<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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100km走るぞ、と決めたのだがコースの三分の一はいつも走っているおなじみの道をたどることにした。
これは途中何らかのトラブルがあった時のための予防的措置なのであった。
例えば、急に体力が無くなって走ることができなくなる。
転倒して怪我をする。
交通事故に遭遇する。
自転車が故障する。
腹が減って動けなくなる。
などが発生したとき、知った道のほうが緊急事態への対応を取りやすいからだ。

しかし、それよりも何よりも、いつものコースをたどることによって大阪〜和歌山間に立ちはだかる和泉葛城山脈越えの高低差が最も少ないところを選ぶことができるからでもあった。

自宅を出発して国道26号線を和歌山方面へ走る。
この26号線は阪南市内に少し入ったところから高架式の自動車専用道になっていてそのまま和歌山市内まで突っ切っている。
だから自転車は別のルートを取る必要がある。
この高架の下の一般道が途切れる交差点が丁度、山越えをするのか海沿いを走るのかを選択する分岐点で、いつものなら海に向かってなだらかな下り坂を走るのだが、今回はなだらかな上り坂を山に向かって走った。

まもなく道路はJR阪和線の和泉鳥取駅を見ながら山の中に入っていく。
この道は阪和線と高速道路の阪和道と並行しており、自動車の多くは阪和道を走っているし、万一の場合は阪和線を利用することができる。

この大阪から和歌山へ向かう山の中に「山中渓」という、名前そのまんまの駅がある。
周囲にはちょっとした集落が有り、阪南市営「わんぱく王国」というアスレチック公園みたいなものもある。
山中渓は元々阪和線が建設されるときに事業主体の阪和電鉄が南海電鉄の「みさき公園」に対抗して建設した遊園地だったということだが、「わんぱく王国」はその名残なのか。
私は小学生1年生だったかのときにここへ遠足に来たように思うが、記憶が曖昧で定かではない。

もう一つ、山中渓には関所の石碑がある。
ここは南北朝時代まで関所が設けられていたようで、ここを通過して京・大坂と紀州を旅する旅行者は通行税を収めたのだという。
その通行税はヤクザなボッタクリではなく、きちんとした国の税収で集まったお金は人々が安心して暮らすことができるようにお寺のお堂を建てるよう時の天皇から勅令が出されていたのだ、と書かれていた。
この関所は徳川の時代になって廃止された。
たぶん、紀州徳川家と幕府直轄領の大坂の間に関所を設ける必要がなかったからだと私は思った。

写真を2〜3枚撮影しただけで山中渓駅を通過。
さらに峠に向かってゆっくりと登っていく。
JR阪和線も並行して山登りだ。
鉄的知識をもってすると、ここの山岳地帯の土木工事と天王寺〜南田辺間の高架工事に金がかかって阪和電鉄は相当な負債を抱えての開業となったという。
確かに全国でも屈指の高密度ダイヤで運行している都会の路線がここだけは超ローカルな風景の中を走っている。

やがて大阪府と和歌山県の府県境を通過した。

道路は片側一車線の2車線道路で上り坂はまだまだ続く。
坂が急になってくると阪和線の線路は姿を消し、その代わり多くの車が高速で行き交う阪和道の大きな橋脚が見えてきた。
阪和線は最大の難所のトンネルを走っているのだ。
峠と思われるところは阪和道のすぐ横で、
「ここから先は大型車は通れません」
という標識が出ている。
何をいまさら。
ここまで来た大型車はどうするのだろう。
というのも、この峠には大型車が方向転換するスペースなどなく、
「どうないすんねん」
と大型車の運転手ならボヤきたくなるほど不親切なのだ。

もちろん私はチャリンコなので、大型車云々は全く関係がない。
階段でもない限り突き進むことが可能だ。
人によってはたとえ階段であってもチャリンコで進むであろう。

ここで出発から初めての5分間休息を取り水分を補給した。
険しくはないが、ある程度の坂道の連続だったのでイオンで買った安物のジャージが汗でびっしょりになっていた。

前方を見る限り、ここからは下り坂。
楽チンで和歌山県側へ降りていくことができそうだ。
ということは、別の意味で引き返すのは大変面倒ということでもある。

うんとしょ!と気合を入れて、いざ下り坂を滑走。
麓の岩出市の街を目指したのだった。

つづく


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GWに100km走れたら。
と漠然と予定を立ててしまったのが橋本〜和歌山を走ってから数日後。
寒い日々が終わり桜の季節も過ぎ去って仕事の時間を気にしなくて良くなるタイミング。
それがGWなのであった。

初の100kmロングライドに挑戦するときは和歌山を目的地にしようと考えていた。
というのも必ず海沿いを走るコースを入れることができる。
それが結構重要なのであった。
走っていて楽しい景色に海はなかなか良い。
とりわけ大阪南部の海岸線は公園もあり、沖合には関西空港が浮かび、向こう岸は淡路島。
そもそも都会の海なのに透き通るように美しいところがある。
そういう穏やかなところを初夏の日差しを浴びながら走りたいと思ったのだ。

GWの少し前。
100km走れるかどうか確認するために少し遠出をすることにした。
自宅から和歌山との府県境までを海沿いの道を往復してみることにしたのだ。
この距離往復約70km。
これを走ることができれば100kmは可能と判断してもいい、と勝手に決めたのであった。
海沿いを走ることにしたのは景色が良いという理由よりも高低差が少ないことだ。
大阪府と和歌山県の間には和泉葛城山脈があり、海岸線沿い以外は峠道になっている。
標高差は300mから500mほどあるので低いところを選んでも、そこそこの山登りになる。
疲れが大敵なのでできれば山登りは避けようと思って海沿いを選んだのだ。

いつもは遠くても25km地点ぐらいで引き返すのだが、このときはその先に向かって走った。
一昨年に閉園した南海みさき公園を越えて深日港に向かう。
深日港で少し休憩してさらに南を目指すと道の駅兼魚釣パークがあって、その先が和歌山なのであった。
帰宅して自転車を降りても体力は十分。
まだまだ走れる余裕があった。
もう100kmライドは大丈夫だろう。

そうこうしているうちにGWとなった。
自営業の私はGWであろうが平日であろうが関係ないのだが、GWは得意先からの電話がないだろうから遠慮なく外出することができる。
携帯電話を気にせずに走れるのは重要なポイントだ。

そして準備を整えて出発したのが連休2日目。
時間は朝7時30分。
リュックに輪行セットとカメラを入れて500mmlのペットボトルに自分で沸かしたお茶を入れ、ボトルホルダーにセット。
ブレーキ、タイヤの空気圧も確認。
時々財布を持つのを忘れて出てしまうので、それもリュックにあることを確認。

いざ出発したのだった。

つづく


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「人生山あり 谷あり、ここが人生分かれ道」
というのは、その昔テレビで放送されていたタカラの人生ゲームのCM。
サイクリングも同様で平坦なところばかり走っていると脚力も十分につかず甘ったるい体のままということになるのかも知れない。
山や谷を走ることも必要だ。

富田林からの帰り道、泉北ニュータウンの〇〇台なる丘陵をいくつか越えてきた結果しんどい思いをしたものの脚力がつきはじめ、定例の往復になりつつあった実家との往復約40kmがちっとも辛くなくなってきたのだった。

「これなら折りたたみ自転車で橋本から和歌山まで走れそう」

と思ったのは今年の1月。

暖かいと思われる日を狙って朝から折りたたみ自転車DAHON K3を担いで南海電車で和歌山県橋本市へ向かった。
橋本市は高野山の玄関口であり大阪のベッドタウンでもある街で、そこそこ大きな街だ。
ここから紀の川に沿って西に走ると和歌山市へ出る。
サイクリングコースとしては非常に人気のあるところで、和歌山県も税金を投入して道標やコースを整備している。

Google Mapで事前に調べると南海高野線・JR線和歌山線橋本駅からJR阪和線和歌山駅までは約47km。
これまでの経験から走れない距離ではなさそうだ。
いつもの実家往復よりも10km程度長いだけ。
もしも途中で疲れてリタイヤしたければコースがJR和歌山線と平行しているので、どこか近場の駅から電車に乗ればいい。
そこは折りたたみ自転車のメリット。
いつでもどこでも手軽に小さくたたんで輪行袋でハイ電車、なのだ。

また和歌山市を起点にしなかったのにも理由があった。
これもGoogle Mapで調べてみると和歌山市と橋本市には標高差が100mある。
当然海辺の和歌山市のほうが橋本市より低い位置にある。
だから和歌山からだと上り坂になるが橋本市からだときっと下り坂で楽ちんだと思ったのだ。
しかし、これはアホな考えなのであった。
47kmで標高差100mしかない。
ほとんど意味のない標高差で実際は海に向かって走るコースでも甘いことはなく、途中上り坂あり下り坂ありで結構パワーが必要なのであった。

当日の計画では橋本駅を9時にスタートすれば正午前には和歌山駅に到着し、電車に乗ってランチは帰宅後自宅で、と考えていた。
47kmは2時間半ほどで走破できる距離だと思っていたのだ。
ところが、そこは折りたたみ自転車というハンディキャップを考慮に入れていなかった甘さがあった。
平坦な道は楽ちんだ。
しかし少しでも上り坂に差し掛かるとエネルギーが消耗する。
とりわけスタートして数キロメートルから始まる真田幸村ゆかりの九度山付近は上り坂が多く体力を消耗した。
私が「ハッハッハッ」と一生懸命踏み込んでノロノロと登坂している横をロードバイクのグループが力強く追い抜いていく。
高野山に登ろうかというようなツワモノのグループなのであろう。
また反対車線を高野山方面から軽快に下ってきて橋本・五條方面へ走り抜けるサイクリスト達がいる。
見ず知らずの私にもすれ違いの挨拶をしてくれるので私も挨拶を返す。
ハイキングですれ違うと「こんにちわ」といって挨拶するが、サイクリングでも同様であることを知った瞬間なのであった。
でももしかすると見るからにへばっていた私をからかっていたのではないか、と少し疑心暗鬼でもなくない。
それほど私は「ハッハッハッ」状態なのであった。

ということで14インチの折りたたみ自転車には酷であったようでJR和歌山駅に到着したのは正午を15分ほど過ぎたとき。
予定を30分以上もオーバー。
駅前でヘロヘロになってベンチに30分ほど腰掛けてしまったのは大きな計算違いであった。
自転車をすぐに折りたたんで輪行袋へ入れるのも面倒だったが、袋に入れないと帰れないのでゆっくりと折りたたみ自動改札機にぶつけないように担いでホームに向かった。

フラフラになったとはいえ、やはり初めてのコースを走るのは楽しい。
景色が新鮮。
しかもこの付近は自動車でも走るけれども自動車なら京奈和道を走ってしまうのでローカル感あふれる紀の川の土手や周囲の村の中を走るのは気持ちが良かった。
ただ計算違いも少なくなかった。
暖かい日、しかも大阪の南側の暖かいはずの和歌山北部のその日の気温はたったの5℃だった。
寒いのなんの。
少し休憩するとすぐに寒くなるし和歌山市内は猛烈な向かい風もあった。
もしかすると時期を誤ったような感じもなくはなかった。

帰宅後、暖かくなったら同じコースを再挑戦するつもりになったが、ただしK3ではなくクロスバイクを持っていこうと思った。
で、クロスバイクを持っていくくらいなら和歌山まで自走すればいいじゃないか、との思いに至ったのはこのときなのであった。

つづく




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そこそこ走れるようになってくると、またもや「新しい自転車が欲しい」病が再発。
自重の軽いロードバイクが欲しくなってきたのだ。

自重の軽い自転車がいかに楽なのか。
それは折り畳み自転車DAHON K3に初めて乗ったときに痛感した。
本体が軽いと漕ぎ出しが楽ちんで車輪がちっこくても快適な走りを堪能できる。
「これは楽だ」
と思った。
DAHON K3は8kgほどしかなくコンパクトでそこそこスピードも出る。
欠点はコンパクトで軽すぎなので鍵をかけても盗難されるんじゃないかと不安になることだ。
だから13.5kgもあるTR-1は、重くて走らないんじゃないか、と勝手に思い込むようになっていた。

この頃からWEBで「クロスバイク ロングライド」とか「クロスバイク 100km」とかを検索するようになった。
ロードではなくクロスバイクで遠乗りする人がどれほどいて、果たしてそれは可能なのかどうか、ということが気になっていた。
他人のことを調べても仕方がないかもしれないが、気になったのだ。

自分自身、実家との往復40kmほどは走れるようになってきたが、坂道ではやはりヘロヘロしている。
ときに片道1時間以上かかることもあった。
途中、ロードバイクに乗ったニイちゃんネエちゃんに抜かれることも少なくない。

やはりクロスバイクはスピードも出ないし長距離走るのは不適切なんだろう。
だから「新しいロードバイクを買って」とおもちゃをねだる幼児のようにカミさんにぼそぼそと言ってみたが無視され続けた。

このクロスバイクはスピードは出ない。
クロスバイクは長距離には不向き。
というのは今回100kmを走ってみて言い訳に過ぎないことがわかった。
要は脚力。
自転車のエンジンは自分自身なのであるからにして、基本的に体力と筋力を養わなければいくら高級な自転車に乗っていてもスピードも距離も出せない。
ついでに適度な精神力も要るのかも知れない。
そんな当たり前のことを認識することが重要であることに気づくまで随分とかかった。
そのことが実は自転車での遠乗りを楽しむための精神的な最重要事項なのだろう。
それでも「ロードバイク買って欲しい」のは言うまでもない。

で、実家との移動はラッシュアワーには自動車では1時間程度かかることも少なくない。大阪市内方向の国道は渋滞が数箇所で発生してノロノロと動かないのだ。
この時間、自転車で移動すると渋滞が関係ないばかりか、体力も脚力もついてきて最短45分から50分で到着できるようになった。

この頃、富田林の寺内町でアート関連のイベントが有り、
「よっしゃ、これに自転車で観に行ってみよう」
ということにした。
富田林と自宅は約30kmほど離れていて、往復60km。
途中には泉北の丘陵群が数峰ありそれぞれの坂道は楽ではない。
車で通ることは少なくないが、車でも結構な傾斜であることがわかる坂道だ。
でもこれにチャレンジして、片道1時間半から2時間のペースで走り、帰宅して坂道でヘロヘロになった。
帰宅当日はシャワーを浴びたあとバタンキューしてしまうおまけもついた。

しかし、その後日。
いつもつらい思いをして走っていた山道を苦もなく上がれたのだ。
えらいもんである。
富田林への往路は堺の実家を経由したので道はそんなに険しくなかったが、帰りは泉北ニュータウンのど真ん中を突っ切ったので超えた丘陵は6つあまり。
そのときにヘロヘロになって上り下りした坂道が脚力になって還元されていたのだ。
この体験が自転車を楽しむという考えに新しいステップを与えてくれたのであった。

つづく


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GWを利用してクロスバイクで初めて100kmを走ってみた。
自宅を出発したのが午前7:30分。
自宅に戻ってきたのが午後1時15分。
5時間45分のサイクリングだった。

ほとんど一気に走り抜けたのだが地図を確認するために停車したことを除いて途中3箇所ほどで休憩した。
そのうちの1箇所は撮影したい写真のために時間を潰さねばならず30分休憩。
他の2回の休みはエネルギー補給のおやつを買って食べたるためにコンビニに寄っただけなので賞味走っていたのは5時間ちょうどというところか。
お昼の食事は自宅に戻ってから食べようと考えていたので、途中コンビニではおやつのみ。
そう出発前から決めていたのだ。

そもそもサイクリングで100kmを走るというのはここんところの目標になっていた。
果たして私の持っている入門タイプの安価なLOUIS GARNEAU TR-1で100kmも走ることができるのか。
もっといいバイクを、とりわけロードバイクを買う必要はないのか。
それもカーボンフレームで油圧ディスクブレーキ装備で、重さ8kgほどのイタリア製ではないとだめではないのか。
などとカミさんに言ったところ、
「アホか」
と一蹴された。
そういうことも予算の関係もありTR-1でのチャレンジを目指していたのであった。

TR-1に乗り始めた数年前。
当初は隣の駅の近くにあるショッピングセンターへ行くのもへたへたであった。
100kmどころ4kmも走るのが怪しい肉体なのであった。
それが大阪北部地震で電車が止まり、用件があって実家までの往復40kmを無理やり走ったことをきっかけに、そこそこ遠乗りをするようになった。
さらに3年ほど前、よせばいいのに祭礼に参加して走り回ったことをきっかけに膝を痛めた。
一日で4万歩以上走ったのだ。
もともと体重が100kgを越えるような肉体だったため、
「変形性ひざ関節症やね。人工関節したいところやけどまだ若いから、筋肉鍛えてちょうだい」
と整形外科医に指摘され、走ったり山登りをすると膝が痛くなるのでますます自転車に入魂するようになってきたのだった。

先述したようにロードバイクを買おうと思っていたが、途中で「仕事にも使うから」と見え透いた言い訳をして折りたたみ自転車を購入。
人気機種DAHON K3だったこともあり結構お値段が張ってしまい、ロードバイク購入の言い訳を作るのがますます難しい状況を自ら招いてしまったのだ。

仕方がないので手持ちのTR-1で100km走行を目指してあれこれ考えることにした。

まずは走行距離4kmでヘトヘトになるようであれば話にもなにもならないので、できるだけ実家へは自転車でいくようにした。

私の住居から実家までは途中いくつかの坂道があり、これを越えるのが当初大変であった。
今になっては「なぜこれぐらいの坂道でヘトヘトになっていたのか」という感覚なのだが、当初は大変だった。
大阪の地形をご存知のかたには説明は不要だが、大阪は南北方向に数多くのウネリがある。
そのうねりごとにちょっとした丘になっているのだが、これが南部へ行くと、ちょっとした山になってくる。
ちょうど泉北ニュータウンのあたりがその分かれ目で、丘一つ一つが1970年代に開発された〇〇台という街区を形成しており、30万人もの人々がここで暮らしている。
この泉北の一つ一つの丘を通過するのが結構苦痛で、
「ん〜〜〜こういうところは自動車での生活しか考えてないね」
と自転車を漕ぎながらつくづく思ったものであった。

で、その丘を越えることと片道20kmほどを走ることで次第に脚力がついてきた。
人間というものは偉いもので50代のオッサンでもトレーニングすると立派に筋力が増強されることがよくわかったのだ。

つづく


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考えてみれば電車の運賃というのは、この30年間よく頑張っていたと思う。
値上げされることがほとんどなかったからだ。
JRを例にとると1987年の民営化後に値上げがあったのはたったの1回きり。
それも消費税率のアップに伴って実施されたアップ分だけの運賃増で、いたって良心的なものなのであった。

ボロっちい電車からキレイな電車になって、ほとんど全部が冷房完備になって、本数もそこそこ増えて便利に、となっているのに運賃は据え置き。
偉い!
と一言称賛に値するインフラビジネスでもあった。

それが一昨年からの新型コロナ禍で一変。
ドル箱だった首都圏、関西圏鉄道は乗車率が激減して軒並み赤字に。
働き方も変化してしまったので乗客数も元になかなか戻らない。
おまけに燃料費と電気代の上昇で収入は減るわ支出は増えるわでエライコッチャなのだ。
だから運賃を維持するのは難しいということで各社値上げ申請が話題だ。

中でも突出して値上げ幅の大きいのは先週発表された近鉄電車。
最大2割近くの上げ幅ということなので、近鉄電車に生活を依存している奈良県は大変だと思う。
奈良県知事は何を考えているのか、
「運賃値上げは許可しない」
と市民に味方したつもりで宣ってみたものの、その市民から、
「民間事業を権力で締め付けるとはけしからん!」
と予想外の反発を食らって現在のところだんまりを決め込んでいる。
そもそも運賃については国交省の管轄で地方自治体の認可仕事ではない。
次の選挙ではたぶんお年もあって新しい知事が選ばれるであろう。

ということで電車も値上げで増々物価高騰の要素が増えた。


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玉ねぎの値段が異常だ。

大阪府は玉ねぎの産地でとりわけ南部の「泉州たまねぎ」はブランド物である。
しかも大阪湾を挟んで対岸の淡路島も玉ねぎの産地として有名で、これでだけ産地に囲まれているにも関わらず最近1ヶ月ほどの玉ねぎの値段は常軌を逸しているものがある。

たとえば2個入ったネットのものがスーパーで300円近くもする。
6個以上まとまって入っているものは500以上することも普通で、これでは我が家の料理のバリエーションに多大な影響が及ぶことこれ必須なのである。

ちょっと前なら398円も出せばどっさりとした玉ねぎの袋を買い求めることができた。
なぜか地元産のものよりも北海道産のほうが安かったりするのだが、フードマイレージの観点からして地元産を買うのが適当だと思っていたが、今や地元産はおろか北海道産も手に入らないくらい高価な食材になっている。

原因はなんなのか?
ウクライナ情勢か、それとも石油価格の高騰が原因なのか。
はたまた円安のためか。

で色々調べてみたら北海道の玉ねぎが記録的不作で需要に見合うだけの収穫量を確保することができていないのだという。
その原因は干ばつということだが、一体この状態はいつまで続くのか。
このままでは美味しいデミグラスソースもカレーライスも味のパンチダウンが続いてしまう。
玉ねぎのスライスサラダは夏場には欠かせない。

今年はトマトとともに玉ねぎを家庭菜園で作ってみようかと画策している我が家なのである。


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