tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

オリンピック精神「競いの文化」を大切に

2019年07月30日 13時32分09秒 | 国際関係
オリンピック精神「競いの文化」を大切に
 東京オリンピックまで1年を切りました。主催国日本、主催都市東京だけでなく、オリンピックは世界中を引き付ける力があります。

 アスリートにとっては「オリンピックは格別なもの」といった意識があるようです。世界選手権で勝っても「やっぱり、オリンピックで優勝したい」といった言葉を聞きます。
 もちろんアスリートだけではありません。自らの努力の成果、自国の名誉をかけて、オリンピック記録を目指して頑張る選手の姿に誰もが感動するのでしょう。

 「記録は破られるためにある」という名言もよく聞かれます。世界のスポーツの祭典で、新記録を達成することは、本人はもちろん、選手の出身国も喜ぶだけでなく、世界中が祝福するのです。

 こうした清々しさは、オリンピックが純粋に「競いの文化」に立つものだからではないでしょうか。「競いの文化」は、相手の強さを認め、さらにその上に達しようとするものですから、決して後退はありません。人間の、個人の、チームの力が何時かは記録を破る、その瞬間が多くの人々に純粋な感動を与えるのでしょう。

 古代ギリシャはその知恵でこうしたスポーツの祭典の文化とシステムとを作りました。そして、その精神の素晴らしさのゆえに、近代オリンピックとして復活し、人類の「競いの文化」の代表的な存在になっているのでしょう。

 一方、誠に残念な事ですが、今の国際政治の姿を見ますと、文化のレベルとしては極めて低い「 争いの文化」の様相が、ますます濃厚になっています。
 
 「争いの文化」では、自らの優位性を保つために、自らが精進するのではなく、相手の力を弱くするという手段が往々用いられます。
 自ら精進して、相手を凌駕する力を持つよりも、相手の力を削いで自らが優位を保つことの方が簡単かも知れません。しかし、それでは共に競い合って、より高い能力への到達を目指すという「進歩」の精神は失われます。

 万年赤字で覇権国からずり落ちるのではと焦るアメリカは、トランプさんに至って、その様相を強めてきたように感じられます。
 共により高い発展を目指そうというより、自らも打撃を受けても、相手への打撃がもっと大きければそれでいいというのが米中貿易問題でしょう。

 そういう事は決してやらないだろうと思っていた日本政府が、突如、韓国への輸出3品目のホワイト国指定を見直すといった時、正直「日本もそこまで堕ちるか」と慨嘆の念が止まりませんでした。
 
 オリンピックの誘致に成功し、それが来年に迫っている日本です。外交や、国際経済関係においても「オリンピック精神」、「競いの文化」に則った行動こそが日本には似つかわしいと思うのですが。