個人と国家
英語の作文をする時、もし I and you と書いたら、必ず それは You and I と書かなければいけないのですよと直されるでしょう。自分を先に書いてはいけません、自分は必ず後から書くのが礼儀です、ということのようです。
日本語では、場合によっては僕と○○君、わたしと××さんなどというのが許されるかもしれませんが、やはり原則は「自分は後にもってくるのが礼儀です」ということでしょう。
こうしたことをきちんと教えようとするのは、社会の中では出来るだけ自分以外の人を尊重しましょう、そうしなければ社会生活の基礎である人間関係がうまくいかないでしょう、人間関係がうまくいかないと、みんなが困るだけでなく、結局は、自分も困ることになります、という、人間生活の経験の中から人間が学んだことを、今後失敗が無いように、後世に伝えて行こうという人間の知恵でしょう。
もともと、人間にとっては自分がすべての中心です。他人とか社会とかいうものがまだ解らない赤ん坊を考えてみればそうですし、いくら歳をとっても、よく考えてみれば自分が一番大切だというのが本能の教えるところでしょう。
しかし人間が家族を作り、社会を作って生活をする中で、経験的に、「自分を大切にするためには他人を大切にしなければ決してうまくいかない」ということを学ぶことになるのでしょう。
会社やその他の組織でも、その中の部や課についてもこれは同じでしょう。他社、他組織、相手の部や課から書いて、自分の所は最後です。
ところが「国」の場合はどうでしょうか。どこの国でも自分の国を先に書きます。日米、日中、日英、日独・・・、相手の国にいくと、これはそのまま逆さまになります。
国の場合はそれでいいという理屈はどうつけるのでしょうか。逆に、だから国家間の争いが絶えないという理屈のほうがつきやすいように思えます。
世界中で日本が率先して、相手の国を先に書くようにするのは如何でしょうか。
英語の作文をする時、もし I and you と書いたら、必ず それは You and I と書かなければいけないのですよと直されるでしょう。自分を先に書いてはいけません、自分は必ず後から書くのが礼儀です、ということのようです。
日本語では、場合によっては僕と○○君、わたしと××さんなどというのが許されるかもしれませんが、やはり原則は「自分は後にもってくるのが礼儀です」ということでしょう。
こうしたことをきちんと教えようとするのは、社会の中では出来るだけ自分以外の人を尊重しましょう、そうしなければ社会生活の基礎である人間関係がうまくいかないでしょう、人間関係がうまくいかないと、みんなが困るだけでなく、結局は、自分も困ることになります、という、人間生活の経験の中から人間が学んだことを、今後失敗が無いように、後世に伝えて行こうという人間の知恵でしょう。
もともと、人間にとっては自分がすべての中心です。他人とか社会とかいうものがまだ解らない赤ん坊を考えてみればそうですし、いくら歳をとっても、よく考えてみれば自分が一番大切だというのが本能の教えるところでしょう。
しかし人間が家族を作り、社会を作って生活をする中で、経験的に、「自分を大切にするためには他人を大切にしなければ決してうまくいかない」ということを学ぶことになるのでしょう。
会社やその他の組織でも、その中の部や課についてもこれは同じでしょう。他社、他組織、相手の部や課から書いて、自分の所は最後です。
ところが「国」の場合はどうでしょうか。どこの国でも自分の国を先に書きます。日米、日中、日英、日独・・・、相手の国にいくと、これはそのまま逆さまになります。
国の場合はそれでいいという理屈はどうつけるのでしょうか。逆に、だから国家間の争いが絶えないという理屈のほうがつきやすいように思えます。
世界中で日本が率先して、相手の国を先に書くようにするのは如何でしょうか。