<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





いま、街中を歩いているとデジタル一眼レフのカメラを肩にかけてスナップ写真を撮影している人たちをよく目にするようになった。
初めの頃、「観光客かな」と思ったものだが、そうではなかった。
ちょっとしたウィンドウディスプレイやサイン、著名な観光スポット、ストリートミュージシャン、路地で遊ぶ子供たち。
そういった何でもない風景をファインダのフレームに収めることに楽しみを見出しているごく普通の人たちだったのだ。

デジカメ文化。

これには、女性でも、中高生でも、メカに弱い人達でも「良い写真」を簡単で安価に撮影できることが背景にあるのだろう。

デジタル写真は写真という、かつては物理と化学の知識がなければ手を触れることさえできなかった高騰な技術が要求されたハードルを限りなく低くしてしまったのが最大の特徴かもしれない。

また、デジタル撮影は写真の価格を劇的に引き下げた。
銀塩写真は、写真を撮すだけでフィルム代、現像代、プリント代が発生し、たとえば36枚取り1ロールのフィルムを撮影するのに2000円程度はかかっていた。
今のように、日に100カットも撮影するようなことがあれば、6000円以上も必要になる。
これでは毎日のスナップをお気軽に撮影するなどということはできない。

ところがデジタル写真はフィルム代も現像代も要らない。
プリントしなくても例えばiPhoneやデジタルフレームで見ることができるので要求がなければプリント代も要らない。

銀塩写真では何気ない街の風景を気軽に撮影することなど一般庶民には不可能なのだ。

東京都写真美術館で開催されている「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」は写真が特別な時代だった頃、つまり19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したヨーロッパの写真家が撮影したフランスやイギリスを中心にした街のポートレート展だ。

20世紀は映像の世紀と呼ばれ、人類の記録が写真や動画として残るようになった時代だが、初期の写真は記録と言うよりも現代人の感覚からすると、絵画的な印象さえ抱かせる芸術的なイメージだ。

セピアに色づいたモノクロの映像。
意外にもシャープなディテール。

人の表情や風景に空気感を感じさせる昔の写真の迫力は、現代のデジカメとは大きく異なった奥行きがある。

撮影することが手軽ではなかった時代の写真は、その手間分と技術力だけ今の写真よりも意味のあるドラマを持っていると思わせる。
そして、写真の基本というものは、今もそして100年以上前も違わないという、素朴ではあるが当たり前の驚きを感じるものがある。

「ストリートライフ....」は、大阪で見る機会がない、なかなか良い展覧会なのであった。

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桂枝雀の「代書屋」は上方落語の中でも絶品だ。

この噺の中で展開される代書屋さん(司法書士)と履歴書の作成を以来に来た無学文盲のお客さん松本留五郎(職業=がたろう)との会話は落語の中でも最も可笑しい会話なのではないかと私は思っている。

私はこの代書屋のLPレコードを大学1年生の時に買い求めたのだったが、それこそ「溝がすり切れるほど」繰り返して聞き、上方落語の世界にはまっていったものなのであった。

この話のラストシーン、
「昭和10年......どこへ行きはったんですがかな」と代書屋さん。
「飛田です。」
「と、と、飛田.....。飛田ねえ.....。西成区、山王町やったかいな。....で、そこで何してはったんですか?」
「そこへ、さっき話したマッちゃんととタッちゃんと三人で女郎買いに行ったんだ。わーわー言うて、おなごの取り合いだ。楽しおましたで。」
「.......。」
「それそこへ書いといてくれまへんか。」
「どこに女郎買いのこと履歴書に書く人おますかいな!」
ドドン!

このシーンに出てくる飛田と言う町は大阪人であれば知らない人はいないし、だからといって行ってみたいと思う人も、多くはないところだ。
というのも、ここは21世紀の今日もなお、遊郭街として存在しつづける特殊な文化地域なのだから。

井上理津子著「さいごの色町 飛田」(筑摩書房刊)はこの遊郭街を10年余りにわたって取材したルポルタージュで、この本を書店で見つけた時は一瞬驚きを感じたのだった。
というのも、飛田という街を女性のライターが自身で取材し、文章に書くことなど命がけだったのではないかと思ったからだ。
「命がけ」
と単に言うと、「ものすごく難しい取材だったんだ」と思うのが普通だが、この場合の「命がけ」は文字通りの命がけ。
紛争地帯の取材。
北朝鮮の潜入取材。
タリバンへの単独インタビュー。
などからイメージする「命がけ」。
つまい何かトラブルに巻き込まれて行方不明になることだって有りうるんではないか、という意味なのだ。

飛田は今でも遊郭街であり続けているだけでもユニークなところである。
私は近くを自動車で通ることが少なくないのだが、ホントにほんと正直なところ、一度も遊びに行ったことががなく、歓楽街としての姿を見たことが一度もない。
地域的にも北には通天閣で有名な新世界があり、東には市営住宅の地域を挟んでアベノのショッピングモール街もあるような場所なのだ。
ただ南と西には、いわゆる釜ヶ崎のドヤ街も広がっており、そういう事情もまた、飛田を今日も遊郭として機能させている背景になるのだろう。

それにしてもこの「さいごの色町 飛田」は人間ドラマとして優秀なルポルタージュで、この街の表裏両面をくっきりとあぶり出していて面白い。
この地域に住んでいる人たちの人情味というか、暖かさは漫画じゃりン子チエに通じるものがある一方、遊女という現代ではアンタッチャブルな地下世界も全てではないが、ほじくり出しており、ある時はスリリングで、またある時はグッとくる物語が随所に散りばめられているのであった。

最後にも記されていたとおり、この本を読んで興味が湧いたからという理由だけで、物見遊山的に訪れるのは適切ではない、ところではあるし、また、最近はやりの隠し撮り写真などやろうものなら、本当にどうなることかは保証できない。
日本の風俗文化のシーラカンス的色彩が濃いだけに、それを犯そうとするものは、それなりのリスクを受けなければならない地域でもあると思った。

勇気ある著者と東京の出版社筑摩書房の英断に拍手を送りたい一冊なのであった。

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元漫才師の島田紳助が引退を決意したその原因と言われている暴力団排除条例。
これって1930年代のアメリカで立法化された「禁酒法」に似ていると私には思えて仕方がない。

というのも、暴力団のような組織は法律ができたからといって無くなるものでは絶対なく、それを厳しく規制する法律ができてしまうと、いわゆるアンダーグランド化してしまって、さらに悪質なものに変化するのではないかと思えるのだ。

禁酒法はまさにそうだった。

この禁酒法というのは聞くところによると、一部の「酒飲み大嫌い女性団体」が声高らかに立法化運動を繰り広げたから出来上がった、と言われている。
理想ばかりを掲げるオバハンたちによって立法化された「理想的な法律」は現実を知らなかったため、立法後酒飲みは地下に潜り、毎晩闇に隠れてチビリチビリやることになった。
つまり、禁酒法ができたおかげで、盗み酒、がまかり通るようになってしまったのだ。

しかも、酒類が違法であるために、酒も麻薬のように暴力組織、あちらでいうマフィアの重要な収入源になってしまった。
マシンガンを持ったギャングたちは昼夜を問わずシカゴの街をあっちこっちと行き来して、ダダダダと、やりあったのであった。

結局この法律のアホさは、生類憐れみの令と同じように機能不全に陥って廃棄されることとなったものの、この時に財をなしたマフィアの一部は今もそれを資本に任侠商売に勤しんでいるという。

で、日本の暴力団排除条例もこれと同じ。

簿力団や暴力団と関係をもった人たちを闇に葬る法律なので、これらの方々は一般人を装って地下に潜ってしまう危険性が潜んでいる。
今では「その筋」の人たちは見ただけで区別がつくものの、これからは一般人を装っているので分からない。

夜中にファーストフードに出かけてハンバーガーセットを頼んだなら、制服を着た可愛いアルバイトの女性が、
「ハンバーガーセットひとつですね。はい、お会計は15万円になります」
ということにもなりかねないのだ。

なんでも規制すればいいというものではない。

ちなみに暴力団が地下に潜ってしまった社会に共産主義がある。
日本も中国や旧ソ連や北朝鮮のようになりたいんでしょうか。

暴力団排除条例と禁酒法。
よく似ているだけにリアルなのだ。


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9.11以来、イラクに駐留して作戦を展開していた米軍が最後の撤退をしている、と言うニュースが日本のメディアで取り上げられていないのが、なぜなんだろうか。
とっても大切な海外ニュースの一つと思えるのだが、たとえば、今夜のトップニュースは韓国大統領の訪日で、野田総理が慰安婦像にクレームを付けて、竹島も「日本の領土ですよ」と言ったことが挙げられている。

確かにこれも重要ニュース。

どちらかというと、総理がそう主張したことよりも、ありもしなかった国強制の従軍慰安婦を実体化させたり、他国に領土を侵害されても「昔の日本こそ悪い」と言ってのけてきた村山某と一緒にやってきた人たちの多い政党にしては、正論を主張するとはどういう心境の変化だ、という驚きのほうが大きい。
たぶん、大阪市長橋下徹よりも影の薄い総理のこと。
ちょっとは目立つ動きをせねばならないと思ったのかどうか。
真相は不明だ。

それにしても米国のこの10年間のミッションは一体なんなのだったのだろう。

9.11とは関係のないサダム・フセインの政権を倒したのは、火事場泥棒のような感じがしないでもないのだが、その後、イラクに平和が訪れたのかというと、そうでもないようで、そこが十分に精算されていない今、撤退は敗北の言い換えなのかもわからない、と思ってしまう。

イラクに関わっていたら、ますます国力が低下するというオバマ大統領の判断から来るものとも思える。
なんといってもイラクはまだまだトラブルを抱えたまま。
そのまま撤退というのは、他人の家に上がりこんで家族関係、家具調度品、全部無茶ちゃくちゃにして「自分の流儀に作りなおそう」としてみたものの、大工仕事に失敗して工事途中で放り出したようなもの。

ベトナム戦争の時は尻からげして逃げ出す米軍ヘリコプターの映像が生生しかったが、今度はニュースにもならず。

自衛隊の派遣はイカンと叫んだり、NPOの連中が人質に取られたり、その都度あれやこれや騒いでみたものの、その後の報道をほとんどしない日本のメディアにそっくりだ。

似たもの同士で触れたくない話題なのも分からない。

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ネット版毎日新聞を読んでいたら皆川おさむが40年ぶりに「黒猫のタンゴ」を歌った、という記事が載っていた。

皆川おさむ。
48歳。
私と同い年だ。

皆川おさむで思い出すのが人気子役。
最近も何人かの子役が人気を集めていて、彼女、彼らが出演するドラマやバラエティショーは概ね良い視聴率が取れるのだという。
ギャラも当然安くはなく、何百万円、何千万円という金が動く。
テレビを見ている側からすれば「かわいい子供」なのかもしれないが、その裏で実態の良くわからないお金が動いていると思うと素直に楽しむ気持ちにもなれない。

しかも、最近の子役は芸達者で、その芸達者ぶりが素直に楽しめない要素の一つになっている。
まるで、大人を小さくしたような子供や、大人に阿るような「もう、世の中なんでもしっているよ」という表情をする子供が鼻につく。

それにしても、あの子供たちが稼ぐお金は誰が管理し、どう使われているのか。
こういうバックステージをレポートするのフィクションはないのだろうか。

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年明け1日から、阪神高速道路と首都高速道路がETCカードによる距離制料金を導入する。

「これって、短距離に有利かな」

と思って阪神高速道路のWEBページを見てみてビックリした。
なんと距離制で便利になるどころか、事実上の短距離値上げなのであった。

確かに2路線またがって走ると便利なところもあるにはあるのだが、私なんかが最も利用する大阪市内とその近郊なんかは、実際のところ現行の700円から900円に変わる所が多い。

「短距離、中距離は一般道を走らんかい」

ということではなくて、きっと最も利用者の多い都市部の利用料金の値上げを画策した結果なのかも知れないと思った。
これで何年もかかったETCカードによる自動車通行料金の理想的な徴収システムが完了する。

ところで、最近だれも何も言わなくなってしまったのだが、阪神高速道路が営業を開始した唱和30年代の終りは、
「阪神高速道路は建設費その他の償却が済んだ時点で無料化する」
という約束があったことを、ご存知だろうか。

今の環状線が開通してから空港線(池田線)や堺線が順次開通していくに従って、

「新しい路線の開設にカネがかかる」

からなんて理由で料金を徴収し続けて現在に至っている。
まるで、「新しい路線を建設しなければならないので運賃を下げられない」と主張する大阪市営の地下鉄と瓜二つだ。

尤も高速道路の料金を無料にするのは維持管理するための費用捻出の上からも、あまり上等な考えではないが、それでも値上げし続けなければならない理由は何もないのは庶民の感情だ。

また、これも首都高の事情は知らないが、阪神高速道路は平成7年の阪神淡路大震災で巨大な被害を受けるまで黒字の公団なのであった。
なぜなら、阪神高速道路公団は全国でも極めて珍しい「天下りゼロ」の健全な組織だった。
さすが、民間資本で街を運営するのがモットーの大阪の公団ではあった。

ところが震災のために神戸線を中心に大規模な復旧工事が必要となり、なんと、中央政府のお役人様が天下ってきたのだという。

「わしらを組織に入れな、金、出さんで」
とマル暴みたいにすごんだのかもわからない。

で、どういうわけか、それから赤字が続いている、という、これまた一般庶民の頭脳では理解しがたい経営に転落してしまったのであった。

無料化の約束は反故。
料金は値上げ。
経営は赤字。

不思議な現象なのだ。

ここから見られるのは、もし東北地方で民間主体で黒字経営していた公共事業の団体があったとしたら、決して「震災復旧」の弱みにつけこまれて、中央政府のお役人様を受け入れはならない、ということだ。
もしそういうオファーがあったら、

「阪神高速道路会社みたいになりてえべか!」

と一致団結することをお勧めしたい。と、思う距離制導入なのであった。

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先日、所要があって大阪府堺市の中心地、南海高野線堺東駅前の銀行へ出かけた。

銀行から出てきて、ふと府道の向こうに目をやれば、あな、懐かしい、緑色のツートンカラーのレトロ仕様の南海バスが走っているではないか。
私は、とっさにデジカメを取り出して数枚シャッターを切った。

緑色の南海バスは子供の頃によく乗った仕様で、これで車掌まで乗っていれば完璧なんだがな、と思った。

南海バスはもう随分と前に白とオレンジのカラーリングに代わってしまっており、緑色は皆無だった。
でも私にとっては南海バスは緑色。
今ではミャンマーにでも行かないと見ることのできない車両なんかじゃあるまいか、と持っていたら堺市内で復活していたというわけだ。
ちなみにミャンマーは日本の中古バスの宝庫で、日本国中を走っていたバスを、そのままの姿(但し、ミャンマー語の行き先が上書きされているが)で走っている不思議なところだ。

電車もレトロなら、バスもレトロ。

ところで、このバスの色の変化に気づいている人はどのくらいいるだろうか。

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ベストセラーになっている「スティーブ・ジョブス」上下巻ではスティーブ・ジョブスと日本の関わりについても数多くの記述があった。
というよりも、スティーブ・ジョブスのアップル経営には経済面でも文化面でも日本の影響が色濃くあり、例えば、最後の家族旅行は昨年の京都旅行で、宿泊したのは俵屋旅館。
京都で最も有名な伝統的旅館だ。
日本を出国するときに土産に買った土産物も手裏剣。
これを機内に持ち込もとして関西空港のセキュリティに没収され、
「プライベートジェットなんだから構わないだろ。こんな国、二度と来るか!」
と吐き捨てて帰ったというのがネットに載っていたが、ご愛嬌。
結局亡くなっても日本との縁は切れずに、争議を執り行ったのは日本人の仏教僧侶だったそうだ。

この日本との関わりで、ビジネス面で最も興味深かったのは、ソニーとの関係。

十数年前、追放から戻ってきたスティーブ・ジョブスが日経かなんかで語った内容が、今も記憶に残っている。
アップルが最悪の財務状態だった頃のことで、iMac発売以前だったと記憶する。

ジョブスは語った、
「私はアップル社をソニーのような会社にしたい。」

なんでアップルのCEOがソニーという日本の会社を目指したいのか。
当時、よく分からなかった。

パソコンメーカーのApple社。
方やICからビデオ、テレビ、オーディオといった一般消費者向け家電製品。
世界の8割を独占している放送用機材。
ワークステーションやPC。
音楽ソフト、映画、ビデオソフトなどのエンタテイメント。
デザイン性の優れた世界的プロダクトの人気メーカー。
それがソニーだった。

でもこれらは、どれもこれも当時のAppleとは関係ありそうで、なさそうなものばかりだった。

ところがこれがジョブスの目指すところだった、というのが今になって合点がいく。
ソニーのビジネスモデルを模範として、知らない間にAppleは宗家ソニーもできなかったことを実現することにいたったのだった。

それはなにかというと、
「縦割り組織の破壊」
にほかならない。

書籍「スティーブ・ジョブス」によると、現在のAppleのソフトとハード面の融合による見事な製品提供を実現できる他の会社は世界に唯一つ、ソニーだけだという。
ソニーは音楽著作権の世界最大保持者であり、映画コンテンツもソニー・ピクチャーズの成功で世界最大級。
しかもハードウェア、ソフトウェアともに世界最高品質の製品をリリースし、一時はiPodに飲まれそうだった携帯音楽端末の市場も、元祖端末ウォークマンが追い抜いた。

しかしここでAppleにできてソニーにできないことがある。
それが「事業部ごとの縦割りによる連携の有無」なのだという。

確かに、Appleは今や音楽配信、有料動画配信では世界一。
スマートホン市場もダントツの一位で、もはやコンピュータだけの会社ではない。
アプリケーションもネット販売し、しかもハードもOSも一社でまかなっている。
ところが、この各ビジネス要素は分断されておらず、例えばiTunesというソフトウェアを通じてシームレスにつながっているのだ。

ところが、ソニーはAppleと同じビジネス要素をすべて一社で提供できるのに、それらを連携させる術も組織も全くない。

ここに、ソニーに代表される日本企業のマニュアル一辺倒、官僚主義、閉鎖性、を見て取ることができるのだ。

「Appleの工場は日本にあるソニーの工場のように美しくなければならない」

というようなことが書かれていた。

縦割り組織を貫いていた一本の槍のような存在だった創業者の一人が亡くなったApple。
今後縦割りになるようなことがあれば、それは転落への第一歩になるだろうが、果たしてどうか。
現在青息吐息の多くの日本企業のようになってしまうのか。

書籍「スティーブ・ジョブス」は日本企業への「思い出せ」本でもあるのだ。

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5年間使い続けてきた会社のパソコンが古くなり、起動時間が異様に長く、PDFファイルを開くのも、やたら長いのでイライラしていた。
オマケにD社製デスクトップ型のパソコンだったので、本体のデカイこと。
その大きさ、シュレッダーみたいだ。

「なんとかして~」

と会社にお願いしていたのが、やっと通じて先月、私の手元に新型のノートPCが届いた。
新型といってもD社製。
デザインはイマイチにもならないイマサンの出来。
それでも中味は最新OSのWindows 7とMS-Office2010などがインストールされており、なかなかなものだと期待した。

で、当然のごとく、それらは期待しただけで、その操作性、機能は噴飯ものの製品なのであった。
よってこれらをガラクタOSシステムと呼びたいと思う。

なんといっても、直感的操作がほとんどできない。
どこに自分のファイルが入っているのかさえ、容易に探せない。
ネットからファイルをダウンロードしようとすると、いちいちセキュリティがなんだかんだと訊いてくるし、挙げ句の果てはPC素人の私にはトンチンカンな専門用語で、

「◯◯をインストールしていいですか」

みたいなことを訊いてくる。
知るかっちゅうねん!
◯◯という言葉は日本語なのか英語なのか、さっぱりわからない。
わからないのに「いいですよ」なんて言えないのだ。
もしかすると、「欲しい人、手をあげてください~い」という詐欺まがいのセールスで「は~い!」と手を挙げる人は「OK」ボタンをクリックするかも知れないが、マイクロソフトはそんな会社だったのか、と疑いたくもなる。
きっとマイクロソフト社内の符丁ではないかと思えるくらい、理解に苦しむメッセージなのだ。

Officeにいたっては、わざわざ使いにくくしたようなソフトウェアで、画面がカラフルになっただけでOffice2000のほうがよっぽどいい。
ワードは使いにくいし、Excelもどうしていいのか、暫く悩むことになってしまった。

結論としては「OSはXPのままで、Officeは機能重視で2000でいい。本体だけ新しいもの」というのが本音なのだ。
ワードもExcelも使いにくいので文書や表を書くだけに時間を取られる。
ただでさえ忙しいのにホントに迷惑だ。
なんのための最新OSなのか、ムカツイてくる。

ところで、夏前から業者さんにお願いして、あるWEB用アプリをプログラミングしてもらっているのだが、ここに来て急転。
もともとマイクロソフトのsilverlightなるソフトで組んでいたのが、無意味になりそうな気配なのだ。
というのもWEBの世界はいま、HTML5という言語の話題でもちきりで、このプログラム言語が来年あたりからの主流になることが濃厚なのだという。

SilverLightはマイクロソフトのソフトウェアなのでWindowsユーザーには問題ないのだが、これでWEBを作るとMacユーザーはもとより、iOSユーザー、Androidユーザーも正しい表示ができずに困るのだという。
そこへいくとHTML5はすべてのOSに対応するので、これがデファクトスタンダードになる様相。
つまりWEBの世界の発展で、マイクロソフトの治世が終わりを告げよる気配が漂いだしたということだ。

ともかく業者さんとどうするのか、いま、めちゃくちゃ重い課題に直面している。
投入した開発費はどうしよう?
新たに予算とるにはどうするの?
と、悩んでる。

使いにくいOSに、使いにくいアプリケーション。
そいでもって独裁統治の終了気配。

そこで、思い出すの1995年の何月号かは忘れたが、日経クリックに表紙に掲載されたキャッチコピー。
「さらばマッキントッシュ」
をもじって、
「さらばマイクロソフト」

Macは完全復活したけど、こんな使いにくくて高価なWindowsはこの世から消えるかも知れません。
たぶん。

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地下鉄大江戸線の本郷三丁目を下車して交差点近くのラーメン屋でチャーハンセットを食べた。
650円。
東京にしてはやけに安い。

初めて上京した1980年代、東京駅でカレーライスを食べたのだが、あまりに高いので驚いた。
ビーフカレーが800円もしたのだ。
当時、私は大阪難波の映画館、南街劇場の地下にあった阪急ボックスカレーでよくビーフカレーを食べていた。
ここのカレーは美味い上に400円とすこぶる安く、私にはそれが外食カレーのスタンダードになっていたのだ。

そんなこともあって、
「東京は食べ物の高いところや。こんなところに住めるんやろか」
と心配になっていたら、めでたく第一志望の東京の大学を不合格。
浪人生活はしたくなかったし、する勇気もなかったので合格していた第二志望の大阪の大学に入学。
以後、大阪に住み続けるきっかけになった。

ラーメンは九州ラーメンでチャーハンの量も普通にあり全部平らげたら食べ過ぎになってしまった。
やはり本郷三丁目は学生の街なのであった。

この本郷三丁目の近くにあるのが、かの東京大学で、なんの因果か東京の私大、しかも芸術学部を落っこちた私が仕事で時々訪れるようになったのは5年ほど前のこと。
毎月1度はこの本郷キャンパスか千葉の柏キャンパスを訪れる。

この東京大学本郷キャンパスの一番の魅力は四季折々に見せるキャンパスの景観だ。
春、桜の季節の美しさ。
夏の深い緑。
秋の紅葉。
冬の灰色の風景。
建築物が「さすが東大」というぐらいにボロっちいい、もとい、洒落た昔の建築物なので景色がいい。
写真を写すには絶好のロケーションなのだ。

ということで、今週初めにラーメンとチャーハンで満腹感いっぱいの私が赤門を潜ろうとキャンパスに入っていくと、突如と視界に広がってきたのは、色づいた樹々の絶景なのであった。
もちろんデジカメを鞄から取り出して、シャッターを「シャカッ、シャカッ」と切る。
あっちもすごい、こっちもすごい。
と本郷キャンパスのあちこちを撮影しているうちに打ち合わせの時間が迫ってくる頃には食べ過ぎのお腹も少しく落ち着いた。

650円は、案外スカスカだったのかも、と思ったのであった。



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