとき、
「もうこれで出張はそんなにないだろうな」
と思っていた。
ところが仕事を受けるために色んな所に営業活動を働きかけているうちにお客さんの主体は首都圏に。
設計や技術営業などのアドバイザリーや設計そのものもが仕事なのでずっと首都圏にいる必要はないので実際の仕事は大阪の自宅事務所で行っているのだが、打ち合わせのために度々東京や横浜、千葉へ出張するようになった。
それも最初は月に1回ぐらいだったのが2回になり、今3回になろうとしてる。

これでは会社員のときとあまり変わらない。
会社員のときはほぼ毎週東京と仙台のどちらかへでかけていたので家をあけることが多いため家族からの冷ややかな視線はかなりあった。
それが今回も増えてきている。

「泊まりじゃなくて日帰りでね」

という要望が強くなり、ここ2回ほどの出張を日帰りで実行したところ体を壊した。
急性腸炎にかかり発熱。
最初はインフルエンザかと思ったのだがかかりつけのお医者さんいわく、
「喉も痛くなく、鼻水も出ず、鼻詰まりもなく、咳もない。聴診器当てるとお腹のなかすごい音していますよ」
とのことで整腸剤、熱冷まし、その他もろもろを処方してもらった。

前回の出張では朝一番のLCCで成田へ飛んで京成で上野へ移動。
某大学で研究会に出席したあと先生たちや同業他社の人たちと本郷三丁目駅近くの居酒屋で3時間ほど歓談。
経費の関係でLCCで帰りたかったのだが成田便には間に合わないのがわかってた上に羽田便は8時まで飲むと9:30発の関空行き最終便に間に合わない。
だから8時東京駅発の新幹線で帰ったのだが、これがきつい。
飛行機はフライト時間55分ほどで大阪につくが新幹線では2時間半。
しかも関空から私の自宅は最短で30分だが、新大阪私の自宅は1時間30分かかる。
畢竟、天王寺駅から乗る阪和線は最終電車になり帰宅したのは午前様だた。
だが、このときは体力がやられたが熱はでなかった。

今回の出張は朝一番の羽田行きANAで飛んで最終便のStarflyerで関空着。
朝は4時半起床。
帰宅は11時30分。
午後8時まで赤坂見附でパートナーさんと飲んでいて銀座線、浅草線、京急線で羽田についたときはすでに搭乗開始5分まえ。
クタクタで休むまもなく飛行機に乗り込むと座った途端に寝てしまって起きたら窓からりんくうイオンモールの明かりが見えていた。

へとへとで自宅に帰ったときから発熱。
あれから三日経過するけど体調は完全復帰ならず。

東京〜大阪日帰り出張。
家族のためと思って日帰りにしたらついに体を壊した。
次回は宿泊で行こうと思ったが、次回の日程のあくる日は奈良で朝からイベント参加。
次回も日帰りの見込みだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




海上自衛隊の観艦式に招待されなかった韓国がステートメントを発表した。

「日本国の自衛隊観艦式には出席しません」

と。

一般的に招待されていなかったら出席するか出席しないかは発表しないもの。
招待されていない結婚式に「披露宴は欠席します」というヤツはいない。

よくよく考えてみるとこれは吉本新喜劇ではよくありそうなことで、

「お、お前ら、ワイは呼ばれてへんからな。だから呼ばれてへんからそんなもん行けへんど!」
と言ったら周りの出演者が舞台の上で思いっきりズッコケル。
「呼ばれてなかったら最初から行かれへんのんとちゃいますか?」
と誰かがツッコむ。

言動、行動、態度その他。
韓国は吉本新喜劇をリアルに行っている国家なのかもわかならい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






この本を書店で見つけた時、
「これはなにやら面白そうだ」
という予感がした。
面白そうな本は「面白いよ」というオーラを放っている。
それは新聞や雑誌の書評、広告に影響されることなく威厳のように漂っているものだ。
この本もタイトルに秘められた謎が大いにそのオーラを発散していたのだ。

ヘンリー・ペトロフスキー著「フォークの歯はなぜ4本になったのか」はまさにそういう一冊なのであった。
私たちが日常使っているもの。
表題にあるように例えばフォークやジッパー、ポストイットなどがどのようなきっかけで生まれ、デザインされ、改良され、商品として出回っきたのかということを語っている。

フォークは人がナイフで食べているところからスタートしたという。
でもナイフだと後ろから「おっ!」とか言って食べている最中に後頭部を叩かれたりすると悲劇が起こりかねない。
このようにナイフの悲劇を避ける、というか、そんな鋭いものではなくモノを固定するため、口に運ぶためだけの役目でフォークが誕生した。
その歴史はカトラリーの歴史である。
もしかすると本書よりも詳しい書籍があるのかもしれないが初めて知る者(私)には新鮮で大いに驚くものがあった。
ジッパー、ポストイット、アルミ缶などどれもこれも普通に存在しているにも関わらず生まれは他の商品と同じく難産で、その過程はプロジェクトXもびっくりな血と汗と欲と涙の塊だ。

今回様々なモノの誕生を知ったわけだが、最も印象に残ったのが缶詰の物語。

食物を保存する手法として誕生した缶詰。
その最初の商品に使われていた鉄板はなんと5mmもあったのだという。
ものを保存するために密閉性を保たなければならない缶詰は試行錯誤の中で誕生。
容器に入った食物を光熱で殺菌処理するところは現代と同じだが、その圧力や熱に絶えうるために使用した鋼板のなんと厚いことだろう。
5mmの鋼板というと1メートル角だと16キログラム弱もある。
現在の規格寸法の鋼板だと4.5mm厚さというのが一番ちかいものになるが、よほどの強度を要求するものではないかぎり使用されることはない。
だから最初の缶詰は開封するのも一苦労。
だから缶詰は専用の器械で開封するためお店にお願いしないと行けなかったのだという。
しかも時にライフルを使って破壊していたのだともいい、なんのための缶詰なのかわからなくなる。
これではまるで紛失防止チェーンのついたコードレス電話みたいなものだ。

他にもジッパーの開発話がなかなかな感動ではあるが、あとは読んでのお楽しみ。

素敵なデザイン読み物なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





秋祭りのシーズンだ。

私の住んでいる地域大阪南部は岸和田に代表される「だんじり祭り」が盛んで9月から11月初旬にかけて毎週どこかの街でだんじり祭りが開かれている。
その口火を切るのが先に上げた岸和田だんじり祭りだが観客の数ではダントツの約41万人。大阪では天神祭に次ぐ規模だ。
お祭りの感覚としては天神祭が小さなお神輿をワッショイワッショイと担ぐのと比べ時に負傷者を出す速度で重さ4トンのだんじりを引っ張る岸和田を始めとする南大阪のスピード感は天神祭とは一味違うものがある。
今年の岸和田祭りは宵宮からだんじりが転倒して負傷者が出たというニュースから始まった。
二日目は観客にも負傷者が出たというニュースも発信され、相変わらずのやんちゃさを全国に伝えている。
尤もこの激しさが地域の祭りの魅力でもあり、ニュースが伝えられると観客数も増えるという特徴もある。

私の生まれた堺市中心部にはだんじり祭はない。
大阪南部の玄関口である堺市は古墳時代の遺構が数多く残り今年世界遺産に登録されたばかりである。
世界遺産、古墳古墳で盛り上がっているが普通の森にしか見えない仁徳天皇陵であせ日本三大がっかりどころの仲間入りをするのではないかといささか心配ではある。
また堺は伏見桃山時代は茶道を生み出した高度文化自由都市であった。江戸時代は京、近江、博多と並ぶ大阪商人を生み出す場ともなって長らく天領なのであった。

このように幕府直轄地であったので「やんちゃな祭りはご法度」だからだんじり祭りが無いわけではない。
堺市中心部にも明治時代初めまではだんじり祭りが存在して大いに盛り上がったのだというのだが、大規模な喧嘩が発生。
日本刀を持ち出して斬り合いにまで発展して多くの死傷者をだしてしまったため行政が祭りを禁止。その結果、だんじり祭りが無くなるという事態に至ったのだと言う。
今の岸和田もタジタジの状態が堺では展開されていたということらしい。

そこで生き残ったのは「布団太鼓」というお神輿の祭り。
堺で規模が一番大きな祭りは百舌鳥八幡宮の祭りだがここの祭りが私の実家の最寄りの祭りなのである。

祭りの季節。
注意しなければならないのは、そこここに酔っ払い、ふざけてじゃれ合う青年団、それを見て興奮している小学生、などが夜中にも関わらず存在することだ。
夜道を自動車で走っていると、こういう人たちが突如として現れて事故りそうになってしまうことが少なくない。
もし事故ってしまったりすると相手は集団である。
しかも祭りで盛り上がっている。
しかも幼馴染の集団であることが多く結束力が半端ではない。
後の対応が合法非方法に関わらず大変になってくる。

太鼓と鐘の音起きいたら油断するなかれ。

秋祭りの季節の大阪南部の注意点なのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




つい先日まで小学生、中学生だと思っていた娘がいつの間にか高校生、大学生となっていた。
どうりで体つきが大きくなってきたわけだ。
大きくなってきたのは体格だけではない。
態度も大きくなってきているのだ。
私はまだ大丈夫なのだが、カミさんは親子喧嘩をした時に不利になってきている。このため家庭内でのパワーバランスに微妙は変化が出てきている。
これはちょうど米国の国力が弱体化してきて中国・インドが第頭してきている世界情勢に似ているな、と想像すると笑えててくるのだが、それはまた別の話。

その娘が今、教育実習とやらで毎日教員免許を取るために大学から指定された中学校へ1ヶ月間通っている。
本人が指導教官から教えてもらう一方、本人が中学生を教えるために出かけているのだ。
でももしかすると中学生にも教えてもらっているのかもしれない。

本来であれば娘の大学の今の季節は9月いっぱいまでが夏休み。
だが、その夏休みを利用した教育実習は残酷で体力が必要なのだ。

朝、娘は4時半に起床。
5時になるまでに朝食を済ませて5時半過ぎの電車に最寄り駅から乗ってでかけている。
7時過ぎまでには中学校のある奈良市内まで移動する必要があるからだ。
そして帰宅は午後10時すぎ。
一般の授業が終わってから指導教官の先生を中心にした振り返りの講義と翌日の授業に関するミーティングがあるために午後8時過ぎまで帰ることができないためだ。
聞くところによると授業時間中は使うことはおろかスマホを見ることも許されず、授業をするために立ちっぱなし。
昼食は中学生と一緒にとりながら監視指導を行わねばならず実質10分間程度しか食べる時間がないという。
したがって帰宅したらヘロヘロなのだが、指導教官の先生から指導された翌日のための課題をこなすため自分の部屋でさらに色々と資料作りなどをこなさなければならないのだ。

迷惑なのは父母である私とカミさんだ。
教育実習を受けるのは私たちではないので「がんばれ〜!」と言えば済みそうなものだ。
だが、カミさんは弁当を作るために午前3時半起き。
私もカミさんがガチャガチャやるので午前4時には目が覚める。
しかも娘の帰宅時間が遅いので駅まで迎えに行くのは私の役目。
迎えに行って戻ってきて色々と雑用をしていると就寝時間は午前様。

娘の教育実習のために睡眠時間は夫婦ともに4時間を切るというナポレオンみたいな生活を余儀なくされている。

月末まで親の体力が持つかどうか大いに懸念されているところだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




原油価格が昨日から高騰している。
サウジアラビアの原油施設が何者かによって攻撃されたからで、私はそのニュースを聞いた月曜日。さっそく近所のガソリンスタンドへ行って愛車を満タンにしたのは言うまでもない。

ところで攻撃の犯人はイランだと米国あたりが証拠を握っていると言いながら公言している。
ほんとにそうだろうか。
ドローンと誘導ミサイルがイラン領内南部から発射されているということまでわかっているそうで、そんなの今の技術をもってすれば誰だってわかるだろうというもの。
その誰でもわかるようなことをイラン政府が司令するだろうか。

私は今回のサウジ施設攻撃は陰謀ではないかと言う感じがしてならない。
ジャック・ライアンやジェームズ・ボンドが出てきそうな映画の筋書きのような雰囲気がして仕方がないのだ。
というのも、ボルトン大統領補佐官がトランプ大統領により解任されたというニュースが伝わったのはつい先週のこと。
イラン制裁強硬派だったボルトン氏の解任はトランプ大統領とイラン中枢部の接触の可能性を予測させ、現在の混沌とした中東情勢にポジティブな情報として報じられていたからだ。

そこにイランとトランプが話をして相互理解が進むとここに困る勢力がある。

あの国とあの国だ。
一方は自国出身のジャーナリストを自国の大使館で殺害して死体をバラバラにして外に運び出すようなことを平気でする国家であり、もう一方は第二次世界大戦終結のどさくさにまぎれてアラブの民が住んでいたところに突如自分たちの国を作った国家だ。

いずれもイランと米国が仲良くなっては困る国同士。
一方はたんまりとお金をもっていて、もう一方は諜報技術の高さとシェークスピアの戯曲にもあるように主銭奴でも有名。

イランのフリして物語を作るのも不思議ではない。

ということでサウジの原油施設攻撃に別の意味で注目している。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私の地元では秋祭りの真っ最中。
自宅の地域も実家の地域もどうちらも祭りで盛り上がっている。
私はというおと喪中といこともあり今年の祭りは自粛ムード。
駅前まで行って「チキチンチキチン」と鳴り響く鐘や太鼓の音を聞く程度で今年は完結。
たらふく飲みたいところだが、こちらも「飲みたいぐらい」で踏みとどまってもいる。

で、祭りで思い出すのが昨年の台風のこと。
2018年の台風21号は大阪を直撃。
台風の能力めいっぱい街を破壊してまわった。
私の住む大阪は南へ行くほど被害はひどかったというが、北部大阪も強い地震で被害を受けた直後だったこともありかなり大変だったようだ。
この台風はピークが真っ昼間だったこともありユーチューブには多くの驚く映像がアップされ今も見ることができる。

例えば橋を渡っているトラックがひっくり返り倒れたまま欄干まで風の力でおしやられている。
屋上のプレハブ小屋が突風で吹き上げられて空中で転倒しながら飛んでいく。
パーキングの自動車が紙吹雪みたいにサラサラ〜っと吹き流されていく。
工場の屋根が吹き飛びバラバラになって街中に散乱する。
などなど。
どうやって片付けるつもりだろうというかなり悲惨なものが、
「おおー、あれみてあれみて、エライコッチャ!」
という漫才の一部みたいな投稿者の声といっしょに入っていたしている。
関西弁が災害と組み合わされると悲惨な映像でも笑ってしまいそうになるから、大変な災害も滑稽になってしまう。
いずれにせよ映画の特殊効果ではないかと思えるような信じられない光景が展開した。
ある地域ではパチンコ屋の屋根に乗っていた怪獣のオブジェが吹き飛び道路に散乱。
コンビニのドアも吹き飛んだ。
古い町家の屋根がめくれ上がる。
電柱が列をなして倒れる。
何もかもズタズタだった。

もちろん停電もした。

幸運にも私の家は停電を免れたが国道を挟んだ反対側のエリアは次の日まで停電。
臨海エリアにある工場では3日間停電して操業不能。
少し山側は7日間停電したところもあったらしくそれはそれで大変だったらしい。
でも、耳にした中で関西電力に文句を言っていた人はいなかった。
少なくとも私の知り合いで関電のスタッフに文句を言ったり言っているという話をしている人がいるということを聞くことはなかった。
これは20年以上前にの神戸の震災でも同じだった。

天災はみんなが一緒に被害を受ける。
復旧に携わる企業も企業の人たちも被害を受けている。

なので文句をいったところ意味は無いし、言った人は「何、あの人」と思われるのが関の山。

祭りの季節がまたまた巡ってきたことと、千葉のニュースが頻繁にながれることが重なって思いだしたのが昨年のニュース。
昨年は祭りシーズン直前だったこともあり、ある町の青年団はその結束力を発揮して壊れた家々を周りブルーシートなどで応急処置をしてしまったという話題はNHKニュースにも取り上げられた。
祭りがつなぐコミュニティ力=他人任せにしないパワー。

テレビを見ていると千葉の台風被害で発生した停電は東京電力の責任で、なかなか復旧できないのも東電の体制の責任。
マスコミがせっせとそういう風に煽っているとしか思えないニュースが飛び込んできている。
地元の人達はどう思っているのか。
東電批判の部分だけを切り取って放送しているんじゃないかと思えるようなところがそこここに。
さらに「ボランティアを送ってほしい」とか「屋根のブルーシートは自分でつけないで」とか相反することも放送で言っているが、あれはなんだろう。

昨年の大阪の台風と地震、北海道の地震と大停電、もっといえば東日本大震災に阪神淡路大震災。
いっぱい例があるんだけど現地ではどうなっているのか。

停電とその復旧のニュースを見ていると東電を中心に責任押し付けを見ているようでまるでどこかの国の人達みたいと思ったのは私だけだろうか。
噂通り日本のマスコミはあっち系の人で牛耳られているのかもしれないと思ったそんな瞬間なのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日産自動車がおかしい。

これは日産自動車が寄席に出ているということではない。
日産自動車が漫才や落語をやっているわけではない。
漫才ばなしのようなことが現実に展開されているという「普通ではない」というおかしさだ。

カリスマ経営者カルロス・ゴーンが逮捕されてからもうすぐ1年。
その後を引き継いだ西川という社長もまたインチキをして経営から放り出されようとしている。
業績は芳しく無く、反日不買運動もあり韓国からは撤退。
数々の名車を生み出した技術の日産はどこへ行くのか。
全世界の注目を集めていることだろう。

そこで思い出すのがロン・ハワード監督の「ガンホー」という映画だ。
この映画。
日本車がズンズン米国へ進出していたころに製作されたマイケル・キートン主演のコメディで、舞台は米国に進出した日本の自動車メーカーの米国工場。
誘致に成功した街とそこに住み勤務もしている主人公、そして日本からの駐在員。
ひっちゃかめっちゃかなドラマで日本ではロン・ハワードの作品にも関わらず劇場公開されることもなく私はビデオ鑑賞。

オーバーアクションな日本表現もあったものの私はそこそこ楽しめた映画だった。

この日本の自動車メーカーの米国進出を面白おかしく描いた映画に登場する自動車メーカーの名前が「圧惨自動車」。
良くもまあこんな名前をつけたもんだと当時は大いに感心したものだ。
「圧惨」という漢字の選定もアメリカ人ながら漢字の知識もなかなかだと驚きもした。
もちろん「圧惨」は「日産」にかけた洒落だろうが誰もクレームをつけなかったのかと思えるほど秀逸な命名だ。

でこの冗談でつけたとしか思えない「圧惨」は実に現在の日産にピッタリの名前のような気がする。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「ジュリアン・オピー」展は刺激的でモダンでそれでいて力強い現代アートであった。
ただし所用鑑賞時間は15分程度。
実にあっさりとした出展作品が巨大なこともあり、点数が少なくあっという間に見終わってしまう1200円の展覧会だった。


ジュリアン・オピーという作家は正直私は知らなかった。
今回この展覧会に足を運んだのは見ていたネットの美術展情報に掲載されていた肉太線のイラストに興味をそそられたからだ。
そのタッチというか雰囲気に何か新しいものを見つけることができるのではないかという期待感を感じたというのが表向きの理由。
ホントは他に見たい展覧会が見当たらなかったのと、見たいのは出張の移動コースから外れていたからなのであった。

でも、この展覧会。
鑑賞時間はあっという間に終わってしまったのだが、見てよかった展覧会なのであった。

大胆な作風。
色の使い方。
都会の雑踏を彷彿させるその空気感。
作品のディテールなど。
最近接してきたアート作品とは明らかに異なったテクニックや空気がある。
作品一つ一つが新鮮でもあった。

少ない点数をじっくりと見る。
出張時に見るにはとっても適切な展覧会であった。

でも、もう少し作品を愉しむ工夫が欲しい展覧会でもあったのではないかと、地下鉄に乗ってからツラツラと考えてしまう展覧会でもあった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ