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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



何が見苦しいかというと電車の中で人目を憚らず化粧をしている若い女ほど見苦しいものはない。

先週土曜日のNHK「チコちゃんに叱られる」で「百貨店の1階に化粧品売場があるのはなぜ?」という回答のビデオの中で、
「この時代(百貨店草創期の頃)、女性は人前で化粧品を購入するのは憚れると思っていた」
という慎ましやかな文化が紹介されていた。
人前で化粧品を買うことが恥ずかしいことになっていたのだ。
ましてや人前で化粧をするなんぞ想像を絶する恥ずかしさだ。
なので電車の中で化粧をするような女は、このような昔の女性の感覚などちっとも理解できないに違いない。

で私が目撃したのは3月29日(土曜日)午前09:47堺東駅発難波行きの準急行。
先頭車両。
あまり混雑していないロングシートに座った私は向かい側の座席に座った女の子が一生懸命に化粧をしているのを目撃した。

年齢は私の娘と変わらないであろう20代半ばという感じ。
服装は若干ロリータぽい淡いピンクのドレス。
膝の上にポーチをおいて手鏡を見ながら懸命にアイシャドウを化粧筆で塗っているのだ。
周りにパウダーが飛び散るではないか、と思うのだが、そんなことはお構いない。
なんといっても電車の中で化粧をすることを恥と思っていない御仁だ。
パウダーが飛び散ることなど気にかけることなどありえない。
電車が揺れて右目と左目のシャドウの濃淡が異なって塗ってしまっていても気にならないのだろう。

アイシャドウを塗り終わると今度はリップだ。
リップも筆で塗るらしくポーチから短い細い筆を取り出しリップの蓋をくるくると回す。

やがて電車が天下茶屋駅に到着するころ化粧がほぼ整ったのか道具一式をポーチに戻したのだが、手鏡はそのまま右側から或いは左側から自分の顔をチェックしている。
天下茶屋駅を出発して新今宮駅に到着すること化粧の出来になっとくしたのか手鏡をポーチに収納して満足そうな表情を浮かべた。
もうあと数分で終着駅のなんばである。

誰かが待ってるのか、誰かに襲いかかるのかは不明だが、その化粧をする前に1つやるべきことがあるだろうと私は思った。

化粧をするまえに、その二段顎をなんとかしたほうがいい。

化粧をする前にまずは食生活の改善と適切な運動をすべきだ。

それにしても大関隆の里によく似た女なのであった。




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寒い。
大阪でこれだけ寒い日はめずらしい。

以前、函館市場で買い物をした時に、
「お客さん、どこから来たの?」
と訊かれたので、
「大阪だよ」
と答えたら、
「寒いでしょ。大阪。函館より寒いわ。甥っ子が神戸に住んでるんで行ったことあるけど、寒かった〜」
と言われたのでビックリしたことは何度かこのブログでも書いている。

北海道の人に「寒い」と言わしめる大阪の寒さは(注:神戸も大阪の一部という人も関西を離れるといるので念の為。大阪の甲子園みたいな)尋常ではないらしい。

今朝の気温はマイナス2℃。
うちの自宅の裏に雨水タンクを設置しているのだが、その蛇口が凍ってつららができていた。
「殺人事件に使えるね」
と言ったのはカミさんなのであった。
これは危険だ。
しばらく保険証書をチェックしているとかそういうことがないように注意を払う必要があるかもしれない。

外は晴れているのに人通りはほとんどなく、自動車がビュンビュンはしっている。
寒くてとても自転車や徒歩というわけにはいかないのかもしれない。

とはいうものの、心配はいらない。
大阪の北海道をも上回る体感寒さは夏の暑さで帳消しになる。

毎年夏が来ると、
「暑う〜〜〜!、まるでタイのバンコクや!」
という暑い夏を持つ大阪でもある。
バンコクでも一番暑いというソンクラーンの時期よりも大阪の夏は暑いと思います。(実感比較による)


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「石川県の人口は130万人で全国トップだった」
(明治20年頃の調査では新潟県がトップ)

というのは明治維新の頃の話。
当時は東京や大阪よりも人口が多かったという。

現在の石川県の人口は110万人弱。
あまり人口として変わりはないように思われるけども、人口の半分が金沢市に集中している。

そのことを考えると他の地域は過疎地域といっても間違いはない。
全国的には東京への一極集中がなかなか是正できないできているが、ひとつの自治体をとっても県庁所在地にのみ人口が集中している状況だ。

この県庁所在地集中は地方行政にも大きな問題で、昨年の地震から能登半島の各市町は人口減に拍車がかかり復興事業にも影響が出ている状況だ。

なぜ明治維新の頃、地方の人口が多いかというと、それは農業生産のためだった。
当時、農業は人海戦術。
田植えも草取りも稲刈りも、精米も、すべて人力で行っていた。
だから村方に人数が必要だったこともあるし、江戸時代はある程度農業従事者の往来が規制されていたということもあり、大都市圏よりも人口が多かったのだ。

つまり農業という人材を必要とする職業が地方に存在して重要な地位を占めていた。

果たして今はどうか。
ちょっとしたヒントがあるように思える明治維新頃の石川県の人口なのであった。




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年末に宮城県の弁当工場でつまみ食いをする中国人従業員の動画が拡散。
ちょっとした事件になった。
食中毒などの事故には至らなかったものの、

「衛生管理どうなってんの?」

と恐らく会社の管理担当者は処分を受けているに違いない。
で、

「また、中国人か」

という批判もあるかも知れないが、これまでは中国の工場での不祥事発覚が大半のケースだったのが今回は国内工場。
これってちょっとした心配ごとでもある。

というのも、国内の食品工場はどれだけの外国人作業者で占められているのかということが気になりだしたのだ。
最近は外食店員も、コンビニ店員も、スクラップ業者の作業員もみんな外国人。
経営しているのも「もしかして外国人?」と思ってしまうケースもなくもなく、日本人はどこへ行ってしまったんだと思うことしばしばである。

この事実。
マスメディアは伝えない。
都合よく知らんふりする事実の一つなのかもしれない。

私が乗り降りする駅の早朝。
駅のバス停でもないところで数十人の外国人の行列が毎日できている。
ある者は縁石に座ってタバコをふかし、またあるものはおしゃべりに興じ、またあるものは大声でスマホで話をしている。
時間が午前6時過ぎということもあり目立つのだが、そういうことはいっこうにお構いなし。
女性が圧倒的に多いのだがベールを被った人が多いのは東南アジア系の出身者が少なくないだろう。
中国系と思われる極端にデカい声でワイワイする人たちはいない。

この人たち。
実は臨海部にある食品製造工場の従業員なのだ。
迎えに来るバスには関西空港から出発するエアライン向け機内食のケータリングをしている企業や、大手酒造メーカー傘下の鍋材料を作っている企業の名前が記されている。

特徴的なのは日本人らしい従業員の姿がちっとも見られないこと。

もしかして外国人従業員専用なの?

と思わないこともないけれども、降りてくる人の中に稀に日本人らしい人もいることから、外国人専用ではないらしい。
でもこれだけ従業員送迎バスに乗る人が外国人ばかりということは生産に従事しているのも外国人が主になっているということだろう。

多分、この2社の加工品には、

「国内製造」

と書かれているのだろうが、外国人を使って加工している国内製造であることは明記されていない。

これって海外生産とどれほど違うのか。
宮城県の事件を見て、気づかなかった「国内製造」のその裏側にリアルに気がついた次第なのであった。


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社会人になって数十年。
毎年といっていいくらい年末年始は風邪をひいてしまい寝込むことが多い。
大学生の時は玩具屋でアルバイトをしていたので年末年始は働いており、風邪をひいている暇はなかった。
ここ数年も風邪をひかなかったのは十年ちょいまえの年末年始で、このときは大手エアコンメーカーの物流センターの改修工事を受注して立会のために元旦以外は仕事をしていたことが病を得なかった原因かと思っている。
エアコンメーカーはメンテナンスを休めないので盆正月も関係ないというわけなのであった。

要は予定もない休みになると気が緩んで思いっきり風邪をひいてしまう。
つまり風邪は緊張感が抜けてしまうと忍び混んでくる厄介な存在というわけだ。

ということで、今年も2日ぐらいから体調が崩れだし、夕方には37℃の発熱。
咳が出て鼻水が止まらいという状態になってしまったのだ。
今年はカミさんが年末に風邪をひいていたので、そのウィルスをもらったのかもしれないが、いかんせんタイミングが悪すぎる。

正月休みイコール風邪休暇。

来年はぜひとも仕事を予定に入れたいと思った次第なのであった。


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駅前に書店がない。
そんな場所が増えている。
私がよく利用する南海高野線・JR阪和線の三国ヶ丘駅には書店がない。
つい数年前までは「天牛堺書店」という地元の書店チェーンがあったが、出版不況の影響をもろに受けたのか倒産してしまった。
暫くの間、その書店が入っていた空きスペースに何ができるのか待っているとドラッグストアがオープンした。
なんじゃそれ。
期待外れ。
まったく嬉しくなかった。

これでは駅なのに雑誌を買うこともできなければ立ち読みしながら電車を待つこともできない。
駅の周辺にも書店はないので、本が欲しければ書店のある駅まで移動するかスマホを使ってネットで購入する必要がある。
本末転倒だ。
そもそも目が悪くて近くのものはよく見えなくなってきており、電子書籍はありえない。
カミさんいわく、それはローガンなのだそうだ。
もちろんヒュー・ジャックマンのことではない。

地方の人にはわからないかもしれないが三国ヶ丘駅は大阪府堺市内でも一位二位を争う乗降客の多い駅で、しぶちんな南海電鉄が客をJRに獲られてはかなわないと各駅停車と準急行しか停車させない駅でもある。
参考に2駅高野山寄りの中百舌鳥駅は御堂筋線との乗換駅だが、ここも同様に急行や特急は通過させる。
そして書店もない。
数年前までTSUTAYAがあったが閉店して今はMacCafeになっている。

このように書店が無くなってくると今も営業を続ける書店はどうやって生き残っているのか。
駅前または駅ナカに書店のある駅はどの程度生き残っているのか。
興味あるところだ。


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ここ数年、毎年ミニトマトを栽培している。
最初は2〜3株をホームセンターで買ってきて上て育てる程度だったのが、会社を退職して自営を始める少し前ぐらいから種から育てるようになって、最近は毎年36株以上のミニトマトを育てるようになった。

その結果、ミニトマトは完全自給できるようになってトマトの類を買い求めることがほとんどなくなってしまったのだ。
それこそ毎年かなりの量を収穫することもができて、多くを冷凍することによりシーズンオフでもトマトに事欠かなくなった。
たった2袋のトマトの種を買い求め、それを植えるだけでビックリするような量が収穫できることに家庭菜園とは言えばかにできないものだと実感している。

で、今年も梅雨前から種を蒔いて育てて順調に大きくなり7月に収穫を始めて、
「今年も大豊作!」
などと喜んでいたら、ちょっといつもと異なる酷暑が始まった。
連日35℃を超える酷暑。
太陽の光は強烈で半袖シャツの露出部分は太陽の光でジリジリと痛いくらいの光量だ。

トマトはもともと太陽の光を受けて真っ赤な実をつける。
だから曇りばかりだと思ったように育たず困ることもあるのだが、これだけ強烈な暑さと光量だとどういうことになるのか。
いつもならまだまだま花が咲いて結実していくのに、今年は足元付近から立ち枯れが始まった。
水を撒いても駄目。
土をかけても駄目。
もしかするとネットを被せて光量を落としてやる必要があるのかもしれないが、家庭菜園でそこまでの設備はいささか無理でもある。

そうこうしているうちに枯れが全体に広がってきて、横で咲いているヒマワリとの対比でなにかこう災害のような様相だ。

暑いこともあり、果物類が高価なこともあり、おやつ感覚でポリポリとミニトマトを食べているという贅沢さも今年は少しセーブする必要がでてきた。

お盆用に植えた花はもっと大変で、7月末には元気だったのが、肝心の今の季節、かなり弱ってしまってお墓に供える花もちょっぴり貧弱になりそう。

ヒマワリをお墓にお供えするかどうか、もっか検討中だ。


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サイクリングを日常のスポーツにしてから数年が経過した。
きっかけは大阪北部地震だったことは度々このブログにも書いている。
あのとき、母の医療相談がなかったら私は家でのほほ〜んとしていただろうが、たまたま20kmほど先の実家近くにある病院へ行かなければならなかったため運休してしまっていた電車に変わって自転車でそこへ向かったのだった。

このサイクリングに目覚めたこともあいまってここんところ走行距離が伸びている。
1ヶ月300km程度だったのが、ここ3ヶ月は500kmほど走っているのだ。
これは何も無理やり走っているのではなく、走っていることに楽しさを覚えた結果なのだ。
走っていると日頃の鬱積が解消されるような感覚がある。
登り坂を上がっている苦しいシュチュエーションでさえ、登り切ったときの快感が忘れられず頑張るようになった。
また仕事のことや私事でも難しい課題があるときは自転車を漕ぎながら考え事をすると何やら解決策を思いつくことも少なくない。
サイクリングは色んな効果があって実にユニークなのだ。

ところで、自転車は道路交通法により車道の路側帯を走ることになっている。
確かにスポーツバイクを漕ぐようになって巡航速度が平均30km/hとなると歩道を走るのは危険だ。
時々お年寄り(本心ではジジイ、ババア)が運転する50ccのバイクがトロトロ走っているのが邪魔で追い抜いたりすることもある。
従ってスポーツバイクは車道を走るのが正解なんだろうな、と妙に関心したりすることもあるのだ。

ところが、最近登場した電動バイクは非常に危険な乗り物という印象をうけてうけている。
というのも、高校生のヤンキーには電動バイクに乗っているものが少なくなく、それらが歩道を爆走しているのを目にすることが非常に多くなってきた。
電動バイクは原付きに該当する乗り物なので歩道を走るのは法令違反なのだが、そんなことは彼らには関係ない。
歩道をスイスイ。
逆走でもスイスイ。
年寄りがいても、子供がいてもお構いなし。

原チャリより質が悪いのはエンジン音がしないことで、仮にも暴走族ならエンジン音を轟かせながらやっていくるのでこっちとしても注意を払うことができる。
ところ電動自転車は音をさせずに忍び寄ってくるので突然遭遇するとびっくりしたりするのだ。
電動自転車はパワーの関係なのかスポーツサイクルほどスピードが出ないものが多いが、それはそれでお年寄りの50ccバイクと同じで走る障害になることも少なくない。

電気自転車の暴走族。
非常に陰鬱な存在だ。



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そういばブログを長いこと書いていないなと思って、先程ログイン。
前回の記事の日付を見たら、なんと5月31日。

驚いたことに1ヶ月間何も書かなかったのだ。

こういうことは初めての出来事なのであった。
というのも今日書かなかったら6月はブログのエントリーが無かったということになり、このブログを書き始めてから初めての経験になるところだったのだ。

今月、つまり6月は様々なことがあった。
3月末で終了したプロジェクトの後処理で4月は終了。
5月は次の従来から携わっているお客さんの開発案件で時間が流れ、今月は新たに始まった映像制作関連の仕事で奈良通いでバタバタなのであった。
で、あれよあれよと言う間に時間が経過。

FBはチャックしたり写真投稿したりしていたものの、ブログのことはすっかり忘れてしまっていたということなのだ。

ということで、梅雨の終盤。
雨も多いのでブログにとりかかることにすっか、というのが7月明日に迎えた現状なのであった。


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昨年春。
かかりつけの病院で血液検査をしたところ、ある数値が良くないことがわかった。
いや、良くないことはずっと前からわかっていたのだが、悪い数値から下がらなくなっていたのだ。
以前は悪くなっても暫くすると良くなっていたのだ。

かかりつけの病院は病床数70床ほどの中規模病院で、外来患者も多く、地域に貢献している病院だ。
なんといっても院長が私の小中学校の同級生なのだ。
子供の頃に一緒に遊んだ仲なのである。
だから安心感がある。
ただし安心感と信頼感は別物であることは注意が必要だ。

主治医は院長ではない。
院長は外科医だ。
外科医が血液検査をするということはあまり聞かないので、当然、私の主治医は内科の先生なのであった。
この先生が血液検査の経過を見てひとこと。

「すぐに精密検査が必要です。これから〇〇病院へ行けますか?」

と言った。
これは私が暇に見えたから「時間がありそうなので病院紹介するね。」という意味ではない。
それだけ急を要するというシチュエーションなのだ。
〇〇病院はこの友人の病院からほど近い場所にあり、大阪南部でも信頼性の高い国立系の病院だ。
バス停にもこの病院の名前がついているぐらい地域では有名な大病院なのだ。
私の父も50代の終わりに心臓カテーテルの手術を受けたことがある。
その病院に早急にアポをとって紹介状持参で診てもらいなさい、というからにはただ事ではないのだろう。
カミさんにその旨メールを打ったところ、すぐに返事が戻ってきた。
その文面を見る限り6年前に肺がんの疑いで入院したときと同等のインパクトでかなりのショックを受けていたのだ。
「保険金が入るかも^^」
などと言うことはまったく書かれていなかった。
最近よく些細な喧嘩をすることがあるが夫婦関係はまだ円満みたいで安心した。

で、〇〇病院へ行くと血液採取が待っていて、CTではなくMRI検査を受けさせられた。
30分以上も「ウィーンウィーン、ガタガタガタ、ウィーン」という喧しいMRI検査を受けさせられたものの結果を知るのは1週間後だという。
MRIの結果はすぐに確認できるのかもしれないが、血液検査は分析に回さねばならないので即結果、というわけにはいかないのだ。

ということで私以上に心配しているカミさんを連れて1週間後訪れると、〇〇病院の担当の先生は悪い部位について懇切丁寧に説明してくれた上に、次の一言を付け加えたのであった。

「お酒、我慢しないといけません。飲んでも一週間にビール1杯程度で。」

いわゆる「ドクターストップ」というやつなのであった。
この一言で私のお酒人生は大きく変わることになった。
というか終焉(今のところ)を迎えることになったのであった。
この一言をカミさんと一緒に聞いたことがお酒終焉の最大の原因であることは間違いない。

この日から、酒を飲まなくなった。
「週一でビール一杯程度なら」
という主治医の一言よりも厳しい体制が取られたのだ。

保管してあった缶ビールと日本酒は料理酒になった。
得意先や知人には「酒飲めないんです」というとどのような噂になるのか心配だったので、とりあえず伏せた。
お中元でもらったビールも当然、料理に使われた。
プレミアムモルツやエビスをいただいたのだが、この少々高級ビールが実は料理の味を著しく高めることはポジティブな副作用として知ることができたのは良かった。
しかし、断酒して最初の3ヶ月のつらいこと。

いい料理が出てくると当然飲みたくなる。
そこを我慢してノンアルで行くので、周りのみんなは「????」となる。
私も飲みたいのだが、そこはぐっと我慢をして「明日、検査なんです」というような嘘をついてかわすことにしたが、周りが楽しそうに飲んでるのは情けないとうかむかつくというか。
そんなこんなで飲み会への出席も断るようになってしまったのであった。

そんなこんなで1年が経過。
半年前の検査では相変わらず数値は芳しくなかったのだが、先月実施した検査で、なんと主治医の先生が、

「数値、まだ高いですけど標準内になりましたね」

と自分のことのように笑顔で診断。
私もカミさんも思わず笑顔。
もう、通常値には戻ることは難しいと言われていただけに驚きでもあった。

「で、お酒は週1ぐらいですか?」
と訊かれたので、
「全然飲んでません」
と答えた。
「そりゃすごい。なかなかできないんですよ。患者さんは。」
「はあ」
「数値がもとに戻ってきたので」
「飲んでもいい?」
「いや、断酒、続けてください。もう飲むのは終わりですね」

断酒の効能。
健康にはいいが、精神的にはかなり厳しいものがあるのも正直なところなのだ。


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