Altered Notes

Something New.

東京都『太陽光パネル設置は義務ではない』が未だに周知されてない件

2024-06-11 15:15:00 | 社会・政治

真実を知らずに「パネル設置は義務だ」という嘘記事を書くマスゴミもいい加減だが、同じく無知故に「パネル設置」が義務だと思い込んでいるコメンテーター・評論家・言論人等々もひっくるめて「嘘をばら撒く阿呆」と言えよう。

乃木坂46風に言うなら「何度目の”太陽光パネル設置は義務ではない”、か?」であろうか。”何度”というほど多くの回数は言ってないが、当ブログでは以前にもこのテーマで記事を書いている。だが、世間ではあたかも小池都知事に忖度するが如く、新規に一戸建てを建設する場合に「太陽光パネル設置が義務だと思いこんでいる」無知な人があまりにも多すぎる。一般大衆は無知であり無批判にマスゴミが報じることを信じてしまう情報弱者が多い事を示すものである。

もう一度いう。

東京都の「太陽光パネル設置は義務ではない」。

これは厳然たる事実であり、その理由は当ブログでも既に記している。下記記事を参照されたい。↓

『東京都「太陽光パネル設置義務化」は事実ではない』

 

上記記事でも記したように、「義務」であるのは建築するハウスメーカーが都知事に対して「環境指針を報告すること」だけだ。その書類の提出が義務であるだけ・・・これだけの話なのだ。なので、一戸建てを建築する際に太陽光パネルを設置せずとも何も罰則はない。間違っても「太陽光パネルの設置を義務付ける」という趣旨の文言は書かれていない。

暗殺された安倍元総理が言っていたように、小池都知事の行政側執行者としての実務能力は驚くほど低い。実務については無知が酷い。”全然無知無知かたつむり”である。しかも、都知事として選挙で公約したことをほとんど達成できず、公約してない余計なこと(築地・豊洲の混乱、緑の伐採という自然破壊等々)をやらかすばかりだ。逆にその無能さを巧みに突いて、別の話にすり替えることで「パネルの義務化」が無効化出来たのは、実際のルールを作成した東京都の役人の上手いやり方であり拍手に値するだろう。詳しいことは上記のリンク先記事を参照されたい。






.


サラ・チャンの演奏力・表現力

2024-06-11 14:33:00 | 音楽
音楽界ではつとに有名なヴァイオリン奏者のサラ・チャンについて記す。

筆者が彼女の演奏を初めて聴いたのは1994年のN響との共演でソロ奏者として登場した時である。それが下記の演奏だが、まずこれを聴いてみてもらいたい。

『サラ・チャン  チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第1楽章』

『サラ・チャン  チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第2~3楽章』

曲はチャイコフスキーの有名な協奏曲だが、実に堂々たる演奏である。この時、彼女はまだ13歳だった。だが、とてもそんな年齢を感じさせない音楽としての強力な説得力は物凄いものがある。技術力の凄さもさることながら、理屈では表せない表現力の豊かさには喫驚せざるを得ない。カデンツァ部分などは即興も含まれるだろうが、見事な演奏である。ピチカートで強めに弦を弾く瞬間でさえもある種の音楽的愉悦を持った興奮をオーディエンスに与えるこの演奏は本物だ。また、指揮者のデュトア氏やN響とのコラボレーションもうまくいっている。

音色も良い。大変太く輪郭のはっきりした音で、しかし決してきつくない輪郭であり、艶っぽさも含む芳醇なサウンドである。もちろん、シリアスでシビアなニュアンスが必要ならそれもきちんと表現できる実力はある。これがピアニッシモからフォルティッシモに至るまで全音域できちんと鳴らされ、きちんとオーディエンスに届く。プロならできて当然なレベルを遥かに超える実力は紛れもない本物の証である。これが13歳の少女から表現としてアウトプットされるのは信じ難いほど美しく素晴らしい。

さらに、速いテンポの時の細かい譜割りの旋律をきちんと弾くだけでなく、ある種のグルーヴ感をも感じさせる技術と抜群のリズム感、音楽センス…だからオーディエンスは魅了されるのだ。

もう、あのデュトア/N響との共演から30年も経過しているが、筆者は未だにこの時の演奏が大好きである。音楽として素晴らしく飽きることがない。






.