tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

自国中心主義の限界

2019年07月12日 22時20分50秒 | 国際関係
自国中心主義の限界
 人類社会は、武器の発達を試すかのように2回の世界大戦を起こしてきました。
第二次世界大戦の末期に武器の発達は原子爆弾に達しました。そして解った事は、次の世界大戦が起きたら、勝ち負けは別として人類が営々として築き上げてきた文明社会は壊滅するだろうという認識でした。

 そして人類は「核の抑止力」という言葉を作り、小競り合いはしても、世界大戦はしてはいけないと考えるようになったのでしょう。

 人類社会は200ほどの国に分かれています。第二次大戦後は、それぞれの国に主権があるというシステムになっていて、国の上位組織として「国連」という機関を作りました。
 国を個人に置き替えれば、200戸の家(所帯)の集落で自治会を作っているようなものです。

 この200戸の家の持つ土地は広さも様々、肥沃な所も痩せた土地もあります。そして大変なお金持ちの家もあり、ひどく貧しい家もあります。もちろん腕力の強い一家もありますし、静かで優しい家族もあります。仲良しの家やグループもあり、何かというと反目しあう家やグループもあります。自治会はなかなか纏まらないようです。

中でも最も「金も力もある家」がリーダーになって、自治会を纏めていこうとしていたのですが、その家がいくらか左前になって、「もう200戸の面倒は見られない、大事なのは我が家だ」と、突然に言い出したとしたらどうでしょうか。

 共同社会を営むためには、それぞれが互いに気を使ったり、我慢したりする必要があります。これまでそれぞれの家が、そうした不自由さを、集落全体の安定を優先して、なるべく表には出さないように、いわばお行儀よくしてきていたのです。

 ところが突如リーダーの家に「わが家第一」といわれますと、その影響を受ける家も少なくないでしょう。
 お行儀よくするのは結構不自由なものですから、うちもこれから「わが家第一で」と考え、リーダーの家に倣う家が増えるのは自然かもしれません。

 今人類社会は、何かそんな雰囲気になっているのではないでしょか。自己都合優先の独裁者が増えてきているように感じるのは、私だけではないでしょう。

 現実の人類社会では、国連の力は弱まり、政治的対立を経済制裁という力で解決しようという動きが盛んです。

 もちろん、経済的制裁の圧力では限度がありますから、更なる対立の解決は腕力(軍事力)でという所にまで発展する可能性がないとは言えないでしょう。
 核の抑止力で通常兵器での争いというのが当面の可能性だろうと思っている人は多いと思います。
 それでも第二次大戦後目指してきた人類共生の地球社会の破壊であることは明らかです。

 そして「もし」核のボタンに手がかかれば、人類社会の破滅でしょう。
 「自国ファースト」を選ぶか、「人類共生を選ぶか」は、破壊を選ぶか、発展を選ぶかと同意義になる可能性が大きいことを、人類は知恵としてすでに持っていると思うのですが・・・。

恒産なくして恒心なし:補遺

2019年07月12日 00時03分34秒 | 経済
恒産なくして恒心なし:補遺
 かつて「 確定利付きへの郷愁」を書きました。
 端的に言ってしまえば、これは「蓄積時代において、リスクをだれが負担するか」という問題です。
  
 資本主義の歴史をたどれば、利子が認められることで、金融が発達し、金が足りなくても借金で起業が可能になり、生産や流通が活発になって社会が豊かになったのでしょう。

 金融は政府がやるにしても企業がやるにしても、信用が大切です。金利が付くからこそカネが余ったところから必要の所に流れるのですが、それが成り立つのは仲介者(政府や金融機関)が信用されてこそです。

 つまり資本主義は血流としての金融が支え、安心して金の貸し借りができるという状態が基盤になっていたのです。

 それは、金融の仲介者である政府や金融機関がリスクを背負うだけの知識や能力また誠意を持っていて、確定した利子率を掲げ、誰が蓄積資産を預けても安心できるからでした。
 これが、本来の国債や貯金の世界だったのです。

 今、日本は、政府の金融機関もリスクを背負う能力がなくなり、確定利付きの利率はほぼゼロ、元本も一定以上は保証なし、それでいやなら、蓄積資産はリスクマネーと覚悟してくださいということになってしまっています。

 Ideco(確定拠出年金)はその典型で、「掛け金額は決まっています。給付金額はわかりません。」というものでしょう。
 多くの方は、いくら確定拠出年金の勉強をしても、税金の優遇制度はわかりますが、どれだけお金がたまるかはさっぱり書いてありませんという所で終わりです。

 そんなものを老後の安心のための年金の制度として、政府が大々的に打ち出していいのでしょうかなどと考えてしまいます。