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Altered Notes

Something New.

同質化を強要する日本人

2018-07-13 19:58:32 | 社会・政治

日本人は横並びを重視する民族である。
人と同じ、皆同じであることで安心を得る。逆に人と違うこと、他人と異なることを極度に嫌う。自分もそうだし他人がそうであることも嫌う。

こうした無意識の中の心理的な傾向は会社組織や学校の中でのいじめの原初的な動機にもつながる。
平易に言えば「あいつは俺たちと違う」「あいつは俺たちに馴染まない」という理由、つまり自分たち(多数派)と同質ではない(異質であること)という理由で否定されてしまい、それは即いじめの攻撃対象とされてしまう。(*1)

人間性・個性の幅を認めないのである。個性の幅とはマージンとも言える。日本に於ける社会人としてのあり方において一つの型しか認めず、そこからずれた個性は一切認めない。許容できるマージンが一切無いのである。きっちりとした型枠、多数派のタイプに見られる性格・個性の型枠にかっちりと嵌まる人しかこの社会では生きていけない、そんな多数派による極めて不寛容な世界となっているのが日本人の社会である。(*4)(*7)

日本人社会を構成する多数派のタイプ(心理的タイプ)の人にとっては快適な社会であろうが、そうではないタイプの人々にとってはこれはなかなか厳しい社会である。常に多数派の志向に合わせる必要があり、多数派の観念と異なる言動や行動は慎まないと爪弾き、村八分にされてしまうのだ。これは息苦しく辛い人生である。しかし多数派のタイプが個性の振り幅・マージンを認めていないのだから仕方がない。

それでもどうしても多数派に合わせられない人は出てくる。そういった人々はどうなるのか。病気扱いされて排除されてしまうのだ。
例えばアスペルガー症候群などという「病気」のレッテルを貼って排除してしまうのである。アスペルガー症候群には明確な治療法は存在しない。当たり前だ。本来病理学的な意味の病気ではなく、限りなく個性の幅に関わる問題だからだ。(*2)(*3)(*5)

本来は異常ではないものに「異常」のレッテルを貼って排除・隔離するのが多数派のやり方である。多数派にとって理解できない人々の存在は不安材料であり、その不安を払拭するための手段がレッテル貼りなのだ。レッテルさえ貼ってしまったらそれ以上そのことについて考える必要がなくなり心穏やかに過ごせるからである。(*6)
一方で排除される方はたまったものではない。普通に生きているだけなのに、たまたま少数派だったというだけで「変な奴」「仲間ではない奴」として排除されてしまい、排除されたくなければ多数派の生き方や価値観に合わせろ、という同質化を強要してくるのだ。

こうした「同質化の無意識的強要」と「異質なものへの攻撃と排除」は元々の日本人の特性としては存在していたが、昔はまだマージンに幅はあった。だから個性的な人間もある程度は存在できた。しかし世の中のあらゆるものがシステム化されてきっちりと構成され、それが秩序正しく動かないと回っていかない社会、つまりマージンの無い社会になってしまった日本では個性は「悪」であり「他人と同じ/他人と同質」であることが強烈に求められる社会と化している。外身も中身も他人と同じでなければ日本では生きていけないのである。ここが日本人の最大の病巣なのかもしれない。


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(*1)
ユング心理学に於ける「影(シャドウ)」元型が賦活された状態であり、皆と同じではない人間は影を投影されてしまい「否定の対象(いじめの対象)」にされてしまうのだ。

(*2)
多数派のタイプの人々はそれでは納得せず、色々な薬を投与したりすることで自分たちのタイプに近づけるように人を改造しようと試みている。恐ろしいことである。

(*3)
多数派が「正しい」のではなく、単に同じタイプが多数派を占めているので自分たちの価値観で世の中をデザインし設計できる、というそれだけのことである。一つのタイプだけに都合の良い世界はそれ以外のタイプに人々にとっては往々にして息苦しい生きにくい世界であったりする。

(*4)
建前では「個性の重視」などという意見も存在するが、本音では「個性は否定」「皆が同質であること」が日本社会で生きる為の絶対条件である。
サラリーマン社会等では「好きな野球球団」などを持っていなかったりゴルフに興味が無いと仲間はずれにされたりする。趣味趣向まで他人と同じにすることが当たり前だと信じて疑わないのが多数派の人々である。とんでもなく愚かで低次元な精神性である。

(*5)
「発達障害」と呼ばれるものも多くの場合は多数派によるレッテル貼りであり、排除・隔離する為の動機付けに過ぎないと思われる。

(*6)
ここで「アスペルガー症候群」を挙げたのはあくまで一つの例としてである。多数派によるレッテル貼りにおいてはこの他にも「鬱」「根暗」「メンヘラー」「ぼっち」など多種多様である。いずれも多数派たる自分たちとは異なるタイプをあぶり出してレッテルを貼って排除する為の呼称である。


(*7)
いわゆる「引きこもり」の問題もここに端を発する。引きこもり問題の核心は社会が「引きこもる人が悪い」として「引きこもりを一種の病人のように扱う」姿勢にある。結局少数派タイプにとっては社会に居場所を見つけることが不可能であり、従って引きこもるしか選択肢は無いのだ。この社会が多数派だけに都合の良いデザインでできているからである。この自明の理が多数派には理解できず、だから未だに上から目線のまま「引きこもり問題が解決できない」と言って右往左往しているのだ。多数派を構成する人々にとってはまさか自分たち社会が原因だとは夢にも思ってないからである。




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