<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





ゆりかもめに乗って新橋から東京ビックサイトに向かう。
レインボーブリッジを渡って台場を過ぎ、休館中の船の科学館の前を通りかかると、科学館横の埠頭に繋留されたオレンジ色の船が目にとまる。
かつて日本中の注目を集めて南極に向かった南極観測船「宗谷」だ。

この初代南極観測船「宗谷」が実は元海軍の特務艦だったことは、私は全く知らなかった。
太平洋戦争では多くの将兵が玉砕した激戦地の南洋で活躍、敵魚雷も命中したが幸運にも不発弾だった。
4年間の戦争を奇跡的に生き延び、戦後は邦人の引揚船として、そして灯台補給船として活躍しているところを砕氷能力を備えていたことと強運の持ち主ということから南極観測船として白羽の矢があたり、日本人に勇気と希望を与えるために南極に赴いた、劇的な経歴を持つ艦船なのであった。

先月、大阪難波の書店でいつものように何か面白そうな本はないものかと探していたら、平積みされた「宗谷の昭和史ー南極観測船になった海軍特務艦」大野芳著(新潮文庫)と表紙に書かれた本書を見つけたのだ。
ただ単に「宗谷」と書いているだけだったら、もしかすると買わなかったかもしれない。
南極観測船については興味がないことはないが、どちらかというと現在活躍している2代目しらせの方が興味がある。
ところがそこに「海軍特務艦」という文字を見て、宗谷が海軍の軍艦であったことを知り、その数奇な運命を知りたくていてもたってもいられなくなり、買い求めたのだった。

それにしても船の生涯は人のそれによく似ているという在りきたりの言葉があるけれども、「宗谷」のそれはあまりに劇的だ。
「宗谷」はその誕生からドラマであった。
宗谷の発注主はなんとソ連。
同時発注された3隻の砕氷能力を備えた貨物船のうちの1隻だった。
しかし、宗谷はソ連に引き渡されること無く日本のために活用されることになる。
昭和13年の当時、時代がソ連に引き渡すことを許さなかったからだ。

驚きは誕生から今日まで、様々な人と関わっていくのだが、それは読んでのお楽しみ。
初代南極観測船「宗谷」の物語は、戦前戦後を生き抜いていた私たちの祖父母や父母の世代と共通しており、今の日本人にも勇気を与えてくれるのは間違いない。

それにしても「宗谷」ってもとは蒸気機関で動く船だったなんて。
さらに今でも法的には現役の船としていつでも出帆できるよう検査もしっかり受けて認可されている船なんて。
齢75歳。
次にゆりかもめに乗ったら、船の科学館駅で下車して宗谷を訪れたくなる一冊なのであった。

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大阪の天王寺に建設中の近鉄阿倍野ハルカスがギネスブックに「世界で最も高い駅ビル」として申請しているのだという。

高さ300メートルのあべのハルカスは再来年の春に完成予定の近鉄グループの中核的存在のビルディングだ。
ビルそのものは近鉄南大阪線あべの橋駅のターミナルビルで、中には近鉄百貨店あべの店、オフィス、ホテルなどで構成されるという。
東京スカイツリーの半分の高さしか無いにもかかわらず、やたらデカく感じるのは、やはりタワーではなくビルディングだからなのか。
しかもフラットな土地で東京のようなアップダウンがあるような街ではない大阪でも数少ない丘「上町台地」に建設されており、標高は350メートルほどになり、それなりの威容を誇っている。

確かに大阪のどこからでも、このビルディングははっきりと見ることができる。
大阪大学のある千里丘陵からも、関西空港からもクッキリと映画「2001年宇宙の旅」に搭乗したモノリスTMA-1のような建物を臨むことができるのだ。

それにしても高さが一番高いんどという駅ビルは駅ビルとして価値はあるのだろうか、と考えないこともない。
駅ビルの駅としての機能は1階の電車のホームとコンコースになっている地階くらいで、あとの59階(あべのハルカスは60階建て)は駅ではないのである。
ギネスブックもしょーもない記録を掲載するものだと、つくづく思うのである。

また、阿倍野の近鉄百貨店はキタの阪急百貨店梅田本店、ミナミの高島屋本店と並ぶ大阪の百貨店のメインの1つではあるわけだが、いかにせん立地条件が「天王寺」。
自ずとキタやミナミとはコンセプトの違う百貨店になってしまい、どうしても日本一背の高い「庶民的な百貨店」ということになってしまうのが辛いところだ。

なお、あべのハルカスのオフィス階の目玉はシャープ本社が入居する予定だったところだが、シャープさんの一連の危機により、白紙になってしまっているという。
代わりにパチンコ屋やゲーム屋が入ったりしないように祈りたいところだ。

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ニール・サイモンの傑作コメディ”おかしなカップル”
病的な潔癖症のフェリックスとスポーツ記者でちゃらんぽらん、いつも汗まみれのシャツのままベッドに寝てしまうようなオスカーの二人。
共に奥さんに逃げられた寡婦男、という設定だったと思うのだが、このニューヨークを舞台にした30分のコメディ番組が、高校生の頃のお気に入りのテレビ番組の1つだった。

とりわけオスカーを演じたジャック・クラグマンはこの番組の後に「ドクター刑事クインシー」という番組で検視官の役を演じ、それが魅力的であっただけに今も深く記憶に刻み込まれている米国のテレビ俳優だ。
そのクラグマンが亡くなった。
享年90歳。

そしてもう一人。
89歳で亡くなったのは名脇役のチャールズ・ダーニング。
チャールズ・ダーニングといえばポール・ニューマンとロバート・レッドフォードは主演してアカデミー作品賞を受賞した「スティング」に登場する悪徳刑事が印象的だった。
とりわけロバート・レッドフォードを追いかけてシカゴのループの駅をあっちへドタバタ、こっちへドタバタ走り回るシーンはスコット・ジョプリンの音楽も相俟ってスリリングだが滑稽な面白いシーンだった。

海外ドラマや映画ではよく目にする二人の俳優だったが、お別れの時が来てしまった。
なんだか、やっぱり寂しいし、日本ではニュースや新聞記事でもなかなか取り上げないので、うっかり見落とすところなのであった。

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ヨメさんと二人、久々に休日の大阪の中心部へ出たのは先週の日曜日。
お仕事でお付き合いしているデザイナーさんが参加しているイベントに顔を出すために出かけたのだ。
そのイベントは若手デザイナーを中心とした作品発表会のようなものなのであったが、イベントの構成がなかなかお洒落なのであった。
また、場所が大阪の本町ということもあり、平日はビジネスマンで賑わうこの界隈も静かなオフィス街で、ビルの1フロアを借りきって開催されるデザインイベントはなかなか見応えのあるものなのであった。

聞くところによると大阪はデザイナーの人口密度が東京よりも高く激戦地区なのだという。
仕事が少ないのに、デザイナーは多い、というこの矛盾した環境が下手くそなデザイナーは淘汰される構造になっていて、ある意味、個々のデザイナーの技量はなかなか高い。
知らない人も多いし、私も最近まで知らなかったのだが、東京のメジャーな出版社が発行するファンション関係の雑誌の多くが、実は大阪の「下請けデザイナー」によって編集されているのだという。
実際、私もその編集に携わるデザイナーさんにお会いしたことがあるのだが、

「今はネットの時代ですからね。東京の仕事も大阪でできちゃうんです。」

と関西人のくせに言葉まで東京言葉担っていることにいささか抵抗を覚えたものの、

「へー、そうやったんですか」
「そうやったんです」

と返してくれたので許すことにしたのであった。

また、今年春に東京ビッグサイトで開催されたデザイナーとメディアやモノづくり企業とのカップリングイベントへ訪れた時は、気に入ったデザイナーの8組のうち1組を除いてすべて関西人であったことにも、そのレベルの高さを伺わせるものがあるのだ。

ということで、デザイナーのイベントを訪れたのに刺激されたのかどうかはわからないが、普段、大阪南部の泉州地区で悶々と仕事と家事をこなしているヨメさんに要求されて、カフェと美術館を訪れているうちに、日が暮れてちょうど中之島を中心に開催されている「光のルネサンス」イベントの点灯時間が迫ってきたのだった。

「せっかく来たから見に行こうか」

といことで、自動車を道修町のコインパーキングへ駐車して中之島中央公会堂へと足を向けたのであった。



以前のブログにも書いたように、このイベントは確か前大阪市長平松氏と前大阪府知事橋下氏が仲が良かった時に発案されたイベントで、ことして4~5回目になると思う。
はじめは新鮮だったのだが、飽きっぽい大阪人なので(タイガースへの愛情には飽きることはない)暫し忘れていたのだが、知事が市長となり、市長が失業者となった今、再びそのイベントを見てみようという気になったのであった。



それにしても改めて光のイベントを見ると、大阪の街も捨てたものではない。
大勢の市民や観光客が中之島を訪れ、光のページェントに酔いしれている。
一部の人達は屋台のビールやワインに酔いしれていたのだが、もともと大阪の街は秀吉によって都大路のように碁盤の目に作られていて、かつ中之島には明治維新後数多くの欧風建築が立ち並んだこともあり、光の効果はかなりレベルが高い。
さらに、大阪のメインストリートと呼ばれる御堂筋は大阪人にしてはセンスの良いビルの高さ統一条例によって、他の大都市には見られない独特の規則性を景観に生み出している。
そのシンボルである銀杏並木に取り付けられたLEDは、御堂筋を幻想的なメトロポリスへと姿に変えていたのであった。

中之島でケバフをぱくついていた私たちは降ってきた雨をも物ともせず、御堂筋を南へ闊歩。
世代が違うので「雨の御堂筋」を歌うほど、ジジ臭くないのではあったが、雨に濡れた路面がキラキラとし、イルミネーションの演出をより引き出していたのであった。

なお、あくる日から風邪で寝込みそうになったのはこのせいではあるまいか。



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高校生の頃、映画大好きだっただ私でも、これだけは見ないというのがフランス映画だった。

当時は話題作が無かったこともあって、フランス映画が身近な存在ではなかった。
フランスの俳優といえば、アラン・ドロンかカトリーヌ・ドヌーヴしか思い浮かばず、そのドロンでさえ、見かけるのは日曜洋画劇場の時間に流れるダーバンのTVCMかアメリカ映画の「エアポート80」ぐらい。
従って、
「フランス映画ってどんなんあるん?」
というような状態で、テレビでもめったに見ないし、映画館でなど見た映画は皆無だ。
しかも稀にテレビで見るのは「青い果実○○」なんていうタイトルのついたちょっとエッチ系。
当時の「11PM」や「大人の絵本」、「ウィークエンダー」の再現フィルムといったテレビ番組と同列の扱いで、やはり純粋に映画を楽しむというものでもなかった。

唯一、ソフィー・マルソーがアイドルとして登場し「ラ・ブーム」という映画に出演して人気が出てきていた。
しかし、こっちは青春ドラマといえば、泥臭い「われら青春」や「飛び出せ!青春」「ゆうひが丘の総理大臣」「俺たちの旅」なんて日本のテレビドラマか、米国TVコメディの「ハッピーデイズ」かルーカスの「アメリカン・グラフィティ」だったので、フランスの青春モノはおよびではなかったのだ。

暫しフランス映画に接すること無く、日々が過ぎ去った。
この間、英会話学校に足繁く通うようになったのだが、この学校にいたカナダ人の先生の一人が、
「フランス人はヘンだ。変態だ。」
などというものだから、ますますフランスに対する変な印象は増幅された。
また当時は、
「手漕ぎボートで太平洋を横断するようなケッタイな人がいるのがフランスだ」
などと、ビックリニュースも流れたりしたので、英語圏は正常でフランス語圏は変なとこ、という印象が育ってしまった。
しかも、フランス語訛りの日本語が少々鼻につく女性フランス人タレントが大嫌いだったこともあり、ますますフランスは遠い存在になってしまったのであった。

フランス映画に目覚めたのは、というか面白い作品があることに気がついたのは、やはり「アメリ」を見たからなのであった。
アメリはフランス映画の面白さを教えてくれるに十二分の映画であった。
もちろん他の映画がアメリのように魅力あるのかどうかは分からなかったが、もしかすると「面白いのかも」と思わせるものがあったのだ。
ちょうどこのころ、大阪ではフランス映画祭なるイベントが開催されたりして、フランス映画に接する機会が急上昇したことでもあった。

以来、時々フランス映画を見るようになった。

先週の日曜日。
OO7を見に行こうと思っていたのだが、家の用事を済ませていくうちに時間が経過してしまい、二時間半もある映画を見るのが面倒くさくなってしまった。
そこで、家のソファに横になり、CATVを付けると放送されていたのが「プロバンス物語~マルセルの夏」(1990年作)であった。
「この映画、きっと面白いよ」
と教えてくれたのはカミさんであった。
カミさん学生時代をフランスで過ごしていた経歴があり、あちらの事情に詳しい。

聞くところによれば、この映画は、この映画の監督の子供時代を描いており、夏のひととき、家族と過ごしたプロバンスでの思い出を詩のように綴っているのだという。
なるほど、映像は美しく、ストーリーは私たちが子供の頃に体験した、日常的な事件で構成されていて、なんだかホノボノとさせるものがある。
お父さんは厳しさの中に優しさがあり、お母さんは暖かく包み込んでくるような優しさがある。

このあたりはヨーロッパの映画なんだなと思える部分かもしれない。
アメリカ映画ではトム・ソーヤに代表されるような、少し超人的な子供が主人公になるのだが、フランス映画では日本と同じように、ごく普通のこどもが主人公になり得る文化的土壌があるのだろう。

この映画は「プロバンス物語~マルセルの城」と二本でシリーズになっているということで、そのもう一本は別の視点から捕らえた同じ物語なのだという。

フランス映画、何を話しているのか「ウィ」以外さっぱりわからないのが欠点だが、なかなか爽やかで清々しい映画なのであった。

なお、再放送は年明け1月20日、FOXムービープレミアムチャンネルで。

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一昨日の木曜日。
大阪の中心部、中之島にある中央公会堂で開催されるイベントに参加するため淀屋橋の駅を下車して市役所前までやって来ると、今年もありました「光のルネサンス」の準備風景。

大阪市役所南側の大川に沿った歩道ではデザインされたサインが並び、並木には電飾設備が施されていた。
木々の表面を這って覆っているLEDランプは、古いたとえかも知れないが、なんとなく手塚治虫のマンガ「三つ目がとおる」に登場するお化け植物ボルボックみたいな不気味さがある。
こういうのは昼間見るものではないらしい。

それにして光のルネサンス。
元はといえば、仲の良かった頃の橋下前大阪府知事と平松前大阪市長が大阪を活気づけようと始めたイベントだったと記憶する。

政治は変わっても、イベント趣旨は変わらないと見えて年々多くの人々がこの大阪ビジネスの中心地、中之島を訪れるのだ。
冬の弱い日差しが紅葉の終わった木樹を映し出し、大川の川面に映るビル群もここ数年でかなり様子が変化した。
大手企業の本社ビルが高層ビルに建て替えられて、中之島の下には鉄道が走るようになった。

光のイベント。
今年はどんなドラマがあるのだろうか。


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忘年会のシーズン。
今年は付き合いが増えたこともあって参加する忘年会の回数も昨年を上回る。
仕事関係。
遊び関係。
英会話スクール関係。
学生時代の友人関係。
と宴会の仲間のジャンルも様々だ、

なかでも一昨年あたりからの特徴は異業種交流会での忘年会。
産官学民で集まってワイワイガヤガヤとやる忘年会で、仕事の話も当然ながら、清治や経済、社会問題までフランクな形で意見交換、情報交換して自分の知識が広がってくるのが、また楽しい。

今週も交流会での忘年会があって、ワイワイガヤガヤやってきたのだが、そこで出ていきたのが主要企業の中国撤退。
とりわけアメリカの企業が退去して撤退をはじめ、一部には撤退完了の大企業もあるという。

「日本じゃ報道されないんですよね」

と、日本のマスコミの不思議な部分もクローズアップ。
畢竟、中国投資、中国ビジネス、尖閣問題、維新の会、自民党なんかの話に流れた。

で、撤退してるアメリカの企業。
日本では昨年のGoogleの撤退を記憶されている方も多いだろう。
中国政府の情報操作に飽き飽きしたGoogleが「もう勝手にせいや」と出ていったのが、昨年の「事件」。
中国としてはしてやったりかもしれないが、それもアメリカを中心とする外国資本の撤収を動機させた要因になっている。

中国は儲けにならないから?
違います。
リスクが高さすぎ?
それも違う。

アメリカの場合は来たるべく中国との経済および政治対立に備えてのことだという。
アングロサクソン、ユダヤの連合はしたたかだ。
まず、GMが工場を撤退。
大手DIYチェーンも全店閉店。
そして、アップルが段階的に撤収し、近いうちに中国での生産をゼロにするという。
新型iMacには「Made in USA」の文字があるという。

日本企業には「尖閣は中国の領土」と中国におもねるユニクロの某みたいな人もいるけれども、アメリカはその点はっきりしているようだ。

日本も少しは東の隣国に学んでみる必要があると思った宴会なのであった。

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アメリカの大統領選挙を見ていると、
「つくづく選挙ってお祭りなんやな」
と思うことがある。
支持者を集めて花火を打ち上げ、紙吹雪が舞う。
日本の選挙運動とは随分違うと思ったものだ。
とりわけNHKで放送される政見放送を見ていると気持ちの滅入ること甚だしかった。

テレビのブラウン管にバストショットで映る立候補者。
前のテーブルにはでっかいネームプレートが。
NHKのアナウンサーが感情を殺した声で立候補者を紹介する。
なんともまー、無味乾燥で朝のひとときをおもいっきりぶっ壊してくれる、これほど退屈な番組はない。
とうんざりすることが少なくなかった。
もしかすると、日本の政治不信はこの詰まらない政見放送番組にあったのではないかと思われてならない。

で、時代は変わって21世紀。
政見放送も随分変わったもので派手な音楽、バラエティ番組の司会者のような語り口の案内役。
わざとらしい党首インタビューが「関西電気保安協会」のCMみたいで笑えるのだ。

こうなると政策発表もなんのその。
次は何を言い出すのか楽しみになることさえあるのがおどろきだ。

例えば革新系の某政党は、党首と司会者が小さなテーブルを挟んで、「憲法改悪に反対します」「アメリカの言いなりにならない」なんて言っている。その姿が、40年ほど前の白黒ブラウン管のテレビを見ているようでノスタルジーに浸ってしまう。
「アメリカの言いなり」と同盟国は批判しても、
「中国の無礼者」と傍若無人の隣国は名前さえ上げない。
中国の政権党が同じ名前だからかも分からないが、いつまでも古臭いことを行っているところにモノクロテレビチックな対談だから、まじめに話しているほど笑えるのだ。

また、ある政党は一人のにこやかで爽やかなオッサンが現れ、「原発運転」「核武装しましょう」とニコニコ笑いながら主張する。
「原発」はともかく「核武装」を言い出すのは、かなり勇気がいるのか、いっちゃっているのか。
本当に幸福そうでお気の毒になてくるのだ。

このように、何だかヘンはこういう政党だけにとどまらず、自民や民主、維新の会まで、かなりヘンなのが、今回の総選挙向け政権放送の特長だ。

もしかすると、違った形でだんだんと「選挙はお祭り」形式に進化してきているのかも分からない。

ビバ、日本。
そんなにはしゃいで、どうなるの。

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高校生の時、私が所属していたクラブは「お帰り部」。
つまり、な~んにもクラブ活動はしていなかった高校生だった。

授業が終われば家に帰る。
学校には長居はしたくない。
家に帰るとテレビをつけて再々放送の「われら青春」なんかを見て喜んでいた。

そもそも、運動するのも、サークルするのも、なんとなく面倒くさくて、「クラブなんて」と1年生の時に思ってしまったのが良くなかった。
結果、クラブ活動は何もせずに3年間を送ってしまったのが、今となっては少々後悔している青春なのであった。

とはいえ、一応、2年半はクラスの代議員(クラス委員長みたいなもの)をやっていたし、文化祭では先頭を切って「8ミリ映画」なんかも作る活動はしていたので、ただたんにボ~~~~としていた高校生でもなかったのだ。
ただ代議員になったのも、文化祭で頑張ったのも、いささか不純な気持ちがなかったわけでは決して無い。

代議員、学校によってはクラス委員長なんて呼ばれる、通常は優等生がやる役目だが、どうしてこんな役目を請け負ったのか。
今では謎な部分だが、そもそも1年生の新学期、クラスのみんなが何処の誰だかさっぱりわからない段階で、なんか「いいこと」発言を私がしたために、クラスで一定の信頼を掴んだことは覚えている。
で、そのあとすぐに行った代議員選挙で見事に男子は私が選ばれた、というわけだ。
嬉しかったのは、選挙で選ばれたということではなかった。
投票用紙に書かれた私の名前が、ほとんど女子生徒の筆跡であったことに喜んだのであった。

8ミリ映画も同じ。
「○○君の作った映画、おもしろいね」
と女子にほめられただけでいい作品ができ、それがきっかけで芸大に進学することになった。

要は、おめでたい高校1年の男子なのであった。

五十嵐貴久著「ダッシュ」は私ほどではないにせよ、年上の先輩女子生徒に憧れる高校の陸上部男子生徒たちが主人公の青春ドラマだ。
そもそもこの五十嵐という作家の作品は「1985年の奇跡」という野球を題材にした小説を読んでいて、それが面白かったので、今回買い求めたものなのであった。
「1985年の奇跡」も明るい、生き生きとした青春ドラマだったが、今回の「ダッシュ」もなかなか楽しい一冊であった。

4人の2年生の男子が。病気になった憧れの先輩女子を励ましていく姿が、なかなか微笑ましくも、恥ずかしい。
だからといって「病弱な少女を支える周囲の人々」といった退屈な構成では決して無く、病気の少女も、弱くなんか無く、主人公の男子4人よりも気が強いくらいのキャラクターなのだ。

爽やかで、スピード感のあるドラマだが、欠点をあえてあげるなら、中高生の読むべき小説だというところかもしれない。
中年のオッサンが青春小説に涙するには、少々甘すぎるクライマックスがあり、例えば川上健一の「翼をいつまでも」のような過ぎ去った青春のキラキラ輝く寂しさのようなものがないのが若干の物足りなさにつながっているちいえるだろう。

ともかく、己の高校時代を振り返りながら、異性にほめられたり、選ばれたりするのは、誰にとってもパワーの湧くことなのだと思った。

聞いてるかい?
我がヨメさんよ。


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米国TVシリーズ「スター・トレック」にはレプリケータというハイテク機器が登場する。
形はいたってシンプルで、電子レンジのようなものだと思えばいい。
で、電子レンジと何が違うかというと、電子レンジは食べ物を温めるだけだが、レプリケータは、
「ホットコーヒー、ブラックで」
と言葉でオーダーすると、物質を合成してカップに入ったコーヒーを作り上げてしまうのだ。
24世紀の宇宙旅行は食べ物はレストランの厨房で作れるのだが、レプリケーターでお手軽に、ということも可能になるようなのだが、私はそんなコーヒー飲みたくないのは言うまでもない。

このレプリケーターほどではないけれども、パソコンでちゃかちゃかでデザインした立体の造形物を自動的に生成できる時代に入っていることを皆さんはご存知だろうか?
世に言う「3Dプリンタ」というハイテクマシンだ。

3Dプリンタはパソコンの3D-CADで設計したデータを受け取り、樹脂や木を自動的に硬化させたり削ったりすることで、そのモデルを作成してしまう卓上立体プリンタで、安いものならUSドルで1000ドル程度、高いものは上限はなかかなか無いが、数百万円とインクジェットプリンタとゼロックスの上位機種のようなラインナップが揃っている。
CADソフトも昔のように何十万円も何百万円もすることはなく、安いものならAutodesk社の123Dのように無料のものまで存在する。
つまり自宅で年賀状を作成するように、これまでは工場でなければ作れなかった例えば飛行機の模型だとか、レゴの部品なんてものが自宅の卓上で作れてしまう時代に突入しているということなのだ。

この、21世紀における新・産業革命を衝撃的にレポートしているのが、あの「ロングテール」の著者クリス・アンダーソンの最新刊「メーカーズ」(NHK出版)なのだ。

この「メーカーズ」。
書店で初めて見つけた時は、あまり読んでみたいな、という気がしなかった。
「今更モノづくり本なんて、ありふれ過ぎているよな」
と思ったのだ。
ところが手にとってパラパラとめくってみたら、買わずにはいてもたってもいられなくなってしまったのだ。
なぜなら、この書籍にはモノづくり最前線だけではなく、それを販売し、ブラッシュアップさせ、しかもそれを始めるための全く新しい資金作りの仕組みまで紹介されていたのだ。

読み終わった今となっては、なぜ日本のモノづくりは危機に陥っているのかが新・産業革命という分野から、よく見えてきてもどかしくなっている。
巨大なプラントで同じ製品を大量に作る時代が19世紀から20世紀のモノづくりの理想形なら、デスクトップで様々な製品を1個から作るのが21世紀のモノづくりだと本書は語りかけている。
このような少量多品種の時代は、産業革命が訪れる前は当たり前の時代だった。
一人ひとりの職工が手作りでモノづくりをしていた頃は1つを作るのも1000個を作るのも手間は変わらなかった。
しかし、一度大量生産の時代が訪れると、コスト重視で安く、規格化された製品が全地球上を席巻し、今の世界が存在している。

ところが、この大量生産の時代はパソコンの登場で、まず印刷業界から大きな変革を迫られた。
いわゆるMacとXeroxの組み合わせによるデスクトップパブリッシングの世界だ。
最初、デスクトップパブリッシングは大きな印刷会社でしかできなかった。
理由は簡単で、設備が極めて高かったからだ。
Mac1台が100万円以上もし、Xeroxはその何倍もした。
ところが今ではMacは10万円以下だし、インクジェットプリンタは1万円以下から販売されている。
個人でも十分利用可能で、このため市場では単純な技術しか持たない小さな印刷会社はその使命を終了してしまった。

その波が、製造業でも押し寄せているというのが本書の本題だ。
しかもモノを作ることだけではなく、発達したインターネットを利用して全く新しい資金集めの仕組みや、製品の販売、発展の構造まで存在するというのだ。

いずれにせよ本書に取り上げられているサービスには日本発信のものは全くなく、日本のモノづくりを根底から考え直す必要が有ることを、危機意識と共に痛感させられる。

本書はシャープやパナソニックの社員さんはもちろん、すべての日本人の必読書といえるかもしれない。

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