<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





秋もすっかり深まった。
朝夕寒い毎日が始まっているが、この季節、私は家にいる時はパンツとランニングシャツ姿なので家族からはあきれ顔で見られている。
そう、私は冬の一番寒い季節を除いてパジャマを着ることもほとんどなく、真夏の格好で過ごしているのだ。

なんといってもリラックスできるので、大好きな格好なのだ。

そんなこんなで季節感ゼロの私も、四季の景色は大いに楽しむ粋人でもある。

家で真夏の格好から、厚手の長袖シャツとジーンズに着替えて、家族を伴ってドライブに出かけた。
天気の良い、最近の休日のことであった。

もともと仕事が猛烈に忙しく、大阪と東京の間を行ったり来たりしている生活ではあるが、やはり、心休める急用も必要だ。
そこで思いついたのがドライブだったのだが、どこへ行けば良いものかさっぱり思い浮かばない。
「よし、ドライブ行こう!」
と出発したのだが、目的地がないだけに、ともかく何とかなるだろうと南に向って走り始めた。

大阪府は南北に長い。
北へ行くと当然寒い丹波の地が近くなり、南に行くと暖かい南紀が近くなる。
私は普段の格好からして暖かいところを好む傾向があるので南に向って走り始めたのだ。

大阪の南。
和歌山との府県境には和泉葛城山という山脈が横たわっている。
東京から飛行機で大阪に帰ると関空に着陸する便はこの和泉葛城山の上空を横切って、なぜか徳島まで飛び、大きく右旋回して淡路島を通過し、左手に明石海峡を臨みながら神戸空港の上でまたまた旋回し、関西電力堺火力発電所を間近に見ながら飛行する。
この間、約20分。
関空が見えてから着陸するまで時間がかかるので苛々するスポットでもあるのだ。

その和泉葛城山脈のふもとに犬鳴山という温泉街があり、私はとりあえず、そこに行こうと途中で決心したのであった。
別に温泉に入りたいと思ったわけではない。
そこを通過すると和歌山の旧内田町(今は市町村合併で確か紀伊川市という暴れん坊将軍もビックリな名前になっている)に出ることを思い出したからだ。
それに、その途中には確か葛城山に登るあまり有名ではないスカイラインも走っていることを思い出したのだ。

登山は面倒で疲れるが、自動車での登山は疲れないので登って見ることにした。

通行量の少ない葛城山のスカイラインは予想外に美しい景観が連続していたのだった。
中でも山頂付近のススキの群生するエリアは何とも言えない「秋」の感じがして美しい。
ちなみに「すすきの」と入力したら札幌に行きたくなってしまったが、それは余談。
展望台からはなんと関西空港から大阪市内までを一望でき、まるで羽田空港から大阪に帰ってきたような錯覚に捕らわれたのであった。

駐車場も混雑しておらず、ススキの中の小道を歩くと、なんともいないほのぼのとした気持ちになってきた。
山道を和歌山側へ下りてから大阪に戻る途中、またまた秋らしい光景を目撃。
色づいた大木がずずずん、と並んでいる光景は圧巻なのであった。
木の名前を知っていれば、もっと感動的であったに違いない。

ともかう、平和でぽかぽかとした陽光に照らされて秋の一日を堪能したのであった。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






科学技術が軍事技術に応用されて多くの人たちの命を奪ってしまう。
このようなことを「科学のダークサイド」と呼ぶ。
アインシュタインの相対性理論が原子爆弾を生み出したのは有名だが、一説によるとエイズウィルスはバイオ技術が生み出した生物兵器だと言われている。
なんて信じていいのか悪いのか。

毒ガスもそういう「ダークサイド」の一部であることが「毒ガスの父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」(宮田親平著 朝日選書)を読むと良く理解することが出来た。
ユダヤ系ドイツ人ハーバーは祖国ドイツの勝利のために自身の研究生活を捧げ、毒ガスを開発した。
ハーバーは化学農業を成立させた現在にも通じる食物生産には欠かすことのできない科学者なのだそうだけれども、その農業のための技術を利用して毒ガス兵器を開発したのは「正義」の名を借りた殺戮そのものなのだから。
しかも祖国ドイツのために開発した毒ガスが、やがて自分たちドイツ系ユダヤ人を大量殺戮させるために使用されることになるとは、ユダヤ人フーバー。
想像することは出着なかったに違いない。

それにしても本書を読んでの驚きは化学兵器その物ではなく、化学兵器に対する人々の「兵器としての倫理観」だ。

今日、毒ガス兵器は化学兵器として使用が禁止され、それを使ったかどでサダム・フセインは罵声を浴びせられながら処刑台に吊るされた。
ところがフーバーが活躍した第1次世界大戦では毒ガスは合理的に敵国にダメージを与えることのできる兵器であり、合理的で「優れた」兵器だったのだ。
しかも毒ガスを製造した企業は現在もなお、世界に名高いメーカーだ。

BASF社。
世界第1位の化学メーカー。
ファイザー社。
世界第1位の製薬メーカー。

企業の基礎力の背景に軍事技術が潜んでいたなによりの証拠と思えて、若干寒気が走ったのは言うまでもない。

ということで、毒ガスを厚かったノンフィクションではあるけれども、暗さや重さはまったくなく、淡々とフーバーという人の生き方を知ることができる良好な一冊なのであった。
ちなみに朝日選書ではあったけれども、「煙幕」の写真を「毒ガス」と表現されることもなく、真面目な歴史書としてまとめられていたのであった。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




アップルのホームページでiTunesに関する「お知らせがあります」との告知があったのが確か一昨日。
何が起こるのかな、と思っていたら昨日の午後、日経オンラインで「アップルがビートルズの音楽配信か」との速報が。

で、今朝起きてアップルのホームページを開けて見ると日経の報道の通り、ビートルズの楽曲の販売がアップル社のiTunesミュージックストアで始まっていた。

ビートルズの名前を知らない人はいないかもしれない。
50代、60代の人にとって、ビートルズは絶対的な存在で、彼らの世代の音楽には欠かすことはできないだろう。
しかし、冷静になって考えて見ると、私のような40代以下の世代にはそれほど特別な存在だとも思えないのだ。
そんなことを書くと団塊の世代のオッサンやオバハンから、
「そら、あんた、なにもわかってへんわ」
と言われそうだが、事実そうで、子供の頃から何度も耳にしているビートルズの歌はオリジナルもさることながら、アレンジされた楽曲を耳にしていると、巷に溢れる他の音楽と変わらなくなってしまったいるのだ。
ちょうどクラシックにおけるベートーベンが他のクラシック音楽となんら変わらない存在であるように。

とは言え、ビートルズの曲には魅力があり、その「特別な存在」と、ビートルズの音楽レーベル「アップル」とコンピュータとモバイルソリューションの最大手「アップル」のコラボは忘れられないお知らせであることは間違いない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「CVCCエンジン搭載」
初代シビックのコマーシャルにそんなテロップが流れて燃費が優れた、今で言う「低燃費型自動車」の代表的な存在が、ホンダのシビックだった。
米国の厳しい排ガス基準を米国の自動車メーカーよりも先に達成したのがホンダで、このシビックの快進撃から日本の「高品質低燃費」の自動車快進撃は始まったように思う。

「うちの車、シビックやねん」
と小学校で自慢する友達のセリフを少しばかり羨ましいと思ったことを記憶している。
私の父の車はマツダのサバンナでシビックよりも高級な車のはずだったのだが、なぜかシビックの方が良さそうに感じたのだ。

と言うわけでもないが、かくいう私の愛車もシビック。
購入してもう随分経つけれども、故障もせずに走り続けているので処分せずにいるのだ。

本田技研工業がシビックの発売を終了することを発表した。
1972年以来。
ホンダを代表するブランドの終了は、かなり寂しい感じがして「なんでなん?」と訊きたくなる部分がなくもない。

ホンダシビック。
トヨタカローラ。
日産サニー。
マツダファミリア。

これら4ブランドは日本の大衆車の主流ブランドだが、カローラ以外はその個性が最近は力を失っているような感じもしていた。

それにしてもバイクと軽自動車のメーカーでしかなかったホンダが、普通自動車のメーカーにのし上がった、その金字塔であるブランドを終了させてしまうとは。
寂しいというよりも、それだけ自動車業界は厳しく、世界のホンダといえども、ノスタルジーは許さない確固たる意思があるのだと感じさせてくれた。
そんな小さな、それでいてビッグなニュースなのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






子供の頃、天王寺動物園に連れていってもらった帰りは新世界に寄り道をしたものだ。
目的はジャンジャン横丁にあった弓道場で弓を射って遊ばせてもらうことと、食堂で夕食をたべること。
子供心に庶民的で面白いところだと思った。

今でこそ新世界は串カツだとか通天閣だとか大阪の観光地のひとつとなっていて、地方からも遊びに来る人が少なくない。
しかし1970年代初めの頃は、人は多いがくすんだ街で、やはり子供心にも家族で夕食をたべるのなら、ホントは難波や梅田に行きたいと思った。

ある時、母が動物園に連れていってくれた帰りにジャンジャン横丁を通り抜け、国鉄新今宮駅前の大通りも渡って南に続く商店街へ私の手を引いて入っていったことがあった。
「ここは怖いところやで」
と教えてくれる母の声がちょっとばかり緊張しているのが子供心ながら私にも分かった。
怖いところへ、どうして私を連れて歩いているのだろう。
それに、どうしてこの辺りが怖いのだろう。
私には分からなかった。
ただ、商店街を歩く人々の服装が新世界あたりよりもさらに地味になり、酔っ払いの数が増えたり、道端で寝ころんでいる人の姿が増えてきたりして、明らかに独特の暗い雰囲気がただよっていたのが気になった。

結局、商店街を南に数十メートル入っただけですぐに引き返した。
あの時、どうして母があんなところに私を連れて行ったのかは分からないが、たぶん、こういう街があることを子供の私に教えておきたかったのかも分からない。

こういう街。

つまり、釜が崎は日雇い労働者の街で、日本全国から流れ込んできた様々な人たちが「ドヤ」と称される簡易宿泊所やアパートで生活をしている日本版スラム街である。
このスラム街を「ドヤ街」と呼ぶ。
ちなみに釜が崎は地名ではなくエリア名の俗称だ。
ドヤ街、釜が崎をスラム街と書くと非難もあるかもしれないが、この地域が普通の場所ではないことは間違い。
地域を管轄する大阪市西成区役所の社会福祉担当の職員数が数百人という全国でも最大規模の職員を抱えていることでも分かるように、他の地域の価値観で見ると常軌を逸している地域であることが分かる。
地域の駅である新今宮駅には小便のニオイが立ちこめ、萩ノ茶屋駅では慣れないものは乗り降りするのも躊躇われる目に見えない力が漂っている。
20年ほど前には大きな暴動が発生し、大阪から和歌山へ向う国道26号線は数日間に渡って閉鎖されたこともあった。

マンガ「じゃりん子チエ」の舞台でもあるこの街は、最近外国人バックパッカーの姿が目立つようになってきたが、基本的な雰囲気は今も変わらず、用事がなければ立ち寄って見たいと思うような場所では決してないのも、正直なところだ。

この釜が崎と呼ばれる大阪の「地域」の東京版が「山谷」である。

山谷には私は足を向けたことはないが、釜が崎の3分の1ぐらいの規模のドヤ街で、釜が崎の地名がそうであるように山谷もまたエリア名の俗称である。

この山谷に実際に住み着いて労働者として働き、地域のコミュニティーにまで参加した米国人学者が著したノンフィクションが「山谷ブルース」(講談社α文庫)。
外国人から見た山谷の姿が描かれているのだが、その筆致には日本人では描くことのできない生な「ドヤ街」の姿がある。
ここへ流れ込んできた人々への一連のインタビューにはとりわけ感慨を深くするものがある。
というのも、ドヤ街、スラム街、と言われるような、いわば底辺に住む人たちのそれぞれの歩んできた道を、自分の歩んできた道と照らし合わせると、もしかすると自分自身もちょっとしたきっかけがあれば、同じ道を歩んでいたのではないか、と思われる自分自身も体験した数々の危うさを含んでいたからだ。

山谷で生きる人々を通じて、人の弱さや孤独さといったものを、改めて考えさせられた。
普段、意識することのない生と死がこの街では意識させられる。
それは普通の生活の場では決して表に出てこないものが、この街では露になっているからに違いない。

労働者を取り仕切る手配師やヤクザといった人々と、企業の経営者は本質的にどう違うというのだろう。
その日の糧を得るための労働に、なんの違いがあるのだろう。
ひとつ間違えば安穏と暮らしている普通のサラリーマンもちょっとしたことで失職し、その日暮らしにならなければならないこともあり得る。
とりわけ中年層以上には、この国での社会構造は復職が難しい。
家族を養えなければ、家族を捨てる人、家族に捨てられる人も出てくるだろう。

山谷とその他普通の街は表裏一体の姿を有しているのだ。

「山谷ブルース」

読み終わったあと、あの日私が感じた母の緊張感が違うものになった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




数年前、ミャンマーの北部カチン州を訪れた。
国内線のプロペラ機でヤンゴンからへーホー、マンダレーを経由して約3時間。
ミッチーナ空港への着陸態勢に入った機内からの眺めは、他の地方とは一種異なったものがあった。
どういうわけかミャンマーならどこでも見られる金色に輝くパゴダが少ないのだ。
その代わり、十字架の墓標があちこちに散見された。
カチン州の州都ミッチーナは異教の街なのであった。

誰でも知っている通りミャンマーは仏教国で国民の9割は仏教徒と言われている。
これは同じ仏教国のお隣タイ王国よりも多い比率だ。
その仏教国であるはずのミャンマーでもカチン州はキリスト教。
その昔、仏教を信仰していない少数民族を感化するために英国が持ち込んだ植民地化政策の名残なのだ。

「今も宣教師の人たちは『キリスト教に改宗したらヨーロッパへ連れて行ってあげる』と言ってカチン族の人たちをキリスト教にしていっているんです。」
とガイドのTさんは言った。
ミャンマー人のTさんは熱心な仏教徒で、宣教師にいいイメージを持っていない。

空港からタクシーに乗ってミッチーナの街に入ると、やはりそこはミャンマー。
黄金色のパゴタがあちらこちらに見られるが、キリスト教の教会も多い。
中国からの輸入品で賑わう市場の周辺にはパゴダとキリスト教の教会とイスラム教のモスクが通りを挟んで隣接しているところがあり、この地域の複雑さを窺い知ることができた。
ともかく、ややこしいのだ。

こんなところだから争い事は当然起こっていた。
「起こっていた」というように、すでにカチン州での武力衝突は過去のものになっていた。
中央政府である軍事政権とカチン州民族政府は10年ほど前、お互いに話し合いをして妥協点を見出し解決し、平和な状態を作り出していた。
軍事政権もカチン族の自治を認めているようで、それを象徴するような博物館もちゃんとある。
民族の象徴であるトーテンポールのようなオブジェも飾られていた。

ということで、話は現在報道されているミャンマー。
なんでもミャンマー国境からは中央政府と少数民族の衝突で1万人以上がタイに避難。タイ側の国境の街メーソートにもロケット弾が飛んできて負傷者が出ている様子だ。
その負傷者の中に日本のマスコミ関係者も含まれていたものだから、ちょこっとばかし大騒ぎしている。
やれ軍事政権はカレン族を弾圧しだしているとか、ワ族が反旗を翻しただとか、叫んでいるのだ。
まるでカレン州の少数民族やワ族が一方的に弱者の正義で、中央政府である軍事政権が一方的に悪者という定形の図式に落とし込もうとしている。
カレン州の少数民族やワ族が麻薬栽培の重要な役目を担っているということには知ってか知らずかまったく触れようともしないのが、いかがわしい。

報道によると「国境警備隊に入って欲しい」と中央政府が少数民族集団に話した結果、戦闘に発展したという。
私なんかは、こういうケースを聞くと少数民族の方がおかしいんじゃないかと思うだが、マスコミは違うようだ。
国境警備隊に入ること、つまり政府に帰順することは麻薬やその他イリーガルな金儲けができなくなることも意味するのかも知れず、少数民族武装集団はそういう利益を享受することができなくなるので銃を取って戦っているのかもわからない。
しかも軍事政権が言う「国境警備隊に入って欲しい」という姿勢はカチン州の武装勢力と妥協して今の平和をもたらしている方法と同じ。
「もういい加減、喧嘩はやめようや」
という姿勢だと思う。

タイミング的に少数民族武装勢力が発起したタイミングが秀逸で、非難轟々の総選挙の時期に戦闘を始めて難民がでたら、さも、「軍事政権の仕業。人権無視」として報道してもらえるという魂胆なのだろう。

ということで、カレン州にも将来カチン州のように平和が訪れることを期待したい、と希望するのであった、が麻薬が絡んでいる限り、ちと難しいと言わねばなるまい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




海上保安庁の巡視船へ中国漁船が体当した映像がユーチューブに漏洩した事件は、「今後日本国においては飲酒運転してパトカーに体当しても起訴されることはない」という前例になったと理解して差し支えないであろう。
なんといっても海上保安庁といえば海の警察。
アメリカでいえば往年のTVシリーズ「わっぱくフリッパー」に登場した沿岸警備隊の日本版。
その海の警察の船舶に飲酒操縦している漁船が体当たりをしてもその船長は簡単に釈放されるのだから、飲酒運転をしてパトカーに体当たりをしても罪になるわけはないのである。

なんといっても、我が国は法のもとに平等な社会。
中国人に適用されない法律は、自国人にも適用されないのは当然で、これらかの忘年会シーズンは遊園地のゴーカートよろしくバンバンとパトカーに体当たりして不起訴処分にしていただきたいところなのである。

とは言ううもの、やはり我が国は人治国家イコール無法者国家中国と違って高度な法治国家。
今回のこのような事態が許されるわけはない。
このような事態とは中国人船長の体当たりと、無罪放免。
そして画像の流出だ。

画像流出については正直なところ私も痛快に感じているひとりではあるのだが、やはり法的にも倫理的にも許されるものではなく、国家の情報というのはもっと厳重に管理されるべきであるのだ。
と書きながらも、それぐらいええではないか、という気持ちが強いのもまた確かだ。

今回、タイミング的に良くないというのは、つい先日、警察庁の重大情報が外部に流出したばかりだということ。
流出した情報はイスラム原理主義やイラクやアフガニスタンのテロ活動に関連した国際的重要情報で、この情報が流出したことにより、例えばイラク国内やアフガニスタン国内で活動している日米英などの協力者情報も含まれていたにだという。
ということは諜報活動員の素性がバレた可能性もあるということだ。

これは重大事である。
正直、ユーチューブに流出した海保のビデオは重要だが、それは日本の正義を証明するビデオであって民主党政権が非公開を貫くのは正義に反していることを明らかにした「イタズラ」ではあるが、警察庁の情報は洒落にならない。

ということで、マスコミはもっと現実に視点を据えて報道すべきで、ちゃらちゃらと政府のマヌケを煽り立てるべきではない。
政府も政府で当たり前のことができる政府にならなければならないのだ。

そうしないと、大変なことになる。
つまりパトカーに体当する飲酒運転の自動車がホントに出てくるような国に日本はなってしまうかもわかならいのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ミャンマー入国は正規の手続で。
尤も、ミャンマーでなくても、どの国でも正規の手続で入国するのが当たり前。
そんなことがわからない人がいるのが日本のマスコミだ。


「今度はモーリャメンに行ってみたいんですけど。」
「モーリャメン?なんでそんなところに行きたいんですか?」
「つまらないんですか?そこ」
「何もありません。」
「でも、行きたいんです」
「どうしてです?」
「はあ、泰緬鉄道のミャンマー側の始発駅なんです。」
「泰緬鉄道、ですか」

ガイドさんTさんはミャンマーを初めて訪れてから毎回お世話になっているミャンマー人のガイドさんだ。
ヤンゴンより北側にある大きな街のほとんどを訪問した私は、いよいよ泰緬鉄道のミャンマー側の始発駅モーリャメンを訪れようと思ったのだ。

「で、どうやって行きたいですか?」
と尋ねるTさんは若干不服そうだ。
「どうやってって?やっぱりバスか列車です。」
「ダメです」
「だめ?」
「行くなら飛行機になりますけど」
「どうして。陸続きでしょう」
「途中ゲリラが出るところがあって外国人は通過を許可されないところがあります」
「ゲリラ、ですか」

と、Tさんが指摘したゲリラ出没地帯が、今回APF通信の代表が拘束されたカイン州のことだった。

このカイン州。
ミャンマーの観光地としては最も有名なゴールデンロック近くからタイ国境まで広がる州なのだが、深刻な民族問題を抱えていて武力衝突が絶えない。
私がミャンマーを訪れた時も、カイン州で路線バスがゲリラに襲われ多数の乗客が殺される、という事件が発生したばかりだった。
Tさんが「なんで行きたいんですか?」と尋ねたのも尤もなことなのであった。

このように、ミャンマーは今も多くの少数民族問題を抱えている。
かつて、この民族問題が原因となって内戦状態になった歴史がある。
すべて英国植民地であったときの負の遺産なのだ。

このような特殊な事情は日本では紹介されることはほとんどなく、とんちんかんなマスコミが少数民族イコール弱者イコール正義という図式で報道するので日本国内の人に軍事政権が一方的に悪いのではないかという印象を与えている。
軍事政権は非難されるべきところもある(とりわけタンシェ議長は)が、中国の軍事政権イコール共産党政権よりは遥かにマシであることは断っておく必要があると思う。
ミャンマーの軍事政権のことをボロクソに書く、例えば朝日新聞やAPF通信のような変わった性格のマスコミも中国共産党のことになると大切に敬いの心で書くのだから訳がわからない。

「こういう時にこそ入国し取材するのが私達の使命だ」
と言って拘束されたAPF通信の代表は、次回は是非、ウィグルやチベットへ潜入して取材していただきたいものだ。
多分拘束されたら命はない。

なお、APF通信って名前はAFP通信の偽物か。
まるでHOGNDA(中国製でおなじみHONDAの偽もの)のバイクみたい。
益々、変わった通信社ではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






大学の時の担当教授の影響で、私は写真といえば「ドキュメンタリーが一番だ」という概念が常につきまとっている。
中でも報道写真が私の好みで、それは今も変わらない。
LIFE誌の写真年鑑は、その発行が終了されるまで毎年買い求めたし、報道写真家の写真展が開催されるときは、必ずその展覧会には足を運んだ。
ロバート・キャパ、マーガレット・ホワイト、沢田教一、などなどなど。
どれもこれも歴史を記録する一枚一枚だったのだが、中でもLIFEに掲載される写真はインパクトが強く、時たま見かける動画のフィルムよりも力強いものがあると感じることが少なくない。

そんなドキュメンタリー写真の中でも、自分自身が年齢を重ねるごとに「見る、ということの魅力が増すもの」がポートレートだ。
正直に告白すると、もともとは最も詰まらないものがポートレイトだと思っていた。
ところが自分自身が30代になり40代を迎えると、ポートレートに対する魅力がまったく違ったものになってきていたのだった。

人物の表情。
皺。
傷。
眼の色。
肌つや。
髪。
服装。
粧飾品。
化粧。
などなど。

その要素ひとつひとつが人の年輪を表現しているように感じられるのが非常に面白いのだ。

とりわけ自分が年齢を重ねるたびに、写真の中の表情から想像する被写体になった人の「生き様」というものを、深く、より深く感じることができるようになっていく。
この鑑賞する者としての自分の心と、写真の中の人物の歩んできた道を考えることにより、ポートレートは単なる人物写真ではなく、ひとつのフレームに収められた「人生そのもの」に変化することになる。

恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館では今年はポートレイトに焦点を当てた展示会がシリーズで開催され、毎回ユニークで興味あふれる作品が展示されてきた。
ちなみに去年は「旅」がテーマなのであった。

侍の肖像
ヌード
そして現代の肖像

と、毎回テーマに沿って展示される作品は魅力に溢れている。
とりわけ今回の「20世紀の肖像」ではマン・レイの作品が何点か展示されていて、大阪中之島の国立国際美術館で開催されている「マン・レイ展」と併せて鑑賞すると、その面白さは何倍にも増すのではないだろうか。

また、いわゆる芸術作品としての写真ばかりではなく、篠山紀信や荒木経惟などの流行写真作家の作品も数多く展示されていて、ポップな内容でもあった。

「二十世紀肖像」は12月5日まで。
来年はどんな展覧会を開いてくれるのか、楽しみな美術館だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






マイケル・サンデル教授の「白熱教室」に感化されたわけではないが、「ハーバード流交渉術」というタイトルが目に入ったので思わず手にとりパラパラとめくってしまったのがいけなかった。
なんのことかというと、三笠書房「ハーバード流行交渉術 イエスを言わせる方法」という文庫本の話だ。

かねがね私たち日本人は交渉事が下手くそな民族だと思っている。
揉め事があっても、話し合いで解決した例はなく、
「なんとなく雰囲気で分かってもらおう」
という気持ちが強いためか、直接的な表現はできるだけ避け、婉曲に表現して「相手に分かってもらおう」と努める。

例えば、自分の国の巡視艇に酔っ払った船長が操縦する他国の船がぶつかってきても、その模様を録画している証拠テープを公開することなく、「こんなテープもあるんだよね。」と婉曲に伝えて分かってもらおうと努力するのに似ている。

でも、こういう方法は相手が同じ日本人である場合にのみ通用するやり方で、異民族の場合はなかなか当てはまらない。
価値観が違うので通じないのだ。
で、湾曲に言っても無駄だと悟ると、いきなり実力行使に踏み切ったりして失敗してしまったりするのだ。

例えば、自分の国の巡視艇に酔っ払った船長が操縦する漁船がぶつかり、迷惑をかけた録画テープが存在するのに、上の命令でなかなか公開できずにイライラしていたのだが、堪忍袋の緒が切れて、「ほら、みんな見てくれろ!」とばかりにいきなりユーチューブに録画テープをノンカットでアップロード公開してしまうのに似ている。

このように、日本人は国際的な交渉術が苦手で、とりわけ相手がアメリカ人だとか中国人といったヤーさん民族の場合はその苦手さが一層顕著になってくるのだ。
ビジネスシーンでもありもしない自動車のクレームを付けられると、世界最大の自動車メーカーの社長でも、子供のようにメソメソ泣くしか表現方法を知らない国でもあるのだ。

この「気持ち」の通じにくい二つの国のうちの一つ、アメリカ合衆国の最高学府であるハーバードの交渉術とはどういうものなのか。
大いに気になったのであった。
アメリカ人が真剣に「交渉すること」について考証した本だけに、かなりのノウハウが秘められた本ではないかと思ったのだった。

で、実際に読んでみると、なるほどアメリカ人の交渉上手なところがよくわかる、というところまではいかなかったが、論理的な部分は理解することができたのであった。
なんのことはない、揉め事を揉め事と捉えずに、いくつもの出口を用意しておき、妥協できる道筋を常に考えるという、ごく当たり前のことが記されていたのだった。
交渉は喧嘩ではない。
どのように相手と自分の共通の利益になる部分を探し出し、結論を導きだすのかというのが、ポイントのようだ。
いずれにしろ、それでも一方的に自分の利益しか目に見えていない中国人には、このハーバード流の方法をもってしても通じることはない、と思えてしまう昨今のニュースはイライラする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ