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人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

平和国家日本の原点の記録を見て(2017/1/4朝日新聞朝刊)

2017年01月04日 11時55分22秒 | 政治
平和国家日本の原点の記録を見て(2017/1/4朝日新聞朝刊)
 今日は1月4日、仕事始めです。御屠蘇気分をキリリと引き締めて「さて仕事」です。
 仕事始めに関係のなくなった今も、何か三が日とは違った気分になります。

 ところで、これは丁度昨日の続きにもなりますが、今朝の朝日新聞に、「平和国家日本の原点」というべき、戦後史の記録についての記事がありました。
 1945年9月4日、終戦直後の「帝国議会開院式」での昭和天皇の勅語の文案推敲の経緯についてです。

 まさに8月15日の玉音放送「終戦の詔勅」に続くものですが、その第一案から、第四案までの修正の経緯の詳細が書かれています。

 国立公文書館資料によるものですが、敗戦直後の混乱の中での、これからの日本の在り方についての記述の部分です。第一案は「光輝ある国体の護持と国威の発揚に邁進」と書かれ、何か戦中色を残したものです。「終戦の詔勅」作成にも関わった川田瑞穂内閣嘱託が書いたとみられ、戦中派には解る感じがします。

 しかしこの文言は第二案では赤線で抹消され、抹消は緒方書記官長(緒方竹虎、後の自由党総裁)とのこと、第三案では「平和的新日本を建設して人類の文化に貢献」と書かれ、これは東久邇宮稔彦首相がご自身で書き込まれたらしい由。そして第四案ではこれが「平和国家確立」に直され、川田嘱託訂正と記されているとのことです。

 朝日新聞は、関連して当時の先哲また現代の学識経験者の意見の記録や発言を記していますが、終戦直後、未だに戦争遂行の動きも残り、極貧で世情騒然たる中で、国の中枢にある人々が、極めて短期間に、一致して「平和国家」という4文字に、これからの日本の存在意義を認めたことはやはり日本人の本質を示しているように思われます。

 世界の歴史を見れば、敗戦といった事態に対し、いかなる意識を持つかには、大きく二つの方向があるでしょう。1つは、雌伏して何時かはリベンジ(報復して打ち勝つ)という方向です。日本でも人口に膾炙している諺に「臥薪嘗胆」があります。

 もう1つは、争うことは止めようという選択です。
 そして日本の中枢にある人々は一致して平和への新たな出発を選んでいます。そしてほとんどの日本人はそれを明確に歓迎しました。
 おそらくその背後には、基本的に、「太平洋戦争は戦うべきではなかった」という意識が(おそらく戦争中から)日本人の心の奥底にあったからではないでしょうか。

 そうした意識のよって来たるところ、リベンジを選ばず、平和を選んだ日本人の心の奥底にあったのは、前回も指摘しましたように、縄文1万余年の、日本人の海馬に埋め込まれた「争わないことが最善」という日本文化形成の時期を通じて蓄積された深層意識だったのではないでしょうか。

 終戦直後、ごく短期間に、日本の中枢でこうした選択がされたことに、私は当時の日本の置かれた状況の中での感情や得失を超えた、日本人の在り方の本質を見る思いがしました。