<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





なぜNHKがこのようなテーマを取材して番組を作ったのか。
実はこの「超常現象 科学者たちの挑戦」(新潮文庫)を買い求めた最も大きな理由はそのポイントにあった。
堅物であるはずのNHKが民放のバラエティで扱いそうなテーマを科学番組として扱ったことに興味が惹かれたのだ。

子供の頃、私は臆病で「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を見ていて怪獣などが出てきそうになると本気で怖くなった。
一人でテレビの前に陣取っっていることができなくなり、隣の台所で家事をしている母の元に行ってこわごわドラマの展開を見守ることが少なくなかった。
怪獣の存在を信じている、というか、宇宙人やその他実態のわからないものの存在を信じているわけではなかったのだが、そういうものの雰囲気に大いに恐れを抱いていたのだ。
ま、純真な子供だったと言えるのかもしれない。
それが純真でなくなってしまったのが中学1年生の時。
流石に母に甘える年齢ではなかったが、理屈っぽくなる年頃になっていたことに加え米SFTV「スタートレック」にハマりだした頃だ。

「スタートレック」は宇宙を舞台にしたSFTVシリーズだったが、単なるSFドラマではなかった。
様々な社会問題をそれとなく取り上げて問題提起をする社会派ドラマだったのだ。
背景にリアリティがあるだけに、SFの要素にもリアリティがあった。
特徴の一つが未知なものを単に「わからない」で片付けてしまうことがなかったこと。
それが他の従来のSFとは大きく異なるポイントであった。
わけのわからない現象や物体に遭遇しても「わからない」で片付けず各種分析装置やコミュニケーション手法を駆使してその原因を探るという行為は新鮮だった。

このテレビ番組を見てからというものの超常現象などを扱う番組や書籍が胡散臭くなってしまった。
心霊写真があると必ずトリックやそう見えてしまう科学的根拠があるはずだ。
幽体離脱についても何らかの医学的現象があるはずだ。
ユリゲラーのスプーン曲げは手品の一種に違いない。
などと考えるようになった。
現象ではなく、それぞれのタネ明かしに興味を持つようになった。

だから「超常現象」を科学するということは大いに興味を誘うもで、これもそういう意味で手に取り買い求めた文庫だった。
超常現象を科学的に観測して分析する科学者の団体があることに驚きをもったのだが、面白かったのは霊はともかくテレパシーに関する何らかのエビデンスがあるのではないかと思わせるところだった。
以前、米軍には超能力部隊というXメンを本気で行く舞台が存在していたことをレポートしたノンフィクション「実録・アメリカ超能力部隊」(文春文庫)を読んだことが有り大いに笑ったものだ。
とこが、例えば「鳥や魚の群れが言語を使用せずに一斉に同じ方向へ進路を取れるのはなぜか?」とか「隣どおしに横たわった被験者の脳をCTモニタリングしていると、片側の人に刺激を与えると、何もしていない別の人の脳も反応する」など明らかに科学で解明すべきテレパシーがあるように思えてくる。
これはこれで非常に面白いと思った。

ということで「あなた、あなたは幽霊を信じますか?」。


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安倍首相が辞職を発表した。
8年間という長い政権で流石に少々ボロがでていたが、民主党によるてなもん屋政治に終止符を打った上、コロナでダメージを受けたとはいえ経済を立て直したのには感謝しなければならないだろう。
素直に「お疲れさまでした」と言いたいところだ。
ちなみにコロナの危機に直面して「民主党でなくてよかった」と思っている人も少なくないことを付け加えなければならない。

ところで、コロナの一連の報道もそうだが、今回の安倍首相辞職の報道でもアホをさらけ出した人々が居る。
マスメディアの人々だ。
この人達。
国民の声を代表しているといいながら、なぜにこんなに国民と感覚が隔絶しているのか大いに疑問のあるところだ。
コロナでは不安を煽るだけで科学的な分析や正しい情報には関心を示さず、大阪府知事のイソジン発言や辞職することになった安倍首相の揚げ足取りばかり。
こういう連中が電波を専有することを少し考える必要があるように思うのは私だけではないだろう。

このアホの極みは昨日の首相官邸から出てくる安倍首相に投げつけた某女性記者の質問。

「首相!悔いはないですか?」

こういうのを愚問の極みという。
もはや既存メディアに国政に意見をする脳はない。


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タラップを降りてバスに乗車した。
乗客が20人ほどしかいなかったのでバスは1台で十分だったようでそのまま出発。
ターミナルに向かって走り始めた。
そのバスからの光景も一種独特の雰囲気が漂っていた。
先述したように駐機場は欠航で不要になった航空機でいっぱいになっている。
ANAとJALの機体が同じ場所に混在して駐機されているのが印象的だが、機体の向きが交互に前後を入れ替えできるだけ詰めて駐機されている。
これがいかにスペースに対して飛べていない機体が多いかを物語っていた。
それだけ羽ばたけない飛行機たちが余っていのだ。

エプロンから進路を変えてバスはターミナルに沿って走る。

いつもならバスからはターミナルから各出発便に多くの乗客が乗り込む風景が望まれるはずだが、今日はそういう景色がない。
ボーディングブリッジの窓の中を行き来する人の姿が全く見えないのだ。
出発便が無いはずはない。
私の搭乗便をタラップ&バス移動に導いたのはボーディングブリッジがふさがっているためであろう。
だから人影が見えないのは出発便があっても私の乗ってきた関空からの便のように乗客が少ないのだ。
えらいこっちゃ。
時刻はまもなく午前8時になろうとしていた。
出発便であふれる時間だが、人の姿は見ることがないほど閑散としているのか。

事態の深刻さを予測させるものなのであった。

早朝の羽田。
到着ロビーは常でも人は多くはない。
でもこの日はもっと少なかった。
椅子に座っている人がたった2人。
歩いている人の姿はなかった。
私は羽田空港から目的地までは空港バスで移動することを決めていた。
京急線とJRまたは地下鉄を使って目的の場所まで移動するにはどうしても雑踏をくぐり抜ける必要があるので電車は避けてバスにするつもりだった。
でも時刻表を見ると大きな張り紙がされていて「コロナの影響で運休している便があります」みたいなことが書かれている。
私の向かう先も1時間に1本程度に間引きされているようで次の便まで40分ほど待つ必要があった。

バスのチケットを購入して出発ロビーの様子を見に行った。
第二ターミナルは到着フロアの上の階が出発ロビーなのだ。
エスカレータを上がるとさすがに羽田空港。
乗客は関西空港よりも遥かに多い。
多いとはいえガラガラであることに変わりはなく活気はない。
エスカレータを上がった先に子供の遊びスペースがあるが黄色いテープで囲まれて立ち入り禁止・使用禁止になっていた。
コロナ対策で使えないようにしていたのだ。

売店がオープンしていないところが多いからか、やはり人通りは多くない。
ガラスの向こうの搭乗ゲート側の人通りも多くない。
これは暫く大変な状態は続きそうだ、と思ってバスのりばへ移動。
バスの乗客は私を含めてたった2人だった。

コロナの深刻な影響をひしひしと感じる半年ぶりの羽田空港なのであった。




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欠航便も多いので羽田空港は混雑していないだろうと思っていた。
だから着陸時間も早いのではないかと予想してたのだ。
ところがそうは簡単に行かなかった。
関西空港・大阪空港から羽田へのアプローチは木更津から東京湾アクアラインに沿って南から多摩川に沿ってあるA滑走路侵入するのが一般的だ。
でも、何故か今回はそのコースではなかったのだ。

伊豆半島を過ぎると早いときはこのまま三浦半島を回り込んで東京湾に入っていく。
ところが飛行機は三浦半島を東へ飛行。
房総半島へ入り、館山上空で進路を北にとった。
そのまま房総半島を手前に東京湾、三浦半島を左手に見ながら飛行した。
いつもなら真下に見える木更津の製鉄所も遠目に見ての飛行。

「ん、東京湾アクアラインがずいぶん遠い」

房総半島の内陸部を飛んでいるようだ。
というよりも右手の窓が見えればたぶん視界は太平洋だろう。
夏の九十九里が美しいかもしれない。
たまに通るこういうコースを飛行するといつもならそろそろ左手には千葉市中心部から幕張の高層ビル群が見えてくるはずだ。
ところがこの日はそれも遠目に見ながらますます北へ飛行した。
少しだけ進路が西に変わったようだが、そのまま北進している。

「どこまで行くんだ?」
「羽田は大阪や関西と違って混雑しているのか」
「どこか外国要人が来ているのか」
など、色いろ考えた。
私は左手窓ぎわ座席に座っているので見ることはできないけれども、右手からは成田空港が見えているに違いない。
それほど内陸部を飛んでいた。

そうこうしているとやっとこさ機首を大きく左旋回。
地上に雲の合間から小さな飛行場が見える。
「どこやろ」
このあたりの地理には疎いので、どこを飛んでいるのかわからない。
たぶん千葉と東京の都県境だろう。
雲が多くて霞んでいるのでなかなか見にくいが5分もすると海が見えてきた。
葛西臨海公園も見える。
やがて左手に羽田空港の第二ターミナルが見える。

「おお、B滑走路への着陸なんや」

東から西方向に伸びるB滑走路は終点が国際線ターミナル近くなので第二ターミナルに到着する私としてはあまりうれしくない。
着陸してからの移動時間が長いからだ。

ドスン!
と着陸したA320は逆噴射をしてすぐにスピードをダウン。

「ただいま羽田空港に着陸いたしました。当機は皆様をバスにて到着ターミナルへご案内いたします」
「えっ」

羽田空港はコロナ禍で空いている。だからバスなどありえない、と思っていた私の予想はまたしても外れることになった。
大阪〜東京は航空会社にとってはドル箱路線。
しかも新幹線と熾烈な競争をしているのでターミナルでの乗り降りに時間がかかると新幹線に負けることになるのでバスはそんなに無いのだが、今日はバス。

「羽田空港は混んでいる」
という仮説が成立するかに見えたその瞬間。
飛行機の窓からは異様な光景が....。

空いている場所という場所にはANAとJALの飛行機が所狭しと駐機されている。
2社に混じって他の会社の飛行機も少し混じっているが、これほどあらゆる種類の飛行機がぎっしりと駐機されている風景はかつて見たことがない。

コロナ禍で欠航されて活躍の場を失っている飛行機たちなのであった。
羽田空港は日本の玄関口であると同時に巨大な駐機場に変貌していた。
これはかなりショッキングな光景なのであった。

つづく


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朝の関西空港は閑散としていた。
インバウンドの始まる前の関西空港でも、もっと多くの人達がいたように思う。
久しぶりに保安検査場に到着するとコンベヤからゲートから何から何までが最新式のものに変わっていた。
大きなトレイがもともとコンベアにセットされていて、そこへバッグや小銭入れを入れればい。
薄いトレイを持って、そこへ携帯品を入れるという塩梅ではなくなっていた。
装置はいくらかかったんだろうという大掛かりなものであった。
凄い。
ただ残念なのは、利用者がほとんどいないことなのであった。

利用者がいないので保安検査場はスムーズに通過。
KIXカードのポイント登録をして振り向けば出発ロビーに人影はほとんどない。
東京行きの出発ゲート前へ来るとソファに座ってパソコンのキーを叩いている乗客が二人ほどいた。
私も一人がけのソファに腰を掛け搭乗開始時間を待つことにした。
前方の大きなガラス窓の向こうには姿を見せたばかりの太陽が金色に輝いている。
朝の陽光に照らされて輝く晩夏の雲。
霞んだ山並みを背景にりんくうゲートタワーが聳え、その横に観覧車。
連絡橋を走る電車の姿も望むことができる。
これでコロナがなかったらきっと大勢の利用者がこのロビーに溢れていることだろう。
東京行きの次の便で表示されているのは石垣行き。
トロピカルな夏への扉がそこにあるのだから。

搭乗が開始されて実際に乗ってみると乗客は20名少しといったところか。
座席を広々と確保できるので安心感がある。
旅客機はもともと国境や地域を超えて移動するため感染症対策は十分になされていて空気の循環にもHEPAフィルタというコロナウィルスであろうとインフルエンザフィルスであろうと99.7%以上をキャッチしてしまう高性能フィルタを装備している。
だから新幹線よりも航空機のほうが安心感が高い。

関空を離陸して20分もすると遠くに富士山が見え始める。
空は真青だが地上は水蒸気が立ち込めていてよく見えない。
地球全体を白い水蒸気が覆っているような光景だ。
その水蒸気の海から富士山が頭を出し、南アルプスや中央アルプスの高い山々が少し稜線をのぞかせている。
なかなかいい景色ではないか。
たぶん飛行位置は伊勢湾にさしかかっているところだろう。
半年ぶりに見る飛行機からの富士山なのであった。

機内ではいつもと同じようにドリンクのサービスが始まっていた。
いつもと違うのは客室乗務員が医療用マスクにゴム手袋といった姿になっていることだった。

つづく




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「そんなん、行かなあかんの?」
と私に詰め寄ったのはカミさんなのであった。

どうしても会って直接打ち合わせしなければならない所用ができたので東京に出張する。と言った私に予想通りカミさんは噛み付いてきた。
理由はコロナウィルス禍。
何もこの時期に感染者が広まっている首都圏に危険を犯して行く必要があるのかどうか考えてみて、ということだ。
尤もなことだが、仕事では「空気を読みながら」しなければならない打ち合わせもあり、空気を読むのはWEB会議ではうまくいかない。
このことはカミさんもなにかとわかっているのだが、それでも出張を避けて欲しいというのは人情というものだ。

大阪でもできる限り繁華街に出ないという生活をしているので当然といえば当然だ。

私は出張では飛行機を多用しているので今回も空路を選んだ。
新幹線でも乗客が少ないので構わないのだろうが、飛行機のほうが羽田についてからの条件が良い。
少々割高だが目的地までバスで行くことができる。
このメリットは大きい。
京急やJR、地下鉄を乗り継いで雑踏に触れる機会が極力小さく済む。
それにカミさんは青い翼航空会社の関連会社でアルバイトをしている。
少しでもスキルのある従業員を大切にしようとしているのだろう。
その会社は苦しい経営の中でもきちんとカミさんに仕事を与えてくれている。そして切ることをしないでいてくれているのだ。
亭主の私としては乗客であってもその会社に少しでも感謝をしたくコロナ禍の東京行きには空路を選ぶのが当然と思ったのだ。

つづく


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「PCR検査? ダメです。あれは。」

と聞いたのは三日前。

なんでもPCR検査して結果が陽性になったから「コロナウィルスに感染した」とはならないそうで。
なぜか「コロナだ、コロナだ」と騒いでいるのが世の中なのだという。

なぜなら、
「PCR検査は『ウィルス』に反応するので普通の風邪ウィルスでもインフルエンザウィルスでも、そのへんに転がっている適当なウィルスにでも「陽性」と反応するから。」
なんだという。
PCR検査はウィルスに感染しているかどうかを診ることができるが、それが「新型コロナウィルス」であると見極める能力は乏しいか無いのだという。
つまりウィルスであれば何にでも陽性反応する。
それがPCR検査の真実なんだそうだ。

そう言われればそうなんだろうなと思うのは間違いだろうか。
酸アルカリしか確認することのできないリトマス試験紙で「この物質は塩酸です」みたいなことを言っているのが現在のPCR検査。
確かにウィルスを採って顕微鏡で見たわけでもないし、全DNA検査しているわけでもない。
コロナウィルス自体はそのへんに転がっている納豆菌と大差ない一般的なもので、似たような遺伝子を持っているものと「新型」を区別して特定するのは「多分無理」とか。
バイオ分析に詳しい人の話なので信憑性は低くない。
PCR検査を信じて良いのかどうかという疑問に対する答えのような気がしたのだ。

もしかしたら誰かがPCR検査で儲けようとしているだけなのかも知れないというのが現実かも知れない。




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それにしても世の中には色々なイベントがあるものだ。
「サハラ砂漠でフルマラソン」。
暑いだろうな。
走りにくだろうな。
コース見失わないかな。
と、色々と考えてしまう、そんなマラソン大会が存在していたのだ。

実質的に「ソマリランド」を日本に紹介した紀行作家というか冒険家の高野秀行。
そのエッセイ集「世にも奇妙なマラソン大会」は表題のサハラ砂漠でのマラソン大会への無謀な参加体験記をはじめ5編の愉快な紀行が収録されている。
どれもこれも非常に面白いのだが表題のマラソン大会はもちろんのこと謎のペルシャ絨毯売り、フランス人のゲイのおっさんとの一夜の駆け引き、なども面白かった。

旅に出ると想定外の出来事に遭遇することが少なくない。
私の場合はバンコクのトランプ詐欺師集団やミャンマーでの長距離列車旅行途中の豪雨橋脚流出事件などがそれに当たるかも知れない。
このような出来事は日本の価値観とは大きく異る背景をもってして発生するわけで、実際に出会うとかなり困ったことになる。
うまくくぐり抜ければ後で笑って済ませることができるのだが、うまく行かないと大変な事態になることもある。

著者の高野秀行氏は自らそういうところに飛び込み、それをレポートするというのが大きな魅力と言えるだろう。
先日、台湾が国交を結んだことで注目されたソマリランドもそう。
ブータンの謎の生物探索もそう。
ミャンマーの山深く取材した少数民族「ワ族」の村での生活もそう。
イスラム圏での飲酒文化もそう。

どれもこれも普通ではない環境に飛び込んで自ら体験する。
自分のバックパック旅行とも重なり実に面白いのだ。

今回のサハラ砂漠のフルマラソンという無謀へのチャレンジも同様。
日頃ジョギングさえしないという著者がいきなりフルマラソン、しかもサハラ砂漠でのというところがもうすでに尋常ではない。
しかしその無謀を思いつきだけで終わらせず実行に移して感動を呼び込むところがこの作家の最大の魅力だろう。
完走するのかどうかは読者だけのお楽しみ。

ということでサハラマラソン。
来年2021年も開催されるようなので興味ある人は是非ご参加ください。

http://runners-wb.org/race/race01.htm


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映画「ダウンタウン物語」は出演者全員が子供のギャング映画。
子供が大人の格好をしてマフィアの抗争を演じているのだ。
そもそもミュージカル構成になっていることに加えて出演者が全て子供なので、マシンガンの銃弾はパイ、ギャングの乗っている自動車は足漕ぎ式という具合にディフォルメされて歌のシーンは吹き替えだった。
この1976年の映画。
公開された時は私も子供というか中学生だったので劇場で見ることはなく初めて見たのはテレビの洋画劇場だった。
その感想は面白いのなんのって。
センスのいい音楽と見事な子供の演技に魅了され、今でも好きな映画の1本になっている。
音楽担当はポール・ウィリアムズ。
カーペンターズのヒット曲の作詞やトランザム7000などでは俳優としても活躍していた鬼才だ。
子役ばかりだったので著名な出演者は少ない。
でもたった一人すごい少女がいた。
彼女は非常に美人で私の記憶にもきっちりと刻まれた。
その少女の名前はジョディ・フォスター。
この映画ですでに大女優の片鱗を見せつけていたわけだ。

この「ダウンタウン物語」を監督したアラン・パーカーが先月末に死去していた。
享年76歳。
些か若い年齢だったので昨日このニュースを耳にした時ビックリしたのであった。

アラン・パーカーの映画では他に見たのは「ミシシッピー・バーニング」。
人種差別を扱った社会派映画で主演のジーン・ハックマンとウィリアム・デフォーが印象的であった。

この映画は別のことでも記憶に残っている。
公開された1988年は二度目の海外旅行でLAを訪れていて、丁度その時この映画が現地で封切られていて「見てみるか?」と親戚のおじさんに薦められたのだ。
おじさんは日系二世で私の父の高校時代の同級生でもあり、親戚でもあった。
私は現地の映画館の雰囲気も味わいたく見たいと思ったのだが、よくよく考えてみると字幕スーパーも付いていなければ日本語吹き替えでもない。
画面だけ見てその当時の聞き取り力で理解できたかどうか。
結局、時間がなくて映画館には足を運ばなかったのだが現地で見ていたら「これはわからん」と日本で見た時に思わずつぶやいたことが別の意味で印象に残っている映画だ。

それにしてもアラン・パーカーはダウンタウン物語のようなミュージカルやミシシッピー・バーニングのような社会派ドラマ、私は見ていないがピンク・フロイドの「ザ・ウォール」のようなミュージック映画なども監督していた。
作品数は少ないながらも異なるジャンルで素晴らしい才能を発揮したすごい人だったのだ。

素敵なハリウッド映画を作った映画人がまた一人星になってしまった。


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立憲民主党と国民民主党が合併するという話の中で国民民主党の党首・玉木代表が、
「どうしても合併等ことであれば製作に賛成するものと賛成できないものを分け、分党する必要がある」
と言ったそうな。
それがどうした。
合併ありきで思想がない。
それって政党?
と、国民はドッチラケ状態だ。

日本には民主党と名乗る政党が少なくとも3つ存在する。
2つは立憲と国民。
で、もう一つはよく忘れるのだが自由がある。
この3つの民主党の特徴は「自分が大切」という自己愛にあることだ。
政治政党でありながら失業寸前の三流労働者のように自分のことしか考えず、職務の目的である国のあり方に関しては二の次である。
どこが民主党なのか。
自分党じゃないか、というわけだ。
そもそも国民と民主は合併したら支持率が上がるわけがない。
そういう着想自体が小学生レベル。
今回のコロナの件でもそうだが、国民は現政治政党のほとんどが無能であることに気がついてしまっている。
要は指導力と実務力がないのはもちろんのこと、何が問題点なのかを理解できていない。
春先にコロナで大変なことになっていたのに桜だモリカケだと騒いでたのが何よりの証拠だ。
いうなれば社会人になれない成人式で馬鹿騒ぎをする未熟な大人みたいなもんで、就職先がないから国会議員になりました、みたいな感覚になってしまっているのだ。
だから合併だけで揺れに揺れ、中身を議論しない2つの民主党には到底国政を任せるわけにいかない。
むしろ「あの時に戻りたいですか」と問うとたぶん国民の9割以上が、
「冗談じゃない」
というに決まっているのだ。

では3つめの自由民主党はどうだろう。
ここは他の民主党と違って実務力が備わっている。
しかも長い実績が物を言い、信頼感を抱いている国民も少なくない。
でも、ここもかなり異常な状況になっていることを忘れてはいけない。

中国の習近平を国賓で呼ぶと宣言したのは昨年の春。
大阪サミットのときで、国民のほとんど全員がびっくりした。
現代のヒトラーを国賓で呼ぶんですか?本気ですか?
と驚いたのだ。
しかもウィグル、チベット、香港での人権弾圧や前者2民族に対する虐殺行為が判明している現在もなお、「中止です」と言えずにいる。
あれなんなんだ?
パパママ、お祖父様、お祖母様の家柄の人が多いので、市井のベタな戦いが実は国際政治でも同じであることが理解できないのか。
困ったさんである。

野党2つの民主党は民無視党。
与党の自民は自分党。
どうなる、この国。


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