tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国債残高:資産か負債か 3

2012年01月14日 11時15分20秒 | 経済
国債残高:資産か負債か 3
 今の日本の財政問題も、こうやって、家庭に置き換えて考えれば、家族がお互い責任感を持ち、信頼し合って助け合って行動しているような場合には、よく話し合えば、何とでもなりそうな感じです。

 おそらく政府も国民の良識を期待しているのでしょう。すでに日本国民の多くは、消費増税は「致し方ない」と理解しているのでしょう。物分りがいいですね。

 しかし例えば、この家でも、お母さんだけが、「財布を握っているから」と勝手に振舞ったり、長男はお金を家計に貸しますが、次男は絶対貸さないとか、下の妹はアルバイトで貯めたお金を全部お母さんに貸したとかいろいろなケースがあるとすれば、きちんとしないと損得関係で、「家庭崩壊」につながるのかもしれません。家族の信頼関係次第です。

 年月が経って、このお母さんの書いた借用証が、孫の手にわたる時代、それは孫の借金なのか資産なのかと言えば、途中でチャラにしなければ資産です。返すお金が積み立ててなければ、孫たちは「返してもらうためには」孫がみんなで負担して、借用証を持っている孫が受け取るわけです。

 日本の場合は、ほとんどが国内での貸借で、消費税でみんなが国の借金返済を負担しますから、国債を持っている人にはやはり資産です。国債を持っていない人にとっては、親が国債を買うという負担をしなかった分、増税で負担、ということなのでしょう。

 つまり、国民の中で、「国債を買うことで前もって負担した人と子孫」と「国債を買わなくて後から消費税で負担する人と子孫」で、負担と受益の時期がずれますが、結局は「食べた昼食代は、いつか払う」わけで、違いが生じるのは、その間の利息分、ということになります。
 これは、昔の無尽講で、早く受け取れば受取額は利息分だけ少なく、遅く受け取る人は、利息分だけ余計受け取る、と言いうのと、期間や形は違いますが、理屈は同じものです。

 こうしてみると、元利が支払われる限り、国債は確かに資産です。
 しかも国が国債をまとめて全部償還する必要は通常ありません。資産として代々保有する国民には現金にしてあげることはないのです。大部分は借り換えて、年々の発行額、償還額の増減で、単年度主義の財政のバッファーにするという昔の教科書通りの結論になるのではないでしょうか。

 もちろんこれは国債を「国内消化」しているからです。国民が「政府は払ってくれる」と信用していれば、問題ありません。
 幸い政府はまだ信用があり、個人向け復興国債も良く売れているようです。政府経済見通しでも、日本経済には平成24年度、まだ12兆円以上の引き受け余力 があります。