自国中心主義の限界
人類社会は、武器の発達を試すかのように2回の世界大戦を起こしてきました。
第二次世界大戦の末期に武器の発達は原子爆弾に達しました。そして解った事は、次の世界大戦が起きたら、勝ち負けは別として人類が営々として築き上げてきた文明社会は壊滅するだろうという認識でした。
そして人類は「核の抑止力」という言葉を作り、小競り合いはしても、世界大戦はしてはいけないと考えるようになったのでしょう。
人類社会は200ほどの国に分かれています。第二次大戦後は、それぞれの国に主権があるというシステムになっていて、国の上位組織として「国連」という機関を作りました。
国を個人に置き替えれば、200戸の家(所帯)の集落で自治会を作っているようなものです。
この200戸の家の持つ土地は広さも様々、肥沃な所も痩せた土地もあります。そして大変なお金持ちの家もあり、ひどく貧しい家もあります。もちろん腕力の強い一家もありますし、静かで優しい家族もあります。仲良しの家やグループもあり、何かというと反目しあう家やグループもあります。自治会はなかなか纏まらないようです。
中でも最も「金も力もある家」がリーダーになって、自治会を纏めていこうとしていたのですが、その家がいくらか左前になって、「もう200戸の面倒は見られない、大事なのは我が家だ」と、突然に言い出したとしたらどうでしょうか。
共同社会を営むためには、それぞれが互いに気を使ったり、我慢したりする必要があります。これまでそれぞれの家が、そうした不自由さを、集落全体の安定を優先して、なるべく表には出さないように、いわばお行儀よくしてきていたのです。
ところが突如リーダーの家に「わが家第一」といわれますと、その影響を受ける家も少なくないでしょう。
お行儀よくするのは結構不自由なものですから、うちもこれから「わが家第一で」と考え、リーダーの家に倣う家が増えるのは自然かもしれません。
今人類社会は、何かそんな雰囲気になっているのではないでしょか。自己都合優先の独裁者が増えてきているように感じるのは、私だけではないでしょう。
現実の人類社会では、国連の力は弱まり、政治的対立を経済制裁という力で解決しようという動きが盛んです。
もちろん、経済的制裁の圧力では限度がありますから、更なる対立の解決は腕力(軍事力)でという所にまで発展する可能性がないとは言えないでしょう。
核の抑止力で通常兵器での争いというのが当面の可能性だろうと思っている人は多いと思います。
それでも第二次大戦後目指してきた人類共生の地球社会の破壊であることは明らかです。
そして「もし」核のボタンに手がかかれば、人類社会の破滅でしょう。
「自国ファースト」を選ぶか、「人類共生を選ぶか」は、破壊を選ぶか、発展を選ぶかと同意義になる可能性が大きいことを、人類は知恵としてすでに持っていると思うのですが・・・。
人類社会は、武器の発達を試すかのように2回の世界大戦を起こしてきました。
第二次世界大戦の末期に武器の発達は原子爆弾に達しました。そして解った事は、次の世界大戦が起きたら、勝ち負けは別として人類が営々として築き上げてきた文明社会は壊滅するだろうという認識でした。
そして人類は「核の抑止力」という言葉を作り、小競り合いはしても、世界大戦はしてはいけないと考えるようになったのでしょう。
人類社会は200ほどの国に分かれています。第二次大戦後は、それぞれの国に主権があるというシステムになっていて、国の上位組織として「国連」という機関を作りました。
国を個人に置き替えれば、200戸の家(所帯)の集落で自治会を作っているようなものです。
この200戸の家の持つ土地は広さも様々、肥沃な所も痩せた土地もあります。そして大変なお金持ちの家もあり、ひどく貧しい家もあります。もちろん腕力の強い一家もありますし、静かで優しい家族もあります。仲良しの家やグループもあり、何かというと反目しあう家やグループもあります。自治会はなかなか纏まらないようです。
中でも最も「金も力もある家」がリーダーになって、自治会を纏めていこうとしていたのですが、その家がいくらか左前になって、「もう200戸の面倒は見られない、大事なのは我が家だ」と、突然に言い出したとしたらどうでしょうか。
共同社会を営むためには、それぞれが互いに気を使ったり、我慢したりする必要があります。これまでそれぞれの家が、そうした不自由さを、集落全体の安定を優先して、なるべく表には出さないように、いわばお行儀よくしてきていたのです。
ところが突如リーダーの家に「わが家第一」といわれますと、その影響を受ける家も少なくないでしょう。
お行儀よくするのは結構不自由なものですから、うちもこれから「わが家第一で」と考え、リーダーの家に倣う家が増えるのは自然かもしれません。
今人類社会は、何かそんな雰囲気になっているのではないでしょか。自己都合優先の独裁者が増えてきているように感じるのは、私だけではないでしょう。
現実の人類社会では、国連の力は弱まり、政治的対立を経済制裁という力で解決しようという動きが盛んです。
もちろん、経済的制裁の圧力では限度がありますから、更なる対立の解決は腕力(軍事力)でという所にまで発展する可能性がないとは言えないでしょう。
核の抑止力で通常兵器での争いというのが当面の可能性だろうと思っている人は多いと思います。
それでも第二次大戦後目指してきた人類共生の地球社会の破壊であることは明らかです。
そして「もし」核のボタンに手がかかれば、人類社会の破滅でしょう。
「自国ファースト」を選ぶか、「人類共生を選ぶか」は、破壊を選ぶか、発展を選ぶかと同意義になる可能性が大きいことを、人類は知恵としてすでに持っていると思うのですが・・・。