<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



テレビ番組を見なくなった。
見なくなった最も大きな原因は、もともと我が家にテレビのアンテナがなくインターネットの光ケーブルしかなかったからかも知れない。
というのも、当時、テレビをNTTの光ネットに接続して視聴することのできるテレビ局サービスは私の住むエリアではCS局しかなく、地上波は見ることができなかった。

アンテナを立てるのも何やら面倒くさくて、しかもテレビの電波塔のある生駒山が私の居住エリアからはいささか距離があることから、室内アンテナでは地上波番組が奇麗に映らず、畢竟、CSのみ見ることになった。
従って、ニュースはCNNかBBC。
朝日系の日本のテレビニュースも見ることができたのだが、このブログの読者の皆さんにはお分かりのとおり、私は朝日と聞くだけで、
「あ、偏向報道の嘘つきメディア」
と思う癖があるので、見ることはない。
また日本テレビ系のニュース番組も見れないことはないが、これまたこのブログを読んだことのある読者の方ならご存知かと思うのだが、私はタイガースファン。
従って「読売」系の日本テレビのニュースは見ないのであった。

などなど、様々な原因があるものの、ホントのところ、地上波を見なくなった最大の原因は簡単だ。
つまり「面白くない」から。

先日実家に戻った時にそのつまない地上波の番組を今度高1になる娘がニコニコ笑って見ていた。
「そんなに面白いか?」
と訊いたところ、笑い上がら頷くので、酒を飲む手を止めてテレビの方に視線を移すと、あら大いなるマンネリ、
「笑点」が放送されていたのだ。
ちょうど笑点の大喜利のコーナーで桂歌丸の司会でなにやら鬘が配られているところなのであった。
その笑点をみながら娘と爺さんが笑っていた。

いまどきの高校生が笑点を見るのかどうか疑問だが、うちの娘は日頃からカミさんの実家で過ごすことも多く、NHKの火曜コンサートやテレビ大阪の演歌系番組を見ており、嵐やAKB48の極よりも天童よしみや坂本冬美の歌に詳しかったりするので驚くことがある。
まさか、そのマンネリ歌番組で醸成されたのかしら無いが、娘の感性は大いなるマンネリ「笑点」を見て、大いに笑っていたのであった。

マンネリ大国「TV」。
地上波は家族コミュニケーションに必要なときもあるのかもしれない。

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マレーシア航空の行方不明やロシアによるクリミアの併合のニュースに隠れてしまって、すっかりその出来事が伝えられなくなってしまっているニュースがある。
それも日本にとって非常に重要なニュースだ。
どういうものかというと、
「台湾の行政府を学生が占拠」
という現在進行中の事件なのだ。
このニュースをマトモに報道しているのは産経新聞ぐらいだけなのだが、実にこの現在進行中の事件は東アジアの問題点をしっかりと炙りだしている政治事件なのだ。

そもそも、台湾の学生がなんで自分の行政府を占領しているのか。
このような過激な事態に陥っているのには理由がある。
これは40年前に左巻きの学生が東京大学安田講堂を占領して死人を出した事件とは全く違う、正反対の行動なのだ。
学生たちは、国民党の馬英九総統が中国と結んだ自由貿易協定の一種の撤回を求めた愛国心あふれた行動なのである。

「協定により台湾の中小企業が潰れてしまう!」

と学生たちは主張し、協定の撤回を求めているというのだが、そんなことだけで行政府を力づくで占領することは無いだろう。
実際の背景には、

「台湾の中国に売ろうとしている不貞なやつ。馬英九と国民党をやっつけろ」

というメッセージが込められているのだ。
なぜなら、台湾は中国ではないのだ。

台湾という国に住む国民のアイデンティティは中国人のそれとは大きく異なる。
中国では「ダマされないようにしなさい」と言って子供を送り出すという。
これに対して台湾では「仲良くしなさい」と言って子供送り出すという。
この相手を見れば「泥棒と思え」主義は現在の中国を見ているとよく分かる通り、彼の国の民度を表していると言えるだろう。
一方、相手との「和」を尊ぶその姿勢は、日本のそれと同じなのだ。

台湾は中国ではない。
むしろ、日本に近い。
それも限りなく酷似したアイデンティティを持った1つの国家であって、地理的要因と合わさって、この台湾で起きていることの意味は日本人にはマレーシア航空機の行方よりも、クリミアの併合よりも重要なのだ。

この日本と台湾の関係の重要性をわかりやすく解説してくれているのが加瀬英明著「日本と台湾」(祥伝社新書)だ。

台湾の国際的な法的立場と現実の立場の違い。
日本との歴史文化の関わりなどが、わかりやすく書かれていて東アジアの日本の立ち位置を学ぶ上でとても大切な情報が溢れている。
実は台湾は日本にとって唯一の兄弟国家であり、台湾の安全保障や経済力、台湾人の思想などが、そのまま日本の安全保障や経済、文化まで影響を及ぼす。
このことを日本人はもっと知るべきだと思っているのだが、事実はそうではない。
私自身、本書を読むことで、その重要性を確認できたようで、何かこう、スッキリした感じがするのだ。

何にスッキリするのかというと、ここ数年間というもの韓国や中国のような論理と真実と真心の通用しない国のニュースばかり目にしていると、日本は本当に孤立するんじゃないかと思うことも有り、正直気分のいいものではない。
ところが台湾という「マスコミと外務省が中国の一部」と勘違いしている独立国家は親日的であることはもちろんのこと、お互いに補完しあう非常に重要なパートナーであることを認識しなければならない。
とりわけ日本人側はそうなのだろう。
台湾における日本の存在感と同等の意識を日本人も台湾に対して持つことが重要だ。
そういう意識が歴史の歪曲や経済政策的意地悪に負けることのない根性を醸成できるのではないだろうか。

ところで、この著者の加瀬さんのような人がいることで台湾とは正式に国交がない割には、特別な協定がいくつも結ばれていることに納得したのであった。
本書には書かれていなかったが、例えば、台湾の人は日本へ来ると台湾で取得した自動車免許のまま日本国内で自動車の運転ができる。
一方、日本人も同様に日本の免許証で台湾国内を運転できる。
つまり台湾と日本の間には自動車免許に関する国境がないということは、あまり一般に知られていない。
また、現在中国人がノービザで観光旅行にやってくるが、この原因は台湾人に対してノービザを実施していたことに中国政府がクレームをつけた結果ということも、あまり知られていない。

そもそも外務省の気弱で不勉強な外交官が、台湾人とは全く別民族で他国の中国人に「同じ中国人」としてビザを免除してしまったために、大勢の日本人が犯罪によって殺され、あるいは財産を奪われる結果を生んでいる。
何度も言うが、台湾人は中国人ではない。
台湾人を中国人という人は日本人はアメリカ合衆国日本州のアメリカ人であるというのと非常に似通ったアホな感覚を持っている人だ。

本書を読んで、まともな隣国台湾をもっと知る人が増えると良いなと思った一冊なのであった。

なお、冒頭の話題に戻るが、そんなこともあったので学生による行政府の占拠事件は日本のアイデンティティを多く持った若者たちによる中華文化に対する抵抗でもあるに違いないのだ。



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先日、卒業式へ参列してきた。
といっても私の卒業式ではない。
私が最後に卒業したのは大阪芸術大学の卒業式で、もう30年以上も昔の話になる。
今回参列してきた卒業式はというと、まさか見ず知らずの子供の卒業式ではない。
私の娘の中学校卒業式に行ってきたのだ。
実に40年近くぶりの中学校の卒業式なのであった。

それにしても卒業式は清々しい。
いつの時代になっても感動を呼び起こすものがある。
しかもこれが自分の子どもの卒業式となると、こうも感無量になるとは思わなかった。
様々な思い出が、なぜか生徒でもなかった私の脳裏をかすめ、あんなこともあった、こんなこともあったと懐かしさと、二度と戻ってこない寂しさがないまぜになり、涙が滴り落ちそうになったのであった。
カミさんなどは花粉症なのか、感動しているか判別のつなない涙を流していたが、よくよく確認すると、やはり感動していたのであった。

一方、肝心の娘はというと終始ニコニコの体にて涙ひとつ流すこと無く、「やったー!」という感じで、自身の中学生活を締めくくったのであった。

それにしても不思議だったのは、女生徒が泣くのは分からなくはないが、男子生徒が大勢泣いているのには、かなりビックリした。
在学中、先生を悩まさせ続けた生徒ほど、涙を流していたのであった。
はじめ、泣きながら歩いてくる男子卒業生を見て、私は、

「お、殴られたんか」

と思った。
卒業式を契機に、ここぞとばかり、日頃恨まれている生徒が、ヤンキー生徒に囲まれて、一発ぶちかまされたのかと思ったのだ。
ところが、実際はまったく違った。
感極まって、ただ単に泣いているだけなのであった。

私の中学卒業で泣いていた友人は男子にはひとりもいなかった。
みんな迫り来る高校入試とその結果のことをわいわいがやがやと話していたものだ。

「お、お前の学生生活も終わりやの」

と言われて誂われていたT君は大阪府の職員となり、からかっていた方はM電機の技術者になっている。
そんなこんなで泣くことなどなく、冗談を言い合っていたのだが、今の男子中学生は、泣いていた。

驚いたことに、それにつられてかどうかわからないが、男の先生も泣いている人がいたのにも驚いた。
泣いていたのは体育祭で悪い素行の男子生徒グループを追いかけまわしては、

「こら~~~!」

とか怒っていた先生だ。
この先生は身長が低く、まだ若いので、私は最初、

「何組の子やねん、あいつ」

とカミさんに尋ねたところ、

「アホ、あの人は理科の先生や」

と教えられズッコケそうになった。
要は熱血漢の若き先生で、その追いかけていた先生と、追っかけられていた悪ガキが一緒になって泣いていたのであった。

卒業式の成せる技と言えよう。

ところで、君が代を歌い、在校生の歌を聞き、卒業生の蛍の光を聞き、娘の中学校の校歌を聞いていて、自分の中学と、高校の校歌を完璧に忘れていることに気がついて愕然としてしまった。
冒頭の歌詞さえ思い出すのが困難なのであった。
末尾の、「○○中学校~」は、だいたいどこの学校も同じなので思い出したうちに入らず、大いに困惑した。
小学校の校歌は思い出せるのに、なぜ、中高の校歌を思い出さないのか。

卒業式はまた新たな問題を掘り起こしたのであった。

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私の大学での専攻は芸術学部映像学科だった。
そもそも映画監督になりたい、というような無謀な希望を抱いていたのでそんな大学に進学したのだが、後に大いに後悔することになる。
就職が決まらなかったのだ。

大阪と東京のプロダクションをいくつか受けたものの、東京と大阪でそれぞれ内定をもらった弱小プロダクションは給与が極めてよくなく、かつ休みもない、何にもない、という状況であったため、根性の無かった私はいずれも断念し、当時はまだ珍しかったフリーターの道を選んだのであった。
卒業してフリーターになったわたしの最初の仕事はコカコーラの配達のバイトであった。
これは今考えても私の職歴の中でもっとも健康的な仕事だった。
始めて1週間で体重が5kg近く落ち、無駄な脂肪が次々に燃焼していくのが分かるくらいハードな仕事だった。
季節が夏に近づくにつれ仕事のハードさは増していった。
続ければ続けるほど肉体は鍛えられスリムになっていくのだが、私の目指していた「クリエティブな仕事」とは全く関係の無い世界であったので、自主制作映画を作るタイミングでやめてしまったのであった。

その次に携わった仕事は建築設備の仕事だった。
ちょうど大阪阿倍野再開発で竣工検査のアシスタントの仕事が見つかった。
作業着を着て、ヘルメットを被り、安全帯を締め、安全靴を履く、というスタイルには当初、
「工事現場のオッサンやないかい」
と、ドリフターズの仲本工事のコント姿を連想し、自嘲していたのだが、建築の仕事がかなりクリエイティブであることに気づくのにあまり時間がかからなかった。
建築工事は他業種の集まりであり、映画の仕事のそれに酷似していた。
しかも、作られるものが建築物であるために、一旦作ると100年位は作品として街に残り、死ぬまで家族に、
「あの建物の一部は。俺が作ったんや」
と自慢できることにも気づいて4年間も継続する仕事になってしまったのであった。

その後、さらにクリエイティブな仕事になるために工業デザインの仕事を3年間続け、その後生活のほうが重要になったので現在の会社に入って営業職から企画職、そして知らない間に吹田にある某大学の連携研究員にされてしまって現在に至っている。

その間、ずーと映像については興味を持ち続け、自分でも撮影するし、展覧会やギャラリーがあれば積極的に出かける日々を続けている。

とりわけ写真はアート系よりもドキュメンタリーがお気に入りで、報道写真展があれば意気揚々と出かけたりする。
ロバート・キャパ。
マーガレット・ホワイト。
ユージン・スミス。
沢田教一。
宮嶋茂樹。

などなど、硬派から軟派までお気に入りなのだ。

もちろんアート系写真に全く興味がないわけではなく、そちらも好んで観ることがある。

今、大阪中の島にある大阪国立国際美術館で開催中の「アンドレアス・グルスキー展」は私の感性にピッタリの展示会であった。
正直、これほどまで圧倒されるとは思わなかったのだ。

アンドレアス・グルスキーは現在のドイツを代表する写真家だそうだが、その作品はダイナミックだ。
ポスターには東京大学のカミオカンデの内部を写したものが使用されているが、これがまず圧巻。

「何?これ」
とカミさんは冒頭からビックリ状態。

「カミオカンデやで」
「なにそれ?」
「これはニュートリノという素粒子を発見するために作られた世界でたった一つの観察施設なんや」
「へー」
「これで小柴先生がノーベル賞を受賞したんや」
「へー」
「でもこれの最大の謎はそんなことではなくて」
「何なん?」
「どうやってこんな訳のわからんもんに予算を取ることができたか、ちゅうことや」

などと、すでに話は弾んでいた。
なんと素晴らしいアートギャラリーではないか。

案の定、開場は美術展にしてはあちらこちらで雑談に花が咲いていた。

1つ1つの作品は映画館のスクリーンのサイズほどもある巨大なもので、その中でごく普通の被写体が、ごく普通ではない手法と構図で撮影されていて観るものの心を奪い、しかも、その中から話輪が花咲くのだ。
写真を見ていて、思わず誰かと話しながら観てみたい展示なのであった。

ある写真はバンコクのクーロンの川面に映る光の反射を抽象的に写したものであったり、あるものは巨大な銀行のガラス張りのビルを上から下まで写し出し、中の人々の営みをうかがい知ることのできるものであったり。
私はヒッチコックの「裏窓」のいちシーンを観ているような錯覚に陥った。
まさに、写真は劇場と化し、幾何学的あるいは有機的な画像の中に多くのドラマが存在する凄い迫力と訴求力を持った作品だった。

とりわけ印象的だったのは、鈴鹿サーキットなのか富士スピードウェイで撮影されたのか、日本のレース場で撮影された一枚のピットの写真だった。
2つのチームの姿が対照的に捉えられていたのだったが、まるで宗教画のような構図と画質で見る者の感性に大きな衝撃を与えているのであった。
2つのチームが作業する背景には多くのギャラリーがその作業を見つめている様が捉えられているのだが、それはまるで天からキリストとその弟子たちを見つめる最後の晩餐のような雰囲気をたたえていたのだった。

大阪国立国際美術館「アンドレアス・グルスキー展」。
必見の写真展であった。


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マレーシア航空B777-200がタイ湾の入口付近で消息を絶った。
機体は未だ見つかっていないが、その周囲の情報はいくつか出現し、かなりミステリアスな様相を呈してきた。
まるで映画のような展開なのだ。

この遭難に関わるミステリーはざっと以下のようになる。

・遭難機からの緊急連絡が一切ないまま突然機影が消えた。
・飛行機は巡航飛行中であった。
・遭難機種は無事故記録が20年近く続いたB777である。
・飛行機には身元不明の乗客が少なくとも2名いた。

そもそも巡航飛行中の飛行機はなかなか事故を起こすことがない。
巡航飛行中に事故を興した事例としては、新聞でも報道されているように2009年6月にエールフランスのA330型旅客機が大西洋のど真ん中で墜落したケースと、2002年5月に飛行中に空中分解を興した台湾の中華航空B747の事例があるケースがある。
一方は機器の故障であり、もう一方は機齢22年という老朽機だったということが理由の事故なのであった。

今回の事故は何がミステリアスかというと、B777という昨年操縦の下手っぴな韓国人パイロットがサンフランシスコで着陸に失敗するまで人身事故記録0だった稀代の安全性能を誇った機種の事故であった、というところだ。

航空機は開発の新しいものほど事故が起きにくいという統計があり、B777はまさにその統計の生き証人なのであった。
最近のB787も故障やトラブルを頻発させているが、墜落までには至っていない。
これは新しい技術のものが搭乗した時に発生する初期トラブルの一種ではないか、と楽観主義者の私などは考えている。
二十数年前に新大阪東京間で新幹線のぞみ号が走り始めた時も、300系車両はボルトの脱落やカバーの外れなどトラブルが頻発し、新聞やテレビで叩かれたものであった。
それが飛行機にも当てはまるのではないか思えるのが、昨日もホノルルに緊急着陸したJALのB787の事例なのだろうと思う。

そのB777が突如としてレーダーから消え去ったとういうのは、それだけでミステリアスなのだ。

この謎に拍車をかけているのが盗難パスポートで乗り込んだ乗客が少なくとも2人いたことだ。
このパスポート盗難はバンコクで発生したものだそうで、バンコクでは決して珍しくもなんともない事件なのだが、それを使った乗客がどうも一緒に航空券を購入し、乗り込んだらしいというところにミステリーの要素を大きくしているといえる。

折しも同機の目的地が北京であったこともミステリーをさらに大きくしている。
最近の中国では天安門広場でのビラまき、毛沢東肖像画へのペンキなどの小さなものから昆明駅での多数殺傷テロ事件、相次ぐチベットでの焼身自殺による抗議など、反政府活動が活発化しつつある。
そこへ全国人民代表会議の最終日を控えていたところへ発生したのが、今回の遭難事故であったため、
「すわ、これは中国版9.11の未遂事件か」
との疑いが駆け巡っている。

B777-200だからこそ呼びこむ様々な憶測。

間もなく現地は三回目の夜明けを迎えようとしている。



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天安門広場に21世紀の今も、昔と変わらず掲げられている毛沢東の巨大肖像画。
その巨大肖像画に何者かペンキを投げつけたものがいるらしく、党は犯人探しとペンキ消しに躍起になっているようだ。

そもそも、毛沢東という中国共産党の共同設立者の一人は首都北京の街中に大きな肖像を掲げられて讃えられるような人物なのだろうか?
かなり疑問である。
少なくとも日本人の価値観から眺めてみると。

判断は歴史を待たなければならないが、日本人の価値観からすると、毛沢東はトンでもない独裁者の一人であって、例えば現在のドイツがヒトラーの肖像画をブランデンブルグ門の前に掲げているようなものであることに、なぜ誰もくちばしを挟まないのか不思議でもある。
日本では独裁者は長生きできないことになっている。
例えば井伊直弼は幕末にその政治的手腕を発揮して政治を切り盛りしようとしたが、あまりに独善的で強圧だったため、反対する浪士たちに暗殺されてしまったのだ。
やり過ぎると浄化作用が働くのが日本の政治的仕組みでもある。

毛沢東は日中戦争の頃台頭してきた数ある軍閥の1つの、さらには何人かいるリーダーの1人だった。
「揚子江でバタフライ」のようなパフォーマンスのPR効果と運が重なり、無能ではあったが中国唯一の公認政府の代表だった蒋介石と並び称される地位へと駆け上がった。
共産主義とは言いながらその本家のソビエト連邦とは仲が芳しくなく、独自路線を貫くことになる。
で、終戦後、蒋介石を台湾に追いやり、共同設立者の林彪などを暗殺した後にやったことといえば、大躍進と文化大革命なのであった。
ちなみに蒋介石が台湾にやってきて台湾の人々は大いに迷惑をすることになるのは別の話。

大躍進と文化大革命で何をやったかというと大虐殺であった。

主に資本主義や自由主義を標榜する人たちや、インテリ層がそのターゲットにされ、後にはそういう疑いのあるだけでもターゲットにされ、下放と称して大陸奥地の収容所へ送られ再教育の名の下、飢餓と重労働に苦しむことになるのだ。
後のカンボジアの赤いクメールによる大殺戮が霞んでしまうほどの大規模なものであった。
当時子供であった私は小学校で「中国の竹のカーテン」「ソ連の鉄のカーテン」と教えられ、この両国はそとから中で何が行われているのか見ることは難しい国である、と習っていた。
ジャーナリズムは無きも同然、入れば薩摩飛脚よろしく行方不明。
そういうところなのであった。

だからチベット侵攻もウィグル弾圧もなかなかリアルタイムに世界は目にすることができなかった。
カンボジアの悲劇はベトナム戦争時代からの脈々たるジャーナリズムが目を光らせていたので、世界的に公になっていて有名なだけなのだ。

この大躍進と文化大革命を指揮したのが毛沢東。
この2つの歪んだ政策のために亡くなった中国人は数億人。

日本のようなマトモな国では普通、こういう人を讃えたりしない。

ペンキをぶっ掛けた人の肝っ玉には恐れ入るものもあるけれども、その気持はかなりの数の人々が共感しているのではないか。
単に事実を報道する前に、ニュースはそういうところもしっかり抑えておいてもらいたものだ。


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ロシアのプーチン大統領が、

「ウクライナでロシア語を話す人々が弾圧されれば、ロシアは軍事介入する」

と言った。

この理屈でいくと、例えば一触即発の尖閣諸島や東シナ海、南シナ海で何かあって中国が台湾へ軍事侵攻をかけた場合、日本政府は、

「台湾で日本語を話す人々が弾圧されれば、日本は(憲法解釈はともかくとして)軍事介入する」

と言えるわけで、ルールも何もあったもんじゃない。
日本語を話す人口が多いのは台湾、南洋諸島、アメリカ合衆国、などで、ロシアの理屈でいくと何かあれば言語つながりで何でもできるということになってしまう。

そんな理屈を世界に与えたら、PM2.5を輸出しているどこかの国に軍事侵攻の口実を与えてしまうことにならないか。

ロシアの理屈は世界の迷惑なのだ。

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