Altered Notes

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若者の反モラル行為の本質

2013-09-03 22:23:30 | 社会・政治
若いアルバイト店員が自分自身の反モラル行為を撮影しSNS等に掲載することで炎上し大きな問題となるケースが多発している。

こうした事象や傾向に対してその原因や対策が各方面であれこれ語られているのだが、どれも本質に迫る議論は少ないように思える。
実はこの問題、根っこの部分の真実はとても単純である。

なぜこうした問題が起きるのか。
原因を総合的に言うなら、彼らが
「子供だから」
であり、
「肉体は成長しているが精神的には子供の世界を生きているから」
である。

さらに言えば、元々は
「親が躾しなかったから」
である。



問題のルーツは不祥事を引き起こす子供以前に、きちんとした躾をしてこなかった親にある。
幼い我が子供を躾せずに放任主義で育てた無自覚・無責任な親連中は既に20~30年以上前から出現している。彼らは喫驚するほどモラル意識や社会意識が低く総じて自分のことしか考えてない。従って自分の子供を躾けることもない。

ある親の1人は「子供は社会の中で自然と常識を身につけていくのだから親が躾けなくても大丈夫」と言った。実に阿呆な話で、人としての最低限の常識・礼儀をきちんと意識的に躾けなければ社会の基礎的なルールも知らないままに身体だけ大きくなって中身は是非なき子供のままになってしまうのは自明の理である。親がやらない躾を誰がしてくれるというのか。実に馬鹿な話である。

結局親が躾をしなかったことで、その子供は何をしていいか、何をしてはいけないかの判断基準(価値基準)を知らずに育つ。それは同時に、やっていいことと悪いことの区別を「想像する」能力も開発されないまま大きくなる、ということである。頭が良い人というのは「想像力」をちゃんと持っている人であり、モラルに反する行為を平気でやれるということは「想像力が欠如している」ということである。自分がこの行為をしたその結果としてどのような事態を招くことになるのか…常識があれば考えるまでもない事であるその壁を想像力皆無の子どもたちは平気で超えてしまう。そしてその行為がもたらす結果としての退学や解雇や賠償請求(加えて親が失職するという悲惨なケースもある)に直面して初めて自分がやらかした事が何であったかを知るのである。愚かなことである。(*1)

巷間言われているようなSNSやネットの使い方がどうだこうだという問題ではない。
そもそも人としての矜持…いや、矜持以前の基本的な在り方が問われているのである。





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(*1)
過ちを犯した若者たちは一様に「こんなに大騒ぎになるとは思わなかった」と述べている。彼らの考えでは大したことではないと思っていたことが、店の閉店にまで進展してしまう事態の推移に驚いているのだ。それは彼らが子供の世界に生きている事の証拠であり、正に想像力が欠落しているが故の台詞であり態度である。
想像力・・・この場合、シミュレーション能力とも言えるが、社会で生きていくための最低限の規範すら躾けられていない事の結果がこれなのである。

また、必要な躾けを受けなかった子供たちは場合によっては殺人を犯すこともあり得る。それは親が人として本当に最低限の価値観、つまり「人を殺すことは絶対悪である」「命の尊さは何をおいても守られなくてはならない」を躾けなかった結果の悪夢である。
また、こうした無知無学にしてモラルを知らない子どもたちはたいがい最も基本のところで「自由」を履き違えている。自分が好き勝手に楽しく振る舞うことが原因で他人が傷ついたり被害をうけるような場合、それを自由とは呼ばない。この程度の認識すら欠落しているのが彼らの特徴である。思考レベルはほとんどゴキブリ程度と言える。(蔑笑)

また、このような躾けられずに育った子供がやがて結婚して子供を持つと例えば「幼児虐待」などをしでかす場合もある。こうしたケースも現代ではそこかしこで見かける。虐待をする親たちは往々にして想像力が欠如しており自分のことしか考えられない愚か者である。
こうして躾けられなかった子供が連鎖して世代継承していくと、やがて社会全体の崩壊まで進みかねない。冗談ではない。このような綻びから、ある時、日本社会全体がなし崩し的に崩壊する可能性だって否定はできないのである。







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