<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





スタートレックの放送が始まったのが1966年だから、もうすぐ半世紀を迎えることになる。
SFシリーズも半世紀に渡って作り続けられると、さすがに初期の形とは違ったものになってくるのも仕方のないもの。
例えば、先日鑑賞したスーパーマン。
もともとスーパーマンはアメリカらしい勧善懲悪のヒーロー物なのだったが、「マン・オブ・スチール」は、妙に人間ドラマを強化して、その実、非現実的なアクションシーンが溢れているのでバットマンみたいな映画に仕上がっていたことは、先日ここにも書いたところだ。
スタートレックといえどもその法則は免れない。
もしかすると最後に残るのはミスター・スポックの尖った耳だけになるのかもしれないな、と思えることもなくはないのだ。

で、最新作「イントゥ・ダークネス」はそういう危惧を吹き飛ばしてくれるというか、なんというか、どれもこれもファンの見たいシーンを実現しているだけに、非常によく笑える映画になっていたのだった。
笑える、といってもコメディではない。
ちゃんとしたSF映画なのだが、スタートレックのこれまでの作品の名シーンや名エピソードを彷彿させるシーンが目一杯詰まっていて、しかも「お約束」を忘れないまま、最新のアクション映画に仕上がっていた。
こういうところがアメリカ映画の商売熱心なところかもしれないが、それにしてもここまでやるかというのがミスタースポックが「カ~~ン!」と叫ぶシーンで(なんで叫ぶかは見てのお楽しみ)、30年前に本作のベースになった作品を見事に再現していて笑ってしまったのであった。

悲惨なシーンも「お約束」として結末が見えるようなストーリーなのだが、それはそれで随分と楽しい「お約束」。

正直スーパーマンのような変化を遂げていない代わりに「水戸黄門」みたいな大いなるマンネリに突入している恐るべし映画なのであった。

いずれにせよスタートレックシリーズは十分楽しめるお気軽アクション映画に進化していたのであった。


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秋祭りのシーズンだ。
大阪の秋祭りというと岸和田市のだんじり祭が全国的に有名だが、今、市長選挙で全国の注目を浴びている私の実家のある堺市は布団太鼓が秋祭りの主役である。
布団太鼓といっても布団に載っている太鼓ではなく、この地の大型のお神輿なのだが、私は子供の頃からその布団太鼓お神輿を見慣れていて、有名な方のだんじりは馴染みが薄いためか、いささか違和感があった。

堺市も郊外へ行くと布団太鼓ではなく岸和田と同じだんじりが主流になるのだが、子供の頃にそのだんじりを見て恐怖感を抱いたことがある。
だんじり地区の皆さん、他意はありませんので、誤解しないでくださいね。
お神輿様のものに車輪が付いていて、大勢の人がすれを引っ張っているのを奇異なものに感じてしまったのだ。

ところが、お神輿はお神輿で、物心が着いたばかりのころ、両親に連れられて出かけた百舌鳥八幡宮のお祭りで太鼓の音にビビってしまい、早々に退散したことをわずかながらも今も記憶に残っているのだ、

もともと団地生まれの団地育ちのため祭礼に類するものには縁がない。
私の住んでいた公団住宅内では、伝統的な祭のコミュニティもなければ、地蔵盆のようなシンプルな子供向けイベントも無く、従って祭はすべてアウェーな環境で接していたのだ。
このため、太鼓や鐘の音ひとつとっても慣れていないので、ビビってしまうという、まあ、どうにもならない子供時代を過ごしていたというわけだ。

月日は40年以上が経過して、だんじりも布団太鼓も両方共冷静に見る立場になってみると、双方の面白さをやっと感じることの出来る年齢になったものだとつくづく思う。

だんじりはスピード感があり、勇壮でダイナミック。
お囃子はアップテンポで、「わ~~~!」という感じがある。
これに対して布団太鼓神輿は重厚で原色系できらびやか。
お囃子もドン、ドン、ドン、と「ウントショッ!」という感じである。

この対照的な二種類の祭を堪能できるのが大阪の秋祭り。
道路の通行止めが、唯一の迷惑な既設でもある。

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時の流れというのは恐ろしいもので、スーパーマンの新作"マン・オブ・スチール”は色んな意味で驚きの大行進なのであった。

まず、生みの父親がラッセル・クロウで育ての親がケビン・コスナー。
これだけでも驚きであった。
クリストファー・リーブのスーパーマンで生みの親をマーロン・ブランドが演じていたが、こちらは驚きの二連発だ。

ラッセル・クロウなんかはグラディエイターの扮装そのままだし、ケビン・コスナーなんかはちょこちょことしか出てこないのに、スーパーマンの育った実家が牧場のためか、フィールド・オブ・ドリームズと言う感じで十分以上の存在感が漂っていた。
で、育ての父親がケビン・コスナーならば育ての母はダイアン・レインで、こちらも存在感たっぷり。

ダイアン・レインといえば私の感覚ではまだ「リトルロマンス」に登場した可愛い女の子イメージが生きているのだが、今回の作品ではまるでお婆さん。
リトル・ロマンスでローレンス・オリビエと共演したあの頃の面影は、まったくなく、どっちらかというとあの時のローレンス・オリビエん立場んなっているのではいかという姿に変わっていたのだった。
しかもいい青年のお母さん役というところで、私はコッポラの「ジャック」を思い出さずにはいられなかったのだ。

さらに驚きはそれだけにとどまらない。

スーパーマンの恋人とも言えるロイス・レーン役はエイミー・アダムズであった。
エイミー・アダムズといえばディズニー製作のお馬鹿ミュージカル「魔法をかけられて」のヒロイン役で歌と踊りを披露し、なかなかんコメディアンヌだと思っていたら、クリント・イーストウッドの「人生の特等席」ではシリアスなイーストウッドの娘役を演じていて、なんじゃこりゃと思った女優さんだ。

贔屓目に見ても美人ではないと思うのだが、スーパーマンではその恋人のロイス・レーンということで、これも古いがマーゴット・ギターのレーンに慣れている私としては違和感たっぷりなのであった。

もっと違和感、そして驚きがたっぷりだったのは、もちろんストーリーだ。
その暗いこと、暗いこと。
陽気なはずのスーパーマンがダークになると、それはまさしくバットマン的陰気さなのであった。

色んな意味で奇をてらったスーパーマンなのであったが、私としては往年のTVシリーズのジョージ・リーブス演じる少々メタボなスーパーマンが懐かしくなる作品なのであった。

ま、面白かったですけど。

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政治評論家の屋山太郎がそのエッセイに、

「私は学生時代、自信満々で勉強なんか軽いもんだと思っていました。だから京大受験なんてわけはないと。でも落っこちました。だから東北大学の出身なんです」

という意味合いのことを書いていて、

「今になって思うのは、そのまま京大を受かっていたら、今の自分はない。きっともの凄く嫌なやつになっていたんだろうねって。」

なるほど、人っていうのは挫折があるからしっかりとした意見を持って素晴らしい人生を築けるんだ。それが無いやつはダメなんだ。
これを読んだ時、私はつくづく感じたのであった。

私も大学受験では第一志望に落っこちて、第二志望の大学に入学。
就職はもっと悲惨で最後まで決まらずに、腹をくくってアルバイター、いまでいうフリーターからスタートした。
そういうハチャメチャな体験がなければ私のような生意気なやつはきっと嫌なヤツで終わっていたかもしれない。
でも、色んなことを経験したおかげで今は企画の仕事にアイデアは尽きないわけで、運命の過酷さに感謝している次第なのだ。
尤も、もっと簡単にここにたどり着けなかったのか、というのも運命にいささか不満なのも正直なところだ。

そこで、こういうケースの最も有名で歴史にも残ってしまいそうなのがスティーブ・ジョブス追放事件。

1985年。
当時、時代の寵児であった若き実業家スティーブ・ジョブスが本人の雇った社長ジョン・スカリーに解任を申し渡されきぐるみ剥がされて追放された事件だ。
先週末の日経にこの事件の主役であるジョン・スカリーの今の心境が掲載されていた。
それを読んで私はこの人の決断があったからこそ後のジョブス伝説があって、アップルのサクセスストーリーが成立するのだと思った。
それもネガティブな意味はなく、ポジティブな意見として。

ジョブズが亡くなってもうすぐ2年が経過するが、今、ジョン・スカリーはジョブス解任のことを次のように語っていた。

「そのころの私には、ビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏のような、一つの産業を作り上げる人物がどれだけ特異なリーダーシップをもっているのかを、真の意味で評価するだけの経験の幅が欠けていた。」

自分には彼ら若きイノベーターたちのことを理解できるだけの千里眼がなかったことを正直に認めていたのだった。
当時のアップルの経営状態がどのようであったかは多くの書物に書かれており、広く知られているところだ。
だから当時のジョン・スカリーのとった判断を非難できる人はいないだろうし、実際当時のパソコン雑誌などでもジョブス解任は1つの経済事件にすぎず、当たり前のように報道されていた。
しかし、それがIT業界のその後の10年にどれだけの悪影響を与え、さらにその後の15年間に様々なビジネス上の奇跡を起こすことは誰にも予測できなかったことなのだ。

今、この時にスカリーが当時の判断に対して77歳というまだ若い年齢で正直に告白する姿には感銘さえ受けるのであった。

一方、もしジョブスが1985年のあの時にアップルを追放されなければ、先の屋山太郎の事例ではないが、もしかするとiPadもiPhoneも、もしかするとiMacさえ誕生しなかったかもしれない。
肝心のアップルさえ存在し得なかったのかもしれないと思えるのだ。

ジョン・スカリーが当時の企業人の常識としてジョブスを解雇したおかげで、彼が大きな挫折を味わい、瀕死のアップルに復帰するまでの10年間にある意味修行僧の如く数多くの出来事やビジネスを経験した。
その結果、IT世界の流れだけではなく、人々のライフスタイルまでを変えてしまう数多くの斬新な製品や芸術作品を生み出すことになった。

ジョン・スカリーが1985年の事件を正直に語る姿勢は今だから言えることに違いない。
かといって卑怯とかそういうものではなく、内容が正直だけにスカリーの人柄が窺える貴重なインタビュー記事なのであった。
彼はリンゴを摘んで、大きくした一人なのかもわからない。

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先日、久しぶりに梅田のショットバーにでかけた。
最近は家の近所の居酒屋か出張先の東京の飲み屋が多かったので大阪キタは久しぶりだった。
何を飲もうか考えて、結局いつものワイルドターキーをロックで注文。
かんぱーい!と一口飲んでビビビと来た。
何がビビビと来たのかというと、右奥歯にジーンとした痛みが走り、しばし愕然としてしまったのであった。

「こ、これは......歯医者に行かなければ.....」

誰でもそうかもしれないが、私は大の歯科医嫌い。
歯科医の先生が嫌いだということではなく、治療するときのあの「痛いかもしれない」という独特の緊張感が恐ろしいのだ。
これは幼稚園の頃に母に連れて行かれた歯科医の先生がメチャ下手くそで神経を抜くのに随分無理をしたらしく、恐ろしく痛かったことに起因する恐怖なのだ。

で、バーボンの液体が歯に滲みたので、「歯医者は怖いから行かない」という子どもほどひどくはなく、さらに悪化するであろう前にかかりつけの歯科医の先生に診てもらうことにした。
そしてレントゲン写真を見た先生は言った。

「お~~~~~~、虫歯になってますよ~~~。これは。結構、デカイ!」

高校生の頃に金属かぶせた奥歯の見えにくいところが虫歯になっていて、かなり大掛かりな治療をしなければならないとのこと。
もちろん、神経は抜くと言うので、

「これはきっと痛い治療に違いない」

と勝手に想像してビビっていると、

「麻酔しますからね、痛くないですよ」

と先生は慰めてくれたのであった。

で、次の治療日。
心配で心臓がドキドキし、血圧を上げながら、歯の治療前に脳溢血で死んでしまうのではないかというぐらいビビりながら診察椅子に腰掛けると、さっそく麻酔がほどこされ治療開始。

「痛くないですよ~」

と言っておきながら、キュイーンというドリルが歯を削り始めると炎症が予想よりも悪かったのか、ところどこで麻酔が効いておらず、ジクッ、ズキン、と痛いではないか。
「いたいれ~す」
と私が主張すると、
「痛いみたいやね」
と先生。
その都度、麻酔を増量して投与され、うがいすると感覚のなくなった唇の隅から水がピューと飛び出すしまつ。
それでも麻酔は部分的にはなかなか効かず、

「おっかしいな~。もう効いてもええはずやけど」

と先生は私の歯と格闘した。
で、結局30分ほど格闘したあと、どうしても炎症が引いていないところは薬で時間をかけて治療しつつ削ることになったのであった。
でも、他の部分は麻酔がちゃんと効いていたので大部分は削り取られ、神経も抜かれたわけだが、「痛い!」とおもった時に想像したのは、

「あ~。多分、カンボジアのクメール・ルージュや中国共産党は多くの知識人を麻酔なしで健康な歯に孔を開けるような拷問をして、多くの知識人を苦しめ殺したんだろうな」

ということだった。
歯の治療から大量殺戮を思い出すほど、私は歯の治療にビビっていたわけなのだ。

新聞や週刊誌の報道によると、ここ数ヶ月、中国で知識人の拘束が相次いでいるのだという。
それはなにも親日家、知日家という区別はなく、例えば親米家の人でも、当局の方針に文句を言ったことのある人は自動的に拘束され、どこかへ連れ去られているらしい。
これって文化大革命や大躍進と非常に酷似しており、中国指導部の統率力が不足しているなによりの証拠ではないかと言われている。
もしかすると拘束されえいる人たちは中国共産党の習近平国家主席の気分次第では思わぬ拷問にかけられ、思ってもいないことを白状させられているのではないかと思われてならない。
それが中国の歴史であり、政治であるからだ。

そこで思い出すのが歯科医での虫歯治療。
麻酔なしで細いドリルを使ってビューンろ掘られると、その苦痛は想像してもしきれない恐ろしさがある。

なお、私の虫歯は順調に治療に向けて掘削中なのである。

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リーマン・ショック以来だろうか、通勤電車の中で読書をする人の中に図書館の本を読んでいる人が少なくないことに気づくようになった。
それもたまにではなく、結構頻繁に見かけるようになったのだ。
なぜ図書館の本かと分かるかというと、書店の紙カバーもなく書籍を裸で持ち、その書籍の背表紙には「○○市立図書館」とかいう図書館の分類シールが貼られているからだ。
書籍の購入には多額の費用がかかるためか、それとも書店においていない本が読みたいからなのか、図書館の書籍を電車の中でよく見かけるようになったのだ。

かくいう私も図書館はよく利用する方だ。
どの程度利用するのかというと、月に2~3回利用するのだ。
その主目的は仕事のことで調べ物をする時と、暇つぶしをしたい時だ。

仕事で図書館を利用するなどというと、どことなく「キザで嫌なやつやな」と思われる人もいるかもしれない。
が、なんといっても私の会社は、経営者一族が偉そうなことを言いながら権力をふるいながらも、実は仕事に利用できる書籍もほとんどなく、新製品開発や関連法規を調査するための資料は自分で集める必要がある。
これが大学のラボにいるときなどは大学の図書館を利用すればいいのだが、会社にいる時は結構難渋することになる。

私の会社は大阪南部の臨海部にあり、そこから近くの図書館には自動車を使って出かけなければならない。
しかも近くの公共図書館が規模的に小さな上、当然蔵書量も少なく、近所のTSUTAYAのほうがバリエーション豊富ではないかと疑ってしまうこともある。
図書館といえば文化力のバロメーターだが大阪南部は文化のバロメーターは「祭り力」だと思っているフシがあり、なかなか難しい。
だから図書館というと、堺市や大阪市の市立中央図書館を利用することになる。
実を言うと国会図書館に次ぐ蔵書数を誇る大阪府立図書館も利用したいのだが、東大阪という私のロケーションからは大変不便な場所にあるので使ったことがない。

この図書館、最近は行政、医療やビジネスなどの情報発信基地としての役割を果たしているが、どれだけの人がそのサービスを利用しているか定かではない。
また図書館本来の機能をどれだけ有効に利用できているのか、これまた定かではない。
図書館といえば無料のTSUTAYAだと勘違いしている人もいるかもしれないのだ。
とりわけ武雄図書館などというのが話題を呼ぶと、そう思う人も出てくるかもしれない。

そんなこんなで図書館について何かいい本はないかと日頃感じていたところ、いい本を見つけた。

「図書館に訊け」(ちくま新書)

著者は同志社大学図書館の司書である井上真琴さん。
本書の内容には図書館そのものの利用方法のみではなく、著者の図書館という存在そのものに対するものすごい情熱が漲っているのだ。
それも図書館があらゆるものに対するポータルサイトになる可能性を秘めているのではないかと思えるほどのパワーを感じるのだ。
そしてそれは、今まさに進んでいる図書館革命の一つに過ぎず、本書を読むことで図書館に対する価値観が大きく変わる人も少なく無いだろうと私なんかは考えるのである。
ちなみに、私も図書館といえば無料で情報をさぐれるところ、程度にしか考えていなかったが、本書を読んでその利用方法いかんで人生をも変えるかもしれない存在であることを知ったのであった。

ああ、ビックリ。


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大学の仕事をしていると当然のことながら多くの学者さんとお付き合いをすることになる。
私の場合は主に有機化学や生化学に関係する先生方とお仕事をさせていただいているのだが、こういういわゆる「科学者」という人たちはある共通した個性がある。

それは話が面白いということだ。

専門分野に生涯をかけて仕事をするということは、簡単なようで難しい。
大学教授になるくらいの人は、この難しいことに挑戦している人たちだ。
しかもその学術の世界において一定以上の評価を得ている人たちだから、話が面白いのは当然だ。
その他多数の科学関連の人達は民間企業に入って研究のまね事をするのか、あるいは中学、高校の無名理科教師になるのか、はたまた御用学者かテレビに出る小銭稼ぎのコメンテーターになるのだろう。

こういう優れた科学者というのは職人世界とちょっとした共通性があるように思える。
時々建築現場で働いている左官職人や溶接工、ダクト職人、配管工といった人たちの匠の技を見て感動することがあるが、科学者のそれもまた同じような「科学の匠」という凄さがある。
一つのことをやりぬくというのは、人生を賭したポリシーがあり、ピントがずれないこだわりもある。
それが優れた研究者や職人の親方になると、見かけは頑固そうで怖そうだということになる、
しかし実際は話すと優しく穏やかな人柄に接することになるのだ。

尤も、大学の先生方もその大学のレベルによって多少異なるのも仕方のないことで、ほんの一年ほど前に話題になった東京大学の似非細胞学者だったか「iPS細胞は私のほうが早かった」という一種の丸キな人も現れて困惑させられることもあるのだ。

NHK出版新書の「知の逆転」は話すと面白い東西きっての著名なベテラン科学者にインタビューした「未来への提言」のまとめなのだ。
6人の科学者が登場するが、DNAのらせん構造を解明してノーベル賞を受賞しているジェームズ・ワトソンやベストセラー「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイヤモンド、「レナードの朝」の著者オリバー・サックスなど。
6人が6人とも実にユニークな人々で、知的でユーモアに溢れ、多少とも皮肉っぽいところが笑わせてくれるのだ。

こういう若くして実績を造り、かつ今もなお世界の発展のために尽くしている人々の言葉というのはユーモアひとつとっても重みがある。
そして誰ひとりとして規格化された個性の人はいないことに気づく。
日本の小中学校では「人々は平等だから」という訳のわからない理論で、個性のある子どもは迷惑者、なんにでも従順なスタンダードな子どもが優等生ということが当たり前になっているが、この考えがいかに間違いであるのか。
世の中を変えるような人物は、このような考え方を持ち、このように生きてきたのだ、ということが実にわかりやすい一冊なのであった。

生涯考える人は、出る杭なのであった。

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2020年のオリンピックが東京に決まって82歳になる父は、
「楽しみだ」
と言い、81歳になる母は、
「前の時はお前を抱いて聖火リレーを見に行ったんやで」
と50年前のことを懐かしそうに、微笑みをたたえて喜んでいた。
正直、私はふたりともオリンピックまで元気でいて欲しいと強く願ったのは言うまでもない。

ところで、東京に敗れたイスタンブールは大変気の毒になってしまった。
私はもともと東京開催はあまり賛成でなく、できれば日本以外のアジアの国が相応しいと思っていた。
だからトルコのイスタンブールが一番良いんじゃないかと考えていた。
トルコは世界三大親日国の一つだし、地理的にはヨーロッパとアジアの境目だし、穏健イスラムの国だし、ピッタリだと思っていたのだ。
でも、結果は落選。
その最大の理由がトルコのお隣シリアの情勢なのだというから気の毒なのだ。

内戦状態のシリアの情勢はある意味時代錯誤的である。
各々の利益を鑑み政府は政府で正義を叫び、反政府は反政府勢力で正義を叫ぶ。
日本での報道はどうしても情報不足になるので、なんでそんなにいがみ合わなければならないのか、その実情を理解しない私などからすると話し合いでなんとかならんのか、と思っても詮ないことだ。
そこへ例によって冷戦時代の東西の代表的国家がそれぞれの勢力を応援し、1960年代よろしく代理戦争をはじめさせようとしている。
嘆かわしい限りだ。

ところで、化学兵器を使った政府軍に対して米国が武力行使に訴えようとしている。
今のところ、これに追従するのはフランスだけで、英国は早々に知らん顔を決め込んだ。
王子誕生の今、そんな阿呆なことをやっている場合じゃないのだろう、と思っていたら週刊誌が面白いことを書いていた。

アメリカ政府の支援する反政府勢力の支持組織の1つにあのアルカイダがいるのだという。
9.11で米国を攻撃し、数千人の死者を生み出し、世界史の流れまでを変えてしまったあのアルカイダが支持者の1つなのだ。

ここで、合点がいったのは英国が早々に武力攻撃から手を引いたのはアルカイダの存在をしっていたからで、アメリカのオバマ大統領がなかなか行動に移さずもじもじしているのもアルカイダの存在を知っているからだ。

民主化の動き。
アラブの春の幻。

アメリカの悩みは反政府組織がアルカイダのお友達だとは思っていなかったからに違いない。


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中国の格安航空会社「春秋航空」が日本法人を立ち上げて成田空港を拠点に日本各地に国内線のLCCを飛ばすのだという。
私にはこのニュースのほうが「NTT-docomoのiPhone発売」よりも印象的だ。

報道によると春秋航空日本は成田空港を拠点として高松、広島、佐賀に究極の低価格を求めた路線を運行するよう国交省に事業申請したのだという。

中国。
格安。
成田空港。

このエアラインを使いたい人、誰かいますか?

成田空港とLCCといえばエアアジア・ジャパンが思い起こされるが、その特徴は予約しにくい、遅れる、欠航する、ボルトがとれる、などなどなど。
良い印象はほとんどない。
最後に出資先のANAからは関係を白紙にされてしまった経緯は記憶に新しい。

エアアジアはマレーシアの会社で成田就航時は非常に騒がれたものだが、その後は泣かず飛ばず。
本当に飛ばなくなってしまいのなので問題だが、その問題の一つが「成田空港はLCCの拠点空港に向かない」という状況がある。
成田空港には国際空港でありながら門限があるという大きな課題を抱えている。
この課題はエアアジア就航時から露呈し、たとえば千歳発成田行の最終便は門限に間に合わないのでキャンセルになり、しかもとりのこされた乗客の面倒は一切見ないというLCCのルールが分かっていながら苦情が大量発生してしまったという、我儘な日本の消費者に受け入れられなかったという事件が重なってしまったのだ。
オマケに予約のWEBページがわかりにくく、不慣れな人には予約困難な様式も祟っているのだという。

私もたまに利用するLCCピーチエビエーションはエアアジアとは対照的に門限のない関西空港を拠点としており、いくら遅れようが関空に戻ってくるという、あのど根性には見上げたものがある。
以前、東京出張から夜関空に帰ってきて到着案内を見た時に、
「ピーチ 札幌千歳発 遅延 到着予定時刻 1:30」
を見た時には感動すら覚えたのであった。
1:30は午後ではない。午前1:30なのだ。
1:30に関空に帰ってきてどうするんだ、という疑問もあろうが、今は関空は終夜運転で断片的に梅田と関空を結ぶバスが走っておりとりあえず梅田あたりのビジネスホテルに転がり込むことは可能なのだ。

ということで、マレーシアのエアアジアでして、失敗したのだから、そこへ世界一正直でお金に綺麗で、倫理観にあふれた中国の会社のこと、それを利用する人はきっとある種のマゾヒストか自殺志願者に違いないと思えるのだ。

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今年のアカデミー作品賞を受賞した映画「アルゴ」は1979年に発生したイランのアメリカ大使館人質事件を題材にしたユニークなスパイ作品であった、と思う。
思う、というのはロードショウ公開のときに私はこの映画を見に行く時間が確保できず、行こう行こうと思っているうちに、ついに見に行くことのできなかった映画だからだ。

1979年というと私は高校生だったので、この事件のことを鮮明に記憶している。
遠いイランという国で発生したテレビ番組でお馴染みのアメリカの災いというのはまったくもって他人ごとであったことも記憶している。
が、後に青木という多少ともマザコン傾向の強い情けない男が大使を務めていたペルーの日本人大使館が武装勢力によって占拠されるという事件が発生してから、
「お~、あのイランアメリカ大使館人質事件は重大な外交事件だったのだ」
と意識することになった。

この時はベトナム戦争が終結して4年ほどしか経過しておらず、映画少年となったばかりの私が見るアメリカ映画といえばSF映画やコメディに混じって、ディア・ハンターや地獄の黙示録といったおどろおどろしい映画が強烈な印象となって残っていて、ベトナムに限らず常に紛争に介入し続ける「けったいな国=アメリカ」の印象が大使館人質事件が発生してもおかしくない雰囲気に思えていたのだった。

ちなみにこの印象は今も変わっていない。

大勢のアメリカ人たちが大使館の中で人質として監禁されていた時に、監禁されなかったアメリカ人はどうなったのか、ということについて、この「アルゴ」知るまでは、まったく考えもしなかったのだ。
考えてみればアタリマエのことで、全てのイラン在住アメリカ人が拘束されたわけではなく、一部には絶対に脱出できた人たちもいたはずで、「アルゴ」はまさにそういう脱出に成功したアメリカ人を描いていたのだった。
それも普通の方法ではなく。CIAのエージェントが当時使用できる最大限の技術と策謀をもってイランから脱出させたのであった。

1979年といえば2年ほど前に公開されたスターウォーズの余韻も漂っていて、まだまだSFブームが続いていた頃なのであった。
クリストファー・リーブ主演のスーパーマンやオリジナルキャストのスタートレック・ザ・モーションピクチャーが公開されたり、活劇の傑作レイダース失われた聖棺が公開されたのが、この事件と前後している頃であった。
この頃のSF映画といえばCGは非常に高価だったので、ほとんどがミニチュアと手描きによるマットペインティング、アニメーションによる特撮が主流だった。
コンピュータは映像を創るよりもむしろ、カメラを制御するモーションコントロールシステムの制御部に使われていた。
それでも映像は技術がものすごく高く、どれもこれもミニチュアや絵とは思えない素晴らし出来であった。
とりわけ特撮ではないものの、SF映画では欠かせないと特殊メイクアップは、その技術レベルが格段に進んでいて、スターウォーズや未知との遭遇、ドクターモローの島などで見られたように素晴らしいものであった。

この特殊メイクは1968年に公開された「猿の惑星」でアカデミー賞を受賞し、この映画以前と以後では特殊メイクのあり方そのものが変わってしまうほど劇的なテクニックだ。
この一連のメイクアップを担当したのがジョン・チェンバーズというメイクアップ・アーティストなのだが、この人が「アルゴ」に多く関与していたのであった。

007やMIPといったスパイ映画では秘密兵器が登場したり、強靭な肉体を持つ超人が出てきたりする過激なアクションが繰り広げられる。
時にラブシーンあり、華麗なパーティのシーンがありという具合に豪華絢爛、超幕の内弁当状態になる。
ところが「アルゴ」は実際の諜報員の活動というのは極めて地味で、目立ってはいけない行動をとるというのが本当であることを示してくれているのであった。

考えてみれば映画のスパイのように「目立つ」存在であればスパイは務めることができるわけがなく、できるだけ目立たない地味な存在であるのが相応しいのは言うまでもない。
ロシアに潜伏しているエドワード・スノーデンはCIAのエージェントであるにもかかわらず、うだつの上がらない冴えない表情をしていたが、本当に冴えない男であったことは事件の顛末を見ればあきらかである。
つまりホンモノのスパイというものはうだつの上がらない目立たない外観でありながら、きりりとした冴えた頭脳が必要な職業なのだ。
そこへ、どんなことも自然に見せてしまう特殊メイク技術はとっても重要で「アルゴ」におけるアメリカ人脱出に使用されたジョン・チェンザーズの特殊メイク技術は映画のみならず実用にも供するすごいものであることが印象に残った。

歴史の表側だけではなく裏側で起こったことをドラマにすると、高品質のエンタメが生まれることがある。
私は「アルゴ」を小説で読んだわけだが、この作品はそういうドキュメンタリーとエンタメの要素をもった非常に楽しめる作品なのであった。



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