旧東海道を青物横丁から歩き、目黒川を渡り北馬場へ遡ると品川宿の本陣跡がある
ここに江戸の大名から小商人まで骨を休めたのだろう。
どうやら伊藤博文など時の政治家も品川の妓楼をよく利用していたらしい。政ごとの中心地から離れて密談の場所も兼ねていたのだろうか
この日は「養願寺」の縁日だった
品川神社に続く、養願寺界隈の寺道にたくさんの露天商や、落語やら、大道芸やら催されている。
朝とりの寒しじみは目黒川に停泊する漁船から取れたもの。目黒川の河口のものやいかん、未確認。
幕末太陽傳のポスター
縁日の屋台や桶屋を冷やかしていると、映画の告知ポスターが目に入った奥では寄席が始まる直前だ。
1957年(昭和32年)に封切られた「幕末太陽傳」という映画。フランキー堺主演、ポスターのセンターには左幸子。南田洋子、高杉晋作役の若き石原裕次郎という豪華キャストの面々。
デジタル復刻版で、師走の12月23日に都内各所で上映予定。この日みて歩いた、品川宿を舞台にした一作。
これは断然観るっきゃないねえ。モノクロですが、お正月映画にぴったりじゃねえですかい
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品川神社
大黒さまがお守りくださるのは、源頼朝以来の土地の鎮守「品川神社」
急な階段
本社神輿は平成の今上天皇明仁さまが皇位継承された時以来、老朽化のため出ていない。
当時の写真をみると、この階段を神輿が宮出し、宮入りしていたようだ。
荒い担ぎ手の多い三社祭には慣れっこのあっしだが、この階段をよくもまあ。それを想像するに、氏子たちの熱気と活気が伝わってくる。
南の天王社「荏原神社」に対し、北の天王社と呼ばれてもいるそうだ
お富士さん
浅間神社でもあるのだろう。富士講があった
それにしても、かなりご立派な富士山である。
登山道
足神様
まずは登山道に足を踏み入れる。急坂を、一合目から登る。草鞋を奉った足神様が見守ってくださった。
品川宿から東海道をのぼる頼朝公、家康公、大名や商人などたくさんの人々が参って旅に出たのだろう。
いったい、先代たちはこの祠にどんなことを願ったのだろうか。
峻烈な坂 見下ろすと怖いほど
山頂から参道の眺め
第一京浜は幾度も通った道だが、品川神社にこんな眺望があったとは。
線路がなければ参道が、さぞいい風景とみえたことだろう
屋形船から、東海道を散策する計画が、思わぬ収穫となった
縦札にあった、品川ねぎにかぶ、大崎にんじんに、戸越たけのこと往時の入植者が苦労して育てた名産も知れた。
江戸の息吹を感じるために、あちらこちらを歩いてみるのもよかしかろう
「旅立ちの 秋ぞ参るか 北の寺」