一昨日、植田さんの日銀が、黒田さんが11年前に打ち出した異次元金融緩和との決別を表明し、日本の金融政策は経済成長に即応した正常な政策に戻りました。
この政策転換の契機になったのは、植田さんが繰り返し発言していますように、今春闘での賃上げの結果でした。
今回は多少繰り言の様になりますが、何故黒田さんの時代には出来なくて、漸く今になって可能になったかという問題です。
植田さんも、黒田日銀の異次元金融緩和政策からの脱出という重責を担って日銀総裁に就任しながら、昨年の春闘の際には、行方を注視するだけで、政策変更への行動もなく、巷では「なんだ、これでは今迄と同じじゃないか」などと言う声も聞かれたところですが、今年は全く違って、極めて明確に積極的に異次元金融緩和からの脱出を宣言しました。
問題は、この違いは何処から来たかという事で、植田さんの言葉を借りれば「賃金上昇を伴う物価上昇2%の実現の可能性」ということになります。
そして今年は、春闘の集中回答を受けての連合の賃上げ集計の第一報が5.28%と昨年を大幅に超えるものとなり、更に、地方中小での賃上げの状況が、日銀の支店長会議などからも広く収集された結果もあっての事でしょう。
昨年の場合は、最終集計が3.26%でしたが、毎月勤労統計の平均賃金は1~2%台の上昇で、家計調査の勤労者世帯の実収入は名目で前年比マイナスの月の方が多いといった状況でした。結果的に毎月勤労統計の実質賃金は22カ月連続マイナスという惨状で、これで金融緩和を終了するとはとても言えないといった状況でした。
振り返れば黒田日銀の出発は、円高からの脱出に始まりました、1ドル80円の円レートが120円にまで円安になり、円高不況は終了と思われたのです。黒田さんも、政府と共に掲げた2%インフレターゲットは2年程度で達成と楽観的でした。
これは、企業労使が、円高のために大幅に下げてきた賃金(非正規多用も含め)を円安になったから今度は大幅に上げるだろうと考えていたからでしょう。
もしあの時、企業が非正規の正規化と賃上げの加速をしていれば、賃金水準は上昇し、2%のインフレターゲットは賃金インフレという形ですぐに実現し(多くの国で見られる形)、今植田さんの開始した金融政策の見直しは当然実施せざるをえなくなっていたでしょう。
何故それが出来なかったのかという事ですが、「出来なかった」というより「やらなかった」という事なのかもしれません。
多分最大の理由は、企業労使の頭に、それ以前の20年以上にわたる、「コストカットだけが生き残る道」といった強迫観念が染みついていたことのように思われます。(労使関係にも「慣性の法則」があるようですね)
その後11年の経験を経て、円安になったら賃上げをしたほうが経済合理性にかなっているということに気付いた日本の労使です。
前回最後に「適正賃金の決定」を指摘しましたが、賃金は日本経済の最大のコストであると同時に、国内需要というGDPの最大要素の源泉で、経済の安定した発展のための最重要の研究テーマなのです。にも拘らず、気付くまでにずいぶん時間がかかった事は誠に残念だったと思っています。