tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

<月曜随想>人が人を殺めることは犯罪ですが

2024年06月17日 20時59分58秒 | 随想

地球が誕生して46億年といわれています。その46億年の間に地球は地球なりの自己生成を遂げてきたのでしょう。

やはり特筆すべきは、鉱物ばかりの地球に、どういうわけかバクテリアが生まれ、植物が生まれ、動物まで生まれたのです。

植物や動物は自己再生を繰り返し、生物体は自己保存、繁殖をします。つまり長い長い時間にわたって存在し続けるのです。

さらに生物体は、その長い長い時間の中で突然変異によるのでしょうか進化を遂げてきたのです。そし200万年近く前になって、われわれの先祖である原人が誕生し、数10万年前にはもう我々に近い旧人が生まれています。

旧人としてはネアンデルタール人やデニソワ人が知られていますが、DNA解析では我々のDNAにはネアンデルタアー人やデニソワ人と交雑した形跡が残っているとのことです。

我々新人ホモサピエンスは30万年ほど前にアフリカで誕生し、10万年ほど前にその一部がアフリカを出て世界に広がり、今、80億人が進化の頂点にいるのです。

造化の妙という言葉がありますが、中沢新一氏によれば、新人は流動的思考という特徴を持ち、阪大の北沢茂教授によれば大脳の楔前部の発達により、経験を時系列に整理して記憶し、過去、現在、未来(想像)を常に縦観できる能力を持っているとのことです。

宇宙広しといえども、あまり存在しないこの特殊な進化の成果を大事にしようという本能プラス意識を人間は生まれながらにしてみんな持っているのです。

ところが、その人間(新人・現生人類)が以前から戦争という形で殺し合いをしてしまうのです。

何故そんな事になるのかを考えてみると、自己保存という本能というより、大脳の思考能力から発する欲望の行き過ぎによるような気がするのです。

これが個人間で起きる場合には現在では進歩した裁判制度があり罰則が科せられます。その場合。死刑のある国とない国がありますが。死刑の場合は反社会的ということで社会から(殺人が)認められていつということでしょう。

問題は戦争です。私も国民学校の6年生の夏までは「鬼畜米英、我らの敵」「四海の人を導きて正しき平和打ち立てん」と言って正義と平和のためにと戦争完遂を目指して生きていたのです。

後から解ってみれば、それは軍部の一部の独裁者の無思慮な思い込みに引きずられた恐ろしい経験だったわけで、もう数年早く生まれていれば、戦場で正義の名のもとに見知らぬ人を殺傷していたかもしれません。せっかくの進化した地球の発展の成果の自分を含め損壊して正義と感じる過ちを犯さなかった幸運(生れ年)に感謝しなければなりません。

しかし、今日現在でもロシアやイスラエルでは無思慮なリーダーを信じて良き友人知人であるべき人間を自分を含めて殺傷する戦争の中にいる人が大勢いるのです。

今の国連の枠組みでは国家には主権があり、人類社会全体から見れば明らかに人間を殺傷する犯罪を犯しながら、それを正義と信じ、あるいは自らの人間性を否定して戦場で戦っている人がいます。

この許されない現実を、現生人類は、これ迄の進化発展の成果を以てしても解決できないのです。こうした状態がいつまで続くのでしょうか。嘆くしかないのでしょうか。