<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「不要になった鯉のぼりを譲ってください」

いつの頃からか今の季節になると鯉のぼりの群れが、そこかしこを泳いでいるという光景を見るようになった。
これは公共事業体やNPOなんかが、不要になった鯉のぼりを集めて川を渡したワイヤーに吊るして泳がせたり、公園の木々の間に吊るしたりするようになった結果なのだ。

私の住む街にある公園でも鯉のぼりを集めて公園で泳がせている。
これは公園事務所が数カ月前からインターネットで市民に声をかけ集めていた鯉のぼりで、一年目だからあまり多くは集まらなかったようだ。
それでも、色とりどりの鯉のぼりが列を成して春風に泳いでいる姿を見ると、

「ああ、日本の春やな」

と、ポカポカ陽気も手伝ってほのぼのとした気分になってくるのだ。

この鯉のぼり。
もともとは端午の節句で男の子の出世を願って掲げられたものだと思うのだが、私は子供の頃この鯉のぼりに大いに憧れ、母に、

「なあ、鯉のぼり買って」

とせがんだことを今も覚えている。

「そんなん、買いません」

とその都度言われたのが、それはそれで仕方がない。
私は団地生まれの団地育ちで鯉のぼりなんかを掲げるところなど家にはなかったのだ。

大学生の時に玩具店でアルバイトをしていた。
当然、鯉のぼりは季節商品とはいいながらこの季節はちょくちょく売れていく、不思議な商品でもあった。

「そんなに鯉のぼりを揚げることのできる家があるのか」

と感動したものだ。
鯉のぼりも、どこの会社が作っているのだろうかと少し疑問に思っていたのだったが、私のアルバイトしていた店は「東レ」の鯉のぼりを扱っていて、

「こんな大きな会社が鯉のぼりを作っていたんや」

と当初感動したものである。

販売していた鯉のぼりもサイズがいろいろで、小さなものは「団地サイズ」があり、これなら私の家でも掲げられそうだと思ったりしたが、たまに最大サイズの鯉のぼりが売れたりすると、

「おおおお、この人はどんな家に住んでいるんだろうか」

と思って大いに想像を巡らせたものだ。

鯉のぼりも地方によっては多少掲げ方が異なるようで、大阪ではそんなにハデハデではないが、高知を訪れた時はそれはそれは立派な鯉のぼりを目撃して大いに感動したものであった。
その鯉のぼりは立派な屋敷に掲げられていたのだが、一般的な鯉のぼりの他に、幟旗のようなものも掲げられていて、それはそれは青い空に泳ぐその姿の雄大かつ優雅なことはこのうえなかった。
なんといっても、そんな立派な鯉のぼりは大阪では掲げるスペースもないだろうし、さすが坂本龍馬を生み出した土佐だけのことはあると、妙な納得の仕方をしたものだった。

そういう鯉のぼりは多分不要になっても、集団で泳ぐことはないのだろうな、と思うと鯉のぼりの幸せ不幸せも考えたりしてしまうのであった。

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国内や海外からの要人が移動する時は必ず交通規制が敷かれ、一般人の交通は制限されることになる。
大阪人の私はこのような特殊事情はあまり慣れていないのだが、東京の人たちは日常茶飯事と見えて、

「オバマ大統領が来るから大変だ」

なんて愚痴は一言も聞かなかったのであった。

従って、テレビや新聞でも警戒に関する迷惑コメントは羽田空港や東京駅といった地方の人が訪れる場所で、地方の人にインタビューしていたという感じが否めない。
ゴミ箱が撤去されて鼻水をかんだティッシュを捨てる場所も無い、荷物を預けるにしてもコインロッカーが使用停止になっている。
ホントに便利の悪いことこの上ないのであって、これが大阪人であれば、

「もう、来んでもええのに」

となってしまう訳で、政治の中心地東京のちょっとした凄さはこういうところにあるのかもしれない。

オバマ大統領来日初日の23日は私は打ち合わせがあったので東京にいた。
私のいつもの宿泊先は浅草エリアなので特別な警備をやっているということは一切無く、いつもの風景が広がっていた。
午前中に仕事が完了し、午後大阪で仕事が待っていたので浜松町から東京モノレールで羽田空港に移動しようしっところ、至る所で警備の公安関係の皆さんを目撃。
何も語らず、ただただジーとしている公安関係者の威圧感が周囲に異様さを醸し出していた。
なかなか体験のできない、風景である。

電車に乗って羽田に向かうと車窓からは到るところで、これまた検問をしている風景が展開し、米国大統領の来日の重さをひしひしと感じていたのであった。

その風景を眺めつつ、

「米国の大統領は気の毒だ。日本のような同盟国で親密な国を訪れるにも関わらずテロを警戒しなければならない。なんと嫌われた国なのだろう。」

と思いを巡らせていた。
アメリカンドリームという言葉はもう死語になっているのかもしれない。
強引なアメリカの国際政治手法が中東や数少ない共産圏で嫌われてきたのは誰もが知る所。
その昔、東西冷戦時代にはベトナムへの介入やイスラエル樹立への援助、武力によるイラク、イランに対する威嚇と攻撃。
アメリカという存在がなければ、それはそれで大いに混乱したのかもしれないが、彼の国とその対する国や地域が払ってきた代償は小さくない。

風景を眺めていて考えたもう一つのことは、アメリカの国家としての力量の低下だった。
オバマ大統領を見ていると、なんだか世界のリーダーという印象に乏しいだけではなく、アメリカの代表という印象さえ乏しく感じる。
それはアメリカの国際間における行動力の低下と、ロシアのプーチンのようなホンモノの政治パワーとの違いが、ここに来て顕著に見えてきているからかもしれないと思った。

国賓の来日。
その交通規制を眺めているだけでもいろいろ考えてしまう要素一杯なのであった。

なお、残念ながらエアフォースワンを見ることができなかったのが心残りなのであった。

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なんだか日本の研究者の地位もづいぶんと零落してしまったな、というのが「小保方事件」。
STAP細胞なる魔法の細胞の存在を確認したことを記者会見で発表し、一躍世界に名を轟かせたのであったがmその数日後には発表した論文に「修正した」写真の掲載は確認されるわ、他人の論文のコピペが見つかったわで、信用失墜。
ついにノーベル賞受賞者の責任者が頭を下げで詫びる事態に発展した。

これだけ研究者としていけないことを繰り返したのにも関わらず、どういわけか、世間はこの主犯小保方さんへの同情を隠そうとしない。
私はほんと「アホかいな」と思うのだが、私の親しい友人の中にも、
「彼女をいじめるな」
というような書き込みをFACEBOOKの中に正々堂々と描いたりする人がいるので愕然としてしまうことおびただしいものがあるのだ。

私も大学関連の仕事をしているので、研究者の皆さんと多少はお付き合いがある。
小保方さんと同じバイオ系の方も含まれている。
彼ら、あるいは彼女たちは非常に優秀で、日夜研究に明け暮れている。
ある研究員は早朝から深夜まで研究室にこもりっきりで研究活動に邁進し、自宅に変えるのは「寝るため」だけ。
まるで大手ゼネコンの現場担当者のような生活をしいているのだ。
研究者という職業は実は体力勝負であり、一見知的作業に観るのだが、実態は肉体労働そのものであり、かつ給料もどこかの国立大の教授職でもない限り安いという特徴も兼ね備えているのだ。

つまり好きでなければ勤まらない仕事なのだ。

小保方さんに違和感を感じるのは、こういう体力勝負の研究者という、科学の汗臭さが感じられず、どこかのテレビタレントのような雰囲気をたたえていることだ。
割烹着を着て、化粧をし、バシッと髪型を決めている女性研究者は、私は知らない。

他人の論文を失敬することはもちろん、「200回も再現しました」と言いながら人前では一度も再現しない実験結果をもってして、「この人を守ろう」という感覚が私には少々理解不可能な領域だ。

ということで、小保方事件は肝心の科学の話は消え伏せて、その人の人格や生活態度といった三面記事に走っているいたって非科学的状況に陥っているところが、科学の地位を著しくそこなっている品位になっているのではないかと、つくづく感じるのである。


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中国では大音量の音楽と共にダンスを楽しんでいる集団と、その公園の前にある高層住宅の住民の対立が激化して、大変な事態に陥っていることがNHKニュースで報道されていた。
公園で大音量というのは、他の国でもたまに見かける光景だが、中国のそれは常軌を逸している。
深夜まで大音量で踊りまくるいい年こいたダンス軍団。
それを駆逐しようと400万円相当の音叉発生器を購入して攻撃する住民。

警察は何も言わんのか、あるいはそれを取り締まる法律が何も無いのか。
実に不思議な国なのである。

そもそも夜の11時過ぎに大音量でダンスなどされては眠ることも出来ず、平和な生活をその公園周辺の住民はできなくなるのは、踊る方も分かっているのではないか。
それでも踊り続けるのは他人に対する思いやりがまったくない、というこの国の特徴を如実に表している出来事といえる。

何年か前にアメリカNYのブルックリンの公園で中国人が同様に大音量で太極拳かなにかをやっていたら、当然のことながら警察がやってきて逮捕し、裁判の上、刑務所にぶち込んだという事件があったのだという。
アメリカは中国に似たところの多い国だが、圧倒的にまともと言えるだろう。

実はこの公園に似た場所が大阪にある。
天王寺公園の測道を占領し、カラオケに興ずるホームレスか、それに近しい人たちである。
最近、この辺りに出かけることがなくなったので、まだやっているのかどうか知らないが、かなり迷惑な光景だった。
市民系組織を支援する報道に長けている某新聞は、
「市民のふれあいの光景」
と表現。
アホかいなと思っていたら、それに輪をかけるように、大阪市がホームレス閉め出しのために天王寺公園を有料化すると、
「なんという無慈悲な行政」
みたいな報道をしていて私たちの顰蹙を買ったものだ。
その新聞は従軍慰安婦問題でいい加減な記事を書いたと非難され、最近は発行部数も激減しているという。
めでたしめでたし。

それにしても、このホームレスレベルの「自分さえ良ければ」という感覚は、他国のことなど眼中に無い中国の基本的体質を表しているようで、よくよく考えるとかなり恐ろしいものがあるのだ。

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ついに話題のあの近大水産試験場産マグロ、つまり近大マグロを食べることができた。
結論。
めっちゃ美味かったのであった。

昨年、大阪駅前にオープンしたグランフロンと大阪。
東京にも無い大胆なコンセプトと斬新さと、大阪にはまったく似合わない優れた先進的デザインで地元大阪だけではなく、全国の注目を集めている。
その影響力は凄まじい。
なんと向かいにある三越伊勢丹大阪店を駆逐してしまうほどのインパクトをこの梅田エリアに与えたのであった。
ちなみにう案旧百貨店には勝つことはできなかった。

このグランフロント大阪北館には仕事上の取引先のオフィスがあったり、ここの7階には大阪の大手企業12社ほどが束になって設立したナレッジキャピタルマネジメントが運営するナレッジサロンがあったりと、打ち合わせやセミナーなどのために週に一度は必ず訪問する場所になっている場所である。
当初は、
「なんか東京みたいなところやな。ま、縁はないんちゃう」
と思っていたのだが、どっこい正反対で、何かと用事ができてここを訪れているのだ。

グランフロントには北館と南館とゴーギャスレジデンスエリアの3棟があるのだが、北館の6階にはオシャレな飲食店街がある。
世界中の様々な料理を提供するカウンタータイプの店が並んでいるのだ。
ここの料理や酒は普通であれば大阪人が敬遠するリーズナブルではない価格なのだが、しかしそこは大阪。
味は抜群の美味さなのである。
大阪人も納得のグルメ度なのであった。

この飲食店街の中で最も人気が高いのが、あの「近畿大学水産試験場」。
ここは和歌山県にある近畿大学の水産試験場で養殖されている、世界で唯一の養殖マグロを食べさせる店なのである。
なぜ、世界で唯一かというと、近畿大学しかマグロの養殖技術は持っていないからだ。

この近大マグロのレストランがグランフロント大阪に開業するとともに、話題沸騰。
全国各地から大勢のマグロ好きが集まってくるものだから、つい先々月には東京の銀座の第二号店が開店し、連日多くの客が列を成しているという。
そしてなんと、先日の日経によるとニューヨークにも店を出すかも知れないという。
こうなると、何がなんだかわからないが、はっきり言えることはニューヨークで出す近大マグロと大阪で食べる近大マグロは絶対に味が違うであろうということなのだ。

なぜなら、大阪で食べる近大マグロは「冷凍されたことのない」マグロだから。

先日、ナレッジサロンで仕事の打ち合わせをしたあと、
「ちょっと飲みましょうか」
ということで6階に行ってみると、近大水産試験場前の列が少しすくなく、
「お、すぐに食べられるかも」
と期待して、話題の近大マグロにチャレンジすることになった。

初めての経験というのは何かと心ときめくものだ。
評判の近大マグロ。
どんな味がするのかワクワク感で一杯だ。
価格はリーズナブルではないが(くどい)、それはそれで価値あるものとして納得する必要がある。

レストラン近大水産試験場は刺身を提供するレストランなのだが、日本酒のバリエーションは残念ながら多くはない。
「運営はサントリーなんです。」
とのこと。
さもありなん。
サントリーという大阪地場の企業なのだが、ウィスキーのメーカーなので畢竟、日本酒のバリエーションに乏しいところがあっても仕方が無いのかも知れない。
近大マグロの店の向かいが日本酒のお店なので、できれば近大マグロを肴に、お向かいの日本酒酒場で獺祭をグイッとやりたいところだ。

店が混雑している関係か、刺身が出てくまでは結構時間がかかった。
正直、座席に座るまで待つ時間よりも座ってから刺身が出てくるまでの方が長かったといえよう。
それでも、待つ時間が長ければ長いほど、期待感は高まる。
この期待感、じらし、品薄はマーケティングによる最高の販促方法でもある。
30年前に任天堂がファミリーコンピュータでとった方法がこれであった。
当時、ファミコンはどこの店に行っても売り切れており、
「いつになったら遊べるんやろ」
と首を長くしてまっていた子供がいかに多かったことか。
多くの小売店は、ファミコンばかり売れては困るので、奥の倉庫に在庫をしまい、少しづつ小出しにしていたものだ。

で、近大マグロも期待感が高いだけに、ハズレの場合は失望感も大きくなるので、よけいにドキドキ感は大きくなる。

やがて大きな皿に盛られたマグロが運ばれてきた。

「お~」

となぜか感嘆の声が上がる。
見かけは他の店の刺身と大して変わらないのでに、である。
他の店と違うのは、そこに近大水産研究所を卒業したという花札ぐらいのサイズの小さな卒業証書が添えられていることであった。



「おお!こんなんがついている」
と感動したものの、
「近大ちゅうのは恐ろしいところや。卒業したら即絞め殺されて刺身にされてしまうんちゃうか。はははは~!」
と、若干複雑な気持ちになったのも確かなのであった。

もっとも、人間の場合は卒業されても殺されることはない。
あたりまえだ。
私の実父も、カミさんのお父さんも、どちらも偶然に近畿大学卒なのであるが、どちらもジジイになるまで元気に生きているのだ。

で、肝心の味はと、一切れ目を口中に運ぶと、これはすごい!
何ともいえない食感と旨味が溢れてきて、
「おお!これがマグロか。マグロなのか!」
と感動するような味で、詳しくは実際にそこを訪れて食べてもらうしか無いのだが、それほど美味しいマグロなのであった。

変な脂は一切なし。
爽やかで、それでいて弾力のある切り身。

これは冷凍された経験の一切無いマグロだから可能になった味覚に違いない。
毎朝、和歌山も生け簀で締め上げ、大阪へ運んできてその夜のグランフロントで供する訳だから、美味しいこと間違いなし。

ということで、リーズナブルではないが噂の近大マグロは驚異の美味しさなのであった。

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消費税が8%に値上げされた。

「普段はICカードで買い物をしてるので消費税アップの感覚がありません」

とはラジオのリスナーの投稿。
もしかするとSUICAやICOCAは政府の施策でサラリーマンの給与と同じように納税感覚を麻痺させる仕組みなのかと勘ぐりたくなるくらい、社会のシステムはよくできている。
とはいえ、税率が変わってあちらこちらで価格に変化が生まれている。
電車料金も変わった。
バスも変わった。
書店での本の価格も細かくなった。
そんなこんなで世間は消費税の話題でもちきりだ。

また、今は桜のシーズンでもある。
私の地元大阪でも先週あたりからちらほらと咲き始め、昨日ほぼ満開となった。
吹田にある大学のキャンパス内では桜が咲き誇り、新学期の雰囲気をぽかぽかと演出しているのであった。
ただ、今年は学生が集まって違法に芝生を占領し、バーベキューをしながらばか騒ぎをしている姿がみかけらず、そういうバイタリティに溢れる将来性あるアウトローな学生は3月で卒業してしまったのではないか、と思ったりしていささか物足りなさを感じたのであった。

そんな浮かれモードと増税モードがないまぜになって、消えてしまったのがマレーシア航空370便のニュース。
飛行機と同じように、ニュースさえ消えてなくなってしまったのだ。
もはや情報衛星で確認している破片の発見させおぼつかなく、フライとレコーダーが発信するシグナルももうすぎバッテリー切れの期限を迎える。

マレーシア航空370便は史上初めてどこにどう消えたのは分からない飛行機になる可能性も出てきたのではないだろうか。
近年稀に見ぬミステリーなのだ。

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