Altered Notes

Something New.

テレビはどこまでも無責任

2013-05-13 16:33:42 | 放送
テレビ放送が開始されて60年ということで、NHKではこれまでのテレビの歴史と今後の展望について特集した番組を放送している。

例えば放送記念日特集「テレビ~60年目の問いかけ」という番組ではテレビのこれからを語る…ということなのだが、紹介される現象・事象、そしてテレビはどうあるべきか、という議論の内容も、その全てがテレビ放送のシステムとその周囲の状況や周辺のシステムにまつわる話ばかりである。

社会の趨勢としてテレビ離れが取り沙汰されているが、テレビ屋はその原因はネット等のテレビを取り巻く環境の変化のせいにしようとしている。だが、テレビ離れの原因は言うまでもなくテレビ自身にある。

いつの時代もどのような場合も真実はシンプルである。テレビ屋が「真に良い番組」を作らない(作れない)から視聴者は離れていく・・・ただそれだけのことなのである。

全録機(すべての番組を録画するレコーダー)が視聴者を呼び戻す可能性について語ったところで、肝心の番組(コンテンツ)が低次元・低レベル・幼稚・無神経な作りのままでは視聴者は戻ってこないし、世論操作を意図したような番組ならなおさらである。

テレビ局は番組作りの発想時点で
「視聴者は馬鹿だ」
という前提で番組を作り運営している。視聴者を見下した態度が番組作りの基本姿勢なのである。それで真に良質な番組など生まれようもないし、心ある視聴者はこの段階でテレビを捨てて他のメディアに移行している。

前述のテレビを考える番組でも司会の小野文恵アナが
「ここで話された内容の全部が視聴者に理解できるものではないと思うが…」
という趣旨の発言をしているが、これこそが視聴者を見下した姿勢そのものだと言えよう。理解できてないのは視聴者ではない。むしろ小野アナ自身でありNHK自身である。テレビ屋自身が現状を全然理解できてないのである。視聴者は判っている。判っている上に、テレビの今後に可能性を見いだせなくなったから、だからテレビを捨てたのである。そこが見えてないテレビ屋だけが取り残されて右往左往している。哀れである。(蔑笑)

悪意のある連中ほど責任を他へ転嫁する傾向がある。テレビ屋も同様である。凶悪で怠惰なテレビ屋は人々の関心がテレビから離れていった原因がほかならぬ自分たちにあることを認めないし気がつきもしない。
彼らはその原因を当然のように外部に求め、外部・周辺環境さえ変えれば状況が変わると思い込んでいる。「自分たちが変わりたくない」ものだから「自分たちの周囲を動かして事態の打開を謀る」事しか発想できない。
自分たちは決して動こうとせず、周りだけを動かして昔の栄光を取り戻したい、という正に怠慢を絵に描いたような腐った連中なのである。これでは何も変わらない。間違いない。

テレビが信頼を取り戻す道はただ一つ。真に良質な番組を真摯な姿勢で作ること。それだけだ。

ただ、今のテレビ屋には絶対に無理であろう。