tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

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非正規労働者とエンプロイヤビリティー

2009年01月17日 16時42分08秒 | 労働
非正規労働者とエンプロイヤビリティー
 丁度10年ほど前になりますが、「エンプロイヤビリティー」という言葉が流行りました。「雇用されうる能力」という意味で、「俗な言葉で言えば“つぶしの効く人間”ということだよ」などと解説されました。

 当時言われた「語源」は、GEの会長だったジャック・ウェルチが、人員削減をするときに、「GEでクビを切られても、よそで働けるような能力を身につける教育をGEとしてやるべきだ」といったとかで、日本でもヨーロッパでもこの言葉が流行りました。こういう考え方は日本に似つかわしいというのでしょうか、 1999年には、日経連が「エンプロイヤビリティーの確立を目指して」という報告書を出しています。

 ところで、今回の派遣労働者が職を失う問題の中で、エンプロイヤビリティーについての論議が全く無いのはなぜでしょうか。エンプロイヤビリティーという言葉がすでに日本の企業や労働組合の中で忘れられてしまったのでしょうか。それとも、派遣労働者の場合は、はじめからエンプロイヤビリティーなど関係ないというのでしょうか。

 当時の論議では、アメリカのように企業が雇用維持に責任を持たず、人員削減が比較的自由な国だからこそ、従業員のエンプロイヤビリティーに気を配るべきだとジャック・ウェルチは考えた、などといわれましたが、ならば日本では、派遣労働者についてこそエンプロイヤビリティーが論議されるべきということになりそうです。

 製造業の派遣労働はやめろという指摘があり、労使双方に共に賛否両論があるといった状況のようですが、これでは法律の決め方で、みんなが納得するように解決できる問題ではなさそうです。そういう場合は、その法律が出来るだけスムーズに機能するように、ジャック・ウェルチではありませんが、雇用主も努力し、働く側も応えるといった人間の知恵と努力で解決すべき問題ではないのでしょうか。

 特に日本では労使関係も、雇用関係も、法律よりも、労使の人間としての知恵と努力で巧くやれてきているというのがこれまでの歴史でしょう。折角大事に育て、大切にしてきた人間中心の日本的なソフトウェアを、そう簡単に忘れてしまっては勿体無いような気がするのですが。


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