<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、わたしはどの日を選ぶだろうか」

東京からの戻り道、大阪梅田の紀伊國屋書店に立ち寄ったら店の入口に元理化学研究所研究員・小保方さんが執筆したという手記「あの日」(講談社)が平積みされているのが目に留まった。
「お、これはこれは」
と好奇心にかかれて手にとり一枚目のページに目をやると、そには冒頭に記した乙女チックな文章が記されていた。
私は思わずひっくり返りそうになったのであった。
やっぱり小保方さんは半端な研究者ではなかった。
めちゃくちゃ中途半端な出来損ない研究者なのであった。

そもそも小保方さんが手記を発表するというニュースが流れた段階で、私はなぜだか昨年世間を騒がせた元少年A著「絶歌」を思い出した。
なぜそのような連想が生まれたのかは自分でもその時は良くわからなかった。
方や国立の研究所の元研究員。
方や連続殺人犯。
直接的な結びつきはない。
でも、なんとなくそういう連想が起こってしまったのであった。

いざ書店で実際の本を見た途端、その予感というか連想は、あながち間違いではなかったことに驚いた。
表紙のデザインが非常に似ていたのだ。
白地に小さなタイトル。
違いはそこに「絶歌」と書かれているか「あの日」と書かれているかの違いしか感じられないくらい、印象がよく似ていたのだ。

白い清潔な空間に黒いタイトルが刷り込まれることにより綺麗に包装されたどす黒い闇の世界が隠されているように思われてならなかった。

そもそも小保方さんを発信元に一騒動起こしたSTAP細胞問題は、巨額の国家予算をつぎ込みながら結局再現することはまったくできず、出てきたことといえば論文のコピペや加工された実験写真など。
通常のプロの研究者の世界では考えられない、出来の悪い小学生の夏休みの観察日記のようなことばかりが露見したのだ。
その結果、当人は理化学研究所を追われ、大学での博士号論文も取り消され、研究者からただの人になってしまったのだ。
なんでも小保方さんは本書の中で反省を謳いながら、共同研究をした研究者をあげつらい、批難し、自分がどのような目にあったのかという怨嗟の感情を延々と綴っているのだという。
できるなら生まれ変わってもういちど研究者になりたい、ともおっしゃっているそうだ。
こっちとしてはお断りしたいところだ。

そもそもこの人、自分のいい加減な研究のために人がひとり亡くなっていることを理解しているのだろうか。

研究者であれば乙女チックな文章と怨嗟のうだうだを書くことはない。
きっと自分が信じる研究内容で真剣勝負するだろう。
それでこそ道を信ずる研究者であり、結果としてSTAP細胞が否定されようとも、何か別のポジティブな結果が生まれたかも知れないのだ。
彼女は手記を出すことによって研究者としての道だけではなく、まっとうな人間としての道も自ら閉ざしてしまったのではないかと思われてならない。
小保方さんの手記と聞いて元少年Aの絶歌を思い出したのは、同じぐらいの不快感が感ぜられるからかもしれない。

記者会見した時からの風貌と態度を思い起こしながら手記の冒頭を読む限り、小保方さんは永遠の乙女。
しかもゲスの極みの乙女以外の何者でもないように思われ、残念でならない。

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今回のスター・ウォーズの最もエキサイティングなところは前回も書いたように、懐かしのミレニアムファルコンに乗ってあっちこっち飛び回れることだった。
年老いたハン・ソロ。
以前と全く変わらないチューバッカ。
それぞれファンなら間違いなくお涙モノで、最も悲惨.....修正、時の流れを感じたのはレイア姫のお婆さん化なのであった。
そういう意味では最後にちょこっとだけ出てきたマーク・ハミル演じるルーク・スカイウォーカーが一番渋かったかもしれない。

一方、最も悲惨だったのはストーリーの先がなんとなく読めてしまうところであった。
これはしかし重要な欠点だ。
ハン・ソロが出てきて息子が登場。
そのままでは事は収まりそうになく、
「もしかしたら死ぬのかも」
と思っていたらホントにハン・ソロは死んでしまったのであった。
これではまるで東映のテレビ時代劇シリーズではないか。
水戸黄門、大岡越前とちっとも変わらないのだ。

かつて池波正太郎は読者に不自然さを感じさせてはならないと思って書き進めていると、主人公に準じるようなキャラクターをどうしても死なせ無くてはならない筋書きになってしまった、という話をしていたことがあるそうだ。
これは鬼平犯科帳の「五月闇」というエピソードでなぜ密偵の伊三次が殺されてしまうのかという質問に対する解答であった。
原作者でさえ、筆の進め方いかんによっては意図せぬ展開になり、準レギュラーな密偵でさえも死ななければならないという過酷なエピソードなのだ。

これに対してハン・ソロの死はあまりに単純すぎやしないか。
これは伊三次の亡くなり方とは正反対で、例えばスタートレックの冒頭のシーンで謎の惑星に上陸したピカード艦長以下数人のクルーのうち、脚本には「乗組員A」
と書かれているであろう一人が仲間と逸れてしまったまさにその時にエイリアンに襲われて死んでしまう。
そんなお気楽なシーンを想像してしまう。
なんのひねりもなく、ただただ殺されるために登場する脇役乗組員A。
ハン・ソロの死に方はまさにそんな分かりきった死に方であったような気がしてならない。
つまりハン・ソロというSFにおける絶対的な人気キャラクターが登場人物乗組員Aと全く同じ扱いを受けているというわkであ。
これは理解に苦しむストーリー展開なのであった。

この分かりすぎたストーリー展開は何もハン・ソロだけではない。
ラストのシーンも、かなりわざとらしい。
意外性がまったくない水戸黄門的終わり方なのであった。

今回のスター・ウォーズは物語としては完結しておらず、話の途中で物語は途切れている。
「続きはまた来週」的な終わり方。
連続者になっている・
このような終わり方をしたのは今作が初めてではなく第二作目「帝国の逆襲」が最初だった。
ところが帝国の逆襲は意外性の固まりみたいな作品で今回とはまったく対照的。
その最大のシーンがダースベイダーが瀕死のルークに向かって履くセリフ。
「I am your father.」
だった。

この一言のインパクトがあまりに大きかったために、これはパロディにされる絶好のネタになった。
どのくらいネタ性があったかというと、ゴッドファーザーでベッドの上に馬の首が横たえられていたシーンと同じぐらいインパクトがあったのだ。
このシーンは「オースティン・パワーズ」でも「トイ・ストーリー」でもパクられているのだ。

このセオリーをハン・ソロとその息子カイロ・レンにも同じような意外性を与えようとしたのだろうか。
あまりにも安直な脚本なのである。
しかもカイロ・レンはアナキン・スカイウォーカーことダースベイダーほど徹底した悪役ではなく、どこかヘタレの出来の悪いドラ息子みたいな感じがするのもいただけないのであった。
オヤジが風来坊でオカンは将軍の家庭では、長男はスネルしかないのかも知れない。

ということで、エンドタイトルの脚本にルーカスの名前がなかったこともうなずける。

ディズニー版スターウォーズは連続物を目指す、いわばSF界の寅さん映画と化しているのではないかと、疑われる内容なのであった。

たぶん、多くのファンが物足りなさを感じているに違いないのだ。

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初めてスターウォーズが公開された頃。
私はスタートレックに凝っていて、ついでながら他の米国製SFシリーズにはまっていて、いろんな宇宙船のプラモデルを探してた。
大阪では1970年代の終わり、スタートレックは宇宙大作戦というタイトルで深夜枠で放送されていたのだが、密かな人気は読売テレビの11PMを凌駕すると言われていて深夜番組視聴率ナンバーワンであった。
そんなこともあってか、ちょっとマニア向け模型店には米国からの輸入プラモデルの宇宙船エンタープライズ号や宇宙艇ガリレオ7、クリンゴンの戦艦などが売られていた。
もちろん価格はめちゃ高で高校生の私には簡単に買い求めることのできるものではなかった。

1978年に初めてアメリカの親戚んちに遊びに行った時の自分へのおみやげはプラモデルだった。
訪れたのはハリウッド大通りにあった玩具店でスタートレックの映画版エンタープライズ号のプラモデルとスペース1999のイーグル宇宙船。
そして公開一年目を現地で迎えていたスターウォーズのXウィング戦闘機とタイファイター、ダースベイダーの宇宙船、そしてダースベーダーのマスクを購入してきたのであった。
なんというお買い物だろう。
現地だから安いとはいいなが、帰国してから家族が呆れ返ったのは言うまでもない。

そんななか、在庫がなかったために1つだけ購入できなかったのがミレニアム・ファルコンのプラモデルなのであった。

当初、映画公開前は写真でみるミレニアムファルコンを見て「シェルのマークみたいな宇宙船や。カッコ悪う~」と思っていた。
エンタープライズ号やXウィング戦闘機、ウルトラホーク1号と比べると格段に見劣りする姿に感じたのだ。
ところが映画を見てからハリソン・フォードの魅力に引き込まれるとともに、その宇宙船ミレニアム・ファルコンの魅力にも目覚め、どうしても買ってみたいと思ったのであった。
ロサンゼルスの玩具店で見つけることができなかった模型は大阪の模型店で販売していることを知ったのだが、価格はウン万円。
足元を見られるということを、初めて体験した瞬間でもあった。

以後、ミレニアム・ファルコンを見るたびに「あの時、模型が欲しかったな」と思い出すのだ。

スターウォーズ最新作フォースの覚醒では、なんとこのミレニアム・ファルコンが実は主人公ではないかと思えるほど登場する物語の骨子になっていたのだった。
もちろん画面に最も登場するキャラクターはハン・ソロ。
ほとんど主人公のように登場していたのだ。
なぜディアゴスティーニのビジネスモデルにミレニアム・ファルコンが乗っかているのかよく理解できたのだった。

実はこのミレニアムファルコンの登場の仕方がなかなか良かったのだ。
主人公レイがタイ・ファイターの攻撃から逃れるために走ってきて、
「もうこのボロ船でも使うしか無い」
と振り返った時、おもむろにボロ船ミレニアム・ファルコンが目に飛び込んでくる。
そしてレイが走り込んだ船内を見たとたん、私の両目にはなにかこう熱いものがにじみ出てきたのだ。

ミレニアムファルコンは1978年(77年)の登場の時から「What a peace of junk!」と言われ、「なんてボロなんだ」と訳されていたように記憶する。
初めて登場した時から他人から褒められたことのない宇宙船なのだ。
でも、その光の速度に突入する瞬間は圧巻なのであった。
今回も何回か突入シーンがあったように記憶する。
しかし1978年の第一作で見た最初の光速への突入シーンほどの魅力はなかった。
なんといってもスターウォーズを劇場で11回も見た原因になっていた「このシーンが見たい」のうちの1つなのだったから。

ミレニアム・ファルコンが登場することにより、畢竟ハリソン・フォード演じるハン・ソロとチューバッカが登場。
なんとなくストーリーの先行きが想像できる展開なのだったが、その想像通りになってしまったのが大いに残念ではあった。

スターウォーズ・フォースの覚醒、そのインパクトの最大はミレニアム・ファルコンそのものと言えたかも知れない。

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スター・ウォーズの最初の作品、つまりエピソード4 が公開された頃。
映画解説者の淀川長治さんは、
「ま~、おもちゃ箱をひっくり返したような映画ですね~」
と言っていた。
淀川さんだけではない。
当時の月刊スクリーンやロードショー、創刊されたばかり(今は廃刊)の日本語版スターログでもスターウォーズは往年のターザンのような活劇シーンあり、ロマンスあり、それでいて伝統的なスペースオペラの要素を最新技術て描いた娯楽大作である。
と、紹介されていた。
「A long time ago in the galaxy far faraway」
で始まる物語はおとぎ話的雰囲気を備えていて「ウォーズ」といいながら血生臭さとは無縁で、心躍るテンポ良い編集で(アカデミー最優秀編集賞)実に何回見ても妙される不思議な魅力を持っていた。
ちなみにいま見ても持っているのだ。

その活劇としての顧客の心を引っ掛けるのは冒頭のシーン。
オープニングタイトルが終わると共に共和国軍の宇宙船が画面右から前方へ遠ざかっていったかと思うと、続いて帝国の戦艦スターデストロイヤーがそれを追尾。
いくらたっても船尾が見えないその巨大さに観客は度肝を抜かれたのであった。
このカットは映画史に燦然と輝く印象的なシーンでもある。

映画は冒頭でお客さんの心を鷲掴みにしてしまう必要がある。
こういうことを大学の映画論で習ったかどうかは忘れてしまったが、この理論は数年後に公開される同じルーカスが製作し、スピルバーグが監督をするという「レイダース 失われた聖棺」に顕著に表現されているのだ。

今回のディズニー版スターウォーズでは残念がらそのような驚きはなかった。
むしろ失望が待ち受けていた。
タイトルが終わって次に何が登場するのか期待してい待っていると、その期待は大きく裏切られることになる。

私の場合、鑑賞したのがIMAXシアターでの3D上映だった。

これがいけなかった。
実はIMAXは2Dで見ると迫力があるのだが、3Dで見ると立体ではあるもののスクリーンの巨大さは失われ立体メガネのグレーさで明るさも失われて安モンの飛び出すメガネ状態になってしまうのだ。
IMAX社はそういうところを理解しているのだろうか。
甚だ疑問だ。
スターウォーズとて、同じ運命。
IMAXシアターの3Dで見るすスター・ウォーズの画面はちっこい17インチの液晶テレビで任天堂3DSの画面を見ている。
そんな感じの仕上がりなのであった。
だから立体は立体だが実に安っぽい、スター・デストロイヤーもタイ・ファイターもXウィング戦闘機もすべて「本物の」おもちゃに見えてしまう詰まらない特撮になってしまうのだ。
あの巨大なスター・デストロイヤーは関西の方にはわかるかもしれないが、当時お好み焼き千房のCMに出てきていたバッチもんスター・デストロイヤー以下の仕上がりなのであった。

正直、ガッカリしてしまった。
スターウォーズは基本的に驚きで始まらなければならないのだ。

さらにガッカリさせられることは極めて血なまぐさい映画に仕上がっていたことだ。
冒頭のシーンからいきなり、
「惑星の住民を銃で皆殺しにせよ」
というところがあったりするのだ。
帝国はいつからISになってしまったのだろうか。
いやISではない。
これはベトナム戦争のソンミ事件ではなかろうか。

1977年(日本は1978年)公開のスターウォーズ一作目の流血シーンは酒場でオビ=ワンがライトセーバーでバッサリと切り落としたならず者の腕だけであった。
それも「活劇」的なシーンの流れであっただけに、サムライスピリッツ溢れるジェダイナイツの生き残りオビ=ワン・ケノービの渋さがにじみでているシーンで嫌味はなかった。
しかし今回の虐殺シーンはユーチューブ駆使するISや狂気の1960年代の軍規に背いたアメリカ軍とちっともかわらなかったのだ。

こういう映画は活劇ではない。
活劇ではないスター・ウォーズはなんなのさ。
といったところだ。

つづく

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はじめに読んで下さい:このブログにはネタバレが有ります

やっとのこと「スターウォーズ episode Ⅶ/フォースの覚醒」を鑑賞してきた。
公開前から楽しみにしていたのだが仕事が忙しくて見に行く間がなかったのだ。
正月休みの間には見に行くことも出来るだろうと高をくくっていただのだが、それも甘かった。
連休というのは連休にしか出来ない様々なイベントが待ち構えており、映画というお気軽なはずのエンタメは阻害させる傾向にあることに気づくゆとりはなかった。
そうこうしているうちに仕事が始まってしまい、
「このままでは上映が終わってしまうかも」
という危機感まで浮か始めた。
しかもカミさんと娘はスター・ウォーズに親しみを持った生き方をしてこなかった欠点がある。
これは私の教育が行き届かなかったところではあるのだが、カミさんはハリソン・フォードのファンでありながら、
「ハリソンはハン・ソロじゃなくてインディージョーンズ以降、とりわけジャック・ライアン役が一番魅力的」
と宣うし、娘は娘で、
「スターウォーズ、見たこと無いもん」
で一蹴である。
しかも年末に007を見た時にマット・デイモンの「オデッセイ」の予告編が面白そうなので、どうせお金を出すのであればそっちがいい、という雰囲気さえ生まれてきたのだ。
これはやばい。
なんとかして見なければ。

そういう家庭内社会的背景をもっていたので、カミさんが日曜出勤、娘が塾で模試の日を選んでひとりで見に行ってきたのであった。
見た感想を誰にも邪魔されたくなかったという要素もある。
「ハン・ソロも年取っちゃったわね」
と言われないためでもあるのだ。

そのやっとのことで見てきたスターウォーズは色んな意味で感動と失望の綯い交ぜになった作品なのであった。

そもそもルーカスがディズニーにスターウォーズの権利を譲渡して初めてのこの作品。
たとえば冒頭からどのように始まるのか関心があった。
ディズニー配給の映画では必ず流れるディズニーのトレードマーク。
シンデレラ城の旗のアップから全景を見渡すように引きに移動し、ティンカーベルがピロロ~~んと飛ぶ姿が出てきて本編が始まる映像が、あのディズニー映画とは文化的背景がまったく違うスターウォーズについてくるのか。
気になっていたのだ。

そもそもスターウォーズといえば20世紀フォックスのファンファーレと一体になった作品だった。
我々ファンとしては20世紀フォックスの有名なファンファーレ、
♪ぱんぱかぱ~ん、ぱぱぱ、ぱんぱかぱ~ん♪
はスターウォーズと漫画トリオの漫才にとってはセットになったものであった。
それが今後はディズニーの配給である。
どうなるかと本編とは関係のない冒頭から関心事であっら。

で、実際に始まってみるとディズニーのトレードマークは一切でてくることなく、いきなりルーカス・フィルムのトレードマークが音もなく出てきて、それが消えるとともに大音響のフルオーケストラ演奏でテーマ曲が流れ始め、おなじみのタイトルが遠ざかったあとに下からストーリーの冒頭の解説文が流れてくるのだ。
なんとあっけない。
拍子抜けするスタートなのであろう。
ディズニー映画もディズニーのキャラクターがスターウォーズのそれと趣旨を一致しないことを見ぬいたうえでの苦肉の選択なのだろう。
改めて20世紀フォックスのテーマがいかにスターウォーズの雰囲気作りに献身していたのか。
よく分かる重要な「間」なのであった。

つづく

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大阪にある2つのニュータウンが完成から約半世紀を経て建て替え問題やら高齢者問題やらを抱えているという。
千里ニュータウンと泉北ニュータウン。
いずれも大阪万博の頃に造成された新興住宅地で規模的には日本最大級のうちの2つだ。
このうち泉北ニュータウンは私が高校時代を過ごしたところ。
堺市内の実家からこの地区にある学校まで毎日泉北高速鉄道に乗って通った。
泉北ニュータウンはもともと大阪府南部の丘陵地帯を造成して作った住宅地なので自然は豊かだった。
春には桜が咲き誇り風に散った花びらが舞い、夏は緑が美しく蝉の声も賑やか。
秋の紅葉も色づき方が華やかで、
「こういうところに住んでみたい」
と思わせるものがあった。

学校からの眺めもよかった。
晴れた日には遠く大阪市内の南港大橋や高層ビル群がよく見えた。
周辺は団地のエリアと戸建てのエリアがあり、戸建ては敷地も広くて建屋も大きかった。
高校生にもそこそこのお金持ちが住んでいるに違いないと思わせるものがあった。
ニュータウンにはどんな人が住んでいるんだろう、と時折想像したりしたものだった。

昨年末、久しぶりに何か小説を読みたいと思って買い求めたのが重松清著「希望が丘の人々」上下巻(講談社文庫)。
架空の古い新興住宅地「希望が丘」を舞台にした、そこで生まれ育ちあるいは主人公のように引っ越してきた人々の人間模様を描いたライトではあるものの、私の世代には大いに共感を呼ぶ物語だった。

主人公は若くして病のために亡くなった妻の生まれ育った「希望が丘」に子供とともにやってくるところからドラマは始まる。
2階の窓から子供が「海が見える」と叫ぶところで私は学校から遠くに眺めることのできた大阪市内の風景や、向こうの丘からこちらの丘にむかって走り下り、登ってくる泉北高速鉄道の電車の風景を思い出した。
希望が丘は駅からバスで15分ほど移動しなければならない、泉北ニュータウンというよりも、どちらかと言えば神戸の外れや奈良の新興住宅地を彷彿させるところだったが、その雰囲気はよくわかった。
物語はその新興住宅地がまだ新しかった頃、つまり主人公の妻が中学生だったころのエピソードと現在のその人々の生きざまとが交錯し、進んでいく。
この2つの時系列を自分の高校時代と30年以上経過した今の時代とを重ねあわせることで、言い知れぬ共感と、なにか物悲しき人生を実感したのだった。

誰にでも取り戻したくても取り戻せない時間というものがあるはず。
それは切ない初恋の思い出かもしれないし、温かい家庭のぬくもりかもしれないし、それとは反対に家族の確執かもわからない。
あの時にこうすればよかったという単純に後悔とは言い切れない何かを持っているに違いない。
「大人は過去を振り返り、子供は未来を見つめている」
物語の中でのセリフは単純だけど、随所随所にこんな心を打つエッセンスが入っている強い印象に残る素敵な小説なのであった。


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「わたい3歳の時から飲んどりましたんや」
と飲酒を始めた年齢をテレビで告白したのは六代目笑福亭松鶴。
仁鶴や鶴瓶の師匠で破天荒なキャラクターで人気があった。
告白したのは桂枝雀の枝雀寄席に出演した時で、聞いたお客さんはドン引きなどせず爆笑が起こったのは言うまでもない。
同じ頃、阪神タイガースの背番号16岡田彰布選手が女を連れてホテルに入ったところ、その女は男だった、という噂が飛び交い、これまた大爆笑。
当時すでに岡田選手は奥さんもいて、とうぜんホテルに連れてはいろうとしたのはフーゾクの女性だったのかもしれないが、スキャンダルになるどころか笑い話になった。
お笑い芸人(岡田がお笑いかどうかは判断に苦しむ)はそういう世間で言うところの「スキャンダル」な話が目白押しで、そういう話もない芸人は人気もいまいち。
話題に上ることも少なくなく、スキャンダルで非難されても、それが1つの経験になってより大物の芸人に進化していくというのが昭和までの芸能人の姿であったような気がするのだ。
だから人権問題も、宗教問題もエゲツナイものでないかぎりモラル逸脱は関係なかった。
なぜなら「芸能界」だから。

芸人の色ごとは肥やしのうち。

大企業のコンプライアンスよろしく、その芸能人は人格が優れていて浮気もしなければ不倫もしない。女を買うこともなければ交通違反さえしない。
法律およびモラル遵守。
そんな聖人みたいな人が芸事の世界で行きていけるはずは無い。
あの世界は一般と異なるから魅力があるわけで、市井の一般人と同じならなんの価値もないかもしれない。
それが芸事で生きる人々の世界ではないだろうか。
スキャンダルがあるとそれを飯の種にと一般のメディアまでが大騒ぎするのはあまりに幼稚だ。

で、なんのことを言っているのかというとベッキーのスキャンダル。
これまでスキャンダルもなしに31歳になるまで順中満帆のタレントだったベッキー。
とりわけ優れた喋くりができるわけでもなし、歌がとびきり上手いわけでもないが上手に業界を渡ってきたハーフの女性タレントが妻子持ちの男と不倫をした。
それがどうした?
男も芸能人ではないかいな。

芸能人というのは因果な商売でプライベートも売り物。
そのプライベートをどう見せるかも腕の見せどころだ。
そういう意味で彼女の今回のスキャンダルは粋でも美しいことでもなく、その反対。
CMをキャンセルされて賠償金がいくらいくらという、下世話な話が先行して、夢を占いことこれまた芸能界らしくなく粋ではない。

たぶん今回の騒ぎは「笑えない」ネタなのが一番の問題であるに違いないのだ。


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昨年末に新しいiMacを購入して「動かないのでは?」と懸念してたezwordの動作を確認してホッとしたのも束の間。
全くノーチェックであったソフトウェアが動かないことが判明した。
しかも年末に最も重要になるソフトウェアが動かなかったのだ。
そのソフト名は「宛名職人」。
Mac用としては唯一といっていほどの宛名書きソフトで、私はこれで毎年の年賀はがきの宛名書きに使っていたのであった。

宛名職人は私がMacユーザーになった20年前ぐらいから使っている老舗ソフト。
元々は初めて購入したMac performerというシリーズに同梱されていたソフトウェアだ。
1995年ごろといえばApple社は倒産寸前のヨレヨレ状態。
もしかするとTIやHPに買収されるかも知れないと言われながら、しかも時代はWindows95の大フィーバー。
今更Mac OSなんて誰が買うの?
という、雰囲気も手伝って同社の業績があまりに悪いために、当時ハイテクの雄であったこれら2社とも購入を断念した。
そんな経緯の合った時代だ。
だからApple社も必死のパッチで投げ売り状態になり、起死回生の秘策として登場したのがPerformaシリーズなのであった。

で、パソコン市場のそんなことなど露ほども感じなかった私は生まれて初めてのMacに感激。
「やっぱり使いやすいやん」
と、
「さらばMac OS」
と日経の雑誌に書かれていることなど完璧に無視して新しい世界に没頭していったのであった。

その中にハンドルされていた無数のソフトウェアのうち数少ない使い物になるソフトの1つが「宛名職人」なのであった。
で、もう一つ使い物になったのは今はファイルメーカー社という名前になった会社のソフト「クラリスワークス」だが、こちらは今は無い。

以来、宛名職人を使い続けてきたのだが、数年前に毎年ちゃんとしていたバージョンアップを止めてしまったのだ。
宛名職人を製作しているアジェンダ社が止めたのではなく、私がバージョンアップ費用の6000円ほどをケチって購入するのを止めてしまったのだ。
よくよく考えて見れば宛名職人は年賀はがきの宛名書き程度にしか使用しておらず、裏面のデザインはiWorksのPagesのほうが使いやすくそちらを使っている。
年賀はがきの宛名書きのために毎年6000円というのもいかがなものかとバージョンアップ購入をすることをケチっていたのだ。
幸か不幸か私が最後に購入した「宛名職人 ver.15」はMac OS Mounten Lionでも問題なく稼働し、一昨年暮れに作成した喪中はがきの印刷に役立ったのであった。
従って私は新しいiMacでも難なく動作すると考えていたのだ。
実は意識さえしていなかった。
それが、甘かった。

最新Mac OS El Capitanを装備したiMacでEzwordの動作を確認し感動にむせんだのも束の間。
年末の29日。
仕事も落ち着き、やっとのことで年賀はがきを印刷しようとしたら「プログラムが壊れています。再インストールをしてください」のエラーメッセージが。
動かなかったのである。
宛名職人が。
この年末の忙しい時に。
この時期は特に楽して宛名書きをするには宛名書きソフトが必要だ。
そんなときにこんなエラーメッセージほど残酷なものはない。

ともかく裏面はいつものようにPagesで作成して無事印刷。
宛名書きをどうするのか、大いに悩んだ。
字が下手くそなので自筆で書くのは躊躇われる。
かといって一枚一枚Pagesで宛名書きを作成するわけにもいかない。
そもそも住所録のデータは宛名職人形式で保存されており、自分で書くにしろ別のソフトを使うにしろ昨年までの年賀状を引っ張りだし調べなければならない。
こういう時のためにnumbers(宝くじではない)かExcel形式のデータにしておくんだった、と後悔したがもはや手遅れ。

結局一部をPagesを使っていちいち作って印刷したのだが、それも面倒になり手書きになった。

そもそもMac用宛名書きソフトが少なすぎるのが問題だ。
「宛名職人」はパッケージ版が8000円ほどなのだが、これがAppstoreになると12000円もする。
この価格の仕組みがどうなっているのか、甚だ不自然なのだが、えらく高い。
別の宛名書きソフトがappstoreにあるのはあるのだが、いずれも評価点が小さく、たとえ価格が数百円でも大いに後悔しそうなのでなかなか買うことに気がいかなかった。

ということで、今年は100枚以上の年賀はがきを手書きで宛名書きしたわけだが、書き終わってポストに投函してから気がついたのだが、宛名職人ver15が動かない昨年末に購入した最新型のiMacには仕事の都合上ブートキャンプで作動するWindows10をインストールしていたのだ。
Windows用の安物の宛名書きソフトを買えばよかったと思いついた時は、もう手遅れなのであった。

「宛名職人」
なかなか罪なヤツなのであった。

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