経済・経営近視眼化の理由?
最近は、長期的視点で経営や経済を考えることが流行らなくなったと書いてきましたが、その理由について些か考えて見たいと思います。
基本的な原因は矢張り、経済覇権国、基軸通貨国アメリカの行動態様の変化にあるように思われます。
ブレトンウッズ体制時代 のアメリカは、経済・経営の健全化の重要性を基本的に考え、短期的策を弄して自国の有利を優先するような政策は、結果的に第二次世界大戦のような結果をもたらすと考えていたのでしょう。
しかし、ニクソンショック以来、その考え方は次第に変化したようです。
「双子の赤字」という言葉が生まれたように、アメリカは財政赤字と国際収支の赤字に悩むことになりました。稼ぐより余計に使ってしまう「キリギリス体質 」に落ち込んだのです。
確かにアメリカは、体質改善に努力しました。グラム・ラドマン法など、努力は重ねましたが、国民はだんだん我が侭になり、識分知足の生活より、華美贅沢を好むようになりました。
民主主義はポピュリズムに陥り易く、歴代大統領は、次第に国民に経済の健全化を要求するよりは、国民の意向に迎合し、覇権国、基軸通貨国の力を活用し、借金で辻褄を合わせるほうを選ぶようになったようです。
J.F. ケネディーの「国に頼むのではなく、国民が国のために何が出来るかを考えるべき」という就任演説は遠くなったということでしょう。
こうして、最終的には、「アメリカが赤字国なら、世界に必ず黒字国があるはずだから(世界国際収支はゼロサム)そこからアメリカに黒字分を還流させればいい」という考え方に行き着いたのではないでしょうか。
こうして、経済の金融化がすすみ、経済学も、会計システムも金融中心、キャッシュフロー中心になって、「経済・経営の実体の健全化」という長期的視点は流行らなくなり、金融操作による短期的辻褄合わせの時代が来たように感じられます。
アメリカは「デファクト・スタンダード」を作ることに極めて優れています。こうして金融中心の経済学、経営学(金融工学の時代)が主流になると、汗をかいても着実にという長期的視点は嫌われ、金融の中でもリテイルバンキングはダサいものになり、「キャピタルゲイン 」を目指す「ギャンブル金融活動」(キャピタルゲインはGDPを増やしません)が幅を利かせるようになり、レバレッジ、デリバティブ などという言葉が流行り、企業の価値が時価総額で計られたりするようになりました。
こうした、もっとも基本的なところが治らないと、今の国際経済の病気は、決して快方には向かわないのでしょう。
最近は、長期的視点で経営や経済を考えることが流行らなくなったと書いてきましたが、その理由について些か考えて見たいと思います。
基本的な原因は矢張り、経済覇権国、基軸通貨国アメリカの行動態様の変化にあるように思われます。
ブレトンウッズ体制時代 のアメリカは、経済・経営の健全化の重要性を基本的に考え、短期的策を弄して自国の有利を優先するような政策は、結果的に第二次世界大戦のような結果をもたらすと考えていたのでしょう。
しかし、ニクソンショック以来、その考え方は次第に変化したようです。
「双子の赤字」という言葉が生まれたように、アメリカは財政赤字と国際収支の赤字に悩むことになりました。稼ぐより余計に使ってしまう「キリギリス体質 」に落ち込んだのです。
確かにアメリカは、体質改善に努力しました。グラム・ラドマン法など、努力は重ねましたが、国民はだんだん我が侭になり、識分知足の生活より、華美贅沢を好むようになりました。
民主主義はポピュリズムに陥り易く、歴代大統領は、次第に国民に経済の健全化を要求するよりは、国民の意向に迎合し、覇権国、基軸通貨国の力を活用し、借金で辻褄を合わせるほうを選ぶようになったようです。
J.F. ケネディーの「国に頼むのではなく、国民が国のために何が出来るかを考えるべき」という就任演説は遠くなったということでしょう。
こうして、最終的には、「アメリカが赤字国なら、世界に必ず黒字国があるはずだから(世界国際収支はゼロサム)そこからアメリカに黒字分を還流させればいい」という考え方に行き着いたのではないでしょうか。
こうして、経済の金融化がすすみ、経済学も、会計システムも金融中心、キャッシュフロー中心になって、「経済・経営の実体の健全化」という長期的視点は流行らなくなり、金融操作による短期的辻褄合わせの時代が来たように感じられます。
アメリカは「デファクト・スタンダード」を作ることに極めて優れています。こうして金融中心の経済学、経営学(金融工学の時代)が主流になると、汗をかいても着実にという長期的視点は嫌われ、金融の中でもリテイルバンキングはダサいものになり、「キャピタルゲイン 」を目指す「ギャンブル金融活動」(キャピタルゲインはGDPを増やしません)が幅を利かせるようになり、レバレッジ、デリバティブ などという言葉が流行り、企業の価値が時価総額で計られたりするようになりました。
こうした、もっとも基本的なところが治らないと、今の国際経済の病気は、決して快方には向かわないのでしょう。