うどん県といえば、言わずもがな讃岐が筆頭だろう。
稲庭や上州、水沢など枚挙にいとまがないが、譲れぬ西の横綱であるのは異論はあるまい。
その讃岐の香川県の食材は、うどん以外にもたくさんある。
日照時間が長く、良質な海を前にした土地柄。
それも頷けるところだ。
その香川の食材を帝国ホテルのシェフが腕を振るうというイベントに参加した。
地元出身の俳優今里氏とさぬき讃フルーツ大使が糖度12度以上の果物をPR!
うどん脳をのせたキャラが微妙に可愛い。
皮ごと美味しいシャインマスカット始め、自然な甘さをシェフがゼリーに変える。
濃厚な畑の果実が口に広がった。
東日本の震災を機に養殖されたサーモンやら、オリーブの葉の粉末を食べて育ったハマチ。
香川県は日本のオリーブ栽培の草分けで、その生産量と質は国内でも屈指なのだ。
徹夜明けに疲れきった精神が、冷えたプレモルとともに流れていく。
シェフが切り分けてくれたオリーブ牛とは。
讃岐和牛にオリーブの飼料を与えて育てたもの。
肉質の芳醇と口溶けの程よい甘みは、オリーブを想像させるに十分なお味。
酸味の残る赤ワインがぴったりに合うヘルシーな食感。
ホテル仕様のマッシュポテトと西洋わさびが引き立てる。
瀬戸内海の潮流に揉まれたタコがたっぷりのたこ焼き。
茹でただけのネギがさっぱりと洗ってくれる。
他にも、讃岐夢豚を使ったインペリアルホテルのカレーなど、すでに満腹状態。
知事も赤ワインを手に、自慢の食材に舌鼓を打つ我々の前で満面の赤ら顔。
軽く試食するつもりが、ホント、ご馳走さまです。
全国津々浦々。
観光立国へ真っしぐらの日本。
世界は不穏に包まれているが、まだ安全な日本を大切にしたい。
全国の魅力を走り回って伝えるのもわるくないな。
そういえば、甲府に向かう列車から、
武田家終焉の郷という看板が目についた。
武田勝頼公がここに眠る。
二男が尊敬する武田信玄公のお祭りに一度一緒に訪れてみたいものだ。
さて、今宵は足立の花火。
そろそろ向かうとしますか。
ここんとこ自治体さんを回っている。
インバウンドのお仕事なのだ。
香川県さんの「うどんだけじゃない」発表会へ行ってきた。
瓦の加工技術や丹下健三の県庁庁舎を始めとした造形物、
ほかにも香川県ならではの特色がいろいろある。
要潤さんが副知事とは知らんかった。
県出身ということでPRの顔になっているのだろう。
それにしても男前だ。
こんなビジュアルに生まれたら、生き方も変わっただろうな。
うどんの国の金色毛鞠という漫画も初めて知った。
この毛鞠の技術も県特産だ。
この緩いキャラがなかなかいい。
動いていると知らないことがいっぱいあるな、と思う。
この調子でどんどんいきたいものだ。
【土まみれ強者どもが競う夏】哲露
国立競技場が更地になっている。
新宿ハーフマラソンでトラックを走った記憶が遠い。
ああ、すべて夢のようだ。
長男が区の連合陸上大会で優勝したのもここだった。
インバウンド対策の一環だが、オリンピックへ向けて国は大きく動いている。
木造の競技場。
聖火台問題は如何に。
旧国立の聖火台が懐かしい。
前回東京オリンピックで何度も映し出されていた。
これが設計で抜けているって、まさに魂のないコンペだからだろう。
経済と利権の行き着く先を暗示している。
2020年の東京オリンピックへ。
その時の都知事を決める選挙が迫る。
偽政者に求められるのは、国民への誠実と私欲を棄てた上の野心だろう。
ぼやいていても仕方ない。
自分にできること。
とりあえず4年後の未来まで駆けようと思う。
【寺町の活気も眩しい鬼灯や】哲露
お江戸に夏がきた。
台風一過ですっかり東南アジア的な気候に。
夕立もなく、蒸し暑さばかりが寺町を覆う。
それでも浴衣の真白さに、目は清涼を得られる。
打ち水、風鈴、金魚柄の手ぬぐい。
これが暑い夏を過ごす知恵である。
息子の合宿用に、スパイクを買いに出た。
外国人の浴衣も多い。
だがわが同胞、日本女性の淑やかさ、所作はやはり美しい。
心の内の着物美人を伝えてあげられたらいいのに。
そんなインバウンド事業もオリンピックに向けてこれからが本番。
ウチにこもるばかりでなく、文化と心の交流の理想を求め続けたい。
本日は四万六千日。
素晴らしく特典のあるお参りの日。
家族の安泰を願いつつ、小説への道は自分次第と悩む日々。
少しずつでいい。
強い精神を持ちたいものだ。
例年なら三社祭の週末
サミットのおかげで穏やかな休日を過ごしている。
件の理由で13日から祭りが始まった。
象潟三丁目は本社神輿二ノ宮を担ぐ。
本来は神輿を上から覗いてはいけない。
神様を見下ろすことになるからだ。神様ごめんなさい。
土曜日の連合渡御の三倍は人が集まっている。
仕事のせいか、本社神輿の人気ゆえか。
【シャンシャンと祭り半纏汗も飛び】哲露
土曜日は浅草寺の裏手に、およそ100基の神輿が集まる。
それから決められた順番に、浅草神社へ神輿ごと参詣する。
この時ばかりは、子供の小神輿、中神輿も一緒。
参道界隈の観光客の手拍子の中、いちばんの見せ場でもある。
子供たちも大人たちも晴れ晴れとした表情で気合が入る。
じつに気分のいい瞬間なのだ。
子供らにはお菓子とジュース。
うちらには、お弁当とビールが待っている。
一週間早まったおかげか、例年降る雨もなく、じわっと身体の内から汗が吹き出る。
まさにトランス状態。
祭囃子が江戸っ子の魂を鼓舞する。
夕方に発進すると、町は徐々に宵の表情をみせる。
各地区の町会がいくつか合同で、揃い、町を練る。
象三は聖天前から浅間神社へ向かう。
そう来月始まるお富士さんの植木市の神社だ。
一本締めの後、五基の神輿が一斉に上がるのはいつ見ても格好いい。
日曜日の本社の宮入り。
昨年の喧嘩騒動で、青年部と一帯で警備が厳しかった。
祭り好きと喧嘩好きは似て非なるもの。
担ぐ人、見る人、町の人がうっとりと楽しめる祭りであって欲しいものだ。
たらふくビールを飲んで膨らんだ腹ごなしに、
子供らと宮入りを見に行く。
バリケードで境内には立ち入れなかったけど、
一ノ宮と三ノ宮の宮入りを見られた。
新門辰五郎お墨付きの木遣りにうっとり。
たっぷり担いで大満足の祭りだった。
来月は、今戸神社の本祭がある。
お江戸の浅草は、夏まっしぐらでござる
【藤棚を見下ろしたるやたいこ橋】哲露
こどもの日、ふと思い立ち亀戸へ
4月末から始まった藤まつり。
ランニングのあとに、自転車でエッチラオッチラ。
5月5日が最終日とあって、たいへんな賑わいだ。
この暑い中、おまわりさんもおつかれさん。
北斎や広重で有名な天神様境内の太鼓橋もご覧の通り大盛況。
藤の見ごろはとうに過ぎてしまったが、露天の威勢は健在。
簡易のベンチでは、イカ焼きやビールを美味しそうに頬張っている。
船橋屋の行列も相変わらず。
マラソン前でなければ、飲みたいところを我慢する。
綺麗な紫が目に入る。
初夏の陽光に、緑との色合いが艶やかだなぁ。
僅かに残る藤棚にスマホのレンズがあちこちから狙う。
僕は往時への思いを馳せた。
江戸の名残りをこんな形で楽しめるのも平和な日本だから。
学問の神、菅原道真公の5歳の像。
亀は万年、長閑な休日がいつまでも続くといいなと願う。
それにしても、このたいこ橋。
昔のひとは、下駄で渡ったとおもうと驚く。
参道に、いい感じの蕎麦屋があった。
今度あの人とゆっくり来てみたいものだ。
ツリーとのツーショットも現代ならでは。
気軽にタイムスリップできる天神様。
有名な餃子もせんべいもある。
これからの季節、おすすめの散策コースでござる。
明日は長男と初のマラソン大会。
早朝からさつきで有名な鹿沼に向かう。
久しぶりの大会、とりあえず目指せ完走なのだ
「それでも人は生きていく」
こんなコピーが気になって、ある日名画座に入った。
橋口監督を知らずにみたから意表を突かれた形で恐れ入った。
恋愛物のようなタイトルだから余計騙される。
不思議な独白から始まる。
低予算で創ったであろう撮り方。
なのに、徐々に作品に引きこまれていく。
キネマ旬報日本映画第1位ほか各映画賞を受賞していたと知り、驚いたが、
それもそのはず、観終えた後、微かな光の余韻に浸れたからだ。
日本アカデミーで新人俳優賞を取った篠原篤が、不条理な日常を淡々と、ときに熱く演じる。
仏教では、十界という10個の世界に区分する教義がある。
四聖という悟りの世界と、六道という迷いの世界に分けられる。
六道のなかで、天上界と修羅界の間に存在するのが、私たちのいる人間界。
歓びもある一方、毎日の暮らしは辛く苦しいものだ。
真面目に生きていても、不条理な災厄が起こるのが人生。
その真理を見事に表現している。
不条理極まりない、理不尽なことが年々多くなったと感じる。
それも歴史に学べば、いまに限ったことではない、人間界の定めなのかもしれない。
人間界に歓びがあると定義されている通り、この作品でも最後に希望が見える。
文学も映画も、その最後の光こそが救いなのだ。
この作品、観てよかったと思う。
【通勤のOLさんも衣替え】哲露
いつも敬愛する先輩が食べている上海焼きそば。
かの池波正太郎が好んだ一品である。
添え物と思えない焼売から甘い肉汁が溢れる。
文豪もきっと辛子をつけて、ビールを飲んだに違いない。
この日は、大切なひととランチなのでビールは我慢。
ああ、お腹いっぱいだ。
揚子江菜館は、冷やし中華の発祥の店と言われる。
丁寧に揃えられた
胡瓜やハム、焼き豚、クラゲ、エビ、さやえんどうに、盛られた金糸卵が圧巻。
GWは、長男と走るマラソンの調整に忙しい。
翌週は、今年少し早い「三社祭」でござる。
もうそんな季節になった
【蕎麦香る胃袋いっぱい春嵐】哲露
まもなく弥生に入る
早いもんだ、もう今年も6分の1が過ぎたということだ。
とある午前中の商談を終え、四ッ谷駅まで戻る。
ランチ時、旨そうな看板メニューが多い。
駅前の十割りそばの店に決めた。
九条ネギと会津豚に誘われたのだ。
しかも大盛り無料。
そば粉100%の蕎麦は、弾力があって噛み応え十分。
仄かに香る蕎麦の実、会津豚の甘い脂身がそれを包む。
九条ネギの青みがいいアクセントだ。
なんて素敵な組み合わせ!
これだけでもボリュームがあるのに、どうしてもひかれてしまった。
葉わさびご飯。
ツーンと抜けるわさびの潔さが白米と相まって素晴らしい味に。
半熟の玉子をのせるともうたまらない。
旨いもんを食べられる至福を満喫した。
これがいまの楽しみなのだ。
目下の課題やら目標やら、あれもこれも考えは止めどない。
まずはこのカロリー、走り込んで消費せねばなるまい。
十割りそば蔵やさんやるね。ごちそうさま。
週末は、東京マラソン2016の観戦。
朝から両国から浅草にかけて大会関係者と警察の方がわんさと。
ご苦労様です。
トップ集団が銀座を過ぎたので雷門へ。
彼らの速いことといったら。
こいつらは化け物だな。
ボルトも凄いが、二時間で42.195kmなんてやはり尋常じゃないよ。
さらに最近流行りのペースメーカーの彼ら。
本気で走ったら、彼らだってメダル取れる実力があるんだろう。
トップより速いペースで、この30km付近まで引っ張っているんだ。
とにかくすごすぎる。
これは自分が走って初めて実感すること。
そして、今回は箱根駅伝の猛者の活躍があった。
青学の天下はまだまだ続くらしい。
おいらは、摂り過ぎたカロリーを消費すべく、土日30km。
朝ランしてシャワー浴びて、スタートをTV観戦。
スマホで東京マラソンを検索するとびっくりポンの発見!
なんと友人のゼッケンを入力すると現在走っている位置がリアルタイムで判るのだ。
こりゃ、高くなるはずだわ。
しかしまこと便利だが、これってじつは怖くない?
雷門から神谷バーへ移動しながら観戦ポイントのベスポジを確保。
そのおかげでカープ姿の友人を応援することができた。
来年こそ走ろう。
そう固く誓った東京マラソンの日である。
次は花見の計画だな。
春よこい
さる如月の週末のこと
新吉原に妖怪たちが集まった。
花園公園に入るとたくさんの人だかり。
そこに混じって人でないものがいた。
前年よりパワーアップした節分お化けたちに、子供が笑ったり、泣いたりしている。
オープニングは、地元でも働く二丁目のオカマが笑わせ、
お三味線の姐さんが、踊りも披露してくれる。
浅草は演芸の町でもあるのだ。
日頃、演芸ホールで磨かれた芸で沸かせてくれた。
【闇を裂き魑魅魍魎が豆を撒く】哲露
鈴娘の凝った装飾に目をみはり、八咫烏の粋に拍手が起きた。
心中しちまったお侍は幸薄く、百目の目は一つずる大きさがちがう。
それもそのはず、紙粘土で目ん玉を一つずつ作ったらしい。
百均のグッズを工夫したもの、
何日もかけて衣装を縫いあげてきたなど涙なくしては語れない苦労での登壇だ。
この節分のお化け祭り。
元々は子供が島田髷に結ったり、男性が女装したりするお化髪からきた語源という。
京都の祇園や先斗町など花街やら、北新地で盛んに行われている行事なのだ。
江戸の廓の妖怪たちも凝りに凝ったコスプレで頑張っている。
歌あり踊りあり、書道パフォーマンスあり、玄人はだしの芸達者が動き回る。
仮装だけの沈黙のお化けもいたけど。
屋台や抽選大会もあった。
プレーヤー、観客、審査員とそれぞれに楽しむ。
寒風の中、皆さんよく頑張った。
思えば、江戸から闇は去り、長らく昼と夜の区別すらつかなくなった。
畏れを抱くことで、人は自然界に畏怖を持てたのではないか。
神仏を崇める気持ちもまことコンビニエンスになっちまった。
24時間スーパーで買いたいものが買える。
この利便と引き換えに、大切な何かを失ってしまったのではないだろうか。
妖怪たちすら寄り付かない現代において、
人間こそが魑魅魍魎ではないのか。
吉原七丁にあった廓の守護神稲荷社は五つ存在した。
五十間通りに「玄徳稲荷社(吉徳稲荷社)」、
廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていた。
九郎助稲荷は時代小説でもお馴染み、花魁が様々な祈りを捧げた社である。
この五つの社と吉原弁財天(火事で亡くなった花魁を祀る)を合祀したのが今の吉原神社。
この日はお狐さんがお出迎え。
妖怪たちが活躍できた時代の謙虚さが今こそ望まれているような気がしてならない。
雨水過ぎ、梅も香る。
春は近い
「薄情」(新潮社)
絲山秋子著
【豆を撒き心の鬼に豆食わす】 哲露
久しぶりに絲山秋子の新作を読む
文芸誌の連載をまとめたものだが、普段文芸誌の最新刊など高くて読まないからこの小説初の体験である。
相変わらずタイトルが巧い。
絲山作品で最も好むのは「海の仙人」。
「薄情」の主人公宇田川に、河野と少し近い感覚を憶える。
もちろんファンタジーは出てこないし、まったく別の話で目指すベクトルも違う。
心地よい文脈のリズムに、沁みいるように引きずり込まれる。
九州と群馬、絲山が意図的に意欲的に描く土地が舞台。
この作品では土着からみる群馬の内部を境界区域として余すところなく照らしている。
またバツイチUターンの後輩蜂須賀と、都会からきた鹿谷からの群馬と、それぞれの視点の対比も面白い。
よそ者が作る「変人工房」と名付けた場所に集い、憩う宇田川たち。
日常に非日常を求める田舎暮らしのツボを心得ている。
しかし事が起きたときには、親しくした「よそ者」がいた事を容赦なく忘れていく(忘れたふりをする)。
それは果たして情が薄いということなのか!?
いや、その薄情さが群馬土着の優しさなんだと、絲山は書く。
敢えて話題にしない、忘れ去ることでその人を自分のうちに受け入れるということだろうか。
彼女がこだわってきたたくさんのメッセージが随所に込められている。
宇田川の日常と非日常が超現実的なセリフで埋められる迫力。
叔父の家業神職をこなしながら、夏は嬬恋で強烈な疲労に襲われるほどハードなキャベツ収穫のバイトに出かける。
不安定なフリーターという設定だが、仕事に向き合う姿勢はストイックでもある。
かつての友人から誘われ、その妻子と食事中にお互いの人生のチューニングが違うことに気づき、宇田川は孤独感に苛まれる。
蜂須賀やバイト先で出会った女吉田に安らぎと苛立ちを憶えつつ、淡々と時間が紡がれていく。
絲山作品には欠かせない、ドライブのシーンが心地よい。
車のなかでかかる曲に委ね、想像を膨らませるのも彼女の楽しみ方。
一見重いテーマをさらりと描くことで実際をあぶり出す。
好きな作家を貪る至福を味わえた。
脳の内が徐々に活性していく。
時代物の名手、杉本章子、宇江佐真理の新作はもう読めなくなってしまった。
哀しいことだ。
宇江佐の遺作となる連載が夕刊で読める。
毎夜、複雑な気分で読んでいる。
自分には何がある?
不埒な自分にスイッチを入れてくれた「薄情」。
節分が過ぎ、立春も過ぎた。
前に進まなきゃ
方舟新宿西口の前菜
【大寒に芸能ニュースの裏を読む】哲露
大寒を過ぎてめっきり冷えるようになった
それでも例年よりはるかに暖かい。
日向のありがたみが沁みるのがこの季節だ。
高校からの同期が大手鉄道会社を辞め、新橋に囲炉裏を置いた居酒屋を開業して12年になる。
奇しくもわたしが転職したのも同じタイミングだ。
北陸、新潟の4県の地酒と食材にこだわるストイックなお店。
その蔵元が秘蔵の酒を提げて行う「蔵元の会」も135回目になるとのこと。
自分で焼きながら酒を飲む。
仕事帰りに面倒だよ、と言った私の心配を他所に、銀座を中心に11店舗を展開。
彼のバイタリティーと探究心、勉強熱心にはホント頭が下がるし、大いに刺激になっている。
まぁ、自分の不埒を思い知るだけなんだが。。
久しぶりに、彼と山登りの仲間と四人で集う。
この日は新宿西口にある方舟へ。
コースに日本酒の飲み放題をつけた。
大吟醸から始まり、純米の辛口のぬる燗まで。
◇方舟新宿西口店
新宿駅から小滝橋通りすぐ。
http://www.hakobune-ceory.com/shop/shop05/
北海の白身は最近流行りの熟成ではないが、とろりと舌に甘さがのる。
へしこやイカスミの塩辛が酒に合うこと。
酒飲みに合わせた程々の塩辛さと適度な量がいい。
チロリの燗が和む冬の夜でござる。
飲食店の他に、宿泊施設や物販、EC事業まで手がけている。
とどまるところを知らないとはこのことだ。
一体彼はどこまでいくのだろう。
停滞したままのわが身と比べるべくもないが。
それでも気さくな性格は変わらず、従業員に対する眼差しは親のようでもある。
尊敬すべき友なのだ。
麒麟の翼
東野圭吾の小説にも使われた像が日本橋に鎮座する。
最初の東京オリンピックの時に、凡そ街の美観など考えることのない役人がかけた醜悪な首都高速。
歌川広重の描いた橋の上には、広大な江戸の空があった。
2020年の東京オリンピック。
日本橋の上の首都高をどかすには絶好のチャンス。
その運動が実るといいな。
芝大門 更科布屋
今年も結構蕎麦屋には足を運んでいる。
寛政3年創業の老舗更科布屋、ぬる燗にモリ、時に鴨を喰らう。
蕎麦屋の似合う通人。
いい歳を重ねたいものだ。
時代の流れからたまには降りて、目指すモノを描いてみたい。
あしからず
山王日枝神社
【銭投げて猿神様に事始め】哲露
今年は言わずもがな、12年に一度の申年だ
私は年男だから、もう⚪️周りしたということか。
光陰矢の如し、月日はあっちゅう間や。
申ということで、殊の外参拝客が多いようだ。
この神社には、ご縁があり社会人になってから通っている。
うちはじいさんと親父と三代続いての申でござる。
三猿は栄えるというが、全くあてにならない。
平成も28年になる。
お猿の神様はこの世をどう見ていることか。
紅いまさる守りを受験生のために買う。
暖冬が続くが、口実ともに暖かい春が来て欲しいものだ。
神様、どうかお願いします。
さざれ石をご存知だろうか。
私も日枝神社で知った。
「千代に八千代にさざれ石………」
国歌君が代の歌詞にある、そうあの石のこと。
元は小さな石という意味らしい。
岐阜県の山中から採掘される石灰石。
長い年月をかけ雨水に融解された乳状液が小石を集めて大きな塊になるそうだ。
それが、「巌となりて」なのだ。
世の中には知らないことだらけ。
一年中人出の絶えない我が町だが、お正月は殊更活気と笑顔が溢れる。
数多の映画スターの手形が並ぶ浅草公会堂はオレンジ通りにある。
新春歌舞伎が行われるのも恒例。
1月11日は、ここで成人式があった。
親ばかりかと思いきや、ロマンスグレーのカメラマンが多くシャッターを切っているのはどうした事態なんだ。
うちの自由人も成人になった。
飯を食って、寝ていれば年はとる。
問題は中身だ。
まだまだ子供。
どんな大人になるのやら。
親は写真を撮って、一路浦和スタジアムへ。
東京から近いようで、国立に比べると格段に遠い。
10数年ぶりという東京代表國學院久我山の決勝戦。
ここ数年観戦に来ているが、 毎年何かしらドラマがある。
その理由は高校生の懸命な汗のせいだと思う。
今年だけはちがった。
東福岡は強かった。
カラダの作りがまずちがう。
圧倒的な勝敗に、なんとなく消化不良。
従兄弟とガード下で餃子にラーメン。
天気は良かったものの、じっとしているとやはりカラダは冷えるのだ。
若さへの羨望はとっくになくしたが、申年だけにじっくりと集中したい。
勿論、小説のこと。
そう祈願した睦月である
【白き息こころ平に陽は昇り】哲露
暦は捲られ新たな2016年が明けた
元旦の初ランも8年目に突入。
月の隣に星の瞬きもみえる6時過ぎに、今年も長男とともに隅田川へ出発。
それにしても穏やかな幕開けである。
野鴨が水面を叩き、ゆりかもめが冬晴れの大気を深く吸い込む。
アサヒビールの黄金のビルヂングに、昇ってきた陽が当たり始めた。
起きがけの人、飲み明かしたまま駆けつけた面々、大川沿いには大勢の人々が集まっている。
これはスカイツリーの完成間近から始まった現象だ。
本格派のカメラを構えた方以外は、スマホのレンズを東に向けている。
FBやインスタグラムに投稿する人も多いのだろう。
かくいう私もSNSに写真をアップしているんだもの。
7時過ぎにようやく後光が射す。
静謐な朝、心に浮かんだ素を願う。
深夜を徹して参拝客が並んでいた浅草寺の参道も、早朝は割合空いている。
市井の流れに乗り、新年初めての参拝だ。
浅草神社はさすがに地元民が並んでいる。
わたしの家の氏神様は熱田神社。
就寝前の0時過ぎに家族と初詣を済ませてある。
浅間神社も参り、家路へ。
朝風呂に入り、お節を並べ、雑煮をこしらえる。
我が家の雑煮は昆布の出汁のみのアッサリとしたもの。
ここに地鶏を入れれば完成。
焼いた餅に三つ葉を散らし、お汁をかけるだけのいたってシンプルな椀だ。
餅をつまらせた曾祖父に習い、曾祖母が小さく千切ったものしか食わせなかったらしい。
わたしが餅に執着がないのはそのせいだろうか。
こちらも恒例の元旦映画鑑賞。
楽しみにしていた「スターウォーズ フォースの覚醒」を観に日本橋へ。
盛り込み過ぎの感もあるが、同世代のJJ監督の気負いもよく理解できる。
懐かしい世界観に浸れた満足と、寂しさの入り混じった気分で中央通りにでた。
いい感じに歳の皺を重ねた、ハンソロとレイア姫のシーンがじんときた。
ネタバレになるのでこれ以上は書かないよ。
車の少ない通りに、祝日の国旗が整然と掲げられているのが清々しい。
3日。これも恒例、箱根駅伝の観戦。
第一京浜沿いのいつもの場所へ。
ぶっちぎりの青学は凄かった。
母校中大はいちばんの伝統校だが、ここ数年は低迷中。
学生数が減り都心回帰の今、多摩動物園駅は遠すぎるんだな。
法学部が白山校舎に移転するという。
伝統校の人気が復活することを願う。
代わりに注目したのが、日体大六区の秋山。
坊主頭に筋肉質の彼の晴れやかな顔に元気をもらう。
次々と到来する難問や課題に気持ちが急くばかりの2015だった。
あれもこれも欲張るばかりでは、何一つ片付かない。
それが身に沁みた。
物書きの諸先輩から数々のお言葉を賀状でいただいた。
こちらも骨身に沁みてありがたや。
ひとつずつ確実に前に進むには、気持ちの平静さを保ち、要所では止まって考えること。
そう念じた幕開けなのだ。
ご愛読の皆さん、
こんなあっしでございますが、今年もどうぞご贔屓に
【黄金の葉心に書きつあのヒトを】哲露
今年もあと僅か。ついに師走に入った
本当に嫌なことだらけの世の中だが、僕には映画という強い味方がある。
2015年最後の映画の日。
日比谷のシャンテにて「Re:LIFE(リライフ)」を観た。
ラブコメの帝王ヒューグラントの新境地とあるが、果たして………。
物語はアメリカの片田舎ビンガムトン。
全米でもっとも青空が見られない土地だという。
オスカー受賞の脚本家キースマイケルは、長いスランプゆえ業界で時代遅れの烙印を押されている。
自宅の電気も止まり行き詰まったキースは、不本意ながらこの街に大学のシナリオコースの客員教授として訪れる。
着任早々、ファーストフードで出会った生徒と一夜を共にしてしまう。
歓迎パーティーでは、酔っ払って女性教授を挑発し怒らせる。
作品も読まず生徒をルックスで選んでおきながら授業は休講。
まったくやる気ゼロの問題講師だ。
しかし、キースは、いつしかこの学校で出会う生徒や教師のひたむきさと屈折した純情に感化されていく。
生徒と触れ合うたびに、少しずつ気持ちに変化が現れる。
この一見何もない街の空気感がいい。
大都会にない無意味な時間の共有がこの街の宝なんだ。
生徒ひとり一人の作品に刺激を受けたキースは次第に真摯な熱を込めた助言をはじめる。
中年になったヒューグラントの肩の力の抜けた演技は秀逸だ。
「書きたい理由が大切だ」
「自分の言葉で誠実に書くことが必要だ」
シングルマザーマリサトメイに誘われた遊園地。
トワイライントゾーンの、道に迷う中年男の物語。
それが撮影されたメリーゴーランドがなんともロマンチック。
スランプ真っ最中のオスカー脚本家は果たしてどうなるのか。
一年のうち、たった数日あるという晴れ渡ったキャンパスの芝生が眩しかった。
ほっこり心に火が灯った感覚を味わえる。
慌ただしい師走に、オススメの一作だ。
外苑の銀杏並木はいまが見頃。
大勢の人々がスマホのシャッターを切っていた。
車は渋滞。
マリオを乗せたカートが道行く人の足を止めている。
広く、焼けた夕焼け空に、乾いた風が心地いい。
上野駅構内に、大きなクリスマスツリーが点灯した。
ジングルベルの鐘が、心に鳴り響く季節。
ゆとりのない、現実という濁流に溺れる日々。
それでも時間だけは誰しも平等なのだ。
今日こそは年賀状をやらないとな。
一つずる、少しずつ進まないと。
まもなく羽子板市。
みなさんも、いい締めくくりができますように
魚佐のアジ叩き定食
【路地抜けて冷たい海にカニ逃げる】哲露
雑誌の取材で葉山を訪れた。
いったい、何年ぶりだろう。
まだ独車を売る前。
由比ヶ浜の波乗りの帰り、 地元の雑貨店げんべいに次男のビーサンを買いに行った時か。
げんべいは150年続く老舗なのだ。
街道沿いの店のディスプレイに、初めての人は興味津々吃驚するはずだ。
学生の頃、金持ちの近所のおじさんを慕い、マリーナに通った遠い記憶がある。
駄菓子屋で売る揚げたての葉山コロッケを土産に、クルーザーに乗せてもらっていたのだ。
空と風が良好なら、三崎まで走らせ、マグロやネギトロ丼を食った。
苦手だった刺身が食えるようになったのは、まさに三浦半島のマグロのおかげだ。
決まって帰り、ジュディオングの親戚が営むという支那そばを啜るのも欠かせなかった。
釣りもしたり、ロープに引っ張られて海を泳ぐのも楽しかった。
またある日は、塾の友達のお姉さんの家から、ウィンドを借り、サーフィンをした。
海風を受けると、腕が千切れるほどだ。
ひ弱な都会っ子が、自然への畏怖を学んだ第一歩だったのかもしれない。
取材の合間に、磯料理の店でランチ。
刺身もアジフライも飛びっきりの新鮮で、ネギトロもてんこ盛りに輝いている。
わたしは地のアジを叩きでもらった。
この定食が870円なり。
東京では信じられない甘みと弾力、そしてボリュームと値段だ。
ビールを一杯だけいただく。
一同、プヒィと呻く。
ゆっくりと再訪したいお店をみつけたよ。
高台の家から坂をくだる。
路地を抜けると、そこに白い砂地があった。
透明な水が心を洗う。
天からの後光が注ぐ波は穏やか。
裕次郎灯台が葉山の海を見守る。
元都知事さんが建てた。
買ったはいいが、管理は役所任せだから無責任だ、と発泡酒を飲む仙人がいった。
なるほど、いろんな意見、解釈がある。
神輿もでるという神社が季節には車で満杯になる。
犬と猫しか見かけない、平日の昼下がり。
この季節ならではの爽快があった。
ノスタルジーな気分に、懐が深くてセンチメンタルな海を想い出した。
白いビーチ際には、あの人この人あらゆる芸能人の家があるらしい。
カニを発見した地元の子供たちがはしゃいでいた。
あ~、やっぱりおいら海が好きだ。
慶應4年3月14日、薩摩の蔵屋敷で幕府と薩摩の会談が行われた。
この膝談判のおかげで、100万都市お江戸八百八町が焼かれないで済んだのだ。
言わずと知れた、江戸無血開城を決めた、陸軍総裁勝海舟と薩摩西郷隆盛の会見である。
当時田町のこの地は、海岸線が残っており、薩摩藩は国元の物資をここで陸揚げしていたという。
薩摩屋敷へ乗り込んでの談判とは、さすがに肝の座った勝だ。
最近、この町を訪れる機会が多々有る。
会見のことは有名だから知ってはいたが、この石碑に気づかなかった。
学生の頃から車で何十回と通っていたのに。
排気ガスひしめく第一京浜沿いに、嬉しい発見である。
【大海に市井を思い城渡し】哲露
ところで歴史に埋もれがちだが、 この会談を整えたのは幕末の三舟の一人、山岡鉄舟。
戦地のなか敵陣にたった二人で乗り込んだという意味では、胆力ではこの人の右に出るものはいるまい。
もちろん、裏方で動いたものも多々いたはず。
江戸を焼け野原にせずに済んだこと、この二人と裏方に感謝する。その後の太平洋戦争では結局焼かれてしまうが。
海の町の蔵屋敷。
さぞ眺めもよろしかったろうな。
鉄舟二十訓というものがあり。
一、嘘いうべからず候。
二、君の御恩を忘るべからず候。
三、父母の御恩を忘るべからず候。
四、師の御恩を忘るべからず候。
五、人の恩を忘るべからず候。
六、神仏並びに長者を粗末にすべからず候。
七、幼者を侮るなかれ候。
八、己に心よからざること他人に求めべからず候。
九、腹を立つは道にあらず候。
十、何事も不幸を喜ぶべからず候。
十一、力の及ぶ限りは善きほうに尽くすべく候。
十二、他を顧みずして、自分のよきことばかりすべかざる候。
十三、食するたびに稼しょくの艱難を思うべし、すべて草木土石にても粗末すべからず候。
十四、ことさらに着物を飾り、あるいはうわべたけを繕うものは心に濁りあると心得ばく候。
十五、礼儀を乱るべからず候。
十六、何時何人に接するも客人に接するよう心得べく候。
十七、己の知らざることは、何人にでも習うべく候。
十八、名利のために学問技芸すべからず候。
十九、人にはすべて能、不能あり。一概に人を捨てあるいは笑うべからず候。
二十、己の善行を誇り顔に人に知らしべからず、すべて我が心に恥ざるに務むべく候。
たしかに、ごもっとも。先人に学び多し。
現在の三田から望む東京タワー。
高さや最新こそスカイツリーに奪われてしまったが、エッフェル塔を模しただけあって、センスがよい。
エレベーターを使わずとも、歩いても登れるところも無骨であり素朴である。
この塔に希望をもらったように、現代のツリーは光となっているだろうか。
急速に失われ、消えていくお江戸。
季節の風物や情緒、気風や心意気は残していきたいものである。
時代物の名手で現代でもっとも信頼していた作家宇江佐真理の訃報が朝刊に載っていた。
新聞連載を準備中だっただけに心残りだったろう。
けだし、作品群は永遠である。
ご冥福を祈り、合掌。