Altered Notes

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「世界で最も美しい顔ランキング」が完全に無意味な理由

2019-06-19 08:00:00 | 社会・政治
美人をランク付けして発表する記事やイベント等がしばしば話題になる。
今年も下記リンク先のようなランキングが発表されている。

世界で最も美しい顔ランキング

しかしこうしたランキングを見て多くの人が毎年毎回しっくりこない感を抱いていることと思う。

なぜか。

それは「美しい顔」というのがそもそも曖昧で基準も不明確であること。

それ以前に人の顔を見て「美しい」と感じるかどうかはその人の主観次第であること。

基準が曖昧模糊としていたらそこにランキングというものは成立しない。

選者の主観次第であるということは単に選者の「好み」「好き嫌い」でしかない、ということ。「好き嫌い」というのは深層心理学的には「感情機能」である。ランキングは論理的基準で成立するものであるが、それを「感情で決めよう」というのがそもそもおかしいのである。

「美」に対する価値基準の傾向は民族や国ごとにかなり異なる。文化も民族性も異なる遠方の人々と価値基準が全く同じということはほぼあり得ないのだ。また、一つの民族・国の中でも人によって価値基準には振り幅がある。
(*1)

従って世界をひとまとめにして一つの価値基準で美人を選んだとしても、それは単に選者の民族的・国家的かつ個人的な趣味趣向の反映に過ぎず、普遍的妥当性は全く無い。

多くの人が「世界美人ランキング」を見て釈然としない印象を持ってしまうのはこうした理由に依る。

これが世界各国の人による投票制だったとしても無意味であることに変わりはない。投票ならばある種の客観性がそこに入るように思われるかもしれないが、しかし前提として「美」の基準は個人の主観であり、民族や国によって大きな傾向の差が存在することに変わりはないのである。Aという民族の美の価値観で「美しい」と感じてもBの民族ではそうはならない、という「差」は普通に当たり前に存在する。価値基準が異なる者同士で「こちらの方が上」と言ったところで何の意味もないのだ。

また、そのランキングに対してある民族や国が意図的に組織投票等の恣意的な操作をすれば結果はどうにでもなってしまうだろう。

どうしてもランキングにしたいと言うのなら、一つの民族や国の中(美の価値基準が概ね同傾向)だけで実施されるならば少しはマシかも知れない。それでも筆者はナンセンスだと思うが。




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(*1)
例えば、日本に於いてはそれほど器量良しと評価されていない女性がアフリカのある地域では美人として評価される、という事実も普通にある。