長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

JAZZ十間橋が、本日はじまりはじまり

2010-10-31 08:39:53 | Weblog
いよいよ本日、「JAZZ十間橋」が開催される。
昨日、どしゃぶりの雨の中、たくさんの人がチケットを
買いにこられた。最後は閉店間際に、ピアニストの文庫くんが「チケット買う
のわすれていました」といって、買いにきた。彼は昨日35歳の
誕生日だった。前世から、ずっと生きてきたような人が時々いるけど、
ピアニストの赤松林太郎くんと同じく、「押上に住むピアニスト」の
ふたりは、30歳とか40歳とかいう「くくり」にはあてはまらないような
人だ。

閉店した後、家に帰り、DVDの「鬼平犯科帳」を見たあと、テレビのチャンネルを
まわして(チャンネルはない・・)みたら、アド街ック天国、がやっていて、
初めて見た。「鐘ヶ淵」がテーマだった。先週、女好きのオカマのMくんと、
「カトリカ」でピザを食べ、歩いた街だ。あの街では、「カトリカ」が一番
お気にに入りのお店だけど、ある意味、テレビにでなくて、ほっとした部分もある。
今日の「JAZZ十間橋」も、アド街ック天国が取材にやってくる。来年の正月に
放映される特番に、でるらしい。テレビにでたからくる人よりも、そんなこと
関係なしにくる人との縁を大事にしたいと思う。
*好きだ好きだと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

でも昨日のテレビで、鐘ヶ淵という街が、「チュウハイ街道」と呼ばれているのを
はじめて知った。

天真庵のカウンターは、かつてこの通りにあった「百尺」(ひゃくせき)という
居酒屋が解体されるときに、譲りうけたものだ。初めてこの街に来た日に、
今の天真庵の物件を見つけ、契約をした日の帰りに、解体現場に埋もれて
いた檜のカウンターと運命的な出会いをした。「無駄のない縁」が濃い時期だった。
その「百尺」というには、夏目漱石の「草枕」の冒頭にでてくる。
そして、その店の主人が考案したのが、「チュウハイ」で、別名「元祖チュウハイのお店」であったらしい。


草枕は、「山道を登りながら、こう考えた」から、始まり、あの有名な
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ・・
という有名な言葉がでてくる。読み続けると、
「百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり、吐いたりしたも、人の臭いは中々取れない。」というくだりがある。どうも、ここから、
「百尺」と命名し、カウンターに銘木の檜をしつらえたのだと思う。
ここの主人(故人)は、リトルリーグで王選手と対戦したこともあるらしく、
時々、このカウンターに王さんもとまったらしい。まことに「縁」
というものは不思議なものだ。先月、草枕を読み返してみて、漱石が
「煎茶」の世界にかなり通じていたことがわかった。天真庵の二階は、
「文人が煎茶を楽しむ間」みたいな空間をめざしている。

どうでもいいけど、時間がせまってきた。興味がある方は、
12時くらいに、十間橋のコンシャルジュ「黒崎竹信堂」(
うちと、spice cafeの中間の角にある)にいって、3000円で
チケットを買って、この街とジャズを楽しんで見てほしい。
何かがおこるかもしれない。おこらないかもしれない。
どちらにしても、「あなた」の問題である。
では、お待ちしている。

「兎角(とかく)に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、
安い所へ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生まれて、画(え)ができる」(草枕より)
音楽もそうして、生まれたのだ。この街にくれば、そのあたり
がよくわかる。
本屋で「草枕」を買って、押上で降りて、十間橋でジャズを聴く。
いい日曜日になりそうだ。 感謝

久保忠廣さんの陶展をやる不思議スポット 炎色野

2010-10-30 07:18:48 | Weblog
渋谷の宮益坂を登りきったあたりに、昔は
仁丹ビルがあった。その裏側界隈には、渋谷
でも青山でもない不思議なスポットがある。最近は
「隠れ家」がどうどうとマスコミをにぎわし、「秘湯」
が「秘湯を守る会」などいって看板をだす時代になったけど、
そのころのこの界隈は、「誰にも教えたくないお店」がたくさん
あった場所だ。
そこの路地裏に古民家を改装した「炎色野」(ひいろの)という
器屋があった。天真庵で、久保さんの器を扱い始めた時、
たまたま広尾かどこかに電話をしたら、か細い女性の声で「ひいろの です」と。
。普通は「すいません、間違えました」と必ずいうところだが、
ひいろの、という不思議な名前にひかれ「そちらは、なんのお店ですか?」
と聞いたら、「陶器のギャラリーをやっています」というので、すぐにタクを
ひろって、でかけたら、美人の店主が歓迎してくれ、それ以来10何年も久保さん
の器をあつかってもらっている。5年ほど前に、その古い民家は取り壊されたが、
青山学院に向かって、100mくらいのところに、縁あって移転することができた。
久保忠廣、渡辺愛子、升たか、大前智・・・天真庵で使っている器の作り手が、
個展をやる場所だ。見た目は美人薄幸みたいな感じの主人だが、人は見かけとは
反対なことが多々ある、ことをこの人にいろいろ教わった気がする。
炎と土を使ってものをつくっていく陶芸家たちに、勇気や元気を与える力を
もった両性具有な稀有な人だ。

昨日は、久保さんが天真庵にやってきた。最近は、久保さんの白い
カップでホボブラジルを供している。100個くらい手元にあったけど、
売れたり、あげたりして、20個くらいしか残っていなかったし、最初は
「長屋茶房」という名にふさわしく、グリップのない古伊万里で珈琲を
出していたけど、なんだか最近この「白い木綿豆腐みたいな風合いの器」
が好評なので、これでいこうかと思っている今日このごろ。

そんな話をしていたら、文庫くんがやってきた。文庫くんも彼が
音大の学生のころ、炎色野で知り合った。ピアノを勉強している
学生の分際を超えて、お酒や骨董の話に詳しい奇妙な青年だった。
改装中の天真庵に、「帰山」という酒をさしいれてくれ、
「IT業界から足を洗って、こんな素敵なことをする先輩に
ピッタリな名前の酒だと思って、四つ木の杉浦酒店から仕入れてきました」
とのことだった。次の日に、杉浦酒店にいき、家族みたいな付き合いが
始まった。文庫くんも近くに越してきて、今年中に「音楽・芸術サロン」
が押上にできそうだ。その名は、「押上文庫」になる予定。器と音楽とお酒
が同時に楽しめる「大人の茶論」になりそうだ。押上にまた名店がひとつ
できる。

明日は「JAZZ十間橋」
うらぶれたシャッター通りの商店街で、ジャズを楽しむ日。
器もそうだけど、大量生産の時代に、工場を中国などに移し、
値段を安くして、その味気ない工業生産品があふれたので、
一品一品の味、みたいなものが薄れた。
ジャズも、音楽がタダで、どこでも聴ける時代になり、
わざわざ、ライブにいかなくなった。でも、工業生産品と
作家ものは、べつもののように、CDや携帯で聴くジャズと
ライブは、天と地ほど違うものだ。
バーチャルとリアル、アナログとデジタルがごちゃまぜの
時代になってきたけど、うまく使いわけていかないと、
座標軸がどこにあるやらわからないような輩ばかりが右往左往
する時代になりそうだ。人間も鳥や虫や動物や魚・・生きとし
生けるものが、共に暮らしているこの星も、みなアナログなのだ。





運命

2010-10-29 07:59:12 | Weblog
昨日は朝から雨。雨の日は、カザロスの無伴奏チェロ組曲を
聴きながら珈琲を飲む、のが大好きで、昨日もお店で、ちょっと
マンデリンを深く焙煎して、少しストロングな入れ方をして、
久保さんの白いデミカップでバッハの世界に浸っていた。

カウンターのホワイトボードには、左には「ねんど」(これは今日ある)、
とか、「ダメから始める中国語」とか、「英語で蕎麦会」などのスケジュール
が書いてあり、右には、ライブのスケジュールが書いてある。そこに、
この組曲の楽譜を書いていると、「バッハが好きなんですか」とか「
私もこれ大好きです」なんて、「わかる人」が、あまりに普通にたくさん
いるのが、すごい、といつも驚かされる。

11月1日まで、般若くんがSTAGE悠で、木工家具店をやっているので、
ひさしぶりに自由が丘まで行こうと、歩いていたら、携帯が鳴った。
年に一度もかかってこない人からの電話なので、無視をきめていたら、
またかかってきた。またしかとした。ら、携帯の電池が赤信号だ。
「もう携帯はいらない」と毎日思っているけど、夜は、
サントリーホールにいく予定で、その後四谷のワインのお店にいったり
する予定で、携帯がウルトラマンのピコピコ状態だとまずいので、錦糸町の
ドコモショップにいって、携帯の電池の無料交換をしてもらいにいった。
持っている番号が、633で、「解約」というコーナーが632になっていた。
「そのまま解約しようか」と、思ったが、「こんど故障するまでは使おう」
と思い直して、呼ばれた場所にいって、手続きが始まる。
担当者がホワイトボードをさしだして、「ここに携帯電話の番号を書いてください」
とやさしくいう。「自分にかけたことがないので、知らない」と答えると、
にが笑いして、「携帯をかしてください」といい、ぼくの携帯番号を教えて
くれた、ので、それを書く。次に「契約者は本人ですよね」というので、
「そうだ」と答えると、どうもヒットしないらしい。やっぱり携帯は解約
しようと思い、「もういいよ。これあげる」といって、席をたとうとすると、
「もしかして、会社契約では?」という。痴呆症の老人が、自分の名前を
思い出したりする瞬間はこんなものかしらん?とか関心しながら、自分の
会社の名前をいったら、ピンポーンだった。携帯なんかいらない、という態度
の客に無料で携帯の電池の交換をしてくれ、しかも帰りにどうぞ、と、
マックの珈琲券までくれた。今朝の新聞にのっていたけど、携帯電話の競争は
ますます激化しているみたいだ。古い記憶によれば、ソフトバンクとかいう
会社には、昔所属していた気がする・・麹町あたりで創業したころ?

そんなわけで時間をくってしまい、般若くんのところへはいけなくなり、
お茶のお稽古にいき、その足で、雨のサントリーホールにいって、ベートーヴェン
の「運命」を聴く。
この曲は、後楽園ホールで、ヨネクラジムのチャンピオン・クレイジーキムに
挑戦する角海老の前田くんが入場する時に、かかった曲だ。タイトルマッチなど
メインイベントの時には、それぞれの選手が自分で選んだ曲にのせて、颯爽
とリングに登場する。
サントリーホールの演奏者の真上くらい、ボクシングでいうと、リングサイドの
特別席みたいなところで、聴いた「運命」は、運命的なくらい五感をふるわせた。
ジャジャジャジャーン・・というところは、弦楽器とクラリネットでやることも
初めて知る。やまねさんの緊張が、伝わってきた。
試合が終わったあとに、ボクサーは酒は飲めない。脳の中の毛細血管などが、
危うい状態だからだ。でもコンサートは、違うので、電池が満タンになった携帯で
やまねさんに電話して、「ワインを飲みにいこ」と誘い、25年前から超繁盛している
四谷の「s」にいって、ワインを飲みながら、談論風発。

明後日は「JAZZ十間橋」
運命的な出会いがいっぱいありますように・・・
人は、はやくも、おそくもなく 、あえる人、あわなくてはいけない人と、
運命的に出会うものだと思う。



JAZZ十間橋が、「あの街天国」で紹介されるらしい!

2010-10-28 08:54:20 | Weblog
こんどの日曜、10月31日は、いよいよ「JAZZ十間橋」が開催される。

この街に初めてきたのが、2006年のとある夏の暑い日だった。
「押上」駅から、うらぶれた商店街を通り、京島にある長屋に移り住んだ
陶芸家の升たかさんを訪ねた。古色蒼然とした長屋のたたずまい
や、そこに「豆腐屋」とか、「お好み焼き」などと手書きの看板を見た瞬間、
ドキドキして不整脈になったのを、昨日のことのように鮮明に覚えている。

そして、升さんが「うまいカレーを食べにいこう」といって、連れて
いってもらったのが、spice cafeだった。
帰りに、今回当日券を販売してくれる黒崎竹信堂さんの前で
「この家の主人は、国宝みたいに親切な人だ」と教えてくれた。
そして、何軒かいったところに、6台の自動販売機に隠れた古い
長屋があった。(何日か前の夜の天真庵の写真には、あだ自動販売機が映っている)陶芸家と2人で、自動販売機のところから、中を覗いた
けど、ゴミ置場みたいな感じだった。でも窓の木枠や、二階の窓の感じが
なかなか品があって、「これは、上海の租界時代のカフェができるな」
とか、「看板はここにおこう」とか、「屋根は緑にしよう」とか、
勝手に、イメージが、グルグルふたりの頭の中を駆け巡っていった。
そして、国宝みたいな黒崎さんの口聞きで、この不思議な物件と契約して、
天真庵が結ばれることになった。


若い芸術家たちの力を借りて、2007年の4月1日にオープンすることになった。それから、文人のような芸術家や音楽家が、集まってくるようになり、一周年記念にワカがお祝いにジャズピアニストの荒武さんのライブをやってくれ、それをきっかけに近所の方に、カイザーのピアノをいただき、またそれに引き寄せられるように、クラシックのピアニストや、JAZZマンたちが、やってくるようになり、さながら「ライブハウス」のような感じになってきた。同時並行で、「寺子屋」みたいな勉強会が増えていくことになる。

そして、オーボエの渡辺佳代ちゃんが、最初は「チーズケーキとコーヒーと
バロック音楽」をやってくれ、それが「墨田ぶらり下町音楽祭」に発展し、
天真庵とspice cafeと、黒崎竹信堂さんで、春に、クラシック音楽の祭り
が開催された。そして、今回は、竹信堂さんがコンシェルジュになってくれ、
「JAZZ十間橋」が開催されることになった。みんな自然な流れで、
作為がないのがいい。こんな自然発生的な町おこしなら、どこでも誰でも
同志があつまればきっとできると思う。日本中が「元気な街」になるはずだ。

昨日はテレビの正月番組(来年の1月1日の夜放映の番組)の取材があった。
先週のブログでも少し書いたけど、テレビ東京の人気番組で、
「あの街天国?」そんな名前の番組に、spice cafeといっしょにでることに
なった。31日の「JAZZ 十間橋」の時にも、取材がくるらしい。

「風土」とはよくいったものだ。昔からその土地にいる人(土)と、
風のようにやってくる旅人(風)が、長い時間をかけて、風土という
文化を形成していく。そんな悠久な時間の自然の流れと、
JAZZやクラシック音楽の調べ、みたいなものを、いっしょに楽しんで
いただけたら、こんに素敵なことはない。
この街は「文花1丁目」。元気な街。蔦のからまる古いアパートを改装したspice cafeと、古色蒼然とした長屋を改装した天真庵があって、時々カレーの香りや、
珈琲の焙煎の香りといっしょに、クラシックやJAZZの生音が聴こえてくる。

31日(日)の「JAZZ十間橋」
当日券もまだまだあるので、友だちでも恋人でもあかの他人でも誘って
遊びにきてほしい。
そして、「こころに着火」するような1日を過ごしてもらえたら、こんなにうれしいことはない。感謝。

今日は、休み。いろいろお祭りの準備に忙しい日。
夕方は、表参道にお茶のお稽古にいき、夜は、サントリーホールにベートーヴェンを聴きにいく。

明日は、「ねんどの日」
こねるのまいかさんが、笑顔でやってくる日。
天真爛漫な小学生や、いつまでも子どもみたいな気持ちいい人たちがやってくる日。





休み

2010-10-27 09:56:54 | Weblog
最終の水曜日・木曜日は連休になっている。
いつもは、東京を抜け出して、おいしい空気や水の
中でやっている蕎麦屋なんかにいき、温泉につかり、好きな
本を読みながら、一献なんてことをやっているのがならわしだが、
今回は、週末に「JAZZ十間橋」があるので、その準備をしたり、
明日はサントリーホールで、N響のコンサートがあったりするので、
静かに東京にいることにした。N響といえば、11月にもやまねさんが
コンサートを企画してくれた。10日が、野代さんのピアノと聖子さんのチェロ、30日がやまねさんたちのクラリネット・・・楽しみだ。

今朝は急に温度が下がったので、「ウナボー」(*冬には、毎日かかせない、
unaがつくってくれた帽子)を深くかぶり、ワインドブレーカーを着て、
軽く1時間ほど走った。まだ一時間のジョッギングを「軽く」というけど、
実際は10kくらい走るので、没後4年の肉体には、かなり重たい運動
かも知れない。お店の前の路地から入り、小学校あたりを右に行くと、
踏み切りがある。そこを渡ると英語の岩本先生たち(9月から嫁さんがきた)
の住む長屋の先を左折、陶芸家の升さんの長屋のアトリエを左に見ながら走る。
次の信号(四ツ目通り)を右折しながら、まっつぐ走っていくと、踏み切りが
ある。その手前の路地裏に、ピアニストの文庫ちゃんの家がある。そろそろ
改装工事が始まり、年内には、美味い日本酒が飲めるピアノサロンができる。
明治通りをまっつぐ渡ると、八広という街にいく。陶芸家の愛子さんのアトリエ
なんかが界隈にある。

この八広界隈は小さな町工場あたりがあったり、今でも残って
いて、少し雑然とした街だけど、北九州の工業地帯で生まれたぼくには、なんとも
なつかしい匂いがする街だ。くねくねと、路地裏を走っていくと、知らない
間に、玉ノ井にたどりつく。色街の残り香は、想像力を働かさないと、かげない
くらい薄くなったけど、男と女の逢瀬が繰り広げられた町は、人間のニオイがしていい。今朝の新聞に「井伏鱒二の恋」の話が紹介されていたが、小説も音楽も芸術一般に
それを抜きには語れない。なんてこと考えてていると足がとまった。
ときどき、先天的な方向音痴のぼくに、「この路地を入りなさい」みたいな声なき声がして、小さな路地に誘われるままに、足を進めた。昭和にタイムスリップみたいに、
長屋のたたずまいや、台所から聞こえてくる包丁とまないたの音や、味噌汁の
匂いが懐かしい。新しいタワーのお膝元のこの界隈も、最近はマンションや建売住宅なんかが増え、昔の風景が急に壊されていくスピードが上がっているように思う。
住む街の風景と文化、住む家とかかわり深い「衣・食・住」の文化は、大事にしたいものだ。男のはだかを知っている街、向島や玉ノ井や鳩の町のあるこの下町を歩いて
いると、天真爛漫なはだかの気持ちになれていい。
バカになったり、ハダカになったりしないと、これから先のこのいきずまった時代を
乗り切ることがむずかしくなりそうだ。
11月から「かっぽれ」が、倍の4人でやることになった。

31日はいよいよ「JAZZ十間橋」。ジャズの原点が見える。
こころ見つめながら、JAZZをはしごして、これから先の未来に
希望を見つけていきたいものだ。できたら、午前中に、界隈の花街なんかを
ぶらりと散策するのもいいもんだ。こころをはだかにしないと、なんにも見えて
こないし、聴こえてこないけど・・

おでん・熱燗・昔の女

2010-10-26 07:42:24 | Weblog
ある作家が書いたエッセーのタイトルだけど、
秋になると、使いたくなる。

昨日は、順受の会だった。
その前に、大学時代の友達が飲みにきた。
ワカと同じく人吉の生まれだ。
「法律相談部」という硬派なサークルに参加
していたけど、よく荒神口の「安兵衛」という
うらぶれたおでんやで、酒を飲んだ。し、
男子禁制の聖地に、ふたりで偲びこんだりした。
ぼくが、1年の後半から、からふねやの本店を
まかされるようになり、学校へは、ほとんど
いけなくなったけど、「ここ」という試験は
彼の力を借り、卒論も彼が書いてくれた。

今年の4月に卒業後30年ぶりの法律相談部の
同窓会が京都であった。勘違いして、いけなかった。
同級生で30人くらいの会だったけど、仲のよかった
ふたりが、旅立ったことを知る。人生50年とみると、
今は没後4年。大学の4年も短いが、人生もつかのま。


順受の会の先生は、鹿児島生まれ。流れで、そのまま
彼も参加することになった。勉強前に、5合飲んでいたので、
授業中は、本を枕にして眠っておられたが。
京都のおでんやでは、その当時は「ころ」がかかせない
たねだった。鯨の脂身。「にしんそば」「ころ」「いもぼう」
といい、京都の人たちは海から遠い盆地でありながら、海の
ものをうまく使った。もちろん、ちくわぶは、ない。
ぼくは、うすあげ、とか、こんにゃく、とか、豆腐が好物で、
この三品で10本空けることも、ままあった。酒は名誉冠の
二級酒。比叡降ろしで底冷えする京都の冬に、おでんと熱燗
は最高の贅沢やった。

論語の勉強が終わって、飲み会になった。毎回参加される
女社長が、「チケット10枚」と元気よくいってくれたので、
apice cafeで「JAZZ十間橋」の打ち合わせ中のきみに
電話してもってきてもらった。どうも会議で、「打ち上げは、
天真庵のおでん」というのにきまったらしい。さて、ちくわぶを
いれるかどうするか?

不景気なのか?、31日の「JAZZ十間橋」のチケットの売上が
思ったほびないが、追い込みたいと思う。感謝。

27日から11月1日まで、般若くんがSTAGE悠(自由が丘)で個展をやる。
久保さんも炎色野でひさしぶりにやります。10月30日(土)~11月6日(土)


祭りの後

2010-10-25 07:43:52 | Weblog
3日間の「染めん展」が終わった。
ほんまに、ぎょうさんの人たちがきてくれはって、
楽しい秋祭りが終わった感じ。祭りの後は淋しい
もんだけど、秋はなおさらさみし。すっかり京都弁
にもどっていもた3日やった。おおきに。

夕方、本番が終わった林太郎くんと、やまねさんがカウンター
にとまって、米宗の山廃をゆるりと飲んでいたら、文庫ちゃん
もやってきて音楽家3人が酒を酌み交わしながら、談論風発をしていると、
テレビの人が打ち合わせにきた。ぼくはテレビを見ないので、
知らなかったが、「あの街ロマンティック?」
とかいって、いろいろな街にスポットをあてて、その街の名物なんかを
紹介する人気番組らしい。
僕的には、お店がテレビで紹介されるよりも、この街が春が「墨田ぶらり下町音楽祭」
で、街中に音楽が流れ、来週31日(日)に開催される「JAZZ十間橋」みたいに、
シャッター通りになった街が、ニューオリンズみたいにジャズが似合う街になったり
するのが、一番素敵だと思う。そんな話をしていたら、林太郎くんがむっくと席を
たって、つかつかとピアノのところにいって、「秋のショパンはいかが」
といって、ピアノを弾き始めた。秋しかも、お祭りが終わった夜に染みわたるような
曲だった。こんな不思議なことが、打ち合わせもなしに、日常的に起きることが
まことにおもしろい。芸術家や音楽家が、わくわくいきいきしている街は元気なのだ。

そんな奇妙キテレツなテレビの打ち合わせが終わり、二階の「染めもん展」の
かたずけが終わって、京都からこられた野村さんと河野さんを連れて、spice cafe
で、打ち上げ。「街中がカフェ」みたいな京都で生まれ育ったふたりも、さすがに
この下町にあるたくみの無い古色蒼然としたspice cafeを満喫されたようだ。
今日の夜は、またspice cafeで、「JAZZ十間橋」の打ち合わせがある。
cafeの仕事は、毎日毎日、同じことの繰り返し。でもそれを、楽しんだり、飽きない
ようにしないといけない。毎日毎日「粒々皆辛苦の業」だ。お客さんもまたしかり。


今日は「順受の会」
月に一度、文人墨客をめざす多士済々な人たちが、
颯爽と門をくぐり、朗々と論語を読む日。
別名、「儒学カフェ」。




鶴の恩返し

2010-10-24 08:13:17 | Weblog
先日、友だちが「かえしをゆずってください」
というので、「どうぞ」と、差し上げた。
彼女は料理の達人で、お店のメニュー創りにいろいろアドバイスを
いただいた。もち麦や、黒豆なんかは、農家まで紹介してもらった恩が
ある。

かえし、というのは、蕎麦の出汁になる「にきり醤油」。
簡単にいうと、砂糖とミリンと醤油を、熱燗みたいに湯煎
し、その後最低1ケ月くらい寝かすものだ。蕎麦屋では、
店店で作りかたが違う。それを毎日、鰹節やさばぶしや昆布や干しいたけ
などでつくった出汁の中にいれ、それを冷蔵すると、そのお店の出汁が
できる、というわけだ。蕎麦では、それを玉子焼きに入れたり、焼き鳥の
たれにしたり、万能の調味料として活用している。天真庵のそばっ粉クレープ、
つまりガレット(フランスでは、ギャレット、と発音する・・・ピアニストの
林太郎くんがそういっていた)は、かえしとゆず胡椒で食べるのがならわしだ。
毎朝5時に起きてお店にいくのは、蕎麦打ちのほかに、かえしや出汁をつくったり、
蕎麦豆腐などをつくったりする準備があるからだ。だからけっして、「営業時間
が短い」などと、無粋なことをいっては、いけないのだ。

その友だちが、「かえし」のお返しに、ぼくのかえしで漬けたイクラを
持ってきてくれた。今朝の朝食は、新米を土鍋で炊き、それに納豆を
のせ、その上に、そのいくらをのせて、食べた。
おいしいものは、口の中で咀嚼して、胃袋に嚥下した瞬間に、空になった
口や食堂の細胞が、「またくれや」と叫ぶような声を出す。
そんな声がした。まさに「いくら」でも食べれそうないくらだ。
おいしい珈琲も、飲み入れた瞬間に、嚥下した液体から放たれたアロマが
逆流して、脳みそあたりに浸透して、麻薬のように、自然とまた飲みたく
なる・・・一応、ぼくの「ほぼ・ぶらじる」は、その辺りを目標に
毎日、生豆を焙煎する時に考えながらやっている。自分では、
「粒々皆辛苦の業」といっているが、けっこう楽しいものだ。

今日まで「染めもん展」をやっている。
着物美人や着物を着た美人たちが、あまたやってくる。
池袋時代に、「蜃気楼」あたりでよく飲んだHさんも、
大島で颯爽とやってきた。小さなカウンター和式トイレがちゃぶ台ひとつしかない和室の隣にあるような狭いお店だが、このお店で食べると、ほかの中華のお店の地図が消去
されるくらい、うまい。

明日は「順受の会(論語の会)」。
先々週、社会復帰のリハビリ中の青年が、おそるおそるのれんをくぐって
きてくれた。心の病をもっていて、生活保護状態なんでが、なんとかまた
社会に復帰したいらしい。「文花的な寺子屋に参加したい」というので、
「では、論語の会にこいや。強制はしないけど」という話になった。
最初に玄関を開けて入ってくる以上に勇気がいるかもしれないが、
新しい1ページをつくろうと思うときには、誰でも必要とする勇気だ。
明日がなんだか待遠しい。


よかちん

2010-10-23 08:15:35 | Weblog
昨日のバロックコンサート&ワイン会は、最高の
会になった。バッハのカンタータを聴きながら、
最初に、「ドルチェットダルバ」を開ける。
イタリアの有名なワインの作り手パロッコ神父の
教会でつくられたワインだ。天真庵が池袋で結ばれたころ、
東京芸大を卒業したばかりの長崎くんと、陶芸家の
久保さんが、共同でイベントをやってくれた。その時に、
庭を竹中心でつくってくれた。そのころ、よく彼と、
「打ち合わせ」と称して、このドルチェットダルバを昼から
グビグビ飲んだ。「今のもの」といわれるそのイベントが、
いろいろな芸術家を天真庵と結びつけた。

次に京都から「染めもん展」でやってきた染織アーティストの
河野さんが、京都弁で「次のん、あのきれいなラベルのいきまへんか」
というので、イタリアの画家、サンドロキアの「モレリーノ デイ スカンサーノ」
を開けた。最初のワインより、ずっしりと重くて、バランスのいいワイン。
昔、芸大の人たちと飲んでいたころは、もっとグロテスクな、男の裸が
描いてあるやつもよく飲んだ。名前が覚えにくいので、そこのワイン会社の
女性社長に電話で「キンタマワイン・・」なんていって頼んだ。

次に、カウンターの女性の常連さんが、「私、微発砲のワインがすき」
というので、「バルベーラ デイ モンフェラート」を開けた。
霜降の前日とはいえ、爽やかな感じがするワインだ。京都から
きたろうけつ染め富夢さんも河野さんも、バロック音楽とワインに
酔いしれて、顔が真っ赤になっているので、「いい顔色してまんな」
と京都弁でからかうと、「わしら、染めもんやさかいな」とかえってきた。

最後は、イタリアワインといえば、「キャンティクラシコ」を開けながら、
ヘンデルのトリオソナタを聴く。みんな、まるで王室に集まってくる
紳士淑女みたいに、秋の夜のバロック音楽&ワインを堪能した。
このコンサートを企画してくれた「かよちゃん」こと、渡辺佳代子さん
は、大阪生まれで、大阪芸大を出て、ベルギーに留学し、帰国して
近くに住んでいて、「墨田ぶらり下町音楽祭」を企画してくれた人でも
ある。天真庵が「クラシックカフェ」みたいになったんは、この人の
せい(お陰というか)。ヴィオリンの廣海史帆さんは、奈良出身。
染めもん展のふたりが京都なんで、「秋の芸術 三都物語」
みたいなもんかも。史帆さんとピアノのまりちゃんこと、山縣万里
さんは東京芸大。今の天真庵の改装をやってくれた中西くん、うな、
林くんも東京芸大出身。

アンコールは、「天真庵の喜代美さんに、先月姪っ子が
生まれ、カノン(華音とかく)という名前になりました。」
というところで、拍手がおこり、パッフェベルのカノンが
奏でられた。元気が旅立った時にも、音楽家たちが、追悼の
曲をやってくれたり、生まれくる命に対して、喜びの音楽を
やってくれたり、こんな不思議な音楽カフェ?をやってきて
(勝手にそうなってきた感があるけど)こんなにうれしいことは
ない。

音楽会が終わって、三人の音楽家に蕎麦を出し、
東京芸大に昔から伝わる「ヨカチン」をお返しに
やろうとしたら、喜代美さんに、とめられた。

今日明日は、京都の染めもんやさんが、天真庵を京都色に
染めてくれはる日。

31日(日)は「JAZZ十間橋」。
うらぶれたシャッター通りに、ひがなJAZZが流れる。
元気のない町も、元気でない人も、JAZZのカタルシスの
力で元気になる。そんなささやかな魂が、優美に広がって
いけばいい。これからは、「元気なやさしさを拡げていける
人が活躍する時代」だと思う。 感謝。



バッハを聴きながらワインを飲む会

2010-10-22 07:35:09 | Weblog
今朝の「朝日新聞」に、「JAZZ十間橋」の記事が
大きくとりあげられた。「川の手」という欄。

昨日はおやすみだった。
いつものように、午前中は、焙煎。
エルサドバドルのいい豆が入ったので、ガラガラと
焙煎をしていたら、表に人がたっていた。目があったけど、
焙煎中は、手がはなせられないので、しかとして、20分
ほどして、焼きあがって、外にギンピを捨てにいこうとしたら、
まだたっていた。ぽつりと、「JAZZ十間橋のチケット3枚ください」
といわれた。さきほどは、「焙煎中に何事だ・・」とシカと、ムクとしていたのに、
相手の女性が「天使」に変る。人のこころとは、まことに不思議なものだ。

次に、デカマラもといガテマラを焙煎していたら、近所に住む自称・
女好きのオカマのMくんが、やってきて、奈良の金峯山寺(きんぷさんじ)
の金剛藏王権像の特別ご開帳(9月1日から12月9日まで)のパンフと
ぼくの大好きな料理研究家の本を持ってやってきた。
Mくんは、毎日コンビニでアルバイトをしながら、貯まったお金を舞踏家などの
イベントに使う、という、貧乏だけど清貧な人で、天真庵で花をやるように
なったきっかけをつくってくれた恩人だ。15年やっていて、1回しか参加して
いないけど、論語の会のメンバーでもある。

さっそく「昼めし食おう」と誘うと、「玉ノ井(旧・花町)に、舞踏つながり
の先輩がやっているイタメシヤがある」というので、そぼ降る雨の中を、
よもやま話をしながら、玉ノ井をめざす。界隈に「鳩の町」という旧花街もあり、
昔の面影はうすくなってきたが、こんな雨降る日に、波動をいにしえの時に
あわせてみたら、長屋の二階から女郎さんたちの艶冶な着物姿などが浮かんで
くる。そんな残り香が残る住宅街の一角に不思議なイタリアンのお店「カトリカ」
がある。引き戸を開けると、カウンターの中に、舞踏家の「田中眠」まがいの
ハンサムな店主がたっていた。「飲物はいつもので」といって、でてきたのが
「バナナジュース」だった。男(オカマ?)しかも、下戸と昼間からイタリアン
というのは、これまた初めてだけど、貴重な体験だ。生ハムとイチジクのサラダとか
野菜サラダなどを酒肴に、こちらは白ワインを飲んだ。牡蠣のピザとワインは、まことにピッタリな相性だった。ワインがグビグビいける。「カトリカ」・・・少し
入り組んだ路地を迷いながら、辿りついたら、こんなにいい「下町のイタリアン」
はない。

今日は「クラシックコンサート」。オーボエの渡辺佳代子、ヴィオリン 廣海史帆、
ピアノ 山縣万里さんたちが、バッハのシンフォニア「我が片足は墓にあり」や、
カンタータ第147番よりコラール「主よ人の望みの喜びよ」などを演奏してくれる。
ワインの文化は、ヨーロッパの音楽や芸術などと結びついて、長い年月をかけできあがってきた飲物だ。生のバロック音楽を、気のおけない仲間たちと聴きながらワインを
飲む。こんな至福な時はない。明日・明後日は「染めもん展」。
今日はヨーロッパ。明日明後日は京都どす。

31日(日)は、いよいよ「JAZZ十間橋」チケットは、天真庵でも
spice cafeでも発売している。1日楽しめて、3000円。(ワンドリンクor500円の
食事券つき)