長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

鶴の恩返し

2010-10-24 08:13:17 | Weblog
先日、友だちが「かえしをゆずってください」
というので、「どうぞ」と、差し上げた。
彼女は料理の達人で、お店のメニュー創りにいろいろアドバイスを
いただいた。もち麦や、黒豆なんかは、農家まで紹介してもらった恩が
ある。

かえし、というのは、蕎麦の出汁になる「にきり醤油」。
簡単にいうと、砂糖とミリンと醤油を、熱燗みたいに湯煎
し、その後最低1ケ月くらい寝かすものだ。蕎麦屋では、
店店で作りかたが違う。それを毎日、鰹節やさばぶしや昆布や干しいたけ
などでつくった出汁の中にいれ、それを冷蔵すると、そのお店の出汁が
できる、というわけだ。蕎麦では、それを玉子焼きに入れたり、焼き鳥の
たれにしたり、万能の調味料として活用している。天真庵のそばっ粉クレープ、
つまりガレット(フランスでは、ギャレット、と発音する・・・ピアニストの
林太郎くんがそういっていた)は、かえしとゆず胡椒で食べるのがならわしだ。
毎朝5時に起きてお店にいくのは、蕎麦打ちのほかに、かえしや出汁をつくったり、
蕎麦豆腐などをつくったりする準備があるからだ。だからけっして、「営業時間
が短い」などと、無粋なことをいっては、いけないのだ。

その友だちが、「かえし」のお返しに、ぼくのかえしで漬けたイクラを
持ってきてくれた。今朝の朝食は、新米を土鍋で炊き、それに納豆を
のせ、その上に、そのいくらをのせて、食べた。
おいしいものは、口の中で咀嚼して、胃袋に嚥下した瞬間に、空になった
口や食堂の細胞が、「またくれや」と叫ぶような声を出す。
そんな声がした。まさに「いくら」でも食べれそうないくらだ。
おいしい珈琲も、飲み入れた瞬間に、嚥下した液体から放たれたアロマが
逆流して、脳みそあたりに浸透して、麻薬のように、自然とまた飲みたく
なる・・・一応、ぼくの「ほぼ・ぶらじる」は、その辺りを目標に
毎日、生豆を焙煎する時に考えながらやっている。自分では、
「粒々皆辛苦の業」といっているが、けっこう楽しいものだ。

今日まで「染めもん展」をやっている。
着物美人や着物を着た美人たちが、あまたやってくる。
池袋時代に、「蜃気楼」あたりでよく飲んだHさんも、
大島で颯爽とやってきた。小さなカウンター和式トイレがちゃぶ台ひとつしかない和室の隣にあるような狭いお店だが、このお店で食べると、ほかの中華のお店の地図が消去
されるくらい、うまい。

明日は「順受の会(論語の会)」。
先々週、社会復帰のリハビリ中の青年が、おそるおそるのれんをくぐって
きてくれた。心の病をもっていて、生活保護状態なんでが、なんとかまた
社会に復帰したいらしい。「文花的な寺子屋に参加したい」というので、
「では、論語の会にこいや。強制はしないけど」という話になった。
最初に玄関を開けて入ってくる以上に勇気がいるかもしれないが、
新しい1ページをつくろうと思うときには、誰でも必要とする勇気だ。
明日がなんだか待遠しい。


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