長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

酒は静かに飲むべかりけりか?

2015-08-31 07:01:08 | Weblog

今日で8月が終わる。秋だ。しらたまの歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり。(牧水だ)

明日から「ながつき」、長月の3日は、ドラエモンの誕生日だ。

今年の夏はあまりに猛暑だったので、ビールをあまり飲まなくなった。

かえって汗がでるし、おなかがふくれて、つまみが入る余地が少なくなると夏ばてにつながる。

かといって、今はやりの夏むきの日本酒には触手がうごかず、今年はもっぱら「ハイボール」を飲んだ。

京都風?というか(京都の名店バーでは氷をいれへん)、氷を入れずに、少し濃いめの「かく」に、炭酸でわったものを飲む。音楽や読書を

しながらだと、とくに美味い。昔、有名な俳優さんが「京都の水割りは東京のそれより美味い」とテレビでのたまった。

京都に住んでいる時は「ふーん」という感じやったけど、最近は「さもありなん」という気がする。京都にいる時は、御所の近所の

「安兵衛」というおでんやで、伏見の名誉冠をぬるかんにして飲むのがならわしだったけど、時々、先斗町界隈のライブハウスや

バーにいった時は、バーボンの水割を所望していたような気がする。

先週は下関にクラシックコンサートを聴きにいった。山陰の海でとれたウニの後味が今でも脳裏か延髄?に残っていて、ついつい

酒を飲みすぎてしまう。これから里帰りをする時には、下関に立ち寄り、唐戸市場で新鮮な魚をさかなに、関門海峡を

ながめながら酒を飲む、という「究極の寄り道」がかかせなくなるかもなんばん。

やはり新鮮な魚、しかも白身の魚を見ると、日本酒が飲みたくなる。関門のカレイには、ご当地の地酒「五橋」なんかがいい。

これから「卵かけごはん」

ままよきんたまおとこのこ、たかがたまかけおんなのこ・・・・ばかにしてはならない。

ちゃんとお百姓さんが育てたお米を、ちゃんと炊いて、ちゃんとした餌と環境の中で育った鶏さん

の卵を、ちゃんとした「究極の卵かけごはんの食べ方」で、ちゃんとした古式の醤油や「かえし」を

かけて食べる。もちろん、できたら、横についている味噌汁は具だくさんがいいし、味噌や漬物が自家製

なら、ゆうことない。そんな卵かけごはんを食べれたら幸せだと思い、月曜日の朝8時から10時まで

の2時間限定で、「月曜の朝は卵かけごはん」ののれんを掲げている。

明日はガイジンをポン引きして、いっしょに英語をしゃべりながら蕎麦を手繰る会。「英語でそば会」

3日は「かっぽれ」

4日は、天才ノビと愉快な3人娘の素敵なライブ。

 


人も野生がなくなりつつある 暑さのせいか?

2015-08-30 08:39:53 | Weblog

昨日は沖縄の三線ライブやった。

お客さんのやく9割が女性、しかも若くてきれいな女性だった。

天真庵の夜は、ほぼ毎日のように、「寺子屋」とか「コンサート」とかを

やっているけど、どの会も女性が多い。20年続いている「論語の会」(順受の会)

だけは、「♪女の座る席がない」という昔の大学の寮歌みたいなバンカラな感じが残っているが・・・

ときどき、うちのお店が縁で、結婚する人がいる。でも最近は、深刻な人材不足?なのか、男女

ともに「願望」はあるのだけど、その道遠し、みたいな人が多いような気がする。

「寿」という文字は、田んぼの中で男のチンポがたっている象形文字らしいけど、どうも

愚息ともども「ひきこもり」という輩が多いのかしらん。もちろん、いい女がいないと、男はひきこもるけど・・

昼間に新婚ほやほやの新そばみたいなカップルが蕎麦を手繰りにきた。新郎くんはぼくのそばのお弟子様。

茨城県の八郷(やさと)という風光明媚な里山に囲まれた楽園みたいなところで、有機農業をやっている。

「暮らしの実験室」で検索すると、彼らの暮らしの実験がよくわかる。東京や、都市に住んでいると、土とか

空気とか水のせいもあるけど、どうも「野趣」がない人だらけのような気がする。

野菜、というのも「野生のなっぱ菜」が言霊。きれいなだけで、そろっていて、虫も喰っていないようなもの

とは、似て非なるもの。うそだと思ったら、一度「暮らしの実験室」の野菜や卵をお取り寄せしてみるといい。

みてくれは、悪いけど、食べた瞬間に、薬つけの腐りかけたからだの細胞が「これだ」と叫ぶと思う。

今年ももうすぐ彼らが「村おこし」よろしくたちあげた「八豊祭り」(やっほうまつり)がある。ヤフーも

同じ「ヤッホー」からきたらしいが、こればかりやっているとアッホーになり野趣がそがれるかもなんばん。

コンビニやネットのおかげで、いつでもどこでも、身の回りのものが調達され、便利になったけど、こんな

暮らしはみな「お金」に換算された、金・金・金が菌のように蔓延した世界。ときどきは、田舎の里山や

海にいって、本来の自然をとりもどすことも大事やと思う。

今年も暮らしの実験室では、蕎麦の種をまき、収穫際の時に、ぼくが蕎麦を打つことになった。

えらそうに「お弟子さま」といっているけど、彼らのほうが、時代の最先端を、人間らしく自由に生きて

いるように思うし、学ぶこと多し。おふたりのお祝いに、久保さんの志野のドラバチをさしあげた。

少し先輩の天真庵で20年使って、「美人になった」志野の四方皿を見せた。

たぶん彼らが、自分でつくった野菜を調理して、その志野にのせたり、糠漬けにしたものを載せたり、

時には蕎麦を載せたり・・・・しながら、いい器量の器になっていくことだろう。こんな些細な日常が

とても「豊か」に思えてくる。けっして、お金に換算する必要もないホンモノの幸せはそのあたりに

あるのだろう。天恩感謝。

明日の朝は「卵かけごはん」

ここで伝授している「卵かけごはんの特別なレシピ」は、実は昨年秋に「暮らしの実験室」

に泊ったよく朝に、伝授されたもの。

火曜日は「英語で蕎麦会」 スカイツリーの広場で待ち合わせをして、ガイジンさんに声

をかけ、ぽん引きよろしく天真庵に連れてきて、いっしょに蕎麦を喰いながら英会話。

岩本先生も月に一二度、遠山郷にいって野趣満天の生活を実験中。おもしろい生き方を

する人がまわりに多くなってきた。

9月は、またおもしろいライブがふたつ。

4日(金) les・KOMATIS ライブ

演奏:Nobie (ヴォーカル)・片倉真由子(ピアノ)・太田朱美(フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

24日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


座敷わらしがいそうな

2015-08-29 08:43:49 | Weblog

だいぶ秋めいてきた。

昨日の「座敷でそば遊び」は、窓をあけてやった。もっとも、この夏は

クーラーをつけても30度を下回ることはなかった。ビールとか冷ややっこは

美味いけど、やはり今くらいの温度が過ごしやすい。

畳も新しくなったし、夏くたびれていた「ほとととぎす」も元気をとりもどし、可憐な花を

つけたので、床の間の掛け花にした。すずむしでもすだいてくれてら、季語にして一句ひねりたくなるような。

秋から冬にかけては、二階では「湯豆腐」が旬を迎える。京都で買った湯豆腐専門の桶が活躍する。

炭の用意もしとかなくては・・・     昔の日本の暮らしには、道具にも季語や風雅が具わっている。

だから、「道具」。道を具えている。使いこなしていくほど、道に繋がっていく。その人の器を磨き、その人の

人間力を具える。コンピュータも道具ではあるが、違うところで構築されていく気がする。なぜだどう?

今日は「三線ライブ」があるので16時閉店。

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


昭和の青山

2015-08-28 08:38:49 | Weblog

ではないけど、木曜日に煎茶のお稽古にいく時は、表参道を早歩き

して、青山通りにある古本屋まで一気呵成にいき、昔の昭和あたりの

本を見つけ、それをリュックに入れてかれお稽古にいく、のを10年以上続けて

いる。

昨日は少し小雨もようだったけど、表参道の階段を一段ぬかしで登り、ミトコンドリア

の数を増やし、くだんの古本屋まで早歩き。まだまだフルマラソンを3時間だいでは

走れるのではなかろうか、などと勝手にいきがっている。

昨日は昭和4年に初版の「生花のてほどき」を発見し、レジでオヤジと「これはいい本だね」

なんて話ながら、リュックに入れた。ほかには白井誠一先生の書の特集した「銀花」もゲット。

家にもあるけど、うちには彼のファンがいっぱいいるので、お店においておこう、っと。

ないだ下関で、お花の師匠、原田先生にお会いした。その時に使っていた花の本も

かなり古い教材だった。花の基本は、真。天真庵の真、世の中の中心になる「心」である。

ハウツーではなく、そんな宇宙の根本の精神みたいなものを、先生にはいろいろ教わった。

もしも何かの縁で、九州や下関に住むことになったら、いのいちばんに、「よろしくお願いします」

と、先生の家の門をくぐりたいと思う。コンサートが終わって、お別れ際に「死ぬまでここで花を教えて

います」という言葉が印象的だった。「ひとつごと」を貫いた人は、生き方そのものが「哲」である。

「古松談般若」という禅語がある。生きてきた道そのものが悟り、みたいな意味だろうか。

うすっぺらいトレンドを右往左往したり、楽して金になることばかりを追っていては、到達しない境地かもなんばん。

明日は三線のライブがあるので、16時閉店。もうすぐ秋、とう感じになてきた。夜は虫のすだく音が涼やかに

なってきたし、朝5時はうっすら暗くなってきた。世の中がこんとんとしていても、自然の運行は神のはからいよろしく

悠久のながれを楽しんでいるようだ。

 

 


ポーランドの女性と飲んで、飲みすぎた!

2015-08-26 09:29:42 | Weblog

昨日は「タイムドメインの日」

お店を始める前からやっている。その当時はいっしょにしのぶえを習っていて、

今はかっぽれ仲間のイワジーが、毎月ブルーシートに煙突みたいなスピーカを包んで

もってきてくれ、参加するメンバーは、飲ませたい酒、喰わせたい酒肴、聴かせたいCDを持ち寄る、

というスタイル。昨日は初参加の友達がポーランド人を連れてきた。女性弁護士で、

禅や茶など日本の文化にも造詣の深いチャーミングな女性だ。

友達は英語が達者で、酔うとますます饒舌になり、ぼくの奇妙キテレツな日本語を彼女に

英語で伝えた。

ぬる燗を産まれて初めて飲んだらしく、「これは?」ときくので、「にほんでは、カンいいます。♪さかなは

あぶったいけでいい、という有名な酒がある」

徳利に興味をしめしてくれたので、「日本では、酒飲みは左利きという。大工が右手にカナズチ、左手に

鑿を持つ。その鑿と飲みをかけた洒落」・・・このあたりの日本語を、するめをあぶるように、さらっと

訳す。

その器は「杯(ハイ)」といいます。盃とも書きます。木にあらず、皿にあらず、つまり酒器なのです」

も、さらさらと英語にして、ポーランドの左党もメートルがあがって、赤い顔しながら談論風発がすすみ、

二階にあがり、煎茶の世界にも興味を示してくれた。こちらも酔った勢いで、およびであれば、いつでも

ポーランドに参上つかまつり、煎茶の茶会、蕎麦会をやりましょう」と伝えた。

「英語で蕎麦会」はいつもそんな感じだけど、ときどき異文化コミュニケーションをするのは、頭の体操に

なっておもしろい。あちらでは、ズブロッカみたいな少し強い酒を飲むらしく、みんな普段よりも飲みすぎた。

今日は朝から雨。傍らにある神代杉の文机に積んだままの本を珈琲を飲みながら、読みあさる日になりそうだ。

晴耕雨読。雨の日は、固くなった頭の土を耕そう!


山口へいってきたちゃ 2 極上のすしねたが泳ぐ海

2015-08-25 08:22:25 | Weblog

宇部でコンサートがある前日、唐戸市場で「そばのお弟子さま」たちと待ち合わせをし、

それからレンタカーで山陰を走った。帰省する時に、何度も通った道。観光ずれしていない道。

萩までいく手前に「角島」という島がある。美しい海に橋がかかっていて、舟でなく、車でエメラルドグリーン

の海の上を走っていける。知る人ぞ知るような島になったけど、まわりに素敵なスポットが三つあり、

ちょっと文化的な梯子をした。「香月泰男」「金子みすづ」「村田清風」の記念館。

三人とも、界隈の自然や風俗をこよなく愛した人たち。生き方や作品にそれが吐露されていていい。超おすすめスポット。

昼ごはんは、少し手前で「おかげさまで40周年 今年で閉店します」と店内に決意の張り紙をしている小さなお店。

6月にきた時、この張り紙を見て「もう一回きます」とおばちゃんと約束をして、「ほぼぶらじる」を渡して握手をした。

今回いったら、今年で閉店します、の決意のこもった太い筆文字の横に、細いサインペンで、「来年もうにがとれたら、やります」

と書いてあり、みんなで拍手をした。帰りに「またくる」約束そした。「珈琲のお返しちゃ」といって、おばあちゃんが海でとって、乾燥させてくれた

ひじきをいただいた。店の名前もおばあちゃんの名前も知らないけれど、原始的ぶつぶつ交換で、こころ豊かな気分になった。

ここのウニの味は、筆舌が及ばん。東京にはもってこれないし、おとりよせもできん。その時、海でとれたら、夢のような夕餉になる。それだけ、

というのがいい。最近、山口の地酒が全国区の人気もんがでてきた。身土不二、というけど、地酒はその土地でとれたものとあわせて飲む

のが一番いい。フォアグラやきいたことのない横文字のもんやらとあわせて、ワイングラスで飲みながら、ボリボリするみたいなセンズリ飲み

が流行っているみたいやけど、♪あぶったイカでいい。ウニもいい。夏なら、アジのたたきでもいい。

今日の夜は「タイムドメイン」

仲間と、飲みたい酒、酒肴、CDを持ち寄って、ワイワイいいながら酒を飲む日。


山口へおいでませ!

2015-08-24 07:36:17 | Weblog

新婚さんいらっしゃい、の「いらっしゃい」の山口弁。

30年以上、たぶん毎年2回くらい九州まで車で往復している。

その間、取引先が九州にかなりあったので、100回以上往復しているけど、

山口に泊ったのははじめて。しかも「宇部空港」を利用したのも初めて。海も街も

近くて、とてもフレンドリーな山口の玄関口だ。

昨日は、そこで「やまね組」のコンサートがあった。空港から近くの民家に、40人くらい

入るスタジオがあり、そこにスタインウェイのクラシックなピアノが鎮座している。

宇部興産の城下町であり、昔から芸術や文化が盛んな土地にふさわしい、肩肘の

はらない、小さなコンサートホールで、クラリネット二人、藤田さんのピアノという、

天下無敵のユニットで、素敵な音楽を堪能した。やまねさんの音楽のT先生も終始にこやかに

演奏を楽しんでおられた。大石学、国貞雅子の恩師でもある。まさに「師を見つけた弟子の力」

みたいなものを感じるかたである。

天真庵でお花のお稽古をつけてくださった原田先生とおも2年ぶりにお会いできた。

齢80を超えても、この地から毎月上京されて、不肖わたくしたちに、花を通じて、人生を

教えてくれた恩師である。山口は松下村塾の産まれた街でもある。立派な人がいた街には、

立派な寺子屋があり、そこに「人」が育っていく。なんやかんやと、かしましい時代で、

政治も経済もいきずまりを感じるけど、こうゆう時代だからこそ、もう一度、「寺子屋」

みたいな、共に学び遊び育つ、「共育」の場みたいなもんが必要な時代ではなかろうかしらん。

昨日は下関で「馬関祭り」があった。開場の近くに下関の台所の「唐戸市場」がある。

ぼくが育った対岸の北九州小倉には「旦過市場」がある。このふたつの市場を見ると、

この土地が育んできた「食育」の真髄みたいなものが見えてきておもしろい。

前日の朝ごはんは、そこの市場の二階に喫茶店でモーニングを食べた。レジに

甥っ子に似た関取の写真があった。帰りの飛行機がいっしょになった。

不思議な縁だ。

これから卵かけごはん。夜は「順受の会」  

 

 


山口へいってきます。本日15時半閉店。土日は夏休み。月曜の「卵かけごはん」はやります。

2015-08-21 08:20:33 | Weblog

昨日は、午前中が焙煎塾で夕方からは素敵なお茶会になった。茶室という空間はいつもはがらんとしている。

お茶会のある日に、花を投げ入れる。先月骨董屋でみつけた「東大寺」の板に

久保さんの掛け花を掛け、そこに庭に咲く矢羽すすきを投げ入れた。

そうすると無機質な空間に秋風が吹く。茶室にある唯一の生きものが「花」だ。

一輪の花や草木が、空間を一瞬にして変えてくれる。まさに刹那な芸術。

天真庵を押上に結んですぐに、宇部から原田先生が花の生け方を教えにきてくれた。

山根さんや林太郎くんみたいな音楽家や、ちょっとした料理人や、ワカたちが「ほんもの」を

感じて弟子入りした。枯木もにぎわいよろしく、ぼくも末席に座り、古典的な華道を教わった。

原田先生が体調をくずされて、東京はあきらめて、自宅で花を教えられている。ときどき

日本で一番好きな場所・福岡の星野村あたりでお茶会とお花の会があり、その時は

喜んで参上させてもらった。今回は山根さんのたっての願いで、原田先生のために演奏したい

という夢が実現。ぼくの蕎麦や珈琲の「お弟子さま」たちと、いっしょに、世紀の長州コンサート

を聴きにいくことにした。

そんなわけで、本日は15時半でお店を締め、明日明後日をお休みにさせていただきます。

月曜日の朝の「卵かけごはん」はやります。その夜は「順受の会」

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

 


雨音がここちいい。

2015-08-20 08:53:41 | Weblog

昨日は午前中から「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」で夕方が「かっぽれ」だった。

浴衣がびしょびしょになるくらいまだまだ蒸し暑いけど、ひと汗かいた後の一杯は、なにもの

にもかえがたい喜びがある。

今日も朝から「卒啄珈琲塾」で、今日の無茶しぃは、古くから知っていてぼくのHPにもリンク

がはってあるギャラリーの女主人が新人としてやってくるらしい。朝一番に、庭に植えてある矢羽すすき

を茶室に投げ入れてみた。「ちいさな秋」っていう感じ。

珈琲塾では、ブラジルニ種類の焙煎をして飲み比べた。珈琲豆というのも、農産物でその土地や気候

など自然の力におうものが多く、焙煎したり、それを入れたりする人間の技など、はなくそみたいなものだ。

蕎麦も9割がたが、そばの力。お茶もそうだ。どれも、中心には「おもてなし」のこころ、みたいなものが

あれば、それで充分のような気がする。そういう意味では本末転倒みたいな話が多い今日このごろ。

明日は15時半で閉店。土曜日日曜日は、宇部で「やまね組」のコンサートがある。

宇部から毎月お花を教えにきてくださっていた原田先生が病気でこれなくなった。それのお返しに

先生のために地元でやってみよう、という崇高な計らい。小さなコンサートやけど、こんなことがあちこちで

行われるようになったら、あちこちが住みよくて、楽しい街になる。過疎が加速しているけど、

斜陽になっていく時には、また斜陽な時代にあわせた生き方がある。雨の日は、また雨の日で楽しい過ごし

方がある。晴れてよし、曇りてよし富士の山。身土不二も富士の山。


元気な夏野菜

2015-08-19 07:37:01 | Weblog

先日、蕎麦のお弟子さまのひとりが真っ黒な顔をして自分で育てた

有機野菜を持ってきてくれた。ふぞろいだけど、みんな朝まで土に植わって

光合成をやっていたので、「どうだ」といわんばかりの元気な顔をしている。

とうもろこしは、「とうもろこしごはん」にする。土鍋に普通より若干少なめの水

(普通は米一合に、水一合)を入れ、生のとうもろこしをこそげ入れ、芯も

ふたつに切り、そのまま土鍋に入れ、塩と酒を加えて、15分。はじめチョロチョロ中パッパ・・

赤子が泣いても蓋とるな・・・の教えをまもって(正確には、沸騰した時に、すばやく蓋をとり、しゃもじで

まぜる)待つと、おいしいごはんが炊ける。中パッパの火かげんなどが、五感をとぎすませて、めいめいが

工夫すればいい。炊飯器やチンは簡単だけど、「それなり」の域をこせない味しかでない。

トマト。これは、油といっしょにとったほうが体にいい。ドレッシングをつくる。

そばやには「甘汁」というかえしがある。簡単にいうと、ザラメとみりんと九州の甘い醤油を鍋で、ゆっくり

混浴に入るようにして(混浴ではなく温泉でもいいし、家庭の風呂でもかまわない)な気分で「あわせ醤油」

をつくる。それに、酢とさらだ油をペットボトルに入れ(分量は、それぞれの性質とか、好みがあるので、それぞれが五感を

はたらかせてつくればいい)、ヤカシャカすればできあがり。それに柚子胡椒を少し入れるのが天真庵流。

トマトを適当にきり、黄瀬戸(トマトとの色のコントラストがぐんばつ)に入れ、大葉を適当に切り、ドレッシングを

まわしいれると、「わいるどトマトの夏サラダ」のできあがり。

満願寺とうがらしは、蕎麦汁に山椒をきかせた汁とからませると、ごはんやお酒が、グビグビいいながら

嚥下していく。

残った野菜は、タッパーに蕎麦汁を入れ、そこに適量の酢をほりこみ、唐辛子を適当に切っていれる。

九州では、「はりはり漬け」という。元気な野菜たちが、まるで夏のプールで遊ぶ子供たちのように、いきいき

tおしている姿が圧巻。でもすぐたべるとあかん。美味いものは、時間がかかるのだ。

さて、今日明日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だ。

珈琲も、お茶もお湯を注ぐ、だけの単純なものだから、だれでも「それなり」には

いれられる。簡素なものの中の「ほんもの」までたどりつきたいと思うのなら、それなり

の覚悟をして、ゴールなき高みを目指していくしかない。どの道も同じ。

「これでいい」と目標値が低い人は、そのレベルの景色しか見れない。

蕎麦のお弟子さまで、自分で野菜をつくる人が多く、それらを食べたり、自分ちの庭で

野菜などをつくって食べたりすると、自分の命の力が違ってくる。

あと水は、今日あたりbunkanの人たちが静岡の富士山の麓から汲んできてもらう。

健康で持続可能な生活を目指すなら、食べ物や水は、しっかりと「きめる」ことが必要だと思う。

みんな大きな自然の愛に包まれて「生かされている」ということに感謝する謙虚な気持ちも大切やと思う。